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第7話

「嫌だ!オレはね、ハンバーガーは食べないんだ!」 かれこれ1時間はこうやってごねている。 依冬の選ぶ店がどれも気に入らないんだ。 フン!と顔を振って困り顔の依冬をもっと困らせる。 せっかく格好良いオーダーメイドのスーツを着てるのに、背中の丸まった依冬はイケメン度が30パーセント下がった。 「じゃあ、シロは何が食べたいの?」 ほとほと疲れた様子でオレに尋ねてくるから、オレはハッキリと言ってやった。 「なぁんにも食べたくない!」 「そぉんな~…」 ふふ…面白い…こうやって困らせるの、めっちゃ面白い… 12時に起きてやったんだ!少しぐらい楽しませてよ。 「3時から会議があるから…それまでに戻らなきゃダメなの。次、選んだ所は文句言わないでよ?」 「やだ!」 「シロ~。」 ふふふ…おっかしい! オレはごねるだけごねて、一番初めに依冬が言ったお店に入った。 「全く…よく分かんないよ。そういう所。」 ブツブツ言って口を尖らせる依冬を無視してメニューを見る。 「オレはこれにしよう!」 そう言ってメニューを依冬に渡して、彼の顔を見つめる。 可愛い。 今は可愛い。でも怖くなるんだ。 振り幅がどうのって問題じゃない。異常なんだ。あたおか案件なんだ。 でも、だんだんとそれが癖になって来る。 依冬は注文を済ませると、首を傾げながらオレの顔を見つめ返して言う。 「どうして見てくるの?」 「依冬がオレの目の前にいるからだろ?」 そう言ってクスクス笑うと、口元を緩めて優しく笑うんだ。 可愛くて堪らないよ。 これを人は恋って言うの? セックスしたい相手が思い通りにならない、その時感じる欲求不満を恋って言ってるんだと思っていた… 依冬はオレの言う事を聞くよ?何も不満なんてない。なのに、オレは彼に恋をしてる。 どうして? 湊くん… そう…彼がいるから、依冬はオレを見つめるんだ。オレを通して、湊くんを見てる。 …だから、オレは彼に恋してるんだ。 腑に落ちた。 「ねぇ、シロ。今度映画でも行こうよ…今やってるサスペンス物の…」 「ホラー映画なら良いよ!」 オレはそう言って依冬の話の腰を折る。 「え…ホラー映画…分かった。調べておくよ。」 「うん!血がドバっと出るスプラッタじゃなくって、ゾワゾワするやつが良い!ドーンと出て来るお化けより、チョロチョロ出て来るお化けのやつにして?」 細かい注文も忘れない。 スプラッタとホラーが同じ棚にあること自体、常々疑問に感じてんだよ? あれは別物だ。 「細かいよ…」 そう言って笑う依冬。漠然とした注文よりも細かい注文の方が満足のいくものが出来上がるって知らないんだな。まだまだ子供だからな。 出された飲み物を飲みながら、依冬を見つめる。 「ちょっと飲んで見る?」 そう言ってストローを向ける。 ハイビスカスティーなんて、なかなか飲まないだろ? 勧められるままストローに口を付けてオレを見ながら飲む依冬。 可愛い。 何だ…これ…ニヤける気持ちが治まらない。 「依冬?ねぇ、依冬?オレ、お前のお父さん、知ってるよ?」 唐突にそう言って、ハイビスカスティーを吹き出す彼を見つめる。 「あのね、頼まれたの。依冬と彼女を別れさせてって…お金を積まれて頼まれたの。」 全て包み隠さず話し始める。 嫌だったんだ…彼に隠し事をしている事が、煩わしかった。 依冬は怪訝な顔をしながらもオレの話を聞いてくれる。 「そうしたら、全然別れる気がしないから…止めますって言って、止めたの。」 言いたく無い事は濁して伝える。これは優しさからくる行為だよ?だって、自分のお父さんがイッちゃってるなんて知ったら…悲しいだろ? 「そう…知ってたよ。でも、言ってくれてありがとう。」 そう言って依冬はにっこりと笑った。 オレはその笑顔に惚けて頷いた。 馬鹿みたいだよね…彼は湊くんを見てるだけなのに…彼のくれる熱が…まるで自分に向けられてるって勘違いし始めてるんだ。 ほんと、馬鹿みたいだ…これじゃ向井さんと同じじゃないか… 料理が目の前に出されて、依冬のプレートに乗ったアボガドを盗む。 「取ったらダメだ…何かと取引だ。」 そう言って凄むから、オレは要らない葉っぱを彼のプレートにそっと置いた。 クスクスと笑う笑顔が…眩しいよ。 なんて可愛らしいんだろう。 恋じゃない。癒しだ。彼はオレの癒しなんだ。 オレの弟と同じ年の依冬… オレじゃなくて湊くんが好きな…依冬。 オレは彼に癒されてる。 18:00 三叉路の店にやって来た。 エントランスで支配人に挨拶をする。 「シロ…智が少し心配だ。話し出来たらしてみて?」 そう言った支配人の声に少し緊張感が走る。 心配だ? あぁ…昨日あんな事してたから…傷ついて…落ち込んでるのかな… オレは頷いて返事すると、地下への階段を降りた。 「智、おはよ~!」 何の気なしに挨拶しながら控室に入る。 鏡の前に座る智の背中を見ながら、鏡を少し覗き込む。 「…何?」 鋭い口調で智がオレを睨みつける。 「どうしたの?怖いよ?」 オレは戸惑いながら智に言う。 「…別に。」 智はそう言うと、鏡に向き直してメイクを続ける。 …昨日の事、オレが止めなかった事…怒ってるのかな。 「智…昨日さ…」 「何だよ!向井さんは僕の彼氏だよ?何で色目使ってんだよ!勝手に見ないでよ!彼に話しかけないでよ!シロなんて…シロなんて…大嫌いだ!」 え…? あまりの急展開に絶句して立ち尽くす。 智はボロボロと涙を落として泣き始めると、オレを睨みつけて言った。 「お前なんて大嫌い!人の物を欲しがって…!彼を夢中にさせて!!」 立ち上がるとオレを両手で突き飛ばして転ばして、ひっぱたき始める。 「智…智…やめて!」 「良い人だと思ってたのに!優しい人だと思ってたのに!!酷いよ!シロ!彼に何をしたの!酷いじゃないか!!」 智の手があちこちにあたって…痛い… 「何してんだ!!」 騒ぎを聞きつけた支配人が控室に入って来て、智をオレから引き剥がす。 息が上がって、憎悪の表情を浮かべる智の顔を直視できない。 怖い… 目からポロポロと涙が落ちて…肩が震える。 泣きじゃくる子供みたいに、静かに涙を堪えようと息を整える。 「智…もう、今日は帰って…」 支配人はそう言って、オレの腕を掴んで自分の後ろに隠した。 「ふん!支配人まで手玉に取ってんだな…!ビッチ!」 吐き捨てる様にそう言って、自分の荷物を掴むと鼻息荒く控室から出て行く… 智…!! 「うっうう…う、うわぁん…ひっく…ひっく…」 泣きじゃくるオレを抱いて支配人が言う。 「どうしたんだ…一体…何があったの。」 分からない…いや、分かる… 向井さんにあんなに酷い事をされたのに…感じた疑問へのイライラや、状況へのうっ憤を…全てオレのせいにしてるんだ… 怒りが彼に向かうんじゃなくて…オレに向けられたんだ… 「今日は一回だけ踊ってくれ…後は何とかするから…」 支配人はそう言うと、オレの顔を覗き込んだ。 肩を震わせて泣くオレを心配そうに見つめる。 引っ叩かれた感触が…向けられた視線が…吐き捨てられた言葉が…全て何かと重なって、心が引き千切れそうに痛くなる。 「無理か…?」 「出来る…全部…出来る。」 泣きながら歯を食いしばって支配人を見つめる。 オレはここで踊ってなんぼなんだ…このまま家に帰って打ちひしがれたって…何にもならない。ただ、自分を無駄に責め続けるだけだって…分かってるんだ。 だから、帰らないし…逃げない。 「大丈夫…出来るから。」 オレはそう言って顔を覆うと、息を大きく吐く。 体中に酸素を行き渡らせて、思考を止める。 「じゃあ…2つ、お前に頼むぞ?」 そう言った支配人の声に頷いて答える。 出来る。出来る。オレだったら3つだって出来る。 体をストレッチさせ始めるオレを置いて、支配人が控室から出て行く。 悲しい…?いや悲しくないよ。 ただ昔の事を思い出しただけ…母親に殴られたのを思い出しただけ… 一方的に向けられる憎悪に…怖くなっただけだ。 産まれて来なければ良かったのに…産んだ本人がそう言った。 「兄ちゃん…」 可哀想だね…シロ、何も悪くないのに…可哀想だ… 「オレが悪いの…?」 悪くないよ…シロは何も悪くない… 「いなくなりたい…」 大好きだよ…いなくならないで…兄ちゃんが守ってあげる。 「嘘つき…死んだじゃ無いか…オレを置いて、死んだじゃ無いか…!!」 涙があふれて、体から一気に力が抜ける。 両手で顔を押さえて、感情が溢れて来るのを堪える。 こんな所で、兄ちゃんに溺れるなよ…!! 馬鹿野郎!! …だから、お前はダメなんだ! いつもいつも、肝心な所で馬鹿みたいに兄ちゃん、兄ちゃんって!! そんなんだから、あいつに揺さぶられるんだ!! 噛み締めた唇からタラリと血が流れていく。 こんな事で動揺するなよ…シロ。 お前はもっと地獄を見て来ただろ…今更なんだ… 智がオレを詰った所で何も変わらない。 何も変わらないんだ… 立ち上がって、ティッシュを手に取って口元を拭う。 真っ赤な鮮血が白いティッシュを染める。 携帯電話を取り出してソファに座る。 耳にあてて、電話口の呼び出し音を聞きながら目を瞑る。 「どうしたの?」 「暇なんだ…出番まで少し時間が余っちゃった…何か面白い事言って?」 「…え?突然だな…そうだなぁ…じゃあ、」 「ウサギの鳴き声して?」 「は?」 「ウサギの鳴き声してよ!」 「…はぁ、全く…じゃあするよ?」 「うん」 「…ぴょんぴょん…」 「ぷっ!ぷははは!!馬鹿だな!依冬、それは飛ぶときの音で鳴き声じゃない!!あはははは!!おっかしいな!本当に、依冬は面白いんだから…!」 目を瞑りながら依冬の声を聴いて口元を緩ませて笑う。 忘れよう…嫌な事は全部忘れよう。 優しい依冬に、彼の声に縋って忘れよう。 彼の愛も熱もオレへの物じゃないけど…それでも癒されるんだ。 堪らなく満たしてくれるんだ… 「そろそろ支度するね?またね~」 そう言って電話を切って、鏡の前に座った。 メイク道具を取り出してメイクをする。 表情は悪くないね。 叩かれて赤くなった所にはコンシーラーを塗ろう。 アイラインを引いてアイシャドウを乗せて…少しだけチークを入れた。 衣装に着替えて少し遅めに店に向かう。 「シロ…大丈夫か…?」 そう聞いて来る支配人に片手を上げて答える。 店内に入って、踊り場の手すりに顔を乗せて上から下を見下ろす。 ほどほどに入ったお客さんが店の中を楽しい雰囲気に包んでいく。 「何があったの?」 後ろから覆い被さる様に支配人がオレを抱きしめて聞いて来る。 「…彼氏と、上手く行っていないみたい…」 オレはそう言って肩を上げる。 「オレが誘惑してるって思ったみたいだ…だから、あんなに怒ったんだね…」 「他人事みたいに言うね…」 支配人がそう言ってオレの顔を覗き込んで来る。 「だって…智とオレは違う…他人じゃ無いか。智の心の痛みを想像出来ても、共有する事は出来ないんだよ…。そして想像は真実じゃないんだ。ねぇ…嘘っぱちの想像で何を感じるの?可哀想って…思えば良いの?それとも、悲しいって思えば良いの?」 「何も思わなくて良い…」 そう言って支配人はオレを後ろから強く抱きしめた。 ユラユラ揺らしながら一緒に下を見下ろす。 「シロ、あのお客さんはあの女の子を落としたいみたいだよ…」 耳元でそう言って指を差す。 「落ちるかな?」 オレがそう聞くと、クスクス笑って言う。 「マリアちゃんは相当手練れだから、あんな男じゃダメだな。もっと良い男じゃないと落ちない。」 オレは鼻で笑ってそれを聞いた。 「ほら、ビールでも飲んで来い!俺が奢ってやる。」 オレのお尻を叩いて支配人がエントランスに戻っていく。 鼻歌を歌いながら階段を降りて、お客さんの間を通ってカウンター席に座る。 「ビールちょうだい!支配人の奢りなんだよ?」 「めずらしっ!」 マスターはそう言うとオレにビールをくれた。 「智、調子が悪くて帰っちゃった。オレが2回ステージをすることになったよ。」 DJにそう言って、彼のかける音楽をスピーカーの近くで聞く。 振動が体を揺らして痺れて…麻痺していく。 智… 頭を振って思考を停止させる。 オレは決めた通りステージを2回無事にこなした。 残ったステージの穴を埋めることが出来なくて、支配人が慌てだす頃、カウンターから出て来たマスターが言った。 「俺に任せろ…」 男気のある言葉に誰もが安心して彼にステージを任せた。 まさか、フルートを演奏し始めるなんて思ってもみなかったんだ… 美しく構えられたフルートの音色は素晴らしかった。 ステージの縁に前のめりになって、オレは夢中になって聴いた。 でも、お客も、支配人も、ウェイターも、みんな白けていた… たった1人、オレだけ喜んで聴いていた。 だって初めて聴いたんだ。あんな音色、初めて聴いた。 「ねぇ、またやって?」 「もういい!もう2度とやるなんて言うな!」 マスターにねだるオレの隣で、支配人がそう言って怒った。 せっかくやってくれたのに…酷いもんだ。 マスターはにっこり笑ってカウンターの中に戻って行った。 明日になれば…智も落ち着いてるかな… もう、あんな顔で見ないでくれるかな… 帰り道、フラフラと歩きながら月を見上げる。 明日は兄ちゃんの命日だね… 明日って言うか…今日かな…12:00を過ぎてとっくに日をまたいだ。 特に何をする訳でも無い。 ただ、何となく…そう思っただけだ… 14:00 アラームの音で目が覚める。 向井さんのぬくもりを思い出して、兄ちゃんを思う。 シロ…大好きだよ… 耳の奥で聞こえる、偽物の兄ちゃんの声。 それなのに、頭の中が痺れて高揚した気持ちが抑えられなくなって、布団の中で自分のモノを弄り始める。 「はぁはぁ…兄ちゃん…」 最悪だ… 目を瞑って、何年前の記憶をたどって…兄ちゃんでオナニーする。 「シロ…可愛いね。」 兄ちゃんの悲しそうな顔と、大きな体…ぼんやりした目と、オレの体を掴む腕… 息遣い、優しい声、兄ちゃんの匂い…服の感触、掴んだ肉の感触… 柔らかい髪の毛…果てる前の苦悶に満ちた表情… 「はぁはぁ…はぁっ!あぁ…!」 今日は命日だから…兄ちゃんで抜いても良いんだ… ぐったりと体を倒してぼんやりと目の前を眺める。 もうしない…もうしない…しないもん… 携帯を手に取って着信をチェックする。 非通知1件と、依冬からのメール… “3Dのホラー映画がやってるらしいよ…でも面白くないんだって…” そんなメールを読みながらクスクス笑う。 「面白くないかどうかは自分で決めるんだ…それが主観だからね…」 そう言ってオレは依冬に返信する。 “それを観に行こう。” 体を起こしてティッシュをゴミ箱に入れる。 両手を上に伸ばして大きく伸びをして、シャワーへと向かう。 依冬…湊くんってどんな子だった? お前の兄弟なんだろ?どんな子だったの? あんな風に目をギラつかせてしまう程…愛してたの? 今でも、まだ…愛してるんだろ? お前のお父さんも湊くんに夢中だ…オレの事をまだ諦められないみたいだ。 しつこくかかって来る非通知の着信…いつか間違って出てしまいそうだよ。 魔性の少年だったんだね…湊くんは。 体を洗って髪を流す。 もう死んでるのに…まだ好きなんて…おかしいよ。 オレがいるじゃん… シャワーから出ると、依冬からメールが届いていた。 返信が早いんだね… “今日は開いてる?” 今日… 時計を見て考える。 今日は…兄ちゃんの命日だ… 兄ちゃんが死んだ日なんだ… “良いよ” そう返信して着替えを探した。 歯磨きをしながら窓の外を眺める。 同じように見えていた人の流れが…今日は違って見える。 1人1人の顔が良く見えて、鮮明に映る。 色付いた塗り絵みたいに…鮮やかで綺麗だ… 着替えを済ませて、待ち合わせの場所へと向かう。 映画を見たらそのまま仕事に行けるように、荷物も持って行く。 「シロ~!」 先に到着していた依冬がオレを呼んで手を振る。 オレは依冬に走って近づく。 そして、人目も憚らずにギュッと抱きしめる。 「ふふ…どうしたの?」 頭の上から聞こえる声を無視して、彼の体に埋まってしまう程きつく抱きしめた。 「3D映画って…変なメガネ付けるんだよ?」 そう言って顔を上げると、オレを見下ろしていた依冬の目が優しく笑っていた。 一緒に映画館に入って、ポップコーンと飲み物を買った。 依冬は仕事中なのに、映画なんて見て、やっぱり…食わせ者なんだ! お利口な振りをして、悪い事を沢山してるんだ。 「シロ…メガネは…ぷっ、始まったら掛けたら…良いんだよ?」 そう言って笑う依冬を無視して、オレは椅子に座った時から3D眼鏡を着用した。 「依冬?呪いはあると思う?」 メガネを付けたまま隣の席の依冬を見つめる。 依冬が二重に見える… 「もう…メガネ外してよ…笑っちゃうから…!」 「いやだ!」 この映画に期待なんてしてない。ただ、好きな彼の隣にいれるからそれで良い。 兄ちゃんの命日…いつもシクシク泣いて過ごした… グチャグチャになる位に潰れて…仕事に行く頃には、枯れ木の様に消耗してた… 今は隣に依冬がいて…怖くないホラー映画を一緒に見る。 不思議だね… 映画が始まって、依冬が眼鏡をかけた。 それがおかしくて、映画じゃなくて依冬だけ見てた。 「シロ…向こうだよ…俺じゃなくて、向こうを見るの。」 「いやだ!」 そう言ってクスクス笑って、間抜けなメガネを付ける依冬を見つめる。 可愛い。 映画の中、怨念を抱いた死んだ人に湊くんを重ねる。 悪霊退散、空前絶後、諸行無常! 依冬の呪いが解ける様に、心の中で呪文を唱える。 映画の話は殺された人が恨みを持ってお化けになって現れる…という典型的なものだった…それでも、演出のせいなのか、役者が上手なのか、それなりに怖かった… …面白くないって…誰が言ったの?めちゃくちゃ怖いじゃん…!! オレはビビッて顔を逸らしながら映画を見る。 「わっ!」 お化けが出てくる瞬間、怖くて手で顔を覆った! 隣でクスクス笑い声が聞こえて、オレは顔を下げながら手を外した。 「笑っちゃダメなんだ!」 そう言って依冬の胸をベシッと殴る。 そんなオレの手を掴んで、ギュッと握って言った。 「怖くないよ?大丈夫だよ…?」 やめてよ…甘えたくなっちゃうだろ…グズグズのグズに甘えたくなっちゃうだろ… オレは依冬の肩にもたれて目を瞑った。 もうこんな怖い映画は見ない。 ただ、隣の彼のあったかさだけ感じよう。 オレの手を握ってくれる…優しい依冬のあったかさだけ感じていよう… いつもは兄ちゃんを思って泣き続けた時間を、こんなに穏やかな気持ちで過ごせるなんて…思ってもみなかった… 「依冬…キスして?」 そう言って彼を見ると、チュッと可愛いキスをオレにくれた。 なんて甘くて…なんて優しくて…なんて可愛い… 満足して画面に目を向けると、例の如くお化けがコソコソと姿を現し始める。 そして…良いタイミングで登場するんだ。 「うあっ!」 また…怖くて手で顔を覆った。 オレの頭を優しく撫でて、怖がるオレにキスをくれた。 「怖かった!もっと怖くないのが良かった!」 オレはそう言って、依冬の手を揺すった。 「シロが怖いのが良いって言ったんじゃん。あんなに怖がると思わなかったよ?怖がりなんだよ。可愛かった。」 そう言って、わ~と言いながら両手で顔を押さえてオレの真似をする。 「ん~~~!!」 オレは怒って依冬の頭をペシペシと叩く! それを彼は笑いながら受けて、オレの腰を抱きしめる。 向かい合って、見つめ合う… 「シロ、お店まで送って行こう。」 「ほんと?」 嬉しくてケラケラ笑う。 人目も憚らずに依冬と手を繋いで歌舞伎町まで歩く。 湊くんとはどんな風に遊んだの?これよりも楽しかったの? オレはこんなに楽しいのは初めてだよ? だって、お前が好きなんだ… お前の目にはオレは誰に映ってるの? 湊くんに見えてるから…そんな風に優しく微笑んでくれるの? 怖くて…聞けないよ。 「お仕事頑張ってね。」 そう言って依冬は本当に店の前まで一緒に来てくれた… 18:00 三叉路の店にやって来た。 依冬の背中がどんどん遠くに行くのが怖くて、走って追いかける。 驚いて振り返る彼に抱きついて、体が埋まるくらいに強く抱きしめる。 何も言わないで抱きしめて、優しく髪を撫でてくれる依冬の手に…安心する。 依冬…好きみたいだ… 心の中でそう言って、体を離すと何も言わないで店に走って向かう。 後ろなんて振り返らないで…エントランスに入った。 「おはよ!」 支配人にそう言って階段を降りていく。 控え室のドアを開けると、やつれた表情の智がいた… 「智…おはよう。」 オレはそう言って智の様子を伺った。 「…シロ、昨日はごめんね…」 どうしよう…こんなに弱ってる…どうしよう… 「大丈夫…?」 そう言って智の肩を撫でると、彼は嫌そうに肩を揺らした。 「やめてよ…」 「ごめん…」 「どうして向井さんに構うの?」 「誤解だよ…何もしてないよ…」 さっきまでの楽しい気持ちが一気に萎えて、しぼんでいく。 智はまだオレの事を怒っているみたいだ… 向井さんに何か言われてるの…? 「智…向井さんに何を言われたのか知らないけど…オレは彼とはそんな仲じゃない…。だから、怒らないで…困ってる事があったら…教えて…?」 そう言って智の顔を覗き込んだ。 「困っている事?」 智がそう言ってオレを見る。その目には…怒りが滲んでる。 「向井さんの家から追い出されて、また一人で暮らしてる…もう別れたいみたい…僕はもう要らないって…つまらないから、要らないって…そう言われた。愛してたんだ…身を焦がすくらいに愛してた。なのに…なのに…」 ダメだ…智は向井さんにズタボロにされてしまった… 言葉で傷つけて、態度で傷つけて…智はボロボロになってしまった… オレの言葉も…オレの存在も…嫌悪するみたいに拒絶する。 彼が孤立無援になってしまう… 「智…忘れなよ…もう、忘れな…」 オレはそう言って智の背中を撫でる。 「やぁめてよ~!もう、本当にムカつくな!!」 大きな声を出して、智がブチ切れた。 椅子から立ち上がると、オレを突き飛ばす。 「ほら!支配人を呼べばいいじゃん!助けて!って可愛く呼べばいいじゃん!!いっつも誰かに守って貰えて良いね?シロは、男がいないと生きていけないんじゃない!?すぐに股を開いて男を垂らし込むんだね?くそビッチ!!」 騒ぎを聞きつけた支配人が控え室にやって来る。 オレは支配人を手で制して智に言った。 「智、オレは言ったはずだよ。あの人はやめろって…言ったはずだよ?それでも一緒になったんだ…それはお前の選択だろ?自分の選択の結果を、誰かのせいにするな。オレにあたった所で何も解決しない。何も変わらないんだよ…オレはお前の事を弟のように思ってる。何があっても、そう思ってる。それだけは…忘れないで…」 「フン!」 顔を背けて、メイクを始める智の背中を見つめる。 支配人はエントランスへと戻って行った… 兄ちゃん… 19:00 店に出るためにエントランスへ向かう。 「智は…もうダメかもしれない…」 支配人がそう言ってオレを見つめる。 「どうして…?」 オレは立ち止まって、顔だけ向けて尋ねる。 「これ以上お前と揉めるようなら…辞めてもらうつもりだよ。」 そんな事をしたら…彼の居場所がなくなるじゃないか…!! 「ダメだよ…どうして…?」 オレは支配人に縋りつく。だって、放っておけない…こんな話ダメだ。 「ここの花形はお前なんだよ?お前が働き辛い環境はダメなんだ。毎日顔を見合わせる度に罵られるなんて…ダメだ。」 どうしてだよ…今はそうかもしれないけど…落ち着いたらまた元の仲良しに…戻れるかもしれないのに… 「今は興奮してるだけだ。そうだろ?智はオレの弟みたいな子だよ?もし、そんな事を勝手にしたら、オレも一緒に辞めてやる。」 「シロ~!」 そうだろ?誰だって取り乱すことの一つや二つくらいある。 「オレの為って言うなら…絶対そんな事しないで…お願いだよ…」 そう言って、支配人に念を押す。この人は利益優先だから…信用ならないんだ。 だから、念には念を入れて念を押した。 「分かったよ…。これ、ついでにマスターに渡しておいて?」 支配人はそう言うとオレに500円玉の筒状の塊を渡した。 ハイハイ…お使い大好き~ 店内に入って、階段を降りながら客席を眺める。 知ってる顔を見つけて歩いて向かう。 手の中に支配人から預かった両替用の500円の筒を握りしめた。 「シロ…」 そう言って微笑む顔面を、握りしめた拳で思いきり殴り付ける。 「よくも来れたな!!オレの前によくも来れたな!!」 もう我慢出来なかった… 無視なんて…出来なかった。 そう言って転がった彼にマウントを取ると、握りしめた拳で顔を殴り続ける。 兄ちゃんの命日に…兄ちゃんを殴った… それも何度も、何度も、殴った… オレの腕を掴むと、向井さんは体を起こしてオレを抱き上げる。 彼の鼻からは鼻血が出ている。 やった!負傷させたぞ! 気付くと周りには散らばった500円玉が散乱している。 支配人が騒ぎを聞きつけて、血相を変えて階段を駆け下りて来る。 「この店からオレを連れ出せると思うな!すぐに通報されるぞ!」 オレはそう言うと、彼の腹を思いきり蹴飛ばした。 「シロ!」 そう言ってオレの顔に顔を近づけると向井さんが言った。 「落ち着いて話も出来ないの?…サルみたいだよ?」 クソが!! 鼻血を垂らしてブチ切れる向井さんの顔面に思いきり頭突きをかました。 「がっ!!」 呻いて倒れる向井さんの上に乗って、再び何度も殴りつける。 それはもうバーサーカーの如く、彼の顔を殴る! 「シロ!やめてっ!!」 智の声が耳をつんざく。 知らねぇよ!もう、オレは頭に来てるんだ!! 「お前が智を弄んだから!!オレがお前をぶっ殺してやるんだ!!」 屈強なウェイターに羽交い絞めにされて向井さんから引き剥がされる。 散らばった500円玉と、白けるお客と、泣きながらオレを睨む智…鼻と口から血を出した向井さんと、怒った顔の支配人… 「申し訳ございませんでした…!!」 シンと静まった沈黙を破って、支配人が向井さんに頭を下げて謝った… 「なぁんで!そいつがいけないんだぞ!」 オレはそう言って食って掛かる。 「うるさい!シロ!お前は店の中で暴行を働いたんだぞ!自分が何をしたのか分かってるのか!!」 支配人が怒鳴ってオレを怒る。 向井さんは顔を拭うとオレの手を握って持ち上げる。 「殴り慣れていないのに…人なんて殴るんじゃないよ…ケガしたじゃないか…」 そう言ってオレの拳から滲む血を見て肩を落とした。 「うるさい!馬鹿!」 オレはそう言ってウェイターの羽交い絞めをもがいて解こうとする。 支配人に頭を叩かれて、睨みつけられる。 「シロ!いい加減にしろ…これ以上騒ぐと首にするぞ?お前は店の中でお客さんに暴行を働いたんだ。これがどういう事か分かるか?この人が訴えればお前は傷害で逮捕されるんだ。そして、この店も警察に調べられる。ん?分かるか?」 逮捕? 「やだ…」 「そうだろ?だったら謝んな!」 「やだ…」 「シロ…怒るぞ?」 凄む支配人の圧に顔を背けると、智が心配そうな顔で向井さんを見つめてる… こんな奴…心配する価値もないのに…!! 「智!馬鹿野郎!こんな奴、心配なんてするな!」 「シロ!!」 支配人が店中響き渡る大声で、オレを怒鳴りつけた! オレの胸ぐらを掴んで引っ張ると、階段を上ってエントランスまで引きずっていく。 「苦しい!ヤダ!」 支配人の手を掴んで解こうともがくけど、ジジイの癖にすごい力で引っ張られ続ける。 エントランスの扉を開いて、オレを外に放り投げると言った。 「頭冷えるまで戻って来るなっ!!」 何だよっ!!クソったれ!! オレはフン!と顔を背けてエントランスの前の壁に座り込んだ。 何でオレが怒られるんだ! 道路を行き交う人に怪訝な顔をされながら、オレは衣装のまま店の外で座り込んでる。 タバコを持ってこればよかった!! エントランスが騒がしくなって、オレは体を起こして様子を伺った。 「お客さん、あのバカ、まだ頭冷えて無いから…ちょっと…」 そう言って止める支配人を無視して向井さんがやって来る。 「シロ…」 「フン!」 流石に逮捕はされたくない!もう殴ったりしないよ? 今更、擦り剝けた拳がジンジンと痛くなって来て、そんな気も起きなくなった… 支配人を後ろに引き連れて向井さんがオレの隣にやって来る。 オレは彼を見上げて言った。 「お前なんて…大っ嫌いだ!」 「知ってるよ…でも…」 そう言って笑うと、オレの手を取って擦り剝けた部分を手のひらで覆った。 「俺はシロが…好きだよ。」 「は?」 支配人がそう言って首を傾げる中、オレは彼の頬を思いきり引っ叩いた。 彼はオレの手を掴んで引き寄せると、腰を強く抱き寄せて締め付ける。 あんなにボコボコにされたのに、この人は全然こたえて無いみたいだ… 髪の毛を掴んで遠くへ引っ張り上げるけど、それよりも強い力でオレに顔を近づける。 「嫌だ!!」 そう言って体を捩るけど、向井さんは強引にオレにキスをすると、熱く舌を絡めて来る。 ふっざけんな!!舌を噛み切ってやろうか!? そんなオレの気持ちもお構いなく、熱心にされるキスに翻弄される。 ただ強く抱きしめられて、兄ちゃんの命日に…兄ちゃんにそっくりな彼に…強く体を抱きしめられてキスをされる。 必死に抵抗して、両手で彼の喉を押して体を離す。 「大嫌いだ…!お前も…兄ちゃんも!大嫌いだ!!」 オレはそう言って渾身の力で彼を押し退けると、逃げる様に店に入って行く。 追いかけてくる向井さんを支配人が止めて、帰らせる。 なんて奴だ…なんて奴だ!! 「シロ…大丈夫だったか?」 向井さんを追い払った支配人がオレの所にやってきて顔を覗き込む。 涙があふれて止まらない…!! 兄ちゃん!! 兄ちゃん!! 今すぐにでも追いかけて、抱きしめたい衝動に駆られる… 堪える様に自分を抱きしめて、うずくまって泣き続ける。 兄ちゃん…!! 「シロの誕生日は良い日じゃないか…だって、こどもの日なんだよ?」 夕方の台所 夕陽が差し込んで部屋がオレンジ色に染まってる。 買い物袋をテーブルに置いて、兄ちゃんがそう言って笑った。 良い日…? 良い日なのかな… 「シロ?シロ?」 支配人に呼ばれて、我に返る。 泣きすぎて、意識が飛んだみたいだ… 騒然とするエントランスから控え室に連れて行かれる。 「もう、今日は帰れ…」 手に出来た傷を撫でながらオレは呆然としてる。 兄ちゃんの記憶があんなに鮮明に蘇った… 笑ってる顔が…懐かしい…会いたい…会いたいよ。 ポロポロと涙があふれて落ちて来る。 腑抜けになったオレを智が見下ろして言った。 「向井さんが…可哀想じゃん…」 もう、どうでも良い…どうでも良いよ… オレは荷物を持つと、控室を後にした。 止まらない涙をそのままに逃げる様に家に帰る。 結局…兄ちゃんの命日には、オレは…ダメになるんだ… 14:00 アラームの音に目が覚める。 泣きすぎたせいか…瞼が重たい… 裸のまま寝た体を起こして、そのままシャワーに向かう。 冷たい水を体中に浴びて自分を虐める。 もうお終いだ…兄ちゃんの命日はもうお終いだ… だから、これ以上…動揺しないで…頼むよ。 自分にそう言い聞かせて、シャワーから出て体を拭く。 拳がジンジンと痛んで、じっと眺める。 擦り剝けて赤くなってる… 力まかせに殴ったせいか…腕まで筋肉痛になってしまった… あんなに殴られても向井さんは平気そうだった…オレのパンチがへなちょこだからかな。それか…彼がドМかどちらかだ。 支配人…めっちゃ怒ってたな… ベッドに体を落としてぼんやりと眺める。 目を瞑って、兄ちゃんの笑顔を思い出す… 「兄ちゃん…オレの誕生日だよ…21歳になったよ…」 あれから4年も経った… なのにオレは兄ちゃんを忘れるどころか…発作まで起こしながら必死に生きてる。 忘れては思い出して、心が張り裂けて、動けなくなる位に打ちのめされている。 「きっとこういう時間がいけないんだ…」 オレはそう言って体を起こすとストレッチを始める。 プランクをしたまま体を反らせて足を上に上げていく。 ジッと体と向き合って、それ以外を頭から追い出す。 こうして過ごせば良いのに…自分から記憶を追いかけるから痛い目に遭うんだ… いつまで経っても学習しない自分に腹が立つ。 18:00 三叉路の店にやって来た。 エントランスに入って、支配人に挨拶をする。 「こら!お前!」 そう言われるけど、オレは逃げる様に控え室へと階段を降りて向かう。 ドアを開けると、智はまだ来ていないみたいだ… 向井さんの家を追い出されたって言ってた… 向井さん…オレの事が好きなの…? 構って欲しくて、智を虐めたもんね… 怪我した手の甲がズキンと痛む。 カピカピになった傷痕は、手のひらを握ったり開いたりする度に皮が引きつって痛む。 忌々しいなんて思わない。 ずっと痛みを与え続けてくれるんだ… 馬鹿なオレの為に、忘れないように痛みをくれる。 18:30 智がまだ来ない… メイクを済ませて、着替えも済ませる。 居てもたってもいられなくなって階段を上ってエントランスへ向かう。 「ねぇ、智が来ない。」 「遅れてるだけだよ。」 支配人はそう言ってオレの腕を掴んで言った。 「おい、シロ。昨日のお客、なんだ。痴話げんかなら他所でやれ、迷惑だ!」 「違う。そんなんじゃない。」 ブツブツ言う支配人を無視してオレは階段を降りる。 「智…どうしたんだよ…」 19:00 開店の時間になっても智が現れない。 エントランスに行くと、支配人はオレを見て鬱陶しそうに手で払う。 「ねぇ…何で来ないのかな…」 「うるさい、あっちへ行け!今、忙しいんだ!」 お客さんの相手をする支配人の腕を掴んで揺する。 「ねぇ…心配だよ…」 「電話してみろ。」 支配人に言われて、オレは控室で智に電話を掛ける。 呼び出し音は鳴るのに電話に出ない…オレの事、まだ怒ってるのかな… 「シロ…そろそろ」 支配人に声を掛けられてカーテンの前に立つ。 「ねぇ…オレの事怒ってるのかも…支配人がかけてみて?」 ショーの最中も、ショーの合間も、智の事が気になって仕方が無かった。 胸騒ぎがして堪らないんだ… 何度も電話をかけて、留守電にまわされる… そんな事を何度も繰り返して時間が過ぎて行く。 24:00のショーを終えると、オレは急いで帰り支度をして、タクシーで智の家へと向かう。 東中野の智の住むマンション…2階の奥から2番目の部屋… ピンポン チャイムを鳴らして様子を伺う。 電気は付いていて人の気配はするのに、出て来る様子が無い… 「智?オレ…シロだよ。具合でも悪いの?飲み物買ってきたよ?」 扉に向かってそう呼びかけるけど、部屋の中で物音がする様子はない… 「智…ごめんね。オレは向井さんと付き合って無いよ。ただ、あの人とは知り合いだった。オレの死んだ兄ちゃんに似てるんだ…だから、あの人に弱いのは事実なんだ。でもね、オレには好きな人がいるんだよ…だから、そんな風にならないよ…もっと早くに言えば良かったね…自分でも認めたくなかったんだ…ごめんね。」 そう言って玄関のドアノブに飲み物の入った袋を掛けると、続けて言った。 「…智、良くなったら連絡して…飲み物、置いて行くね…?」 チャポン…と水の音がして、耳に残った。 後ろ髪を引かれる思いで智の部屋の前から立ち去る。 智…ごめんね… 1:30 トボトボと暗い夜道を歩いて家に帰る。 途中コンビニに寄って抹茶オレを買った… 頭の中は智の事でいっぱいだった。 智が疑心暗鬼になった時に、オレがきちんと話せばよかったのかな… 例えそうだったとしても、もう遅かったのかな… 初めて教えてもらった時に、もっと真剣に止めていれば良かったのかな… 向井さんの連絡先に、オレが連絡をしていれば良かったのかな。 彼の思うままに従っていれば…良かったのかな。 何も悪くない、綺麗な心の智を巻き込んだのはオレじゃ無いか… オレのせいじゃないか… 智…元気になるかな… ボロアパートの近くまでやって来た。 家の前に不釣り合いな高級外車が止まってる。 最悪だな…こんなタイミングで…最悪だ。 オレを見つけると運転席から長身の男性が下りて来る。 「シロくん…ちょっと話せないか?」 今、深夜の2:30だ。お爺ちゃんは寝る時間だ。 「結城さん、オレ疲れてるんだ…また今度にして…」 結城さんの前を素通りして、アパートの階段を上がる。 こんな時間まで張り込むなんて…なんて元気なジジイだ…。そんなに湊くんが好きなら殺さなきゃ良かったんだ…全く、依冬が可哀想だよ。 自宅の鍵を開けると手に下げた袋がドアに当たって、ガン…と小さな音を立てた。 玄関を開けて中に入ろうとすると、後ろから誰かに押されて、つんのめって前に倒れた。 膝をついて後ろを振って見上げる。 そこには、結城さんが立っていた… …部屋に入られた… ガチャリと施錠の音がして、結城さんが後ろ手で鍵をかけるのが見えた。 これ…もしかして…やばい展開じゃないか…… オレは慌てて部屋の奥へ逃げ込もうと体勢を変えた。 背中を向けた瞬間、結城さんがオレの腰を掴んで、自分に引き寄せて強く締め付ける。対格差のせいで、足が浮く… 「…あんた!何してるのか、分かってんのかよ!」 暴れて喚くオレを気にも留めずに、締め上げる様に後ろから強く抱きしめる。 どうせ、オレの事、また湊くんに見えてんだろ! 「やめろ!バカ!変態! 離せ!出てけ!」 オレは口汚く喚きながら必死に暴れて、腰を掴む彼の手を退かそうともがいた。 フッと…口元に、温かい空気を感じたと思ったら大きな手で口を塞がれた。 オレの頭ごと自分の体に押しつけて、もう片方の手でオレのズボンのチャックを開け始める。 「んっ! んん!」 ズボンの中に簡単に侵入してきたその手は、オレのモノを見つけると、強く握って扱き始める。 オレはその手を退かそうと、両手で爪を立てて応戦する。 嫌だ、こいつには、絶対、やられたくない…! 効果があったのか、オレを自分の方に向かせ直すと頬を引っ叩いてきた。 だからオレは、結城さんの顎目掛けて思いきり頭突きしてやった!! 舐めんなっ!!クソが! 鈍い音がして、結城さんがオレから手を離した。 今だ! 急いで鍵を開けて玄関を出る。 はだけた服を直しながら、全速力で走る! ああいうのを血迷ってるって言うんだ… 血迷った老人が、早朝、ストリッパーをレイプしようとしたんだ…!! なんなんだよ…もう…! 混乱した頭を冷静に保って、公園のベンチで座って落ち着く。 「どうしよう…家に帰れない…」 すっかり怯えた体が小刻みに震えて、委縮して固くなる。 手元の携帯を見る…4:30 暗かった空が明るくなって、散歩する老夫婦…新聞配達…と、だんだんと朝の空気を醸し出し始めた。 そんな中でも、オレは家に帰れないで公園で震えてるんだ… 意を決して交番に向かった。 変な男に部屋まで入られたと伝えて、警察官に一緒に付いて来てもらう。 「強盗の疑いもあるので、拳銃、所持しますね!」 明るくそう言う警察官に、心の中で思った。 そのまま撃ち殺してくれ… 部屋に到着すると、警察官がまず確認の為先に入って行った。 「誰も居ないみたいです。」 ほんと?彼は異常だ。ちゃんと調べて? 恐る恐る自分の部屋に入って、扉という扉、全て開けて確認する。 「何か盗まれたものはないですか?」 そんな物はない! 「大丈夫です…」 警察官のいる時に飛び出してきて欲しかった…そうすればこの拳銃で撃ち殺してもらえたのに… 「ありがとうございました…」 警察官にお礼を言って部屋の鍵とチェーンをかける。 まだ部屋の中に居たらどうしよう… ホラー映画好きのせいか…ネガティブな想像が止まらない… もしかしたら、ここに隠れてるんじゃないか…寝込みを襲われるんじゃないか… 恐ろしくて、とてもじゃないけど寝るなんて出来なかった… 騒がない様に口をふさぐ動作…その手慣れた様子に恐怖を感じる。 湊くんの事も…そうやって犯してきたのかな…最悪だな。 携帯を取り出して、依冬の連絡先を見つめる。 「依冬…怖いよ。お前のお父さん…怖いよ…」 電話しようかな…でも、どうしようかな…寝てるだろうし…迷惑かな… 落ち着いて来たのか一気に汗が吹き出してきて、体がベタベタになる。 恐る恐るシャワーを浴びて着替えると、濡れた髪のままベッドに潜った。 怖い…お化けよりも、結城さんが怖いよ… オレは早々に寝る事にした。 散々な誕生日だった… 「シロ…兄ちゃんとするのが好きなの?」 「兄ちゃんが好きなんだ…」 兄ちゃんの胸に手を置いて、優しく撫でてキスする。 「兄ちゃんはオレの事、嫌いなの?」 顔を見上げて尋ねると、目の前に兄ちゃんの優しい笑顔が、いっぱいに広がる。 「そんな訳無いだろ…愛してるんだ。」 そう言ってオレの髪を撫でて、優しくキスしてくれる。 兄ちゃん… そのままオレの腰を引き寄せて抱きしめると、ベッドに沈める様に覆い被さる。 「兄ちゃん…?キスしてよ…」 オレがそう言ってねだると、兄ちゃんは微笑んで気持ちいいキスをくれる。 息が漏れて行かない様にオレは兄ちゃんの首にしがみ付いて、キスを受ける。 大好きだよ…兄ちゃん…大好きなんだ…

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