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第12話
エントランスへ向かって階段で控室へと戻る。
仲では楓が入念にストレッチしてる。
「楓、今日は何踊るの?」
オレはソファに腰かけてストレッチする楓を見上げる。
実はこの子が踊ってる所をまだ見た事が無い。
支配人が気にしてるみたいだし、今日は見て見ようかな…
「凄い技、考えちゃった…」
そう言って楓はムフムフ含み笑いをする。
凄い技…?
「どんな?」
オレは前のめりになって聞いた。興味があったんだ。こんな長身で見た目が良い子の技が気になった。
「向こうで見てて?」
楓はそう言うと、長い手を伸ばして美しく揺らめかせる。
それは…気になるね…!
オレはソファから立ち上がると来た道を戻ってステージの縁に移動する。
「シロ、この前のSM対決の動画見たよ。可愛いじゃん、今度やってよ。」
常連のお客がそう言ってオレにチップをくれる。
「んふ、そうだね~!やってみようかね?」
愛想良くそう言って頬にキスする。チップのお返しだ。
鞭なんて悪い奴をやっつけるだけだよ?SMなんて好きじゃない。
痛いのも嫌だし、傷つける事を楽しいとも思わない。
ただ、オレの見た目が…SMの雰囲気にドはまりしちゃうんだ。不本意だけどね…。
オレは心優しい子だよ?虹とお花畑が似合うんだ。
店内の照明が落ちて、ステージが煌々と明るくなる。
スポットが当たって、カーテンを照らす。
「シロ、見っけ!」
常連のお姉さん方に掴まって、団子になってステージに押し倒される。
「あは、ダメだよん…ダメ…!」
そう言いながらお姉さんの体を触る。
「このエロガキっ!」
頭を叩かれながらキャッキャと喜ぶと頭の上を楓がポールで回る。
凄い…風を切ってる…カッコイイ…!
オレもあんな風に見えてる…?
「これ、咥えて…?ほら、あ~んして?」
お姉さんがオレの口にチップを運んでくる。
「お姉さんが口でして?そうしたらオレはちゃんと受け取るよ?」
オレはそう言ってお姉さんの腰を掴んで自分に引き寄せる。
ん!柔らかい!気持ちいい!
「…ぶっ飛ばすよ?」
据わった目で凄まれて、しょんぼりして手を離す…オレはメンタル弱いもん。
口に押し込まれるチップを咥えて、1人早すぎるステージの上に放置される。
絶対タイミング早いと思うんだよね…
たまに楓と目が合うけど、オレは彼のステージを下から見てる。
思った以上にこのアングル。かっこいいんだ…!
楓のステージが終盤を迎えて、他のお客が我先にステージに寝転がる。
そうだね…彼はとっても美しい。そして、ダイナミックだ…
他のお客のチップを受け取ると、楓がオレを見つめる。
おもむろに四つん這いになって、ハイハイしながらこっちに来る。
そういう姿も、楓なら…さまになるね。オレはどうなのかな…
ん?
近くまで来た楓の様子がおかしい…
「ギャオギャオ!」
え…何?何があったの?
オレを見つめる楓の目の色が変わる。それは…まるで野生の虎だ!
「ぶはっ!アハハ…!」
その様子に吹き出して笑うと、口にはさんだチップがヒラヒラと飛んでいく。
「ンギャーッ!!」
叫び声をあげて楓がオレに飛び掛かって来る!
それはまさに弱肉強食!阿鼻叫喚!
パラパラと舞い落ちるチップの中、楓がオレを捕食する。
「だ~はは!だめ!楓!だめ~!だははは!」
ステージの上を逃げるオレを追いかけまわして、飛び掛かっては体を切り裂く真似をする。
それが、優しい手付きで…こしょぐったいんだ。
何なんだ…!これは一体…何が起きてるんだ!
お客もオレも大笑いしたけど、階段の上から見てる支配人は怒った顔をしてる。
あぁ…やっちゃったね…楓。
「斬新で良かったよね?」
ステージが終わって、オレが常連のお客にそう言うと、彼らを口を揃えて言った。
「楓ちゃんは何するか分かんなくて、面白いんだ!」
そうなんだよ、智にも会わせたかった…
きっと、もっと…楽しかった筈なんだ。
智…ごめんね
ステージの上を歩いて、カーテンの奥へ行く。
「うちはお笑いパブじゃねんだからさ…」
控え室で、シュンと落ち込む楓に支配人が説教してる。
ソファに座ってそんな2人を眺める。
「途中までの構成は良かったね?」
オレがそう言うと支配人がジロリと睨んで来る。
口を挟んじゃダメだったみたいだ!
オレはDJの所に行き、今日の曲を違うのに変えたいと伝えた。
控え室に戻って違うメイクをして別の衣装に着替えると、楓にチップを取りに行く時のレクチャーを長々とした。
「そんな時に役に立つパターンがいくつかあって、それを覚えるだけでもグンと楽になるよ?」
オレはそう言って、長話に項垂れる楓に、更に長々と話す。
「シロ、頼むよ!」
あっという間に時間が過ぎて、支配人から声がかかる。
カーテンの前に立って深呼吸する。
今日の衣装は、黒い大きめのワイシャツと、ネクタイと、大きなトランクス。
オレがザ・ストリップと名付けたこのレパートリーはオーソドックスなストリップの振りとアレンジした振りが入ってる。
イメージとしては、飲んだくれたサラリーマンが街を歩いて家に帰る感じ…だとオレは思ってる。アクロバット要素が多いので見栄えとインパクトは良いんだ。
その代わり結構、体力を使うんだ…
楓の踊りを見て、これが無性に踊りたくなった!
口元が緩んで、1人ニヤつく。
大音量の音楽と共に目の前のカーテンが開いて、ステージにわ~!と叫びながら走って行く。
だって、オレは今、酔っ払いだからね?ふふ。
勢いを付けて、思いきりポールに飛び乗って、クルクルと回る。
体を仰け反らせて回転しながらポールを丁度良い高さまで降りていくと、手を離して、ゆっくりとバク転しながらポールから離れる。
ヨロヨロと動いて、すっ転んだみたいに開脚して寝転がると、お客が一気に笑う。そのまま、転んだことを誤魔化すみたいに、うつ伏せになって可愛く足をバタバタさせる。
ゴロンと仰向けになって足で踏ん張りながら腹筋で起き上がる!
ぬおおおおお!!
…結構、タフだろ?
電信柱に見立てたポールに掴まって、ゲロを吐くふりをする。
「シローーー!しっかりシローーー!」
ぷふっ!つまんねぇこと言ってんなよ…クソ面白いだろ…
ポールに掴まったまま片足を後ろに引いて、思い切り前に蹴飛ばす。
その勢いのまま逆立ちして、ポールの上の方に足首を絡めて止まる。
ゆっくり回りながら降りて、太ももでポールに掴まって体をしなやかに起こしていく。
のんびりとワイシャツのボタンを外して、肩から落として肌を見せていく。
その後、首に残ったネクタイを蝶結びにして、ポールに持たれながら愛想を振りまき衣装のトランクスを脱いでいく。
ステージに仰向けに寝転がるお客に、耳かきの様に膝枕したり、顔のマッサージしたりする。
あ、陽介先生もチップくれるの?
オレは先生が手で渡すチップを四つん這いで取りに行く。口を開けて目で入れろ!と言うと、先生は顔を赤くして視線を逸らしてオレの口にチップを挟んだ。
あぁ…この人は正真正銘の、のんけだ。
最後に派手にポールに登ってサルみたいに揺らす…これで、お終いだ。
酔っ払いが家に帰るか…道で倒れるか…さらなる暴挙を繰り広げるか…いつも最後まで分からない。
オレの気分次第なんだ。
今日は暴挙を繰り返す、質の悪い酔っ払いを踊った。
「あー!楽しかった!」
オレがそう言って控室に戻ると、支配人が仁王立ちして待ち構えてる。
「お前までふざけて…怒られたいのか?」
「ん、もう!分かってないな…良い?あれはコミカルに見えるけど、ちゃんとセオリー通りエロの要素が入ってるんだよ?」
オレはそう言って怒った顔の支配人にトクトクと説明を始める。
それは隣で聞いてる楓があくびをし始める程、長く続く。
「…ね?そうだろ?」
オレは得意げになって支配人を見つめる。
支配人はぐぬぬ…!とした表情になって吐き捨てる様に言った。
「…フン!次はちゃんとしたやつ踊れよ!ダメだかんな!」
控え室のドアがバタン!と大きな音を立てる。
全く!簡単にやってるように見える事ほど、実は大変なんだよ?
分かってないね。やれやれだ!
オレは黒のTシャツとダメージジーンズを履いて店内に戻った。
「シロ、面白かったよ~!エロエロ…エロエロだったぁ~!」
酔っ払いに絡まれて、ついでに褒められる。
「もう、お姉さん、飲みすぎ!水飲んで?」
オレはそう言って、ウエイターに水を頼んで酔っ払いから離れる。
陽介先生のいるカウンター席まで、チップを受け取りながら向かう。
「シロ!ネクタイは社会人の基本だぞ?あんな風に…可愛くしたらダメなんだぁ!」
ハイハイ…チップをちょうだい!
社会人の基本を教えながらオレの体にしなだれかかる中年のお客。
「お兄さんも飲み過ぎ!上手に飲まないと追い出されるよ?」
オレはそう言って、またウエイターに水を頼んで、同伴のお客にチェックのサインをする。
「部長…帰りましょう?」
そうだ、帰れ!部長!チップを置いて、帰れ!
やっとの事でカウンター席まで戻る。
オレを見つけると陽介先生が凄い勢いで飛びついて来る。
「シロ!凄かった…エロカッコ良かった…! ねぇ、レパートリーいくつ持ってるの?俺、全部見たいんだけど…!!」
オレの腕を両側から掴んで、目を輝かせながら陽介先生が聞いてくる。
つばは飛んでない、でも飛びそうな勢いだ。
「…ふふ、ありがとう。だいたい25個位は持ってるよ。飽きたら新しいのを考えたりしてるから、あまり把握してないんだけどね。」
オレはそう言って笑うと、ちらりと向井さんを見た。
彼はオレを見つめて微笑んでる。ずっと見てるんだ…
その目が…素敵に見える。
「あのバーに乗るやつどうやってるの?腕見して?細いよね?なんで出来るの?」
そう言ってオレの腕を掴んでまじまじと眺めると、驚いた顔をしながらオレを見つめて来る。余りにも食いついて来るから、おかしくて吹き出して笑っちゃった。
「ふふ…じゃあ、ちょっと付いて来て?」
オレはそう言って陽介先生の手を掴むと、ステージへ引っ張って連れて行く。
おどおどする陽介先生を引っ張ってステージに上げる。
他のお客がその様子を肴にお酒を飲んでる。よくある光景だ。
「ここ持って、こうして足を後ろにして…前に蹴り上げる時に重心も移動させるんだよ?やってみて?」
オレがそう言うと、陽介先生はポールを掴んで言った通りに動いた。
そして、派手にコケた!
「んふふ!!」
典型的なコケにオレは口を押えて笑った。
だって、すっごい面白かったんだもん。本当は指を差して大笑いしたかったよ?でも、可哀想じゃないか!初めてなんだ。ふふ。
ポールの簡単な登り方や途中で止まる方法もレクチャーしてあげる。でも、いつも使う筋肉とは違う筋肉を使うからなかなか上手く出来ないみたいだ。ポールダンスでは背筋と内ももの筋肉、姿勢をキープしてバランスを取るインナーマッスルが必要なんだ。
「めっちゃムズイ…!」
「先生なら10回くらい練習したら出来るよ?」
オレはそう言って、落ち込む先生の肩をポンポン叩いて励ました。
まぁ、こんな事出来ても何の役にも立たないけどな!
「シロ、俺、明日も来るよ。」
陽介先生は色んなダンスが好きなんだ。だからポールダンスの魅力も感じちゃったようだ。
「明日は8:00と12:00にやるから、好きな方に来たら良いよ。」
オレはそう言って先生をお店の外までお見送りしてあげる。
外の空気は雨でも降るのかじっとりと湿ってる。
陽介先生が、クルリと振り返ってオレを見る。
「あのさ、カウンターにいた人って誰?」
それは好奇心なのか…向井さんの事が気になったみたいだ。
「あぁ、あれは…オレの良い人だよ?」
オレはそう応えて、首を傾げた。
「そっか、じゃあまた明日!」
そう言うと、陽介先生は颯爽と歩いて帰った。
しかし、見事なコケだったな…
オレはクスクス笑いながら階段を降りて、カウンター席に座る向井さんに会いにいく。
戻って来るオレを見て、随分かわいくニッコリ笑うね?
オレは向井さんの首に手をかけて、顔を屈めてあいさつ程度のキスをした。
「シロ、あの人は誰?」
向井さんはそう言うと、オレの体を後ろから抱きしめる。
へぇ…気になっちゃうんだね。
オレは顔を彼の胸にスリスリしながら教えてあげる。
「ダンスの先生だよ…?オレ、アイドルのバックダンサーのオーディション受けるんだ。でも基本が分からないから、教えてもらってるの。」
オレがそう言うと、ふぅん…とつまんなそうに言って、オレの顎を指先で撫でた。
顎クイして自分の方を向かせると、じっと見つめて口元を緩めた。そんな彼の優しい顔にじっと見入ってしまう。オレに軽くキスすると、うっとりした目を細めて彼が言った。
「シロがアイドルなんじゃないの?」
「ぷぷ!なにそれ!」
変な事言うから吹き出して笑った。
この人変なんだ。おっかしいの。
そう、初めて会った時もこんな感じだった。
「ねぇ、向井さんもポール登ってみる?」
オレがふざけてそう言うと彼はオレを見て歯を見せて笑った。
「あはは…シロの個人レッスンだったら、受けたいな。」
そんな風に楽しそうに笑う所なんて初めて見たよ。
かわいい顔するんだね、向井さん。
まるで毒が抜けた様に笑う彼の腕を抜け出して聞いてみる。
「ねぇ、向井さんは、どんな仕事してるの?」
隣の席に座って、マスターにビールを注文する。
「どうして?」
そんな事も答えられないような仕事をしてるの?
警戒してるのか、それとも、もともと自分の事を話したがらないのか…オレを見ながら首を傾げて彼はそう言った。
マスターからビールを受け取って一口飲むと、向井さんに指を差して言った。
「コメディアンとか…適職なんじゃない?」
「ふふ…!何それ…」
オレの言葉に吹き出して笑うから、続けて言ってやった。
「だって、面白過ぎるよ?あんなに笑ったのは久しぶりだよ?お笑い芸人になったら良いじゃん。」
オレの話をニコニコしながら聞く彼からはクズさが透けても見えない。
「芸名は…何が良いかな?」
そう言ってオレの髪を撫でるから、オレは彼をじっと見て言った。
「クズ太郎!」
「あはは…なんだよ、それ。苗字は無いの?」
「無い。ただのクズ太郎…それか、向井クズ太郎。」
だってどうせ偽名だろ?
「嫌だ…もっと可愛いの考えてよ…」
そう言って頬杖を付きながら向井さんが笑う。まるで甘えてるみたいに、可愛らしい笑顔で、オレを見ながら目を細める。
不思議だね…今日も彼は兄ちゃんに見えない…
向井さんのまま、オレとおしゃべりしてる。
でも、向井さんのままでもオレは十分に満たされた。
ただ、心の底から信じて無いってだけ。
早朝に母親が死んだと弟から連絡を受けた。
オレは仕事から帰って丁度寝始めた頃だった。
「母さん肝硬変で死んだ…」
電話を取った時の弟の第一声がこれだ。
その時からずっと、携帯を手に持ったままベッドの上で固まっている。
外では足早に歩く人々の足音が聞こえ始める。
もうすぐ7:00を迎える。
オレは微動だにしないで宙を見据える。
家族に会うのが怖い…
あそこに戻るのが…怖い。
「ねぇ、今何してるの?」
動揺を隠して、落ち着いた声でそう尋ねる。
「シロ、おはよう…何かあったの?」
電話口の相手はオレの取り繕った様子が分かるみたいに、心配そうな声を出す。
オレは口元を緩めながら彼に話し始める。
「ねぇ…この前テレビで言ってたんだけど、冷たい飲み物は体に悪いんだって…本当かなぁ…?」
そんなどうでも良い話を振って、彼の返事を待ってる。
「ん、冷たい飲み物って…例えば?」
彼はそう言ってオレの返答を待ってる。
朝の忙しい時間、お前も出勤の準備でもしてたんだろ?
たまに聞こえてくる生活音に、口元が緩む。
「う~ん…冷えた麦茶とか…?」
オレは目を瞑ってそう言うと、お前の声が聞こえるのを待ってる。
「え…麦茶って体に悪いの?」
半笑いの声でそう言って、依冬が驚いてる。
「んふふ…内臓が、冷えるんだって…」
オレはそう言って耳に届く彼の笑い声を聴く。
こんなどうでも良い話をして、彼の貴重な時間を潰す。
…声が聴きたくてかけたんだ…だから、これで良いんだ。
「もう、寝る~!」
そう言って一方的に通話を切った。
携帯を手のひらに乗せて布団のしわを見つめる。
どうする…行くの?
だって、健太から電話が掛かってきたじゃないか…
でも、怖いんだ。
兄ちゃん…どうしよう…
携帯を眺めて向井さんの顔を思い出す。
かけるの?あの人に…?助けてもらうの?
怖いから一緒に付いて来てもらうの?
あの時、兄ちゃんにしたみたいに…縋るの…?
違う…
あの人は兄ちゃんじゃない…オレは1人なんだ。
携帯を手から離して、ベッドから降りてシャワーを浴びる。
通勤ラッシュの余韻がまだ残る駅、電車の窓から外を眺める。
目の前を通り過ぎて行く電信柱の数を出来る限り数えて、頭の中から余計な事を追い出す様に、何かに集中してやり過ごす。自分の弱い声をシャットアウトする様に、淡々と、目的地に向かう。
東京駅について、新幹線に乗る。
平日の新幹線はガラガラで自由席にはサラリーマンがまばらに座っている。
オレはデッキで新幹線のドアに設けられた小さな窓から外を眺めてる。
トンネルに入って暗くなる度、窓に映る自分の表情が暗くて笑える…
家族に会うのが怖い…
逃げ出したい。
窓の外の景色が、紙芝居の様に様変わりしていく。
高層ビルの群れだった景色が、ベッドタウンを抜けて、緑の多い景色へと変わって行った。そして、またベッドタウンを経て、ビルが立ち並ぶ景色を写し始める。
海が見えて来た…
もうすぐだ。
名古屋駅に着いて、タクシーに乗った。
お昼過ぎには病院へ着いた。
兄ちゃんが運ばれたのもこの病院だった…
すくむ足を無視して病院へ入る。
知ってる廊下を通って地下へ向かう。
湿った空気の廊下を歩いて進むと前方に見えるベンチに腰掛けた知ってる顔と目が合った。
「健太…」
名前を呼ぶ目の前の部屋を指さした。
「顔見てやって…」
溜息を吐く様にそう言うとオレから視線を外す。
言われるまま部屋に入り、横たわる物の顔に掛かる小さな布をめくった。
…こいつ、こんな顔だったっけ…
オレの父親を憎んだ女。
小さなオレに売春させた鬼畜な女。
オレを虐めぬいた女。
きたねぇな…
そんな事しか思えなくて、そっと戻して部屋を後にする。
廊下に出ると健太がオレを見上げて話し始める。
「ずっと患ってて入退院を繰り返してた。俺も仕事があるから、しょっちゅうは来れなかったけど、結局どんどん悪化して…昨日、死んだ。」
「そうか…大変だったな…。」
オレはそう言って、ただ目の前の弟に頭を下げた。
そんなオレに軽蔑した目を向けながら、健太は、フン!と顔を背けた。
「あんたは良いよな…兄さんからも母さんからも逃げてさ。残った俺ばかり嫌な思いして…!」
健太はそう言うとオレを睨んで唇をかみしめる。
「ごめん…」
それしか言えなくて項垂れる。
親族はオレたちしかいない。
だから、葬式なんてしないで、焼いたら直ぐに墓に納める事になった。
「後で火葬場で焼いてもらう。明日、兄さんと同じ所に入れてもらうから、それまで逃げないで居ろよ…!」
そう釘を刺されて、オレは、うん。と頷いて答えた。
目の前の健太はオレの最後に見た健太よりも少し体が大きくなっている様だった。
年齢の割に着慣れた様子のスーツから、彼が進学しないで就職をしたんだと推し量った。
オレの1つ年下の弟、健太。今年の11月で20歳になるはずだ…
昔から弟には嫌われてた…それはよく分かってる。でも理由は知らない。
病院を出ると空は快晴で心地よい風が頬を撫でて掠める。
葬儀社の車が病院にを横付けされて、遺体を乗せて火葬場まで運ぶ。
健太はオレを自分の車に乗せて、葬儀社の車の後を追いかける。
「俺の部屋、他の人も住んでるけど一泊なら泊って良い…」
そう言って、シフトレバーに手を置いて慣れた様子で運転をする、オレの弟。
バックミラーに掛けられた芳香剤が、車に動きに合わせてユラユラと揺れる。
「…なぁ、覚えてる?兄さんの葬儀の時の事。」
前を見据えたまま、健太が話しかけて来る。
オレは自分の膝に視線を落として、小さい声で応えた。
「…覚えてる。」
当時オレは16歳で、健太は15歳。
オレは喫茶店のバイトをしていて、その日も朝から働いていた。
店の電話が鳴って、何の気無しに受話器を取った。
オレ宛の電話の内容は兄ちゃんの自殺を知らせる内容で…聞いた瞬間、頭が真っ白になったのを今でも覚えている。
駆けつけた病院の霊安室で、泣き崩れる母と弟をぼんやりと眺めた。
そのまま兄ちゃんを家に連れて帰り、畳の部屋に置いた。
母は珍しく外出もせず、すっぴんのままずっと鼻をすすりながら泣いている。
弟は兄ちゃんの遺体の傍で手を握っていた。
オレは離れた所から、ただそれを見ていた…
お坊さんが来てお経をあげてる最中も、焼香する時も、オレは兄ちゃんを見れなかった。ただ、兄ちゃんを見て泣く2人を見ていた…
「シロはなんで兄さんの側に行かないの?あんなに良くしてもらったのに…問題ばかり起こして…あんたが死ねばよかったのにっ!」
やり場の無い憤りをぶつける様に、母親がオレの横っ面を吹っ飛ぶくらいぶん殴った。
頭がキンとして鼻の奥に血の匂いがしてツンと痛くなる。
オレの髪の毛を掴んで殴ったり…蹴ったりする母親に、オレは抵抗なんてしないでじっと我慢した。
健太はそんな様子を黙って見ていた…
…兄ちゃんは、もう助けてくれないんだ。
殴られ続ける間ずっと床を見ていた。
体に受ける痛みよりも、お前が死ねば良かったという言葉が、胸に突き刺さった。
だって、オレもそう思ったんだ…
夜中、みんなが寝た後オレは兄ちゃんの傍にこっそり行った。
隣に正座して硬くなった手を握る。
頭を兄ちゃんの腹に乗せると冷たい空気が頬を撫でた。
冷たくて硬い肉の塊に感じて、体を起こして兄ちゃんの頬を撫でた。
冷たくて鈍い。
「にぃちゃん…」
それしか言えなかった。
一晩一緒に過ごして、次の日には棺の中に入ってしまった。
2人が棺にしがみ付いて泣いてる姿を見て、オレはただ、2人の後姿を見つめるしか出来なかった。
葬儀社の人たちが兄ちゃんの棺を運んで、2人が泣きながらついて行く。
オレはただその2人の後ろをついて行った。
炉に入れられる時も、火葬場で焼かれてる間も、何も感じなかった。
だけど、骨になってしまった兄ちゃんを見て、突然足に力が入らなくなって、へたり込んで立てなくなった…
宙を見て、込み上げてくる気持ちが、悲しさなのか後悔なのか分からないでいた。
そんなオレを無視して、母と健太は兄ちゃんの骨を拾っていた。
寺にある代々の墓に納骨して、お経を読んでもらう間も、涙は出なかった。
涙なんて流れなかった。
目の前の事に理解が追い付かなかったんだ…
何が起きたのか…分からなかったんだ。
「あの時、一回も泣かなかったの、なんで?」
黙りこくるオレに健太が責めるような口調で問いかけて来る。
「分からない…」
オレはそう言って、焦点の合わない目で自分の膝を見つめる。
「兄さんはさ、あんたばかり可愛がっていたよね?覚えてる?!」
信号で車が停まると、反応の薄いオレに苛ついた健太が、オレを見ながら怒鳴り始める。
「特別扱いされてたのに…、大事にされてたのに!なんで!涙のひとつも流さねぇんだよっ!」
そう言って、オレの肩を殴る。
オレはただ、前のめりによろけて痛みを耐える。
兄ちゃんの納骨の後、オレは早々に家を出たんだ。
だから弟はずっとモヤモヤした気持ちを溜め込んでいたんだろう…
「突然で…」
オレはやっと出た小さな声で、健太に話す。
「よく分からない…」
オレがそう言って黙ると、健太は更に激昂して言った。
「俺の気持ち、考えたことある?いつも兄さんを独り占めして、甘ったれやがってさ!俺だってもっと一緒にいたかったのに!あんたばかり…!なんでだよっ!」
「お前…兄ちゃんがオレに何をしていたか…知ってるだろ?」
オレの言葉に反応して、健太が大人しくなった。
知ってんじゃん…知ってるのになんで…
オレの言葉を最後に車内は静かになった。
兄ちゃんの居なくなった場所に…オレの居場所なんて無かった。
それは今も変わらない…何も変わらないんだ。
火葬場に着き、遺体を焼いてもらう。
用意された部屋で、健太と2人無言で待ち続ける。
携帯が震えて着信を知らせる。
オレは携帯を手に部屋を出た。
廊下に出て通話ボタンを押して、携帯を耳にあてる。
「…シロ?今、どこにいるの?」
あぁ…
「今…名古屋。母さんが死んで、焼いてる…」
オレがそう答えると、電話口の相手は驚いた様子で黙った。
沈黙が続く中、オレは彼の後ろから聞こえる車の音を聴いた。
「…今から、行くから。」
電話口の相手はそう言うと電話を一方的に切った。
オレは携帯をポケットにしまって部屋に戻る。
「…兄さんは、あんたに何もしてない…!」
オレを睨みつけて、歯を食いしばりながら健太がそう言った。
握りしめた手が膝の上で小刻みに震えている。
あ…
オレは気付いてしまった…
胸がドキドキ跳ねる程に高鳴る。
健太の付けている腕時計…兄ちゃんのだ。
オレは生返事をして椅子に座り直すと、彼の手元を凝視した。
どうしてお前が持ってるの?それは…オレの物なのに…
オレの兄ちゃんの物なのに…
オレの視線に気が付いた健太が腕時計をスーツの裾に隠した。
「…それはオレの物だよ?」
オレはそう言って健太の顔をグルグルのブラックホールで見つめる。
「…あんたは葬儀の後、とっとと東京へ行ったじゃないか…だからこれは俺が貰った。」
そんな馬鹿な話ある訳無いじゃないか…
オレは立ち上がって健太に歩み寄る。
「返せよ…それは、オレの兄ちゃんのだ。」
そう言って健太の目の前に手を差し伸べる。
オレの手を払って健太が怒鳴った。
「これは!兄ちゃんの遺品整理をしてる時に出て来たものだ。だから、俺が貰ったんだ!そんなに欲しかったら、遺品整理をすればよかっただろ!とっとと逃げた癖に…今更、笑わせんじゃねぇよっ!!」
オレは健太を見下ろしたまま固まった。
おかしいじゃないか…
だってそれは、オレの兄ちゃんの物なのに…
愛されてもいないお前が持つなんて…おかしいじゃないか…
オレは自分の椅子に戻ると健太を見つめながら椅子に座り直した。
目の奥にグルグルのブラックホールを湛えたまま、彼を凝視する。
お前はどうやら、兄ちゃんが大好きだったみたいだ。
そんなに拘るなんて…思わなかったよ。
兄ちゃんが亡くなった時も…あんなに取り乱すなんて…思わなかったよ。
確かに一緒に暮らしていた筈なのに、オレはお前の事を何も分かっていなかったみたいだ。
母の骨を拾い、小さな壺に詰めた。
納骨は明日する。
今日はこのまま健太の部屋にお邪魔させてもらった。
「お帰り、あ…初めまして。」
健太の部屋には同居人がいた。俺の推測だと彼は健太の恋人だ。
「ちょっとだけお邪魔します。」
オレはそう言って、健太に促されて部屋にあがる。
「お兄さん、かわいい…」
恋人の言葉に苛ついた健太は、奥の襖の開いた座敷を指さして言った。
「あの部屋使って良いから…あまりウロチョロしないで?」
オレにそう言うと、上着を脱いでハンガーにかけた。
健太の腕にはやっぱり兄ちゃんの腕時計が付けられていた…
「ありがとう…。でも、今日はホテルに泊まるよ。少しだけ人を待たせて…?」
オレは健太にそう言うと指定された部屋にチョコンと座った。
…居心地は最高に悪くて最悪だ。
早く来てくれないかな…依冬
「シロ、口についてるよ?」
そう言ってオレの口元を舐めると親指で拭う兄ちゃん。
それを見て、健太も同じように口の周りを汚して見せる。
兄ちゃんは笑ってティッシュを渡すと、拭いて?と言った。
明らかな対応の違いが間違いなくそこにはあった…
オレは気付いていたけど、気にした事は無かった。
兄ちゃんはオレにだけ優しかった。そしてオレはそれを疑問に思った事が無かった。
健太がキャンプに行きたがった時も、兄ちゃんは終始話を濁していた。
オレが行ってみたいといった瞬間、何処に行きたい?と聞いて来た。
それが…嫌だったのかな?
そういう態度の違いが…嫌だったのかな…?
母親のヒステリーが始まると、兄ちゃんはオレを背中に隠して庇ってくれた。
オレを殴りでもしたら、母親を突き飛ばす勢いで守ってくれた。
兄ちゃんがいる時だけ…オレは守って貰えたんだ。
母親は健太には手を上げなかった…だから、いつもオレだけ殴られた。
兄ちゃんがオレを特別扱いするという事は、健太を蔑ろにするという事。
母親がオレしか殴らないのは、オレの事が憎くて嫌いだったから。
オレは健太が殴られない事を、ズルいなんて思った事は無かった。
でも、健太はオレが兄ちゃんに守ってもらう事をズルいと思うんだ。
どうしてなのかな…
よく、分からないよ…
人の気持ちを経験から予測する事は出来ても、ゼロから想像する事が苦手だ。
だから健太がオレをどう思っていたかなんて、正直分からない。
オレも健太の事をどう思っていたのかなんて覚えていない。
兄ちゃんと自分の事だって、ちゃんと思い出せないんだ…
ぐちゃぐちゃの自分の頭の中。
何かを正そうとすると必ずどこかが歪む。新しく出来た歪から痛みと血が流れるんだ。
だからそのままにしておく。
ぐちゃぐちゃのまま、何も正さないで、見ない振りをする。
窓を開けて外を眺める。
兄ちゃんが生きていた名古屋に戻る事が怖かった。
逃げる様に東京へ行ったから…戻る事が怖かった。
携帯電話を取り出して、時間を確認する。
依冬…いつ頃、着くかな…
携帯電話を手に取って支配人に欠勤の連絡を入れる。
「もしもし?支配人?シロだよ。あのね…」
不穏な気配を感じて、携帯を耳にあてながら視線を動かす。
開いたままの襖の部屋。
隣のリビングにユラユラと揺れる人影を見つける。
じっとこちらを伺う影に気付かれない様に警戒する。
あの男、危険だな…
それは同居してる健太の恋人。
「お兄さん、すごくかわいいね?」
そう言いながらオレの座る部屋に入ると、顔を覗き込むようにしゃがんだ。
口元がニヤけて嫌な感じだ。
健太は…どこにいるんだよ…
「そうですか?あんまりそういう風に言われた事はないな。」
オレはそう言って首を傾げると、視線を外して窓の方を見た。
オレはお前とは話さない…
そんなオーラを出しながら窓の外を眺める。
視界の隅で、健太の恋人が動くのが見えた。
オレの方へ体を倒して近づいてくる。
「やっぱり、小さい頃からやり慣れてると、無理やり抱かれても、気持ち良くなるの?」
…なんだコイツ
オレの傍に座ると、健太の恋人はそう言ってオレの方へと体を倒してくる。
何で、そんな事…知ってる。
健太が教えたの?いや、健太は母親が外に連れ出していた…知ってる訳無いんだ。
何でお前が知ってるんだ…気持ち悪いな。
オレは体を起こして立ち上がった。
健太の恋人はオレの肩を押さえて言った。
「待てよ…」
待つわけがない。オレは肩に置かれた手を払うと再び立ち上がろうとした。
「ねぇ、キスだけしてよ?かわいい子としたい…沢山、相手したんだろ?良いじゃん、ね?俺とするくらいどうってことないだろ?」
健太の恋人はそう言うと、オレの肩を押さえて顔を近づけて来る。
最悪だな…まるで盛りの付いた駄犬だ…
オレは近づいてくる顔面に、思いきり頭突きをして逃げ出した。
打ち所が良かったのか…健太の恋人はノーダメージの様子でオレの足をすぐに捕まえる。
そのまま引っ張り寄せて、無理やり畳に押し付けられる。
「離せよっ!お前、健太の恋人だろ?やめろよ!離せ、離せよっ!」
そう言って暴れるオレの体に圧し掛かると、クンクンと匂いを嗅いでくる。
くそ気持ち悪い…
「何歳?何歳からエッチしてたの?」
ムカつく!
「離せ!」
オレはそう言って体を捩って抵抗する。
「小さい頃からしてたんだろ?聞いたよ?どうだったの…?気持ち良かったの?」
そう言いながらオレの首に顔を落とすと、食むようにキスして、服の下に手を入れて来る。
「…誰に聞いた。」
オレはそう言って、健太の恋人の両頬を掴んで自分に向かせる。
オレと見つめ合って、トロける様に笑う健太の恋人。
「…健太が言った。お母さんが教えてくれたって…あいつが病気がちで看病に手がかかって売春が出来ないからって…あんたを使って荒稼ぎしたって…ニッチな商売だけど儲かったってさ。酷い親だね…?そのせいで、お兄ちゃん大好きっ子になったんだろ?俺も年上のお兄さんだよ?好きなんだろ?お兄さんが…ふふ。」
本当だ…あんたの言う通り…酷い親だ。
悪びれて無いんだ…あんな事しておいて…後悔も懺悔も無いんだ。
人の皮を被った鬼畜。
子供を虐待したり、AVに出したり、ロリコンの餌にしたり、そういう親が実際に居るんだよ…。これは本当の話。普通の人は知らないだけなんだ…。こいつらは子供を金稼ぎの道具としか思ってない。その後に、どんな傷になるかなんて…気にしちゃいないんだよ。金になるから利用する。それだけだ。
倫理観なんて物を持ち合わせて無いんだ。
人じゃない、鬼畜だからね…
「何してる!?」
健太の怒鳴るような声に、男の体がオレから退いた。
ドスドス足音を立てながら近づくと、健太は迷うことなくオレを思いきり打った。
「あんたはいつもそうやって男を誘惑してたぶらかす!本当、最低だなっ!!」
正直何が起きたのか分からなかった。
目の前に正座するクズと、オレを見下ろして肩で息をする健太を見上げる。
引っ叩かれた頬がじんじんして…怒りが沸き起こる。
「お前の男の躾がなってないんじゃないか?オレの男は見境なく他人を襲ったりしない!! 兄ちゃんも、今の男も、誰彼構わず襲ったりしない!! お前の躾がなってないんだよ!こんなダメ犬になるのはな、飼い主が悪いせいなんだよっ!」
そう怒鳴って、荷物を手に持つと玄関へ向かった。
激昂した健太が掴みかかってくる。
「兄さんは俺にだって優しくしてくれた!謝れっ!謝れよっ!!」
オレの胸ぐらを掴んで強く揺さぶって来る。
「兄ちゃんはオレにしか優しくしないっ!!オレの事しか愛してなかった!!お前のはついでのオマケだ!!」
オレはそう言って健太の腕を掴む。
「返せっ!泥棒!返せっ!!兄ちゃんの時計を返せっ!!」
オレはそう喚きながら腕時計に触れてベルトを外す。
「お前は…!!逃げたんだよっ!兄ちゃんから、逃げたんだ!!」
健太がそう言ってオレの髪を掴むと上に引っ張り上げた。
「そんなに大事なら、何で兄ちゃんを殺したんだよ!お前のせいだろ!俺は知ってるんだぞ!!お前が兄ちゃんに何をしたのか…知ってるんだぞ!!」
オレは兄ちゃんの腕時計を外して、自分の手の中に入れる。
「人殺し!兄ちゃんを殺した…!!お前が、兄ちゃんを殺したんだ…!!」
そう言って喚く健太を無視して、玄関へ向かう。
「クソったれ!返せっ!お前にそれを持つ資格なんて無い!だって、お前は兄ちゃんを拒絶した!そうだろ?!兄ちゃんが悲しんでも、苦しんでも、拒絶し続けた!」
オレの体に覆い被さって、健太が腕の中の腕時計を取り返そうとする。
オレはそれを必死に守って、体を捩る。
「放せっ!お前なんて…お前なんて…兄ちゃんに相手もしてもらえなかった癖に!いつまでもしつこく縋ってんじゃねぇよっ!あの人が愛したのは、オレだけなんだ!オレだけなんだよっ!!お前なんて…目にも入ってない、オレしか見て無かったんだからな!!」
オレがそう言うと、健太の体から力が抜けた。
見上げると、大粒の涙を落として健太が泣きじゃくる。
オレはそれを無視して、玄関から飛び出す。
やった…やった…兄ちゃんの腕時計をあいつから奪った…
手の中の腕時計を見れないまま、握りしめて、息荒く見知らぬ道を歩く。
まるで強盗の様に弟から兄ちゃんの形見を奪った…
ポケットに入れて指先でなぞる。
兄ちゃん…
もう帰りたいよ…兄ちゃん…
東京から新幹線で1時間40分くらい…。
そこから車を借りたとして、ここまで来るのにトータルで30分…。
もうそろそろ着いても良いだろ?何してるの…依冬。
なかなか来ない依冬の車を待つ間、自分の計算に東京駅までの時間が含まれていない事に気付く。…でも、あの電話の時、依冬がどこに居たのか分からないから、計算のしようが無い…
プラス…30分って事にしよう…
オレは頭の中でそう決めてあと30分。待つことにした。
目の前を通り過ぎるタクシーを何台も見送って、時折健太が追いかけて来ないか後ろを確認しながら、田舎の国道を眺める。
「来た!」
オレの方へウインカーを出して、一台の車が停まる。
依冬が降りて来てオレに駆け寄る。
オレは走ってあいつの元に行って思いきり抱きつく。
「依冬…!」
オレを抱きしめる依冬の手はあったかくて大きかった。
お前はオレにしか欲情しないよね…?
湊とオレにしか…
「見て?兄ちゃんの腕時計を奪った!」
オレはそう言って兄ちゃんの腕時計を依冬に見せる。
じっと眺めて、指でなぞって、兄ちゃんの腕時計を確認する。
「あれ…ここに傷があったはずなのに…無いね?あと、この皮もちょっと違う…掴まされたかな?」
オレはそう言って依冬を睨む。
「ダメだよ。明日ちゃんと返してね…」
兄ちゃんの腕時計によく似た腕時計は…どうやら兄ちゃんの物じゃ無さそうだ…
だからあんなにあっさり引き下がったのかな…掴まされた。
「納骨は行くんでしょ?」
「わかんない…」
あの後、名古屋駅近くにホテルを取って、ベッドの上に寝転がりながら腕時計と依冬を見つめてる。
これは偽物だ…
腕時計をサイドボードに置いて、依冬に手を伸ばした。
そのまま彼をベッドに乗せて、体勢を整える。
足は真っ直ぐで良くって…背中に枕を何個か入れよう。
そして、壁側にもたれさせて…良いね!
整った依冬の上に跨って座ると、彼の胸に顔を摺り寄せて甘えた。
この体勢すごく好きなんだ…
「わかんないって…」
そう言うと、依冬は呆れ顔をして頭を掻いた。
オレは彼の手を掴むと、自分の腰に置いて彼の胸をギュッと抱きしめた。
依冬はオレが置いた手に力を入れて、抱きしめてくれた。
彼のあったかい体にくっ付くのが気持ち良いって…気付いてしまったんだ。
この抱き枕が売っていたら、オレは即、買うのに…
「なぁ、依冬…?オレ、お前が好きだよ?」
ぼんやりする意識の中、オレがそう言うと依冬がオレの前髪を撫でた。
オレは彼の方を見て、体を這いあがる様にして顔を近づける。
両手で頬を捕まえて、唇を開けて、舌を伸ばして彼の唇を舐める。
「お前は可愛くて、あったかくて、狂ってる。」
そこが好きだ…と吐息と一緒に吐き出して、依冬の口の中にキスと一緒に入れていく。
腰を締め付ける彼の手に力が入って、もっときつくオレを抱きしめる。
オレ、お前と早くしたいよ…
怖いんだ…癒してよ…依冬。
キスをしながら、依冬のワイシャツのボタンを外していく。
彼はオレの服の中に手を滑り込ませて、体を優しく撫で始める。
彼が撫でた部分が火照ったように熱くなって、じんわりと汗がにじむ。
キスした唇を外して、彼を見下ろしながらゆるゆると腰を動かして、彼のモノを擦る。
「依冬…したい。」
オレは自分のシャツを脱いで依冬に覆い被さると体にキスして愛撫する。
隆々と張る胸板を舐めて乳首をねっとり舐めあげる。
依冬はオレの腕を掴んでベッドに押し倒すと、オレの体に覆い被さって、首に顔を埋めて来る。
熱い吐息と一緒に舐められる首筋が、鳥肌を立てて感じてる。
気持ちいい…さっきの奴と違って…すっごい気持ち良い…
「ん…依冬…、好き…オレお前が好きだよ?」
依冬の首に両手で掴まって、顔を寄せて彼にキスする。
深くて熱くて…むせ返るようなキスに頭が痺れる。
依冬の手がオレのズボンを脱がして下げる。
…触って…早く触って!
「んんっ!はぁ…ん、ぁあ、んっ、んふ…ん」
彼の手に握られたオレのモノが、優しく撫でられるだけでビクビクと跳ねる。
キスした口から喘ぎ声が漏れる…気持ち良くてもうイケそうだ…
何で?何で…こんなに…感じてるんだろう…
「依冬…も、挿れたい…ん、はぁ…はぁ、オレなんかすぐイッちゃいそう…も、挿れたい…」
オレがそう言うと、依冬はオレの顔を覗き込みながら、指を中に押し入れてきた。
首筋を舐められながら、熱い体に覆い被さられて、中に入った指がオレを気持ち良くしていく…ダメだ…イッちゃう…
早くして欲しかったせいなのか、凄く気持ち良くて体が跳ねる。
依冬の首にしがみ付く腕に力を入れてもっと奥までしがみつく。
このまま指でされたらイッちゃいそう…。
快感を堪えるオレを見下ろして、依冬が優しく髪を撫でて言う。
「シロ?我慢しなくて良いよ…」
「…ん、でも…んぁっ…キスして…ねぇ…」
オレの声に応えるように覆い被さってキスをくれる。
気持ち良くて体がのけ反って、オレのモノがビクビクと痙攣する。
…イッちゃう!
「んんんっ!ぁああっん! 依冬…はぁ…はぁ…」
オレは依冬の体にしがみ付く様にして、キスしながらイッてしまった。
依冬はビクビクするオレの体を感じるように、ぐっと強く覆い被さると顔を両手で包んでキスしてくる。
何これ…溺れそうなくらい甘い…
依冬は体を起こすとオレの足の間に入って顔を沈める。
イッてしまったオレのモノを舐めて、咥えて、綺麗にしてくれる。
やばい…気持ちい…
指が増えていってオレの中を擦る度に、快感に腰が震えてビクビクする。
「依冬…んっ、んん…きもちい…」
オレは体を起こして座ると、股間の依冬の髪を触る。
ふわりとした癖っ毛でかわいい…
「シロ、もうちょっと横になって?」
そう言うと、依冬はオレの背中に布団をわさわさと敷いて寝かせた。
「んふ、フワフワだよ?」
オレはそう言ってフワフワの中に身を沈めてトロけて笑う。
オレの足を掴んで広げると、依冬がオレの中に入って来る。
…あ、大きい
「んっ!」
「シロ…痛くない?」
心配そうにそう言って、オレの頬に手をあてて依冬が聞いて来る。
オレは息を吐きながら両手を伸ばして、彼の背中を掴む。
「痛く…ない」
オレがそう言うと、依冬がグッと体を押し付けて、オレの奥まで入って来る。
「あっあああっ!! はぁはぁ…あっ、んあぁっ」
大きくて、太くて、苦しい…
「…シロの中、気持ち良いよ…」
そう言ってうっとりした顔でオレを見下ろすと、肩を掴んでガンガン突いて来る。
ヤバい…すごく気持ちいい。
オレは快感を逃すように両腕を上に上げて、頭の上の布団を握りしめる。
「あぁっ!依冬…すごい…も、イッちゃう…んんっ、はぁあんっ…あぁっ、あぁあっ!」
オレはまたイッてしまったけど、依冬は体を反らすとオレの足を持って激しく動かし続ける。
「んん…んっ、はぁ、はぁん…依冬、依冬…あぁあっ、ぁあん…はぁ…んんっ、んっ」
頭が真っ白になる…
この一方的に与えられ続ける快感が、オレの思考を奪っていく。
「シロ、かわい…気持ちいい?」
オレはコクコク頷いて顔を覆う。
口から洩れるのは熱い吐息と喘ぎ声だけになって気持ちよすぎて、体がどんどん仰け反っていく。
オレの乳首を依冬が舐めて、体が跳ねて大きく喘ぐ。
「シロ…シロ…ずっと抱きたかった…」
うっとりした声で依冬はそう言うと、オレの腰をガッチリ掴んで、ゆっくり腰を回しながら締め付けを感じるように動かす。
「んっ、ぁあん…んあっ、はぁ…ん…!!」
依冬はオレの勃起したモノを両手で撫でて扱き始める。
彼の大きな手が…熱くて、凄く気持ちいい!!
「あぁっ、イッちゃうから…またイッちゃうからぁっ! らめ、あぁあっ!んっぁあああっ!!」
また激しくイッてしまった…1人でイカされ続けている。
依冬はまだイカないのかな…
「依冬…?…きもち…よくない?」
オレは彼の膝に跨って、顔を両手で包んで尋ねた。
腰をねっとり動かして、気持ち良くなる様に動いてるのに…
オレはまた今もイキそうなのに…
彼はイケないみたいだ…。
「…んっ、きもちいいよ…はぁ、はぁ…」
目をうっすら開けてそう言うけど、硬くなっても、気持ち良くても、イカないなんて…
どうしてだろう…?そうか…彼か…
湊…
オレは依冬の口に舌を入れて熱いキスをする。
吐息が漏れるのも許さないくらい、執拗にキスする。
オレのモノからダラダラと液が溢れて、イキそうなのを我慢しながら、依冬を押し倒して、まるでレイプしてるみたいに激しく腰を動かす。
両手を依冬の胸板に置いて腰を動かす。
体に快感が巡って、仰け反って小さく痙攣する。
真っ白になっちゃう…オレだけ1人で気持ち良くなっちゃう…
依冬を見ると気持ちよさそうに目を瞑って感じてる…でも、イケないんだ。
オレは依冬の顔の前に屈むと、睨むような目で凄んで言った。
「依冬…誰とエッチしてるの?シロとでしょ…?本気で抱かないならもうしない…。湊としたいなら、1人でオナニーでもしてろ…ばかやろ。」
そう煽る様に言って彼の目を覗き込む。
「そんなんじゃない…」
依冬はオレの言葉に目を見開いて、苦々しくそう言うと、ガラリと目の色を変えた。
それは…彼の父親そっくりなギラついた目。
狂犬の依冬に変わったみたいだ。
突然、オレの後ろ髪を鷲掴みして後ろに引っ張った。
痛みで顔が歪んで体が持って行かれる。
反れた首元に顔を埋めると、噛み付く様な勢いでオレの首筋に顔を寄せる。
すごい力に翻弄されて、なす術もない。
ひと捻りだ…
オレの腰を掴んでいた手は腕に変わり、腰が動く余地もない程に締め付けられる。
「…シロ…俺の事…嫌いにならないで…」
耳元で低くそう言うと、下から突き上げるように激しく腰を振ってきた。
「んんっ! んぁっ!ぁあっ!! や、やぁん!!」
髪を引っ張り上げられ歪む顔を舐められる。
目を開けて彼を見ると、依冬はオレの顔を凝視している。
…その目…お前の父親とそっくりだ…
グルグルのブラックホールが彼の目にも現れた…結城さんよりも小さなそれはオレを見つめて、飲み込んでいく。
オレに有無を言わせない圧倒的な力と体格の差。
依冬はオレをベッドにうつ伏せに寝かすと、後ろから激しく突き始める。
オレの両腕を後ろ手にして背中に押し付け、尻を突き出させ激しく責める。
「ぁあああっ! 依冬っ!!ああっ!!」
オレのモノが勝手にイッて、ダラダラと垂れた精液が太ももを伝って落ちていく。
部屋中に響く、悲鳴に似た、叫び声の様な、喘ぎ声…
「…んっ、シロ…イクっ…! んんっ! はぁ…はぁ」
あいつのモノからドクドクと吐き出される熱い精液が、オレの穴からドクドクと漏れていく。
オレの足はガクガク震えて力が入らない…
イッてるのに依冬はまだ腰を動かす。
中から掻き出される精液がオレの太ももを伝い落ちる。熱い…
「もっと愛してあげる…シロ…まだ足りない。」
ヤバい…殺されそう…!
這い出るように依冬の腕から逃げる。
オレの腰を上から押さえて動きを止めると、オレを持ち上げて自分の膝に座らせる。
「やら…やめて…!」
オレの言葉に興奮するように、強く腰を掴むと、オレの中に大きくなったモノを再び挿れてきた。
「はぁっ! んんっ、や、やだぁっ…!!」
オレのモノをキツく扱きながら下から激しく突いてくる。
まるで凄いあそこがキツい女とセックスしながら掘られてるみたいに、快感が下半身全部にくる。
「あぁああっ!らめ!やめてっ…おかしくなるっ!依冬っ!!やだぁっ!!んんっ、んっ…あっ!」
尾骨から背骨に鋭く電気が走ったみたいに痺れる…本当におかしくなりそう…
オレの腰をホールドするあいつの手を叩いて退かそうともがくけど、もがけばもがく程依冬は興奮してオレを犯す。
「やらっ!やだぁ!! んんっぁああっ!!」
激しく体を仰け反らせてオレのモノが射精する…オレの背中に噛み付くようにキスして、まるで念願の獲物を捕獲したみたいに、何度も何度も体を舐める。
湊…!!
「違っ…んん、違う…! 湊じゃ…ないっ!!」
オレはあいつの顔を見ようと体を捻ってあいつに抱きつく。
顔を両手で包んでキスして抱きしめる。
ゆっくり顔を覗いて、乱れた髪の毛を分けて目を覗き込む。
ギラギラしてニヤつく顔…オレはこの子の可愛い笑顔を知ってる。…極端で狂ってるけど、オレはお前が好きなんだよ。
おでこを合わせて目を見て言う。
「オレは誰?」
「湊…」
そう言って、依冬はうっとりとした目でオレを見てニヤニヤと笑う。
胸が痛いよ…依冬。失恋した気分だ…
いや…失恋したんだ。
動揺を隠して、彼の目を見てもう一度聞く。
「お前の事が好きな、オレは誰?」
「…シロ」
悲しいな…
お前は湊と思ってオレを抱かないとイケないの…?
オレじゃなくて…湊の事が好きなんだ。
辛い…
依冬の体を抱きながら放心して、ショックをごまかす様に立ち上がる。
簡単に腕から抜けられるのを寂しく思うのは何でだろう…
「もうしない…痛いの嫌だから…バカ!」
フン!と言って浴室へ行く。
浴室のドアを閉めてシャワーを流す。
シャワーから出る水はまだ冷たいのに頭から浴びる。
涙がポロポロ溢れて、肩が揺れて、胸が痛い…!
…もうやだな
大好きなのに…彼はオレじゃない人を求めてる。
オレに似た…誰かを愛してるんだ。
湊を愛してるんだ。
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