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第14話
#向井
軽い。軽いんだ。
軽々と持ち上がるこの子の体重はいったい何キロなんだろう…
6月だというのにブルブル震える彼の為に、お店の支配人が貸してくれたロングダウンを着せる。
「これ、これも持ってって!」
そう言って渡された彼の荷物を預かって、彼を抱えて車に乗せる。
助手席に乗せてシートベルトを締めながら様子を伺うと、ハァハァと口から荒い息を出して肩で呼吸してる…
しんどそうだ…
「シロ…?シロ?」
赤く紅潮した頬を撫でながら、意識があるかどうか確認する。
「に…ちゃん…」
虚ろに開いた目にはウルウルと涙が滲んで見えた。
病院へ行くか…自宅に送るか…俺の家に連れて帰るか…
頭をフル回転させながら、運転席に乗り込んで彼を見つめる。
震えて縮こまる体を見つめて胸が苦しくなる…
可哀想だ…何とかしてあげたい。
俺は車を出すと、近くの病院へ向かった。
救急外来で受付を済ませて待たされる間、小刻みに震える彼の体を抱いて、待ち時間の長さに気が狂いそうなのを堪える。
ぼんやりと開いた目は端から涙を落として、震える唇は何も話さない。口から出るのは熱い息だけ…
まるで…子供みたいに無防備で、か弱くて、愛おしい…
そんな彼を腕の中に抱いて呆然としていると、向いに座った母親と目が合った。
同じように高熱を出した子供を膝に抱えて、心配そうに顔を覗き込んで、何度も手のひらで頬を撫でている…
そして、俺と同様。待ち時間の長さに…手負いの動物みたいに気が立っている。
奥さん、気持ち分かるよ…
長すぎるよね…
具合が悪くて来てるのに、この待ち時間の長さは異常だ…
「お熱測ってみましょうね~」
のんきな看護士がそう言って俺に体温計を手渡した。
体を起こしてダウンの下の衣装の中に手を入れると、脇の下に体温計を挟んだ。手に触れた素肌の熱さに…測らずとも高熱だと言う事が分かった…
あぁ…可哀想に…
ピピピピ…
すぐに計測を終えた体温計を取り出して、温度を見て固まる。
「39・0℃…?」
こんな高熱、見た事ない…脳が沸騰したりしないのか…?
「あ~高いですね~?扁桃腺かな~?」
看護師は体温計を見てそう言うと、何事も無かった様に受付に戻って行った…
早く、診てくれよ…
やっと名前を呼ばれて診察室へ入ると、あんなに待ったのに…医者の言った内容は誰でも言えるような言葉だった。
「疲労と風邪ですね~。お薬出しときます。飲んでください。じゃ…お大事に。」
解熱剤と抗生物質を渡されて、病院を後にする。
これを飲めば良くなるのか…?
シロを抱えて再び車に乗せると、子供を抱きかかえて足早にタクシーに乗り込む母親の背中を見つめた。
彼の自宅には置いておけない…
きっと、何もしないで高熱にうなされ続けるだけだ…
そんなの、放っておけない。
だから、自分の家に連れて帰る事にした。
車から降りて部屋まで抱えて連れて行くと、寝室に運んで、ベッドに寝かせた。
部屋の室温を上げて、加湿器を付ける。
「シロ…これ飲んで…」
意識が朦朧とする彼の体を起こして、口元に薬を運ぶけど、朦朧とした彼の唇は震えるばかりだ…
子供の看病だって、人の看病だって、した事なんて無い…
こういう時…どうしたら良いの…?
おもむろに携帯電話で“子供の薬の飲み方”…“高熱”…を検索した。
「…おいしいお菓子だよ~?あ~ん、してみようか~?」
俺は最高に高い声を出してシロの口に薬を運んだ。
効果があったのか、彼は俺をジト目で見ながら口を渋々開けた。
水を手に持たせて薬を無事飲み込ませると、携帯を手に、次にやる事を確認した。
“楽な格好に着替える”
彼のリュックの中を探ると、ジーンズとTシャツ、メイク道具、イヤホン…それしか入っていなかった。
楽な格好が無い…
俺は自分の服を着せる事にした。
衣装を着たままのシロの服を脱がしていく。
これはこれで…興奮する。
ズボンを脱がせると、衣装の肌着を付けていたので、それも脱がせる。
あぁ…これはいけない。とても、興奮する。
俺はじわじわとパンツを下げながらじっと彼の股間を見つめた。
彼の白い肌が高熱のせいで薄くピンクに染まって、寒いのか鳥肌を立て始めて我に返る。
はっ!イケね…
「シロ…?服を着るよ~?」
こういった声掛けが大事だと書いてあったんだ…
自分のパンツと長袖、スウェットのズボンを着せると、寝ていてもブカブカなのが分かる。
どれをとってもオーバーサイズだが、仕方がない…
携帯に視線を落として、次のやる事を確認する。
“冷やす”
「シロ~、冷たいの持って来るからね~?」
聞こえてるのかも分からない状態の彼に、健気に声掛けをして台所へ急ぐ。
…何で、ここまで必死に看病してんだろう…俺。
まるで母親…いや、彼の、お兄さんじゃないか…
彼のお兄さんを演じて…まるで本当にそうなってしまった様な自分。
“兄ちゃん”なんて呼ばれて、甘えられて…彼からお兄さんへの愛を代わりに受け取って、どうかしてしまったみたいに献身的になる自分に笑えて来る…
彼の空気のような存在になりたいと願った。
でも、これはまるで…汚染だ。
彼のお兄さんが俺を染めていく。
今までした事もないような事をして、今まで感じた事もないような感情を感じる。
尽くすことが当然の様に、俺は彼に傅く。
沸々と沸き起こる自虐的な自問を無視しながら、彼の為に氷嚢を準備する。
看護師に聞いた。脇の下や首の周りには太い血管が集まるから、そこを冷やすとだいぶ楽になるらしい。
氷を手に取って、焦る気持ちを抑えながら、アイスピックで適当な大きさに割っていく。
早く…早く…
ふと視線を上げると、こちらに歩いて来るシロに気が付く。
何で…
オーバーサイズのスウェットが下がりかけて、足をもつれさせそうだ…!!
あぁ…危ない!
俺は駆け寄って彼の体を支えると、お尻の半分まで下がったズボンを押さえる。
「シロ~?寝てないとダメだよ~?」
出来る限りの高い声でそう言って、ベッドに連れて帰る。
この子は一体どうして起きて来てしまったのか…
ふと、“高熱時の奇行”という項目を思い出した…きっとこれがそうなんだ。
「結構熱が高いから、これ以上上がりそうなら病院に行くよ?だから、ちゃんと寝てて?」
俺はそう言って彼の頭の下にアイスノンを置いて、脇の下に氷嚢を置いた。
俺の頬に手を伸ばして、シロがぼんやりした瞳で見つめて来る…
「熱…でたの…?」
手はこんなに冷たいのに…何でこんなに熱が高いんだ…
「にぃちゃん…そばにいて…」
あの子はポツリとそう呟くと、目を閉じて眠った…
…兄ちゃん
俺は彼の隣に寝転がって、彼のおでこにキスをした。
…早く、良くなりますように
こんな柄にも無い事を思うなんて…やっぱりおかしい。
まるで自分が彼の本当のお兄さんになった気分だ…
それは間違いだって…勘違いだって分かってるのに。
まだ一緒に堕ちて行ってるみたいだ…
彼のお兄さんになって、彼の要求をとことん聞いてしまいたくなる。
彼をお兄さんの様に守って、愛して、満たしたいと思ってしまう…
それを彼が望んでいるかなんて関係ない。
俺は彼のお兄さんになりたいんだ…
人には役割があって、悪役は必然的に出来るものだって話を思い出す。
良い人を10人集めても…必ずその中に悪い人が生まれるんだ。
良い人だった人が役割を担って、いつの間にか悪い人になるんだ…
それと同じように…俺は彼のお兄さんの役割を担い始めてる…
それは必然であり…抗えない物なんだ。
「にぃちゃ…」
掠れた声で俺を呼ぶ声に視線を下げて彼を見下ろす。
「どうしたの…?」
潤んだ瞳で俺を見上げる彼に優しく聞く。
「兄ちゃん…エッチしたい…」
は?
…高熱の奇行の範疇の1つなのか、それとも、意識が混濁してるのか…
よしよし…
彼の頭を優しく撫でると、俺を見つめて来る朦朧とした目を手で塞いで、眠らせようとした。
「はい、ねんね~。ねんね~。」
すると、彼はおもむろに布団の中でゴソゴソして小さく喘ぎ始めた。
「ね…触って…?」
小鳥の様な小さな声で俺を誘う。
「シロ、熱上がっちゃうから大人しくしてて…手も、出して?」
そう言って布団の中の手を出そうとすると、逆に震える手に掴まれて、俺の手はシロのモノにあてがわれた。
熱で熱くて半立ちのモノを優しく扱くと、シロは俺の胸の中で小さく喘ぎ始める。
何でこんな時に…
そう思ったのも束の間で…かわいい唇から漏れる熱い吐息と、潤んだ瞳に見惚れて、しばらく弄ってしまった…
でも、物足りない様子で…俺の胸に顔を擦り付けながらウンウンごね始めると、彼のモノを握った俺の手の上に自分の手を重ねて…いつもと同じ強さで扱き始めた。
お前、どうかしてるよ…
「…ぁあん…んっ…ふぁっ…んん…」
俺の胸元に顔を埋めて、小さく喘ぎながら自慰する姿は卑猥で興奮する。
いつもより唇が赤くなり頬も紅潮している。
かわいい…
「に…ちゃん…挿れて…?」
「シロ、熱が下がってからにしよう…?」
「やら…いまして…」
聞かん坊の様にごねる彼を突き放すことも出来ず、俺は布団を剥ぐと彼のズボンを下げて剥き出しになった彼のモノを咥えて扱いた。
口に入れると、いつもより熱いのがよく分かる。
俺が口で扱くと、あの子の体は跳ねて反応する。
ここから見える乳首が可愛くて、指で撫でると身をよじって喘ぐ姿が、すごくかわいい。
「…ねぇ…挿れて…?」
言われるままに彼の穴を指を入れて広げていく。
「ぁあああっ…んんぁあ…はぁ…んん…」
可愛く喘いで腰が震える。
中はすごく熱い…
指を増やしていく度に、気持ち良さそうに体がうねる彼を見て、高熱を出している事も忘れて…興奮して勃起した。
「はぁ…可愛いね…」
堪らずそう言って覆い被さると、あの子の口にキスして自分のモノを中に挿入した。
熱い…!!
「あぁあっ! んん…きもちいぃ…んん、兄ちゃあん…あぁん、もっと…もっとぉ…」
暴れるシロの両手を頭の上で押さえると、押し付ける様に腰を動かす。
熱くてきもちいい…
瞳を潤ませて、涙を落としながら喘ぐ彼の顔を見て…
赤く紅潮した唇から覗く、白い歯と…赤い舌を見て…
どんどん興奮して行く。
かわいい…すごく可愛くて、おかしくなりそうだ…
なにもこんな高熱の時に、俺みたいスケベな男を誘う事ないのに…
まるで、自傷行為だ。
この人は、こうやって、自傷するのかもしれない。
自分が嫌いなんだ。
そんなシロの自傷行為を、彼が望むなら俺は幾らでも手伝う。
「んんっ…兄ちゃん…イッちゃう…あっあぁあん!」
額に汗を滲ませて腰を震わせると、シロは俺の腕の中でイッてしまった。
俺は彼の汗をせっせと拭いて服を直してあげる。
果てて満足したのか、シロは安らかに眠りだした。
こんなに可愛い顔して…無茶苦茶だ…
傍らに眠る彼を見つめると、まだ息は荒く…首筋の血管がドクドクと脈打って見える。
お前の兄ちゃんは大変だな…気が気じゃないよ。
何もこんなに弱ってる時に、こんな事、する事ないのに…
きっとお兄さんにもねだったんだろう。
そういう性格なのか…それとも育った環境のせいなのか、この子は自分を虐めるのが好きみたいだ。
えぐられた傷を自分でほじって…血を流してる姿に、恐ろしくなるよ…
こんなあどけない顔して…内側に狂気が溢れてるんだ。
俺はそれも含めてこの子が…好きだ。
最近、俺の事を“兄ちゃん”と呼んでいなかったのに、こういう時には“兄ちゃん”に見える様だ…
弱っている時…彼は俺の事が“兄ちゃん”に見えるのかな?
彼のトリガーが知りたい。
俺が“兄ちゃん”に見えるようになるトリガー、条件、状況が知りたい。
それさえ分かれば、俺はいつでもこの子の“兄ちゃん”になって彼に甘えられる。
そうなれば…こっちのもんだ。
彼の頭を撫でると、すっかり溶けてしまった氷嚢を持ってベッドから降りた。
#シロ
眩しい光が顔に当たって目が覚める。
隣を見ると向井さんが寝てる。
無防備だ。
「ふふ…」
彼の無防備の寝顔を見て、口元が緩んで笑い声が出た。
…へぇ、この人、こんな穏やかな顔するんだ…
可愛い。
いいや……可愛い。
衝動的に、彼の唇をそっと指先で撫でてみる。
うっすらと瞳を開ける彼は、いつもの狡猾さが抜けた様にぼんやりとした瞳でオレを見た。
無防備だ…
「…看病してくれたの?」
掠れた声でそう聞くと、彼はオレのおでこにキスをした。
そして、オレを後ろ向きに抱きしめると、目の前に体温計を差し出して言った。
「シロ、測って…」
体温計を脇に挟んで測る間、ずっと髪を撫でてキスしてくる。
優しくて、何の警戒心も抱かない…甘くて、安全な…人…
ピピピピ
「37.0℃だって~?」
そう言って彼に体温計を見せると、安堵のため息をついてオレの首に顔を埋めてキスをした。
「良かった…昨日、倒れた時は39.0℃だった。エッチしたいって言った時は、もっと高かったと思う。ねぇ…覚えてる?」
そう言って後ろからオレの顔を覗き込むと、鼻をチョンと触って首を傾げた…
「うん…」
バツが悪そうに顔を背けてそう答えると、体中に汗をかいている事に気付いて、顔を歪めて言った。
「ベタベタだ…シャワー浴びたい。」
「はいはい…」
ベッドを軋ませて起き上がると、彼は寝室のドアを開いて言った。
「どうぞ?」
オレは続く様にベッドから降りると、向井さんの隣に立って彼を見上げた。
その瞬間、ブカブカのスウェットがストンと下に落ちて、2人で大笑いした。
「ギャグ漫画みたいだね?」
「んふふ!ほんとだ。」
彼に手を引かれながら、彼の部屋の浴室へと向かう。
とっても、優しいな…まるで、兄ちゃんみたいだ…
「ねぇ…熱出た時エッチしたがるの昔からなんだ…何でか知ってる?」
汗だくになってしまった服を脱がしてもらうと、オレは彼の顔を見つめてそう言った。
「…何で?」
向井さんはオレの体にキスしながら首を傾げると、オレを見つめてそう言った。
ふふ、とっても、可愛い…
「風邪やインフルエンザをうつすためだよ?人にうつすと治るんだ。」
そう言って彼の首に腕を絡ませると、舌を入れてキスする。
「ほら…うつるよ?ね?今うつったよ?」
そう言いながら、感謝の気持ちを込めて、オレから熱心に舌を絡ませていくと、どんどん感情が溢れて、感謝じゃない違う気持ちがこもっていく…
あぁ…!兄ちゃん…兄ちゃん…!
まるで兄ちゃんの様な向井さんに、溺れそうだ…
この人は兄ちゃんじゃないのに…甘ったれて、バカだな…
でも堪らないんだ。
まるで兄ちゃんがそうした様に彼がそうするから、分からなくなって来る。
これは自然にしてるの?それとも、わざとそうしてるの?
彼の真意が分からない…
疲れた顔の彼を見つめて、無防備な心になって行く自分を止められない。
オレの視線に首を傾げて、彼が言った。
「…何?」
「…別に~」
そっけなくそう言って浴室に入ると、彼がオレを見つめる中、扉を閉めた。
手のひらにシャワーを当てながら、ぼんやりとした頭を覚醒させるように、お湯になるまで待った。
依冬が好きなのに、向井さんも好きなんだ。
向井さんは兄ちゃんに似てる…だから、好きなんだ。
でも、似てるだけでこんな献身的に看病までしてくれるの…?
あの時もそうだ…似てるだけで、一緒に死にかけるか…?
彼はオレに愛されたがってる。
その為だったら…自分を捨てて、兄ちゃんになれるの?
オレは依冬にそれが出来なかった。
オレはオレを依冬に見せる。でも、向井さんは向井さんじゃなく兄ちゃんをオレに見せて来る。
何で…そこまでして…
彼はオレに愛されたがってる。
まるで兄ちゃんの様に…オレに愛されたがってる。
シャワーから上がると、当然の様に用意されていた彼の服に、当然の様に腕を通す。
キッチンで何かを料理し始める彼を見つけて、当然の様に足が彼に向かう。
後ろに回って、彼の腰をギュッと抱きしめて、背中に顔を埋めて、甘える。
そんなオレの様子に、ふふッと笑って、彼が言った。
「…甘えん坊だね?」
「何作ってるの…?」
「おかゆ。」
「え、またおかゆ~?」
「今日のは、卵を入れたよ?」
「嫌だ~!」
「ふふ…美味しいよ?」
ごねたオレを振り返ると、彼は鍋からひとさじおかゆをすくって、冷ますように息を吹きかけて言った。
「はい、あ~んして?」
オレは彼をジト目で見つめながら口を開いた…
「あ、美味しい…」
「ね?」
彼はそう言って微笑むと、手際よくおかゆを器に盛って、カウンターに出した。
「…向井さんは、お料理上手だね。」
そう言いながらおかゆをテーブルに運んで椅子に腰かけると、当然の様に食べ始める。
お世辞抜きで、彼の作るものは…おいしいんだ。
「昔、調理場で働いてたからかな?」
首を傾げてそう言うと、向井さんはオレの様子を見ながら洗い物を始めた。
その行動が、目つきが、兄ちゃんみたいだ…
「そうなんだ…」
夢中になってしまいそうな自分を否定する様に、彼から視線を外すと部屋の中を見回した。
この人の家、来たことはあるけど…こんなにゆっくり眺めたことは無い。
男の1人暮らしだと言うのに、家具も揃って、綺麗にしてる…
まるで、ハイスぺの新婚夫婦の家みたいだ…
ここに…智と暮らしていたのかな…?
「…ねぇ、ここで…智と暮らしたの?」
彼の顔を見上げてそう聞くと、一瞬戸惑ったような顔をして視線を逸らして言った。
「違うよ…」
…嘘つきだ。
ここで智と2か月間、同棲したんだ…そして、あのベッドでセックスして…あの浴室も、トイレも、ソファーも、全て…
智がいた場所なんだ…
智…ごめんね…
お前が言った通り、お前がいなくなった後、オレはこの人を取ったみたいだ…
悶々と込み上げて来るどうしようもない気持ちを払しょくする様に、オレはおかゆをゴクゴクと飲み込むと、両手を合わせて言った。
「ごちそう様~!」
おかゆは粒々入りの飲み物だ。
空いたお皿を手に持って、洗い物をする彼の元へと持って行くと、彼の腰に後ろから抱きついて顔を背中に埋める。
「…シロがとっても甘えん坊なのは、何で?」
洗い物をする背中が、兄ちゃんにそっくりだからだよ?
「…わかんない。」
オレはそう答えたけど、多分、気付いてるでしょ?
「…お兄さんのお墓にも行ったの?」
洗い物を終えた向井さんが、振り返りながらそう言ってオレの頬を両手で包み込んだ。
まだ湿った彼の手が頬をじっとりと濡らす。
「うん…行ったよ?」
無防備に、兄ちゃんと話す様に、彼に答える自分が居て…それがとても心地良くて、グダグダに甘えてしまいたくなる…
「依冬君と一緒だったの?」
優しい目をした向井さん…
どっちなの…オレに愛されたいの?それとも、騙してるの?
まだ信用出来ない。
信用出来ないんだよ。
「依冬と一緒に行ったよ?だって…先祖代々の墓だもん。ふふ。」
オレはそう言うと、彼の首に掴まって体を寄せてキスをする。
オレのキスに応える様に、向井さんは熱くてトロけるキスをくれる。
唇を外して、目を見つめて、静かな声で彼に聞く。
「ねぇ…どうして?」
「ん?」
「どうして看病したのさ…大人なんだ、放っておけば良いだろ?」
「…そういう訳にはいかないだろ?」
「へぇ…どうして?」
オレはあんたから直接聞くまで信用できないよ。
オレの兄ちゃんになりたいって…思ってるんだろ?
だったらそれをオレに言えよ…
「目の前で倒れたんだ…普通、そうするだろ?」
彼はそう言ってオレの髪を撫でる。
普通?ふふ…クズの癖に…そんな事考えて無いだろ?
「普通って何?」
オレはそう言って向井さんの頬を撫でる。
彼はオレを見下ろして口端を上げる。
普通なんて…オレ達からは一番、程遠い感覚だろ?
「好きだよ…だから看病した。」
向井さんはそう言うと、オレの唇に軽くキスをする。
…そんなんじゃないんだよ。
それは知ってるんだ。
もっと核心を言えよ…!
それしか聞きたくないし、それしか価値が無いんだよ。
オレ達みたいなクズにはね…
腹の底を言えよ
「…嘘つくなよ。…良いの?オレは二度と同じ事は聞かないよ?これが最後のチャンスだ。オレは聞いた。後はお前が答えるだけなんだ…どうして健気に看病なんてしたんだ?放っておけばよかっただろ…?だってオレはもう立派な大人なんだから…」
彼の瞳の奥を見つめて、オレの瞳を見つめて来る彼の瞳に映った自分を見つめる。
建前も、格好も付ける必要がないし…そんな物は害悪であって、なんと美徳も、なんの付加価値も付けない。ただのまやかしにしか過ぎないんだ。
どっちでも良いんだよ。そういった類の事を言わなければ良い。
ただ、この沈黙の時間をオレに消費するって事は、オレの言っている事が分かっている証拠だ。
あながちオレの勘違いじゃないんだろ?
なあ、オレに愛されたいなら、そう言えよ…
言えよ…
観念した様にため息をつくと、オレから視線をそらして彼が言った。
「片時も離れたくないんだ。…お前の、お兄さんになりたい。お前を、愛してるんだ…」
愛…
クズの癖に…愛を語るの…?
オレの体をギュッと抱きしめると、優しく髪を撫でながら続けて言った。
「嘘っぽいだろ…?でも、本心なんだ…。こんな気持ちになるなんて思わなかったよ。智の事で俺を恨んでいるだろう…?それでも良いんだ。…シロ、お前の傍で守らせてよ。俺に甘えて、俺に溺れてよ…」
顔を上げると、オレを見下ろす彼を見つめて言った。
「…どうして、智を虐めたの…?」
オレの言葉に、彼は瞳を歪めると、無防備に胸の内を話した。
「…お前に…近づきたかった。見て欲しかった…。構って欲しくて、智に酷い事をした…。彼が傷ついて死んでも何とも思わないんだ…。…今だって、何とも思っていない。俺はどうしようもないクズなんだよ。それはよく分かってる。でも、お前の事を愛してるんだ…嫌われても良い。憎まれていても良い。殺されるのだってかまわない。ただ…傍に居たいんだ…。ずっと一緒に居たいんだ…」
兄ちゃん…
「そうか…」
そう言うと、彼の胸に顔を埋めて彼の背中を両手で抱きしめて、受け入れた。
吐露した内容は間違いなく彼の本心だと思った。
彼はオレに愛されたがっているんだ…
なんて…可愛いんだろう…
許す?
いいや、オレと彼は同罪なんだ。だから許すもへったくれもない。
一緒に背負うしかないんだ…
オレにしがみ付いて顔を埋める姿に兄ちゃんを感じて、優しく髪を撫でてあげる。
「向井さんの…本当の名前って…何?」
彼の胸にあてた耳に届く心臓の音は、遅くなる事も、早くなる事も無く、一定のテンポで鼓動を繰り返してる。
沈黙を続ける彼の代わりに、答えてるみたいだ…
相当ドキュンネームなのか…言ったらいけない名前なのか…向井さんは頑なに本当の名前を言おうとしない。
「…シロの、体重は?」
そう言いながらオレの体を持ち上げる彼を見下ろして、ケラケラ笑って言った。
「んふふ!なんだ?!」
もう、構える必要も…傷つけられる恐れを抱く必要も、自分を守る必要もない。
彼は本心を言って…オレはそれを受け入れた。
オレはこの人に、この兄ちゃんの様な人に…甘えても良いんだ…
オレを抱っこしたままベランダの窓を開けると、何の障害物も無い空の下に一緒に出て、ゆっくりと降ろしてくれた。
風が吹くと髪が暴れる様に目の前を覆い隠していく。
「わ~!風が強い!」
オレはそう言ってキャッキャと笑うと、空を見上げて雲の流れを見つめる。
「あ、風邪ひいてるんだった!」
思い出したかの様にそう言うと、向井さんはオレの手を引いて室内に戻ろうとする。
「良いの。ここが良いの。」
彼の手を逆に引いてそう言うと、遠目に見える東京タワーを指さして言った。
「見て?東京タワーがこんなに近くに見えるよ?」
「ほんとだね…」
そう答える向井さんに、心の中で“あんたの家だろ!?って、突っ込みながら、彼を見上げて教えてあげる。
「オレは、58キロくらいかなぁ?」
彼は嬉しそうに瞳を細めてオレを見つめると、今まで見た事が無いくらいに穏やかな笑顔を向けて言った。
「軽いね。昨日、散々抱えて歩いても平気だったから、気になってたんだよ。」
「変なの!」
そう言ってケラケラ笑うと、向井さんに正面から抱きついてクッタリと甘える。
この腰も、この背中も、この胸も…全部、オレの物。
依冬と違う…オレの物。
オレの兄ちゃん…いや、向井さん…
「…風が強くて冷えるから、中に入ろう?」
向井さんはそう言ってオレの手を繋ぐと、お姫様みたいにエスコートしてくれる。
だからオレは姿勢を伸ばして優雅に歩いてやる。
クズカップルの誕生だね…?
「あ、今日レッスンあるんだ。オレ、そろそろ帰る。」
時計を見て思い出すと、オレは慌てて自分の服に着替え始めた。
…上質の肌触りとお別れだ。
ここから、電車で…新宿まで戻って…自分の部屋に帰って、着替えて荷物を持って家を出れば、まだ、間に合いそうだ。
あぁ、思い出してよかった…
「帰したくない。ずっとここに居なよ。」
残念そうにそう言うと、向井さんがオレを抱きしめてキスをしてくる。
抱きしめられる腕が、かかる息が、心地良くてもっとキスして欲しくなる。
「向井さんの、本当の名前は?」
キスの応酬に口元を緩めて、目を閉じながらもう一度聞いてみた。
「まだ、教えない…」
彼はオレの耳元でそう言うと、舌を唇に入れて熱いキスをした。
着替えたばかりのTシャツの中に彼の手が入って来ると、背中を撫でる手つきに、いやらしさを感じて焦る。
オレ帰らなきゃいけないのに…
「…んっ、向井さん…帰らないと…んっ、ぁふ…」
両手で彼の肩に手を置いて押し退ける様に力を入れると、キスしたままオレを壁まで追い込んで、捲り上げたシャツから露出した乳首を指で撫でられる。
ん、もう…!したくなるじゃないか…!
「ね、したくなるからやめてよ…」
興奮した様に息を荒くした彼は、そんなオレの言葉を無視して目の前にひざまずくと、ねっとりと乳首を舐め始めた。
「…ん、んっ…あぁ…ね、むかいさん…や、ん…」
履き替えたばかりのオレのズボンを下げると、勃起したモノを舐めながら扱き始める。
「はぁ…んっ、ダメだって!早く行かないと…んっあぁん…はぁ、はぁ…ん…きもちいぃから…」
オレの股間に顔を埋めてる彼の肩に手を置いて、ガクガクと震えて座り込んでしまいそうな体を必死で支える。
あぁ…だめだ。めっちゃ気持ちいい…
彼はおもむろに立ち上がると、優しくキスしながらオレをぐるっと回して壁に押し付けた。お尻を撫でられて、指が入って来る。
「あっああ…ん、はぁはぁ…気持ちい…」
快感に背中が仰け反っていくと、ピンと立った乳首を舌先で撫でるから…すごく気持ち良くなって、腰が震えてくる。
「ね、抱かせて…?シロ、かわい…堪んないの…」
オレの背中にピッタリと体を付けて、腰を押し付けながらそんな事を囁かれて…今にもイキそうなくらいに興奮してくる…
兄ちゃん…
「良いよ…して…兄ちゃん…」
トロけた瞳でそう言うと、彼はうっとりと瞳を色づかせて、オレの中に硬くなったモノを挿れてくる。
壁に両手をついて耐えるけど、気持ち良くて、勃起したオレのモノはビクビクと震える。
「イッちゃいそう…んんっ!オレ、すぐ…イッちゃいそう…!」
後ろにのけ反って向井さんを仰ぎ見るけど、オレを見て優しく笑う顔が…兄ちゃんに見えて…堪らなくなる。
激しく腰がビクついて、足がわななく。
「はぁ…ぁあんっ!兄ちゃん!イッちゃう…!」
オレはそう言うと、足をガクガクさせながらイッた。
向井さんはオレの腰を掴んでねちっこく腰を回すと、また突き上げる様に動かしてくる。
…ダメだよ…おかしくなるから…
「ぁぁあん…兄ちゃん…らめぇ!兄ちゃん…ぁあっ!…んっ、んっ…ぁん…」
オレのイッたばかりのモノを扱きながら、腰を動かして中を突いてくる…。
トロトロと液が流れてグチュグチュといやらしい音を立てる。
オレの胸を起こして、乳首を弄りながら首筋に舌を這わせる。
立ってられないくらい気持ち良くて、また足が震える。
「…はぁ、はぁ…シロ。兄ちゃんも…イッて良い…?」
そんな事を耳元で囁かれて…後ろの彼を兄ちゃんだと錯覚して、オレの腰を掴んだ兄ちゃんの手を掴むと、快感によだれを垂らしながら言った。
「兄ちゃん!シロの中に…んっ、ちょうだい…!いっぱい…ちょうだいっ!!」
腰を持つ彼の手に力が入って、オレの中でドクドク温かいものが吐き出される。
兄ちゃんがオレの中でイッた…と思うと、オレは勝手にイッてしまった。
半堕ちしたままのオレは、彼を、兄ちゃんと混同する。
この人は、それでも良いんだ…
だから、オレは安心して彼に溺れる。
兄ちゃんの振りをする彼に溺れる。
「シロごめんね…兄ちゃんが送ってくから、お風呂で一緒に綺麗にしようね…」
兄ちゃんの言葉に、オレはうん…と頷いて、ダラダラ流れる精液をそのまま垂れ流しながらシャワーに向かった。
「シロ!おはよう!」
陽介先生は今日も元気だ。
時間通りにダンススタジオまでやって来た。
リトミックが終わった子供たちを前よりも上手にかわして、陽介先生に挨拶をする。
「シロだって~。シロた~ん。可愛いお名前~。」
「しろやすとか…しろつぐとか…そういう名前なんだよ。あだ名で、シロって言ってるんだよ~?ね~?シロたん?」
子供たちにに名前を覚えられた…
「…ふふ。ど、ど、どうかな…?」
そんな女の子の口撃を交わして、陽介先生とスタジオへ向かうと、彼はオレをジロジロ見ながら言って来た。
「ほんと?」
「え?何が?」
「しろつぐって名前なの?」
この人…天然なのかな?
…子供の話を真に受けるなよ…
陽介先生は純粋なんだ…それか、馬鹿か。
「いや、オレはただのシロだよ?」
オレはそう言って苦笑いをすると、携帯を取り出して動画を選んで再生させた。
「陽介先生、オレ、この曲で踊りたいな。」
そう言って一緒に曲を聴き流す。
オレはあの後、向井さんに家まで送ってもらい、自宅で着替えをして荷物を持ってまたスタジオまで送ってもらった。
だから、レッスンにギリギリで間に合ったんだ。
オレの流す曲を聴きながら陽介先生がニカッと笑って言った。
「シロファンの俺としては、この曲でどんな風にシロが踊るのか、見えてくるぜっ!」
何度も曲を聴きながら、陽介先生はオレの踊りたい動きを要所要所に入れて構成してくれた。
「ここで、バッとこうして…こういう流れの時に…こんな感じで、インパクトを付けよう。」
そう言いながら彼が紙に書いていく解読不能な絵と文字を見つめる。
…一体…何が、書いてあるんだろう…?
でも、とっても真剣だ…。きっと、大丈夫。
彼はダンスの事に関しては、頼りになる人だもん。
「一回踊ってみるから見てみて?」
陽介先生はそう言うと構成したダンスを踊って見せてくれた。
「わぁ…!」
緩急のついた動きと、見せ場となるダイナミックな動きがミックスされていてカッコイイ!曲の盛り上がりとマッチする動きは、それだけで迫力を増すんだ!
「すごい!気に入った!オレ、頑張りま~す!」
キャッキャと1人で喜んではしゃいでいると、陽介先生は黙って手を上げたまま、ハイタッチ待ちしていた。
ペチン…
そっと近づいて、陽介先生の手のひらに軽くハイタッチすると、やっと動きを再開してオレの頭をナデナデした。
上手く出来ない所も含めて一通り陽介先生と一緒に踊ってみて、簡単に踊ってみせた彼のタフさに驚かされる。
これは…もっとトレーニングしないとバテそうだ…。
隣の彼と同じ動きをしてるだけなのに、自分だけ息が上がって体が重たくなっていく…
「これ踊ったら、かわいいシロから、爆イケシロに変身するね!」
陽介先生はそう言うと、最後の決めポーズを取ってオレにウインクした。
ふふっ…かっこいい。
爆イケか…それは、すごく魅力的だ。
最後に動画を取って今日のレッスンは終わった。
基礎体力作りに必要なトレーニングも聞いた。
これで準備は完璧だ!やっと、自宅で練習出来る所まで来たぞ!
「ありがとうございました~。」
オレはペコリと挨拶を済ませると、スタジオの隅に座って着替えを始める。
汗っかきじゃないけど、集中して踊るから汗が尋常じゃないんだ…
そんなオレの傍に来ると、陽介先生は目をキラキラさせて、ぶりっ子しながら言った。
「ねぇ、シロ?俺、シロの踊りすごい好きだよ?のんけだけど、何回か勃ったもん。」
そんな要らん事…言わなくても良いのに…
オレは呆れた顔をしながら陽介先生にジト目を向けて見上げた…
「俺さ、シロだったら抱けると思うんだ…?」
「いや、抱かなくても良いよ。」
オレはそう即答すると、真剣な顔になって陽介先生に言った。
「変な道に進まないで?そのままでいて…?」
「なぁんで?」
何で?じゃねんだよ…純粋をこじらせてるのか、ぶりっ子の演技が過剰なのか…陽介先生はオレを見つめてウルウルと瞳を潤ませて見せる。
もう…あんな店に出入りするから、感覚がおかしくなっちゃうんだ!
早々に着替えを済ませると、ウルウルする先生を無視して言った。
「陽介先生ありがとうございました!また来週お願いしま~す!」
「はう!」
そう言って自分の服の裾を噛み締める陽介先生に手を振ると、スタジオを後にした。
全く…あんなに可愛らしいんだから、お姉さんとイチャイチャする人生を歩んでほしいよ…
陽介先生の今後を心配しながら、段取りが出来てきたオーディション用のダンスに、胸の奥がドキドキと興奮してくるのが分かる。
早く家に帰って、撮った動画をもう1回見て練習しよう…!
こんなに本格的にダンスを練習する日が来るとは思わなかった…それは、思った以上に体力を使って、思った以上に足らない事が多かった。
もっと上手になりたい…
ジリジリと日に照らされて、ハッと我に返る。…7月の日差しはオレには辛すぎる。
UVカットのパーカーのフードを被ると、ヒリヒリした鼻の先を撫でて、上目遣いに前を見つめて歩き出した。
…良いな、あれ。
通り過ぎる女の人の日傘を羨ましい気持ちで見つめて、地面に照り返す紫外線が鼻の穴をジリジリと焦がすのを感じる…
痛い…鼻の穴が痛い…
平日の昼間の街中は、日傘と白シャツ姿のサラリーマンがランチに歩き回ってる。
オレはその間をすり抜けながら、日影を通って早歩きで家路へと急いだ。
「おや…シロ君!」
突然呼び掛けられて驚いて足を止めると、フードで俯いた顔を上に上げて見る。
こんな真昼間にオレを知ってる人がいるの?
笑顔で近付いて来る相手を見て、体が固まった…
「結城さん…」
目の前の高級ブランド店から出て来たであろう結城さんは、オレの目の前まで来ると嬉しそうに目じりを下げた。
「シロくん、こんな時間に歩いてるなんて意外だよ…元気にしてる?」
そう言ってオレのフードを摘まむと顔を覗いて来る。
オレはハッキリ言ってあんたが嫌いだ。
依冬がおかしくなったのは、ほぼほぼあんたのせいだ。
そんな素敵なスーツを着て格好良いジジイを演じたって…オレにはレイプ魔の頭のおかしい変態にしか見えないよ?ふん!
「ふふ…オレも昼間歩くんですよ?」
オレはそう言って余裕をぶっかまして笑うと、結城さんの脇をすり抜ける。
その時、目の前の高級ブランド店から知った顔が出て来た。
「依冬…」
この前の彼女とは違う女の子を連れて、楽しそうに笑いながらお店から出て来た。
オレと目が合った瞬間、真顔になった彼に、胸の奥がざらつく。
ふふ…どうしたんだよ…
オレに、見られちゃまずいの…?
「依冬はあの彼女とは別れてね。シロくんのおかげだよ?ありがとう。」
結城さんはそう言うと、オレの肩を撫でた。
何だよ…
「よっ!」
オレは依冬にそう言って手を上げると、彼の目の前を通り過ぎた。
オレと会えなくなるから絶対別れないって言ってなかったっけ…
何だよ…
良いよ…別に…
どうせ…その女の子も、湊には敵わないよ…
家に帰って速攻でクーラーをつけると、着ていたパーカーを床に叩きつけた。
暑かったんだ…
別に、苛ついてる訳じゃない…
洗濯物をリュックから取り出して、陽介先生の動画を何度も見る。
あんなに楽しそうに笑って…まるで彼女の事が好きみたいだね…
湊じゃなくても良さそうじゃん…
…オレと湊は、オワコンなのかな……
いや、オレは始まってすらいない…
動画の中の陽介先生のダンスを見ながら、全く別の事を考える…
「あ…」
着信に再生していた動画が止まって、震える携帯の通話ボタンを押した。
手に取って携帯を耳にあてると、口元が緩んでニヤけた顔になる。
「もしもし?ん、間に合ったよ?ありがとう…今?今は家で動画見てるよ。うん、はい。またね~。」
向井さんからの連絡電話だった。
オレが何してるのか気になるみたいだ…軽くストーカーだな。
きっと、兄ちゃんみたいに、全て知りたいんだ…
携帯電話を置くと、再び陽介先生の動画の続きを見る。
こんなに上手に踊れるかな…?
オレに出来るかな…?
宝箱に手を伸ばして兄ちゃんの腕時計を取り出すと、頬に付けてうっとりと宙を見つめる。
「兄ちゃん…」
もっとトレーニングして鍛えないと…
オレは兄ちゃんの腕時計をテーブルに置くと、久しぶりにヨガマットを広げてストレッチとプランクをする。
前は10分は余裕でいけたのに5分もしたらキツくなった!
年…年なの…!?
違う!最近ちゃんとトレーニングしていないせいだ!
こういうトレーニングはインナーマッスルが鍛えられるから、見た目的にマッチョになる事は無いんだ。
オレは肌を出して踊るから余り筋肉質にならない様に気をつけている。
楓の体は綺麗だよな…あんな安っぽい男と居るのはもったいない気がする。
控え室で行為の最中だった男を思い出して、首を横に振った。
もっと上等な男…結城さんの隣が似合いそうだな…
頭のおかしいレイプ魔だけど、見た目は渋くてとても良い。
疲労のせいかな…こんな下らない事を考えて1人で頷いてんだもん…
自分が恥ずかしいよ…
ヨガマットに突っ伏してぼんやりとベッドの下を眺める。
少し寝よう…
熱が出たばかりだし、きっと、疲れちゃったんだ…
だから、何をしても、集中力が散漫になるんだ…
16:00 アラームの音で目が覚める。
シャワーを浴びて、着替えて、仕事に行こう…
体を起こして兄ちゃんの腕時計を宝箱に戻すと、携帯を見て連絡が無いかチェックする。
馬鹿だな、オレ
誰の連絡、待ってんだろ…
楽しくって…それどこじゃないよね…?
依冬…
眠い目を擦ってシャワーを浴びに向かうと、服を脱いで鏡に映る自分の体を見る。
腰が細い、手足が細い…こんな軟弱者の体で踊って、格好良く見えるのか心配だよ。
シャワーを済ませて髪を乾かすと、伸びて来た生え際をチェックして項垂れる。
「はぁ…伸びるのが早いよ?」
そろそろリタッチの時期だ…黒い地毛がだんだんと目立つようになってきた。
痛くないブリーチ方法って無いのかな…毎回、あれだけが、憂鬱だよ。
いつもの服に着替えると、いつもの様に家を出る。
「シロ~!」
今日はよく道で声を掛けられるね…?
「お姉さん、こんばんは~。これから何処か行くの?良いな~!」
彼女はオレにオーディションを紹介してくれた常連のお姉さん。彼女は開口一番にオレの顔を見ながら言った。
「あの話、どうなった?」
あの話?あぁ…
「ちゃんとオーディションに向けて頑張ってるよ?背中、押してくれてありがとね~!」
オレはそう言って笑うと、お姉さんの頭をなでなでしてあげた。
「偉い!さすがあんたは根性のある子だ!」
肝っ玉母さんみたいにそう言うと、オレの背中をバシバシと勢いよく叩いて、ガハハと大笑いして言った。
「今から花火を見に行くんだ。シロも一緒に行く?」
「いいや…オレは店に行くよ。」
そう言って手を振ると、オレはお姉さんと別れて店へと向かった。
花火ね…
今日はやたらと浴衣を着たカップルとすれ違うと思っていたんだよ…さっき見た子たちで5組目だもん…なんだ、みんな花火大会に行くんだ。
浴衣なんて、着た事無いや…
依冬はあの女の子と行くのかな…
どうでも良いじゃん…馬鹿だな、オレ。
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