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第10話
「兄ちゃん…健太は?」
兄ちゃんを思う存分味わって、ベッドに横になる体に寄り添って、胸を手のひらで撫でる。
「そうか…いないんだ…」
返答がないのにそう言って、兄ちゃんの胸にキスをして頬を乗せる。
ドクドク聞こえる鼓動を聴きながら、手のひらで何度も兄ちゃんの胸を撫でる。隆起する胸板に指を添わせてツーッと滑らせる。生えてる産毛の一本一本までも愛しいよ…兄ちゃん。
「ずっと…一緒だね…」
そう言って目を瞑る。
兄ちゃんが生きてる…
死んだなんて、嘘だったんだ…
だって、今目の前に…いる
目の前にいるんだ…
「兄ちゃん…もう1人にしないで…1人にしないで…寂しかった。怖かった…」
震える体で目から落ちる涙が兄ちゃんの胸を濡らす。
オレの頬と、あったかい兄ちゃんの胸の間に流れていく。
「シロ…可哀想だ…」
そう言った兄ちゃんの声が胸に響いて、オレの頬を揺らした。
オレは可哀想なんかじゃない…兄ちゃんが、可哀想なんだ…
ゆっくり目を閉じてそのまま眠る。
兄ちゃんの体が逃げて行かない様に…両手でしっかり捕まえて、眠る。
「どこ行くの…」
オレの体をベッドに置いて、兄ちゃんが体を起こした。
腕を掴んで、オレは兄ちゃんに尋ねる。
「…買い物した物を冷蔵庫に入れるんだよ…」
「シロよりも大事なの?」
兄ちゃんの顔を見つめて、オレの顔を見つめる二つの瞳を凝視する。
また…居なくなるの?シロを置いて…居なくなるの?
「ダメだよ…もう離れないで…!傍に居てよ…」
体にしがみ付いて、ベッドに戻して抱きつく。
「ダメなの…ダメなの…もうダメなんだ…離れたらダメ…ダメなの…」
そう言って胸に顔を押し付けて泣く。
このまま離れたら…死んでしまう。今度こそ死んでしまう。
「…シロ、しっかりして…俺はお兄さんじゃない…」
え…
顔を上げて、縋りついていた男を見上げて、凝視する。
そっと手のひらを彼の頬にあてて撫でる。
「…兄ちゃんだよ?兄ちゃんだよ?」
そう言って、彼の胸の顔を置く。
兄ちゃんなのに…違うなんて、どうして言うんだよ…酷いじゃ無いか…
「意地悪だな…兄ちゃん…嘘つかないで、馬鹿。」
「シロ…俺はお前のお兄さんじゃないよ…しっかりして…」
オレの肩を掴んで兄ちゃんが顔を覗き込んで来る。
その顔が、間抜けで笑えて来る。
「んふ!あはは…兄ちゃん!なんで、そんな顔するの?面白いんだから…馬鹿だな。ダメだよ、シロはね、そんなんじゃ笑わないよ?んふふ…ふふふ。」
そう言って兄ちゃんの唇にキスをする。
「大好きだよ…兄ちゃん…ずっと一緒だ。そうだろ?」
指を立てて髪を手櫛して解かしてあげる。
指の間を兄ちゃんの髪が通って、サラサラと落ちていく音を聴く。
「愛してる…兄ちゃん。もう、どこにも行かないで…」
離さないよ…兄ちゃん。もう絶対に離さない。
朝が来ても、昼が来ても、また夜が来ても、オレは兄ちゃんを離さなかった。
携帯が鳴っても、ピンポンが鳴っても、オレは兄ちゃんを離さなかった。
お風呂には一緒に入った。でも、兄ちゃんの着てる服はどんどんヨレヨレになって行った。
暗い部屋の中、テレビを付けて座る兄ちゃんに甘えて膝に寝転がる。
テレビの内容から、今が深夜だと分かった。
「シロ…お腹空いてないの?」
「空いてない…兄ちゃんがいれば良い。」
そう言って体を起こして兄ちゃんの体に自分を埋める。ヨレヨレのシャツが柔らかくオレの頬を撫でる。
「こういうのを…軟禁って言うんだ…」
兄ちゃんがかすれた声でそう言ってオレに微笑んだ。
「軟禁?」
首を傾げて兄ちゃんを見上げると、彼は言った。
「そう…軟禁だよ。外に出られないんだ…兄ちゃんはずっと仕事に行っていない。首になったらどうするの?」
「死ねば良いんだよ?」
オレはそう言って兄ちゃんに笑って答えた。
「ぷっ!ふふふ…そうか、死ねば良いのか…なるほどね、でも…シロ、兄ちゃん死にたくないな…お腹が空いては死にたくない…」
兄ちゃんがそう言ってオレの髪を撫でる。
オレは首を傾げて聞いた。
「…じゃあ、どうやって死ぬのが良いの?」
「そうだな…兄ちゃんは、首を吊って死にたいよ…」
一気に体の熱が冷めて、冷たい血が流れ始める。
固まって動けなくなったオレに兄ちゃんが言う。
「前に一回しただろ?また同じようにしたいな…」
「だめ…だめ…!兄ちゃん、やだ、そんなこと言わないで…」
オレは兄ちゃんにしがみ付いてシクシクと泣いた。
何でそんなこと言うの…酷いじゃ無いか…
「…智の事を、許せないんだね…」
誰…?
「だから、こんなになっちゃったんだね…シロ。」
そう言ってオレの体を強く抱きしめて、涙を流す。
智って、誰なの…
「兄ちゃん…違うよ、シロは兄ちゃんに会いたかったんだ。会いたかった…ずっと寂しかったから、兄ちゃんがいないとダメなんだ…ダメなんだ…もう1人にしないで…」
兄ちゃんの髭の生えた頬に頬ずりして涙を流す。
愛しいんだ…堪らなく、愛おしくて…殺してしまいたくなる。
誰にも取られたくないんだ…
誰にも。
オレの髪を撫でながら兄ちゃんが優しい声で言う。
「もう、1人になんてしないよ…」
兄ちゃん…!!
兄ちゃんの体を強く抱きしめて嗚咽を漏らす。
体が揺れて、自分の声が聞こえなくなる。
このまま一緒に死のうよ…お腹を空かせて、死のうよ…
もう何も要らない。兄ちゃんがいればそれでいい。
何も要らないんだ…
「シロの踊りが好きだよ…とっても綺麗なんだ。」
オレの体を抱きしめて、髪にキスを落としながら兄ちゃんがそう言った。
踊り…?
「指の先まで、とっても美しいんだ。お前はカリスマだよ…?」
何の話をしてるの?
ぽつりぽつりと話し出す兄ちゃんの声に呆然とした顔で首を傾げる。
「一人で覚えたの?」
兄ちゃん…いやだ
「誰に、教えてもらったの?」
「やだ…」
「ポールを上るの…初めから出来た訳じゃ無いだろ?」
兄ちゃんの胸に頬をあてて、ドクドク揺れる鼓動を聞く。
「1人で…頑張ってきたんだね…偉いじゃ無いか、シロ。兄ちゃんがいなくても…お前は頑張ったんだ…偉かったね…」
目から溢れる涙が熱い熱を出し始める。
「あんなに楽しそうに踊ってたのに…もう見れないのは残念だ…」
喉の奥が潰される様に苦しくなって、歯を食いしばって、兄ちゃんの声を聴く。
「俺が死ぬのは構わないよ…だけど、シロは死なないで。」
オレの手を掴んで自分の手のひらと合わせて眺めると、兄ちゃんは言った。
「指が長くてきれいだ…とっても美しいね。」
オレの手を自分の口に持って行って、チュッとキスして笑う。
「愛してるよ…シロ」
そのまま体ごとオレを抱きしめて、またぼんやりとテレビを眺め始める。
智…?踊り…?
何の話だろう…
兄ちゃんの腕の中でテレビを一緒に眺める。
しばらくすると、兄ちゃんの手がほどけて、グラッと体が横に倒れる。
「兄ちゃん…?」
倒れ込んだ兄ちゃんの体を揺すると、うっすらと開いた目の奥の黒い球が動く。
「シロ…兄ちゃんは眠たくなっちゃった…寝ても良い?」
「だめ…寝ないで…シロといて…」
「シロ…次の兄ちゃんと死ぬ時は…一緒に一気に死ねる方法を取るんだよ…これじゃ、また兄ちゃんが先に死んじゃいそうだ…」
え…?
「何言ってるの…」
オレがそう聞いても兄ちゃんは何も答えてくれない。
体を揺すっても、頬を叩いても、兄ちゃんは何も答えてくれない。
「ダメ!ダメ!!兄ちゃん!!兄ちゃん!!起きて!起きてよ!!ダメ!ダメだよ!!」
これじゃまた同じじゃ無いか!!1人になってしまうっ!!
「ぎゃああああああーーーーーーっっ!!」
絶叫して頭を押さえた手で自分を殴る。
オレは慌てて携帯を取った。
そのオレの手を掴んで、兄ちゃんが言った。
「シロ…、包丁持っておいで…」
包丁…
フラフラと言われるままに包丁を持って兄ちゃんの隣に寝転がる。
「兄ちゃん…寝てたの…?寝てただけなの?」
「ん、兄ちゃんは、少し…寝ていただけだよ…」
オレの腹に包丁を立てて、兄ちゃんが弱々しく笑って言った。
「愛してる…傷つけたりしたくない…痛い事なんて、したくない…」
そう呟く兄ちゃんの唇にキスをして乾いた口に舌を入れた。
死ぬのは怖くない…痛いのも怖くない…。
ただ、目の前で兄ちゃんが先に死ぬことが怖い…
だから、オレは包丁を持つ兄ちゃんの手を掴んで、グッと下に押した。
「…!!…ダメだっ!」
兄ちゃんがそう言って、包丁を手から離して遠くへ飛ばす。
「シロ…もう止めよう。もう止めよう…。智の事は、俺のせいだ…俺のせいだ…分かってる。すまない…本当に、すまない…」
智…まただ、誰の事だろう…
兄ちゃんはヨロヨロと起き上がると、オレを抱きしめて言った。
「シロ…ごめんね。お兄さんは死んだんだ…もう二度と会えない、お前がお兄さんだと思っているのは、お前の友達を自殺に追い込んだ男だ。汚くて、ズルい男だ。そいつと一緒に死ぬのか?復讐のためにそんな奴と一緒に死ぬのか?」
「ん、兄ちゃぁん…やだぁ…」
強く抱きしめられて、訳の分からないことを耳元で囁かれる。
「兄ちゃんは死んだ…首を吊って、死んだ。だから、もう二度と会えない。会えないんだ。目の前の男はお前の…兄ちゃんじゃない…」
耳の奥で何度も囁かれる言葉にクラクラして息が浅くなっていく、目の前が霞んで白い膜で覆われる。体の力が抜けていく。ズルズルと向井さんに体を添わせて、落ちていく…
もう、ダメだ…意識がなくなる。
発作が起きたみたいだ…
気が付くと知らない部屋に寝かされて点滴を打っていた。
隣のベッドにはぐっすりと眠る向井さんがいる。
「ん、気が付いた?君、やばいね~。ふふ。」
そう言って、白衣を着た怪しい男がオレを見て笑う。
「一週間、飲まず食わずで軟禁だなんて…とんだ、ご褒美じゃ無いか!」
「ここは…?」
オレは頭のおかしい男の話を無視して、そう尋ねた。
「ここ?新宿、歌舞伎町のクリニックだよ。」
近所…
そして、この人は少し変だけど…医者みたいだ…
「あの人は…?」
向井さんを指さして尋ねる。
「きったない服着て、君を抱きかかえて飛び込んで来た。いやね、前からこいつには少し痛い目に遭って貰いたいって思ってたんだよ?だけどさ、こんなボコボコにしてくれるなんて、アハハ…良くやったぞ!」
そう言って医者は笑ってオレの肩をポンポンと叩いた。
訳ありなクリニックに担ぎ込まれて、点滴を受けていた様だ…
「あんた、普通の医者じゃ無さそうだ。」
オレはそう言って体を起こして辺りを見渡す。
「普通の医者とそうじゃない医者の違いは何だ…?同じ医師免許を持っているよ?」
…そうだな。
オレは視線を下げると真っ白な自分のつま先を眺めた。
「衰弱してたから点滴を打った。ご飯を食べるときはお粥から、良いね?」
オレの目に光を当てながら医者が言った。
オレは頷きながら言った。
「向井さんは死んでないの?」
「向井さん?あぁ…あいつの事か、死んでないよ。生きてるよ。残念だったね…プププ。次はもっとすごいのをかましてよ。ね?フフフ。ほんと、ビックリしたよ。ふふふ。今年一番面白かった事に入るよ?きったない恰好してさ…んふふふ。」
この人は向井さんが“きったない格好”をしていた事が、よっぽど面白かったみたいだ…昔からの付き合いがあって、彼の本名を知ってる様に思った。
「この人、名前…何て言うの?」
「ダメだよ?要らない事、詮索しないの。」
そう言って医者はオレの口の中を覗いた。
どうやら、オレは逃げられてしまった様だ。
あの終わりのない狂気にこの人を連れ込んで、一緒に死のうと思っていたのに…
最後の最後でしくじった。
それにしても…あそこまで付き合ってくれるとは思わなかったよ。
大したもんじゃ無いか…
あと一歩…と言ったところかな。
オレは立ち上がって眠る向井さんに近付いた。
そっと顔を覗き込んで、見つめる。
「兄ちゃん…」
オレがそう言うと眠る彼の眉がピクリと反応した。
優しく髪を撫でてあげる。
「ふふ…ふふふふ…」
背中に不気味な笑い声を聴きながら、目の前の兄ちゃんを見下ろす。
「オレはもう帰っても良いだろ?」
そう言って振り返ると、医者はコクリと頷いた。
「兄ちゃん…またね?」
そう言って眠り続ける向井さんの唇にキスをすると、彼のズボンのポケットから自宅のカギを取り出した。
訳ありそうな女、ホームレス、ビクビクした負債者の様な患者ばかり集まるクリニック…いったい何をしてんだ、この病院は…
こんなアングラな知り合いがいるなんて、向井さんはやばい人かも。
外に出ると、見慣れた歌舞伎町の街並み。
「こんな所に…病院なんてあったなんて…」
気が付かなかったよ…ソープランドの上とはね…
点滴のおかげか、オレは足取りもしっかりしていた。
もう少しだった…もう少しだったのに、しくった。
でも、先に彼が死んだら…オレはどうなっていたかな…
どうせ死ぬんだ…先に死んだって、後に死んだって、一緒に死んだって、変わらないだろうに…
そんな事を気にするから、温いんだよ…オレは。
部屋に戻ると、こもった空気を入れ替えるために窓を開けた。
冷蔵庫の中にはカレーの食材が入ったままだ…
向井さんは…オレの兄ちゃんになろうとしていた。
何で。そんな事するの…?
久しぶりに携帯を手に取って着信を確かめる。
支配人と、依冬。あと、非通知。
何だろうね…この顔ぶれは…自分の交友関係が伺い知れるね…
時間を確認すると14:00
日付を確認すると…依冬とDVDを見たあの日から丁度1週間と1日経っていた…
そんなに一緒に居たんだ…馬鹿な男。
逃げれば良かったのに…
オレの体なら押し退けたら逃げられるだろうに…
テーブルの上に置かれたままの彼の腕時計を見つける。
まるで時間を確認する必要が無いように伏せて置かれた腕時計に…彼の覚悟を感じて、胸に抱えたら涙が落ちた。
「馬鹿だな…どうして付き合ったの?良い人ぶるなよ…クズなんだからさ。クズはクズらしく、尻尾をまいて逃げれば良かったんだ…なのにさ…」
オレと一緒に堕ちた。
一週間も飲まず食わずで、一貫して感情的になる事もなく…ただ一緒に堕ちた。
ここまでするとは思ってなかったよ…馬鹿な男だね。
腕時計を元の場所に戻して、体をストレッチする。
「一週間もお休みしちゃった…首になっちゃうよ…」
鈍った体をほぐす様に慎重にストレッチする。
「もしもし?」
ストレッチしながらスピーカーにした携帯で支配人に電話をかける。
「シロ!!お前っ!心配しただろうがっ!!」
凄い怒鳴り声にスピーカーの音が割れる。
「ふへへ。ごめんね?もう大丈夫だよ。でもまだ体が動かないかも~。」
オレはそう言いながら逆立ちをする。両手がフルフルと震えて、ゆっくり体を起こすことが出来ない。あ~あ、鈍っちゃった。
「とりあえず顔見せろ!分かったな!俺はてっきりお前が後でも追うんじゃないかって…心配してたんだからな!!」
「ほ~い」
兄ちゃんが死んでも死のうなんて思わなかったんだ…後追い自殺なんてしない。
クズだからね…
逆立ちしながら通話の切れた携帯を眺める。
次は依冬に電話してみよう。
「もしもし~?」
「シロ~!!」
うふふ、可愛い。
怒った様な、困った様な、そんな声を出して依冬がオレを怒る。
「なぁんで電話に出なかったの?メールだってしたんだよ?携帯電話って、どうしてあるか知ってる?連絡を取るためにあるんだよ?いつもいつも…連絡しても返信が無いなら、もう電報にしようかな!?」
「んふふ!あはははは!!依冬は面白い事言うね?ねぇ、オレにおかゆ作ってよ~。」
「俺が作ってあげるよ…?」
そう言って髭面できったない服の向井さんがオレの部屋に入ってきた。
驚いて逆立ちのバランスを崩して横に倒れ込む。
だって、あまりに普通に入って来たんだ。
「要らない!向井さんのは食べたくない!」
オレはそう言って依冬との通話を切る。
「どうして…?」
「どうしてじゃない!きったない服着てるから、家に入って来ないで!」
オレはそう言って向井さんを掴んで部屋から追い出そうとする。
「なぁんで…良いじゃない。おかゆ作るの上手だよ?」
そう言って向井さんは床に落ちた包丁を拾うと、オレの家の台所でおかゆを作り始める。
「…ううっ…」
それ以上、強くも言えず…
とりあえずオレの持っている一番大きいTシャツを貸してあげる。
「汚いから着替えてよ…」
「酷いな…」
そう言って笑うと、シャツを脱いでオレのTシャツを着た。
見えた素肌に胸が跳ねて…また触りたくなってくる。
第2ラウンドが…始まるのか…?
「シロ…?次やる時は、一瞬で済むやつにして?」
向井さんは背中でそう言うと、せっせとお鍋に火をかけた。
「フン!」
オレはそう言ってベッドの上に座る。
なんて奴だ!戻ってきた!この部屋に!
また軟禁されるんじゃないかって…怖くないの?
馬鹿なやつ。
ベッドの上から向井さんの背中を見つめていたら…台所に立つ姿が、だんだんと兄ちゃんに見えて来る。
そっと近くに寄って後ろから背中を抱きしめる。
「兄ちゃん…?」
そう呟いて背中に顔を付ける。
彼は何も言わないでおかゆを作ってる。
だんだんとお米の煮える匂いがしてくる。
兄ちゃん…
夕方の夕日に染まる台所が目の前に映って、仕事帰りの兄ちゃんがご飯の支度をする音が聴こえてくる。
「シロ…お箸出してね?」
「やだ~」
そう言ってオレがふざけると兄ちゃんはクスクス笑って言うんだ。
「まったく、やれやれだねぇ…」
そんな当時のやり取りを思い出して、クスッと笑う。
「シロ、出来たよ…お皿出して?」
頬を付けた向井さんの背中が震えてそう言った。
「やだ…」
オレはそう言って目を瞑りながら口元を緩めた。
「まったく…やれやれだな…」
そう言った向井さんの背中に目を大きく開けて固まる。
同じだ…
同じなんだ…
目を歪めて大粒の涙を落とす。
兄ちゃんだ…
オレは涙を拭って彼の背中から離れると、適当なお皿を持って行った。
「…ありがとう。」
そう言って驚きながらお皿を受け取るこの人が…兄ちゃんに見える時がある。
今は兄ちゃんによく似た人に見える。
でも、兄ちゃんに見える時がある…
半堕ちしてる。
オレは兄ちゃんの幻影に半堕ちしてる状態の様だ…
おかゆをテーブルに持って行って一緒に仲良く食べる。
兄ちゃんによく似た向井さんと。
「美味しい。」
オレはそう言って笑う。
彼は嬉しそうに笑ったオレの頬を撫でる。
兄ちゃんによく似た人…
オレの狂気に付き合って死にかけた人…
智…許してくれる?
オレはこの人を手放せないみたいなんだ…
いつか死ぬ時は一緒に殺すから…今は見逃してよ。
まだ、もう少し、この人と居たいんだ。
テーブルの上の腕時計を手に取って彼に返す。
「置いてあったよ?」
それを受け取ると彼は自分の腕に付け直す。
「兄ちゃんは、ベルトのやつを使っていた。」
オレはそう言っておかゆを平らげる。
「そう…でも俺はこれを使ってるんだ。」
そう言う彼の背中に抱きついてキスをする。
あぁ…ダメだ…オレはこの人が手放せない。
だって…兄ちゃんなんだ。離れたくない。
「また軟禁されるよ?」
オレはそう言って向井さんの顔を覗き込む。
「ふふ…良いよ。何回でもすれば良い。」
そう言って向井さんは鼻で笑う。
なんて奴だ…!
「オレはね、これからお店に行くから、もう家に帰りな?」
服を着替えて出かける準備をするオレに向井さんが言った。
「店の前まで送ろう。」
そのTシャツ姿で?やだ…
オレの嫌そうな顔を見て、向井さんが言う。
「ジャケットを着れば猫柄は見えないだろ?」
見えるよ…ばっちり見えるよ…
18:00 三叉路の店までやって来た。
ダサい猫柄のTシャツを着た向井さんと手を繋いでやって来た。
「だからね?オレは言ったんだよ?それは違うって…でもね?」
下らない話をするオレの顔を楽しそうに笑って見てる。この人が智を追い詰めただなんて思えないよ…まるで、別人みたいなんだ。
優しい目と、優しい口調、煽る様に話すのは変わらないけど、前と全然違う。
こうやって人を騙すのかな…オレも騙されてるのかな…
また簡単で、安っぽい、優しさに絆されているだけなのかな?
そんなもので、あの地獄の時間は過ごせないよ…?
そうだろ?
この人は…オレの事を愛してる。
兄ちゃんによく似た愛で…オレを愛してる。
「じゃあ、次に会う時は言ってやれば良いんだ。うるせぇ、クソったれって…」
「んふふ、あはははは!!そうしよう~。」
オレは笑って彼を見上げる。
彼はオレを見下ろして微笑む。
まだ分からない。
彼の真意が分からない。
偽名を名乗ってるし、正体不明だ…
兄ちゃんに似ているからって、絆されてはいけない。
見極める必要がある。
「じゃあね~バイバイ!」
そう言って手を振って、ダサい猫柄のTシャツを着た向井さんが立ち去る後姿を眺める。
エントランスに入って支配人に挨拶をする。
「よっ!」
「よっ!じゃねんだよ!!馬鹿タレ~~!!」
エントランスの空気を振動させる支配人の怒鳴り声に体中震える。
泣きながら抱きしめられて、じゃりじゃりの髭面に頬ずりされる。
「心配したんだぞ!心配したんだ!お前の家にも行ったんだ!何してた!馬鹿野郎!!」
智の事があった後だもんね…もしかしてって、思ってしまったんだ。
「ごめんね…心配かけて、ごめんね…」
そう言って支配人をギュッと抱きしめる。
「整理したかったんだ…自分の気持ちを整理したかった…。もう、大丈夫だよ?明日から…また来ても良いかな…?」
オレはそう言って支配人の顔を覗き込む。
彼はぐちゃぐちゃに泣いた顔をして、怒った声で言った。
「あったりまえだよ!馬鹿野郎!」
良かった。オレは首にはならなさそうだ…ひとまず安心だ!
家に帰ると依冬が待っていた。
「依冬~~!!」
走って行くと、体がフラッとふらついた。まだ本調子じゃ無いんだ。
そりゃそうか…一週間部屋にこもりっきりだったんだもんね…病的だ。
「何処に行ってたんだよ?連絡したんだよ?」
そう言ってオレに抱きつかれる依冬にスリスリと頬ずりする。
携帯電話を見ると依冬からの着信の嵐になっていた…
「ほんとだ!」
「ほんとだ!じゃないの!…もう、シロにはキッズ携帯の方が良いと思うんだよ。GPS機能の付いた、サイレントにならないキッズ携帯に変えた方が良いと思うんだ。」
依冬はそう言うとオレを抱っこしたままアパートの階段を上り始める。
「あはは、何それ。そんなのあるの?うふふ!依冬が買ってよ。あははは!」
オレは大爆笑して、依冬の上で暴れる。
でもね、絶対ぶれないんだ。この子は体幹がしっかりしてるからね。
オレが暴れたって絶対にふらつかない。
だから大好き。
「おかゆ、買ってきたよ?」
「わ~い」
オレはそう言って部屋に依冬を入れると、今度は彼と仲良くおかゆを食べる。
「おいちいね?」
「食べた気がしないよ。ダイエットでもしてるの?」
究極のダイエットをした後…かな。
依冬と一緒におかゆを食べて、おしゃべりして、一緒に寝てもらう。
さっきまで兄ちゃんと一緒に寝ていたベッドに依冬を寝かせて、隣にゴロンと寝転がった。
「シロ?誰と居たの?」
「ん?兄ちゃんと居た。」
そう言ったオレの言葉に、依冬の顔が固まったのが分かった。
ごめんね…依冬、オレは半堕ちしてるんだ。
「兄ちゃんて…向井さんの事?」
オレの顔を覗いて聞いて来るから、口元を緩めて答える。
「そうだよ…兄ちゃんと死にかけてたんだ…あはは。あははは…」
依冬の胸板を撫でて、そっと顔を乗せる。
あったかい…
何も言わなくなった依冬を無視して、まったりと彼の素敵な筋肉を服の上から撫でる。
「ここは…腹斜筋だ。胸筋に、オレが顔を乗せてるのは、三角筋だよ?分かる?」
「…分かる。」
そうか…良かった。
「依冬、腹筋して?」
オレがそう言うとフン!ッと力を入れて、腹筋を硬くしてくれる。
「んふふ!凄い!もっとして!」
オレは喜んで体を起こすと、依冬の筋肉で遊び始める。
依冬はオレの手を引いて、自分の方へ引っ張る。
「もう良いよ、こっちにゴロンとしなよ。」
「良いから、今度は…ここだ。上腕二頭筋!硬くして?」
依冬は呆れたような顔をして腕の筋肉をフン!ッと力を入れて硬くする。
「あ~ははは!凄い凄い!」
両手を叩いて大喜びする。だって面白いんだ。
携帯が震えて画面に向井さんの名前が映る。連絡電話だ…
依冬がそれを見てオレを見つめる。オレは依冬を見つめて電話を無視する。
「良いの?出ないの?」
「出ない」
そう即答して、依冬の腹筋を手のひらで撫でる。
「依冬?腹筋またして~?」
目の奥をギラつかせて依冬が震え続ける携帯を見つめてる。
「嫌い?」
オレが首を傾げて聞くと、依冬はオレを見て言った。
「嫌いだ…」
その依冬の目はいつもの狂気を纏った目だった。ギラついた目の奥に激しい憤りを感じる。怒っているんだ…オレじゃなく、向井さんに…
「そう…」
そう言って依冬の両脇に手を入れると、ヨッと逆立ちしてみせる。
怖い顔なんて見たくないよ…依冬。
「シロ…危ない…」
「危なくない。オレを信じて…?」
そう言って彼の顔の上で、逆立ちしたまま体を仰け反らしていく。
「見て?依冬。しゃちほこだ!名古屋城の上に乗ってるよ?知ってる?」
オレはそう言ってケラケラ笑う。
ゆっくり足を戻して依冬の体の上に寝転がと、依冬がオレを抱きしめる。
「シロ…」
そう言ってオレをベッドに沈めて、キスする。
そのキスが強くて、熱くて、すぐにクラクラする…
「依冬…眠たい…」
オレはそう言って依冬を抱きしめる。
とっても疲れて…もう今日はエッチな気持ちになんてならないよ。
依冬は大好きだけど、それでも、疲れてしまったんだ…
「お休み…シロ。」
そう言ってオレのおでこにキスをすると、依冬は添い寝をしてくれた。
オレはそのままぐっすりと眠ってしまった。
#依冬
暗い夜道を車まで戻る。
シロに言われた通り…金持ちは駐車場へと車を停めた。
深いため息が口からこぼれる。
車のドアを開けて運転席へ乗り込む。
「はぁ…」
一つ動作をする度に深いため息がこぼれて出る。
車のキーを差し込めずに、項垂れる。
何て事だ…
可哀想に、シロがおかしくなってしまった。
向井をお兄さんだと言った…
そして、俺はそれを受け入れる事が出来なかった。
シロの弱みに付け込んで…彼をおかしくした向井が憎い…許せない!
シロは俺に壮絶な過去を話してくれた…それは俺が聞いても何もしてあげられない、過去の話。聞いてるだけでも胸が締め付けられる…酷い話。
シロがどうしてお兄さんに拘るのか…よく分かった。
彼にとってお兄さんは特別だ。
そんな存在に成り代わった。
蛇の様にしつこくて陰湿でムカつくあの男が…シロの特別になった。
「クソが…」
苦々しい顔で前を見据える目に力がこもる。
こんな話、納得出来る訳がない…。
シロは俺の物なのに…こんな話、納得出来る訳ない…!!
あの男…ぶち殺してやろうかな…
電話なんてかけてきやがって…ふざけんなよ…クソが。
彼氏気取りか?!兄貴気取りか!?クズのくせに!!
シロが幼い頃に感じた兄への罪悪感を…成長してから与えた兄への愛を…あの男が享受するのかと思うと、はらわたが煮えくり返る思いがした。
シロは俺を好きだと言ってくれた…言ってくれた…
俺の事を好きだって、言ってくれたじゃないか…
ダメだ…ムカついて仕方がない。
一緒に死にかけた?
あいつだけ殺してやろうかな…?
俺が向井を殺したら、シロはどうなるの?
またお兄さんを失うの?
あの真っ黒な瞳に見つめられて、背筋が凍った。
必死に平静を装った。
でも、正直、彼のあんな目はもう二度と見たくない…
親父の狂気が誰かに向けられる物だとしたら、シロの狂気は自分諸共破滅するような…そんな自爆的な恐怖を纏ってる。
単細胞に似てる。0か1なんだ…
純粋過ぎて、理解出来ていないんだ。
お兄さんへの歪んだ愛情も、お兄さんからの全力の愛情も、汚い物の様に感じてる。
だから、お兄さんを愛した事を、暴力から逃れるために利用したと卑屈になって、お兄さんが彼を愛した事を、心が壊れたからだと思ってる。
そして自分の存在を呪う。
ただ、酷い環境の弟を守った兄が、弟を愛した…それだけの話を…彼は湾曲する。
自分が悪者の物語に書き換えるんだ。
それを読み返しては、自分を責めて全力で狂う。
それが、彼の狂気だ。
誰にも向かない、誰も傷つけない。
だけど、自分だけがズタボロに擦り切れて朽ちていく。
自分が心の底から大嫌いなんだ。
彼の判断は0か1
お兄さんが死んでしまったから…悪いのは自分。
それだけなんだ…
そんな自暴自棄な狂気をよく分かっているみたいだね。
巻き込みたくなかったんだろ…?シロ。
俺を好きだから話したって言ってたよね…
自分が壊れても、気にしないでって…この事だったの…?
俺を狂気に巻き込まない為に、辛い過去の話を話したんだね。
そうだろ…シロ。
向井を“兄ちゃん”と呼ぶようになっても、気にしないで…そう言う事なんだろ…
「クソがっ!」
やり場のない憤りをハンドルにぶつけて思いきり叩く。
「馬鹿野郎!何で…何で俺に言ってくれなかったんだよっ!俺が頼りないからなの!?シロ…1人で、どうしてそんな事を…愛してるのに…どうして…」
憤りが悲しみに変わって、項垂れる様に頭を落とす。
さっきまで交通量のあった目の前の道路から、車の姿が消えて急に静まる。
そうか…
一瞬の静けさを消し去る様に、また車が騒がしく走り始める。
そんな車の音を聞きながら、自分の車のキーを差し込む。
まだ…向井の事をお兄さんだと言ってるって自覚していた…
まだ、完全に狂ったわけじゃない。
もし完全に狂ったら向井の名前なんて出てこない筈だ…
大丈夫…。
まだ…引き返せる。
#シロ
14:00 アラームの音で目を覚ます。
ベッドから起き上がって、テーブルの上の書置きに目をやる。
“鍵はポストに入れとくよ、またね”
にこちゃんマークなんておまけに書いてある…ふふ、お茶目なんだな…
玄関に行ってポストの中に入った鍵を拾う。
玄関のチェーンをかけて、台所に置かれた二人分のお皿を眺める。
そのままシャワーを浴びに向かう。
18:00 三叉路の店にやって来た。
携帯が震えて着信を知らせる。向井さんの連絡電話だ…
「もしもし?今からお店だよ?ん?昨日?昨日は疲れて寝てた~。」
兄ちゃんにそう嘘を吐いて、電話を切る。
エントランスに入って支配人に挨拶をする。
階段を降りて控室のドアに手をかける。
この瞬間…思ってしまうんだ…まだ、居るんじゃないかって。
ドアを開いて、鏡の前を見る。
熱心にメイクをする智の姿を思い出して、頬に涙が伝って落ちる。
…居る訳無いんだ。彼が骨になるのを見たんだ。
鏡の前にメイク道具を出して、椅子に腰かける。
鏡越しに自分の後ろを見て、智の姿を探す。
…居る訳無いんだ。
メイクを済ませて、今日着る衣装を探す。
所々に掛けられたままの智の衣装を見て、手が止まる。
「智…」
あの子が好きだった衣装を手に取って、手のひらで撫でる。
ガチャ…
控え室のドアの開く音に、視線を移して見つめる。
背の高い綺麗な男の人が立っていて、オレを見るとにっこりと微笑んだ。
「シロ、新しいダンサーの子だよ。仲良くしてね。」
彼の後ろから支配人がそう言って紹介してくれた。
「彼は楓(かえで)君。お前の1つ上かな?22歳だ。」
楓君…とっても背が高いね…
もう新しいダンサーを雇ったんだ…そうだよな。オレ1人じゃ限界があるし、ショーの埋め合わせはなかなか見つからない。新しいダンサーを雇う方が、効率的か。
「シロです。よろしくね?」
「楓です。よろしく…」
そう言って握手すると、彼の細い手に驚く。
凄いな…体のバランスが…バービー人形みたいだ。
オレがリカちゃんなら、彼はバービー…。この例え、分かるでしょ?
美しく整った顔は外国の血を感じる。サラサラの髪は良い匂いがして、美しい流し目はオレの心をぶち抜いた。
「凄い…綺麗だね?」
圧倒されてそう呟くと、オレを見てにっこりと微笑んだ…キュン。
これは…おちおちしているとあっという間に人気を取られてしまいそうだ!!
この仕事自体、長く続けるような仕事じゃない…
そろそろ本気で別の仕事を探した方が良いのかもしれないな…
人気なんて、いつ無くなるか分からないような物だからね。
19:00 店内に向かうとエントランスで支配人に声を掛けられる。
「シロ、この前のお客が来てる。嫌なら追い出すよ。どうする?」
この前の…?あぁ…
「大丈夫。彼とは和解したよ?偉いだろ?」
オレはそう言って馳せ参じそうな支配人を制した。
「マジかよ…」
そう言った支配人の声を背中に聞いて、店内へ向かう。
階段を降りながら彼を探す。
カウンター席でオレを見てる向井さんに手を上げて挨拶をする。
DJブースに立ち寄って、今日の曲を渡す。
「新しく入った楓君、めちゃ美形なのに、天然すぎて接客無理らしいよ?」
DJはそう言ってオレの顔を覗き込んで来る。
「あぁ…天は二物を与えないんだな…」
オレはそう言って、DJの顔を仰ぎ見る。
クスクス笑って、ハンドシェイクのあいさつを複雑に変更して遊ぶ。
これが意外と難しいんだ…
「だはは!もうだめ、分かんなくなった…もう一回やって?」
オレはそう言って、DJが繰り出す複雑な握手のあいさつパターンを見つめる…
「ダメだ!分かんない!簡単なのにして?」
そう言って、一番簡単な“いつものやつ”をする。
握手して、手の組み方を変えて、グッと握って、肩をドンとぶつけて、手のひらをヒラヒラ~として、鼻から何かをぼわっと出して、指を差し合う…
「ほら~!これならできる~!」
オレはそう言って、DJの肩を叩いて笑った。
「いつものやつじゃん。何年同じのやってんだよ。」
そう言ったDJの声は聞こえなかった事にする。
楓くんが天然なのは、興味あるな…
あんなに美形なんだもん。多少のスキが無いと、神様になっちゃうよ。
一週間ぶりの再会に会話が弾む。
智の事も、長期の休みの理由も聞かない。
それが暗黙のルールみたいな…夜の店のお約束みたいな…そんな所がある。
でも、こうやって話して様子を伺うんだ。こいつ大丈夫かな?って…
だからオレはいつもの様に相手をして、笑って、大丈夫だって伝える。
突然腕を掴まれて引っ張られる。
常連のお姉さんがオレの腕を掴んで見上げて来る…
「ねぇ、シロ、バックダンサーやらない?」
「誰の?」
「アイドル~!」
常連さんに腕を掴まれたまま、席までグイグイと連れて行かれる。
強制連行だ!悪戯されるんだ!
そんな予想を裏切る様に、席に着いて飲み物を注文すると、お姉さんが一枚のチラシを出してきた。
「ほら、これ、受けてみな?」
それはダンサー募集のチラシ。
イベント会社に勤めてるお姉さんは、これが何のダンサー募集なのか知ってるみたいだ。
「でも、オレ、ダンス習った事ないよ?」
オレはそう言って、チラシをまじまじと眺める。
こういうのって選りすぐりの人がやるものでしょ?
恐れ多い気がするよ…?だって、オレ、ストリッパーだもん…
尻込みするオレに、お姉さんが言った。
「オーディション受けるだけでも良いじゃん?」
それでも悩むオレに容赦なく現実を突きつける常連のお姉さん…
「シロ、今年で幾つになったの?華は一瞬だよ?その後の食い扶持、考えてるの?」
タイムリーな話題だな…運命か…?
オレはオーディションを受ける事にした。
「やってみるよ!」
急にやる気に満ち溢れて、お姉さんの目の前でガッツポーズをして見せる。
「基本的なステップや動きはスタジオに通うとして、まずいやらしさを消す方法を考えないとね!」
お姉さんはそう言うと、オレをじっと見つめて来る…
酷い言い様だ!
オレはお姉さんを見つめ返して、悲しい顔をして言った。
「オレ…いやらしい?」
「すっごく…」
そう言ってオレの腕を触ってくる。これは…お触り案件ですか?
「特に、お尻が…めちゃセクシー。」
うっとりする様にそう言うと、オレのお尻をサワサワと触る。
いけないんだ!お触り案件なんだ!
でも知ってる…このお姉さんは、この店にお気に入りの女の子が居るから通ってるって…つまり、レズ・ビアンなんだ。
「お姉さんビアンだよね?男相手にセクシーとか感じんだね…意外だ。」
オレはそう言って、身の危険を回避する為に席を立った。
「これ、持ってけ。」
お姉さんはそう言うと、いくつかのダンススタジオリストを渡してくれた。
「ビアンとかエロいとか、触りたいとか、関係なく!お姉さんとして、あなたの将来を憂いているのよ?だから、四の五の言わずに従いなさい?」
かっこいい…痺れた…
オレの羨望の眼差しに、お姉さんはふんぞり返って偉そうにした。
渡されたダンススタジオのリストを見て、ジンと心が熱くなる。
「これを作ってくれたの?オレの為に…?それは…ありがとう…」
素直にそうお礼を言うと、ハグして頬にキスをした。
何て優しいんだろう…
手書きで書かれたメモを見ながら、心が熱くなる。
…オーディションなんて受けたことないけど、やってみよう。
「シロ、そろそろ。」
オレは支配人に声を掛けられて、控室へ向かう。
向井さんに声すら掛けられていないけど…まぁ、良いか。
エントランスから階段を降りて、控室のドアを開く。
「わぁん…分かんないよ!」
控え室では衣装をまだ選び終えていない楓が右往左往していた。
「ん、どうしたの?」
オレを見つけるとすごい勢いで、両手を広げて飛びついて来た。
「シロ!僕に合う、衣装がない!!」
ウルウルした瞳がとっても美しいのに…オレにしがみ付く姿勢はギャグマンガみたいに面白かった…
これが…天然の天然…ゴクリ
オレは口元を緩めて笑うと、衣装のかけられたハンガーラックに手を伸ばす。
「どれどれ…」
確かに180㎝超えの長身だと、どれも小さいみたいだった。
おれが172cm…智が168cm…楓君は182cmだ…
普段着だったらサイズなんてアバウトで良いんだけど…衣装になるとそうもいかない。無茶すれば破けるような生地だし、大股を開いて踊る訳だから、動きやすさを考えると、やっぱりピッタリのサイズが必要なんだ…
こりゃ参ったね!
オレはしばらく考えた後、楓に言った。
「楓は今日3回目のステージだから、それまでにオレが他のお店に行って探して来てあげる!」
わんわん泣き始める楓の頭を撫でて、落ち着かせる。
何だろう…この子。本当に天然なんだ…
養殖の天然じゃない。本当の天然…。
しかも、飛びつき方も、泣き方も、まるでギャグマンガみたいで…面白い。
「シロ…ありがとう!」
大音量の音楽がステージで流れ始めて、オレは慌ててカーテンへ向かう。
180㎝超えのストリッパーなんて、日本だと中々居ないよ?
…かっこいい。
カーテンが開いてステージへ向かう。
思いきり走って行くと、大きく踏み込んでポールに飛びつく。
ガンッ!とすごい音を立てて、ポールが揺れて頭も揺れる。
あぁ!楽しい!!
そのままクルクル回って下の方で反動を付けて高速スピンさせる。
床すれすれに体を仰け反らせて回ると、髪の毛がモップみたいにステージを掃除してくれる。
編集した曲がそろそろ雰囲気を変える頃だ…
ここから一気にムーディーになるよ?
オレは足を高く上げて膝の裏でポールを挟むと、雰囲気を変えた曲に合わせて、ゆっくりと優雅に回った。
美しく、儚い感じで体を仰け反らせていく。
何でかって?今日の選曲だよ。
オレは今日、タンゴで踊るんだ。
ポールを男に見立てて、美しく足を絡めてクルッと回る。
綺麗だろ?
足の動き方がポイントなんだ…
ダンスの技の様に…男に見立てたポールに背中を添わせて、勢いよく足を上げて一回転する。
スカートなら…もっと綺麗に見えるのに…オレはそれを厳つい革パンで踊る。
女装癖がある訳じゃない。
ただ、これはスカートのひらめく美しさも、加味されてるんだ。
背中から回転して、伸ばした片手でポールを掴んで、2人で踊ってるみたいに回る。
そのまま上の方まで、足を伸ばしてポールに絡める。
勢いを付けて回りながら、上へ上がる。
いかにスムーズに上がるか…
いや、いかに美しく、無茶な事をするか…かな。
腕の力だけで登ったポールのてっぺんで、カウンターに座る彼を見下ろす。
体を仰け反らせて、向井さんを見つめて服のボタンを外して脱いでいく。
目が合ってる…オレだけを見て、にっこりと微笑んでるんだ。
ゆっくりと肩から落として、そのまま仰け反って下に落とす。
頭に血が上って頬が熱くなる。
「シローーー!」
革パンの裾のジップを上げて、脱ぎやすいようにしておく。
腕と太ももでポールを挟んで、体を反らして回る。
タンゴって…情熱的な音楽だ…怒ったヒステリーな女性にも感じる…
でも、オレはうんとエロくて、優しい女になってやる。
ポールに体を添わせて、片足を上げて絡める。
まるで男に足を絡める様に、いやらしく足先で撫でまわす。
ポールにもたれて、ズボンのウエストに手を突っ込んで、ゆっくりと下へ下げていく。
背中から抱きしめられて、ズボンを脱がされてるみたいに体をくねらせながら脱いでいく。
兄ちゃん…
「シローーー!」
今日はベーシックな黒いパンツだよ?
両手を上に上げて、仰け反って足を広げる。
ゆっくりと腰を落として、股を広げて突き上げる様に腰を振る。
「シロ!シローー!」
ステージの上にはチップを咥えたお客が寝転がって、オレを待ってる。
可愛いな…
悠々と歩いて、頭の上を跨いでいく。
1人づつ丁寧にチップを口移しでいただく。
最後のお客のチップを頂いて、そのまま前屈する。
驚いた顔をしてオレを見つめるから、にっこりと笑って、そのまま逆立ちしてあげる。
「シロ…怖いよ…」
「んふ…大丈夫。オレを信じてよ…」
そう言って、逆立ちしたまま、怖がるお客の頭の向こうへ足をゆっくりと降ろす。
そのまま体を起こして、フィニッシュだ…
拍手喝采、ありがとうございます。
カーテンの奥へ退けて、適当な服を着る。
「シロ~。」
オレの名前を呼んでシュンとする楓を撫でて、ドアを出て急いで階段を上がる。
「さすがだ、綺麗だったよ!」
支配人に褒められて、片手を上げて答える。
店内に戻って、階段を降りていく。
「シロ、ずっとお休みだったじゃないか…どうしてた?智は?」
「ん、もう辞めちゃったんだ…」
常連客にそう言って、そそくさとカウンターの向井さんの元に向かう。
階段を降りる時から、今もずっと、オレだけを見てる彼の元へ向かう。
汚い服じゃない、髭もきちんと剃られた、綺麗な向井さん…
「シロ…綺麗だったね。」
そう言って微笑みかける向井さんを見つめながら、腰に触れると、彼の後ろを通って隣の席に座る。
「オレ、ビール良い?」
そう聞くと、良いよ。と微笑んで、オレの頬を優しく撫でる。
「外、出ないといけないから、ちょっと話したら行くね?」
オレがそう言うと、向井さんは驚いた顔をした。
「…どこに行くのさ?」
「新しく入った子が身長が高くてサイズの合う衣装が無いんだ。だから、仲の良い店に借りに行くんだよ。」
オレは眉を上げながらそう言って向井さんを見つめる。
彼は、ふぅん…と言うと、オレの頬にあてた手の親指でオレの唇を押し開いた。
オレはその指をペロリと舐めて、笑い返す。
「シロ、キスしたい…」
うっとりした顔の彼を見つめながら椅子を降りて、向井さんの足の間に入ってヘタリと体を添わせる。
手を胸に置いてじっとりと撫でて、頬を撫で上げる様に顔を上げてうっとりと見つめる。
「舌出して…?」
オレの耳元に手を添えて反対の耳に顔を埋めて低く囁く。
オレは顔を彼の正面に向けて舌を出す。
舐める様に舌を絡み付けて、向井さんが深くキスする。
舌が痺れそうなくらいキツく吸われて、絡まる舌の音が頭の中に響く。
向井さんの手がオレの衣装の中に入って来る。
「それはやめて。」
オレは彼の胸を手で押して身を引くと、眉を上げて拒否した。
向井さんは、ふふ…と笑って席を立つと、にっこり笑って言った。
「送ってあげる。」
オレには、今この人が兄ちゃんによく似た人に見える。
兄ちゃんはこんな風に、エロくしない。
支配人が180㎝超えの衣装があるお店を探してくれていた。
後は引き取りに行くだけなんだ。
「話は付いてるから、気をつけてな~!」
支配人はのんきにそう言って手を振ってる…
本当はあんたがやっとくべき事なんだよ?
全く!どうしようもないジジイだ。
6月なんてもうすぐ夏なのに…夜はそんなの関係ないね。
雨上がりの空気に、肌寒くて体が震える。
「あ、向井さん、路駐してるね?ダメだよ?」
向井さんは堂々と路駐している車にオレを案内した。
後部座席を開けて、どうぞ?と言う。
オレは言われるままに後部座席に乗りこんだ。
おっきい車だ!乗り心地よし子だね。
「シロ、奥に行って?」
そう言うと、向井さんまで後部座席に乗って来た。
シュールだろ?
2人で後部座席に座ってさ…
「誰が運転すんの?」
吹き出してオレがそう聞くと、向井さんはオレの体を撫で始めた。
「シロ、一回で良いから…ね?」
我慢できないの?可愛い…いや、可愛くない。
オレは靴を脱いで体を乗り出すと向井さんにキスをする。
向井さんはオレの顔を両手で包んでキスを続ける。
「…挿れたいの?抜きたいの?」
荒い息使いでそう聞くと、オレに頬擦りしながら熱く吐息を吹きかけ言った。
「シロを抜きたい。」
オレは向井さんの方を向きながら椅子に腰掛けてズボンを下げた。
半立ちのモノが出て来て、向井さんは屈んでそれをしゃぶった。
「ん…んっ、はぁ…はぁ、ね?もう…ダメだよ?仕事…出来なくなっちゃうからね?…んっ、あぁん…、んっ…」
気持ち良くなって、後部座席の端に寄り掛かったままズルズルと滑り落ちていく。
ズボンを片足だけ脱がせて足を広げさせると、顔を沈めて熱心に咥えて扱く。
…きもちい、こんなの…挿れて欲しくなる…
「…はぁ、はぁ…んっ、きもちい…挿れて…ねぇ、向井さん…んぁっ!あぁ…挿れてよ…ねぇ」
挿れて欲しくて彼の髪を掴む。
向井さんは口で扱きながら、オレの穴に指を入れて中を広げていく。
「あっ、あぁん…んっ、んん…はぁ…ん…」
オレは顔を仰け反らせて快感に身もだえる。
…イキそう…まだ挿れてないのに…イキそうだ。
彼のくれた快感は…本能の様に抗えない衝動になるみたいだ。
こんなにセックスに溺れるなんて思わなかった…
兄ちゃんが死んでから…こんな欲求、消えたと思っていたのに。
与えられる快感に体が喜んでるみたいに跳ねる。
「シロ、イキたい?」
「ん、や、やだぁ…挿れてよ…んんっ…」
随分と嬉しそうな声だ…オレが乱れるの好きなんだね…
「…あっ、ぁあ…向井さんの…おちんちん、挿れて…」
オレは腰をくねらせて、トロけた瞳でおねだりした。
「…シロ、かわい。」
そう言うと、向井さんは自分のズボンから反り立ったモノを出して、オレの中に挿れていく。
「ぁあっ!んっ…きもちい!あぁっ…あぁん!」
快感で体が仰け反って、頭の上に上げた両手で車の座席を掴む。
向井さんが腰を動かす度に、オレの体が喜んで跳ねる。
ギシギシ音をさせて車が揺れる。
イキたい…このままイカせて!
「シロ…イキたい?」
オレに覆いかぶさる様にして腰を動かしながら聞いてくる。
オレは潤んだ瞳で彼を見て、コクコクと頷く。
「んっ…イキたい…はぁはぁ…イキたいの…!」
オレの顔を見て、口元を緩めて向井さんが言う。
「ふふ、かわいい…イッていいよ…」
「んんんっ!ぁああっ…ん!はぁ…はぁ…ん…」
オレはすぐに派手にイッた。
お腹に自分の精液がかかるのが分かる。
すごく、あったかい…
向井さんはそれを啜る様に舐めると、オレのモノを綺麗に舐めてパンツを履かせる。
精液が主食の妖怪みたいだ…
兄ちゃんに見える瞬間すらなかった…
ずっと、向井さんのまま、彼に抱かれた。
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