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第28話

「おはよ~!桜二…!」 ベッドの上で昨日と違う服に着替えた桜二を見つけて、抱きついて頬ずりする。 「あ~、それ、昨日オレが持って来てあげたやつだよぉ~?んふふ…着たのぉ?1人でお着替え出来たのぉ~?」 デレデレになってオレがそう言うと、桜二が言った。 「ふふ…看護師さんが手伝ってくれたんだよ?」 は? オレは彼をジト目で見つめながら、布団の上に買ってきたおにぎりを広げた。 「何?シロ…キスして?」 キョトン顔してオレに手を伸ばす桜二の手を引っ叩いて言った。 「女の人に触られたらダメだ!」 「何言ってるんだよ。体が痛くて1人じゃ着替えられないんだよ…。看護師さんだって、仕事でしてるんだよ?ほら、機嫌直してキスして…?」 絶対、こんな良い男を放っておく訳無いんだ… オレは桜二に抱きつくと、何度も唇を食んだ。 「ふふ…」 そう言って桜二が笑っても、何度も角度を変えて桜二の唇を食んで、最後の最後に熱いキスをした。 「だめなの…桜二は触られたらダメなのぉ…」 そう言っておにぎりを手に取ると、彼の隣に一緒に座って食べ始める。 「お腹空いてるの?」 オレの髪を撫でながら桜二が聞いて来た。 「朝ご飯です。」 オレはそう言ってムシャムシャとおにぎりを食べる。 桜二はもう一つのおにぎりを拾うと、じっと見つめて言った。 「昨日の夜は何食べたの?」 「んふふ…オレは仕事だったから~何も食べてない。聞いて?昨日、ここに来た刑事さんが、お店に来たんだよ?」 桜二の体にもたれて、一つ目のおにぎりを完食した。 「何しに来たのさ…その刑事。」 桜二がそう聞いて来るから、オレは二つ目のおにぎりを開けながら教えてあげる。 「何か…名古屋に居た頃のオレを知ってるっぽいんだ…。気のせいとかじゃなくて…桜二、信じてくれる?」 オレはそう言って桜二の顔を覗き込む。 彼はオレの口端に付いたお米を指ですくうと、にっこりと笑った。 「信じるよ…話してみて?」 「オレが…湊に扮する事も、オレが3年前の事件をもみ消そうとしてる事も…全部、わざと乗っかって…騙され様としてる様に見えるんだよ。ふふ…ややこし…」 オレはそう言っておにぎりをパクリと口に入れる。 桜二はオレの髪を指で解かすと、傷口のホチキスを撫でて言った。 「理由は?」 「…分からない。でも、そんな気がするんだ…。だからオレはもうしばらく湊の振りを続けるよ…。」 ムシャムシャおにぎりを食べ終わって、桜二にゴロンと抱きついて彼の胸を撫でる。 「桜二?桜二とエッチしたら、傷が開いて、内臓から血が出るかな?」 「あはは!イテテ…」 桜二は笑うと、必ず語尾にイテテを付ける…彼の中で流行ってるんだ。 桜二の唇を指で撫でながら、うっとりと彼の体に自分を沈める。 「…結城さんに、何をしたの?」 ぼんやりと壁を見つめたままそう尋ねると、彼は何も言わないでオレの髪を撫でた。 言えないような事をしたんだ… オレは靴を脱ぐと、桜二と一緒の布団に入って彼の体を抱きしめた。 「ふふ…可愛い。」 そう言ってオレの髪に顔を埋める彼が好き。 でも、この人は最低で…クズなのは変わらないんだ。 だからあんなイカレたジジイを相手に、煽るような事を、平気でするんだ… 結城さんのとこの子会社…広告代理店の男がオレを襲った…だから、結城さんに仕返しでもしようとしたの…?それで返り討ちに合うんだもん。おバカさんだよ? オレにだけ優しい兄ちゃん…オレにだけ特別な兄ちゃん… 「兄ちゃん…」 顔を彼の胸に埋めて体の動かせない彼に思いきり甘える。 「シロ…愛してるよ。」 オレはおもむろに桜二の股間を撫でた。 「は!」 そう言ってオレの顔を見つめる彼を見つめて、いやらしく舌なめずりをする。 この前ゲイ先生に教えて貰ったテクニックを使って、目の前で動揺する彼のモノを優しく扱く。 「シロ…人が来たら大変だよ?…ふふ」 そう言ってオレの髪にキスする桜二に教えてあげる。 「こんなに大きくさせて…止めても良いの?気持ち良かったら…もっとして!っておねだりするもんだよ?どうする?やめる?それとも続ける?」 彼の目を見つめてオレがそう言うと、桜二は目を潤ませてオレにキスをする。 桜二に覆い被さる様にキスすると、超絶テクで彼のモノを扱き続ける。 「あっ…シロ…気持ちいい…イキそうだ…」 もう? 久しぶりだからかな?それともこのシチュエーションに燃えてるのかな? 桜二の唇を舌でねっとりと舐めながら、優しく言ってあげる。 「良いよ…イッて良いよ…?可愛いオレの桜二様。」 体の不自由な桜二が…こんなにもか弱く見えるなんて…ウケる。 まるで女の子みたいに、オレの腕の中で顔を歪める彼が、ワンチャン抱けなくもない。 「あはは…」 唐突にオレが笑い声を出すから、桜二がビビってオレを見つめる。 いけね。 「ほら…気持ち良いって大きくなってるよ?桜二…オレにされて、イッてよ…?」 そう言ってねっとりと舌を入れて彼にキスをする。 グングンと大きくなる彼のモノがビクビクと震えて限界を知らせる。 可愛い… いつもと立場の逆転した行為に、すっかり興奮して鼻息が荒くなる。 こんな表情をする彼を見つめて、挿れたいなんて思うんだもん…性欲って凄いな… あっという間に桜二はオレの超絶テクニックにイカされた。 「こちらのコースにはもう一段階、上のメニューもございまして…本日は特別に無料でお試しさせて頂いております。」 オレはそう言って、布団の中に潜り込むと、彼のモノを口に咥えて扱いた。 「あーー!シロ…それは…それは、まずい。誰か来たら…あぁ…シロ…」 このテクニックは門外不出の秘儀だよ? オレは熱心にグングン大きくなる桜二のモノを舐めて咥える。 「あぁ…シロ…イッちゃいそう…イッちゃいそう…」 そうだろ?これはとっても気持ち良いんだ。 オレの口の中で桜二が果てた… 彼のパンツを直して、ズボンを履かせてあげる。 そして、布団の中から顔を出して、頬を赤らめる桜二を見下ろす。 「凄いだろ?この技をそなたにも授けよう。体が回復した後に私の為に使うが良いぞ?」 師範のように偉そうにそう言って、彼の頭を撫でた。 オレの言葉にコクコクを頷くだけの彼を、顔を寄せてじっと見つめる。 紅潮した頬に、トロンとした目がエロい… 「あぁ…桜二、エッチな顔だ。挿れたくなっちゃうよ?」 オレはそう言って桜二に抱きついて腰を振った。 「あはは…!イテテ…ふっふふ…んふふ…!」 桜二が痛がりながら大笑いして、オレの腰の動きを止めて言った。 「シロ…んふふ…変な気、起こさないでね?あはは…イテテ。んふふ…ふふ」 やだね! オレだって男の子だもん! 兄ちゃんにそんな気は全く起きなかったけど、桜二になら出来そうな気がするよ? ふふ… 「そろそろレッスンに行ってくるね?」 オレはそう言うと桜二にキスしていったん病室を離れる。 病院の外には依然と報道関係の人が点在してる。 桜二のケガの具合が心配なの?…ふふ、違うよね? 依冬が来るのを待ってるんだ。彼が来たらパシャパシャと写真を撮って、雑誌とか新聞に好き勝手な事を書いて、載せるんだ。 報道の自由?…笑わせる。イデオロギーの掃き溜めだろ? タクシー乗り場へ向かって、田中刑事を見つける。 「ほほ…シロ君。おはよう。」 オレを見つけると手を上げて挨拶をした。これだけ見るとただの気の良いおじちゃんにしか見えない。でも、この人の眼光は鋭いんだ。 だから、オレも油断はしたりしないよ? 彼が何者なのか分からない限りね… 「田中刑事は、今日も桜二に話を聞くの?」 オレはそう言ってタクシーに近付いて行く。 田中刑事はそんなオレと一緒に歩き始める。 「ふふ…一緒に行くの?」 オレがそう言って笑うと、彼はオレを見て頷いて答える。 「ほほ…そうだよ?おじちゃんはね、シロ君に少し聞きたい事があるんだ。」 へぇ…仏が牙でも剥くのかな…? 「良いよ…おいで。オレは新宿のダンススタジオに行くんだ。」 オレはそう言ってタクシーに乗ると、奥に詰めた。 「ほほ…ありがとう。」 田中刑事はそう言ってオレの隣に座る。 奇妙な組み合わせだ。 「新宿の○○までお願いします。」 オレは運転手にそう言って、田中刑事を見つめる。 「で、何が聞きたいの?」 オレがそう聞くと、彼は目じりを下げて微笑んだ。 「どうしたい…?」 唐突にそう言うと、オレの手を握った。 え…どうしたい?手を離して欲しいよ。 田中刑事の目の奥を見つめて、彼の真意を探る。 「どうしたい…なんて、急に言われても分からないよ…何の話をしてるのか、主語が見当たらない。」 オレはそう言って田中刑事の手を取ると、そっと自分の手から離した。 「ほほ…確かにそうだね…それじゃあ、もっと具体的に聞こうか。」 田中刑事はそう言うと、オレの手を再び握って言った。 「バケラッタには疑いがかかっている。それを払しょくするだけの根拠がない。当時、バカボンのパパの元で働いていたバケラッタは亡くなった彼に近付くことが出来た。そして、凶器から出た指紋がバケラッタのものと一致した。これだけで、十分に容疑者だ。」 これは… 捜査情報じゃないのか…?オレに話しても平気なの? それに、そこまで捜査が進んでいたら…指紋が、証拠として挙がっていたら… もう、終わりじゃないか。 後は、逃げるしかないよ…桜二 「指紋は…誰が取ったの?誰が…確認したの?」 オレは視線を合わせずに俯いて、ただ、そう聞いた… 「誰も。…私だけ先走って確認した。」 その情報を、オレに教えるって事は… やっぱりこの人は桜二の罪を見逃してくれるとでもいうの? 「…彼は死にたがっていた。だから手伝った…それだけだ。」 オレはそう静かに言うと、顔を上げて、田中刑事を見つめて言った。 「やめて…。オレから、兄ちゃんを…奪わないで…」 田中刑事は顔を歪めてオレを見つめる。 それは嫌悪感じゃない。悲壮感でも無い。哀れみの表情… 「彼は…君のお兄さんじゃない…君のお兄さんは…亡くなっただろ?」 あぁ… この人はやっぱり、オレの過去を知っているんだ。 そして…兄ちゃんが亡くなった事も…知ってるんだ。 「…今は、彼が…オレの兄ちゃんなんだ。だから、奪わないで…」 オレはそう言ってグルグルのブラックホールで田中刑事を見つめる。 そう言ったっきり、どちらとも視線をそらさずに、何も言わないで見つめ合う。 もし…あなたがオレの過去を知っているなら…どうか、オレから兄ちゃんを奪ったりしないで… オレ達の事を知っているというなら…どうか、オレから兄ちゃんを奪ったりしないで… 「お客さん、着きました。」 運転手がそう言って車を停める。 田中刑事は支払いを済ませると、放心したオレの手を引いて、タクシーから降ろした。 そして、オレの顔を見つめると、肩を落とした。 「まだ…立ち直れていないんだね…。そうか…そうか…。」 田中刑事はそう言うと、オレの体を強く抱きしめて両手でさすった。 まるで、慰める様に…両手でオレの体を撫でた。 「あなたは…誰なの?どうして…オレの、兄ちゃんを知ってるの…?」 目からボロボロと涙が落ちて、放心した体に滲み込んでいく。 縋るように田中刑事のスーツを掴んで、彼を見つめる。 「…後で、必ず話すよ…。でも、今は…償いをさせてくれ。あの時、何も出来なかった。…何もしなかった償いを。」 彼はそう言うと、悲痛な目をしてオレを見つめる。 正直、何を言ってるのか分からないよ… でも、それで桜二を見逃して貰えるなら…断る理由なんて無い。 「…分かった…」 オレはそう言って、彼の目の奥を見つめ続ける。 アラームが鳴ってレッスンの時間を知らせる。 「あ…」 オレは我に返って、目を拭うと、ダンススタジオへと入って行った。 「あら~?今日は参観日じゃないですよ?」 遅れてスタジオに入ると、オレの後ろに付いて来た田中刑事を見て、陽介先生が一発かました。 「陽介先生、遅れてごめんなさい。この人、刑事さんなんだ。」 オレはそう言ってスタジオの隅で急いで靴を履き替える。 すっかり気持ちがダンスから反れてしまった… せっかく練習が出来る貴重な時間なのに! 「シロ、刑事にも彼氏が居るの?しかも、かなり年が離れてる…。これは…許されないレベルの年の差だよ?」 陽介先生は勝手に勘違いして、田中刑事にオラついて行く。 田中刑事は意にも介さない様子で、オレを見つめて、手を振ってる。 参観日…まさにそんな感じだ。 「違う!捜査に協力してるの。他に何もない。」 体をストレッチさせながらそう言って、練習を始める。 名古屋に居た頃のオレと兄ちゃんを知っている口ぶりだった… いったい、いつ…どこで、出会ったの? 兄ちゃんが居る頃は、オレは兄ちゃんの後ろに隠れてばかりいた。 だから、人の名前も、顔も、覚えていないんだ…。 オレには…兄ちゃんだけ、居てくれれば良かったから… 兄ちゃんさえ居てくれれば、それだけで良かったから。 「入院してただろ?体が鈍ってる気がするんだ…。初めから踊っても良い?」 オレは陽介先生にそう聞くと、オーディション用のダンスをはじめから踊る。 キレの無さを、伸びていかない体を感じながら、痛感する。 練習量の足りなさ。 もっと練習しないと…意味がない。 これでは…やる意味がない…! 叫び出したい気持ちを抑えて、ひたすら自分の動かない体を確認していく。 涙を目に溜めるオレに気付いてるけど、陽介先生は何も言わないで練習を続ける。 クソッ!クソッ! 「シロ…お昼一緒に食べよ?」 レッスンが終わると、恒例のランチへのお誘いがあった。 オレは田中刑事を指さして言った。 「お爺ちゃんも一緒だよ?…ふふ、それでも、良い?」 オレがそう言って笑うと、陽介先生は苦々しい顔をして言った。 「嫌だ…また今度にする…」 ふふ… はぁ… 思った以上に体が鈍っている事を実感して、ショックを受ける。 突然の入院と…後は、依冬と遊んでばかりいるからだ…クスン。 前はもっと早く伸ばせた手足が、鈍くて、重かった… 「シロ君は、ストリップじゃない踊りも練習してるの?」 スタジオを出て大通りへ向かう道。 隣を歩く田中刑事がオレにそう尋ねた。 「ふふ…いつまでもする仕事じゃないんだよ。ストリップはね。花が無くなればお終いだ。だから、バックダンサーのオーディションを受けるんだ。でも…ごたごた続きで全然練習出来ていない…。これじゃあ…やっても意味がない。」 深くため息をつきながらそう言うと、彼はオレの顔を覗き込んで言った。 「でも、上手だったよ?」 「んふ。上手な人なんてごまんと居るんだ。飛び抜けないと、目には留まらない。その為にみんな練習をするんだよ。そうだろ?」 深いため息を吐きながらそう言うと、田中刑事が足を止めて言った。 「ほほ…シロ君は、ストイックなんだね。じゃあ…こっちも最後の仕上げをしよう?その方が落ち着いて練習も出来るだろ?」 へ? オレは田中刑事を振り返って、クスクス笑うと言った。 「あなたの話には主語が無い。だから、何の事を言ってるのかチンプンカンプンだ…。誘導尋問か何かの癖だとしたら、直した方が良いよ?ふふ…話をしたくなくなる。」 オレの言葉に吹き出して笑うと、田中刑事は目じりを下げて言い直した。 「桜二さんがどんな人でも、おじちゃんは1回だけ助けてあげるよ。これは悪い事だ。バレたら罪になる…だから、おじちゃんとシロ君だけの秘密だ。良いね?最後に確認する。君は湊くんじゃないね?」 オレは田中刑事を見つめて言った。 「僕はシロです。湊じゃありません。」 「ほほ…良いだろう。では細かい所を一つ。君は4年前にストリップバーに勤めだしてる。湊くんが亡くなったのは3年前。ここら辺は敢えて聞かないから自分から言うんじゃない。良いね?」 驚いた。確かにそうだ… どうやらこの人はオレと兄ちゃんを知っていて…“償い”なんて言葉を使って…オレの“湊なりすまし工作”を手伝ってくれるようだ。 そして詰めの甘い箇所を指摘して、口裏合わせのように問答を考える。 「この事件に携わってる刑事は、おじちゃんだけじゃない。彼らも納得する様な仕上がりにしなくてはいけないんだ。分かるよね?」 オレは田中刑事の顔を見て深く頷いた。 「メイク道具…持ってるかい?」 そう言われて、リュックからメイク道具を取り出す。 「ここに…ほくろ。1つ書いて?」 そう言って指差された鎖骨にほくろを書き足す。 湊はこんな所にほくろがあったんだ…知らなかった… 「結城の事を“お父さん”と呼んでいた。一人称は“僕”。妙に艶っぽくて、あざとい雰囲気の子だ。両手をこんな感じで目の前で組んで、指先で自分の手の甲を撫でる癖がある。」 「…どうして?」 オレは頭が追い付かなかった…田中刑事が矢継ぎ早に叩き込んで来る湊の情報を、どうして知る必要があるのか…理解出来なかった。 「…結城が君を湊だと認めれば…シロ君の考えた策を裏付ける1番の証拠になるんだ。分かるかい?」 あぁ…分かる。 結城さんがオレを、湊だと思えば。3年前の事件がチャラになる。 死んだはずの湊が生きていたんだ… 桜二の罪は無くなる。 皮肉だな… 湊によく似たオレを雇って、息子の別れさせ屋なんてさせていたのに。 一時は本気で湊と混同してレイプまがいの事もして… 今ではオレに…湊を偽られて騙されるんだ。 オレは田中刑事の問いに深く頷いて答えた。 田中刑事は目じりを下げると、オレの頭を撫でて言った。 「あの時は触らせてもくれなかったのに…こんなに立派になって、良かったよ…」 意味深にそう言って、携帯を取り出すとパトカーを呼んだ。 「今、署に結城が居るから、このまま君を連れて行くよ?」 胸がドキドキと高鳴って…体が緊張で強張る。 結城さんを騙せなかったら、桜二は逮捕されてしまう。 オレの大根並みの演技力に掛かってるんだ。 他の刑事も見るであろう、その現場を…うまく演出してみせようじゃないか… 結城さん…哀れだよ。可哀そうだ。 …でも、ごめんね。 あんたが諸悪の根源なんだ。 桜二のお母さんも…依冬のお母さんも、みんな死んでしまった。 湊に至っては…死にたかったのかも分からない。 だって桜二の言った事しか、オレには分らないから… でもあなたの愛した人はことごとく、みんな死んだ。 死神の様な人だ。 そんなあなたを死人の湊がお迎えに行くんだ…劇としては、上出来じゃないか… そうだろ? 新宿の街の真っただ中、パトカーに乗せられて田中刑事と連れて行かれる。 もう引き返せない。 妙に艶っぽい…あざとさを感じる雰囲気…手を組んで指先で甲を撫でる癖… 頭の中にインプットして、形にする。 ダンスの構成と同じだ。コンセプトさえ決まれば…そうなる様にすれば良いだけだ。 演じようと思うから大根になるんだ。魅せれば良い。 オレの中の湊を踊って魅せれば良いんだ。 警察署に着いて、田中刑事に取調室へと連れて行かれる。 ショーに例えると…カーテンが開いてステージに立った状態だ。 後は踊るだけ…最後まで華麗に踊りきるだけだ。 オレはいつもより重心を上にして、フワフワと歩いた。 目に見える人を流し目で見過ごして、田中刑事の後ろを付いて行く。 あ… 両手を繋がれて椅子に座る結城さんの目の前を通る。 伏し目がちに彼に視線を送って、口元を緩めて、すぐに目を逸らした。 「…シロ?…湊?」 結城さんはおぼろげにそう言って、オレを目で見送る。 そうだね…結城さんは、今、錯乱状態だ… そんな彼が覚醒するくらいに、湊を感じさせてあげよう。 今まで散々振り回された…オレにとって、湊のイメージは…性悪の女… それ以外に無いよ。 可愛げもなければ愛くるしさもない。 依冬の行為を肯定する訳じゃない。結城さんの執着を肯定する訳でも無い。 幼い頃から理不尽な暴力を受けて来た、同じような境遇のオレだから、分かる事なのかも知れないけど…オレの目には、結城さんと依冬を手玉に取って楽しんでいる様に…見えてしまうんだ。 それはまるで、暴力を振るう母親から守ってもらいたくて、オレが兄ちゃんを打算的に愛した様な…薄汚い感情と同じ。 オレよりも拗らせてしまった彼の“逃げ出したい気持ち”はいつしか、彼らをコントロールする事で、平静を保っていたのかもしれない… 手のひらで転がして、嗤う事で…自分を保っていた。 分かるよ…逃げられないんだ。 どうしようもなかったんだ。 オレは兄ちゃんに縋った…お前は、自分の魅力に縋った。 オレが兄ちゃんに執着して満足感を得た様に…お前は自分に夢中になる男を見て、満足感を得ていたの? 可哀想だって分かってるよ。でも、それはオレよりもずっと歪んでるよ… …悲劇のヒロインぶっても…ダメだよ。オレには分る。 お前はそんな玉じゃねぇだろ? 湊が死にたがっていた…という桜二の言葉は、にわかに信じがたい。 そんな玉じゃねぇんだよ…このくそビッチは… オレと同じ穴の狢だ。 「今日は、ご足労頂いて、ありがとうございます。私と、こちらの刑事さん達にちょっとお話、伺わせてもらいましょうかね?」 いつもと違う口調で田中刑事はそう言うと、手元の資料を取り出して机に置いた。 オレは両手を膝に置いて、目の前に座る田中刑事を見つめる。 瞬きしながら他の刑事にも視線を送って、顔をいちいち確認していく。 「まず…君の名前から…教えて貰っても良いかな?」 そう言って田中刑事がオレを見つめる。 それはいつもと違う、真剣な表情だ。 「シロです…」 田中刑事は資料を開くと、オレに言った。 「結城 湊くん…だね?」 「違います…」 「現在…20歳。男性。母親は…君の幼い頃に病死してる。父親は…今回の事件の加害者だ。君は…記録だと既に亡くなった人になっている。どうして生きてるの?」 オレの目を見つめて田中刑事が優しく問いかけて来た。 オレは少し視線を落として横に顔を反らすと、舐める様に視線を上げて言った。 「僕は…湊じゃありません…」 蚊の鳴く様な、小さな声で、そう言った。 「では、話を変えよう。君が甲斐甲斐しくお見舞いに行っている、今回の被害者。桜二さん。彼とは、いったいどんな関係なの?」 オレは左上に一度視線を上げて、伏し目がちになって言った。 「…恋人です。」 「では、今回の加害者の息子。結城依冬君。彼の部屋に泊っている様だけれど…。彼とは、いったいどんな関係なの?」 田中刑事はオレを見つめて首を傾げる。 「…恋人です。」 「なるほど…では、また質問を変えましょう。」 田中刑事はそう言うと、他の刑事を見つめて、目配せをする。 その意図も、意味もオレには分らない… ただ、おどおどしたりせずに、湊になりきって彼らを見つめて、口元を緩めてキョトン顔をした。 …ふふ。こういう人いるだろ? 男でも、女でも…ぶりっ子して間抜けにアヒル口するやつ。 “私、馬鹿です”って顔に書いて、突き出してる様なやつ。 知能の低い相手とか…支配欲が強い相手にはそういう“馬鹿ですアピール”は上手く効くんだよ。それにまんまと乗ったのが結城さんと依冬だ。 彼らは湊を支配なんてしてない。彼の手の中で転がされていただけだ。 清純派気取りのくそビッチ…オレの中ではそう呼んでる。 オレの一番嫌いなタイプだよ。ふふ… 「桜二さんが刺された事件のちょっと前に…君は連れ去り事件に遭ってるね?」 オレは首を傾げて田中刑事を見つめる。 「…はい。でも…もう大丈夫です。」 「その時、現場に居て、君を助けたのは、桜二さんと依冬君だったようだね。」 田中刑事はそのまま話し続ける。 「なぜ?なぜ、いつも3人で居るの?」 オレは焦った様に体を動かして、脇に座る刑事に言った。 「いつもは一緒に居ません…そんな、いつも…一緒に居る訳じゃありません…」 「君のお父さんも結城。桜二さんのお父さんも、依冬君のお父さんも、結城だ。君たちは腹違いの兄弟って事になるね。」 田中刑事はそう言うと、資料をオレに見せて言った。 「これ…誰に見える?」 それは爽やかに笑う。湊の写真… 「警察はね、記録を取ってるんだよ?騙したりできないんだよ?」 そう言って田中刑事は他の刑事に資料を手渡した。 そして、仏の顔になるとオレに詰め寄った。 「湊くん…?生きてたの。お父さんにバレたんだね?それでかくまっていた長男の桜二さんが…刺された。君は幼い頃から父親による性的虐待を受けていた。それから逃れるために、兄弟で画策した。どうだい?敢えてお父さんの目の前で死んだふりをして、あの家から逃げ出したんだ。違うかね?」 オレは他の刑事たちを見ながら、動揺する。 「違う…違う、僕は…!」 「湊くん、これは憂慮されるべき事案だよ?君は長い間お父さんに性的虐待をされていた…。誰だって逃げ出したくなる筈だ…。そして、頼りになるのは…兄弟だ。そうだろ?私が知りたいのはね、そこじゃないんだよ。どうして結城が桜二さんを刺したのか…。それが知りたいんだ。」 「…」 押し黙って、膝の上で手の甲を撫でる。 「君が…生きてるってバレてしまったのかな?ちょっと…お父さんと会ってみるかい?…なに、大丈夫。警察官が傍に居るからね。何もされないよ?」 オレは田中刑事を凝視して、無表情になって言った。 「…嫌です。」 「まぁ、ちょっと…入って貰って?」 後ろに立った警官にそう言うと、取調室のドアが開いて、結城さんが両脇を抱えられて、雪崩れ込んできた。 「シロ…!…なぁ…やらせて?俺にもやらせてよ…!金なら沢山あげるから…めちゃくちゃにさせてよ…お前で良い…もう、お前でいいや!」 グルグルのブラックホールを全開に、狂犬の様な結城さんが目の前でよだれを垂らしながらオレを見つめる。 しかし、今の言葉、聞き捨てならないね…もう、お前で良いやってなんだよ! ちょっと自が出て、ムッとしてしまった。 だめだ…オレは湊。妖艶な色気のある湊。 机を挟んで目の前に息を荒くした結城さんと対峙する。 オレは伏し目がちにして、結城さんの手元を見て言った。 「…もう、帰っても良いですか?」 そう言って首を回すと、上目遣いで視線の先に居た刑事に尋ねる。 「いや…まだだよ。」 そう言って制せられて、仕方なく視線を移して田中刑事を上目遣いで見つめる。 「…もう、良いですか?」 「まだだよ?湊くん。」 田中刑事がそう言うと、結城さんの目の色が変わって穴が開きそうなくらいオレを凝視してくる。 「お前は…シロだろ?」 そう言ってオレを凝視する結城さんに、思いきり上目遣いをして、眉を下げると、口元を緩めてアホ面をした。 「湊…?湊だったのか…?」 あ~はははは!!なんて、笑わないよ…? 彼は可哀想な老人だ…オレは桜二程クズじゃない…もう少し、優しいクズだ。 オレは困った顔をあちこちに向けて…誰か、助けてくれそうな人を目で探す…。 「シロ…?シロ…湊…湊!愛してる!!生きてたのか!シロじゃ無いのか?お前は湊だったのか!どっちだ!どっちだ!!」 そう言って、狂ったように暴れる結城さんにビビる。 いくら拘束されていても…目の前で髪を振り乱すジジイは恐怖でしかない。 両脇を抱えられてオレを凝視し続ける結城さんを、上目遣いで見つめる。 両手を机の上に出して顔の前で組むと、ゆっくりと指先で自分の手の甲を撫でながら、余裕の微笑みを向けて言う。 「お父さん…暴れないで…」 体中から妖艶なオーラを出して、うっとりと目に色を付けると、手を伸ばして結城さんの手を握る。 「あぁ…あ…湊…生きていたのか…」 結城さんはそう言うと、笑顔になってオレの手を握り返す。 そっと自分の口元にあてて、見た事もない笑顔をオレに向けた。 オレは結城さんの唇をそっと指先で撫でて笑いかける。 「そうだよ…僕は、ずっと生きていた…逃げたかったんだ。お父さんの愛から…逃げたかったんだ…ごめんね。」 結城さんのグルグルのブラックホールが閉じていく。 それはまるでお終いを意味する様にあっけなく、静かに、小さく閉じていく。 依冬にも…桜二にも似た表情をして、結城さんが泣き崩れていく。 胸が痛いよ…お父さん。 「湊!湊…!ぁあああっ!!なんて事だ!!お前たち、みんなで…俺を!嵌めていたのか!あの日から、ずっと!俺だけ…知らなかった!クソッ!クソッ!!」 机を殴り続ける結城さんの手を止めて、両手で包む。 「お父さん…僕はね、桜二が好き。依冬も好き。でも…お父さんは嫌いなんだ。ごめんね。…ふふ。僕の大好きな桜二を傷付けて…許さないよ…お父さん。」 オレがそう言うと、目の前の結城さんが目を見開いて言った。 「お前は…!桜二に騙されているんだ!あいつに…誑かされてるんだ!!お父さんが守ってやるから、一緒に帰ろう?ね?湊…!お父さんと一緒に帰ろう?」 そう言ってオレの手に縋りつく結城さんの胸ぐらを掴んで、顔を寄せる。 「ダメだよ…お父さんは人殺しなんだから…逮捕されなよ…?ね?桜二のお母さんも…依冬のお母さんも…僕のお母さんも死んで行った。何故なの?何故なの?」 結城さんの瞳にオレが映って見える。でも、涙のせいでどんどん歪んで行く。 「泣かないで…クズなんだから。クズは泣かないんだよ?ふふ…そうでしょ?」 オレはそう言って結城さんの唇にキスをする。 声にもならない絶叫を上げると、結城さんは机に頭を何度もぶつけだした。 数回ぶつけただけなのに、パックリと割れた額から血が流れ落ちる。 結城さんが、完全に壊れてしまった… 奇声を上げて取調室から運び出される彼を見つめ続ける。 湊は多分…彼を、愛していた。 彼も…湊を誰よりも愛していた。 そして、狂った結城さんの顔が…オレには、一瞬だけ桜二に見えた。 「君にはまた別に事情を聞くかもしれないから、事件が片付くまでは遠くへ行かないでね…。まぁ…いろいろと大変だったね。」 そう言って他の刑事がオレの肩をポンと叩いた。 オレはにっこりと笑って、上目遣いでお礼を言った。 「ほほ…!シロ君もなかなか良い演技力を持ってるじゃないか?この前の大根芝居と比べ物にならないくらい良かったよ?」 そう言って田中刑事がオレを警察署の前まで見送る。 「うん。ありがとう…」 オレはそう言うと、彼を振り返って念を押すように言った。 「あの話…必ず、聞かせてね…」 田中刑事はオレを見つめて目じりを下げると、深く頷いた。 償い… 何の? オレには分らない。記憶がない。覚えていないんだ。 「見た通り結城は心神耗弱状態だ…。今回の事件で罪には問えないだろう…でも、措置入院させる事は出来るよ。その後、どうするかは君たちで考えると良い。今回は上出来だったよ。お疲れ様。」 田中刑事はそう言うと、オレの頭を撫でて言った。 「シロ君?…家庭裁判所に申請して戸籍を取りなさい。親が出生届を出してくれなかったと申告すれば出してくれるから…。本当に…よく頑張った。また会おう。」 戸籍… それがあったら…何か変わるのかな…? オレは首を傾げて言った。 「ん~…そのうち、してみるね?」 「ほほ!全く…一緒に付いて行ってやらんと、だめだなこりゃ…」 そう言いながら田中刑事がオレに手を振った。 オレは軽く手を振り返して、タクシーを拾う。 結城さん…湊の事を愛してたんだ…そして、湊も結城さんを愛していた。 桜二に誑かされた… その言葉に心がざらつく。 「桜二…ただいま。」 オレはそう言って桜二の病室に帰ってきた。 彼の笑顔を見て、結城さんの笑顔を思い出す。 そのまま抱きついて、彼に項垂れていく。 「…どうしたの?」 驚いた様にオレの体を抱きしめる桜二。オレは、彼のあたたかさが怖い。 …あなたも、オレを失ったら…彼の様になってくれるの? 「桜二…もう、大丈夫だよ。」 彼の首に顔を埋めて、しくしくと流れ落ちる涙に驚く。 あぁ…オレ、悲しかったんだ… 結城さんの顔が頭から離れて行かない。 「何があったの?」 優しい声でそう言うと、オレの顔を覗き込むように、体を屈める。 「桜二…!」 オレはそれを嫌がって彼の肩に顔を埋める。 何でこんなに涙があふれていくんだろう…止まらない。 まるで、湊になったみたいに、結城さんの顔が頭から離れて行かない。 「あの刑事さんは…オレの過去を知っていた。兄ちゃんの事も、知っていた。後でちゃんと話してくれるって…オレに約束をしたんだ…。」 オレがそう言うと、桜二はオレの体を抱きしめて言った。 「それが…悲しかったの?」 「違う…」 彼の髪に顔を埋めて、しくしくと涙を落として、静かな声で言った。 「結城さんに会った…」 桜二の体が硬くなって、オレを撫でる手が止まる。 「彼が、オレを湊だと認めれば…3年前の事件が無かった事になる。だから…オレは刑事たちの前で彼に会って、湊の振りをして…彼を壊した。うっ…うう…!」 堪えていた涙と後悔が体の中から溢れて来る。 「可哀想だって…思った。だって…彼が、彼が…桜二に見えたんだ…。」 オレはそう言って彼の顔を見つめる。 「胸が痛い…桜二、胸が痛いよ…」 「可哀想に…俺の為に、酷い事をさせてしまったね…ごめんね。」 そう言って桜二がオレの涙を拭って、優しく、抱きしめてくれる。 「ごめんね…ごめんね…」 そう何度もつぶやいて、オレを抱きしめる彼の手が震えていた。 項垂れた顔を持ち上げて、桜二の顔を見つめる。 涙でぐちゃぐちゃになった目をティッシュで拭いてあげる。 「…どうして泣いてるの?」 彼の両頬を包み込んで、静かにそう尋ねると、彼はオレを見つめて言った。 「シロを傷付けてしまった…それが悲しい。」 ふふ… 湊を殺した事への後悔や、愛する人を殺してしまった結城さんへの後ろめたさなどではなく、オレが泣いているから…可哀想になって泣いているんだ。 兄ちゃんみたいだね…そして、結城さんみたいだ。 「桜二…桜二…大好きだよ。ずっと一緒に居てね…」 そう言うと、彼の髪を撫でながら熱いキスをする。 兄ちゃん… 彼を知れば知る程、兄ちゃんにそっくりだよ。 死ななくて…良かった。 「シロ…ずっと一緒に居るよ。」 桜二がそう言ってオレの体を抱きしめる。 笑っちゃうよね…オレ達はクズなのに、愛を語ってるんだもん。 「今日はお仕事お休みなんだ…支配人がゆっくり復帰しろって過保護になってるんだ。」 桜二の膝にゴロンと寝転がって彼に甘える。 桜二はオレの髪を撫でながら目を細めて聞いて来た。 「刑事には今度いつ会うの?」 「まだ決めてない。連絡先は貰ってる。」 オレがそう言うと、桜二が言った。 「その時、俺も…一緒に居ても、良い?」 オレは両手を上げて彼の頬を撫でながら言った。 「良いよ。刑事さんに言ったんだ。今は桜二がオレの兄ちゃんだって…。そうしたら、桜二がどんな人でも、1回だけ助けてくれるって…そう言った。それが…償いなんだって…。あの人の話には主語が無いんだ。だからチンプンカンプンで…ほとほと困る。」 オレがそう言ってケラケラ笑うと、桜二は目じりを下げて笑う。 可愛い… 依冬とは違う可愛さがある。ふふ… 「消灯時間です。シロ君お家に帰ってください!」 看護師にそう言われて、桜二の膝から飛び起きる。 「わぁ…名指しされたぁ…」 小さい声で桜二にそう言って、クスクス笑うと、彼にキスをして退散する。 「また明日来るね?寂しいって泣いても良いよ?ふふ…」 「うん…シロが帰った後で泣くよ…」 そう言って、桜二がオレに手を振ってる。 オレは手を振り返して、扉を閉める。 胸に残るざらつきをそのままに、依冬の部屋に帰る。 「ただいま~。ん~。何か良い匂いがする~!」 鼻をクンクンさせながらリビングに行く。 「シロ。お帰り!」 元気にオレにそう声を掛けると、キッチンで、お鍋をぐるぐるとかき混ぜている。 何と! 「依冬、エプロンなんてして…お料理するの?」 依冬の背中に抱きついて、クンクンと鼻を鳴らすと、顔を少しだけ覗かせてお鍋の中を見た。 …何かのスープだ! 依冬は腰に纏わりつくオレの腕を撫でると、得意げな声で言った。 「ふふん。俺だって料理ぐらい出来るよ。」 嘘だ~ エプロン姿も可愛いよ?でも、この料理の数は…依冬1人じゃ作れないよ。 「誰が作ったの?」 オレはそう言いながらお皿に乗ったブロッコリーをつまみ食いをした。 ん!?美味しい!お店の味がする! 依冬はクスクス笑いながら観念したのか、正直に話した。 「お料理のプロが…作ってくれた…」 そして、オレにお玉を向けて続けて言った。 「実は、シロにまともなご飯を食べさせろって…桜二から電話が来たんだ。」 え~?…そういえば、今朝、おにぎりをじっと険しい顔で見つめていたな… 全く!やれやれだ。 「ふふ…良いんだよ?無理しなくても。オレは依冬の放任主義、好きだもん。外食三昧も好きだし、適当にパンを与えられるのも好きだよ?」 そう言ってダイニングテーブルに座ると、目の前に並んだ料理の多さにたじろいだ。 「…それに、こんなに沢山は食べられないよ?まるで、大家族の食卓みたいじゃないか…そうだろ?」 オレはそう言いながら、一つずつ味見をしていく。 どれもすごくおいしい!料理のプロって凄いんだな… 「じゃあ、今日は…これと、それを食べて…他のはタッパーに入れて冷凍しておこう?」 家庭的な知識をひけらかしてオレがそう言うと、依冬が憮然として言った。 「なぁんで?俺は全部食べられるよ?」 こう言うのを飽食って言うんだ。そうだろ? 依冬とテーブルに向かい合って夜ご飯を頂く。 「わぁ、美味しそう。いただきまぁす。」 オレはそう言って依冬が混ぜていた野菜たっぷりスープを飲んだ。 美味しいな…そして体に優しい気がする…オレはこれでお腹いっぱいになりそうだ。 オレの様子を満足げに見て、にっこりと笑う依冬。 可愛いな…子犬の時は本当に可愛らしいんだ… 「そういや、今日、刑事さんに会って、結城さんにも会って来た。」 突然のオレの言葉に依冬が吹き出して、咳き込んだ。 「何で?いつ?俺でもまだ会えないのに…どうやったの?」 「ん~…湊の振りして、結城さんをだまくらかした。これで、3年前の事件が無かった事になった。依冬、ごめんね…。」 あ然とする依冬を見つめながら野菜スープを食べ続ける。 彼は湊を愛していたから…利用されたなんて、きっと気分の良い話じゃないだろ。 「湊が…生きてたって事になったの?」 依冬は唖然とした表情でオレを見ると、口から気の抜けた笑い声を出して言った。 「マジかよ…そんな、上手く行くと思わなかった…」 そうだ。刑事の協力者がいて、やっと成り立った穴だらけの計画だった。 依冬は呆れてるのか驚いてるのか分からない表情でオレを見てる。オレは彼を見つめて聞いてみた。 「…お前も、オレが、湊だったら良いなって思う?」 だって、結城さんの笑顔が…頭から離れないんだ。依冬も…見たことの無い笑顔で微笑んでくれるのかなって…悲しいけど、そう思ったんだ。 「思わないよ。俺はシロが好きだから。」 依冬は意外にもそう即答してオレを見つめて言った。 「もう二度とそんな風には思わないよ?」 そうか… 「ふふ…そう。それは良かった。」 いつの間にか、依冬は湊の呪縛から解き放たれたみたいだ… 依冬の言葉が本心かなんて分からない。でも、オレは彼の言葉を喜んで受け取るよ。 「結城さんがさ、湊に扮したオレに言うんだよ。桜二に誑かされてるって…どういう意味なんだろう?オレが桜二から聞いた話はさ、湊が死にたがっていたから…殺してあげたって言っていた。」 オレがそう言うと、依冬は首を傾げながら、う~ん。と唸って言った。 「まぁ、家の親父はイカれてるから…湊の自由意思を誰かのせいにしたいのかもしれないよ?話が出来る状態だなんて思わなかった。」 そうなのかな… わだかまりなんて大きな物じゃないけど、どうしても、そこが引っかかるんだ。 依冬は本人が言った通り、全て食べ尽くしそうな勢いでご飯を食べていく。 オレはキッチンからラップを持って来ると、早々に冷凍保存出来そうな物をくるんでいく。手際よくクルクルとくるみながら、依冬を見つめて刑事さんの話を伝える。 「刑事さんの話では、心神耗弱で桜二の件は無罪になるかもって…でも、措置入院は可能みたいだよ。どうするの?」 「もう死ぬまで出て来ないで欲しいよ。ふふ…会社だって殺人未遂を起こした社長は早く退いてもらいたいだろうし、このまま世の中に出てこないで欲しいよ。」 オレの問いに依冬はそう答えると、ラップにくるまれそうな物をお箸で取って自分のお皿に持って行った。オレよりも食いしん坊だ。 依冬は急に真剣な顔になると、両手をテーブルに乗せて目の前に組んだ。指先で甲を撫でながらゆっくりと話し始める。 「シロ?俺はね、社長の息子だけど、今まで他の社員にふんぞり返ったりしてこなかった。何故だか分かる?結局、会社を動かしてるのは人なんだ。嫌われたら…こういう事態に陥った時、助けてくれる人が居なくなるだろ?最近思うんだ。こうして来て間違いじゃなかったんだって…」 ふぅん… オレは頬杖を付きながら依冬を見つめて笑う。 「すごい…大人だね?依冬はオレよりも断然しっかりしてる。お店に来る社長さんみたいな事を言うんだ…ふふ。」 ほんと、感心しちゃうよ。世の中の二世がみんな彼の様な向上心を持てば良いのに。 オレがうんうん頷いて感心していると、依冬は照れ臭そうに、へへッと笑った。 …可愛い。 「冷凍庫がガラガラだ!」 オレはそう言って、ラップで包んだ料理を冷凍庫に並べていく。 「これは出来たてが美味しいのに…冷凍なんてしたら美味しくなくなるよ?」 そう言って依冬が背中に乗っかって来る。 最近彼はこの姿勢が好きみたいで、すぐにオレの背中に覆い被さって来る。 甘えてるんだ。じゃれてるんだ。…まるで、大型犬みたいに。 「良いの…こうしておけば、食べたい時に食べられるんだから。ね?家庭的だろ?」 オレはそう言って立ち上がると、逆に依冬の背中に飛び乗って言った。 「シャワー浴びて寝よう…もう、疲れた…ヘトヘトだよ。」 オレを背中に乗せて、依冬がすいすい歩いて浴室まで連れて来てくれた。 力持ちだ… シャワーを浴びて、長袖長ズボンのパジャマに着替えると、ゴソゴソとベッドに潜り込んでいく。 依冬がシャワーを浴びる音を聞きながら、ウトウト目を瞑る。 兄ちゃん…桜二の部屋に置いたままの“宝箱”。持ってくれば良かったよ。 兄ちゃんの手紙が凄く読みたくなっちゃった… 兄ちゃんの顔が凄く見たくなっちゃった… 兄ちゃんの腕時計が、触りたくなっちゃったよ… 「はぁ…」 ため息をついてうつ伏せると、そのままベッドに沈むように眠る。 …この前、桜二の着替えを取りに行った時、持って来ればよかった。

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