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第20話
#依冬
俺だけ仕事なんて…腑に落ちないね。
引き留められてあんなに動揺すると思わなかったよ。
シロ。悲しいね…
彼が、あんなに壊れてるなんて…知らなかった。
俺と居る時の彼と、向井と居る時の彼は別だった…全く違った。
可愛らしい笑顔で、ふざけたり、甘えたり、強がったり…そんな一面を彼だと勘違いしていた…
体を離したくないみたいにべったりと寄り添って、うっとりとした瞳で見つめて、甘ったるい声で話しかけて…挑発する様に体に触れて…我慢できない様に抱きしめる。
完全に信頼して…お兄さんの手紙を向井に渡した。
その瞬間悟った…向井が彼の特別なんだと…いつの間にか、お兄さんじゃなく…あいつが彼の特別になったんだって…
すっかりギラつきの無くなった向井を見れば分かる。
あいつはシロの狂気に呑まれてる。
いや、魅了されてると言った方が適切なのかもしれない…
傅いて、庇護するみたいに、彼の傍に寄り添って…全てから守る。
お兄さんが出来なかった事を代わりにして、自分を消し去る様に健気に尽くす…
どうしてそこまでするのか…きっと、シロの狂気に捕らわれたんだ。
逃げられない狂気に捕らわれて、そこに自分の価値を見出した。
あいつの言った通り…お互いに何かを補い合うんだ…求めたいシロと…求められたいあいつ…
俺は多分シロの表の恋人なんだ…表の好きな人。
そして…向井は彼の裏の恋人…裏の…本当の…好きな人。
悔しくはない。俺には出来ないから…あそこまで、出来ないから。
彼が求めれば、俺が居ても抱いて…彼が求めれば、俺のご飯も作って…彼が求めれば、自分のベッドを俺とシロに使わせて自分はソファで寝るんだ…
それは服従…?いや、過保護…?いや、従順?…違う。
…全てを許して受け入れる包容力だ。
それがきっとシロが言った“お兄さんと同じ愛”なんだ…
一瞬でもお兄さんに混同されて、混乱して、動揺して、逃げ出したいと思った自分には…シロを支える事なんて…1人では無理だ。
まるで混濁した意識の中にいる様に、向井とお兄さんを交互に見て抱かれる彼は…狂気と妖艶と…儚さが漂っていて…今にも壊れてしまいそうで恐ろしかった。
終始悲しそうに彼を抱くあいつを見て、痛々しくて…苦しくて…
あいつの事は嫌いだけど、可哀想だと思ってしまった。
俺が思っていた、向井がシロをお兄さんの振りをして誑かしている…という思い込みは打ち砕かれた。
泣きながら笑う彼の声が頭から離れない。
オレは狂ってる…シロが言った言葉が頭の中で繰り返し再生される。
彼は…間違いなく狂ってる。でも、その中で必死に生きてる。
なんだ、俺よりも…シロの方が強いじゃないか…
シロ。俺も傍に居させてよ…愛してるんだ。
その狂気も含めて、全て…
愛せるはずなんだ…
朝の六本木。
タクシーを拾って自宅まで移動する。
向井と居れば彼は安心するんだ…俺と居ても安心する…でも、足りない。
あいつの様な包容力が無ければ、シロを守る事なんて…出来ない。
俺には出来ない。俺では足らない。俺には務まらない。
携帯電話が鳴って画面を眺める。
あの子だ…
「もしもし、おはよう。…うん。今日?急だね。どうかな…約束できないよ。ごめん。」
親父が用意したお見合い相手の令嬢は、俺の事が気に入ったようだ…
シロと同い年の大学生。
プライドが高くて、計算高い…まるで自分の母親の様だ。
話し上手で、鈍い自分は簡単にペースに飲み込まれてしまう。
嫌悪感はない。でも、鬱陶しい。
年上の彼女の放任ぶりが恋しいよ…
自宅に着いて、急いでシャワーを浴びて髭を剃る。
みだしなみを整えて、新しいシャツとスーツを着ると急いで家を出て車を出す。
今日は父に同行して新しい商談相手との打ち合わせをする。
ハンドルを切って、混雑して進まない道路を他の車と同じように進む。
実家まで親父を迎えに行く。
俺を見てソワソワし始めるお手伝いさんを見て察する。
また、やってるのか…
肩を落として、親父の書斎へ向かう。
少しだけ開いた扉の向こう。書斎の中でひと泣きする親父の背中を眺める。
それはあの日と同じ様に床に膝をついて、まるで誰かを抱いているかの様に腕を広げている。
「湊…」
あいつの毎日の日課なのか…湊が死んだあの日を再現して、泣いている。
同じ部屋で母親も首を吊ってるというのに…この人の頭の中は、湊の事ばかりだ。
それはまるで…向井の様だ…
「父さん、そろそろ行きますよ。」
俺の声に気が付いたのか、立ち上がると呆然と立ち尽くした。
「桜二…なぜ、なぜ湊の首を切った…?」
誰かと勘違いして背中で俺にそう言った。
桜二…?
俺は何も言わないで、親父の背中を凝視した
「あの子の体から熱が…どんどん無くなっていく…。私の腕の中で…愛するあの子が絶命するなんて…。こんな酷い事があって良いのか…。なぁ…?私は…そこまで、お前達を…」
「父さん…依冬です。」
傍に行って顔を覗き込む。
放心していた表情が、俺を見て正気を取り戻す。
「桜二って誰?そいつが、湊を殺したの…?」
沸々と沸き起こる…怒り。
俺の問いかけを無視して、親父は書斎を出て行った。
誰だよ…そいつは…俺の湊を殺した、そいつは一体誰だよ。
許せない。
お前は湊を愛してたんじゃないのかよ…!
なのに、なんでそいつを殺さないんだよ…!そいつを警察に突き出さないんだよ…!
許せない…
あの日の事はよく覚えている…
まだ夜が明ける前、けたたましく鳴るサイレンに目を覚ました。
自宅の前に停まった救急車を見て、驚いて部屋を出た。
親父が倒れたんだと思った…イカレ過ぎて死んだんだと思った…。
親父の書斎へ向かう救急隊と合流して、一緒に書斎へ向かう。
書斎の中、親父の背中が見えて、床に広がった血だまりを見る。
とうとう死んだのか…
そう期待したのは束の間、あいつの体から覗く、白い四肢を見て愕然とした。
救急隊員を押し退けて、親父の前に回る。
あいつの腕の中には目を半開きにして動かなくなった、湊…
トクトクと流れる血が首から下を染めて、むせ返るような血の匂いを放つ…湊
廃人の様に宙を見据える親父に声を掛ける。
「父さん…湊は…」
声を震わせて問いかけるけど、こいつの耳に届く訳がない。
血の付いた手で触ったのか…湊の頬には掠れた血が付いていた。
湊の出血の多さから助からない事を察した様に、救急隊員は救命措置をしない。
いつまでも親父の腕に抱かせたまま…どこかへ連絡をしている…
嫌だ!
俺は親父の腕から湊を抱きかかえて、担架に乗せて言った。
「助けて!…早く、助けて!!」
視界が歪んで…喉の奥から叫び声が中途半端に漏れた。
抱きかかえた湊の体が鈍くて、重くて、もう…彼は死んだんだと分かった…
担架に乗せられて運ばれる湊を追いかけた。
…もしかしたら…まだ生きてるかもしれない。まだ、助かるかもしれない…
救急車に乗って、一緒に病院へ向かう。
サイレンも鳴らされない…救命措置も施されない…半開きの目の湊を見下ろして、彼がもう死んでいると分かった…
頭を持ち上げる力すらなくなって、項垂れて湊の体の前で崩れ落ちた。
白くて細い、美しい手を握ると反応のない…冷たくて鈍い、肉の塊だった。
赤く火照る頬も、可愛らしいピンクの唇も…色を乗せない真っ白になった。
乾いた血液とコントラストを作って、美しい人形に見えた。
血液が無くなったのか…彼の首の傷から血が流れるのを止めた。
ぱっくり開いた傷痕を見て、自殺では無いと分かった。こんなに深く…自分で切れる訳が無いんだ。
「残念ですが、湊さんはお亡くなりになられました。」
病院は人を治す場所では無かった…
俺に突きつけられたのは…死亡の事実だけだった。
湊の遺体が横たわる霊安室で、綺麗に拭いてもらった彼の頬を撫でる。
「こんなに…冷たい所に、可哀想だ…」
自分の手に付いた湊の血が乾いて、パラパラと彼の上に落ちる。
これ…全部、湊の血なんだ…
そう思った瞬間、嗚咽が込み上げて、膝から崩れ落ちて床に突っ伏して泣いた。
見上げる湊の胸は呼吸をしていない…まるで、人形のようだ。
霊安室の扉が開いて、転がる様に親父が入って来た。
髪を振り乱して半狂乱の親父が、血だらけの体で湊を抱きしめて喚くと、綺麗にしてもらった湊の体がまた汚されていく…
「なんで…なんでこんな事になった!一体何があったんだよっ!」
掴みかかって親父をぶん殴る。
吹っ飛ばされても湊に縋りついて泣く狂人を呆然と見つめる。
あいつは、震えて言葉にならない音を口から出しながら、湊に縋ってただ泣いた…
なぜ湊は首を切ったのか…
誰が切ったのか…
なぜそうなったのか…
何があったのか…
俺が問い詰めても親父が話す事は無かった。
胸の中にモヤモヤを抱えたまま、聞いても答えない事を理由に…何も知らないまま、今まで過ごしてきた。
「湊…湊…」
込み上げてくる思いは…執着なのか…一方的な愛なのか…ただ、許せないんだ。
偶然知った、湊の首を切った奴がいるという事実を…俺は見ない振りなんて出来ないよ。
「絶対に許さない…」
踵を返して親父の後を追った。
#シロ
「シロ、お昼は外に食べに行く?」
向井さんがそう言って、ソファでゴロゴロするオレの顔を覗き込む。
「やだ~。行かない~。」
そう言って両手を天井に上げる。
手のひらを閉じたり開いたりして、指先から肩まで順に関節を動かしていく。
力を入れて動かしたり、力を抜いて動かしたりして確かめる。
今日もオレの為に動いてくれるのか、確認する。
「じゃあ、何か頼もうか?」
そう言って向井さんがオレの隣に座って、オレのおでこを撫でる。
「やだ!何か作って?兄ちゃんが何か作って?」
甘ったるい声でそう言って、両手を向井さんに下ろして優しく触った。
あったかい…
しばらくぬくぬくと温まると、ヨッと体を起こして立ち上がる。開けた場所に移動して、思い立ったかの様にストレッチを始めた。
ゆっくり足を縦に開脚させて床にぺたりと座ると、一度前屈みになって、その後、体を後ろへ反らしていく。
自分の指先が後ろ脚に着いたのを確認すると、そのままの体勢をキープする。
「すごい柔軟で、綺麗だね…」
兄ちゃんがそう言って、コーヒーを啜りながらオレのストレッチを眺める。
こんな広い家だとスペースを使うストレッチが出来るね。
ボロアパートではヨガマット一枚分くらいのスペースしか確保出来ないから、この広さは魅力的だ。
体を起こして股関節の向きを変えると、開脚したまま前屈してぺったりと床に胸を着けて、足先を伸ばしたり、立てたりする。
「お~!」
兄ちゃんの歓声と、パチパチと拍手を受けながら、体を起こして足を閉じる。
うつ伏せになって、体を反らして仰け反っていくと、体を使ってウェーブするみたいに膝を広げて体を起こしていく。膝立ちした状態から両手を上に伸ばして体を反らしていく。両手を床に付けてブリッジして、逆立ちするとキープして止まる。
「すごい…ずっと見てられる。まるでショーだよ?」
そう言ってソファから立ち上がると、体を起こすオレを抱きしめて兄ちゃんが言った。
「綺麗だ…」
ふふ…
「…興奮したの?」
兄ちゃんの腕の中で顔を見上げてそう聞くと、兄ちゃんはオレを見つめて瞳を細めた。
「違う…美しくて見惚れたんだ。」
兄ちゃん…
クスクス笑いながら兄ちゃんの腕をすり抜けると、ピルエットを2回まわって、アラベスクをして止まってみせた。
「ふふ…バレリーナみたいだよ?」
そう言って笑う兄ちゃんに教えてあげる。
「揺すって動かしてごらん?オレは絶対ぶれない。体幹が違うんだ。」
オレがそう言うと、兄ちゃんはオレの指先を掴んで揺らした。
「ほらね?凄いだろ~?」
全くブレない、揺るがない体に得意げになってそう言うと、兄ちゃんに眉を上げてどや顔を向けた。
「へえ…バレエ習ってたの?」
兄ちゃんがそう言って今度はオレの足を揺らす。
ふふ…そんなんじゃオレの体はぶれないんだ。
「前、一緒に働いたダンサーの子に教えて貰ったんだ…。彼女はバレリーナだった。しなやかで、美しくて、オレもそうなりたいって思ったんだ。」
そう言いながら伸ばした手を床に付ける様に体を前へ屈めていく。
「キープ!」
そう言って床を撫でながら後ろ足を高く伸ばす。
ゆっくりと体を起こして、目の前の兄ちゃんに言う。
「もっと教えて欲しくてお願いしまくった結果、なんと、オレはバレエのバリエーションを一つ踊れるようになったんだ~!」
そう言って腰元で手をクロスさせて、体を反らして白鳥のポーズをとる。
「ほんと、綺麗だよ…うっとりする。」
言葉の通り…うっとりした顔でそう言うと、向井さんはオレにチュっとキスをした。
そう、バレエってすごく綺麗なんだ。
体を使って感情や情景を表現して、物語を美しく紡いでいく。
コンテンポラリーとは違う。
昔から変わらない形の美しさ…伝統を守った美しさがある。
これがお稽古事としてある事が納得出来る…
舞妓や舞踊などのお稽古事は、将来生業になる様に子供のうちから仕込まれる。これが食い扶持になる様に、しっかりと叩き込まれるんだ。
それがお稽古事。
バレエも同じ。これで食べていけるように…生業になる様に…幼い頃から体を仕上げていくんだ。中途半端な気持ちじゃ出来ない。
だからお稽古事は厳しくて過酷なんだ…って、オレにバレエを教えてくれた子が言ってた。
凄いよ…そういうの、かっこよくて大好きだ。
「そうだ、兄ちゃんもオレのオーディションのダンス見てみる?」
オレはそう言って兄ちゃんをソファに座らせると、足の間に入ってゴロンと寝転がった。
携帯を目の前に持って来て、一緒に覗き込みながら動画を再生させる。
「俺の嫁…何回目のレッスン~」
陽介先生がそう言って、画面の中のオレが音楽と一緒に踊り始める。
いつもと違う、エロくないオレのダンス…画面を見つめる兄ちゃんの顔を見上げて反応を窺うけど、分かんない。
どう思ってるのか…表情からは、全く、分かんなかった。
「どう?どうなの?良いの?悪いの?ねぇ、兄ちゃん…どうなの?」
体を捩って顔を見上げながら何度も聞くと、兄ちゃんはオーバーに表情を作って言った。
「ふふ…悪い訳無いだろ?とってもカッコイイじゃないか。いつもと雰囲気がガラリと変わったね。本当に、シロは何をしても様になるんだ…。素敵だよ。」
ふふっ!
オレはデレデレになって、兄ちゃんの体に身を委ねながらモジモジして言った。
「もっと…もっと上手にならないとダメなんだ。だからいっぱい練習をしないとだめなの。まだ仕上がってない。でも、陽介先生はこのままのペースで良いって言うんだ…焦って怪我したらダメだって…でも心配なんだ。だから、気ばかり焦っちゃう。」
オレがそう言うと、兄ちゃんが吹き出して笑う。
「ふふっ!あの先生、ちゃんと先生してるんだ…。良かった。安心したよ。」
時々脱線するけど、陽介先生はちゃんとやってくれてる。
「そうだよ?意外だろ?ふふっ!」
オレがそう言ってクスクス笑うと、兄ちゃんは嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
「こっちのおっきい画面で見たら良いのに…」
そう言うと、兄ちゃんが大きなタブレットを目の前に差し出してきた。でも、これは門外不出のオレのプライベートな動画だよ?
「良いの。邪魔だから退かして?」
そう言って手で退けようとするけど、家電オタクなのか…兄ちゃんはしつこくタブレットを勧めて来る。
「なぁんで?こっちにも入れたら良いのに…そしたらいつでも見られるのに…」
面倒くさいな…もう!
「良いの。」
鬱陶しそうにそう言うと、兄ちゃんの差し出すタブレット越しにそのまま携帯の動画を見続けた。
もっと上手にならないと…生業になんて出来ないんだ…
#依冬
親父を後部座席に乗せて、商談相手の会社へ向かう。
ルームミラーで確認すると、さっきの廃人ぶりが窺い知れないくらいに落ち着いた様子で、今日の資料に目を通している。
「父さん…桜二(おうじ)って誰ですか?」
表情一つ変えないで無視を決め込む親父に確信する。そいつが湊を殺した犯人だと…そして、親父はそいつを守ってる。
湊よりも大切なのか…弱みを握られているのか…
「あんなに湊、湊、って言っていたのに…薄情なもんですね。彼よりもそいつを庇うなんて…一体、誰なんです?」
俺は無視を決め込む親父に畳みかける。
「痴情のもつれですか?そんな事で湊は首を切られたんですか?全く、最悪だ…だから、俺の方が良いって言ったのに…。可哀そうだ…」
桜二…男だよな。
親父はまだその男を囲ってるのか…?
「依冬、あのご令嬢とは上手く行ってるか…」
窓の外を見ながら親父が聞いて来た。
「もともと勝手に決められた事なので、上手く行くも何も…知りませんよ。」
俺はそう言って前を見据えると、ウインカーを上げて車線を変更する。
「シロ君は…元気にしてるか?」
親父が俺にシロの事を聞いて来た…こんな事は、初めてだ。
取り繕う気が無くなった様に、俺が彼に会っている事を知っているみたいに、普通に聞いて来た。
ルームミラーを見ると、俺の顔を見つめる親父と目が合った。
俺はこいつに彼の話をしたくない。何も知られたくない。俺の大切を汚させたくない。
だから、視線を外してその問いを無視した。
まるで俺を黙らせたかったみたいにシロの名前を出して、思い通りに…俺を黙らせた。
クソったれ…
無言のまま車を走らせて、商談相手の会社に到着する。
入り口に車を寄せると、自社の役員が後部座席のドアを開けて親父を迎え入れた。
俺は車を駐車場に停めると、その群れに合流して最後尾に着いた。
新規参入した分野の事業を業務委託する為にわざわざ親父が出向いた。
何故かって?…足元を見られたくないんだ。
新しい分野のノウハウが無くて芳しくない状況を変えたいのに、足元を見られるのが嫌なんだ。そうすると負けるって思ってるみたいに、意地でも強気に出る。今はウィンウィンな関係を築ければビジネスなんてもっと上手く展開するというのに…
古いんだよ。何もかも、古いんだ。
案内されてエレベーターに乗って移動する。
「足元を見られるなよ…」
そう言った親父の声に、役員がヘコヘコと頭を下げる…
多少条件が付いたとしてもマイナスを多く出す物なんて、早く切り離した方が無難だというのに…こういうやり方でやって来た自負があるんだろうね。この押せ押せの体質は抜けないようだ。
せいぜい手のひらで踊らされればいい。
抜け目のない奴だから、こんな立派な自社ビルを持てるような稼ぎ方をしてるんだ…
「ようこそ、わざわざお越しいただきまして、恐縮です。」
ベンチャーのイケイケな社長が白い歯を見せて笑う。
隣に佇む秘書も高級ブランドの服を身にまとって、嘘っぱちの張り付いた笑顔で出迎える。
俺は親父の群れの最後尾で社内の様子を伺いながら歩いた。
ザ・ベンチャー…
仕切りの無い広い空間に男臭い物は何一つなく、大きく設けられた休憩エリアに女性が集まる。どこでも仕事が出来る様にノートパソコンを片手にウロウロと歩き回る今どきのキャリアウーマンたち…華やかで、女性の多い職場だ。
フロア全体にむせ返りそうな香水の匂いが立ち込めてる。
ひと際大きな会議室に通されて、着席をする。
さぁ…どうなるかな。
イケイケのベンチャーの手腕を勉強させてもらおう。
この老害たちにとどめを刺す所を見せてくれよ。
「いや~、良かった。纏まりましたね。それでは、今後ともよろしくお願いします。」
何かおかしい…
俺の予想を反して思った以上にトントン拍子に話がまとまった。不自然な位譲歩された契約内容に不信感と違和感を感じた。
これじゃ…ノーダメージで技術提供を受けられるじゃないか…
そんなもんじゃないだろ?こんな立派な自社ビルを建てたんだ。
もっと意地汚くて、先の先を読むような鋭い嗅覚を持ってるんじゃないのか…
これではただの温いおしゃべりだ…
「何か手を回しましたか…?」
帰りの車内、後部座席で上機嫌な親父に尋ねる。
「ちょっとしたお楽しみを提案したんだ…」
そう言って、親父は煽る様に身を乗り出して言った。
「ストリッパーの男娼を提供すると言ったら、喜んでこちらの条件を飲んだよ。何でも動画か何かで有名になったらしいじゃないか…彼は。」
ストリッパー?男娼?
…シロの事を言ってるのか…?!
俺はルームミラー越しに親父を睨むと言った。
「シロは関係ない。勝手に会社の駒に使うな。」
「たかがストリッパーだ。本気になる価値もない。金さえ渡せば誰にでも尻を突き出す淫乱の尻軽だ…。何が悪い?お前を誘惑した時の様に…金さえ渡せば彼は乗るさ。卑しい貧乏人だからな。今、お前とまだ会ってるんだとしたら、それはお前の金が目当てなんだ。むしり取られないように気を付けろよ?ははは…」
親父はそう言って笑うと、運転席のシートを思いきり蹴飛ばした。
…
我慢できなかった…
何も言わずに車を路肩に停めると、後部座席に回って親父をボコボコにした。
死んでも構わないと思って殴り続けた。
なんて奴だ…!なんて奴だ!!こんな奴、死んだ方が良い!!
「今から戻って契約を破棄しろっ!こんな事をして、あの人を汚しても…あんたの湊は戻らないんだ!!もう死んだんだ!湊は桜二って奴に殺されたんだ!!」
怒鳴りつけてそう言うと、俺は運転席に戻って車をUターンさせる。
こいつ…殺してやろうかな…今すぐに、殺してやろうかな…
「ふふ…あは…あはあは…」
口と瞼から血を流して不気味に笑う親父を、ルームミラーで睨みつけながらそう思った。
とんぼ返りする俺の車を不審に思って、会社の役員が勢ぞろいで出迎える。
顔面血だらけの親父を見て動揺する役員たちを無視して、歯の白い奴の前に親父を放り投げて言った。
「まことに申し訳ありません。我が社と関係のない方に枕営業をさせるような事は一切出来ません。内内での下世話な手回しを失礼をいたしました。今回の契約を白紙に戻していただきたい。」
俺はそう言うと、交わした契約書を取り出して目の前で破って捨てた。
「依冬~?超人依冬はオレを守ってくれるんだろ?ふふ。」
そう言って俺を見上げるシロの顔が頭の中によぎる。
守るよ…
こんな事する必要ない。こんな事に関わる必要もない。
こんな要らない芽は踏みつぶして摘んであげるよ。
「社長…何ですか?枕営業って…聞いてませんよ?」
向こうの秘書が怪訝な顔をして白い歯の社長を見つめる。
「え…最悪…きもい…」
女性社員の多いフロアに広がる嫌悪感と、どよめき…
いたたまれなくなったのか、白い歯の社長は契約書を持って来ると目の前で破棄してくれた。
「大変失礼いたしました。」
深々と一礼すると、自社の役員が親父に駆け寄るのを横目に見て、親父を置いたまま踵を返して来た道を戻った。
そいつらに介抱して貰えば良い…クズ。
あの人は、これ以上傷付く必要の無い人だ…
しつこく彼を狙うのは湊に似ているせいなのか…それとも、俺が彼の傍に居る事が許せないのか…?
彼を傷付けて俺を苦しめて楽しみたいのか…
諸悪の根源だ…あいつが死ねば良いのに。
車に戻る途中、携帯電話が鳴って画面に目を落とすと、苛つきのこもったため息をついた。
…またかよ。クソ女。
「もしもし…もうかけて来ないで。迷惑だ。」
一方的にそう言って電話を切ると、すぐに掛け直される電話を着信拒否する。
目的は不明だが、親父がシロをつけ狙う限り、俺は安心できない。
きっと、また、あいつはやるだろう…
抜け目のない蛇みたいに、シロを狙うんだ…
「くそっ!」
運転席に座ると、目の前のハンドルに苛つきをぶつけて殴った。
親父が二度とおかしな考えを巡らさない様に…息の根を止める必要がある。
それは物理的にではなく…精神的に、二度と彼を陥れようなんて思わない様な…あいつの弱みを握って…脅す必要がある。
「桜二…」
あいつが湊よりも大切に庇うその男を突き止めよう。
警察に突き出すと脅して…あいつを黙らせよう。
「そうだ…そうしよう…」
オレはそう呟くと、向井に電話をかけた。
「もしもし…依冬です。親父の弱みを掴んだ。あんたに協力して欲しい。」
俺がそう言うと、彼は一瞬黙って、後でかけ直すと言った。
そうか…彼の家には、まだシロがいるのか…
電話口に漏れ聞こえるシロの声に口元が緩んで涙が落ちる。
俺の可愛い人…
何してるの?
「依冬?ねぇ、うなぎと梅干って本当は食べ合わせが悪くないって知ってた?さっきテレビで言ってた。ほんとだと思う?」
そう言って、電話を取りあげたのか…向井がゴニョゴニョ言ってる声がどんどん小さくなっていく。
彼の声色が楽しそうで…おかしくて、笑いながら言った。
「今度、目の前で食べてあげるよ…?」
「ほんと?」
電話口の彼は嬉しそうにそう言うと、ケラケラと笑った。
何でもするよ?俺はシロの為なら何でもする。
「シロ…向井さんに電話代わって?お仕事の話なんだよ?」
「ん~!またね?」
はい!と声がして向井が電話口に戻る。
「湊を殺したやつが分かった…桜二って男だ。そいつを探して突き止める。その話をあんたと一緒にしたい。」
俺は短くそう言うと、通話を切って携帯電話を助手席に置いた。
頭の切れるあの男がいれば…親父を追い込める。
彼も復讐を果たしたいはずだ…
1人では太刀打ち出来ないけど、2人なら…何とか追い詰める事が出来そうだ。
シロを不名誉な形で利用されそうになって、俺の中で何かが吹っ切れた。
このままではいけない。
行動を起こす時なんだ…
硬く結んだ口元が、彼を思い出してフッと緩む。
「うなぎと…梅干しね…ふふ。」
クスクス笑いながら車を出した。
#シロ
「向井さん?オレはねいつも18:00にお店に行くんだ。ここを何時に出たら丁度になるの?」
そう言ってソファに座る彼に正面から抱きついて甘える。
「そうだな…車だったら15分前くらいで良いんじゃない?」
本当?
「もし遅れたらどうするの?」
オレはそう言って彼の膝に跨って座ると、顔を掴んで自分の方を向かせる。
「ふふ…じゃあ20分前に出る?」
そう言って微笑むから、可愛くなって…チュッとキスした。
依冬から電話があった後から、何だか…少し元気がない。
オレは彼の顔を覗き込んで、大丈夫だよ…と気持ちを込めて頭を撫でてあげる。
「ふふ…どうしたの?」
そう言って笑う目が、言葉や声と裏腹にとても寂しそうに見える。
どうしたの?
何かあったの?
仕事で失敗しちゃったの?
「…シロは、依冬が好きなんだ。」
向井さんがそう言ってオレの頬を撫でる。
オレは彼の目の奥が気になって、首を傾げて答える。
「そうだよ…オレは依冬が好きだよ。」
「ふふ…子犬みたいだから?」
伏し目がちに彼がそう言って、口元を緩ませて微笑んだ。
「そうだよ?子犬と、忠犬と、狂犬の時があって、狂犬の時でもオレがギュッてすると、忠犬に戻るんだ。でもね、忠犬の時は忠実さゆえに毒を吐くって…昨日、知った。でもね、愚直で、純朴で、依冬は可愛いんだ。」
オレはそう言って向井さんの胸に体を埋めて甘える。
「…そうだね。彼はシロの事が大好きみたいだから、きっと守ってくれるよ。忠犬だからね…。ふふ。」
彼が笑うと彼の胸が揺れて、オレの頬も一緒に揺れる。
「ねぇ?オレってビッチかな?」
唐突にそう聞いて体を起こすと、向井の向井さんを見つめる。
そのまま両手で彼の胸をシャツの上から撫でる。
彼はオレを見上げて首を傾げて言った。
「どうかな…ビッチの定義は?」
定義?
彼のシャツのボタンを外しながら考える。
ビッチの定義…
見境なく誰とでもエッチしたがること?
「誰とでもエッチしたがる…とか?」
オレがそう言って彼のシャツを開くと、向井さんは吹き出して笑って言った。
「あはは…それがビッチなの?」
だってそうじゃん。誰とでもエッチしたがるなんて、ビッチだろ?
「そうだよ?」
彼の胸に舌を這わせてそう言うと、優しく手のひらで温かい胸を撫でる。
「じゃあ…俺はビッチかな?」
そう言って向井さんがオレのTシャツの下に手を入れた。
「んふ…違う。向井さんはビッチじゃない。どっちかというと…スケベだ。」
オレがそう言って笑うと、向井さんがオレのTシャツをまくって中に入ってきた。
「あ~はは!あははは~!!だめ、こしょぐったい!ん~ふふ!」
こしょぐったくて大笑いしてると、オレのTシャツの中で彼が泣いた。
泣き声なんてしない。体も震えたりしない。
ただ、オレの胸に暖かい涙が落ちたんだ。
オレは彼が泣いているのを気付いてない振りをして、彼のシャツを全て脱がせた。
「ほら、脱げた!全部入って?」
そう言って大きめのTシャツをもっと伸ばして彼の背中を入れてあげる。
彼はオレの腰を強く抱きしめて体を密着させた。
あったかい…
「隠してあげた!!」
そう言って大きく開いた首元から中を覗き込む。
「これで、オレにしか見えなくなったよ?」
オレがそう言うと、体にしがみ付いたままクスクス笑った。
こんなに落ち込んじゃうくらい、仕事で失敗したのかな…可哀想。
「落ち込んでるの?可哀想だね…。このまま隠れてて良いよ。シロが守ってあげる。」
オレはそう言って、Tシャツの上から彼を抱きしめてあげる。
全く動かなくなった彼を…撫でて、柔らかくする。
「…シロ?」
「なぁに?」
「エッチして良い?」
もう立ち直ったの?凄い!
オレは大きく開いた首元から中を覗き込んで言った。
「ほら、向井さんはスケベだ!ビッチじゃない!スケベだ!」
クスクス笑いながら彼がTシャツの中に入ったまま、オレの乳首を舐める。
「ふふっ…ダメだよ。Tシャツが破れちゃうじゃないか…」
オレはそう言って彼だけ残して大きめのTシャツを脱いだ。
「あふふふ…おっかしい。馬鹿みたいだ!」
オレはそう言ってオレのTシャツを被ってる彼をソファに押し倒した。
そのまま下からゆっくりとTシャツを捲っていくと、目元の赤くなった彼が現れて、可愛くて、堪らなくてキスをした。
舌をねっとりと彼の唇に当てて、唇の中に押し込んでいく。
絡める先を舌先で探して、熱くてむせ返るキスを上げる。
「んっふ…かわいいね。向井さん…襲っちゃうよ?」
オレはそう言って彼の膝に跨り直すと腰を押し付けていやらしく動かした。
あぁ…堪んない。この体の大きさ。ジャストサイズだ。
オレのスウェットのズボンを向井さんがずり下げていく。オレはそれをそのままにさせて彼の肩を押してソファに押し付ける。
「ふふ…」
オレが口元をニヤけさせると、オレを見上げる彼も口元をニヤけさせる。
「舐めて…オレの乳首、舐めて?」
そう言って彼の顔の前まで体を倒して、いやらしく腰をしならせて誘う。
「シロは…ビッチじゃないよ?エッチなんだ…」
どう違うんだよ…
彼がオレの乳首をねっとりと舐め上げると、腰が震えて背中が仰け反る。
「舐めて欲しいんだろ?逃げないで?」
そう言って彼がオレの背中を抱える。
「んっん…はぁ…ん…気持ちい…あぁ…ダメ…きもちいの…」
オレは両手で彼の髪を撫でてうっとりした瞳で見下ろす。
堪んない…兄ちゃん
向井さんはオレを抱えるとソファに沈めて覆いかぶさって来る。
脱ぎかけのズボンを全て脱がせて、オレのモノを口に咥えて気持ち良くしていく。
「ん~…気持ちい…あっああん…向井さん…良い…はぁはぁ…あっあん」
頭がジンジンして、腰が揺れて、彼の背中に足を垂らす。
彼はオレの乳首をいやらしく捏ねながら、熱心にオレのモノを舌で扱く。
気持ち良い…!!
「はぁ…ん、イッちゃいそう…ね、気持ちいの…待って…まってぇ!イッちゃいそう!!」
オレはそう言って彼の髪をグチャグチャにする。
彼は髪をグチャグチャにされながら笑って言う。
「イッて良いよ…カワイ子ちゃん。」
何それっ!!
笑いが込み上げて、体が震える。
それでも快感は変わらなく襲ってくるから、オレの首が伸びて顔が仰け反っていく。
気持ち良い…堪んない…イッちゃいそう…!
カワイ子ちゃん…
「ぷっ!」
オレは堪らず吹き出しながら喘いだ。
「あっあはは…んっん…ダメ、だぁめっふふふ…んふ…あっああん!!」
オレの中に指が入ってきて、快感が増していく。
足の指先までジンと痺れて気持ちいい…
「あっ…ああ…向井さん、気持ちい…ギュッてして…シロの事ギュッてして…?」
両手を伸ばして彼を呼ぶと、惚けた顔でオレの目の前に現れて、優しくていやらしいキスをくれる。
そのまま腕を伸ばして彼の背中に絡みついて抱き寄せる。
「はぁはぁ…気持ちいいの…誰とでもしたくなるのは…ビッチだからだよ…?」
彼の顔を間近に見ながらそう言った。
彼はオレを見つめて言った。
「違うの…甘えたいの。」
そうなの…?
「だから…甘えたくてこうするの…それにビッチなんて、そもそもいないよ。」
そう言って彼がオレの中の指を増やしていく。
「んんっ…あっああん…気持ちい…気持ちいのが…忘れられないんだ…忘れられない…!もっとしたいんだ…もっと、もっと、溶けちゃうくらいしたいんだ…」
そう言って彼の首に顔を埋めて甘える。
「肌を合わせて甘えたいんだよ?」
そう言って彼がオレの中に入って来る。
「あっああ!向井さぁん…気持ちい…気持ちい…大好き大好きなの…」
彼の髪をグチャグチャにして顔を埋めて抱きしめる。もうどこにも行かないで…
大好きなんだ…
下から突き上げる快感に体が仰け反って、浮いた腰に彼が腕を通してオレを抱きしめる。
あったかくて、密着した体に興奮して、どんどん頭が真っ白になっていく。
甘えたいから…エッチしたくなるの…?
彼にしがみ付いて、彼の髪に顔を埋めたまま気持ち良くなってよだれを垂らして喘ぐ。
「ダメっ!ダメぇ!気持ちいの!イッちゃいそう!イッちゃう!あっあああん!!」
彼にしがみ付いたままイッてしまうと、オレの中で彼がドクドクと精液を吐き出した。
そのまま項垂れる様にオレの上に覆いかぶさって来る。
可愛い…オレのカワイ子ちゃん…
「…どこにも行かないで…ずっと一緒だよ…?」
「もちろんだよ…」
オレはこの人の名前も知らない。素性も知らない。それでもこの人を愛してる。
そんな物よりも確かなものを知っているから…愛してる。
愛してるんだ…
18:00 三叉路の店にやって来た。
向井さんに送ってもらって、彼の車が立ち去るのを見送った…
仕事って大変だな…あんなに落ち込むなんて、一体何をしちゃったんだろ…?
エントランスに入って支配人に挨拶をする。
「おはよ!」
「お~!二股の悪女がやって来た!」
なんだそれ!
オレは支配人に中指を立てて階段を降りると、控え室のドアを開けて中に居た楓に挨拶をする。
「楓、おはよ!」
朝から健康的な生活をしたせいか…体が軽い!
「シロ…?昨日、彼氏とイチャラブだったんだって?良いな…僕もシロとイチャラブしたいよ。」
楓はそう言いながら乱れの無い手元でアイラインを引いた。
「なぁんだ、楓とはいつもイチャラブじゃん…」
お互いそんな軽口を叩いて、クスクスと笑って鏡を見る。
さて、隣の美人さんは見ないで自分の顔に色を乗せましょう。
19:00 嫌がる楓と一緒に店内へ向かう。今日はチャレンジデーだ。
天然の楓も常連客には周知されて来た。
きっと今なら、この子の面白い個性も認めて貰えるよね?
階段の上から下を見下ろして、カウンター席に目をやる。
…今日はまだ来てないんだ…でも、さっきまで一緒に居た。
きっと、もうすぐしたら来るんだ。
約束したもん…。
「楓?行ってみよ?」
オレはそう言って楓と手を繋いで階段を降りる。
「シロ…怖いよう…」
せっかくのスマートな高身長が背中を丸めて、オレの隣でシュンとする。
DJに曲を渡して、楓と一緒に店内を練り歩く。
「シロ~!おっ!楓ちゃん?!やった!会いたかったんだよ?こっちに座って?」
常連客からお呼びがかかった!
「ねぇ、楓は天然だろ?変なこと言って引かれるのが怖いんだ。だから、多少の事は目を瞑ってよ。この子はとっても優しくて面白い子なんだよ?」
オレはそう言って、常連客の席に楓を座らせる。
「シロ~。」
情けない声を出して楓がオレの手を掴む。
「アハハ…大丈夫だよ?取って食いはしないよ?」
そうだ。そんな事をするのは向井さんだけだ。
仕方が無いので一緒に座ってお客とおしゃべりをする。
緊張していた楓もだんだんとほぐれた笑顔を見せる様になる。
良かった。
こうやって慣れてくれば、もっとお客さんに顔を覚えて貰えるよ?そうしたらあっという間にオレなんて抜かしてしまうんだ!ふふ…
「シロさん…」
名前を呼ばれて視線を上げると、依冬の新しい彼女がいた。
体のラインが出る黒いミニワンピを着て、まるでキャバ嬢の様なヘアメイクをしている。
彼女に一体何があったんだろう…?ウケる。
「こんばんは~」
オレは元気に挨拶をすると、すぐに視線を外して常連客とおしゃべりを続ける。
そして、心の中で言った。あっちに行って?フン!
「ちょっと!話せますか!!」
そう怒鳴り声を出してオレの腕を掴むと、彼女は無理やり引っ張った。
「やめろよっ!ダンサーに触るな!オレはな!この体が商売道具なんだ!怪我でもさせたら、許さないからなっ!!」
オレは手を振り解くと、そう言って凄んで睨みつける。
お前に触られるのも、お前に怒鳴られるのも、納得いか無いんだよ…?
時間が止まったように停止するオレと彼女を見て、慌てた常連客が仲裁に入った。
「シロ…女の子だから…そんな怒んな。」
一気に場が白けて居心地が悪くなった…
「ごめん…ちょっと行くね?楓、大丈夫だよね?」
取り繕う様にそう言って笑うと、席を立って彼女を連れて行く。
腑に落ちねぇ…
「なぁんだよ!」
DJの前に連れてくると振り返りながらそう聞いた。決して怒鳴ってはいない…
彼女はしょんぼりした顔をすると上目遣いになって話し始める。
「今日…依冬と会う約束をしたのに…来てくれなかった。ここに来たら居ると思ったのに…いないから…聞いただけなのに…怒鳴られて嫌だった~!」
ワンワンと泣きだす彼女を目の前に、ただひたすら白ける。
こうやって言う事を聞かせる魂胆だってオレは知ってる。
ブスが使う手だ!
「あ~あ…」
オレの後ろでDJがそう言って無言でオレを責める…
ちっ!なんだよ…ムカつく。
俯いてボロボロと涙を落として女が泣くと、傍に居る男が責められるんだ!
それがどれだけ不条理でもお決まりなんだ。
「シロ~、女の子泣かすな~?」
ほらね?
通りすがりの常連客に注意される…
この子はね、オレの彼女じゃないよ?
オレはね、こんなのは嫌なんだ。図書館に居るような優しくておとなしい眼鏡をかけた巨乳が好きなんだからっ!
「あのさ…それってオレ関係ないじゃん。オレに言われても困るよ。電話でもしたら?」
そう言って立ち去ろうとすると、腕を掴まれて拘束される。
凄い力だ…オレの腕を握りつぶす勢いの握力にビビって立ち止まる。
「依冬を呼んで…ここに、彼を呼んで…!」
は?
「自分でやれよ!」
「だって出てくれない…出てくれない…電話に出てくれないんだもん…」
「じゃあ非通知でかけろっ!」
そう言って手を振りほどこうとブンブンと振り回す。
「シロ…女の子を泣かせちゃダメだ。女の子はね…優しく抱きしめて、キスして、抱くんだ…それで天国に一緒に行くんだよ?」
来店したばかりの常連客がそう言ってオレの背中を撫でる。
お触り案件だぞ…!本当の天国に連れてってやろうか!?
「オレの彼女じゃないもん!」
オレはそう言って彼女を睨む。
「依冬が…怒って、謝りたいの…だから、電話して…ここに呼んで!」
「嫌だ!自分でやれっ!オレを巻き込むなっ!」
オレは譲らないよ?絶対に譲らない!!
「シロ~?何で泣いてるの?この子…」
楓がそう言ってオレの背中に抱きつくから、オレは彼の肩を組んでシクシクと胸に顔を埋めて言った。
「知らない…!もう、やなの!」
助けて!楓さん!
「どうしたの~?シロ~?とうとう僕と仲良くしてみたくなったの?」
そう言って楓がオレを見下ろしてニヤニヤと笑う。
そうだ…!
「そうだよ~。楓と仲良くしたいよ~。オレとチューして?」
オレはそう言って楓に向かって唇を尖らせて見せた。
「んふふ!」
楓がそう笑って、オレにキスする。
それを見て、ショックを受けた彼女の手が、やっとオレから離れた…
しめた!
「逃げろっ!」
オレはそう言って楓の手を引くと、一目散にエントランスへと階段を駆けのぼった。
「シロ…良いんだよ?僕、まだ少し自信が無いけど、頑張って挿れてみるよ?」
楓がそう言ってオレに真摯な瞳を向けて頷くから、オレは彼を見上げて言った。
「違う。あの子から逃げたかったんだ。そんな気はないの。」
「なぁんだよ!乙女心を弄ばないで?」
楓はそう言うと、オレの頭をペチンと叩いて控室の階段を降りていく。
何だよ、お前だってニヤニヤしてふざけて笑ってたじゃん。全く!
オレは解せない思いを抱えながら逃げられた事を祝して、支配人のいないエントランスで何回も小さくジャンプして喜んだ。
やった!やったぞ!
そんなオレの様子をジト目で見ながら、店内から戻って来た支配人が言った。
「シロ…ダメだ、あの子、何とかして…」
そう言ってオレの手を引っ張ると、店内の階段の踊り場から下を見下ろして言った。
「あんな所でシクシクされたら雰囲気がおかしくなる。連れて行け。」
「やだよ。オレの彼女じゃないもん!」
そっぽを向くオレの頬を肩手で掴むと、支配人は自分の方へ向けて凄んで言った。
「なんだ、怒るぞ…?」
う…
オレは知ってる…このジジイは、凶暴なんだ…
「…怒ったら、どうなるの?」
オレはそう言ってかわい子ぶりっ子して上目遣いで聞いてみた。
支配人は眉をピクリと動かして言った。
「良いから…早く何とかしろっ!」
ちっ!
マジじゃねぇか…
観念した訳じゃない。彼女の言う事を聞く訳でも無い。支配人がガチ切れするからその前に対処するだけだ…
オレは階段を降りると、携帯を取り出して依冬の彼女の目の前で電話をかけた。
「依冬…お前の彼女がうちの店で営業妨害してる。何とかして…?」
オレがそう言うと、電話口の彼は焦って、オレに謝った…
「ごめんね…シロ、すぐ行くよ…本当にごめん。」
お前が謝らなくても良いのに…
目の前の彼女は事の顛末を見届けると、満足した顔になって泣くのを止めた。
「早くそうしてくれれば良かったのに…」
だってさ!
ほら、言っただろ?こうなるんだ!!
DJブースの前で、腕を組みながら彼女を見つめる。
とんでもないワガママ女だ…。
彼女は髪を整えて、コンパクトで手早くメイクを修正してる。
「シロの彼女…スゲェな…」
DJがコソコソとオレに耳打ちするから、オレは教えてあげる。
「オレの彼女じゃない…友達の彼女がオレを利用して、連絡を取ろうと強引に営業妨害したんだ!」
「え~…」
DJがそう言って、怯えた表情で彼女を見つめる。
全くそうだ!この女はとんでもない!
しばらくすると慌てた依冬が店にやって来て、階段を降りて来るのが見えた。
後ろに向井さんを連れてやって来た姿に驚いて、二度見する。
え?一緒に居たの?
随分、短い間に……仲良くなったんだね?
腹違いの兄弟だから打ち解けるのが普通より早いのかな…?
「シロ…ごめん。大丈夫だった?」
大丈夫じゃないから呼んだんだ。
オレは依冬をジト目で見て言った。
「あの女はヤバいよ?」
彼はオレの頭を撫でると眉毛を下げて言った。
「ごめん…」
本当はこんな事、手伝いたくなかった…。お前を呼ぶなんて、したくなかった。
だって…依冬は彼女に会いたくなかったんだろ…?
だから、連絡を絶ちたかったんだろ?
支配人の手前、こうする事しか出来なかったんだ…
逆にごめんよ…
しょんぼりするオレの顔を見つめると、依冬は彼女を振り返って言った。
「もう行こう…迷惑をかけるなんて最低だ…」
「いや!どうして怒ったの!酷いよ…大好きなのに…!」
そう言って彼女はオレの依冬に抱きついた。
ムカつく…
傍で様子を見守っていた向井さんを見つめて言った。
「あの女はヤバいよ…」
彼は無言で頷くと、オレの腰に手をあててエスコートした。
「飛び火するから、もう行こう…」
彼に促されてカウンターの席に腰かけると、後ろからオレを抱きしめて髪にキスした。
「2人で何してたの?」
後ろの彼を見上げて尋ねる。
「…たまたま、外で会ったんだよ?」
嘘だ…
「ふぅん…」
向井さんの体にもたれて彼の熱を感じながら、考える。
なんで…嘘を吐いたの?
オレが不思議に思ってるの…気付いてるでしょ?
どうして、そんな嘘を吐いたの?
彼の手を撫でながら考える…嘘を吐いた理由が、分からない。
仲良くなった訳じゃない。
それでも2人でいた。
昼間受けた依冬からの電話…その後、彼は落ち込んで泣いた…
依冬と一緒に居たのに…その事をオレに隠す理由…
隣の席に腰かけた向井さんを見つめて、彼の目を覗き込むと、そのまま彼の首に両手を回して、クッタリと首元に顔を埋める。
信じてるよ…だから、詮索しない。
「…オレはね、図書館に居るような眼鏡をかけた優しい巨乳が良いんだよ?あんなに怖い女は嫌だ。触りたくもないよ。ふふ。」
彼の耳元でそう言うと、ふふっと笑ってオレの頭を撫でた。
違和感しかないよ…
何があったの?
オレに教えてよ…
優しく彼の頭を抱えて、指先で髪を撫でた。
依冬が彼女を連れて階段を上って帰る後姿を見送る。
見た事もないような冷たい表情をした彼が気になって、目が離せなかった…
オレは彼女に依冬を呼び出すツールとして使われた。
気分は良くないよ。…全く良くない。
それでも、彼の表情の冷たさが彼女に向けられると思うと、そこはかとない不安を感じた。
「シロ、そろそろ…」
支配人から声がかかると、オレは向井さんを見つめて言った。
「帰る?」
彼は驚いた顔をしてオレを見つめて言った。
「帰る訳ない。どうして…そう思ったの?」
分からないよ。
どうしてそう思ったのかなんて分からない。
ただ、喉に引っかかった魚の骨みたいに煩わしくて嫌なんだ。
あなたがオレに内緒で傷ついてるのが、嫌なんだ。
「そっか…」
オレはそう言って彼にキスすると控室へと戻る。
階段を上りながらカウンターの席に座る彼を見つめる。
何かがおかしい…
「シロの彼氏2号は女とも付き合ってるの?乱れてるよ?僕が言うのも変だけど、シロはもっと自分を大切にした方が良いよ?女とも付き合って、片手間に愛されるなんて、酷いじゃないか!」
楓がそう言ってオレに忠告する。
「良い?あの子は相当な悪い女に見えたよ?彼氏2号は趣味が悪いんだ。早めに別れる事をお勧めするよ?可愛い顔して、やる事やってるんだ!」
「うん…」
オレは生返事を返してカーテンの前に立つ。
手首と足首を回して、首をゆっくりと回す。
ずっと一緒に居るって…約束したじゃないか。
やめよう…疑うなんて…
彼はオレの愛を欲しがってる…オレは彼を愛してる…だから、疑うなんてやめよう。
大音量の音楽が流れて、カーテンが開いた。
大歓声の中、オレはステージに立った。
ステージが明るすぎて、ここから彼を見る事は出来ない。
…それでも、オレを見ていてくれるでしょ?
勢いを付けてポールに飛び乗ると、美しく体を反らして回る。
反動を付けてスピードを乗せて、両手を離して回る。
体を起こしてポールを掴むと、足を離してゆっくりと体を持ち上げていく。
背中をしならせて、重力を感じさせない美しさで華麗にポールを上っていく。
上に登ってカウンター席の彼を見下ろす。
やっぱり、いた…
見えるよ…ここまで登るとやっと見えるんだ。
彼と目が合うと、オレはにっこりと笑いかけてゆったりと回ってみせる。
美しい姿勢を保ったまま体を仰け反らせながら足を離すと、背中と太ももにポールを絡めて、体を反らしながら回った。
まるでショーケースの中の様なステージの上。
誰にも触れられない安全な場所…オレはここが好きだった。
でも、今は違う。
あなたに触れて、あなたに触れられて、オレはぬくもりを思い出したんだ。
体中を満たす快感を思い出したんだ…
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