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第15話
18:00 三叉路の店にやって来た。
支配人に挨拶してロングダウンを返しながら言った。
「今日は花火大会だって!浴衣のカップルが沢山歩いていた!みんな、燃えて死ねば良いんだ!」
オレの暴言を無視して、支配人は口を尖らせて言った。
「それより、大丈夫だったのかよ。ちょっとだけ心配したんだぞ?あのお客が面倒見るって言うから任せたけど、何か変な事されてないか?」
変な事しかされていない。
「大丈夫だよ。病院に連れて行って貰って…おかゆを食べさせてもらった!」
オレはそう言って支配人の顔を覗き込んで言う。
「最近忙しくって…もう倒れたりしないよ?心配かけてごめんね?」
支配人はオレのおでこに手を置くとゆっくりと撫でて触ってきた。
その表情はいつもよりも少しだけ真剣だ…!
「何してんの?今は熱なんてないよ?」
そう言って支配人をジト目で見つめると、首を傾げた。
「お前の平熱が分かっていたら、発熱したらすぐに分かるだろ?その為に、毎日こうして触る事にした。」
馬鹿じゃん!
「ふふふ!なんだそれ。」
オレはそう言って笑うと、地下への階段を降りていく。
控え室に入ると楓がメイクを始めていた。
「おはよ!」
軽く挨拶してから鏡の前にメイク道具を置いて、隣に座る。
「シロ、倒れたんでしょ?大丈夫?働きすぎなんだよ…もっと気楽に生きようよ…」
楓はそう言うとオレの方を向いてしょんぼりした顔をする。
オレは気楽に生きてるつもりだよ?
肩をすくめて楓を見ると、彼の目元がキラキラと光って綺麗だった。
…スパンコールだ!
「楓、凄いキラキラしてる!美しさが増すね?」
オレの言葉に気を良くしたのか、いくつかオレの目元にもつけてくれた…
まだメイクしてないのに…
「シロ、この前あの店でやったSM対決が話題になってるよ?あれで1回踊ってみたら?」
楓はそう言うと、オーバーに鞭を打つ真似をしてふんぞり返ってみせた。
「え~。そうなの?インパクトあるし、まぁ、たまになら悪くないかもね…」
オレはそう言って笑うと、メイク道具を手に取ってベースメイクを始める。
そんなオレに顔を寄せて、楓が鼻息を荒くして言って来た。
「シロ?僕、打たれる役やりたいから…本気でやって良いから…。やる時、絶対声かけてね…?」
お前はどこに向かってるんだよ…
「…分かった…」
オレはそう適当に返事をしてメイクを続けた。
衣装は…ちょうどSMの話が出たし…こんな感じにしようかな?
皮の黒い短パンにガーターベルトを上からつけて、オレの美脚に網のニーソックスを履く。黒いベルトの首輪と、胸元を強調するベスト型のハーネス…
これの上に体のラインの出る、襟付きの黒いベストを着た。
「ねぇ、楓。これ見て~?」
オレが衣装を見せると楓は大興奮して、メイクの追加をしてくれた。
「シロ、今日は女王様だよ?いい?女王様だからね!」
そう話す楓の目の奥はキラキラと輝いて見えた。
彼は間違いなくドМで、オレは今日、ドSの女王様になった…
19:00 店に出るために階段を上ると、勢いの良い声で支配人が言った。
「シロ~、なんだ!良いじゃないか~!」
来店したお客の相手をしながら、支配人がオレをべた褒めしまくる。
えぇ…?そんなにオレはハードな格好が似合うの?
悲しいよ。
だってオレは虹とお花畑の似合う男の子なのに…
腑に落ちないねぇ~…
そんな思いを込めて眉を上げると、店内に入って行く。階段の上から店内を見回すと、既にカウンター席に向井さんがいた。
彼は皆勤賞かな?
彼を目指して階段を下りて、彼を目指して歩いて行くと、ウェイターがオレに頭を下げて行く。
ウケる…!
それはまるで本物の女王様の様だ…!
気分良く胸を張って歩くと、お客さんにも冷たい視線を送って雰囲気を盛り上げてあげる。
彼の元に無事到着すると、背中に乗っかって声を低くして言ったみた。
「お仕置きしてあげようか?」
「あはは!」
オレを背中に乗せたまま吹き出して笑うと、向井さんが言った。
「シロの鞭、痛そうだから俺にはしないで…」
怯える様に体を震わせるから、可愛くてもっと言った。
「乳首にろうそくとか垂らしてみようか?ん?どうなんだ~?ん?」
「ふふふ…やめて。取れちゃう。」
取れちゃう?
「あははは!取れちゃうって…取れちゃうって…?だ~ははは!!」
一気に大爆笑すると、向井さんの背中をペシペシ叩いてから抱きしめた。
この人、本当におっかしいんだ…!
オレの笑いのツボを押さえてる!
ハードロックかサイバーパンク化したオレは、お客相手に大いに女王様して店内を闊歩する。
「シロ様、何が食べたいですか?」
「…メロン」
「はは~!」
ソファ席にふんぞり返って、フルーツの盛り合わせを注文させると、口まで運ばせて、気に入らないと平手で打った。
オレって良い子だナ…。
頑張って店の売り上げに貢献してるもん。
お客とつまらない小芝居をして遊んで、DJに曲を渡しに行く。
「その恰好でこの曲踊るの?」
そう言われたけど、オレの女王様のイメージにピッタリなんだよね…
「そだよ~。」
オレはそう答えて、にっこり笑う。
しばらくすると陽介先生もやってきた。
向井さんに並んでこちらのお客様も連日のご来店だ…
もうこれ以上通う様になったら、いよいよ彼の第二の“初めて”が失われてしまいそうで心配だよ?
特にマスターが危ない。彼は陽介先生がお気に入りなんだ。
そんな事、気付きもしない陽介先生は、オレの衣装に興奮してキャッキャッと大はしゃぎする。
「シロ~!ぶってよ!ぶって!いけない子!って言ってぶってよ!」
そう言って派手に動き回る陽介先生に、マスターの目はくぎ付けだ…
依冬は来ないよな…だって、女の子と居るんだもん。
こんな所には…来ない。
「シロ~、良いね~!そそるね~。そろそろ控え室に戻ろうか?そこでお爺ちゃんと遊ぼうじゃないか…?」
なんだ、支配人まで…頭、沸いてんだな。
「いやだ。ジジイとは遊ばない。」
オレはそう言って大人の遊びを断って、店内を一周した。
女王様の権威を使って、フルーツの盛り合わせと、生ハムと、チーズの盛り合わせと、ジャックダニエル一本をお客に注文させた。
最後にお客にテキーラを強要して、頬を引っ叩いて遊ぶ。
「…あぁ…も、飲めない…」
そう言ってお客が潤んだ瞳で見つめる中、生ハムをいやらしく食べながら言う。
「ダメ…飲んでくれなきゃ…怒っちゃうから…!」
オレがそう言うと、大人しくテキーラを3杯も煽って飲んだ。
お利口じゃないか!
オレは予想以上に奮闘したお客の顔を撫でまわしてあげた。
控え室に戻って楓が拝む中、カーテンの前に立ってストレッチする。
手に鞭を持って佇む姿は、自分で言うのもあれだけど、SMの女王様そのものだ…
しっとりしたバラード調の音楽が流れ始めて、カーテンが開く。
女王様みたいに胸を張ってステージを歩く。
カツカツとブーツのピンヒールを鳴らして、ステージの中央まで行く。
大股を広げてしゃがむと、腰をすくいあげる様に立ち上がって、大きく鞭を振った。
バチィィンッ!
良い音をさせてしなる鞭にお客が興奮する。
「引っ叩いて~~~!!」
みんな好きだな…オレは軽く引いてるよ…?
だって、こんな鞭で叩かれたらみみず腫れになるし、皮がめくれて痛いし、気持ち良くなんて無いんだよ?
まったく…とんでもない変態だな。
しっとりと流れるオレの選んだこの曲は、女の人の嫉妬を描いた曲。
怒ってなかったら鞭なんて振るう訳無いだろ?
だから、こんな踊りを踊るときには、ピッタリなんだ。
ビシィィィィン!
鞭を両手で引っ張って音を鳴らす。
ガーターベルトを外して、ポールに向かう。
ピンヒールのブーツをいやらしく脱ぎ捨てて、つま先を上に上げてポールに付ける。
手を高く上げて、ポールを掴むとそのまま体を持ち上げて、高くに上る。
太ももでポールを挟んで止まると、網のニーソックスを片方ずつ脱いだ。
滑るから、早く脱ぎたかった…
ストリップ用に細工がされたベストを両端から引っ張ると、ベリベリッとマジックテープが離れて剥き出しになったオレの体に、張り巡らされた黒いハーネスが露出する。
「ギャーーー!!シローーーー!シローーーー!!」
すごいなぁ…観客が極まってる。
ポールの上で、派手にスピンしながら心の中で感情を爆発させる。
オレと会えなくなるから…別れないんじゃないのかよ…!
嘘つき…!!
あんなに…あんなに楽しそうに笑ってさ…なんだよ…なんだよ!!
オレを守るって言ったの…何だったんだよ…!!
新しい女なんて連れて…お前の父ちゃんに感謝されて…
すっげぇ、ムカついてんだぞ!!
踊ってる曲の歌詞が、自分の心情と同じで…笑えて来る。
ぶたれないかビクビクするお客の頭をまたいで歩いて、チップを貰いに行く。
頭の上に立って見下ろすと、お客の肩を踏んで足を乗せる。
鞭を思いきり両端に引っ張って、しならせて音を出すと、前屈しながら肩に置いた足に力を込めていく。
お客の顔が歪むのを見つめて、うすら笑いしながら、口からチップを頂いていく。
「シロ…ドキドキ」
陽介先生が口にチップを咥えてオレを呼ぶから、彼を鞭で縛ってポールの下まで引っ張り上げてあげる。
そして、ポールに飛び乗って仰け反ると、陽介先生がひざまずいて口から口へとチップを運ぶのを待った。
「シロたん…どうぞ~~!」
そう言って差し出される高額のチップを受け取ると、優しく彼の頬を撫でてあげた。
さすがダンサーだな…綺麗なフォームで渡すんだ。
だけど、どんどん慣れて来ている陽介先生に…少しだけ心配になる。
お尻に食い込んで来るキツイ革パンを指で直しながら、悟った…
今日は脱ぐ必要は無さそうだ…だって、既にエロい。
皮のパンツが食い込んでお尻のほっぺが見えるんだよ?ただのパンツ姿になるよりも、エロいでしょ?
ステージの正面へ行って膝立ちすると、腰を揺らした。
目の前の席のお客に、ゆるゆると腰を揺らして喘ぐ。
片手を後ろに付いて、膝を広げて腰を揺らす。
勢いを付けて、回転しながら立ち上がる。
そのままの勢いで、派手に鞭を打つ。
「シローーーー!ギャーーーー!しぬーーーー!!」
決まった…!
控え室に戻って、さっさとメイクを落とす。
だってオレにはハードすぎて、疲れるんだ…。
Tシャツと短パンに着替えて、メイクもいつもの感じに戻して店に戻った。
「シロ様、とっても素敵な…お尻でございました!」
そう言ってお客たちが沢山チップをくれた。
みんなオレが指先で直す皮のパンツばかり見ていた様子で、ブルマの話にまで展開して行く流れに早々に付いて行けなくなる。
「だから、女子がモゾモゾし始めたら、少し離れて、指でこうやってブルマを直すところをチェックするんだ…はぁはぁ…」
「きも~い!無理~!」
お姉さんにコテンパンにされるお客に心の中で同じように思いながら、愛想笑いをすると逃げる様にその場を離れる。
首からお札のネックレスを幾つもぶら下げて、カウンターにいる向井さんに甘えた。
「ねぇ、見て?こんなに貰ったよ…凄いよね?」
「わぁ、凄いね…」
そう言って、オレの頬を撫でて親指で唇を撫でるから、オレは笑いながらその指を舌で撫でた。
腰を掴む彼の手がオレを引き寄せる。
そのまま彼の首に手を回して舌を入れた濃厚なキスをする。
…兄ちゃん
「シロ、かわいかったよ…」
うっとりした顔でオレにそう言うと、チュッと軽めのキスを最後にして、優しい笑顔で笑った。
可愛いな…
彼の笑顔につられて自然な笑顔で彼に笑いかけると、首からお札のネックレスを外して彼に掛けながら言った。
「これは名誉あるネックレスだよ?向井さんに特別に、一瞬だけ、掛けてあげる。感謝して?」
「はは~!」
そんな風にふざけて笑う顔が、とっても可愛くて、たまらずに舌で彼の唇をペロリと舐めて言った。
「すっごい可愛く見えた…」
見つめ合って小さい声でそう言うと、うっとりとした瞳をオレに向けて、口元を緩ませて微笑んだ。
「シロくん…」
動揺した声が聞こえて、慌てて視線を泳がすと陽介先生がこちらを見てアワアワしていた。
オレ達の甘々のキスシーンを見て、混乱してしまったようだ…。
「ビックリした…?ごめんね、気づかなかったんだ。」
オレはそう言うと、陽介先生の所にフォローへ向かう。
「先生、チップありがとう。先生もSM好き?」
そんなオレのアホみたいな質問に、無言を貫く陽介先生。
不思議に思って顔を覗いて見ると、俯いたまま目だけ動かしてオレを凝視してる。
あふふ!なにそれ!!
心の中で大笑いしながらも、同情した…
きっと動揺して、ドン引きして、怖くなってるんだ。
普通の世界だと、男が男に狙われるなんて事は無いから、いつもハンターの気分でいるけど…こういう所に来ると、自分も狩られる側だって…気付いちゃうんだよね。
そうすると、一気に怖くなっちゃうんだ。
だから、なるべくのんけの人には男同士の乳繰り合いなんて…見せない方が良んだ。
怖がっちゃうだけだからね…?
「のんけの人はそうだよ、ビックリするんだよ…でも大丈夫、もうやらないから。ごめんね。ビックリしちゃったよね?」
オレは慌ててそう言って陽介先生の肩を掴んで揺らした。
ハッと我に返ると、陽介先生は立ち上がってオレを抱きしめて言った。
「俺と、結婚して下さい!!」
パーン…!
示し合わせていたかの様なタイミングで、マスターがどこからか持ち出したクラッカーを鳴らした…
あんたらコンビなの…?
鼻に付く火薬のにおいと、陽介先生の香水の匂いが混ざって、何とも言えない香りになる。
陽介先生の頭に乗った紙テープを取ってあげながらため息をついて言った。
「やだよ…」
#依冬
年上の彼女に振られてしまった…
度重なるデートのドタキャンに頭に来ていた彼女は、まんまと親父の用意した本物の別れさせ屋に引っかかって、俺の目の前から居なくなってしまった…
間髪入れずにお見合いが決まって、俺は今、貿易会社社長令嬢を相手に交際をスタートさせている。
キリの良い所で終わらせる。
そのつもりだったのに…気付けばどんどん相手のペースに飲まれてる。
話が上手な女性で、お断りの意思表示がなぜか次のデートの約束に変換されてしまうんだ…あまりの見事な話術に、少しだけ彼女に興味を持ってしまう。
そんなタイミングでシロにバッタリ会ってしまったんだ。
会えて嬉しい反面、嫌な所を見られてしまったと後ろめたい気持ちが残る。
シロ…俺にはお前しかいないよ?
誤解なんて…しないよね?
希望的観測でそう願うけど…俺の顔を見た彼の目が忘れられない。
怒っちゃったかな…
参ったな…
あんな事言ったばかりなのに…矛盾してる自分の状況に、自分でもおかしいと思ってるよ。
携帯を見つめて暗い画面を眺める…
珍しく朝の早い時間に彼から電話を受けた。
いつもなら寝てる時間なのに…電話口の彼は随分快活に話した。
変だな…
電話を切った後もその彼の様子が引っ掛かって、気になって仕方が無かった。
14:00過ぎ、彼がいつも起きる時間に電話を掛け直した。
彼は落ち込んだ声で、今、名古屋にいると言った。
彼の実家が名古屋という事も驚いたけど、何よりも、元気のない電話口の彼が心配で、居てもたってもいられなくなった。
彼を酷い目に遭わせた母親が亡くなった…
その事と、今朝の様子がおかしかった電話が重なって、シロが俺を必要としてるって…思った。
俺は仕事とデートをキャンセルすると、すぐに名古屋に向かった。
電話での落ち込んだ声から、彼が自分の過去と向き合っている事は容易に分かった。
今、あの恐ろしい目をしてるの…?
それとも、傷ついて泣いてるの…?
どちらでも良い、胸が張り裂けそうになった。
早く傍に行ってやりたかった…
名古屋駅でレンタカーを借りて、ナビで聞いた住所を入力する。
そんなに遠くない距離に安堵すると、俺は急いで彼の元に向かった。
目的地に近付いて駐車する場所を探していると、道路の端に彼を見つけた。
慌てて車から降りた俺に、嬉しそうに俺に抱きつく彼は、まるで保護者を待っていた子供みたいだった。
心身が疲れてるだろうと思ったから早く休ませてあげたくてホテルの部屋を取った。
…彼と出会ってから、自分の意外な一面を知る機会が増えた。
こんなに…自分が誰かに優しく出来るとは思ってもみなかったんだ…
いつも上っ面だけはしっかりとした常識人で居た。
そうあるべき形を俺は知っていた。
でも、心の底から誰かを気に掛ける事なんて…一切無かったんだ。
母親が死んだ時だって…俺は悲しくもなんともなかった。
自分の欠けた情緒を悟られない様に“普通”や”常識”を知識で取り入れて、演技して来た。だから、俺は良い子で居られたし、可愛がられた。
そんな風にやり過ごしてきて、そんな風に周りを騙して来たのに…
俺はシロの事ばかり気にする様になった。彼の事だけ、彼の周りの事ばかり気にして、彼を傷つける物が許せなかった。
向井にしてもそうだし、シロの家族に対しても同じだ。
亡くなったお兄さんに関しては、俺のシロを苦しめる元凶だとしか思っていない。死ぬならもっとシロが傷つかない死に方を出来なかったのかと…問い正したい。
まるで無くした情緒が彼に対してだけ特化した様に、彼に対してだけ、心の底から優しく気遣って、愛して、守りたいと思った。
湊にこんな気持ちになった事は…あるんだろうか…?
部屋に到着すると俺の体に乗って、気持ち良さそうに甘えて抱きつく彼は、無防備で、純粋だ…
そんな姿を見ると、素直に可愛らしいと感じて、愛おしくなる。
それに、シロといると湊に出来なかった事が自然に出来るんだ。
まるで当たり前の様に…自然に…意識することなく出来る。
例えば恋人のように笑い合ってセックスする事…そんな事、俺は湊には出来なかった。優しいキスも、ささやく甘い言葉も、ふざけたやり取りも…どれも湊には出来なかった事。
もし、俺がシロにする様に湊に出来ていたら…未来は違っていたのかな…?
まだ湊は俺の傍にいて、親父から救う事が出来たのかな…?
そんな、今更…考えても仕方のない事で頭がいっぱいになってしまうんだ…
シロは俺を好きだと言ってくれた。
この狂気も含めて好きだと…
それなのに…俺は彼を抱いても、彼でイク事が出来なかった。
だから、湊に置き換えて…射精した。
途中までは彼を抱いていた筈なのに、イッた時腕の中に居たのが湊だった。
俺はシロの事を愛してるんだ…でも、彼でイケなかったんだ…
こんなに愛しいのに…彼を傷つけて、俺は傷ついた。
「何でだろうな…」
携帯の暗い画面を見つめたままポツリと呟く…
愛してる気持ちと、性的な興奮は別物なの?
それとも、俺はまだ湊の事を思っていて…シロに惹かれるのは…
彼が…湊に、似ているからなの…?
まさか…そんな事、ある訳無い…!!
「シロは…寂しがりで甘えん坊で…お兄さんが大好きなんだ。ありのままの俺を好きだと言ってくれた…怖がりの癖にホラー映画が好きで…目の中に黒い闇を抱えてる。ステージの上ではかっこ良くてセクシーで、沢山の人を魅了する特別な人。でも、俺の前では可愛い笑顔で甘える…俺の…愛しい人。」
口に出して言いながら、涙声で言葉に詰まる。
どうしてだろう…どうして…こんなに辛いんだろう。
愛してるのに、湊の影がちらつく…
シロを愛してるなんて思っている自分が信用出来ない。
俺がもし…シロの事を、湊の代わりに、愛していたら…
彼はきっと、とても傷つくに違いない…そう思ったら苦しくて、辛いんだ…
彼を傷つける物が許せないのに…自分もその内の1つだったなんて…
笑い話にもならない。
彼の“宝箱”に入っていたお兄さんからの手紙…シロは見る事が出来ないと言っていた…
怖くて見れないと言って笑っていた…
いつかあの手紙を読むとき…隣に居るのは俺かな…向井かな…
それとも…彼は1人で読むのかな…?
彼が壊れてしまう程のお兄さんの存在に…俺はなれない。
今は向井がその存在に成り代わった…
親父に似た蛇の様な男…俺はあいつが大嫌いだ…
冷たい目に人をあざ笑うような笑顔…思い出しただけでも気分が悪い。
それでも、シロには必要な人なのかもしれない…
出口のない迷路の様に何回も何回も…自分を責め続ける彼を、あの男が癒すなら…必要なのかもしれない…
幼い頃から性的虐待…愛する人の自殺…
十分すぎる程傷ついた彼を癒してくれるなら…向井を拒む事はシロの為にならない。
キンと張った琴線がいつか切れてしまいそうで…怖いんだ。
その琴線を緩めるのが向井なら…俺は彼を受け入れるしかない。
向井は彼のお兄さんと似てる…
それが事実なら…俺の知らない表情を向井に向けているの…?
悔しい気持ちよりも、情けない気持ちが強い。
シロに会いたいな…また甘えて欲しい。
その前に…誤解を解かないと。
…誤解…でも無い。
結局親父の駒になって、お見合いを受けるしかない俺の様な二世は…人を甘やかせるだけの、包容力なんて無いのかな。
手元の携帯を眺めて、シロの電話番号を見つめる。
怒ってるかな…呆れてるかな…気持ちが冷めてしまったかな…
暗くなる画面をそのまま見つめて、項垂れる。
何もできない。
#シロ
仕事が終わって向井さんの車で送ってもらった。
そしたら、六本木ヒルズに連れてこられた。
これが送り狼というやつなのか…
飄々と普通の顔をして、オレを自分の部屋に連れ込むんだ。
笑っちゃうよな。
オレはシャワーを浴びると、そのまま向井さんとセックスした。
「ねぇ…向井さん?オレのどこがそんなに良いの?エロいところ?」
彼に跨って、彼の首に腕を絡めて、ゆっくり腰を動かして快感を感じる。
オレのそんなぼんやりとした問いに、顔を上げてこちらを見るこの人の顔が…兄ちゃんに見える…
「儚いところ…」
ポエムみたいな事を言うから、オレは吹き出して笑った。
「だはは!なにそれっ!やっぱりお笑い芸人になりなよ…クズ太郎って名前で…」
儚い…なんて、言われたこと無いよ…
依冬と違って向井さんとするセックスは最高にトロける。
大人だから…上手なのかな?
下から突き上げる快感に体を仰け反らすと、彼はオレの腰を掴む手を締め付けてもっと奥まで挿れようとする。
…きもちい
「シロかわいいよ…愛してる…」
「きもちい…んっ、んぁあ…」
オレは向井さんにしがみつくと、彼の髪に顔を埋めて甘える。
兄ちゃん…
「あん、…んぁ、んっ…はぁはぁ…」
オレを引き剥がして彼が顔を覗いて来る。
兄ちゃん…!
堪らなくなって彼に熱いキスをする。
嫌だ…もうどこにも行かないで…!!
延々と続く…兄ちゃんへの懇願がオレの頭の中をリフレインする。
目の奥がグルグルとめぐって、目の前でオレを見つめる向井さんを見つめる。
「シロ?誰とエッチしてるの?」
「に…ちゃんとしてるの…」
「兄ちゃんの事好きなの?」
「大好き。…大好きだから、もう…あの人と、会わないで…オレだけ見ててよ。…嫌だよぉ…あんなの、嫌だぁ…」
涙が溢れて胸が苦しく揺れる。
「嫌だ…なんで…あの人が好きなの…?オレよりも、あの人の方が好きなの…?」
彼の頭を掴んで自分の胸に埋める様に強く抱きしめる。
誰にも渡したくない…誰にも見せたくない!誰にも邪魔されたくない!!
彼はオレの頭を優しく撫でて、感情の嵐を鎮める様に抱きしめてくれる。
きつく抱きしめるあったかい体に、緊張した体がほぐれていく…
「…シロ、お兄さんが誰かといる所を…見たの?」
そう…静かに聞いて来る向井さんの声が聞こえる。
「向井さん…もっとしてよ…なんでやめるの?もっと気持ち良くしてよ…オレのこと嫌いなの?!」
「愛してるよ…」
そう言って、また彼の体が動き始めると、堪らない快感が頭の中を真っ白に染めて行く。
「はぁ、はぁ…んっ、あぁあっ…きもちい…もっと…もっとして…向井さん…きもちいぃ…!!」
体が仰け反って絵も知れぬ快感が体中を走る。
堪んない!
「んんっ!ぁあん!やぁ…ん、イッちゃう…!」
オレは顔を仰け反らせてイッた。
向井さんはオレの胸元にキスして舌で愛撫する。
頭がごちゃごちゃになる…
天井を虚ろに見つめたまま、目の前の光景が団地の部屋とダブって見えてくる。
腕の中のこの人は…兄ちゃんに見えないのに…
半堕ちしてるせいだ…オレは半分、兄ちゃんの幻影に捕らわれ続けてる。
彼と一緒に死ぬつもりだった。
だから何の後遺症も気にしないで、下まで一緒に落ちた。そのせいで、オレは自分でもコントロールが出来ない位に、彼と兄ちゃんを混同して混乱してる。
「向井さん…ごめん、オレ…ダメな気がする…」
1人で勝手に果てたオレは、彼の肩にもたれながら自分の指を一つ一つ動かして背中をトントンと叩く。
「…どうして、そう思うの?」
オレの背中を優しく撫でながら聞いてくるその声が、優しく笑っていて…耳の奥を揺らす。
「向井さんが…本格的に兄ちゃんと…ごっちゃになってるんだ。あの時みたいに…」
オレはそう言うと、彼の顔を包んで指で撫でる。
「…今も?」
そう言いながら微笑むから…本当に…
「うん…」
髪を撫でて顔を触っても…この人が兄ちゃんにしか思えない。
「それでも良い。」
そう言っておどける様に笑うと、優しくキスをくれる。
「…悲しくないの?」
オレは依冬にやられて根に持つくらい…酷くショックだったのに…
首を傾げながら目の前の向井さんに尋ねる。
「俺はね、シロの事が好きだから…色んなお前が見られるなら、それで、幸せなんだよ…」
優しく笑って向井さんがそう言った…
幸せ、だなんて言葉。久しぶりに聞いた気がする…
そんな物とかけ離れた人から…そんな言葉が出てくると思わなかった。
イカレたオレと居る事が…幸せなの…?
オレは彼の目を見つめながら言う。
「嘘だ…」
「本当なんだな~」
「オレを甘やかすだけ甘やかして、他の人の所に行くんだろ?もう嫌だ…あんな気持ちになりたくない…もうやなんだ…!」
彼の肩に顔を埋めて背中を抱きしめる。
幸せなんて要らない。愛なんて要らない。
ただ、兄ちゃんの代わりがここにあればそれで良い…
他の人とセックスしない、自分だけの兄ちゃんがここにあればそれだけで良い。
オレの頭を撫でて顔を摺り寄せて向井さんが言う。
「…お前以外に、こんな気持ちになった事は無いから、俺に飽きるまで甘えればいい。飽きたら捨てれば良い。ね?前に言っただろ…俺は、お前の兄ちゃんになりたいんだ。だから、好きなだけ甘えればいい…ずっと一緒に居たいんだよ。」
オレを押し倒して覆い被さると、オレの顔を見つめながらまた腰を動かし始める。
「ん…でも、でも…そんなの…んっぁあ…悲しいよ…悲しいのは嫌だ…」
彼は体を起こしてにっこりと微笑むと、オレの乳首を両手でいやらしく撫でた。
気持ち良くて体が仰け反ると、迎えるように乳首を舐められて、快感に体が小刻みに震える。
「あっぁああ!兄ちゃん…に…ちゃん! んっ…きもちい…大好き…兄ちゃん…!!」
オレのモノをキツく扱いて反り立たせる。
それが、すっごく気持ちいいんだ。
「や、やぁあ!! らめ、それ…や、ぁあん…!」
「…はぁ、はぁ……シロ…気持ちいい?」
兄ちゃん…!!
「んんっ! きもちいぃの…はぁ…んっ!兄ちゃん…好き、好き…!!オレ…イッちゃいそう…!」
「まだ…だめだよ…」
下半身の快感が体を巡って両足は突っ張って震える。
イキたい…!気持ち良くて…我慢できない!!
歪む瞳で、兄ちゃんを見つめて、両手を伸ばす。
オレの方へ体を落として、兄ちゃんがもっと奥まで挿れる。
…苦しい!
「ぁああっ!! 兄ちゃぁん…!イキたい…も、らめ…おねがい…イッてもいいでしょ?ねぇ…ん~っ」
兄ちゃんの首にしがみ付いて、猫みたいに顔を擦り付ける。
早くイキたいっておねだりする。
「シロ…かわい…もうちょっと我慢して?」
兄ちゃんはそう言うと、体を起こして、オレの中をもっと気持ち良くする。
オレは顔を両手で抑えて、快感が頭まで登って来るのを耐えてる。
息を吐いて、快感に満たされた体がイキそうなのを頑張って我慢してる。
その間も兄ちゃんの手や指がオレの体を撫でて気持ち良くしていく。
「あぁああっ! んっんん…、くっ…んんぁ! ら、らめぇ…っ!!んんぁあ…あぁああっ! や、やぁだ!!」
手を上に上げてシーツを掴む。
体が仰け反って、イッてるみたいに腰がヒクつく…
オレのモノからドロドロと漏れてるみたいに先っぽが熱く溶ける。
「ん…はぁ…んっ…シロ…かわい…すごく好き…。俺を好きにして…シロ…シロ…!」
オレの中ですごく太くなる兄ちゃんのモノが痛いくらいなのに…快感が舌まで巡るよ…頭が真っ白になる…! 今すぐイキたい…!!
「イッても良い…って言ってぇ…んぁあ…兄ちゃあん!! だめ、も、んぁあ…ねぇ…、イキたい…!イキたいの…!! はぁ…ん、はっ…はっ…ぁあん!」
「シロ…お利口だね……イッていいよ…」
その言葉を聞いた瞬間、オレは体を跳ねて激しくイッた。
自分のお腹に熱いのが沢山かかる。
突っ張った足先から舌の先まで満たしていた快感が一気に抜けていく。
首が伸びて上に上がる。
快感の波が最高に気持ち良くしながら体を抜けていく。
その瞬間が一番ゾクゾクするんだ…
「…んんっ…シロ…はぁ…んっ!」
兄ちゃんがオレの中でドクンドクンと暴れてイッた。
溢れた熱いモノがダラダラと垂れてくる…熱くてトロトロの物がオレのお尻を伝って垂れていく。
息を荒くして、トロけた瞳の兄ちゃんがオレを見下ろす。
半開きの口から、舌が見えて…すごくいやらしい…
悲しそうな瞳が…儚い…
「兄ちゃん…」
オレはそう言って、兄ちゃんの体を抱きしめて自分の体に沈める。
大好き…大好き…兄ちゃんが大好き…
目の前の兄ちゃんの髪をかき上げて、何度も言う。
「兄ちゃん…大好き…大好き…」
昔そうした様に…大好きな兄ちゃんをうっとり見つめて、何度も言う。
オレの兄ちゃん…
もう離さないよ…
「シロくん!俺達、新婚だよ?」
陽介先生は貴重なレッスン時間をずっとこんな調子で浪費していく。
ストレッチが終わっても続くようなら、1回怒ってみよう。
オレは少しムッとした顔で先生を見た。
「ズキン!」
オーバーにリアクションして倒れる陽介先生の今後が心配だよ…。
一通り踊れるようになったオレは、細かいディティールを教えてもらっていた。
「かわいい、シロ、かわいい…」
「先生、オレ…オーディションまでにクオリティあげたいよ。こんな風になるならもうお店、出禁にするよ?」
オレがそう言うと、またズキン!と言って倒れた…
と思ったら、起き上がってキリッとした顔をした。
「ごめん!ちゃんとやらないとね!シロの踊りに影響したら大変だ…オレのシロが恥をかかないようにしないと!」
そう言って細かい部分を丁寧に教え始めた。
陽介先生がリカバリーしたおかげで、少し時間がオーバーしたけど満足のいくレッスンが行えた。
スタジオの端で座って着替えていると、陽介先生が寄って来る。
「シロ…あの人と、どこまでしてるの?」
好奇心の塊なんだな…
オレは靴下を履きながら視線を上げずに言った。
「先生?あんまりこういうの、興味持たない方が良いよ…?ショック受けてたでしょ?こんな話やめよ~?」
オレがそう言って相手にしないと、陽介先生は膝をついて座って器用に近づいて来る。 なにそれ!すごいな!
「あれは…!シロが…可愛くて、固まってただけだよ?あんな甘え方して…あの人はズルイ!」
この人面白いな…変な人。
オレはクスクス笑いながら、荷物を持って立ち上がった。
「ご飯一緒に行かない?」
「あ…約束してるから、また今度で。」
そう言って先生の誘いを断ると、スタジオを出て約束した店へ向かう。
暑い!真夏だ…街中は夏休みの子供で溢れてる。
半そでの人が羨ましい。オレはこんな直射日光、肌で受け止めたくない!
UVカットのパーカー越しにも肌がヒリヒリしてくるんだ…
どうしてこんなに肌が弱いんだろう…白いせいかな。
キラキラ光る地面を通り過ぎて、明るい笑顔の人とすれ違う。
体も動かしたし足も軽い。
なのに、気分が完全に乗らないのは、オレが燻ってるからなのかな…
ほんと、ちっさい男なんだ。
「シロ。」
小洒落た店の前にオレを呼ぶ大きな男、発見!
「依冬!」
オレは人目も憚らず抱きつくと、彼の胸板にスリスリしてマーキングした。
お日様の匂いじゃない、香水の匂いがする。
「急にごめんね。今、レッスン帰りなの?」
依冬はそう言うと、オレのリュックを持ってくれる。
優しんだ。
「いいよ、別に。それより待った?」
そう尋ねるオレの腰に手をあてて、店の中に入って行く。
店内は小洒落たアンティークな雰囲気…観葉植物が所々に置かれて茶色の空間に緑を添えてる。
真夏の昼間なのに薄暗く感じるのは…きっと細かく渡る窓の格子のせいだ。
日当たりよりも、雰囲気の方を重視したんだ。
でも、オレにとったらその方がありがたいよ…日には当たりたくないもん。
店員が来てオレ達を案内する中、店内を観察する。
意外と男2人って組み合わせ、多いんだな…
みんながみんなゲイな訳じゃないと思うけどね。
案内された席は外が見える窓辺の席だった。でも、日陰だ!
邪魔だと思った格子は、外からの良い目隠しになった。
メニューを見てみると、また英語だらけなので依冬に注文を任せた。
こういう時、英語の出来る人がいると安心だ。
昔、智とこういうお店に入って困った事を思い出した。
「シロは僕より年上なんだから、英語読めるでしょ?」
そんな常識、どこで学んだんだ!オレはそんな話聞いた事無いよ?
「読めない!」
そう言って、店員さんに言ったんだ。
「お肉の安い料理を2つ…」
恥ずかしがって、智が俯く中オレは自信満々に彼に言った。
「これは通の注文の仕方なんだよ?」
そんな訳無いって、怒って笑った智の顔を思い出す。
智…ごめんね…
オレは依冬に視線を向けて、笑って聞いた。
「この前、道で会った時さ、一緒に居た子、新しい彼女なの?」
話題が唐突すぎたのか依冬が一瞬固まった。
「お前の父親がそう言ったんだ、前の彼女とは別れたって…」
オレはそう言って、依冬の顔を覗き込む。
「振られちゃったんだよね…父が別れさせ屋みたいなの雇ってさ…あの人とはお見合い中なんだ。」
ふぅん…と言って、格子が邪魔な窓の外を眺めた。
オレはそんな話、お前から聞いてなかったから…
今、初めて聞いたから…
「この後、美容室に行くんだけど、今度は何色が良いと思う?」
オレは気を取り直して、依冬に向き直ると話題を変えて話しかけた。
「うーん…俺は、赤い髪のシロが良いと思うよ。」
そう言って頬杖を付いてニコニコと笑う依冬。
オレはこの顔が好きなんだ。かわいくて…無邪気だから。
「ん、じゃあ…緑は?」
色んな色を聞いてみたけど、依冬は赤が良いみたいだ。
また赤に戻すのも悪くないね。
料理が運ばれてテーブルの上に並んだ。
ダンスのレッスンや陽介先生の話をする。
「陽介先生は、毎日お店に来てて、どんどん沼に嵌って行くんだよ?オレは少し心配なんだよ?」
オレがそう言うと、依冬が笑って言った。
「シロが誘ってんじゃん。ダメだよ?」
「ふふ、誤解だ。オレは仕事でそうしてるだけ。チップを貰う時に他人行儀だったら、場が白けるじゃん。そうだろ?」
燻った気持ちも目の前の彼を見たらどこかへ飛んで行って、残ったのは会いたかった気持ちと、目の前で笑う彼を可愛いと思う気持ちだけだった。
「依冬…会いたかった…」
オレがそう言うと、依冬はオレを見つめて微笑んで言った。
「俺もシロに会いたかったよ。」
…本当?
話が変わって、ダンスに必要な筋肉を付けるトレーニングの話をしていた。
急に、依冬が食い気味に聞いて来る。
「シロ、筋トレって…何するの?」
「腕立てとか腹筋はいつもやってるから、プラス、ランニングとかインナーマッスルを鍛えるやつ。」
「そう…そういうのをやるんだ。ベンチプレスとかはしないんだね?」
依冬はそう言うとオレを見ながら首を傾げた。
おかしいだろ?
オレのトレーニングメニューが気になるみたいなんだ。笑っちゃうよね。
オレの専属トレーナーにでもなってくれるのかな…ふふ。
オレは何の気なしに依冬に尋ねる。
「ねぇ、何でそんなに知りたいの?」
そしたらあいつはオレの目を見て微笑んで言った。
「シロの、細い体が好きだから…」
…オレはその言葉をどう受け取ったら良いの?
一瞬考えて、沸沸と嫌な気持ちが沸き起こるのが分かった…
「…今の方が湊に似てるから?筋肉付くとやなんだ。」
吐き捨てる様に言ったオレの言葉に、依冬の食事の手が止まった。
オレは止まらなくて、依冬を見上げて追い込む様に言った。
「オレはダンスを上手に踊るために必要な筋肉を付けたいんだ。それで体形が変わったとしても、構わない。だって、オレはダンスが踊りたいんだからね?湊になりたいわけじゃないんだ。なよなよした体ではダメなんだよ?お前はオレの体に筋肉がつくのが嫌かも知れないけど、それはオレの事を思ってじゃない。湊に似てるから、体つきが変わるのが嫌なんだ。」
「違うよ…」
「ふふ…何で嘘つくの?」
「嘘じゃないよ…」
「別に良いじゃん…そうなんだからさ、女みたいな体が良いんだろ?」
「だって、俺、そんな風に思ってないよ?」
「…もう、良いよ…」
そんな言葉の応酬で、すっかりこの店と同じように薄暗い雰囲気になってしまった。
ため息をついて頬杖を付くとまた外を眺める。
せっかく会えたのに…最悪だ。
燻っていた感情が爆発した。
このまま暗い雰囲気なんて嫌だ…
何か、他の話題をしないと…明るくて、楽しい、彼が笑顔になる様なもの…
「…こ、この前、新大久保のお店に衣装を借りに行ってSMダンス対決したんだ…オレが勝ったんだよ?YouTubeに上がってるらしいから、依冬も見てみてよ。」
そう言いながら手元のフォークを握って、お皿の中のお肉を刺した。
オレの話に、なんの反応のない依冬を見上げると、彼は不満そうに黙ったまま手を止めていた。
「なんだよ…だって、本当の事じゃん…!」
「何にも知らないでしょ…」
オレを睨む様な目で見る依冬にイライラしてくる。
やめろよ…オレはお前の敵じゃないのに…お前の事…好きなのに…
そんな目で見るなよ…!
酷いじゃないか!!
「…湊とお前の事を?知りたくもないよ。そんなに大切な思い出なら、オレで汚す前に大事にしまっておけよ。オレに会うと汚れちゃうよ?大切な湊との思い出が…汚されちゃうよ?会わない方が良いよ…もう、オレ達。」
鋭い刃物の様な言葉を依冬に投げつけてしまう。
依冬は目を伏せてオレから視線を外すと、悲しそうな声で言った。
「…もう良いよ。シロ、あの時の事、怒ってるんだね…」
「怒ってない…」
居心地が悪い…もう帰りたい…消えたい…
沈黙と、この空気に耐え切れずオレは依冬の方を睨んで言った。
「もう帰る…」
オレが席を立とうとすると、依冬はオレの手を掴んで止める。
オレの隣の席に移動すると、顔を覗き込むようにして言った。
「ごめんね…傷つけたよね…でも、俺はシロの事が大好きだよ?」
なんだよ、これ…
まるで、あやされるガキじゃねぇか…!
「もういい…オレ帰りたい。離して!」
「シロ…待って…」
オレは依冬を置いて店を出ると、タクシーを拾って乗り込んだ。
もうここにいたくない…
もう会いたくない…
もうお前なんて知らない…
お前なんてずっと湊でオナニーしてればいい…大嫌いだ…
大っ嫌いだ!
美容室の前でタクシーを降りる。
予約よりも早い時間に行ったのに、いつもの店員さんは快くカットとヘアカラーをしてくれた。
「今日は何色にする?」
「薄い桃色のピンクにしたい!」
「かわいいね、それにしよう~!」
すぐ準備がされてYouTubeを見ながら待つ。
この色にしたらどんな衣装が似合うかな…
そんなどうでも良い事を考えながら、頭を空にして動画の内容だけ、ただ流し見した。
「わぁ、よく似合うね!」
既にブリーチのかかったオレの髪は、あっという間に薄いピンクになった。
可愛いじゃん!気に入った!
美容室を後にして街中を何となくふらつく。
…なんだよ、別れないって言ってたくせに…親父が、親父がって…
は?オレの体が細いのが好き?
湊とオレ、どっちが良い体かなんて、見れば分かる。
オレの方が締まってるし、柔らかいし、良いに決まってる…!
なのに、なのに…何だよ…!
筋肉が付かなかったら、オレは踊れないじゃないか…
キレキレに踊れないじゃないか!
どうして、あいつの湊でいる為に自分の体形をキープしなきゃいけないんだよ…!
レッスン用にお高いスウェットのズボンを買った。
高い買い物をして少しだけ気がまぎれる。
ムカつく…依冬…ムカつく!
癒しを得るため、虎の抱き枕を買って家に帰った。
ボロアパートの前まで来ると、依冬が道端でオレを待っていた。
クゥ~ンと鳴きながらオレに近づいて来る。
まさかいるとは思わずビックリしたけど…頭に来ていたオレは、それを気づかれない様に澄ました顔で歩いた。
「ピンクにした…」
オレは依冬の目の前に行ってそう言った。
でも、見てやらないんだ…だって、お前はオレじゃなくて湊を見てるから。
依冬はオレの髪を触って撫でると、顔を覗き込んで言った。
「かわいいよ。」
「嘘だ」
「シロ…」
「もう話したくない!」
「なんで…」
うん…分かんないよ。でも、もう話したくないんだ。
オレの手を掴んで振り向かせるけど、オレはもうダメみたいだ…
お前の声も、姿も、見たくない!
「オレは湊じゃないから…もう付き纏わないでよ。オレはお前の好きな人じゃないから!」
オレがそう言うと、依冬はオレを引き寄せて抱きしめた。
…お前はそうやって荒れるオレを落ち着かそうとするけど、もうダメなんだ…お前なんて、もう大嫌いになったんだから…
「オレの事構わないでよ!…お前も勘違いしてるだけだよ…もう放っといてよ!」
そう言って依冬の腕を振り払った。
兄ちゃんの腕を振り払ったあの時の光景がフラッシュバックする。
…!!
たじろいで、動揺する。
これでは…まるで…あの時と、同じじゃないか…
「シロ!」
彼の声から逃げる様に階段を上がって、自分の部屋に入る。
「兄ちゃん…兄ちゃん…!!」
溢れる涙が体を揺らして、しゃがみ込む足を震わせる。
「シロ…兄ちゃんと少し話そう…」
そう言った兄ちゃんの言葉を聞かなかったのはオレだ。
自分が傷つきたくなくて…相手を傷つけてしまうんだ…
怖くて、攻撃してしまうんだ。
オレが、弱すぎるから…
ハリネズミの様に体中から針を立てて…耳を塞いでしまうんだ。
これでは和解する会話なんて、出来ないのに。
怖くて、拒絶してしまうんだ…
宝箱の中を開いて、兄ちゃんの腕時計を撫でる。
「兄ちゃん…ごめんなさい…兄ちゃん、ごめんなさい…シロの所に戻って来て…ッ怖いんだ。怖いんだ…助けて…」
悲痛な声が静かな部屋に響いて、手の中の腕時計が熱くなる程、手の中で握りしめる。
「シロ…兄ちゃんの時計知らない?」
「…知らないよ?」
兄ちゃんが出かける準備をしていたから…オレは兄ちゃんの腕時計を隠した。
それが無かったら出かけられないって…そう思って、兄ちゃんの腕時計を隠した。
「おかしいな…ここに置いたのに…」
そう言いながら兄ちゃんがオレの隣に座ってきた。
「シロ?知らない?」
そう言ってオレの顔を覗き込んで聞いて来る。
オレは視線を逸らして、兄ちゃんとは反対側を見つめる。
「知らない…よ?」
ふふっと笑い声が聞こえて、兄ちゃんがオレを抱きかかえて膝に乗せる。
「どうしてかな…無くなっちゃったみたいだ…」
そう言って、膝に座らせたオレの体をギュッと抱きしめる。
オレの背中に兄ちゃんのあったかい体がくっ付いて、じわじわ熱くなっていく。
「…見たかもしれない…」
顔を俯かせてオレがそう言うと、兄ちゃんがオレの髪を撫でてくれる。
「そうか…じゃあ、そのうち見つかるかもしれないね…」
そう言いながら、車のカギをテーブルに置いてオレと一緒にテレビを見始める。
兄ちゃんは出かけることを止めて、オレと一緒に居る事を選んでくれた。
「兄ちゃん?…ここにあった…」
そう言って手の中にしまった腕時計を兄ちゃんに見せる。
「ふふ…本当だ。…こんな所にあったんだ。」
そう言って兄ちゃんがオレにキスをする。
手に握っていた腕時計が熱くなって、兄ちゃんの手のひらにそっと返した。
オレの体が埋まるほどに兄ちゃんがオレをきつく抱きしめた…
それが、あったかくて優しくて大好きだったんだ。
「兄ちゃぁん……助けてよ…助けて…!」
1人こもった空気の部屋で涙を流す。
宙に向かって助けを求める。
これ以上依冬を傷つけたくない。
それでも止められない自分の自己防衛を止めて欲しいんだ。
助けて…弱い自分を守って…
兄ちゃん…傍に居て!!
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