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第11話

 石の人 十一  全世界に共通して、星の数が多いほど経験豊富であり、位が高いというのが通念である。三つ星のホテルやレストランともなれば、業界内のみならず国家で通用する有名店ということだ。  冒険者にも同じ概念が適用されている。  駆け出しは無星から始め、ギルドが推奨した依頼をこなせば星が一つもらえる。そして同ランクに相応しい仕事をいくつかしてギルドから評価を得れば、次の星を獲得する。  依頼に失敗すれば降格され、最悪の場合は全ての星を失ってしまう。星の数は信頼の証であり、星と魔法写真の刻まれた手帳は、冒険者が施設に立ち入ったり、国境を行き来するための身分証明書となっていた。  通常、冒険者における星の数は、最大で五つとされている。  エラとデイヴは三つ星、セイディーは二つ星を持つ冒険者であった。中堅といえば二つか三つの星があれば十分信頼される。イーサンは現在、四つ星だ。これは一国で通用する熟練者の証であり、どこへ行っても歓迎され、ギルドに掲示されたほぼ全ての依頼を受けることができる。イーサンは誰からも信頼されていた。  チャールズ・クラウチは冒険者手帳に星を十個きらめかせていた。五つ以上の星は特例である。それ以上は国家の危機など、世界が存続するために必要な事態へ貢献しない限りは与えられないのだ。  マグリノリヤ・エイカー、ビアス・ノイエンドルフは七つ星、蓬龍は八つ星、ワータは六つ星だ。彼らはみな、特例なのである。  イーサンは新しい仲間の行軍速度といい、戦闘の手際といい、今までの経験では及ばない効率の良さに実力不足を恥じていた。今まではみなイーサンを頼みの綱とし、その実力に舌を巻いていたからだ。しかし、恥じることなどなかった。ミスリルゴーレムの討伐といえば、単体だけで四つ星クラスの依頼なのである。それが門前に二体だ。依頼人に抗議してもおかしくはない。  誰もが遠慮する仕事を快く引き受ける存在がいて、受付のトミーがどれだけ喜んだことだろう。二つ星クラスであるリザードマン討伐のほうが、はるかに簡単で儲けが良いのに。  代わり映えのしない、つるりとした長い廊下を歩く。不気味なほど罠もなければ、敵の姿もなかった。始めのうちは、やいのやいのと会話をしていた一行も、次第に口数が少なくなっている。  地図への記入はイーサンが行っていた。せめて足手まといにならぬよう、役立ちたいとの気持ちからだった。仲間はイーサンとの実力の開きなどまるで気にしていなかったし、気になるのであれば元から誘わないだろう。  ――ふと、違和感を覚えた。イーサンが足を止めるより先に、前方を歩いていたマグリヤが足を止めた。 「みなさん止まってくだされ」 「ああ」  何かありそうなら偵察に行くはずのワータは大人しくしている。 「ここから先は永久回廊のようだな」イーサンの後ろからチャールズがボソッと呟く。 「では僕がキュキュッと解除しましょう。モキュ」  ホゥロンが鳴くと通路にかけられた術が消え、永久回廊の罠は解除された。しかし、現れたのは壁だった。 「あらら、壁ですね」 「そんなことだろうな~と思ったのよ。どっかに抜け道がありそうなにおいがするぜ。ちと探ってみるからよ、みんなその場を離れるな」  暫くの間、ビアスはつるつるした横の壁を叩いたりしていた。 「おっ、ここか。ま~た厳重に管理されてるな。隠し扉の上に魔術で鍵がかかってるとは。それも特定のキーワードがいるらしい。心当たりってないか」 「ないね」マグリヤは即答し、肩をすくめた。 「ここは諦めるか、解析するかだな。やれやれ」と、チャールズ。 「解析できないこともないですよ。ただ、遺跡の中枢部に干渉するので時間がかかりますが。何しろ干渉するための媒体や端末がまるで無いので」いつもは自信たっぷりのホゥロンですら、歯切れが悪い。 「そんなことが可能なのですか、それで、どのくらいかかるものなのでしょう」 「そうですね~ この規模の遺跡なら下手をすると半日かかるかもしれません」  イーサンには、その時間が長いのか短いのかさっぱりわからない。ホゥロンの態度を見る限りでは長いほうなのだろう。 「んじゃ、ホゥロンに任せて、俺たちは休憩にすっか。めしだめし~」ワータはマグリヤの肩からふよんと飛んで行って、荷物袋の隙間に頭を突っ込んだ。 「そうですな、お弁当を広げましょう」 「えーっ、僕だけ休みなしなの~」  荷物を下ろし、ホゥロン以外はめいめい休憩をとる。マグリヤが荷物袋から出したパンとハム、瓶入りのピクルスは即席のサンドウィッチになり、ワータが作り出した雪の塊を溶かし、温かいお茶が淹れられた。 「うーん、おいしいです。遺跡の中でこんなにおいしい食事がいただけるとは」  イーサンはうなる。パサパサのビスケットなどの携帯食料は、長持ちがする代わりに味気がなくて心が荒むのだ。  チャールズはサンドウィッチには手を付けないで、瓶の中に入った赤い液体を一気にあおった。しかめられた顔から、あまり味の良いものではないと察せられる。イーサンは心中で仮説を立てたが、今は時期ではないと黙っておくことにした。  ホゥロンは隠し扉の前に座って、魔術印の鍵を紐解こうとしている。イーサンにはホゥロンが試みている半分ほどしか理解できなかった。古代魔術の知識は乏しい。イーサンのみならず、専門的知識を持つ魔術師や魔工技師ですら、完全な理解には至らないだろう。多くの術が消失して久しいからだ。  いうなれば、この手の遺跡は巨大な魔導具と言い換えても良い。遺跡を作った技術者や所有者が正式な方法で入らなければ動作しないか、あるいは招かれざる客に対して罠が発動する仕組みだ。  現代の魔導具は所有者が定期的に魔力を流すか、動力となる魔晶石などを入れ替えて使うが、古代の遺跡は所有者を失って途方もない年月が過ぎているにもかかわらず、生きている。  そのような、人の手を借りずとも何百何千年と動き続ける魔導具を制作する技術は、もはや存在し得ない。 「できました~」  小一時間ほどたった頃、ホゥロンが声をあげた。長い尻尾を嬉しそうに振っている。 「終わったのかい、ホゥロン。早いな」チャールズは穏やかに反応した。 「んふふ~ そうでしょう。さすがは僕なんです。遺跡の中枢に干渉して、殆どの罠と施錠に対する設定を解除しましたよ。もうしばらくすると明かりも点くはずです」 「おお~」気持ちよいほど重なった歓声が沸く。 「ですが一部の罠は作動してますし、管理者権限がなければ開錠できない場所がありました。中心部でしょうね」  ホゥロンは扉から離れ、マグリヤがホゥロンのためにとっておいたサンドウィッチのにおいを嗅いだ。 「つーことはだ」ビアスはあぐらをかき、腕を組んでいる。「遺跡全体の地図……もう完成しちゃったり、すんのかね」 「実はそうなんです。このままささっと地図を仕上げて、依頼を終えることもできますよ」  サンドウィッチは宙に浮き、細かな粒子となってホゥロンがあんぐりと開けた口の中へ吸い込まれた。噛む必要が無いのは便利だが、イーサンはやはり人間で良かったと思った。よく噛み、味わって食べるのが楽しみなので。 「だが、面白くないよな」 「ですな」  チャールズとマグリヤはニヤリと笑い、顔を見合わせた。 「仕事は最後までやらなきゃ。せっかく他でもない俺たちが受けたんだから」  何でも良いと言っていた割に、チャールズの責任感は強いようだ。 「プロだからな、俺チャンたちは」ビアスが立ち上がって、腰を伸ばす。 「ホゥロンちゃんの休憩が十分なら先に進みたいのですが、イーサンさんはいかがでしょうか」 「俺はいつでも行けますよ」 「僕も大丈夫なんです」  立って荷物を持ちあげると、脚の間にホゥロンが挟まって来たので驚いた。人の通行を邪魔するのが趣味なようだ。 「これはこれは」 「んふふ~ 足元がおろそかなようですね」  ホゥロンが挟まったままふくらはぎに尻尾をぺしぺし当ててくるので、イーサンはゆっくりと腰を落としてみた。 「モッ」  もちろん本当に座って潰すつもりはないのだが、ホゥロンはイーサンの尻が背中に当たる前に駆けだし、脇腹の毛を舐めて繕った。 「なるほど、イーサンさん。実力は測らせてもらいましたよ。なかなかに手ごわいようですね」 「あなたもね、ホゥロンちゃん。挟まってくる気配を感じませんでした」イーサンはにっこりと微笑んだ。 「はいはい。もう休憩はいいんだな。行くぞー」チャールズの肩上からワータがさえずる。  ビアスが念のため扉を調べ、完全に罠も鍵もないことを確認してから開けた。冒険者たるもの、いくら慎重にしてもしすぎることはない。  ブン――奇妙な音をたて、周囲の壁が白く発光する。どこに光源があるかわからない。つるりとした壁全体が光っているのだ。  イーサンは「ほ~」と感歎の声を放った。似たような古代遺跡へ立ち入ったことはあるが、起動した姿は珍しかったので。それに、起動するまでは正直、装飾もなければ代わり映えもせず、地味な遺跡だと感じていた。  しばらく進むと、通路の奥が壁に阻まれていた。ホゥロンがマグリヤとビアスの隙間を通って前に出て、肉球を行き止まりの壁にぺたっと当てる。触れたところを中心にしながら、幾何学的な緑の模様が広がり、複雑に組み合わさって行った。これほど大規模ではないにしろ、イーサンには馴染み深い光景だった。魔導回路に魔力を流した反応と同じだ。  模様が消えると壁は海が割れるように開き、新しい道ができた。 「これでいいですね」 「行こうぜ」  ワータが先に進み、すぐ後から入ったビアスが丁寧に周囲を調べた。  四方を真っ白な壁に囲まれた広い部屋だ。一見すれば何もないが、これまたホゥロンが前脚で壁に触れると、変化が起こった。  部屋の中心の天井からガラスのような一枚板が現れ、板を囲むようにして地面から細長いテーブルと椅子がいくつも現れる。 「すっげえ、どうなってんだ、おっと」ビアスは足元からせりあがってきたテーブルを避けた。 「不思議な部屋ですな。この板はなんでしょう。ガラスではないようですが」  マグリヤは直接手を触れないよう、慎重に観察している。ホゥロンは構わず板の横にくっついた操作盤のようなものを押した。  板の上下が光り、真ん中に図柄が浮かび上がった。どうやら建物の見取り図のようだ。 「はい。みなさん注目ですよ。この遺跡の見取り図ですね」  一行は板の周りに集まった。 「おお~」 「この光っている赤い印、もしかすると、現在地でしょうか。古代文字は何の部屋か示していると」 「正解なんです、イーサンさん。この道を通って」ホゥロンが操作すると道に青緑の線が通る。「ここまで来ました」 「すると、今いる場所は会議室ってことになるな」黙っていたチャールズが、静かながら通る声で言った。テーブルの上に座って脚を交差に組んでいる。ハイヒールの裏は新品のように、全く汚れていなかった。  イーサンは人差し指であごひげを撫でつけた。 「ふむ。見取り図によると、この会議室から放射状に部屋が伸びていますね。ですが扉は見当たりませんでした。仕掛けがあるのでしょうか」 「だろうな。先に空間があるのはわかったが、扉の類はなかったぜ」ビアスが便乗する。 「はい。では僕の出番ですね。時計回りに開けましょう。第一研究室、第二研究室、資料室、真ん中に中央管理室ときて、第三研究室、第四研究室、倉庫っと」  ホゥロンは制御盤を押して、キーワードを入力する。シュン――と音がして、何もなかった壁に扉が現れた。 「研究室と資料室にはこれで立ち入りができるようになりました。中央管理室はまだ権限が足りないので開きませんね」 「やるじゃん、ホゥロン」ワータがジュリリと鳴いた。 「さてどこから調べる。第一からいっとくかい」 「賛成」  チャールズはテーブルから降りて、お尻を撫でつけた。 「研究室ですか、さて、何の研究をしていたのやら」 「ミスリルゴーレムに守らせてたんだ。大方の予想は着くけどな」  マグリヤはふっと口元に笑みを浮かべた。おそらくはビアスも同じ表情をしているのだろう。二人をよく知らないイーサンにも、それだけはわかった。 「罠はもうありませんので、そのまま開けても大丈夫ですよ。長方形の印に触れれば開くはずです」後ろからホゥロンが見上げた。 「俺様もねえと思う。いいんじゃね」  肩に乗ったワータに頷くマグリヤ。 「では私が開けます」 「任せたぜ相棒」  イーサンはチャールズの隣で待機した。チャールズは三歩ほど下がって様子を伺っている。  プシュ。空気が漏れるような音をたて、扉が開く。部屋の中は明るかった。 「危険は……なさそうですな」  マグリヤは斧槍を握り、中を警戒する。守護者の類はいないようだ。 「入ってもいいですぞ」 「んじゃ、調べるとしますか」  マグリヤとワータ、ビアス、ホゥロンに続いてイーサンも室内に入る。チャールズは最後に着いてきた。  研究室の中は多少の埃が積もっているとはいえ綺麗なものだった。まるで、つい何年かまでは誰かが使っていたように、薬品がしまわれた棚や機材がそのまま残っている。 「魔工学の研究……みたいですね」  イーサンは手前の機材を観察した。現代で使われている物とはまるで違うにしろ、どう使うかはおおよその見当がついた。 「薬は使いもんにならねーだろうし、触媒なんかも残ってねえみたいだな。めぼしいお宝は無しってこと」 「まだ第一研究室だからな。第四までに何かはあるさ」チャールズはテーブルを人差し指でつーっとなぞり、指についた埃を吹いて飛ばした。 「少し資料が残っていましたよ。詳しくはわかりませんが、魔導具の起動実験をした記録みたいです。ざっと見る限り、研究対象は武器ですね」  ホゥロンは透明な板に映った情報を読み取り、ゆっくりと尻尾を左右に振っている。  会議室にあった板よりもかなり小さいが、鮮明な古代文字が映されていた。イーサンにも多少拾い読みすることができた。どうやら、銃型の武器の資料らしい。入口でミスリルゴーレムが使っていた魔導具だろう。 「こんなところか。埃以外にゃ何もねえし、次に行こうぜ」ビアスが促し、一行は部屋を出た。  第二研究室も似たような構造で、めぼしいものはなかった。 「順当に資料室へ行くか、先に研究室を調べちまうか。どーする」  ビアスは資料室の扉を調べながら言った。 「まずは順当に見て回りましょう。じっくり調べるのは後からでも遅くないですよ」座って待機するホゥロン。 「では」  マグリヤが長方形の印に触れると、扉が開いた。 「あー こりゃだめだな」 「ええ」  落胆の声が上がる。資料室の中は荒らされており、棚はからっぽだった。研究室の物と同じ透明な板があったが、壊されていた。 「気を取り直して次へ行こうぜ、チュリッ」  飛んで行くワータの後に続き、中央管理室を開けようとしたが、やはりキーワードがないと開かないようだ。  ひとまず置いて、次は第三研究室である。 「お、なんかあるぞ」  均等に並んだ長いテーブルの上に、組み立て途中か調整中かはわからないが、大小様々な形の魔導具が置き捨てられている。椅子のようなものもある。 「これも武器でしょうか」イーサンは起動するか調べてみたが、回路が抜き取られており動かない。  ホゥロンも透明な板を動かそうとしたが、反応が無かった。 「うーん、だめですね。情報は得られそうにないです。次へ行きましょう」 「第四研究室ですな」 「ああ……」チャールズは口元に手を当て、考え込むような仕草をした。眉間に皺が寄っている。 「どうしたんだチャーリー、行くぜ」怪訝そうに振り返るビアス。 「いや、まだ仮定の段階だから、後で話す」 「そっか」  結局第四研究室も収穫はなく、残すところは中央管理室以外では倉庫だけとなった。 「何か残っているといいですな」マグリヤが扉を開く。  倉庫の中はガラクタと呼ぶしかないような残骸で埋め尽くされていた。壊れているのか、明かりもつかない。 「これはすごいですね」ホゥロンが光球を出し、恐る恐る足を踏み入れる。 「埃もすごいです。とても空気が悪い」  チャールズを立ち入らせないよう、イーサンはあえて扉の前に立って塞いだ。 「確かにすげえな。イーサンチャン入らなくていいぜ。調べるのはオジサンがやるから待ってなよ」 「すみません。手伝えることがあれば言ってください。お邪魔でなければ」 「僕も待ってるからよろしくね、ビアス」 「よろしくー」 「私も出る」 「へいへい」  ワータは肩越しに飛んで行き、ホゥロンは脚の隙間を通って外に出た。続いてマグリヤを出すため、イーサンは体をずらした。 「俺は手伝うよ」  マグリヤと入れ替わるようにチャールズが入ろうとしたので、イーサンは慌てて通り道を塞いだ。 「行かないでください」 「え……いいだろ別に」  背が低いため、必然的に上目づかいになる。片眼鏡と窪んだ眼窩の奥から覗く赤い眼は、まるで睨んでいるようだ。イーサンは唾を飲み込んだ。 「あ、すみません。服が汚れますから」 「散々ハイキングを楽しんどいて今更だろ」ぐっと額に筋を寄せるチャールズ。「それに、調べたいことがあるんだ。どいてくれ」 「……わかりました」  イーサンは脇にずれた。チャールズはイーサンを一瞥し、中に入る。 「あっおい、入ってくんなって」瓦礫の山からビアスが顔を上げた。「ゲホッ。あーほら、すげえ埃だから。何もガラクタの山でまでハイキングするこたぁねえ。綺麗なおべべが汚れるぜ」 「でも」  立ち止まるチャールズに向かって、釘を刺すように親指を突き出してくるビアス。 「信用しろって~ 俺チャン見つけの天才なんだからよ。探しモンの見当は大体ついてるし、優雅に茶でも飲んでな、学者センセ」  そこまで言われては仕方がないだろう。チャールズは渋面を作ったまま踵を返した。まるで扉を押し開くように、イーサンの胸へ拳をぐいっと当てながら。  暫くして、ビアスは手帳ほどの透明な板を持って出てきた。透明とはいっても汚れているので、かなり曇っているが。 「なあホゥロン、これ端末じゃねえかな」 「どれどれ」  ホゥロンが板に触れて魔力を流すと、不鮮明ながらも古代文字が浮かんだ。 「うん。きっと端末です。ちょっと調べますね」  作業をするホゥロンの手元を皆で上から覗き込む。黄緑色にチラつく文字がいくつか切り替わり、最終的にリストが表示された。 「名簿ですかね」ホゥロンは画面をなぞり、ある一つの名前を爪で押した。「出ました。管理者の名前です。当たりですよこれは」 「おーっし」ビアスは振りあげた両の拳を胸元で固め、気張るようなポーズを取った。  ホゥロンはさらに色々と調べたのち会議室へ戻り、特大板の操作盤にキーワードを入力した。板に"管理責任者としてログイン。管理番号2871-1397 ベルツェンたいさ ようこそ。"と表示される。たいさというのは称号か何かだろう。 「これで中央管理室の扉が開きますな」 「何が出るか楽しみだぜ」  へいしとワータはさっそく中央管理室の扉へ向かった。他の面子も続く。 「罠はねえな」 「ないない」太ましい尻尾をぱたんと倒すホゥロン。「中がどうなってるかは僕にもわからないですけどね、キュイッ」  鳴き声に合わせて扉が開く。中は薄暗いが、青い光が漏れている。 「これは……」  イーサンは息を飲んだ。高い天井一杯に、とてつもなく巨大な魔導具が鎮座している。稼働中の回路から魔力が青い光となり、ほとばしっているのだ。 「これほどまでに巨大な魔導具の動力をどこから供給しているのでしょう」 「おそらくですが」ホゥロンが隣に来て、ちょこんと座った。「光や水、風や天候の力、自然の魔力を集めて循環させているんでしょう。よくぞ壊れないでいたものです。このあたりの自然がずっと豊かで、遺跡にとっては幸運だったということですね」  途方もない話だ。 「なあ、柵の向こうに何かでかい物が見えないか」 「何かってなんだよチャーリー」  ワータがチャールズのほうへ飛んで行く。イーサンも目を向けた。金属製の柵の向こうに空間が広がっているようだが、真っ暗で何も見えない。 「明かりをつけましょう」  ホゥロンが操作盤に触れると、天井から光が降り注いだ。 「なっ」 「おい、こいつぁ」  チャールズとワータは共に驚愕の声を上げた。 「チャールズさん」 「何があった」  マグリヤとビアスが飛ぶ勢いで駆け寄る。柵越しに見えたのは、半円型の広い空間。そして筒と複数の車輪を備えた金属の、箱か小屋のような物体だった。側面には02と刻まれている。 「ズツーカ……ここにもあったのか」  チャールズは怯えて後ずさる。 「ズツーカ、これが」  聞き覚えがあった。数年前、とある国で十年続いた内戦が終結した。事の起こりは確かこのような発端だったはずだ。王国は古代の遺物、魔工戦車を蘇らせた。戦車は研究のために保管されていたが、国王が崩御した混乱を見計らって、将軍がクーデターを起こし、王国の全武力を掌握した。  そこから国王派、所謂無辜の市民と将軍派に分かれ、内戦が勃発したのである。  諸国は互いの勢力に対して警戒しており、また、武力を持たない国王派より将軍へおもねつらう国もあり、なかなか協力して内戦を止めようとはしなかった。  十年後、やっと同盟の目処が立ち、諸国は少数の軍隊と傭兵を派遣した。傭兵として送られた一部の冒険者が市民と協力し、将軍派のシンボルである魔工戦車を破壊した。戦車の名はズツーカ04。そして送られた冒険者の中には、チャールズ・クラウチと彼の仲間がいた。 「大丈夫ですよ、ちゃぁちゃん。動きませんから」  いつの間にかホゥロンが戦車の上に乗っている。柵は無くなっていた。 「しかし、どうしたもんだろうな。つまり大昔の兵器を研究してた施設ってことだろ。素直に報告していいもんかね」 「考古学者が軍事に利用するとは思えませんが、彼らの出資者がどうするかはわかりませんからな」 「依頼人と会って相談するしかないよな」 「ええ」イーサンも同意した。 「依頼は地図の製作ですからね。この部屋が最後ですし、モキュッと終わらせましょ」 「すでに記入は終わっていますよ」 「さすがはイーサンさん」  ホゥロンは戦車から降りようとした。しかし、突然の地震で上に乗ったまま身動きが取れなくなった。 「な、なんだ」 「あの、ホゥロンちゃん。動いてませんか、それ」 「嘘ーっ」  地震ではなかった。戦車の車輪が動くたびに、地面が揺れているのだ。戦車はホゥロンを乗せたまま、ゆっくりとこちらへ向かってくる。 「おいホゥロン、動かないんじゃなかったのかよ」ビアスが弩を巻き上げながら叫んだ。 「僕だってわからないんですよ。魔力を供給する者がいなければ動くはずないのに」  ホゥロンは毛をぶわっと逆立て、振り落とされないように前脚でしがみついている。マグリヤはビアスに斧槍を押し付けて駆け出した。 「とにかく助けに行きますぞ」  マグリヤの足元に土の塊が浮きだし、足場になる。チャールズの魔術だ。マグリヤは土を蹴って飛び上がった。 「マグリヤちゃん」 「つかまってホゥロンちゃん」  ホゥロンはマグリヤの腕に飛び込む。マグリヤはホゥロンを抱いたまま空中で一回転し、こちらへ着地した。 「で、どうすんだよ相棒」 「決まってるよ。破壊する」  ビアスから斧槍をもぎ取り、戦車に向き直るマグリヤ。 「やれやれ。どこを狙えばいいってんだ」 「あの時と同じだよ。まず動きを止めるの」 「無茶いうぜ」  魔工戦車の車輪は馬車などとはまるで違う。幅の広いベルトのような物に包まれ、側面は金属製の板で守られて軸が見えない。 「要領はおんなじだが、構造が違う。ちょっと時間を稼いでくれや」 「了解」  ビアスは素早く柱の影に隠れた。 「イーサン、撃って来るぜ」  ワータが悲鳴を上げた。中心の長い主砲からではなく、箱の前面に取り付けられた小型銃から散弾が飛んで来る。冗談じゃない。イーサンはとっさに壁沿いを走って避けた。頑丈な壁にはイーサンを追うように、無数の穴が開いた。  なんとかビアスの近くまで来て隠れる。イーサンははっとした。チャールズはどうしただろう。首を少し伸ばして、様子を伺う。マグリヤとホゥロン、チャールズはその場に残っていた。戦車の背後を取っており、怪我はしていないようだ。  チャールズはかつ、とハイヒールの踵を鳴らす。土もない地面に砂が沸き立ち、塔のようにせりあがった。砂の塔は途方もない重量の戦車をひっくり返してしまう。  しかし全く無力化したわけではない。戦車は裏返ったまま回転し、でたらめに散弾を打ち出した。散弾はイーサンとビアスが隠れている柱を壊し、ホゥロンの前脚ぎりぎりをかすめていった。同時に主砲へも魔力が集束されていく。  マグリヤは隙を見て飛び出し、まずは散弾銃の砲身を切り落とした。チャールズとホゥロンの援護がなければ蜂の巣にされていただろう。  前面の散弾銃を失った戦車は、次の手段に出た。後部から金属のワイヤーでできた伸縮性の腕がいくつも伸び、そこから新たな銃器を撃ち出してきたのだ。光線状の弾は連続して撃てないものの、かなりの高温なのか、当たった地面を溶解させた。  イーサンはワイヤーアームの結合部を狙って撃ち、いくつかを弾き飛ばした。さほど頑丈ではないらしい。ホゥロンによる風の術で切り刻まれ、チャールズの砂にねじ切られ、残すところはほぼ主砲だけとなった。 「うわっと、ビアス、早くしてよ」  マグリヤは光線を避けながら最後のワイヤーアームを切り落とした。  ビアスはいつの間にか隣から消えている。  主砲はさすがに固く、マグリヤの斧槍をもってしても斬れないようだ。下手に切り落とすと魔力が暴発する恐れもある。  イーサンはあることに気が付き、おもむろに駆けだして戦車の腹へ飛び乗った。 「イーサンさん、危険ですぞ、それは――」 「考えがあります」  戦車は回転しながら、側面から伸びたワイヤーアームで体勢を立て直そうとした。そうはさせじと、イーサンはワイヤーを片っ端から斬って行く。  腹側にも基盤の一部があるはずだ。イーサンは回転する戦車から振り落とされないよう基盤の蓋を探し出し、こじ開けた。 「ここです」  魔力を流している回路を遮断すると、戦車は動きを止めた。完全に停止したわけではないが、ひとまず回転はしなくなる。 「ああ、それ、俺チャンの仕事だったんだけど。すまねえなぁ」  どこからともなくビアスが現れた。 「遅いよ、ビアス」 「すまねえ相棒」  ビアスはバケツの上から頭を掻くふりをした。 「いいですよイーサンさん。ひとまず離れてください。あとは僕たちにお任せを」  イーサンはホゥロンに言われた通り、戦車から飛び降りた。チャールズが心配そうに見ている。 「ちゃぁちゃん、戦車を起こしてください。マグリヤちゃんは主砲を破壊して。ビアスは手伝って」 「ああ」 「わかりましたぞ」 「りょーかいりょーかい」  砂の柱がまた戦車をひっくり返す。主砲が魔力を集束しきる前に、マグリヤが斬りどころを見極めて破壊した。  ホゥロンとビアスは戦車上部の蓋を開け、内部に侵入する。イーサンはこの時知らなかったが、後で聞くところによると、まず腹部にある回路を遮断しなければ蓋を開けられない構造になっていたようだ。 「あっ」ホゥロンが声をあげる。「なるほど、それで」 「どいてろよ、ロンちゃん。俺がやる」  中で何が行われているかは見えない。しかし、ビアスの声色からあまり気持ちのいい光景ではないことがわかった。  暫くして出て来たビアスのナイフは、何かの濁った液で濡れていた。 「ビアス……」  チャールズは胸元で祈るように手を重ね、握りしめている。 「チャーリーは知らなくていいぜ」 「大丈夫だ、聞かせてくれよ」 「んじゃ、話す。だけど誰のせいでもないってことは、まず心に留めといてくれよ」  ビアスが語るところによると、戦車の内部には人工知能を有する半生体の機械人形がいた。機械人形は長い時を冷凍睡眠の中過ごしていたが、遺跡が起動されると同時に、戦車へ魔力を供給するためだけに目覚めた。そして、壊れた。 「半生体ってことは、眠っていたということは、意思が――」 「やめろよ、相棒。考えるな」  マグリヤとビアスは沈痛を滲ませる声だったが、チャールズは何の反応も見せずに黙っていた。 「帰りましょう、みなさん。依頼は終わりました」 「おう。帰ってうまいもんでも食おうぜ。よくがんばったな」 「ええ」  ホゥロンとワータが先立って部屋を出る。続いてチャールズとマグリヤ、ビアスが続いた。イーサンは最後に振り返って、破壊された戦車を見た。古代兵器、ズツーカ。恐るべき兵器だけではない、別の側面を誰かが覚えているなら、忘れられていた者にも報いはあるのだろうか。  村へ戻り、村長に挨拶する。帰りの馬車が来るのは明日の朝とのことで、村長が勧めるままにイーサンらは宿泊させてもらうことになった。 「人工的にできた不思議な洞窟でしたぞ。壁がつるつるして、それでいて光っていましてな」 「その時大量の敵が通路の奥から迫ってきた。あわやピンチというところで、俺様のエナガ殺法がさく裂したんだぜ。敵をちぎっては投げちぎっては投げ」  マグリヤとワータは押しかけて来た子供たちに、冒険の話をしてやった。もちろん脚色してある。村での食事は素朴でおいしく、人々は温かい。兵器の研究をしていた遺跡が近くにあるなんて、誰も想像できないだろう。  ビアスはベロベロに酔ってホゥロンを抱っこしようと追いかけ、尻尾でぶたれた。チャールズは葡萄酒だけをちびちび飲んでいたが、しょんぼりと座り込んだビアスの口元から煙草を取って、銜えた。 「おいおいチャーリー、人のモンをさぁ」 「全くうまかないね。煙のにおいしかしない」 「そりゃ安モンだからな。金が入ったらもちっといいもん買うんだよ」  ふーっと気怠く吐き出すチャールズ。隣に座っていたイーサンのほうまで、煙が流れて来た。下品なにおいだ。イーサンが瞑想と浄化のために吸う、セントベルの調合で作られた水煙草とは雲泥の差だった。 「それやるよ。俺チャンもう寝るわ。相棒が来たらそう言っといてくれ」 「いいよ」  ビアスは灰皿を置いたまま客室へ去って行った。チャールズはビアスの姿が見えなくなるなり、煙草をもみ消した。 「あんたは吸わないのかい」 「えっ」  話しかけられた。と気がつくまでひと呼吸かかった。 「煙草。同業者は結構吸ってるからさ。マグリヤは吸わないけど。俺も普段は吸わないし、ああ、ううん、同業者って言っても仲間で吸うやつはビアスくらいだな」  引き攣った口元。自然な微笑みを作ろうとして、失敗した形だ。 「嗜好品としてはあまり。薬として、あるいは魔術の触媒としてならたまに吸いますよ」 「ああ、そういうのもあるか。俺はそっちはあんまり」  はらりと黒い横髪が耳に落ちてくる。少し尖った耳の先は月の端に似ていた。 「お酒は好きですよ。クラウチさんも、お酒が好きなようですね」 「別に、今は酒が好きってわけじゃないんだ。酔えない酒なんて、好きじゃない。酒しかないから飲んでるだけさ」 「昔は好きだったのですか」  横髪の遅れ毛を耳にかけた。チャールズは髪に触れられても関心がなさそうだった。そのまま耳の輪郭にそって中指を這わせ、小指でイヤリングに触れた。雫型の宝石が揺れ、紫の光を揺らめかせる。  眼窩の奥の伏せられた目。濃い睫毛が不健康な影を落としている。細い鼻梁を視線で追う。結ばれた唇は開かないまま、より一層固く閉じただけだった。  イーサンは手を放し、欲望を押し留めた。それでも名残惜しく眺めていると、ようやくチャールズが上目にじろりと睨みつけてきた。 「昔なんて知らないね。俺は何にも好きじゃない。もう、それしかないってだけなのさ。あんたはどうだ」 「俺は……好きです。クラウチさん。あなたの本に感銘を受けました。石の人が好きです。石ゆえに人の心の有り方を理解できないと嘆く様は繊細で、人間そのものでした。未知なる旅の風景、世界の美しい姿を石の人が見せてくれたんです。こんな素晴らしい物語があるなんて。こんな心を揺さぶる物語を書く人がいるなんて。俺はずっと、好きです。あなたはずっと、俺の先生なんです」 「は……っくく」チャールズは肩を震わせ、喉を鳴らした。笑っているのだ。 「あの」  イーサンは途端に恥ずかしくなって、熱い頬を酒のせいにしたくなった。しかし、チャールズの態度は予想と少し違った。 「人の在り方を理解できない」ゆっくりと、するどい歯牙が剥き出しになる。「そうだよ。人間じゃないんだ、化け物さ。"石"も、俺も」 「やはり、あなたは」 「気づくよな。知ってたろ」  ああ――イーサンは胸の中を冷たい血が伝っていくのを感じた。予想はしていたし、仮説も立てていた。チャールズが吸血鬼であるという前提で考えてすらいた。だが、どこかで認めたくない部分もあった。イーサンは半生を魔狩人として生きて来た。吸血鬼は邪悪だと教えられてきた。親友を殺された。仲間を殺された。血を吸って生きる化け物に。 「ええ、知っていました」 「な。そうだろ。俺はあんたの先生になれないよ。感想はありがとう。けど、綺麗なのはいつだって、物語の中だけなんだ」  チャールズは溜息をつき、椅子を軋ませながら立ち上がった。 「寝る。夜だけど」  痩せた手首を掴む。石のように強張った、冷たい感触。 「止せよ。変な気を起こしちまうかもしれないぜ。あんたの太い頸に埋まった血管を舌でほじくり返してみたくなるかもな」赤紫の小さな舌が、色味のない唇の上をちろりと這う。  イーサンは立ち上がった。抵抗もない手首を引き寄せて、指を絡ませる。 「踊って、くれませんか」 「はあ」チャールズは呆れた顔で歯を剥き出した。化け物の凶暴な牙というより、真珠を細工した飾りのようだ。 「寝る前に。いいでしょう」 「音楽なんてないぜ」 「なくてもいいじゃありませんか」  酔っているのかもしれない。けれどイーサンは、殺されても良いと覚悟した。愛している。滅ぼすべき邪悪だとしても。セントベルの家を出た時から、正しい世界を捨てても、愛すると決めてここまで来たのだから。 「どうしてもかい」 「少しだけ」 「やれやれ、わがままだな。まるでガキだぜ。いや、ガキはないか。あんたみたいに育ちの良さそうな顔したやつは、お坊ちゃんて呼んでやらなきゃ」  チャールズはヒールをかつん、と鳴らしながらステップを踏んだ。 「なあ坊ちゃん、あんた、欲しいものは何でも持ってただろ。何も望まなかったはずだ。そういう正直で綺麗な目をしてる。日の光の下を歩いてきた顔だよ。だがね、本当に欲しいものができた時にそれは、手の中からすり抜けていく。世の中そういうふうにできてんだ」  イーサンは黙ったまま、チャールズの動きに合わせて脚をさばく。燕尾服の裾が広がり、モノクルの鎖がきらめいた。 「どれだけ欲しくても、どれだけ求めても、満たされない。貪欲は悪徳だからだ、わかるかい」  眉間に寄った皺は見慣れていた。ピアノを弾いた後の悲痛な表情と同じ。 「じゃあ、どうするかって」チャールズは歪に口を曲げた。「求めるのを諦めるか、壊すか。壊れるか」 「先生は……壊せないでしょう。あなたはそんな人ではありませんから」 「さあね」脚を止め、イーサンの胸を強く押すチャールズ。「いい子はもう寝ろ。先生からの忠告だ」 「はい、先生。ではまた明日」  チャールズはイーサンを一瞥して、乱れた髪をかきあげた。  イーサンは薄い背中が見えなくなるまで、じっと追った。いつもそうするように。 「おやすみなさい、俺の」  ――扉が閉まる音がした。

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