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第8話
「シロ…」
しゃがみ込んでオレの体を支えると、勇吾が怒って言った。
「どうして2人きりなんかになった!どうしてノコノコ付いて行った!どうしてだ!お前は…馬鹿なのか!この世の中で良い人なんていない!みんなクズだらけだ!」
何も言えない…何も言えないよ…
お前の言う通りだ。
オレは涙をポタポタと落として、むせび泣いた。
オーディションの結果に納得がいかなくて…もしかしたら…なんて思ったんだ。でも、結局オレはこんな目に遭った…
…その程度の生き物だから、こんな目に遭うんだ。
涙を流すオレの髪を掻き分けて、勇吾が半開きの瞳を向けて、優しい声で言った。
「たまたま居たんだ。この場所にたまたま居て、桜ちゃんから連絡を受けて、お前を探していた…。見つけるのが遅かったけどな…」
そう言ってオレを抱きしめると、優しく頭を撫でてくれた。
良いんだよ。
オレなんてどうなったって良いんだ…。
兄ちゃんは、オレが疎ましかったんだ。面倒で…邪魔で…
捨ててしまいたかったんだ…
込み上げる感情を押さえられなくて、体を強く抱きしめる勇吾に震える体を預けながら彼の胸に縋りついて泣く。
「兄ちゃん…ごめんなさい…!!シロが…シロが居なかったら良かった…!!」
そうすれば、兄ちゃんはあの人と…今頃、家庭を持っていたかもしれないのに…!
子供が産まれて…幸せに暮らしていたかもしれないのに…
オレが生きているせいで…それら、全てが無くなってしまった。
腐ったダッチワイフみたいなオレがいるせいで…兄ちゃんが幸せになれなくて死んだ。
「…シロ?大丈夫か?」
そう言ってオレの顔を覗き込んで来る勇吾に、にやりと不気味に笑って言った。
「勇吾…今すぐ抱いてよ…おかしくなりそうだ…」
いや、もう…おかしいんだ。
生まれた時から、生きてちゃいけない生き物なんだ。
「いや、ちょっと…」
たじろぐ勇吾に圧し掛かって彼の唇に熱心にキスをする。
誰でも良いんだ。
なんでも良い。
自分の頭が真っ白になりゃ…それだけで良い。
「シロ、待ってって!シロ…」
「どうしてだよ…嫌いなの…?オレの事、要らないの…?抱きたくないの…」
グルグルのブラックホールが目の前を黒く染めて、勇吾を濁す。
彼の体に両手を添えて、優しく撫でる様にいやらしく動かして、そのまま彼の上に跨ろうと足を上げる。
「シロ…!待って…!ここは廊下だ。それは分かるよな?」
「あはは…だから、何だよ…」
慌てふためく勇吾を無視して、彼のズボンを下げようとする。
「分かった!分かった!じゃあ…この部屋に入ろう。」
勇吾はそう言ってオレの手を繋ぐと、誰も使っていない控室に入った。
「シロ…桜ちゃんが来るまで待った方が良いんじゃないか?今は、気が動転して…ちょっと…よく分かんなくなっちゃってるんじゃないか?」
オレはヨロヨロ歩きながら両手を上げる勇吾を見つめる。
綺麗だね…こんな綺麗な人をオレが汚しても良いのかな…
猫柄のトレーナーを脱いで、露わになった白い肌を彼に見せる。
「勇吾…オレの乳首舐めて…」
そう言って、彼の目の前で自分の体を撫でて体を反らすと、誘う様に乳首を指先で弄って、喘ぎ声をあげる。
勇吾は半開きの瞳を大きく開いて、オレの顔を見つめる。
ふふ…どうしてだよ。
どうして泣くんだよ…怖いの?
彼を掴んで自分の胸に顔を当てて抱きしめる。
「良いんだよ?勇吾、オレを好きにして良いんだ。兄ちゃんが言った。いつも兄ちゃんとしてる事をしてあげてって…だから、良いんだよ?」
そう言って彼の髪を撫でてあげる。
「シロ…やめよう…お前は、壊れてる。」
知ってる。
オレは壊れてるけど、意地汚く生きてるんだ。
オレは彼の唇を舐めるとそのまま舌を入れてキスをする。そして床に座ると彼の体を撫でて、股間を触って、興奮したモノに顔を擦り付けておねだりする。
「勇吾のシロにちょうだい?お口で気持ち良くしてあげるよ…ね?良いだろ?」
そう言って、彼のズボンのチャックを下げていく。
パンツの上から大きくなった彼のモノを食むと、手のひらで優しく撫でる。
自分のズボンを脱ぐと、彼の上に跨って彼のモノをお尻で挟んで気持ち良くしてあげる。
「あぁ…シロ、シロ…まって…きっと後悔するから…まって。」
「あふふ…後悔なんてしない。オレはね、生きてちゃダメな生き物なんだ。だから、人間みたいに後悔なんてしない。勇吾は怖い生き物に食べられちゃうんだ…あはは。可哀そうだよ…。オレに優しくするから…いけないんだよ?」
彼の美しい頬を撫でて、髪の中に指を入れて頭を抱え込む。そのままねっとりとキスして、オレの物になる様に毒を入れる。
彼のお腹に勃起した自分のモノを擦り付けて、緩い快感に体を仰け反らせながら、グルグルのブラックホールで彼を見下ろして笑う。
「勇吾、して…」
目から涙が落ちる。その涙の理由を知ってる。
オレは彼が好きだ…素敵で、胸がときめく…まるで、王子様だ。
そんな人に、汚い自分を見せる事が…狂った自分を見せる事が…悲しいんだ。
彼を見下ろして、ポタポタと涙を落としてお願いする。
「勇吾…オレを抱いて…お願いだよ…頭がグラグラするんだ。死にたくなってくるんだ。だから、忘れたいんだ…何もかも…。抱いてよ…オレの事を助けて…」
半開きの瞳を大きく見開いて、勇吾は涙を落とした。オレはその涙を舌ですくって全てのみ込む。
このまま死んでしまえたら、いっそ楽なのに…オレの中の何かがそれを許さないで、ただ欲望のままに、目の前の肉を貪らせるんだ。
オレの中に勇吾が指を入れて、気持ち良くしてくれる。
「あっ…んん…勇吾、勇吾…気持ちい…あぁ、はぁはぁ…あっああん…」
待ちかねた快感に腰が震えて、足がガクガクと揺れる。
彼の頭にしがみ付いて、彼のくれる快感に体と一緒に喜んで口をだらしなく開く。
仰け反ったオレの体に彼が優しくキスをする。オレの腰を抱きしめる腕が強くて、堪らなく興奮して行く。
彼に抱かれるのかと思うと…興奮しておかしくなりそうだ…
「勇吾…勇吾…!あぁ…んっ…気持ちい…気持ちいよ…勇吾、もっと…もっとして…」
細くて長い彼の指がオレの中をまわって数を増やしていく。
それは繊細で官能的な、堪らない快感になって、オレの中を満たしていく。
彼のモノを後ろ手でさすると、パンツから取り出してねっとりと手の中で扱く。
「シロにちょうだい…勇吾のちょうだい…気持ち良くして、勇吾のおちんちんで気持ち良くして…」
そう言って体を反らして、自分のモノを一緒に撫でて扱く。
「シロ…おいで、挿れさせて…」
勇吾がそう言ってオレのお尻を掴むと、ゆっくりと中に入って来る。
「あっああ…勇吾…勇吾…」
彼のモノがオレの中に入って奥まで届くと、勃起したオレのモノからダラダラと液が垂れて来る。
「シロ…はぁはぁ…やばい、気持ち良い…」
勇吾がそう言って顔を歪めて吐息を吐くから、オレは彼の唇に舌を入れて舐めまわしてあげる。
もっとだよ…もっと、一緒に気持ち良くなろう?
ねっとりと腰を動かして、彼のモノを自分の中で扱いて行く。
快感に顎が上がって、伸びた首さえ美しい彼の首を舌で舐め上げる。
彼の手を掴んで自分のモノにあてがうと、彼の手の上からギュッと掴んで扱かせる。
「あっああ…!勇吾…!イッちゃう、イッちゃう…!んんっ…!あっああ!」
彼の肩に顔を埋めて、下から突き上げて来る快感に、だらしなく喘いでよだれを垂らす。汚い犬がみっともなく地面に顔を擦り付ける様に、オレは彼に自分の汚れを擦り付ける。
「イッちゃう…イッちゃうよ…!!あっああん!!」
彼の頭に自分の顔を押し付けて、小刻みに震えながらオレはイッてしまった。
それは官能的で、麻薬の様にフワフワとした、堪らない時間。
勇吾のお腹に出した自分の精液を眺めながら、彼の体に項垂れて、肩で息を整える。
「シロ…ティッシュ持ってる?」
ティッシュ…それは多分、リュックの中だ…
オレは体を起こして手を伸ばしてリュックを掴もうとした。
「届かない…持って来る。」
そう言って彼のモノを抜こうとすると、勇吾がオレの腰を掴んで言った。
「このまま続けていい?」
「猫のトレーナーが汚れるじゃないか…」
オレがそう言って体を捩ると、勇吾はトレーナーを脱いでオレを抱きしめた。
「これなら汚れない…」
スベスベの彼の素肌にクラッとして、そのまま肌を合わせていく。
「勇吾…スベスベだ…誰よりもスベスベ…」
そう言ってうっとりと彼を見つめると、歪んだ彼の瞳を見下ろしながら、腰を動かす。
「はぁはぁ…シロ、気持ちいね…?」
「うん…気持ちい…勇吾の全部が、気持ちい…」
彼の体に自分の体をぺったりとくっ付けて、彼の頭を抱えながら、いやらしく腰を動かす。温かい彼の素肌に、頭の中が真っ白になって短く喘ぎながら、快感だけを求めていく。
「堪んないな…シロ、可愛いよ…」
それはこっちのセリフだ…勇吾の全てが、堪らなく気持ちいい…
彼の肉も、彼の素肌から感じる熱も、全て…
クッタリと項垂れながら、彼のモノに下から突き上げられて、グラグラに揺れる頭をそのままに乱れていく。
「勇吾…勇吾ぉ…気持ちい…あっああ…」
オレの腰を掴む彼の手さえも気持ち良くて、背中にゾワゾワと鳥肌が立っていく。
「はぁはぁ…シロ、可愛いね…」
彼の声も、言葉も、触れる肌も、触られた感触も、全てがいちいち気持ち良くて、オレはうっとりと彼の瞳を見つめたまま、絶頂へと向かっていく。
「勇吾、イッちゃうそう…イッちゃいそうなの…」
うっとりと首を傾げてそう言うと、彼は瞳を細めてオレに言った。
「シロ…何であいつと2人きりになったの?」
え…
勇吾はオレを床に寝かせると、覆い被さってオレを見下ろした。
彼の瞳は半開きのままの、いつもの、彼の瞳のまま、オレに尋ねて来た。
オレは勇吾の頬を撫でながら視線をあてずに、答える。
「…オレは、不合格だったんだ…帰ろうとしたら呼び止められた…。もしかしたら…」
「もしかしたら、やらせたら合格にしてもらえると思ったの?」
え…
オレは勇吾を見上げて呆然とした。
勇吾はオレの中に自分のモノを入れると、ゆっくりと腰を動かしながらもう一度言った。
「やらせたら、合格にしてもらえると思って…ノコノコ付いて行ったの?」
あはは…!なんだそれ…そんな事、考えても見なかった。
でも、分からない。
オレは汚い生き物だから…知らずのうちにそう考えていたのかもしれない。
「ふふっ!分からない。そうなのかな…ねぇ、そうなのかなぁ?」
両手で口を押えて笑うと、目の前の勇吾に聞いた。
「どう思う?」
「違う。お前は…ただの馬鹿だ。そんな事まで考えもしない…ただの馬鹿だよ。」
彼の腰がねっとりと動いて、オレの体の隅々まで快感がめぐる。
美しい人が目の前で、顔を歪めてオレを抱く…彼の眉間も、彼の口も、歪んで…
堪らなく、綺麗だ…
「あぁ…勇吾、凄い気持ちいい…」
体が仰け反って彼の柔らかい髪を指ですくう。
「あいつに触られたの?」
「…うん…あっああ…」
オレの顔の近くまで顔を落として、薄く開いた瞳で見つめて、ねっとりと味わう様に、ゆっくりと腰を動かす。
「俺にやられるのは…嫌じゃないの…?」
「あっ…ああん…勇吾は…良い…良いの…」
美しい顔で、執拗に聞いて来る彼に、興奮して顔が熱くなる。
オレの唇に舌を這わせて、ねっとりと長くて、甘いキスをする。そして、堪らなくいやらしい声で聞いて来る。
「それはね…シロが、俺の事を好きって事だよ?」
「ん…好き…好き…勇吾…大好き…」
彼の背中に両手を回して、体ごとくっ付いて、ギュッと抱きしめる。
「あぁ…堪んない…イキそう。」
勇吾はそう言うと、体を起こして腰を動かし始める。
誰のものとも違う小回りの利いた激しい動きに、体が喜んで仰け反っていく。
「あっああ…!勇吾…!イッちゃう…またイッちゃいそうだよ…!ゆっくりして…ゆっくりして…!」
彼の胸を叩いてそうお願いしても、彼はオレを見下ろしたまま、美しい顔を歪めて腰を動かすのを止めない。
額から落ちる汗まで綺麗だなんて…
「シロ…イキそう…キスして?大好きな勇吾にキスして…?」
はぁはぁと荒い息遣いで体を屈めると、オレの唇に舌を這わせるから、オレは彼の舌を自分の舌で絡めて口の中へと入れる。
「勇吾…好き、大好き…!」
そう言って彼の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜると、オレの胸の上で短く呻いて、中でドクンと暴れた。そして、オレの中から急いで出すと、腹の上でイッた。
項垂れて倒れ込んで来る彼を抱きしめる。
「シロ…可愛くて好きになっちゃった…」
オレの胸の中で彼がそう呟くから、ぼんやりと彼の髪を撫でながら言った。
「オレも…好きになっちゃった…」
美しい彼とのセックスは、オレを虜にした…
狂ったオレを見ても、オレの周りの人間は怯まないみたいだ。まるで、何事も無い様に、抱く事を躊躇しない。
まるで狂った人を抱くのも悪くないと言ったように、嗜んでいる様に見える。
そう思ってしまうくらい、普通にオレを抱いて、普通に愛や、恋を語る。
それはいつも、実感のない物音を聞いている様に耳に届いて、意味も分からないままただ流されて、漂って消える。
勇吾と一緒にあの部屋に入ってきた関係者の人は、このオーディションの発起人の1人だったようで、オレをレイプし損ねたあの人は、それなりに粛清を受けるみたいだ。
「どうせそのうち何事も無かった様にケロッと復帰させるんだ。だから嫌なんだよ。クソがっ!」
勇吾は誰かと電話しながらそんな暴言を吐いている。
「柄が悪いね…あんなの王子様じゃない。」
オレは道路端にしゃがみ込んで、桜二の車が来るのを待っている。
電話を切った勇吾がそっとオレの背中に覆い被さって体を温める。
「なぁ?シロ?どうしてあんな風になったの?いつもエッチするときはああなるの?」
ふふ…おっかしい…
「いや…ならないよ。今日はダメだったんだ。朝から…おかしかった…昨日、発作があってね…引きずったんだ。」
オレはそう言うと、彼の腕を手のひらで撫でて触った。
怖くなかった?
狂ったオレはあなたを、怖がらせなかったのか…それが心配だよ。
ユラユラとオレを揺らしながら、勇吾が小さい声で聞いて来た。
「シロ?あの事、桜ちゃんに話すの?」
「ん?言われたくないなら言わないよ…」
「いや、お前の好きにしな…」
そう言うと、勇吾はオレの髪に顔を埋めてキスをする。
勇吾と桜二は中学校からの友達。
オレは桜二の彼氏なのに、勇吾ともエッチをした。
…それを、普通は、浮気って言うんだ。
桜二はオレにベタベタする勇吾を見て嫌がっていた…
きっと知ったら怒るに決まってる。
でも、兄ちゃんだって…オレがいるのに女と会っていたよね…
人の事、言えないじゃないか…そうだろ?
それに、オレは、軽くて…汚いんだ。
誰とだってエッチするし、誰のモノだって喜んで口に咥えるさ…
幹線道路の道端でぺったりとくっ付く…ペアルックのオレと勇吾を、通り過ぎる車のドライバーが二度見していく。
「ふふ…」
その様子を見てクスクス笑いながら、勇吾にユラユラと揺らされて、眠たくなってくる。目を閉じて、彼の息を耳に感じて、何も話さないで過ごす。
悪くない…
クラクションが鳴って、微睡んだ目を開くと目の前に桜二の車が停まった。
「桜二…!」
車から降りてきた彼に抱きついて、頬ずりする。
「桜二…落ちちゃったし、レイプされそうになった…最悪だ。この土地は呪われてる。早く帰ろう?」
オレはそう言うと、体を離して彼を見上げた。
桜二の目はオレを見ていない…ただじっと、勇吾を睨みつけている。まるで言わなくてもオレが彼を食べた事が分かるみたいだね…
「…オレがいけないんだ。何も考えないで付いて行って…危ない目に遭った。桜二が連絡してくれたから、勇吾がすんでの所で助けに来てくれた。でも…」
オレがそう言って黙ると、桜二がオレを見下ろして言った。
「何?」
「パニックになって、おかしくなって…そのまま、勇吾を襲っちゃった…」
桜二は特段驚く訳でも無く、オレの頬を撫でると、首を傾げて言った。
「シロを襲った人は何処に行ったの…?」
「知らない…」
オレはそう言うと、彼の胸に顔を付けて彼の心臓の音を聞いた。
桜二の声色が強くて、怖くて、彼が何かに怒っていることが分かった…
オレが襲われた事への怒りなのか…オレが勇吾を襲ってしまった事への怒りなのか…それとも、両方なのか。
「オレが…いけないんだ…」
そう言って彼の胸を撫でて、頬を付けると言った。
「桜二…具合が悪い…帰りたい。」
彼はオレの頬を両手で包み込むとクイッと上に向けて顔を覗く。桜二の顔が歪んで滲んで見えて、そっとキスを貰って、彼の首に抱きつく。
「帰ろうね…」
そう言ってオレの頭を撫でて大切そうに抱きしめると、後ろの勇吾に言った。
「お前はどうするの…?」
冷たくて、鋭い言葉に、彼の首を掴んだ腕に力が入る。
「俺も一緒に帰るよ?」
勇吾がそう言うと、桜二は少しだけ黙って、助手席のドアを開いてオレを乗せた。
「気持ち悪いの?」
運転席に乗り込むと、ぐったりとするオレの頬を撫でて桜二が聞いて来た。
「…ううん。グラグラする…」
オレがそう言うと、桜二の纏う空気に緊張が走る。
目の奥のブラックホールが開いて、おかしくなる前は、大抵体が揺れて“グラグラする…”とオレが言うから…彼は緊張したんだ。
「そう…じゃあ、急いで帰ろうね…」
そう言ってオレの頭を撫でると優しくキスをした。
シートを倒して横になると、車のシートを指で撫でながら、ぼんやりと自分の指を眺める。
「あぁ…何て言ったら良いの?陽介先生に…」
オレがポツリと呟くと、後部座席の勇吾が言った。
「コネに邪魔されて受からなかった…。これで大体は察しが付くよ…」
オレの髪を指先で撫でると、優しい声で勇吾がそう言った。
こんな出来レース、きっといろんな業界にあるんだ。
知らないだけで、世の中は汚い。
表面的に乱れた歓楽街なんかよりも、もっと汚くて、嘘ばかりだ…
本能よりも、理性の方が、残酷で、野蛮なんだ。
「こんな事よくある。お前が悪い訳じゃない。」
勇吾はそう言うと、優しく瞳を細めてオレを見つめる。
「…勇吾も?」
「ん?」
「…勇吾もこんな気持ちになった事あるの?」
彼の顔を下から見上げて、そう尋ねると、彼はオレを見下ろしてにっこり笑って言った。
「しょっちゅうだよ…」
強いね…オレは発作もあったせいか…もうこりごりな気持ちだよ。
彼の頬に手をあてると、自分の方へ向かせてうっとりと見つめる。
「綺麗だね…」
そう言って彼の唇に舌を這わせてキスをする。
柔らかい髪と、繊細なキスにクラクラして、吐息を口から漏らしながら熱心に彼とキスをする。
「シロ…やめて」
桜二の声に、オレは勇吾と唇を離して彼の半開きの瞳を見つめる。
体を戻してシートを元に戻すと、運転席の桜二を見つめて言った。
「ごめん…」
兄ちゃんは…オレの目の前で、あの女とキスしたじゃないか…
オレなんて…邪魔で、疎ましくて、捨ててしまいたいと思っているんだろ。
瞳を歪めて唇を噛むと、窓の外に視線をあてて、膝を抱えて固まる。
「桜二…気持ち悪い…」
自分が…気持ち悪い。
オレの言葉に何も返事をしない彼を見つめる。
「…桜二が機嫌が悪いのはどうして?」
「悪くないよ…」
「オレのせい?」
助手席のシートに膝立ちすると、彼の顔を覗き込んで聞いた。
「シロ…危ないから、座ってて…」
オレは桜二の頬を優しく包むと、グイッと自分に向けて聞いた。
「オレが勇吾とセックスしたから、怒っているの?」
「シロ…危ないから、後にして…」
「今、知りたいんだよ。どうして機嫌が悪いのか…。今、知りたいんだ。オレはね、お前のそんな所、見たくないんだ…」
オレは体を乗り出して、彼とハンドルの間に乗り出すと、彼の顔を見つめる。目の奥のわずかな変化も逃さない様に、ジッとグルグルのブラックホールを向ける。
そんなオレを一瞥して桜二が言った。
「事故に遭う…」
「良いじゃん…一緒に死のうよ。オレは怖くないよ…?」
桜二はハザードランプを出して路肩に車を停めると、オレを抱きしめて言った。
「悪かった…もうしない。もうしないよ…」
「嘘だ…」
「シロ…もうしない。」
「何で怒ったの?」
「お前が…勇吾とセックスしたから、取られると思ったんだ…」
「オレが取られたら、お前はどうなるの?」
「はっ…そんなの、悲しくて死ぬよ。」
「ウサギは悲しくても死なない。ウサギよりもクソな人間が悲しくて死ぬ訳が無い…」
「シロは…?俺があの時、意識不明のまま死んでいたらどうした?」
桜二がそう言ってオレを見つめて来る。
それは…
「人のいない所で…死ぬ。」
「じゃあ、俺も同じだ…」
「そうか…それは嫌だな。…ごめん。」
納得して落ち着くと、助手席に座り直して膝を抱えながら、外を見つめる。
「シロ、シートベルトして…」
桜二に言われて、慌ててシートベルトを締めて彼を見る。
「着けた!」
オレがそう言うと、桜二はにっこり笑って車を出した。
暴発しまくる爆弾を抱えて、傷つきながら、この人は平気な顔で笑う。
兄ちゃんはクソだけど、桜二は大好きだ…
#桜二
朝から様子がおかしかった。
寝坊したせいじゃない。
不機嫌なのは俺に対してだけ…
取り繕っても感じた、彼のイライラ。
ぼんやりと呆けて、意識が飛び飛びになっている様子を見て…そこはかとなく不安になった。
お兄さんの何かを思い出したんだ…そう気付いた。
…そして、それは…嫌な事。
シロが、苛ついてしまう様な…そんな嫌な事なんだ…
彼の中のお兄さんが、絶対的な神聖な愛から…生臭くてリアルな姿に変わって行っている。
それは俺にとっては死活問題だ…
お兄さんの代わりとして…彼の1番で居続ける俺にとっては、お兄さんの失墜は…他人事じゃ無い位に恐怖なんだ…
そこに加えて…勇吾があの人に惹かれて、見苦しい位にアピールしている。
お前はそんな男じゃないだろ…?そんな男じゃなかっただろ…?
もっと勝手で、他人に興味のない、自己中で、ナルシストの筈なのに…俺の予想通り、彼はシロに骨抜きにされて人格を変えた。
彼好みの男に…変わって行った。
突然現れた美系と、若くて可愛らしい依冬に…俺は追い抜かれそうだ…。
お兄さんのマイナスも含めると、その差は開くばかり…
焦る?…あぁ、焦る。
表面的に取り繕ったとしても、俺が彼に夢中でクソガキなのは変わらない。
俺以外が彼の特別になるなんて…許せやしないんだ。
彼をオーディション会場まで送り届けて、知り合いがいると話した勇吾を会場に置くと、夏子をホテルまで送って、自宅に戻って、在宅で出来る仕事をしていた。
そんな中、シロから電話が掛かってきた。
てっきり、合格した知らせだと思って…すぐに取った。
「桜二!桜二、助けて!犯されそうなんだ!助けて!」
そんな、彼の悲鳴が聞こえて…頭が一気に真っ白になった。
嫌がる声と共に、気持ちの悪い男の声が聞こえて、胸の奥がぞわっと鳥肌を立てた。
会場に残した勇吾にすぐに電話をかけて、事情を伝えた。
「勇吾、シロが…あの子が、そこで、襲われてるからっ!すぐに探し出して!そして、相手をボコボコにして、殺せっ!」
そう言って車のカギを掴むと、急いで玄関へ向かった…
車で向かう中、覚悟はしていた。
でも、実際見たら、許せなかった…
シロが勇吾を受け入れた。
朝から嫌な予感がしていたんだ…
俺に、いや…お兄さんに苛ついて…意識が飛んでいたんだ…
これだけでも、1人にするには心配する状況なのに、今日は彼のオーディションの日だった…
どうして、このタイミングなんだ…?
俺のいない所で、きっと、彼の言う所の…“グルグルのブラックホール”が現れて、彼を飲み込んで行ったんだ。
俺を軟禁した時の様な狂ったシロが現れて、勇吾をも…飲み込んだんだ…
まるで彼の運命が、俺を拒絶するみたいに…俺に不利な状況ばかり訪れてる。
自宅に戻ると、彼は寝室に行ってしまった。
「気持ちが悪い…」
そう言って、俺と勇吾を残して眠りについた。
俺は勇吾を見ながら…ずっと、考えに耽ってる。
こいつに、シロを会わせなければ良かった…
あの人のショーを見せなければ良かった…
俺と依冬しか知らない、彼のもう一つの姿…それは、狂気を纏った淫乱。まるで何もかも忘れる様に…ただ快楽を貪るんだ。
そんな姿をお前にも見せたのかと思うと、気が狂いそうなくらい…嫉妬するよ。
もう触らないで、もう近付かないで、もう話しかけないで、もう視界に入らないで、どこかに消えて、二度と会わないで、死んでくれ…
そう念じて、勇吾を見つめる。
あいつは間抜け面をしたまま、俺を見つめて首を傾げた。
ぶちのめしてやりたいね…クソったれ…
…俺の目の前であの人にキスしたな。
…俺の目の前で、あの人を慈しむ目で見たな。
許せないよ…勇吾。
お前を見る目が変わったよ。
お前みたいな…自己中が、シロの狂気に付いて来れるの?
怖くなって逃げだすんじゃないの?
車の中で彼の取った行動の意味が分かるか?
俺には分らない。…でも、彼がああなった時の対処方法は分かる。
決して嘘を吐かない事だ。
嘘を吐いたり、誤魔化したりしたら、彼の信頼は無くなって、ゼロ地点に戻される。
ああなってしまった彼と対峙する時は、無駄な抵抗などしないで、ただただひれ伏して従う。
これが出来ないと、また振り出しに戻される。
彼の目の奥が、グラグラに揺れて…焦点が合わない時。
恐ろしいまでの狂気じみた目をしている時。
それは、彼の言う所の“グルグルのブラックホール”が現れている時なんだ。
彼の目の色がそうなった時は、あの、がさつで、鈍感な依冬でさえ、ひれ伏す。
そうしないと振り出しに戻るって分かってるからだ。
この俺だって“あがり”までまだまだ遠い…死んだあの人のお兄さんしか“あがって”いない。もしかしたら、死なないと“あがれない”のかもしれない。
でも、俺は着実にコマを進めている。
お兄さんという功罪の罪過が訪れている今、お前にまで、参加されると…
マジで苛つくんだよ…勇吾。
「なぁ、桜ちゃん…そんなに怒るなよ。」
勇吾はそう言うと俺に首を傾げて言った。
「シロが選んだ事だろ?桜ちゃんが俺に怒れば怒る程、さっきみたいに嫌がるんじゃないの?俺の事もさ、依冬君みたいに、受け入れちゃったら良いじゃない?」
勇吾はそう言って肩を上げると、ふざけた顔をして俺を見た。
「怒る?怒ってなんかない…ただ、お前は、そのうちまたイギリスに戻らなきゃいけないだろ?だから、深入りするなって…忠告しているだけだよ。」
俺はそう言うと、勇吾を煽り見て言った。
「中途半端に手を出せる人じゃないって…初めに言ったよな。」
俺がそう言うと、勇吾は窓の外を見て言った。
「シロは…まるで、死にたがってるみたいだ…」
それは…多分事実だ…死んだお兄さんに会いたいんだろうよ…
あの人にとったら、絶対的な愛の象徴…
今まではそうだった。
けど、ここに来て、雲行きが怪しくなってきた。
「お前が知る必要はない事だ…」
俺はそう言うと、キッチンでコーヒーを淹れる準備をする。
「ガキみたいな奴だと思っていた。無垢で、純真で、馬鹿。だけど、ストリップをするときのシロは違う。ショーを統べる目を持っていて、アグレッシブでタクティカルだ。俺は彼のそんな所に惹かれた…。」
勇吾はそう言うと、俺を見て言った。
「あの子の過去を聞いた。壮絶な死んだ兄貴との話も…クソみたいな母親との話も…泣きながら教えてくれた。それは、あの子の優しさなんだよ。」
は?
「俺はシロをイギリスに誘った…。あんなに感性が豊かで表現力のあるダンサーを放っておきたくない。だから、俺は彼をイギリスに誘った。でも、彼に断られた。言いたくない過去の話を打ち明けて、自分は桜二から離れたくないと言った。優しいだろ…?俺にきちんと話してくれたんだ…。誤魔化したり、隠したりしないで…本当の事だけ言った。」
俺は目の前の勇吾の話を聞きながら、自分の頭の中で血管がいくつもブチ切れている事に気が付いた。
シロを…イギリスに誘った…だと?そして、彼の過去の話を聞いて、それを話した事が、彼からの自分への優しさ…だと?
下らねぇ妄想を垂れ流せない様に…今、この場で、ぶっ殺してやろうかな…
「桜ちゃん。今日見たシロが彼の本質なんだ。手の施しようがない位に狂ってる。目は完全にイッちゃってて、口はずっと笑ってる…。それはシロの過去の体験のせいなのか、兄貴が死んだ事でああなったのか…どっちだ?」
勇吾はそう言って俺の近くまで来ると、カウンターを挟んで向かい合った。
「知ってどうするの?」
「知りたいんだよ…」
意外にもムカつく程に、勇吾はシロを分析していて、下らない主観を覗いては大抵俺と同じ意見だった…
「あんな狂気を隠しているから、あの子は壊れるんだよ。だから、桜ちゃんと依冬君…危ない男を2匹も飼いならせるんだ…。それは恐ろしい事だよ…でも、凄く惹かれる所なんだ。」
そう言って手元を見つめる勇吾の目は、全く怯えている様には見えなかった。
あぁ…こいつも、あの人に夢中になったんだ。
あの人の狂気に晒されて、骨抜きになって、ひれ伏したんだ…
「桜ちゃん、さっきからすっげー怖い顔で俺の事見てるよ?…気付いてる?」
「あぁ…」
「そんなに大事なの?」
「あぁ…」
「死に物狂いなの?」
「そうだな…」
「シロが言った…桜ちゃんからは、離れたくないって…」
「だと、良いけどな…」
勇吾、俺はお前の事を信用していないよ。
シロに関しては、全く、信用していないよ。
俺と違う、踊れる体を持つお前に嫉妬する。
あの人がお前を見る目に嫉妬する。
目を輝かせてお前を誉める言葉に嫉妬する。
…悔しいんだよ。
俺とは違う目でお前を見るから…悔しくて、堪らない。
お前なんて死んじゃえよ…
「桜二?」
寝室からフラフラとシロが歩いて来る。
いつもよりも俺を見る目に僅かな揺らぎを感じて、気付いた。
心配してるんだね…俺が焼きもちを焼いてるんじゃないかって…
「…もう、大丈夫なの?」
手を伸ばすと、俺の手を掴んで、クッタリと体を預けて甘える。可愛い人。
「ねぇ、聞いて…昨日の話。」
そう言うと、彼は俺に話した。
思い出した、お兄さんの話。
それは俺の思った通りの嫌な記憶だった。
彼を置いて…女の所に行っていたなんて、信じられないよ。そんな事をするような人じゃないだろ…。シロを溺愛していたんじゃないの?
物理的距離を取って…まるで、彼から逃げたいみたいじゃないか…
そんな事をするなんて…見損なった。
お兄さん…最低だな…
俺の胸を撫でながら、ゆっくりと話す彼は、脆くて、儚かった…
砂で作った城の様に…今にも崩れていきそうな、心を抱えてる。
「だから…時計も、手紙も、写真も…捨てようと思ったんだ。…でも、いざ見たら、出来なかった…出来なかった。まるで未練がましい女みたいに、何も捨てる事なんて出来なかった…」
そう言ってシクシクと泣き始めると、俺の胸に顔を埋めて、服ごと俺の体にしがみ付く。それはまるで、必死に縋りつく子供の様で…心が締め付けられる。
そうか…だから、あんなに怒っていたんだね。
俺も、お兄さんにムカついてるよ?
そんな事をして彼を傷付けた事も、今、俺の足を引っ張ってる事にも…ムカついてるよ…
俺は腕の中の彼を抱きしめると、落ち着かせる様に言った。
「シロ…お兄さんは何か理由があったのかもしれないよ…。あんなにシロを大切にしていたんだ。俺はもう少し、記憶が戻るのを待った方が良いと思う。今、感情に任せて大切な思い出を捨てることは無い。ね?」
可哀想な…俺の愛しい壊れた恋人。
忘れていた過去は彼を想った以上に打ちのめして、俺の足を引っ張る。
お兄さんとは違う…。俺は、お兄さんとは違う。
お前をそんな気持ちになんて、絶対にさせないよ。
「…うん。」
小さくそう言って項垂れる彼を、俺は勇吾から隠すように抱きしめると、熱心にキスをする。堪らないんだ…壊れてしまいそうな彼に欲情する。
「シロ…抱きたい…」
そう言って彼の細くて滑らかな体を、いやらしく撫でまわす。
可愛いお尻を撫でて引き寄せると、自分の物を愛でる様に彼を見つめて愛する。
「桜二…兄ちゃんはクソだけど…桜二は、大好きだよ?」
ふふ…
「じゃあ…良いだろ?」
俺はそう言ってシロを抱きかかえると寝室へ連れて行く。
俺の可愛い…壊れた恋人。堪らなくお前が抱きたいんだ。
勇吾の痕跡を何一つ残さない位に、沢山、俺に愛させてくれよ…
お前が欲しくて、堪らないんだ…
#夏子
「…シロは、随分と、凄い環境で育ったようだね?」
あたしがそう言うと、桜二は驚いた顔をしてこちらを見た。
シロと勇吾をオーディション会場に送って、桜二はあたしをホテルまで送ってくれてる。
以前の彼は、そんな事するような奴じゃなかった。
飄々とした、感情の無い、冷たくて、野蛮な、危ない男…
「誰から聞いた…」
押し殺したような声であたしに言う。そうだね、あんたはそういう話方をする男だ。
「シロが言った。あの子が、昨日教えてくれた。お茶しておしゃべりしてる時に、どうして桜二から離れたくないのか…理路整然と話してくれた。」
じっと視線を動かさないで前を見据えたまま、桜二が言った。
「そうか…自分の事を、言ったのか…」
桜二…あんたは、過保護にシロを守る。
それは母親の様な慈愛なの?それとも、狂ったような独占欲なの?
「たまに見せる表情に、情緒不安定さは感じてた。あんたにベタベタする姿にも異常なものを感じてた。でも、話を聞いたら納得した。あの子は、ぶっ壊れてるんだね?それで…あんたはどうするつもりなの?」
助手席に座ったあたしをチラリとみると、鼻で笑って言った。
「関係ないだろ?」
ふふ、そう…こういう男なんだ…
こいつは何も変わってない。クズ男だ。
でも、あの子の前だと…おかしい位に変わる。
もしかしたら、ぶっ壊れたあの子と一緒に…狂って行ってるのかな。
心配なんてしないし、干渉なんてしない。
元々破滅型だったこの男が、どうなろうと知ったこっちゃない。
ただ、勇吾だけが気がかりである事は、確かなんだ…
昔から気が合った。まるで自分を見ている様に、彼の事が分かった…
そんな勇吾が分からなくなった。
好きとか…恋愛とか、そんな感情じゃない。あたしはゴリゴリのレズビアンだ。
でも、まるで双子のように分かり合えていた勇吾の気持ちが分からなくなった事に、そこはかとない不安を感じる。
「勇吾は、シロの事が好きみたい。桜二、シロを取られちゃうかもよ?」
かまをかける様にそう言って、運転席の桜二を見つめる。
シロを繋いでよ。
あの子が勇吾を狂わせないように…あの子の首輪にリードを付けて、自分の周りだけを歩かせてよ…。
あいつはずる賢くて、先見の明があって、ダンスでも、演出でも、仕事でも、群を抜いたセンスを持ってる。誰よりも情熱的で、誰よりも冷めた視点を持ってる。あたしは、勇吾のそういう所が気に入ってるんだ…
だらしなく鼻の下を伸ばして、シロの周りをよだれを垂らして徘徊する犬みたいなやつ…勇吾じゃない。
「シロは勇吾を何とも思ってない。ただの凄い人だとしか思ってないさ…」
桜二はそう言ってハンドルを切ると、あたしの方を見て言った。
「あの子は何もしてない。」
それはまるで、母親が“うちの子は悪くない”って言っている様な…妄信的な圧。
「まぁね…シロはそうかもしれないけど…それでも…」
わざと大きなため息をついて、息を吐き出すと呆れた顔をして言ってやった。
「…シロ君を繋いでよ?」
「はは…!」
桜二はそう言って笑うと、込み上げてくる笑いを堪えるみたいに、体を屈めた。
何がそんなに面白かったのか、桜二はひとしきり笑うとあたしを見て言った。
「犬が、飼い主を繋ぐ事なんて…出来ないだろ?あはは…!」
あぁ…
あの子からそんな雰囲気なんて感じなかった。
それはあたしが女だからなのか、それとも彼の魅力にハマっていないからなのか…
シロはどうやら…女王様の様だ。
この男をこんな風に変えるだけの女王様…
最悪な生い立ちが彼をそうさせたのか。いや…お兄さんの話を聞くと、そうでもない。彼はきっと、生まれた時から女王様なんだ。
男を傅かせて、世話をしてもらって、代わりに傍に居させてやる…
彼の傍に居る事に喜んで、男はもっと彼に従順になっていく。
…敵わないね。
「ふ~ん、じゃあ…桜二がシロの周りに纏わりついて、あの子が勇吾の方に来ない様にしてよ。」
あたしがそう言うと、桜二は目の色を変えて言った。
「…シロは勇吾の方になんて行かない。あいつがシロに付き纏ってるんだ。もし、お前に出来るなら、あいつの首に首輪でも付けてどこかへ連れて行ってくれよ。躾がなっていないクソ犬に辟易してるんだ。」
「はは…無理だね。」
苛ついてる。
桜二は勇吾に苛ついてる…
表情なんて、そもそもそんなに変わらないこの男が、明らかに目の奥に怒りを湛えて…そう言った。
凶暴な桜二が怒ってる…
勇吾…殺されちゃうよ?もうシロにちょっかいをかける事、止めた方が良いよ。
彼の女王様に、これ以上近づいたら…ダメだ。
ホテルまで送ってもらって、車が立ち去るのを見送る。
「あたしにもあれくらいの魅力があったら、もっと女の子にモテる様になるのかな…?いや…あんな不健全なモテ方…したくないわ。…ふふ。」
ポツリとそう呟いて、自分の部屋へと戻る。
準備も滞りなく終わって、そろそろ本格的に仕事を始める調整が付いた。
仕事が始まれば、勇吾だって、少しはシロの事から離れるだろう。
あたしたちは気楽で、自由で、干渉しない…昔からの友達。
いいや、どちらかというと…姉弟。
勇吾が心配なのは、好きだからじゃない。
#シロ
新宿のダンススタジオの前、日中の日差しを避けてフードを被ると、スタジオから出て来た陽介先生を見つけて声を掛けた。
「オレ…落ちちゃった!」
「え~~~!」
陽介先生はオレに気が付いてそう言うと、走って近づいて、そのまま持ち上げてクルクル回した。
ギュッと抱きしめると、陽介先生のニット帽をずらして、天パを見て笑った。
「なぁんだ…ダメだったか。シロよりも踊れる人がいたの?」
そう言ってオレの顔を覗き込んで来るから、オレは俯いて黙った。
コネだなんて…言うのは、負け犬の遠吠えみたいで、嫌だった。
「ねぇ、陽介先生?KPOPアイドルのコンサート、今度あるんだよ?一緒に行かない?オレはファンクラブの会員だからね、先にチケットを取る事が出来るんだよ?」
オレはそう言って話題を変えると、熟知しすぎた情報を彼と共有する。
「だから、多分このホテルに泊まるって…ファンの間では噂なんだ。でもね、行ったらダメだよ?そういう事をするのは“サセン”って言って、過激なテロリストファン認定されるんだ。」
「行かないよ。行くならシロの家に行く。シロの“サセン”になる。」
ふふ…!おっかしい。
白いガードレールに腰かける陽介先生に、向かい合って話をする。彼はオレが外したニット帽を手に持って、グシャグシャの髪を手で直してる。
「こうしたら?」
オレは彼の髪を撫でてふわふわになる様に指でつまんで立ち上げる。
陽介先生はにっこりと笑ってオレを見つめると言った。
「シロ…俺、今度、結婚するんだ。」
え…
彼の髪を摘まんだまま固まって、口を開いたまま、彼を見つめて放心する。
「この前の彼女が妊娠してさ…俺、今度、パパになるんだよ。シロ?子供の名前一緒に考えてよ。」
言葉を失って、陽介先生の穏やかな顔を見ながら首を傾げる。
避妊しろよ…
まず初めにそう思った。そして次には、こう思った…
その赤ちゃん…要る子なの…?
彼は穏やかな表情のままオレに微笑んで話し続ける。
「シロ。結婚式に来てよ?そして、俺の為に人生最後のポールダンスを踊って見せてよ。シロのが良いんだ。シロのダンスが見たい。」
「嫌だ。」
「へへ?なぁんで?」
フニャッと笑ってオレに首を傾げる陽介先生に…オレは言った。
「陽介先生…その赤ちゃん。要るの?」
そんなストレート過ぎる言葉に、陽介先生の表情から笑顔が消えた。
不快感を露わにして黙ったまま、オレを見つめる。その目の奥には、明らかな憤りを感じた。
「…何、言ってるの?」
「要らない子なら…おろしてよ。」
自分がそうだった…要らない子だと言われて育った。母親に憎まれながら育った。
誰も助けてくれなかった…
兄ちゃんだけ、兄ちゃんしか、オレの事を助けてくれなかった…
要らない子供を産んで、可哀想な暮らしをさせるくらいなら…産まれる前に殺してあげた方が…優しいじゃないか。
オレは…そうして欲しかった…
陽介先生はガードレールから腰を上げて立ち上がると、オレを見下ろして言った。
「シロ…最低だな。見損なったよ…」
それは分かりやすい、決別の言葉。
オレはただ自分の手を固く握ったまま、陽介先生の軽蔑の視線を受けた。
彼は踵を返すと、オレを残して立ち去った…
慌てて目で追うけど、彼はオレに背中を向けたまま、雑踏の中へと行ってしまった。
あぁ…何て事だろう…
確かに…オレは最低なんだ。
でも…
あの行きずりの女と結婚して幸せになるの…?
あの女との赤ちゃんを、心から愛せるの…?
足枷のように感じて、疎ましく思って、酷い事をする位なら…産まれる前に存在を消してあげた方が…よっぽど良いのに…
命は生まれたら、死ぬまで、生きていくしか無いんだ…
だから、確実に愛情を与えられる人しか…命は作ってはいけないんだ。
そうじゃないと…オレの様な不気味な生き物が育って、周りを腐らせて行く…
下を向いてタイルの歩道を眺める。
どれも同じ様なタイルの溝に、一か所…ガムがこびりついて、美しい均等を崩す。
まるで…汚いオレみたいだ…
嬉しそうに話した陽介先生に、オレは酷い事を言って、傷つけて、嫌われた…
きっと、もう二度とオレとは会いたくないって…思ったかもしれない。
見損なった…
そう言った陽介先生の言葉が、表情が、胸に突き刺さって、痛い。
立ち尽くす体を動かして、彼が歩いて消えた雑踏へと歩みを進める。
下を向いたまま、背中を丸めて、フードを深く被って…自分の足元に落ちる影を見つめて歩き続ける。
陽介先生はオレの父親や、母親とは違う。
底抜けに明るくて…優しくて、朗らかで、陽気だ。
…あの人なら、要らない子でも、優しく育ててくれるかもしれない。
愛情を注いで、毎日笑って、毎日幸せを感じるような…そんな生活を送らせてくれるかもしれない。
そうだよ…そうだ。
彼はオレの親とは違う。根本的に人間の出来が違うんだ。
なのに、あんな事を言ってしまった…
感情的になりすぎて…考えが、足りなかった。
ふと、視線の先に知ってる靴が見えて、オレはフード越しに顔を上げて見上げる。
「あ…陽介先生…」
そこに立っていたのは立ち去ったはずの陽介先生だった。
彼は眉を下げて、オレをただ、じっと見下ろして言った。
「何で?」
「…え」
「シロ…何であんな事を言ったの?」
それは…
オレは視線を彼から外すと、顔を伏せて言った。
「…言いたくない。」
「シロ、俺はお前の事を嫌いになりたくない。理由があるなら、教えてくれよ。」
そう言って陽介先生はオレの手を掴むと、自分の方へと引き寄せる。
オレは彼に顔を背けたままジッと固まって動かなくなる。
あんな過去を知られたくない。
明るくて朗らかな彼に…オレのドロドロとした悲惨な過去を…知られたくない。
普通に話して、普通に笑って、普通に接する…そんな相手を失いたくない。
「シロ…お願いだ。話してよ。」
そう言って、オレの頬を掴むと自分の方へと向けた。
彼の垂れ目がいつもよりも垂れて、目の奥の瞳が潤む…
そんな真摯な瞳を見て…オレは観念して視線を外すと、陽介先生に言った。
「要らない子って言われて育った…。毎日、死ねって言われた…。暴力を振るわれて、いつも部屋の隅に居た。逃げ出したくても怖くて出来なかった。父親は生まれた時から居ない。顔すら知らないけど、どれほどクズかは息を吐く度に聞かされた。」
オレはそう言って陽介先生を見つめると言った。
「オレは、生まれたらいけない子だった…」
彼の瞳が歪んで、ボロボロと涙が落ちてオレの顔に零れて来る。
「…同情はしないで、いやなんだ。可哀そうだと…思われたくない。」
陽介先生はオレを強く抱きしめると、背中を何度も撫でる。
昼間の新宿…人の流れの絶えない歩道の隅で、オレと彼だけ時間が止まった様に、静かに、動きが止まった。
「ねぇ…あの女の事、好きなの?」
「シロ…」
「好きじゃない人と結婚して…幸せになれるの?」
淡々と、矢継ぎ早に、陽介先生に質問をぶつけていく。まるで彼を尋問する様に…。おなかの赤ちゃんの代わりに、彼の覚悟を確かめる様に…
「赤ちゃん…大切に出来るの?」
「大切にするよ…」
そう即答した彼の声に、心がジンと熱くなって…口元が緩む。
そうだ…この人はこういう人。
優しくて、あったかい、朗らかで、太陽のように明るくて陽気。この人なら…どんな命も、愛情を込めて、育てられるのかもしれない。
例え、女と別れたとしても…彼なら、赤ちゃんを気遣って、愛し続けてくれるかもしれない。
いや…きっとそうだ。
だから…オレは彼が、好きなんだ。
「そうか…良かった…」
そう言ってオレを抱きしめる陽介先生をギュッと、抱きしめ返した。
この人が…オレの兄ちゃんだったら…。
オレは違ったのかな。
もっとまともで、明るくて、陽気なオレになったのかな…
「陽介先生が…兄ちゃんだったら良かったのに…」
そう言ったオレの髪を撫でると、彼は笑いながら言った。
「シロが望むなら、いつでも兄ちゃんになってあげるよ?なんせ俺は3人兄弟の長男だ…。今更1人弟が増えたって…変わらない。」
ふふ…!
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