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第24話

「検査して異常が無かったら、すぐに退院出来るからね?」 青い手術着を着たお医者がそう言って、オレの頭を撫でて病室を出て行った。 オレはピンクの頭に包帯を巻かれて、ベッドのしわを見つめる。 脳震盪…ぶつけた衝撃で頭も怪我をしたようで、オレは入院した。 オレの拉致事件は支配人を激怒させた。 とばっちりを受けたのはウェイターたちだ…エントランスに居なかった事を詰られて、給料をカットされるらしい… あの時、キメセクさんが支配人に食い下がったのは、支配人の気を引くためだった。だから、ガードの緩くなったオレ達の控え室に部外者が簡単に入れたんだ… セキュリティーの在り方が“俺がエントランスで見てるから大丈夫!”なんて、そんな緩い物だから…こんな事件が起こるんだ。ばかやろ。 支配人は彼らを徹底的に訴える!なんて鼻息荒くしてるらしい… 全部楓が教えてくれた… あの子も怪我してたのに…オレを助けてくれた。 「桜二…?お腹空いたよ…ここのご飯は全然美味しくないんだ…」 オレはそう言って、視線を桜二に移す。 彼はベッドの隣の椅子に腰かけて、眉毛を下げてオレを見ている。 「何か買ってこようか?」 「傍に居て!」 そう言って桜二の手を掴むと自分に引き寄せる。 そのまま背中を抱きしめて、彼の胸に顔を埋める。 ズキンと頭の傷が痛んで、小さく呻く。 「あぁ…ほら、ジッとしてて…ごめんね。もっと早く行けば良かった…」 そう言ってオレにキスをする桜二の頬を撫でて、口元を緩めて笑う。 あの時…オレは咄嗟に彼の名前を呼んでしまった。 それを、誰に、聞かれたのか…心配してる。 馬乗りになって男をボコボコにしていた人が…依冬に見えたんだ。 あの時、彼が傍に居たのか…ずっと気になってる。 「ねぇ?桜二?あの時…依冬は傍に居たの?」 彼の顔を見上げて尋ねると、オレの顔を見つめて何も言わない桜二に状況を察した。 依冬に…彼が湊を殺した“桜二”だと、バレてしまった… 「そう……逃げる?」 オレがそう言うと、桜二は吹き出して笑った。 何で? 「ふふ…大丈夫だよ。シロは検査が残ってるだろ?それをちゃんとして?」 そう言ってオレの包帯が巻かれた頭にキスをした。 そんなのんきで大丈夫なの? オレは彼の頬を掴むと自分の方へ向かせて言った。 「違う…こっちにキスして!」 オレは桜二に唇を尖らせて甘える。 「ふふ…可愛いね?」 そう言って優しいキスをくれるから、オレはもっと強く彼の舌を絡めてキスする。 頭がズキンと痛んで眉間にしわが寄る。 「あ…。」 そんなタイミングで、看護師が病室に入って来てオレ達を見て、驚いて帰って行ってしまった… 嫌だった… あのキメセクさんの匂いが…感触が…体に残ってるみたいで… 桜二で早く綺麗にしたかった… 「ほら、少し眠って?」 そう言って桜二がオレの体をベッドに沈めてくるから、オレは彼の手を掴んで言った。 「ねぇ…オレが寝てる間に…!」 「どこにも行かない…そう約束しただろ?」 そう言って優しくオレの頬を撫でると、彼はにっこりと笑いかける。 約束した… でも、兄ちゃんは、死んだよ? 簡単に約束を破って…死んだ。 オレは掴んだ桜二の手のひらを握ると、自分の頬にあてて教えてあげる。 「あの歌…何の歌か分かったよ…?」 「ふふ…何の歌だった?」 「映画のトップガンの歌だった…ふふッ!兄ちゃんがハマったんだ。いつも歌ってた…んふふ!何回も同じ所でループするんだ…おかしいだろ?」 「あ~、それだったんだ…ふふ。良かった。スッキリしたよ。」 桜二はそう言って笑うと、オレを見つめて言った。 「少し、眠って…?」 うん…でも、気になるんだ… 「…依冬は?どこに居るの?会いたいんだ…」 オレはそう言って桜二の手を引き寄せた。 彼をオレの頭を撫でると、にっこりと笑って言った。 「後で来るよ。」 本当? 静かすぎる病室と、オレの頭を撫でる桜二の手が気持ち良くて、だんだんと瞼が重たくなってくる。 点滴に睡眠薬でも入ってるのかな… 目を覚ますと、部屋には誰も居なくなって、窓の外はさっきよりも明るくなって見えた。 依冬が手配してくれた個室の病室は、オレにはもったいない位に設備が整ってる。 ガラリと扉を開いて看護師が入ってきた。 手際よく体温と血圧を測られて、点滴の具合を調節してる。 「あの…シャワーに入っても良いですか?」 オレはそう言って看護師に首を傾げた。 「点滴がもうすぐ取れるので、外したら入っても大丈夫ですよ?」 そうか…良かった。 早く体を洗いたかったんだ… 看護師が居なくなってシンと静まる病室の中…外から聞こえる音だけが耳に入って来る。 「スズメって、本当にちゅんちゅんって鳴くんだな…」 窓の外から聞こえるスズメの声を聞きながら、携帯を手に取って画面を眺める。 朝の7:30… 頭を振ってもズキンと痛くならなくなった。 携帯を耳にあてて呼び出し音を聞く… 「あ~、もしもし?君かね?僕は病室でひとりぼっちなんだ。早く来なさい。そして、僕のお部屋からお着替えも持ってきたまえ。鍵を持ってるだろ?僕はね、ばっちい体を早く洗いたいんだ。よろしく頼むよ?ん?はいはい、どうも。」 そんなふざけた電話をしても、彼はいつもと変わらず普通だった… きっとお願いした通り早く来てくれるだろう。 「さて…何て言えば良いのかな…」 窓の外を眺めながら空を飛ぶ鳥を見つめる。 良いな…気持ちよさそうだ。 「おはよう。シロ君、調子はどうかな?」 昨日、青い手術着を着ていた先生は今日は白い白衣を着てやって来た。 この先生はオレの読みでは、多分ゲイだ。 彼はベッドに掛けられた紙を見ると、うんうんと頷いてオレを見た。 首にかけた聴診器を耳に付けると、自然にオレのベッドに腰かけて言った。 「どれどれ、胸の音を聞かせてね?」 そう言って服の下に手を入れて、胸の上にあててオレをじっと見つめて来る。 気まずくなって、オレは視線を逸らすとベッドの端を見つめて、時間が過ぎるのを待った。 めっちゃ見てくるやん…変態じゃん… 「胸の音は問題ないね?じゃあ、腕を出して?」 言われた通りに腕を差し出すと、血圧計を下に置いてオレの服の袖口をまくった。 「この痣は…昨日付いたものかな?」 そう言ってオレの手首に付いた赤い痣を手のひらで撫でた。 「多分…」 キメセクさんが体重を乗せて押さえつけた部分が、赤く痣になったみたいだ。 舐める様に指を動かして手首に出来た痣を撫でるから、オレはゲイの先生を見て言った。 「…先生は、オレがストリッパーだから、誰とでも寝ると思って触って来るの?」 驚いた顔をしてオレを見ると、ケラケラ笑ってゲイ先生が言った。 「違うよ?体の調子を診るために触ってるんだよ?ふふ、先生はお医者さんだからね?嫌だったの?」 ふぅん… 「うん…やだった。」 「かわい…」 オレはゲイをその気にさせる選手権があったら、上位にランクインする自信がある。 「もう1人の美人さんも顔を殴られてて可哀想だったよ?あれはしばらく青く残るね…。」 ゲイ先生はそう言うと、オレの首すじを両手で触って何かを確認してる。 楓は口からも鼻からも血を流していた…可哀想だ。 「検査は何をするの?早く帰りたいよ…」 オレはそう言ってゲイ先生を見つめる。 「念のため、MRIとCTを撮ろうかな…?頭に血栓が出来てたら大変だからね?検査は今日の午後できるよ。結果もすぐに教えてあげる。」 ゲイ先生はそう言うと、オレの包帯を外して傷口を確認した。 「あぁ…シャワーしたいんだっけ?頭はまた今度だね?まだ傷が閉じてない。体は綺麗にしても良いよ?ふふ。」 そう言ってオレの頭にグルグルと包帯を巻き直した。 そうか…頭も洗いたかったな… ゲイ先生はオレのベッドに座り直すと首を傾げて話し出した。 「ねぇ、シロ君?先生はね。YouTubeを見たんだ。君はすっごく上手に鞭が振れるね?先生はドキドキしちゃったよ?」 え… オレはゲイ先生をジト目で見て言った。 「先生?仕事でそうしてるからって、本人もその気があるとは限らないんだよ?オレよりも長く生きてるのに、そんな事も分からないの?」 「あはは!」 オレがジト目でいなすと先生は笑いながら喜んで退散して行った。 何て病院だ!ゲイの先生が巡回して、それっぽい男にエロ診察してる! 何て病院に来てしまったんだ! あ… ふと携帯を持って電話をかける。 「やべ…忘れてた…!!」 今日は陽介先生のレッスンが入っていたんだ! キャンセルの連絡をしないと… 「シロ、おはよう…こんな時間に掛けて来るなんて…俺に会いたくなっちゃったの?んふ、んふふ、んふふふ!」 陽介先生は朝でも電話でも絶好調だ。 オレは口元を緩めて笑うと、先生に事情を話した。 「え…」 オレがレイプされたのがショックだったのか、陽介先生はひと言そう言ったきり、オレが経緯を話し終えるまで、無言だった。 意外と彼は常識人で…優しくて、男気のある人なんだ… 「何て事だ!すぐにお見舞いに行く!場所はどこなの?」 そう言って慌て始める陽介先生に、病院を伝えて電話を切った。 お見舞いに来てくれるなんて…優しいんだね。 あんな目に遭ったのにケロッとしてる自分とは違って…重大の事の様に、大げさに心配してくれた… これが…普通の、反応なのかな…? 首を傾げて物思いに耽っていると、病室の扉が開いて依冬が入って来た。 「おはよう。シロ。具合はどう?」 「依冬~!依冬、依冬!」 オレは依冬を求めて両手を広げてバタバタと揺らした。 彼はにっこり笑ってオレに両手を広げて近づいて来ると、ガッチリと抱きしめてくれる。 あったか~い! 手のひらで包帯の付いた頭を撫でられて、オレは彼の胸に顔を埋めてスリスリする。 「着替えは?」 オレがそう聞くと、はい。と袋から出して、ベッドの上に並べて見せた。 Tシャツ。パーカー。ジーンズ。パンツ。靴下…あ、これ、嫌いな靴下だ! 「靴下、これやだった~!」 オレはそう言ってムスくれると依冬目がけて投げ付けた。 「そんなの知らないよ?」 そう言って、落ちた靴下を拾いに行く依冬を、ニヤニヤしながら見つめる。 可愛い…子犬だ。 「依冬、おいで~?」 オレが子犬を呼ぶように依冬を呼ぶと、彼は嬉しそうに笑ってオレの上に覆い被さって来る。 「あはは!凄い!ゴールデンレトリバーみたいに強い!」 オレがそう言って爆笑して依冬の頬を撫でると、彼は怪訝な顔をして言った。 「何で犬の話をするの?」 「だって…依冬はワンコみたいに可愛いからだよ?」 オレはそう言って依冬に抱きついて彼を自分の方に引っ張り寄せる。 あぁ…あったかい。おっきい体…大好きだ! 「依冬~依冬~ん~!」 満足するまでそうして抱擁して、疲れて手を離す。 オレを見下ろす彼を見上げて言った。 「依冬、ごめん。」 彼はオレを無言で見つめると、急に体を起こしてそそくさと帰り支度を始めた。 「なぁんで?何で、もう帰っちゃうの?」 オレはそう言ってベッドから降りると、依冬にしがみ付いた。 「…仕事に、行かないといけないんだよ?」 「依冬はオレの頭が心配じゃないの?レイプされたんだぞ?心配じゃないの?」 「心配だよ!…そんなの、心配に決まってる!」 「じゃあ何ですぐに帰っちゃうんだよぉ!」 オレはオレを見下ろす彼を見つめて目を潤ます。 それはまるで母親と離れるのを嫌がる子供の様に、みっともなくて恥ずかしい姿。 それでも、まだ行って欲しくなかったんだ…! 「まだ行かないで…!」 そう言ってしがみ付いて、両手で彼の体を抱きしめる。 「シロが…話そうとしてる話を…聞きたくないんだよ。」 依冬はそう言うと、自分の体にぶら下がるオレを持ち上げて、ベッドに乗せた。 「じゃあ話さない。話さないから…まだ居て?」 オレはそう言って依冬の体をギュッと抱きしめる。 ダメなんだ…まだ依冬が足らないよ。 オレのしつこさに観念したのか、依冬が渋々椅子に腰かけ直した。 「わ~い!わ~い!」 そう言って両手を上げて喜ぶオレを見つめる彼の目は、楽しそうに笑っていた。 「子供なの?」 そうだ、子供なんだ! 「朝ご飯がまだ来ないんだよ?お腹空いちゃった…可哀想だろ?」 オレはそう言ってベッドに寝転がると、足の先で依冬の顔を撫でた。 「ふふ。じゃあ、これ食べな…」 そう言って依冬が自分の鞄からパンと飲み物を出して、オレにくれた。 何て優しいんだ…! 「ふふ…食べさせて?」 オレはそう言って依冬が運んでくれるパンを可愛く食べた。 間もなくして病院の朝食が目の前に運ばれた。 「あ~お腹いっぱいになっちゃったよ?だから依冬にあげるね?」 オレはそう言って、病院食を依冬の口に運んであげる。 「はい、あ~んして?」 格好よくオーダーメイドのスーツを着こなして、オレに餌付けされる姿は、性癖を興奮させる。 「可愛いね?堪らないよ…依冬。」 オレはそう言って彼の頬を優しく撫でて言った。 「可愛い子犬みたいで…堪らない。」 オレの目を見つめて、依冬が言った。 「クゥ~ン…クゥ~ン…」 「あはは…!あはは!可愛いなぁ?可愛いワンコだなぁ?」 オレはそう言ってムツゴロウさんみたいに依冬のお腹と頭を同時に撫でて、舌で鼻を舐めた。 「あ…」 病室に入ってきた看護師がそう言って固まったので、オレと依冬は体を離して、素知らぬ顔をした。 「…て、て、てて…点滴が終わったので、外しますね?」 そう言って看護師がオレの腕から針を抜いた。 針の抜ける感覚にゾクッとして空いた穴から血が出るのを見つめる。 小さな絆創膏を貼ってもらって、オレの腕は自由になった。 ふとベッドに置かれた依冬の手のひらを見つめる。 拳の関節が赤く剥けている… オレは依冬の手を握ると、自分の頬にあてて言った。 「依冬がやっつけてくれたの?」 オレの頬を撫でて、依冬が言った。 「酷い目に遭ったね…可哀想だよ。俺のシロ。」 そうだ…オレはお前のシロだよ? 「うん…嫌だった。」 そう言って彼の唇にそっとキスをする。 舌でいやらしく撫でて口の中に滑り込ませると、依冬の舌を絡めて舐める。 オレの強いキスに依冬がもっと強く返す。 頭がジンジンして、気持ち良くなる。 おでこを付けたままキスを外して、うっとりと彼を見つめて微笑む。 「もう帰る?」 オレがそう聞くと、彼はにっこりと笑った。 依冬を見送って、再びボッチになったオレはシャワーを浴びた。 個室にはシャワー室まで付いていた。 「ここに住んだ方が快適かもしれない…」 そんな事を呟きながら、汚れた体を洗う。 触られた部分、舌で舐められた部分…感覚が残ってる部分を痛くなる位に擦って洗う。 気持ち悪い… レイプなんてされたのに、精神的なショックなんて無かった。 ただ、体に残った感覚が、気持ち悪くてたまらなかったんだ… だから痛くなる位に擦って洗った… きっと小さい頃、酷い目に遭ったせいだ… だから、そこら辺のモラルが低いのか、諦めが早いのか… 淡々と体を洗って体を拭くと、持って来て貰った服を着た。 歯磨きをしながら窓の外を眺めて、ポツリと呟く。 「あ、知ってる。オレが入院したのは、この病院だったんだ…」 「シローーーー!!」 凄い勢いで名前を呼ばれて驚いて振り返ると、両手にお土産をぶら下げた陽介先生が、オレを涙目で見つめながら病室の入り口に立っていた。 「あはは!陽介先生!」 オレはそう言って笑うと、両手を広げた。 それを見て、陽介先生はすごい剣幕で迫ってくると、何も言わないでオレを抱きしめた。 締め付けられる力が、痛いくらいに強くて…驚いた。 「もう…先生。オレ歯磨きしてるのに…歯磨き粉が付くよ?」 オレはそう言って陽介先生の腕の中で歯磨きを続ける。 「シロ…酷い目に遭ったね…可哀想だ。許せないよ!」 あぁ…そうだよね。 もっと傷付いて、もっと落ち込んでしかるべきなのに… オレは慣れすぎたせいか…それとも自分がどうでも良いせいか…周りの動揺に比べて、あっけらかんとしてるんだ。 「ふふ…優しいね。ありがとう。」 「シロの…大切な操が…暴漢に奪われたかと思うと…俺は、俺は…腹が立って仕方がないよっ!」 それは、今まで見た事も無い彼の憤りの表情… こんなにオレの為に怒ってくれるなんて…なんて優しい男だろう。 陽介先生はオレを見下ろすと、うっとりと瞳を色づけて言った。 「シロ…良い匂いがする…」 それはきっと歯磨き粉の匂いだよ? それか… 「シャワーに入ったからね…」 オレはそう言って洗面に口をゆすぎに行く。 「シロ…このまま抱いても良い?」 ふふ…どうしたんだ… さっき操がどうとか言ってなかったっけ…? 口をゆすいでスッキリすると、陽介先生に首を傾げながら尋ねた。 「陽介先生?オレ、オーディションまで間もないのに…レッスンに行けなかった。心配だよ…まだ納得出来ていないのに、誰かに見せるなんて、怖いな?」 もっと練習する事が必要なのに…身の回りのごたごたに、感情のごたごたに…振り回されて、まともに通し練習さえ出来てない。 こんなの…ダメに決まってる… 「シロの為なら…俺はいつでも時間を作るよ?」 「そんな…悪いよ。」 「代わりにエッチな事して…?」 体を求めずに“エッチな事”なんて濁すなんて…さっき、抱いて良い?なんて冗談で聞いたくせに、この人は優しいんだ。 陽介先生は両手のお土産を置くと、オレのベッドの脇に置かれた椅子に座った。 だから、オレは向い会う様にベッドに腰かけて、にっこりと笑いかけた。 「先生?どうしてオレの首ばかり見てるの?」 向かい合った陽介先生の視線が、ずっとオレの首元を見ていて、気になってそう尋ねた。 陽介先生はスッと手を伸ばして、指先でオレの首を撫でると言った。 「ここが赤いんだ。」 「あぁ…昨日舐められて、気持ち悪かったんだ…だから、強く洗ったの。それできっと赤くなっちゃったんだね…。」 オレがそう言って首を傾げると、陽介先生は目をグッと歪ませて、涙を溜めた。 椅子から立ち上がってオレの体を強く抱きしめると、優しく頭を撫でて言った。 「許せないよ…」 そう言った陽介先生の声が、微かに震えていて…胸が痛くなった。 オレは彼の体に頬を預けながらぼんやりと呟いた。 「ふふ、先生…男に触るの自然になって来てるよ?オレは心配だよ。」 そう言って、胸の奥があったかくなるのを感じながら、足をユラユラと揺らした。 「シロ…」 病室のドアが開いて、そう言いながら桜二が入ってきた。 向かい合って抱きしめられるオレを見つめながら病室の中まで入ると、荷物を置いてオレを振り返って、両手を広げて見せる。 ふふ… オレはベッドの上を歩いて桜二の元へ行くと、ギュッと強く抱きしめてあげる。 妬いたんだ…!可愛いね… 「歩いても平気なの?」 オレを見下ろしてそう聞いて来る彼のシャツに顔を埋めて頬ずりしながら答えた。 「ふふ…歩いても平気だし、シャワーも浴びた。」 そして、顔を上げると桜二を下から見て言った。 「ね?キスして~?」 体を揺らして甘えると、桜二は瞳を細めて優しい声で言った。 「…もう…本当に、可愛いんだから…」 おねだりしてもらった物…それは熱くて、まるで陽介先生に見せつけるようなキスだった。 とっても焼きもち焼きなんだね…こんなに情熱的なキスを見せつけるなんてさ。 唇を離すと、素敵な冷たい男の瞳をうっとりと見つめる。 「…好き」 オレがそう言うと、彼はオレの頬を撫でて言った。 「俺は、シロが好きだよ…」 んふふ…甘い…甘くて、トロけちゃいそうだ… 彼の胸に頬を付けると、クッタリと甘えて言った。 「…依冬に、着替え、持って来て貰った…」 オレの言葉に自分が置いた荷物を指さすと、彼が言った。 「着替え、買ってきちゃったよ…?」 「じゃあ…それは、オレへの貢ぎ物だ。」 オレはそう言ってクスクス笑うと、ベッドの上に戻ってあぐらをかいて座った。 そして、自分の手のひらを見下ろすと開いたり握ったりして、動作を確認した。そのまま、指先から肩まで、順に関節を動かしてウェーブの様に滑らかな波を作る。 「はは…どれどれ。」 陽介先生はそう言うと、オレの波を繋ぐように同じようなウェーブを作って、自分の腕を動かして見せた。ふたりでぐるっと腕を輪にして、肘から指先までしならせ合ってウェーブを回して遊び始める。 「大波が来たぞ~!」 陽介先生がそう言って、うんと大きな波を作る。 「あはは!」 オレはそれを体を浮かせて引き継ぐと、防波堤にぶつかって波が散る様子を指先で表現して、口で言った。 「バッシャ~ン!!」 「ふふ…」 「あはは!」 顔を見合わせながらこんな地味な遊びを熱心にしていると、ソファに腰かけた桜二は飽きたのか、呆れたのか、ウトウトと寝始める。 「おぉ…ここは楽しそうだね?」 そう言って病室に入って来ると、部屋を見渡してゲイの先生が言った。 「男が、沢山居るね?ふふ…」 どういう意味?ふん! オレは不機嫌に口を尖らせると、ゲイの先生を眉毛を下げながらガン見した。 「ぷっ…!シロ君の検査の時間を伝えに来たんだよ?14:00にMRIとCTを予約したから、その時間になったら検査室の前に来てね?1人で来れるかなぁ~?」 ゲイの先生はそう言いながら、オーバーに首を傾げてオレを子ども扱いした。 居眠りしていた筈の桜二が、ゲイ先生の態度にジト目を向けて見つめてる。 多分…イラッとしたんだ。 オレは同じように首を傾げると、笑って言ってやった。 「大丈夫で~す!」 ゲイ先生が立ち去った病室の中。陽介先生が心配そうにオレに言った。 「検査って…?何で検査が必要なの?」 「頭をぶつけたから…念のためって言ってたよ?」 オレはそう言って手でウェーブを作って再びアイソレーションをする。 肘の所で突っかかるのが気になる… 目の前の陽介先生の腕は綺麗に波打ってるのに、オレの腕では肘で一回突っかかる…何が違うんだろう…? 「えい!」 オレはそう言ってウェーブの先を陽介先生にぶつけた。 「あわわわわわ!」 陽介先生はそう言うと、感電したみたいに体を痙攣させて、ガクガクと椅子ごと揺れた。 「あ~はっはっは!」 その顔がおかしくて、腹を抱えて大笑いすると、陽介先生は容赦なく畳みかけて来た。 「あぁ!シロ!体の中から焼かれていくようだよっ!!」 そう言って激しく痙攣すると、目から火を出して、オレのベッドに項垂れて倒れた。 「あ~はっはっは!最高だ!おっかしいの!」 オレはそう言って陽介先生の背中に抱きついて頬を摺り寄せた。 こんな面白い人の彼女になる人は、いつも笑えて、楽しいだろうな… そんな事を漠然と思いながら、先生の背中を手のひらで撫でた。 「シロ、また来るね?」 陽介先生はそう言って、病室を後にした。 次のレッスンに間に合うかな? それに…また、は無いよ?だってオレは明日にでも退院するんだからね。 変な人…面白くて、おかしくて、笑わせてくれる。 入れ替わる様に桜二が椅子に座ってオレをジト目で見つめる。 オレは桜二の膝に足を乗せて、にっこりと笑いながら言った。 「陽介先生がゲイになった!あはは、あははは!」 「ふふ、知ってた?シロが煽るからだよ?」 そう言って笑うと、オレの足をサワサワと撫でた。 オレはそのまま彼に膝に腰を移動して跨って座る。 「ふふ…妬いたの?」 オレがそう聞くと、桜二がオレの唇にキスして言った。 「妬いてないよ?あの人には…妬かないさ。」 そうなんだ。 オレは桜二の前髪を撫でながら、昨日の事を聞いた。 「オレ、うっすらと見たんだ…。依冬がすごいボコボコにしてる所…。あいつは手の甲を怪我してたよ?相手は…死んだ?」 オレの問いに桜二は、う~ん…と首を傾げ過ぎて捻じれそうになった。 死んだの?! オレが青ざめると、桜二はオレの顔を見て言った。 「ろっ骨が、何本か…折れたくらいかな…?」 え?! 素手だよ…?素手なんだよ? 依冬は、飼い主不在の狂犬になってしまっていたんだ… 薬を打たれておかしくなったピットブルぐらい、見境なく、殺ったんだ… 可哀想。 可哀想な、依冬… 「それは…大変だね。」 オレはそう言って桜二の頬を両手で包むと、チュッとキスをした。 そのまま彼の口に舌を入れて、熱しにキスする。 肩に置いていた両手を滑らせて、彼の背中を強く抱くと体を密着させていく。 「桜二…昨日、レイプされちゃった…気持ち悪いんだ。何とかして…?」 おでこを付けたままうっとりと彼の目を見つめておねだりする。 「何とかって?どうすれば良い?」 そうだな… オレは彼の体にヘタリと項垂れて言った。 「すぐに抱いて。桜二ので綺麗にして…」 オレはそう言って桜二の股間に自分の股間を押し付けて、緩く動かした。 「はは…ここは病院だよ?退院してからじゃダメなの?」 そう言って笑う桜二にニッコリと笑って言う。 「だめ…今すぐして…気持ち悪くて吐きそうなんだ…だから今すぐに抱いて…」 彼の髪をグチャグチャにして顔に頬ずりしながらおねだりする。 そのまま桜二の腕を引っ張って、病室の中のシャワールームに連れ込むと、自分のズボンとパンツを脱いで、壁に体を付けて桃の様なお尻を桜二に向けて言った。 「して…?桜二のオレに挿れて、綺麗にして…?」 「シロ…」 桜二はそう言うと、オレの背中にピッタリと体を付けて、キスをした。 背後からのキスに首が伸びて仰け反って行く… オレのモノを優しく撫でながら、オレの中に指が入って来る。 「はぁ…んっ!桜二…桜二…」 オレは体を仰け反らせて、壁と彼の間に挟まれながら、彼がくれる快感を感じる。 「可愛いよ…シロ。愛してる。」 桜二の声を耳元で聞くと、オレの腰が震えて、興奮したオレのモノからとろりと液が流れ落ちる。 声が漏れない様に甘いキスで口を塞いで、桜二がオレの中に入って来る。 気持ち良くて体が跳ねて、仰け反った手で彼の髪を撫でると指の間で掴んだ。 「んんっ…っふぁ…あっ、ああっ…ん…ふっはぁはぁ…」 気持ち良い… 中で疼いていた気持ち悪さが無くなって…ただ彼のくれる快感だけで満たされていく。 「はぁはぁ…イッちゃう…桜二、イッちゃう…」 オレは彼の目をうっとりと見つめてそう言うと、予告通り、腰を震わせてイッた。 「あぁ…」 項垂れる様に下を向いて、自分のモノから吐き出される精液を見つめる。 「シロ…こっち向いて…」 桜二がそう言って、オレの中から自分のモノを引き出した。 シャワールームの壁に背中を付けて桜二を振り返ると、彼はオレの片足を持って腰を抱いた。そのまま下から突き上げる様にオレの中に再び入って来る。 「んっ…んん…」 声が出ない様に顔を反らすと、オレの首をねっとりと舐めて体を密着させた。 奥まで入った彼のモノが、グッと硬くなる。 オレの顔を見ながら腰を動かして、湿った瞳でオレを見つめる彼を見つめる。 「キスして…」 桜二がそうオレに言うから…堪らなく興奮して、喘ぎ声が漏れそうになる。 「桜二…エロい…」 オレはそう言って、彼の開いた口に舌を入れて絡める。 クチュクチュといやらしい音をさせながら、息の荒くなった桜二とキスする。 濃厚で…熱くて…甘くてトロけそうなセックス。 「シロ…イッても良い…?」 「ん、ん…!」 きつく抱きしめられた腰が彼のモノを受け止めて、快感に一緒に向かっていく。 両手で彼の背中を抱きしめて、彼のくれる快感を感じてる。 「はぁはぁ…んっんん!」 桜二がオレの中で激しく暴れてイッた…オレは、もっと前に勝手にイッてる… 顔を寄せ合って、長くて、甘いキスをする。 もっとしたい…もっとトロけたい… 何もしないで…セックスだけしてたい。 「…綺麗にして?」 オレはそう言って桜二にお尻を綺麗にしてもらいながら、快感の余韻に浸る。 このまま、もっとしたい… 壊れたセックスマシーンの様な自分に乾いた笑いが零れる。 むせ返るような熱気のシャワー室から出て、ベッドにゴロンと寝転がって惚ける。 …熱い… 「…シロ、時間だ。」 涼しい顔をした桜二がそう言って、オレの手を握る。 「MRIってドギャンドギャンって凄い音が鳴るらしいよ?常連さんが言ってた。怖いなぁ…怖いよ?」 オレはそう言って桜二にしなだれかかると、ベタベタと甘えながら病室を出た。 #桜二 「あんたが…桜二だったの…」 気絶したシロを抱いて動揺する俺の背中に、冷たい依冬の声が容赦なく突き刺さる。 「オレを一人にしないで…」 そう言ったシロの顔が頭の中に浮かんで、口元が緩む。 目の前で意識を無くしたシロを見つめながら、依冬の質問に深く頷いて答えた。 いつもの様に路駐をして、シロに店に向かう途中…依冬と偶然出会った。 「もうすぐで桜二の特定が済みそうです。彼は親父の裏の仕事を手伝っていたみたいで、つい最近も家に尋ねて来たそうです。何の用かまでは分かりませんが、親父はえらく動揺して、その日の仕事をキャンセルしたそうです。」 そうか…もう、そんな事まで… オレは依冬を横目でチラリと見た。 いつもと変わらない…所謂、忠犬の依冬。まだ…気付かれていない。 シロ…どうする? 本当に、俺と逃げるの? 全てを捨てて…俺と逃げるの…? 「誰かーーーー!シローー!だめ、だめ!シロがーーー!」 ざわつく歓楽街にひと際つんざく悲鳴が聞こえて、シロの名前に反応して顔を向けると、俺よりも先に依冬が走り出した。 「連れてかれる!」 そう叫ぶ声と同じ方向から一台の黒い車がこちらへと向かってきた。 俺はおもむろに道路に立って、車の進行を塞ぐと車内を見つめた。 乗ってる… 後部座席で誰かにレイプされてる、俺の…愛しい人を見つけた。 「依冬…シロがレイプされてる…」 俺がそう言うと、頭に血が上って我を忘れた依冬が、運転席の男を車外へと引きずり出した。 そのまま馬乗りになって、男の顔面がバウンドする程殴りつける姿に、背筋が凍る。 確かに…こいつは、狂犬だ… 後部座席を開くと、未だに俺の愛しい人に腰を振り続けるサルを引っ張り出して依冬の方へと放り投げた。 「こいつがシロをレイプしてた。」 俺はそう言って下半身がむき出しの男を蹴飛ばすと、彼の中に入っていたであろう部分を足で踏みつぶした。 運転手を大人しくさせた依冬が、股間を抱えてうずくまる男に迫る。 もう死んだな…これ。 俺は踵を返して、シロを助けに向かう。 既に車の外に逃げ出した彼が、道路に突っ伏して倒れていくのがスローモーションで見える。 「シロ…!」 慌てて駆け寄ると、彼の顔に血が流れていて、頭に怪我をしていると気付いた。 「シローーーー!!あーーー!!」 楓君が駆け寄ってきて、倒れ込んだシロを見て悲鳴を上げる。 彼も顔中血だらけだ… いったい、お店で何があったんだ… 俺はシロの体を抱えて、彼の髪の間から流れる血を止血しようと傷口を探した。 「シロ…大丈夫だからね…病院へ行こうね…」 虚ろな目の彼にそう話す自分の声が、震えて暴れる。 こんなに血を流して… 死んでしまったら…どうしたら良い? 動揺して、取り乱しそうな気持を必死に抑えていると、焦点の合わない目で虚ろに宙を見ていた彼の目が、俺を見つめた。 そして、強がるように半笑いして俺の頬を撫でると、力のない声で言った。 「桜二…」 「シロ…?しっかりして、大丈夫だから…」 「桜二様…来るのが、遅い…」 そう言って、ぱたりと目を閉じた彼に…一気に、恐怖が沸き上がる。 彼を抱く腕が小刻みに震えて、止まらない血に、動揺する。 まるであの時、湊を抱きながらあいつがそうした様に…俺はシロの頬を撫でた。 「シロ…シロ…しっかりして…」 口から洩れる声が震えて、目からは大粒の涙が落ちる。 お店の支配人が駆けつけて、警察と救急へ電話をかける。 楓君の顔が酷く腫れて、支配人がウェイターの男性を怒鳴りつける中、依冬が俺の背中に言った。 「あんたが…桜二だったの…」 けたたましいサイレンを鳴らして、救急車が到着すると、中から降りて来た救急隊員が駆け付けて、俺の腕の中で力なく沈み込む彼の様子を見て言った。 「担架!」 俺の腕の中から担架に乗せられて、運ばれていく彼に…あの時の、湊の姿が重なって、胸が冷たくなっていく… きっと…依冬も、そう感じたはずだ。 それ程までに、光景が…シンクロした。 その後の展開までは…同じになってくれるな…! 震える手を体に押し付けて、必死に動揺を抑え込んだ。 彼を乗せた救急車が走り去って行くと、入れ替わる様に、警察のパトカーが2台やって来た。 パトランプによって赤く照らされる道路は…事件現場そのものだ… 訝しげな顔をした警官に事情を説明しながら実況見分をする… 早くシロの元へ行きたいのに… 「で、ここでお兄さんが車を停めたのね?」 間抜け面で聞いて来る警察官に、さっきも言ったであろう同じ事を繰り返し説明する。 俺はお前のお兄さんじゃない…彼のお兄ちゃんだ。沸々と憤りの感情が沸き起こるけど、ここでごねたり揉めたりすると、余計面倒な事になる事を俺は知っている。 警察官には従順に…これは汚く世渡りするなら鉄則事項だ。 「これ、ちょっとやりすぎじゃな~い?」 警察官がそう言って、依冬がボコボコにしていた彼らを見ながら言った。 「やり過ぎだよ、お兄さん。ここまでする必要はあったの~?」 依冬は涼しい顔をしながら胸ポケットから名刺を出すと、目の前の警察官に渡して言った。 「ここに、連絡して下さい。私の弁護士です。」 ボンボンは無敵だな… 少し遅れて、もう一台救急車がやって来ると、担架に乗せられて担ぎ込まれるレイプ犯を見つめて開いた口が塞がらなくなる。 半殺し…よりも酷い。半年はまともにご飯が食べられないだろうな… 1人は顎が外れて、グラグラと揺れた口から舌が伸びてる。 もう1人は股間から血を流して、顔面がちょっとだけ歪んで陥没してた。 あぁ…コエェ… ふと依冬に視線を上げると、彼は俺をじっと見つめていた。 どこにも逃げたりしないよ…シロと、約束したんだ… 俺は依冬から視線を外すと、目の前の警察官に言った。 「もう行っても良いですか?あの子が心配だ…早く付いていてあげたい。あんなに血を流して…死んじゃうかもしれない…!もう…もう、行っても良いですか?」 頭の中では冷静なのに、声を出すと動揺しているのがよく分かる… 震えたままの声と、要領を得ない発言…話し始めると、不安と恐怖が溢れる様に暴走し始める… 黙っていた方が、懸命かもしれない… 「あ、お店の支配人さんがね、刑事事件で訴えるって言うから、もうちょっと現場を調べます。証拠があるうちにやっちゃいますね。」 そう言うと、鑑識と書かれた服を着た警官がワラワラと犯人の車の中を調べ始めた… 何て事だ… 今、する事無いだろ…? 俺はジト目で支配人を見つめる。 彼は頭に血が上った様子で、警察官に食って掛かってる… そんな事したら時間がかかるだろうが。 シロ。シロ。ごめんね…兄ちゃんは、まだ傍に行ってあげられそうにない… 最悪だ… フラフラと体が揺れて、道路の端で項垂れて座り込む。 これは、結城の仕業なのか… あいつが…シロを狙ったのか!? 「狼狽え方まで…親父にそっくりですね…」 俯いた視界に映る地面に依冬の高そうな革靴が並んで光る。 低く唸るような彼の声に…俺はあいつらの様にボコボコにされる事を覚悟した… シロを抱きかかえて救急車を待つ時も…担架に乗せられた彼が運ばれる時も… あの時の湊とシンクロして、俺の心を激しく揺さぶった。 …あの時の、お前たちの気持ちを…疑似体験したみたいだよ… 「すまなかった…」 項垂れて彼を見る事も出来ないまま、俺はそう言って依冬に土下座をした。 どうか彼を連れて行かないでくれ…! どうか、俺の元から彼を連れて行かないでくれ…! 依冬に縋った所で、彼のケガの具合がどれ程も分からないのに…気が動転して、俺はそんな事も分からなくなってしまった。 これが、まるで、湊の事に対する…復讐の様に感じて… 俺は依冬に謝らずにはいられなかった。 「お願いだ…!シロを殺さないで…!殺さないでくれっ!」 そう言って依冬の足にしがみ付く。 あの子は…俺の全てだ。 全てなんだ… 「…しっかりして下さい…。俺は一足先にシロの病院へ行きます。」 依冬はそう言うと、俺の手を振り払う様に踵を返して立ち去った… 握った両手が痛くなる位こぶしを握りしめて、目の前の状況が終わるまで…気が狂いそうになるのを耐えた。 やっと解放されて、俺は急いで車に乗ってシロの運ばれた病院へと車を走らせる。 もう…ダメだ… ダッシュボードに入れたカセットテープを取り出して、胸ポケットに入れた。 もう…ダメなんだ… あの子に知られたくなかった…俺が湊を抱いた事も…彼を利用した事も… 湊にそっくりな、シロに知られたくなかった。 病院に着いて救急に搬送された彼を探す。 受付に案内された廊下を走って進むと、依冬が廊下の椅子に座り込んでいた。 俺は彼に近付いて、矢継ぎ早に尋ねる。 「シロは?容態は?ケガは?今どこに居る?」 「大丈夫…今は念のため呼吸器を付けてるけどすぐに普通病棟へ移れるって…」 疲れた様子で依冬はそう言うと、自分の拳から滲む血を拭った。 「そうか…」 力なくそう言って、依冬の隣にへたり込む。 「あっああ…良かった…良かった…!」 そう言って両手で顔を覆うと、手に残った彼の血が乾いてパラパラと落ちた。 良かった…シロが、死ななくて…良かった… 胸の奥が冷たくなって、呼吸が奥まで届く様になって、頭がジンと痺れて熱くなった。 「なぁ…何で…湊を殺したの…?」 掠れた声で依冬が訪ねて来た。 俺は胸ポケットからカセットテープを取り出すと、彼に渡して言った。 「それに…全て入れてある…これに入れて再生させて聞けばいい…」 そう言ってテープレコーダーを取り出すと、依冬に渡した。 怪訝な表情をする彼に言った。 「母親の葬儀の時、火葬場で彼に死にたくなったら殺してやると言った…それが始まりだ。」 そう言ってテープレコーダーにカセット入れる依冬を見つめて言う。 「あの子には…言わないでくれ…お願いだ。」 カチッ! 何も答えないまま依冬はテープを再生させた。 「ねぇ…桜二、僕と一緒に逃げてよ…僕はもう嫌なんだ。桜二と離れて過ごすのは悲しくて…辛いんだ。」 レコーダーから聞こえて来たのは…湊が甘ったるく俺に話しかける声… 「あぁ…!湊…あっああ…!」 依冬は泣きながら、テープの中の湊に縋る。 「ふふ…お父さんがいるじゃないか。彼は絶対に君を離さないよ?そうだろ?」 テープの中の俺がそう言って、湊を煽る。 「嫌だ…僕は桜二が一番好きなの。あいつは仕方が無いだろ…気持ち悪い変態なんだから。ふふ…。ねぇ?あなたの為なら何でも出来る…ね?僕と一緒に逃げよう?」 「嫌だよ。今の生活が快適なんだ…」 「どうして…?僕が…僕がこんなに言ってるのに…桜二はちっとも言う事を聞いてくれないね…まるで愛してないみたいだよ?」 「ふふ…そうかな?」 それは俺が湊を誑かした瞬間の記録。 「そうだよ…桜二。僕の事どうしたら愛してくれるの…?もう、悲しいよ…?」 「お父さんの前で首を切ってごらん?」 「え?」 「そうしたら…あの人はお前の事を諦めるかもしれない…。大切なお前から拒絶されるんだ。諦めもつくかもしれない…。それが上手く行ったら…俺は安心して湊を愛せるかもしれない…どうだい?出来る?」 「…出来るよ。桜二の為なら…何でも出来るよ?ねぇ、キスして…好きって言って…僕の事だけ、愛して、誰にも触らせないで…愛してるんだ…」 カチッ! テープが終わって、自動で巻き戻される中、依冬は固まったまま動かなくなった。 俺は彼が話す前に自分から話し出した。 「この後、彼は結城の前で首を切ったけど、躊躇って失敗した。それを俺が後ろから…」 そう…後ろから湊に覆い被さって、彼が首にあてたナイフを押し込んだんだ。 目の前の結城が絶叫して俺のナイフを見つめた。 「桜二!やめてくれ!何もしないでっ!!その子はっ!その子は俺の…!」 …宝物? 笑わせる… 驚いた顔で俺を見上げていた湊が、結城を見つめて言った。 「アハハ…何言ってんだよ…クソが!お前なんて死ねば良いんだ…!ばーーか!」 豪快にそう言うと、湊は俺の手の上から自分の首に刺さったナイフを掴んで、横に滑らせた。 スプレーの様に吹き出した湊の血が、切り裂かれた傷口からドロドロと流れ落ちて、蝋の様にドロリとした粘着を持って俺の腕に纏わりついた。 ゴボゴボと不気味な音を立てながら、気管が切れても湊は笑い続けた。 阿鼻叫喚の結城が口を大きく開けて変な声を出した。 俺は湊を放るとカーテンで手を拭った。 腰が抜けた結城が転げる様に湊の元へと駆け寄って、彼を抱き上げた… 「これが…俺がした事。俺が…湊にした事…。結城は俺を恨んでる。でも手が出せない。なぜなら、俺がこのテープを持っているから…あいつは…湊の声が聴きたくてたまらないんだ。だから、俺に手が出せない。その代わりにシロが狙われた…今回の事だって…もしかしたら…!」 俺はそう言うと、自分の膝を思いきり殴った。 「俺が傍に居る限りシロはあいつに狙われる…!だから離れようと思ったんだ…。でも、離れられなかった…。だから、だから…お前に知られるまで、せめて彼の傍に居たかった。」 「父が…シロを襲わせた…?」 依冬の表情が強張った。 「確証はない…俺はついこの間、結城にこのテープを見せて脅したばかりだ…だから、あいつじゃないかもしれない。でも、あいつかもしれない…。」 俺がそう言うと、依冬はICUの入り口を見つめて言った。 「まるで、負の連鎖だな…」 そうだな…その通りだ… 「湊はあんたに夢中になった…親父はきっとその事が許せないんだ。だから、シロを狙ってあんたを痛めつけてる…。」 そうだな…その通りだ… 「あんたは…湊を愛していたの?」 俺は首を横に振って言った。 「利用した。結城の極秘書類を盗ませて、取引相手の会社に売った。」 「酷いな…最低じゃないか…」 そうだな…その通りだ… 依冬は立ち上がると、俺を見下ろして聞いた。 「湊は…俺の事、何て言ってた?」 父親の真似をしたがるサルだと言ってたよ… 「…お前の事は何も言っていないよ。」 俺はそう言って依冬を見上げる。 「嘘だ…」 依冬はそう言って目の奥をギラつかせる。 そうか…本当の事を聞きたいのか… そうだよな… 「…父親の真似をしたがる…サルだと言っていた。」 俺はそう言うと、依冬に付け加えていった。 「彼は壊れていた。俺に執着したのだって愛なんて物じゃない…ただ自分の魅力に取りつかれない存在が許せなかっただけなんだ…。俺はそんな彼の気持ちを利用して、思い通りに操った。ただ…最後に結城に言ったあの言葉が彼の、本当の、本音だったと、今は思うよ…。嫌だったんだ…。それでも生きなきゃダメだから、そう思い込むように自分を偽った。無理して、妖艶な存在を演じてたんだ。」 「俺は…父親の真似をしたがるサルか…ふふ。」 依冬がそう言って目から涙を溢れさせる。 ボロボロと落ちる涙は…悔しさなのか、悲しさなのか…俺には分らなかった…。 何も言えないで目の前の壁を見つめる。 「湊…何で、俺の事…湊…嫌いだったのか…やっぱり、でも…どうして…」 隣に座り直した依冬が、ブツブツと言いながら俯いて肩を震わせる。 捕らわれの身… シロがお兄さんに捕らわれている様に、彼も湊に捕らわれ続けてる… だから、シロは彼に自分を写して…愛してるんだ…。 「…依冬、シロの事を愛してるの?」 俺は項垂れる依冬を見つめて言った。 「シロはお前の事を凄く愛してる…もう、湊は手放した方が良い…」 俺を見つめ返して、見開いた瞳から涙をボロボロと落とす依冬… 愛した湊に…酷く思われていた事がショックなの? それとも、愛する湊を殺した俺に言われた事がショックだったの? 彼は俺を見つめたまま沢山涙を落とした。 もうお前はサルじゃない…躾の行き届いた忠犬になったじゃないか… そうだろ? シロがMRIの検査室に入ってから、廊下でただひたすら彼の帰りを待った。 依冬は俺をどうするかな… それよりも…結城をどうするかな… 今回のシロ拉致事件に、結城が関わっている可能性が捨てきれないでいた。 復讐の連鎖なんて…よく言ったものだ。 初めにその種をまいたのはあいつだ…だから、あいつのせいだ。 胸ポケットにしまった湊の声が入ったカセットテープを指で撫でる。 これを聴かせてやろうか… そうすれば…気が違えて病院送りに出来るかな… 「桜二~!凄い音だった!怖かった!」 MRIを終えたシロが検査室から出て来る。 「CTとどっちが怖かったの?」 俺が彼にそう聞くと、首を傾げて彼が言う。 「どっちも怖いけど、狭い所に入ってくから…MRIの方が嫌だ!」 そう言って俺の体に抱き付いて甘える。 可愛いね、シロ。早く連れて帰りたいよ… 中庭の前を通ると、シロが足を止めて庭の方へと歩いて行く。 日の光が差す中庭は、適度に手入れされた草花が花壇の中で窮屈そうに咲いてる。 シロはしゃがみ込んで1つずつ花を愛で始めた。 指先で花びらを撫でるその姿は…可愛いの一言だ。 この人は意外にこういう物を愛でるのが好きなんだ…時間が許せばきっといつまでもやっていられるレベルで、草花が好き。 一つ一つ形が違うから、見ていて飽きないらしい… 俺はそんな彼を見ていて飽きないから…良い。 「桜二?食べられる花があるって知ってる?」 俺の方も見ないで、花びらを突きながらシロが言った。 「知ってる。」 俺は咄嗟にそんな事を言って、彼の注目を欲しがる。 「へぇ…何て名前の花?」 シロは驚いた顔でそう言うと、興味津々な目で俺を見上げる。 そんな物…決まってる。 「シロ…って名前の花。」 シロは目を大きく開けて俺を見ると、大爆笑した。 「あ~ははは!あは、あは…あははははは!!」 バシバシと叩かれながらシロを見つめる。 この人は智の復讐の為に、狂った自分の世界に俺を引きずり込んだ。 もし…もし 今もまだその計画の途中だとしたら…? もしシロが俺の目の前で、笑いながら…湊の様に首を掻き切ったら…? そんな拭いきれない不安をいつも抱いている。 でも、答えは既に決まってるんだ… 俺はその場で一緒に死ぬよ。 結城の様に狂気と背中合わせになんて生きていけない。 打ちのめされて、素直に、その場で一緒に死ぬよ。 ビクビクして、おどおどして、彼を失う事を恐れながら生きて、それでも、今は一緒に…こうして、傍で愛していたい。 こんなに幸せなら…後から不幸になっても構わない。 「桜二、見て?この花…とっても綺麗だよ?」 そう言って俺を見上げる可愛い壊れた恋人を見つめる。 「そうだね…」 覗き込むように彼の手元を見て、撫でられる花びらに嫉妬する。 「…でも、俺はこっちの花の方が好きだよ。」 俺はそう言ってシロの顔を自分へ向かせて、キスをする。 ニッコリと口端を上げて微笑むこの人が… こんなに可愛い俺の愛する人が… 薄汚い奴に汚されたなんて…はらわたが煮えくり返る思いだよ。 「桜二?明日も来る?」 俺の腕を寂しそうに揺らして、シロが病院の入り口まで見送りに来る。 「明日も来るよ。退院できるかもしれないしね。」 俺はそう言って、シロの頬を撫でる。 まるでメロウな香りを放つ熟した果実…そんなお前が堪らなく愛おしいんだよ。 「またね…」 そう言って彼にキスすると、手を振って、車へと戻る。 胸ポケットの携帯が震えて、手に取って画面を見る。 「ふふ…丁度お前に会いに行こうと思っていたんだよ…これは、偶然かな。」 通話ボタンを押して、電話口の相手と会話をする。 「ふふ…シロ君。大丈夫だった?可哀そうにね…一体、誰のせいかな?」 結城…随分、楽しそうじゃないか… 「何の御用ですか?」 俺はそう言いながら運転席のドアを開いて、車に乗り込んだ。電話口の相手はへらへらとうすら笑いの声を我慢できずに口から漏らして言った。 「はは…お前のハッタリにはもう乗らないよ…?へへ…シロ君が大切なんだろ?湊によく似たあの子が大切なんだろ…?ふふ…」 「ふふ…年齢的にはシロの方が先に生まれてるんでね…。シロに似た…湊、の間違いかな?」 俺にとったらそこは一番大事な所だ… 湊なんて愛していない。俺が愛したのは壊れた可愛いシロだけ。 彼を愛したのは湊に似ているからじゃない。 シロは湊とは違う。まるで違うんだ…。 湊が誰かに依存して自分を変えていく女だとしたら、シロは自分の為に相手を変えていく女。 男に媚びたりしない。 知らぬ間に調教を受けた男は性格や態度を変えて、彼に傅く様になる。 最高の女王様だ。そうだろ? 俺も、依冬も、手のひらで転がして、この結城さえも…大人しくさせる事が出来る。 湊ではこんな芸当、出来っこない。 彼はこれを無意識でしてるんだ。 安っぽい悪女なんて目じゃない…天性の女王様だ… 手のひらで転がされる事が、こんなに気持ちの良い事だなんて思わなかったよ。 だからSMの衣装が似合うのかな…? ふふ、まさか…まさかな。 「結城さん、シロの今回の事件に…あんたは関わってますか?」 電話口の結城に尋ねると、彼は嬉しそうに声を上ずらせながら言った。 「さぁ…はは…どうかなぁ?」 ふふ…お前の仕業か… …ぶち殺してやろうね。 「そうですか…残念です。あのテープは処分します。」 俺はそう言うと一方的に通話を切った。 どうせ何かしらアクションを起こして来るだろう。 こんな電話をかけて来る程に結城は荒れて、感情的になってる。 攻撃的になっている今なら、逆にダメージを強く与える事が出来る筈だ。 携帯で依冬に電話をかける。 留守電に変わったので、メッセージを残した。 「結城が動き始めた。シロの件も彼が関わっている。もしもの時は…シロを、頼む。」 そう言って胸が詰まって口ごもる。 こんな事…言いたくなかった。 シロ…離れたくないよ。 俺がもし殺されたら…泣いてくれるかい?

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