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第23話

目を覚ますと目の前に桜二が居た。 ベッドに寝転がって、オレの寝顔をじっと見ていたみたいだ。 オレを見つめて、目を細めて笑う彼の目から、キラリと光る涙が落ちた。 「桜二…寝てるの…?」 いつもより軽い頭痛を頭に響かせながら、目の前でオレを見つめる彼に聞いた。 「…うん。寝てる。」 彼の名前を呼んで…彼が答える。 たったそれだけの事なのに…彼の全てが分かった気がした。 「…どうして、湊を殺したの?」 目の前の彼の唇を指でなぞりながら、囁くように聞いた。 「…彼が、死にたがっていたからだよ。」 桜二はそう言うと、オレを見つめて悲しそうな顔をして言った。 「だから…ナイフで首を刺して掻き切った…」 首… 「そうか…分かった。」 オレはそう言って頷くと、彼の体に寄り添って、肌を合わせる。 温かい体に自分を埋めて、両手で彼の体を抱きしめて言った。 「どこにも行かないで…」 「…分かった」 頭の上で聞こえた彼の答えを、オレは信じる。 人殺し…? そんな事、正直どうでも良かった。 湊がどうやって死んだのか…誰に殺されたのか…何があったのか…そんな事、オレには関係ない。 オレが欲しいのは桜二がオレの目の前から居なくならないという事実だけ。 それ以外、どうでも良いんだ。 気にもならないよ。そんな事。 クズだからね。 「桜二って可愛い名前…桜が名前に付いてるなんて…とってもいい名前だ。」 オレはそう言って体を起こすと、彼の頬を手のひらで撫でながら言った。 「オレの名前はね…母親が呼びやすいように付けた名前。肌が白いから…シロ。犬のシロって言う説もある。ふふ…だからオレはただのシロなんだ。戸籍もない。この世に存在しない、ただのシロ。」 彼の髪を指を立てて優しく撫でながら、うっとりと見つめて言った。 「O次郎…」 「違うよ…王子様だ。俺のあだ名は王子様だよ?」 嘘だ… オレは彼をうっとりと見つめながら、また言った。 「バケラッタ…」 「違う…王子様だよ。」 ふふ… こんなにムキになるんだ…きっと王子様なんて呼ぶのは少数で…O次郎って呼ばれる事の方が多かったんだ…おかしい。 「ふふ…可愛い…可愛い名前。大好きだ。」 オレはそう言って笑うと、彼の上に覆い被さって体を乗せた。 「オレがこうやって隠してあげる…でも、桜二は…自分で姿が消せるかな…だって…」 「違うよ。俺は王子様だよ?」 「ふふ…」 オレが彼の名前を、昔のお化けの漫画と絡めてからかって遊ぶと、桜二は嬉しそうに笑って言った。 「シロに…名前を呼んでもらえて…嬉しいよ。」 可愛いね… 本当に可愛い名前だ。 「シロ、起きて…。早く、朝ごはん食べて…」 「やだ…」 二度寝は何でこんなに気持ち良いんだろう…いや、このベッドがいけないんだ。 程よい硬さのマットレスが…オレに起きないでって言うんだ。 「もう…」 そんな声が聞こえたかと思うと、オレの両脇に腕が入って体が起こされる。 「ん、ヤダ!」 そう言って身を捩るオレをお構いなしに抱き上げると、廊下を歩いてソファに置いた。 キッチンで朝ご飯の支度をする彼を見つめる。 「桜二…オレは卵焼きが食べたい…」 ソファの上からそう言うと、オレの方を見て指を差して言った。 「もう焼いてある。だから、早く食べて?」 彼の指の先に、まだ湯気を上げる卵焼きが置かれている。 「ん!やった!」 そう言ってダイニングテーブルに着くと、いただきますをして彼の作った朝食を食べる。 サクッと…歯ごたえがあるんだ。 桜二の作る、幾重にも重ねられたミルフィーユ状の卵焼き。 これはプロの技だ… 「桜二、卵焼き美味しいね?オレはこの卵焼きが大好き!サクッとするよ?」 オレはそう言うと足を振りながら喜んで、洗い物をする彼に言った。 「毎日、食べたい!」 「ふふ…良いよ。毎日作ってあげるよ。そして、毎日起こしてあげる。毎日愛して、毎日うんと甘やかしてあげるよ?」 オレはそれを聞いて椅子の上で飛び跳ねて喜ぶ。 「本当?やった!」 それだけじゃ足りなくて、彼の腰に両手でしがみ付いて纏わりつく。 「桜二…桜二…」 「シロ、動きづらいよ…?」 「嫌なの?」 「…ふふ、…嫌じゃないよ。」 大好きだ…兄ちゃん、兄ちゃん…もうどこにも行かないで… 「ねえ、この前あげた猫のお守りをまだ持ってる?」 オレはそう言って彼の顔を覗く。 「…持ってるよ。」 「出して?」 オレがそう言うと、彼はお財布から猫のお守りを出して、オレの手のひらに置いた。 「これは呪われている!」 そう言って、キッチンのコンロに行って火をつけた。 「あっ!」 そう言って驚く桜二を無視して、真っ黒になるまで焼く。 菜箸の先で真っ黒焦げになった呪いのお守りを流しで流す。 「酷いな…可愛くて好きだったのに…」 そう言って落ち込む桜二に教えてあげる。 「あれはね、この世にあったらダメなものなんだ。自殺する呪いが掛けられてる。あれを所有した人が必ず死のうと考えてしまう。この高い確率は異常だよ?存在自体が禁忌だ。」 オレがそう言って胸を張ると、桜二は呆れた顔をしてため息を吐く。 これでもう安心だ…呪いは無くなった… 土曜日なのに彼は仕事があるそうだ。 「大手の企業は週休二日制なのに、桜二の所はブラック企業だね?残業代も出ないんだろ?それで、過労死するんだ。」 オレはそう言いながら慌ただしく支度をする彼を横目に、コーヒーを啜った。 オーダーメイドのスーツは今日も彼を一段と格好良くした。 「1時くらいに1回戻ってくるから…その時、車で送って行くよ。それまでここに居て?」 窓の外を眺めて、そう話しかける彼を無視してしみじみする。 「あぁ…空が高い。もう、秋なんだ…」 しばらくすると、桜二がオレの目の前に現れて言った。 「シロ…車の鍵、知らない?」 オレは彼を見上げて言った。 「どうかな…分からないよ?」 オレがそう言って首を傾げると、彼はにやりと口元を上げて笑う。 オレは首を傾げすぎてそのまま横に倒れた。 「そうか…何処に行っちゃったのかな…」 オレのすぐ傍に腰かけて、頭を優しく撫でながら微笑みをくれる。 その手のひらがあったかくて、オレは気持ち良くなって目を閉じて彼の手を感じる。 兄ちゃん… 「…あ、見たかもしれないよ?」 そう言ってオレを見下ろす彼を見上げる。 彼の腰に後ろから抱きついて、彼の格好良いスーツの中に手を滑り込ませてゴソゴソと探る様に動かす。 「あ、あった~!」 そう言って手の中に隠した車のカギを見せる。 「え?」 オレに調子を合わせて、そう言って驚いた顔をする。 「ふふふ!」 冷たくて、クズで、恨みを沢山買ってる人…でも、こんなお茶目な所があるんだ。 オレだけが知ってる。 オレにしか見せない。 そんな可愛い彼が…大好きなんだ。 「じゃあね、行ってきま~す。」 そう言って手を振る彼に、寂しくて上がりきらない手を頑張って振る。 桜二…戻って来てくれるよね… このまま…どこかへ行ったりしないよね…? オレを置いて…1人でどこか遠くへ行ったりしないよね…? 彼の立ち去った玄関を見つめて、そんな不安が沸き起こる。 「あ~あ、行っちゃった!」 わざとそう言って、不安を声に乗せて体の外へと追い出す。 「いつも一緒に居れば良いのに!」 ひとり言じゃない、こうやって不安を追い払ってるんだ。 そうだ! 卵焼き屋を開けば良いんだ…オレが接客とストリップをして…彼が卵焼きを焼く。 「ふふっ!なんだそんな店…おっかしい…!」 1人でクスクスと笑いながら、彼のいなくなった彼の部屋でストレッチを始める。 生業なんて聞こえは良いけど…終わりのない毎日だ。 お休みなんて関係ないし…毎日積み重ねた物が崩れるのも簡単。 練習をサボるとあっという間に鈍った体になってしまう。 だから…毎日ストレッチとトレーニングは欠かせないんだ。 携帯電話が震えて着信を知らせる。 非通知じゃない…依冬からの電話。 「依冬…」 オレはスピーカーにしてストレッチしながら彼の電話を受けた。 「もしもし~?」 「シロ、おはよう。珍しいね?早起きだ。」 ふふ…酷いじゃないか。 「そうだよ?オレはね健康的なストリッパーだから、早起きに目覚めたんだよ?」 オレはそう言って笑いながら逆立ちをする。 肘を曲げて体を仰け反らせて、体勢をキープする。 「ねぇ、シロ?昨日、探偵に会ったんだ。桜二は意外と簡単に見つかりそうだよ。」 「そう…良かったじゃん。」 オレはそう言うと、体の体勢を逆立ちに戻してゆっくりと片足づつ床に戻した。 「ねぇ、依冬…この前結城さんがうちのお店で暴れたんだって。オレが、ほら…映画館に居た時。お店でホステスを殴って、楓にグラスを投げつけて、オレを出せって大暴れしたんだって。それで、出禁になったよ?何の用だったのかな…?」 携帯をスピーカーから普通に戻して、耳に当て直すと、彼の返答を待った。 「え…最悪だね…シロが店に居なくて良かったよ。」 ふふ… 「良い?よく聞いて。もし、うちの親父がお店にやってきて、シロを指名したとしても、絶対に相手しちゃダメだ。すぐに、警察を呼ぶんだよ?良い?俺の言う事聞いてくれる?」 優しいね…依冬。大好き。 「うん。分かった。依冬の言う事…ちゃんと聞くよ?」 オレはそう言って、携帯電話を両手で持ちながら、目を瞑って彼を想った。 桜二と…依冬、2人が必要なオレ。 兄ちゃんの様に愛してくれる桜二と…オレが愛した依冬。 どちらかなんて決める必要はない。天秤になんて乗せない。 どちらも必要でどちらも愛してる。 「依冬?今日は仕事なの?」 オレがそう聞くと彼は言った。 「そうだよ?週休二日なんて夢のまた夢だよ…」 結城さんの会社はブラック企業だ。 「ねぇ、今度どこかに連れてってよ。山とか…川とか…自然のある所。」 「ふふ…良いよ。ちょうど紅葉が始まるから、きっと綺麗だよ。」 依冬が桜二を探してるって知ってる。 桜二が誰なのか、オレは分かった。でも、彼には伝えない。 桜二を失う事が出来ないから…伝えない。 「約束だよ?んふふ、じゃあまたね?」 通話を切って、宙を見据える。 桜二の事で何か分かったら教えてね…そう依冬に言ったのはオレ。 心構えをする為?違う。逃げる為だよ。 もし、桜二の事が依冬に知れたら彼はきっととても怒る。 でも、桜二がオレから離れる事は…耐えられないんだ。 だから彼を連れて、彼を隠して、一緒に逃げる。 依冬を愛してるけど…桜二は…彼はオレの一部なんだ。 兄ちゃんを手放すなんて…出来ない。 #桜二 シロにバレた。 それは予想以上に、俺を喜ばせた… あの子の口から名前を呼ばれる事が…こんなにも幸せな事だなんて思わなかった。 まるで一つになった様な気にさえなる。 完全に彼に掌握された自分は、彼から離れて生きる事など考えられない。 彼を置いて逃げる事も出来ない… このまま絡まった糸の様にだまになって、使い物にならなくなって、一緒に切り落とされたい。 車のダッシュボードに入れっぱなしのカセットレコーダーを取り出して、中からテープを取り出す。 「俺の最後の…切り札…」 カセットテープをケースにしまって、胸ポケットに入れる。 …湊は俺に相手にされなかった事が相当悔しかったみたいに、何度も連絡を寄越しては会いたがった… 「父よりも…あなたに惹かれる…」 そんな世迷言を言い始めるのは、そう遅くはなかった。 これが本心では無くて、彼の意地の上に成り立った物だと分かっていた。 どうしても俺を骨抜きにしたいんだ。 自分の存在価値が美しさと妖艶さだから、彼に落ちない俺が気に障ったんだ。 そこには、愛なんてものはない。 あるのは彼の歪んだ意地と…プライドだ。 「そう…でも、俺は君には惹かれないよ。」 冷たくそう言って、彼を煽って、傷つけていく。 電話口で涙を落とす音をさせて、湊が俺に縋り始める。 「どうして?…僕は父の…彼の特別なんだよ?それなのに…どうして桜二は、僕に興味を持たないの?」 「それはきっと君が魅力的じゃ無いからだよ。俺はね、可愛げのある子が好きだから…。もう、諦めてよ。それとも…俺の為に何か役に立ってくれるの?」 初めて会った時から分かっていた。 この子が自分を振り向かせるために縋りついて来るって、分かっていた。 酷い話だよ。 彼は幼少期から父親に性的虐待を受けていた… それ故か…自尊心、自己肯定感が低いんだ。 初対面の俺に誘うような目つきをしたり、浮気するご婦人の様に高揚する。 それは圧迫された環境への逆襲なんかじゃない。 ただの腕試し。 連絡先を寄越した男が…自分に落ちるか…試した。 何故なら彼はそこにしか興味が無いから… 自己肯定感の低い人の特徴だ。 求められたいんだよ…確かめたいんだよ… 自分の価値を相手の反応に求めるんだよ。 特別だと思って欲しいんだ。 …だから俺は彼を無視した。 「桜二…僕、桜二の為なら何でもするよ…だから僕を好きになって…ね?」 哀れ。 それ以上何も思わなかった。 「そう…じゃあ手伝って貰おうかな…」 俺は湊を利用して、結城の書斎の極秘書類を持ち出させた。 「ふふ…ありがとう。湊。良い子だね?」 そう言って彼の頭を撫でると、嬉しそうに微笑んで彼は言った。 「桜二…僕の事、好きになった?抱きたくなった?」 「いや…まだそんな気にはならないよ?でも、この先…気が変わるかもしれないね。だって、俺の手伝いをしてくれたんだ…。見直したよ?」 そう言って優しく彼の頬を撫でる。 嬉しそうに微笑む湊の笑顔が…シロの笑顔と重なるよ。 胸が痛くなって、俯いた目から涙が落ちた。 「シロ…」 俺は湊から受け取った極秘書類を結城の会社の取引相手へと高く売った。 まさか湊がそんな事をするとは思わない結城は、俺に監視を付けて目を光らせた。 俺は好機とばかりに、湊に沢山仕事を手伝わせた。 「湊…次で最後だよ?」 「桜二…桜二…父が困ってる。僕がする事で…あの人が困ってる…。可哀想だ。可哀そうだよ…もう、もうやりたくないよ…」 そう言って泣き始める彼に囁く。 「…これで最後だ。そうしたら2人で逃げよう?愛してるんだ…」 電話口の彼は俺の言葉にすすり泣いて縋る。 愛なんて…そんな物信じてるの?酷い目に遭っても尚、そんな物を信じてるの? だから君は利用されるんだ… 君はね、ただ許せないだけなんだよ…俺が君に落ちない事が許せないんだ。 ただそれだけの事なのに、こんなに大層に感情を膨らませて…哀れだよ。 「…分かった。これで…最後だね。桜二、会いたい…桜二に会いたいよ…」 そう言って泣き縋る彼を無視して一方的に通話を切る。 自分に縋る彼に、まるで結城に縋った自分の母親を見ている様で… 耐えられない嫌悪感を感じて…突き放した。 俺にとって湊は、利用する存在だった。 そこに人間らしい感情なんて持っていなかったんだ。 シロ…俺は最低だろ…? #シロ 「あぁ…あぁ…」 桜二が迎えに来るまでの時間…何となく彼の持ってるDVDを眺めて、怖そうなホラー映画を見つけた。 それを再生させて見てるんだ…でも、とっても怖くて…全然見れないんだ。 「…うぁああ…怖い…絶対出てくる…絶対出て来る…!」 両手で顔を覆って、指の隙間から視線を下に落として、画面の端だけ見つめる。 なんて怖いホラー映画を持ってるんだ…! 「シロ?」 「ぎゃーーー!!」 突然声を掛けられて、オーバーな位に騒いでソファから転げ落ちる。 「何!?びっくりしたんだけど!」 そう言って転んだオレに逆切れする桜二を見上げて怒りだす! 「ダメだ!急に声かけたらダメなんだ!!怖かったの!怖かったの!!」 そう言って桜二の足にしがみ付いてスリスリする。 「怖い…この映画、凄く怖い…」 フルフルと体を震わせてオレがそう言うと、桜二が笑って言った。 「これは怖くないやつだよ?もっと怖いのあるよ?見る?」 「見ない!」 そう言って上を見上げて彼に両手を伸ばすと、彼はオレを見下ろしてニッコリ笑いながら両手で抱き上げてくれる。 「帰ってきたね…?オレを置いて行かなかったね?」 そう言って髪を優しく撫でてあげる。 「約束したからね…」 桜二… 戻って来てくれるって…信じてたよ。 葛藤はあったけど、信じる事が出来たよ。 兄ちゃん、オレ偉いだろ…? 「依冬が探偵に会ったって言ってたよ?」 オレは彼にそう言って顔を覗き込む。 「逃げる?」 「ふふ…逃げないよ…」 「でも…掴まりそうになったら…逃げる?」 オレの顔を見つめて桜二が言った。 「ギリギリまで耐えて、ヤバくなったら…一緒に逃げよう?」 「うん!」 そう言って彼に抱きついて、顔を埋める。 桜二…桜二…大好きだよ。オレを一人になんてしないで… 彼の車の助手席に乗ってボロアパートまで送ってもらう。 “宝箱”は彼のベッドの下に隠した。 呪いの猫のお守りは焼却処分した。 完璧だ。 オレは助手席で機嫌よく鼻歌を歌う。 「その歌…何の歌か気になる…」 そう言って桜二がオレを見るから、肩を上げてオレは言った。 「ん?オレは気にならないよ?」 機嫌が良い時に出るオレの鼻歌… 「音楽が好きな人に聞いたら、何の歌かすぐに分かるかもね?」 桜二がそう言うけど、オレは別に分からないままでも良いんだよ。 ただこの曲をオレが気に入っただけなんだから…何の歌か分かる必要なんて無いだろ? 「桜二…今日来る?来ない?」 そう言ってオレがキスすると、目を細めて彼が言った。 「ふふ…必ず行くよ。」 こんな事をボロアパートの前、車の中でずっとしてる。 だって…離れたくないんだ。 「桜二…行かない?行く?」 そう言ってオレがキスすると、目を閉じて彼が笑った。 「キリがない!」 だって、離れたくないんだ… 渋々彼の車を降りて、走り去る彼の車を見送る。 「なぁんだよ…ちぇっ!」 土曜日も働かされるなんて…可哀想な社畜だな。 自分は年中無休で働いているくせに、そんな事を頭から追い出して、彼らの休日出勤を嘆いてあげる。 15:00 支配人から電話が掛かって来る。 「シロ…今日は出勤するよな?」 随分ウキウキな声だ… オレはまた抜かされるのかと警戒しながら凄んで言った。 「もうオレは罰を受けただろ?もうやらないからな!調子に乗ってるとぶっ飛ばすぞ?」 支配人は電話口でガハガハ笑うと、ウキウキな声のまま乱暴に言った。 「違う!お前が仕事をさぼらない様にしてやってんだ!ばかやろ!」 なんだと! 頭に来たので速攻で電話を切った。 全く、とんでもないジジイだよ? 深くため息をつくと、手に持ったタオルで汗を拭った。 近くの公園でオーディションのダンス練習をしていたんだ。 こういう陰ながらの努力が…いつか報われるんだ。 …多分ね? 未来の事に確証なんて、何も、ない。 ただ、こうしておけば…どんな結果でも…受け入れられるだろ? ぼんやりしてると、目の前を走り抜けていく子供に目を奪われる。 …元気だな。 子犬みたいにコロコロ走り回って、お母さんが笑いながら追いかけてる。 楽しそう…ふふ。良いな。 オレはあのくらいの歳の頃…あんなに笑わなかったな… 「シロ…おいで?一緒にこれに乗ってみよう?」 オレを高く抱きかかえて、兄ちゃんが滑り台の上に乗せる。 「ほら、高いね…楽しいだろ?」 オレは楽しいなんて分からなかったけど、兄ちゃんの笑顔を見て…笑った。 笑い慣れていないせいか…不自然な笑顔で、兄ちゃんに笑い返した。 幼児期…オレは情緒の乏しい子供だった。 母親からの虐待のせいなのか…もともとの性格か…笑いもしないし、泣きもしなかった。 当時中学生だった兄ちゃんは、オレをおんぶして公園を歩いた。 家に居ると母親に殴られるから、オレを外に連れ出しては子供らしい遊びをさせたがった。 「兄ちゃん…」 簡単に抱きあげられる体の対格差と、兄ちゃんの温かさがオレを安心させた。 目の前で追いかけっこをする子供たちを見て、自分の過去を思い出す。 「シロ…おいで。一緒にお散歩に行こう?」 そう言って玄関で兄ちゃんがオレの靴を出してくれる。 オレは兄ちゃんの肩に掴まって片足ずつ靴を履かせてもらう。 「に…ちゃん」 同年代の友達なんていなかった…ずっと家の中で放置されたんだ。 今で言うネグレクト…機嫌が悪けりゃ殴られて、機嫌が良くても無視… そんなオレは言葉もまともに話せなかった。 「シロ?あれ、美味しそうだね…?食べてみる?」 歩きたがらないオレを抱っこして、兄ちゃんがそう聞いて来る。 「らない…」 そう言って、兄ちゃんの肩に顔を乗せる。 町行く人が…大人が怖かった。 だから、見ない様に…見られない様に、兄ちゃんの肩に顔を埋めた。 「ほら、たこ焼きだよ?美味しいから食べてごらん?」 オレを公園のベンチに座らせて、兄ちゃんがたこ焼きを口まで運ぶ。 オレは知らない人が沢山居る環境が怖くて、口なんて開けられなかった。 兄ちゃんの体から離れるのも怖がって、しがみ付く様に抱きつくと、兄ちゃんの胸に顔を埋める。 「…じゃあ、ここで良いから一口、食べてごらん?美味しいよ?」 「に…ちゃん、シロ、らない…」 そう言ったオレの口に小さく切ったたこ焼きを入れて、口に着いたソースをペロリと舐める。 「どう?美味しいだろ?」 オレの顔を覗いて見る兄ちゃん…その目は優しい、お兄さんの目。 動悸がして、痛くなった胸を押さえながら、前屈みに倒れる。 苦しい… 兄ちゃんは… あんなものを見せられる前の兄ちゃんは、ただの優しいお兄さんだった。弟の為に、世話を焼いてくれる…優しい…最高のお兄さんだった。 あの時、オレが兄ちゃんを巻き込まなければ…今もきっと… 「兄ちゃん…ごめんね…オレが、兄ちゃんを好きにならなければ良かったね…」 苦しい胸を押さえながらそう言って、深呼吸をして体に酸素を届ける。 痛みなんて、生きてる証拠…要らないよ。 夕暮れの公園で、家に帰る子供たちを目で見送って黄昏る。 兄ちゃんの腕の中でずっと守ってもらった… 団地の前、帰りたがらないオレと一緒に石を並べて遊んでくれた。 その時兄ちゃんが口ずさんでいた歌が…耳の奥に聞こえてくる。 「あぁ…あの歌だったんだ…」 そう呟いて、赤く染まる空を見上げる。 今も…この時も、オレみたいな子がどこかに居るのかな… そして、この美しい夕陽を…怖いと思って、家に帰れないでいるのかな… 十分に愛される事もなく、笑う事も出来ない子供が…どこかで生きてるのかな。 「シロ…ご飯作ってあげる。帰ろう?兄ちゃんの傍に居たら…大丈夫だよ?」 「…ん」 兄ちゃんの体に抱きついて、抱っこしてもらう。 団地の階段を上る兄ちゃんの背中を撫でて、行きたくないと…心の中がざわつく。 戻ったら…また殴られると、心がざわつく。 外はもう暗がりを見せて遊ぶ子供の声も少なくなる。 「大丈夫…兄ちゃんの傍に居なさい。」 「に…ちゃ、やら…やら…」 玄関の扉を開いて、健太がお絵かきをする家に帰って来る。 「兄ちゃん!」 健太がそう言って兄ちゃんにしがみ付く。 オレは兄ちゃんの髪を掴んで、恐怖に体を固くする。 襖の向こうにゆらりと動く母親の姿を見たんだ。 「どこ行ってたの?またそいつを連れ出してたの?健太とも遊んでやってよ…!」 「…ご飯を作るよ。」 「あんたがいつまでも引っ付いてるから!健太が可哀想じゃない!早く降りて、1人で遊びなさいよ!」 オレの髪を掴んで、母親が思いきり引っ張る。 「やめろ!シロを虐めるな!!」 「何よ!何も知らないガキの癖に!偉そうにあたしに命令するの!?だいたいね…こいつの父親は最低な奴だった!だからこんな目に遭ってるんだよ?」 そう言ってオレを罵る母親の目の奥には、グルグルのブラックホールがあった… 母親がオレの髪を掴んだまま自分の顔を間近まで寄せて睨みつけて来る。 怖くて…兄ちゃんを掴んだ手に力が入らなくなる… 「こんなに酷い目に遭うのは、父親のせいだって…教えてあげないとね?」 「もう…いい加減にして。シロに構わないで…それ以上するなら、俺も黙ってないよ…」 兄ちゃんの低い凄んだ声に、母親が身を引いた。 オレの体を抱き寄せて、兄ちゃんが両手で強く抱きしめる。 「フン!お前なんて死んじまえ!」 忌々しく、吐き捨てる様に、母親がオレに言った。 「聞かなくて良いよ…何も聞かなくて良い。」 兄ちゃんはそう言ってオレを台所に座らせて、ご飯を作り始める… 普通の家庭の人は…こんな話、信じられないよね。 オレは兄ちゃんが守ってくれた… 守ってもらえない子もいるんだ… 公園を後にして、ボロアパートまで戻る。 手を繋いで歩く親子連れを微笑ましく見つめる。 あんな…当然の愛を貰えない子が居るんだ。 いつも怯えて、大人が怖くて、大きな音が怖い…他人の感情が怖くて、人の視線が怖い子供が今もどこかに居るんだ。 それが現実なんだ。 嘘じゃない。 オレが言うんだ。信憑性があるだろ?ふふ。 18:00 三叉路の店にやって来た。 店の前に窓にスモークの張られたワゴン車が停められている… ロケバス? 何で店の前に路駐してんだ? オレはね、路駐には厳しいんだよ? エントランスに入ると、いつもの場所にいつものジジイが居ない… 店内から大勢の人の話し声が聞こえて、階段の上から下を見下ろして見た。 「何してんだ…」 華美な照明を付ける前の店の中、慌ただしく知らない人が動き回って、ぐるりと囲むように設置されたスタンドライトが、太いコードを方々に伸ばしている。 首を傾げながら階段を降りていくと、誰かに呼ばれる。 「シロ!シロ!」 スタンドライトの光の中から、知ってる顔が近づいて来て、オレの手をギュッと掴んだ。 「シロ!取材が来た。お前の動画が流行ったんだ。それで、ストリップバーの記事が書きたいって、雑誌の取材が来た!お利口にして?お利口にして?」 そう言ってオレの体に纏わりつく支配人を、汚いものを見る目で見つめる。 「今日、オレに電話をしたのはこの為?」 オレにジト目で見られて、支配人が目を逸らして言った。 「だって、最近無断欠勤が多いから…念のため確認しただけだ。それに、取材が来るなんて言ったら、嫌がるだろ?でも、これは名誉な事なんだ!そうだろ?」 罰だと言って無理やり抜かせたくせに…名誉とか言うなよ。白けるぜ? 「ストリップバーの取材なら、オレは関係ないだろ?オーナーのお爺ちゃんが名誉な話をして、雑誌に載せてもらいな?はいはい、良かったね?家宝が出来たね?」 子孫が居るのかも知らんけどな。 「こんにちは。」 支配人の後ろから桜二くらいの体の大きさの男が顔を覗かせて、にこりと笑いかける。 支配人はオレの肩に両手を置いて、その人に紹介した。 「この子がシロです。」 「可愛いね。ボーイッシュな女の子みたいだ。」 その人の舐めるような視線から、すぐに彼がゲイだと分かった。 「君の動画を見たよ…すごく格好良いね?今日会えるのを楽しみにしていたんだよ?どうぞ、よろしくね。」 よろしくもへったくれもない。常連客にでもなってくれるなら話は違うけど、たった一回の取材でよろしくも何もないね。 「オレ、もう行っても良い?」 オレはそう言うと、ステージの上に上ってカーテンの奥へ行った。 控え室に入ると、楓が固まった様にオレを見つめて動かなくなった…目を大きく見開いて固まってしまった楓に、首を傾げる。 「…?楓?どうしたの…?」 目の前で手を振ると、やっとオレの目を見つめて、泣きそうな顔をして言った。 「ごめんね…シロ。あのクルーのボス…僕の前の前の彼氏なんだ…。」 「そう…あぁ、あの男か…」 さっき話したゲイだ。 そんなにビビるなんて、悪い別れ方でもしたのかな… 「支配人の取材をしたら帰るみたいだから…それまでここに隠れてな。」 オレはそう言ってメイク道具を鏡の前に出した。 「シロ…おい!」 「うるせぇな!」 カーテンから顔を覗かせて支配人がオレを呼びつける。 オレはそれを無視してメイクを済ませる。 「シロたん。シロたん。お願い!お爺ちゃんのお願い聞いて!」 「嫌だよ!この前、最高のお願い聞いてやっただろ?だからダメだ。」 オレと支配人のやり取りを気まずそうに聞く楓…彼はオレがジジイに強制ファックされたと思ってる。 「せっかく取材が来てくれたんだ…一曲踊ってくれよ…?ね?ね?シロたん!お願い!可愛いシロたん!お願い~!」 文字だけ見たら女の子がおねだりしてるように見えるけど、これは全てジジイが発してる言葉なんだ。身の毛がよだつだろ? 「分かった。でも、条件がある。今日のオレのチップを割り増し計算しろ。」 そう言ったオレをジト目で見つめて押し黙る支配人… ケチだな。 1ステージ分オレは体力を消耗するんだよ? 対価が必要だ。 「ちっ!分かったよ!クソガキ!」 何てジジイだ! 「早く準備して出て来いよ!ピンク頭!」 そんな乱暴な言葉も忘れず置いて行った。 ため息をつきながらメイク道具をしまっていると、楓がおどおどしながらオレの傍に来て、小さい声で言った。 「シロ…あの人、気を付けて…。めちゃくちゃドSで、キメセクばかりするから怖くて逃げたんだ…。目を付けられたら…狙われるよ?」 結城さんより危険な奴なんていないだろ?ふふ… あいつが最上級だ。 「分かったよ~。」 オレはそう言って不安そうに眉を下げる楓の頭をポンポン叩いた。 ステージの上は安全だ。 いくら興奮したって…オレには手を出せないよ? 鏡の前から退いて、衣装を考える。 「何着ようかな…」 出来上がったメイクに似合う衣装を考える。 太めの黒いチョーカーを首に付けて、下着はボクサータイプの黒パンツ。マジックテープで脱げる白いシャツと、白いストライプのズボンを穿いた。 黒いサスペンダーも付けよう。 最後に黒いジャケットを羽織ると、カーテンの向こうへ向かった。 そのままステージを降りて、DJに曲を渡す。 「シロ…おはよう…」 開店前なのに仕事をする事に不満が爆発しそうな顔をして、DJがオレを見つめる。 分かるよ?まるで損した気分になるよね? 「…合図したら始めて。」 オレはそう言ってステージに戻ると、首に巻いたチョーカーに軽いチェーンを付けて、もう片方の端をポールに括り付けた。 その様子をステージの下から見ていた楓の前の前の彼氏が声を掛けて来る。 「シロ…もっと際どい恰好するのかと思ったよ。意外としっかりと着込んでるんだね…。脱いでいくのが楽しみだよ。どんな体なのかな…?ふふ。」 想像にお任せするよ。ドSのキメセク野郎。 どうやら彼はこの取材スタッフの中でプロデューサーと呼ばれるポジションの様だ。 周りに必ず何人かスタッフを付けて、偉そうにしてる。 オレは彼を“キメセクさん”と呼ぶ事にした…どうせ聞こえない。 初めても良いのか…? 指示を仰ぐように支配人を見ると、彼はオレに深く頷いて返した。 …なんだ、それ。発表会のお母さんみたいじゃん… 撮影用の照明が全て消されて、店内の照明がステージを残して暗くなる。 閑散期のストリップバー…そんな雰囲気だ。 背中を向いてスタンバイをすると、DJに合図を送って大音量の音楽が流れ始める。 片方の肩からジャケットを落として背中をしなやかに反らすと、片腕ずつジャケットから外していく。 腰をねっとりと交互に上げながら歩いてステージ中央へ行くと、音楽に合わせて両膝をステージに着いて体をゆっくりと反らしていく。 その時、自分の手で舐める様に体を触る事も忘れないよ…? 目の前でニヤけたキメセクさんを見つめながら、ジャケットをステージの袖に放り投げると、いやらしく腰を揺らして見せる。 なんて、だらしない顔をするんだ…仕事なんだろ? 陽介先生だって、もう少しまともな顔をするよ。 …まるで、もう既に、キマっちゃってるみたいだね… 立ち上がると、首から垂らしたチェーンを掴んでたわませてポールに思いきり飛び乗った。 両足を高く上に上げて、もっと上まで体を持ち上げていく。 太ももでしっかりポールを挟むと、下に垂れるチェーンを見つめる。 体を揺らして思いきりスピンさせながらポールにチェーンを絡めていく。 危ない?そうだね、これはとっても危ないよ? だって様子を見誤ると首が締まるからね? 体を仰け反らせて両手を離すと、太ももで挟んだポールを美しく回る。 重力があるのは…首から下がるチェーンだけ… オレはポールに繋がってるんじゃない。ポールで繋ぎ留めてるんだ… 体が浮いて飛んで行かない様に、こうして括って、繋いでるんだ。 そんな風に見える様に、体を駆使して、全ての筋肉を使って、無茶な事を簡単に見える様にこなしていく。 サスペンダーに指を通して体を反らせながら肩から外すと、首から垂れるチェーンを指の間を滑らせながら、手を伸ばして行く。 ポールに絡まったチェーンが下の方でジャラジャラと凄い音を立てながら解かれていくのを、耳で聞いて、伝わる振動を、指先で感じる。 良いね… 太ももで掴まりながらズボンをお尻まで下げると、支配人が喜んで叫んだ。 「シローーーー!!」 ふふ…! 二の腕にポールを挟んで固定すると、ゆったりと回転しながら体を客席に向けていく。 まるで浮いてるみたいに見えるだろ? 片腕と背中だけで体を支えて優雅に回りながら、足を高く上げてズボンを片足ずつ脱いでいく。 今、二の腕と背中の緊張を解いたら…オレは、ここから落ちて死ぬかな… ポールの上でズボンを脱ぐと、グルンと上体を回転させながら美しく体をしならせて、膝の裏にポールを挟ませていく… ゆっくりと下まで回って降りると、最後の最後で派手にスピンして床にお尻で着地しながらポーズをとる。 「よっ!お見事!」 支配人のそんな合いの手に口元を緩ませて、思った以上に絡まらなかったチェーンに少しだけがっかりしながらステージに視線を送ると、ギョッとして固まる。 キメセクさんがチップを咥えて寝転がっている… そんな事まで、してやらなきゃダメなの? オレは支配人を見ると肩を上げて“なんだ、これ”と言った。 支配人はオレを見ると首で“取りに行け”と、言った。 「ちっ!」 聞こえない様に舌打ちしながら、キメセクさんの頭の上に立って顔を見下ろした。 彼は、すっかり、その気になった顔でオレを見つめている。 なんだお前、もう興奮してんの…?サルだな… …仕方ないな。 膝を着いてシャツの胸を掴むと、マジックテープを思いきり引っ張って前を開いた。そのまま、片方だけシャツから肩を出すと、もう一度キメセクさんの顔を覗き込む。 はぁ…やんなるね… うんざりした気持ちを表情には出さないで、キメセクさんの顔に向かって顔を落として行く。 そっとチップの端を唇の先で摘まんで、顔を上げようとする… 「…!」 こいつ、チップをなかなか離さない。 はぁ…面倒くせぇな… オレは一旦チップを口から離すと、キメセクさんの目を見つめて言った。 「たった1枚で、何かサービスがあると思うな…ケチ。」 そう言って頬を一発、手の甲で引っ叩くと、唇の先でまたチップを取りに行く。 膝立ちした足をゆっくり伸ばして、前屈になりながらキメセクさんからチップを受け取ると、そのまま足を片方ずつ上に上げて逆立ちする。そして、寝転がったキメセクさんの体の外側ギリギリに足を置いて立ち上がって、目の前の支配人を見て聞いた。 「ねぇ、もう良い?」 オレの言葉に支配人が笑いながら頷いた。 オレはそれを確認すると、体を仰け反らせてキメセクさんの頭の脇に手を着いてバク転しながら体を退かした。 まばらな拍手の中、お辞儀をしてカーテンの奥へと戻ろうと体を翻した… その時、突然、手を引っ張られて体がよろける。 「シロ…待てよ。」 掴まれた手の先を見上げると、キメセクさんがニヤけた顔で、オレを見下ろしている。 「おい!触んな!」 支配人が店内に響く大声でそう怒鳴ると、すかさずウェイターがキメセクさんの腕を掴んでステージから降ろして行く… 今にも殴り掛かりそうな支配人を前に、キメセクさんはへらへら笑いながら言った。 「はは…すみません、つい、話を聞きたくてね…」 嘘つけ…興奮してタカが外れたんだろ?サル。 カーテンの奥へ戻って、こちらを心配そうに見つめる楓に言った。 「あいつ…サルみたいだね。取り押さえられてたよ?ダサ。あんなインテリな仕事に就いてんのに、頭ん中はサルと同じだなんて、笑っちゃうね?」 楓はオレをギュッと抱きしめて言った。 「シロ…ロックオンされたんだよ。気を付けて…僕、心配だよ…」 確かに…ステージの上に上がって来るお客なんて…今まで数える程度しかいなかった…。 しかも、オレの手を掴んで、今にも襲い掛かりそうだったお客はキメセクさんが初めてだ… 楓の言う通り、彼は普通じゃない…危ない人だ。 でも、この店の中に居る間は…あいつはオレに手は出せない。 さっきみたいに守ってもらえる。 それに、暫くしたらオレの…桜二様がお店に来てくれるもんね… カーテンの向こうを伺うと、支配人が不機嫌な顔でキメセクさんを睨みつけてる。 さっきまでニコニコだったのに…険しいな。ステージの上に勝手に上がったのが、相当ムカついたんだ… 支配人の美学を土足で踏みにじったんだ。 取材した癖に、分かってないね… このジジイの美学と呼んでる拘りは、彼の情熱が注がれたものなんだ。それに共感したお客は息が長いし、逆に合わないお客はすぐに離れて行く。 彼はそれで良いと言う様な頑固ジジイで、その拘りにポリシーを持ってる。だからね、それを蔑ろにしちゃあいけないんだよ。 「彼のプライベートダンスは、いくら払えば受けられるの?」 そう言って食い下がるキメセクさんに支配人は手で追い払う様にして言った。 「うちはそういうのやってないよ。それにあんたはこういう遊びが向いていないみたいだ。悪い事は言わない、早く帰れ。」 そうだ!言ったれ!!ぶちかませ!ジジイ! オレは楓と一緒に控え室からカーテンの向こうの様子を伺う。 「随分しつこく食い下がるな…楓の元彼はしつこいね?」 「やめてよ…あんな奴。本当、最悪なんだ…」 ガチャリ… 控え室のドアが開く音がして、オレは楓と一緒に振り返る。 「あっ…」 そこには知らない男が立っていた。 「シロ…逃げて!」 そう言ってオレの目の前に楓が立って、男の行方を阻んだ。 「…え?」 次の瞬間、楓の体が横に吹っ飛んで、彼が目の前の男に引っ叩かれたんだと分かった。呻き声を上げて顔を抑える楓の口から、血が垂れるのが見えて、頭に血がのぼると、オレは目の前の男に飛び掛かった。 「オレの楓に何すんだ!!この変態!」 そう言って依冬並みの恵体の男の顔を殴りつけるけど、相手は全然堪えていない様子でオレを簡単に薙ぎ払った。 床に放られて、男に腕を掴まれて連れて行かれる楓を見て、叫ぶ。 「楓!」 必死に飛びついて、男の手を解こうと必死にひっかいて、叩いた。 「離せっ!離せよっ!このやろ!楓を離せ!」 そんなオレを足で押し退けて、楓が言った。 「シロ!戻って!お店に戻って!!」 何言ってんだ!こんなお前を放って置ける訳、無いだろ! 「ジジイ~~!」 エントランスの外に連れ出されそうな楓を必死に捕まえながら支配人を呼んだ。 でも、誰も来てくれない…! オレだけじゃ…止められない! 助けてよ!! 男は何も言わないまま、強引に、力づくで、楓を外に連れ出すと、ロケバスの隣に停まった車のドアに手をかけた。 …連れ込まれる! 「ん~!!楓、ダメだ!」 オレは楓の腕を引っ張って、それを必死に止める。 「シロ!ダメ!こいつらの目的は僕じゃない!支配人の所に逃げて!」 何言ってんだ! 楓はそう言うと、オレを振り払おうと再び足で押し退けて来た。 「おぉ…威勢がいいね?」 背後で誰かがそう言って、オレの腰を片手で掴み上げる。 「シローーーー!!ダメ!やめて!シロはだめーーー!」 楓の叫び声が夜の街に響いて消える。 目の前のスライドドアが開いて、車の中に放り込まれた。 オレが…拉致られる…? 「シローーー!やめて!ダメ!ダメ!誰かっ!誰かーーーっ!」 叫び続ける楓に、振り返った男が拳を振り上げて、鈍い音が耳の奥に届く。 兄ちゃん… あの時みたいだ…怖いよ。 殴られて呻き声をあげた楓が、地面に突っ伏すのが見えた。 「あぁーー!やめて!やめて…!!楓にそんな事するなっ!」 オレはそう言って、外に出ようと体を動かした。 目の前に現れた大きな体に、首を掴まれ座席の奥へと再び放り投げられると、無防備にぶつけた頭がグラグラと揺れて、体に力が入らなくなった。 車の外で楓が男に蹴り上げられてる… 兄ちゃん…! スライドドアが閉まって楓の声が小さくなると、朦朧とするオレに男が覆い被さって来る。 「ぶつけちゃったの?可哀想に…お利口にしないからいけないんだよ?」 そう言ってオレを見下ろすと、頬を手の甲で叩いて、笑った。 男の体の向こうで、ドアをバンバンと叩いて楓が叫び続けてるのが見える。 車が動き始めて小さくなった楓の声が、遠のいていく… オレ…まわされる 桜二…オレはビッチだけど…こんなの嫌だよ… 「早く…早く…!」 運転席の男がオレを振り返って見て、笑って言った。 オレに覆い被さっているのは、キメセクさんだった… 「シロ…気持ち良くしてあげるね…?」 ギラギラした目を輝かせてそう言うと、オレの体を圧し潰すように覆い被さって、首を舐められる。 「い、いや…やめろ!」 力の入らない両手で体を押し退けて、足の間に入って来ようとする体を、身を捩って拒むと、すぐに乱暴に掴まれて押さえつけられた両手に、重くキメセクさんの体重がのしかかって来る。 荒くて、汚い息を顔に受けながら、気持ちの悪い男の舌がオレの舌を絡めてしつこく吸ってくる。 オレの短パンとパンツを乱暴に脱がせると、カチャカチャと…ベルトを外す音が聞こえる。 最悪だ… オレの中に指を入れると、満足そうに笑い声をあげて言って来た。 「気持ち良いだろ?ん?ほら、喘げよ…可愛い顔して、あんな腰つき…堪らなくなるだろ?ん?誘ったのは…お前だよ?アハハ…!」 体を捩って嫌がって呻き声を出すと、キメセクさんがオレの唇に舌を這わせて、キスをしながら囁いて来る。 「気持ちいだろ?シロ…可愛く喘げよ。ほら…あんあんして…?」 ぶっ殺してやる…! 朦朧とする頭を振って、目の前のクソったれに思いきり頭突きをかましてやる。 「あ~アハハ…本当に、威勢が良いな…」 そう言うと、キメセクさんはオレの中に無理やりねじ込んできた。 最悪だ…! 「あぁ…めっちゃ気持ちいい…」 体を屈めてオレを抱きしめながら、腰を振って散々オレの中を犯していく。 「や、やだぁ!やめろ!ヤダぁ!!」 両手でキメセクさんの顔を掴んで思い切り離すけど、ガッチリとホールドされて離れて行かない…! 「はぁはぁ…何言ってんだよ。勃起してるくせに…気持ち良いんだろ?俺のおちんちんが気持ち良くって、勃起してるよ?ほら、分かるだろ?ふふっ…エロいな…堪んない…すぐイッちゃうかも、はは、たっぷりしようね?シロ。」 そう言ってキメセクさんがオレの頬を汚い舌で舐め上げる。 嫌だ…嫌だ… 「…は?あんた何だよ…」 車が停まって、運転手が誰かと話してるのが聞こえた。 「あぁ…気持ちい。やばい、もう、イキそう。」 目の前のキメセクさんはオレの口を手で抑えながら、囁く声でそう言って、オレの中に奥まで入って腰を振り続ける。 誰か…誰か…! 必死になって、大きな体の向こうのドアを足で蹴飛ばした。 誰か…助けて!! 気付いて…! すぐにキメセクさんの後ろのドアが開いて、振り返った彼を誰かが引っ張り出す様子を呆然と見つめる。 …助かったのか…? …ドアの向こうに、逃げなくちゃ…! 「…はぁはぁ…最悪だ…」 オレは震える体を起こして服を着なおすと、転がる様に車の外へと飛び出した。 気が焦ったのか、ぶつけた頭のせいか、足がもつれて地面に派手に転ぶ。 車に連れ込まれてからあんなに長く感じたのに、オレが解放された場所はよく憶えのある、店の近くの道だった。 急に聴覚が戻った様に、夜の街の音が聞こえ始める。 車の音…人の話し声が…こんなに、心地よいなんて… ドサッ! 背後で何かが落ちる音がして慌てて振り返る。 オレが逃げ出した車の前で、誰かが誰かを馬乗りになって殴ってる…飛び散る血しぶきの一つ一つまでも、鮮明にシルエットになって見える様に、呆然と見入る… まるでアニメのワンシーンの様な現実に、非現実感を感じて、妙に冷静に辺りを見回した。 少し離れた所に…既に倒れたのか、黒い塊が地面にうずくまって見えた。 急に頭が重たくなって、クラクラと地面が近づいて来る。 体が動かせなくて頬に冷たい地面があたると、すぐに誰かがオレに駆け寄ってきた。 体を抱き抱えられて、優しく何度も頬を撫でられて、それが誰か分かった。 「桜二…」 悲しそうに顔を歪める彼の頬を撫でて言った。 「桜二様…来るのが遅いよ…」 そう呟くと、いつもと違うブラックアウトをして、オレは意識を失った。 「兄ちゃん…!」 母親と健太がいない部屋… オレを買った男に兄ちゃんが掴みかかって…逆にぶん殴られた。 床に突っ伏して呻く兄ちゃんを、ただ茫然と見下ろす事しか出来なかった… 「シロ…逃げて…!」 そう言って、オレを見つめる目が、痛々しくて、可哀想で、怖かった。 「ほら、シロはこっちにおいで?」 襖が閉じて、オレは知らない男と2人きりになった… 体を撫でまわされて、痛い事をされて、怖かったけど、襖の向こうから聞こえる殴られ続ける兄ちゃんの音を聞く方が辛かった。 「も、止めてーー!兄ちゃんを殴らないでーー!」 そう言って男を見上げると、あいつは言った。 「シロが…良い子にしたら、お兄ちゃんは殴られないよ?気持ち良さそうにしてごらん?」 本当? オレがそうしたら…兄ちゃんは殴られないの…?

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