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第12話

勇吾と一緒に控室を出ると、階段を上ってエントランスの支配人を見る。 彼はまるで責めてるみたいにジト目でオレを見て、フン!と顔を反らす。 「何だよ…。時間が思ったよりも延びちゃったけど、盛り上がっただろ?」 オレはそう言って支配人に抗議する。 実際そうだ。お客は初めて本格的に2人で踊るポールダンスを見て、歓声を上げて大喜びしていた。チップだっていつもよりも高額だったんだ。 なのに、目の前の支配人は浮かない顔をしてオレをジト目で見つめて来る。 「なぁにが嫌なの~?」 オレがそう言うと、チラッと勇吾を見て、またオレをジト目で見つめて来る。 支配人はオレが勇吾とイチャついてるのが、嫌なの? 「彼氏が可哀想だ…」 ポツリとそう言われて、カッとなって怒る。 「うるさいな!何にもないよっ!仲が良いだけだもん!」 フン!と顔を振ると、勇吾を引き連れて店内へと戻った。 分かってるよ…オレが桜二に内緒で彼を好きになってる事くらい、分かってるよ! それが世間一般では褒められたものじゃないって事くらい、分かってる。 だから、内緒にするんだ… 「シロ~!隣の美形の彼も、凄かったね?はい、ど~ぞ?」 そう言って常連客がオレに口渡しでチップを寄越すから、オレはそっと口で迎えに行く。 「シロ…」 勇吾がそう言ってオレの腰に手をあてるから、そっとチップを指で挟むと、にっこりと笑顔で受け取った。 「…落ちたの怪我しなかったの?」 「ふふ…大丈夫。手が滑ったんだ。言うだろ?猿も木から落ちるって…!」 「そう。心配したよ。無事で良かった…」 常連客達はそう言って、オレにいつもよりも沢山のチップをくれた。 みんな心配したんだ…。やっぱり、次のステージでポールを踊って良かった。 あのまま早退なんてしていたら、名誉を挽回出来なかったかもしれない… こういう事の選択はいつも紙一重。 あの時、止めておけばよかった…そう後悔する事だって…ザラだ。 今回は勇吾がいた事や、彼が助けてくれた事、オレがポールを怖がらなかった事、全てが偶然にも良い方向へと一致して、上手く行っただけなんだ。 「オレはね、身軽だからあれくらいじゃ怪我なんてしないの。ふふっ!でも、みんな優しくしてくれるから…明日も落ちてみようかな…?ふふっ!」 そんな軽口を聞いて爆笑を起こすと、勇吾に連れられてカウンター席まで向かった。 「シロ~!落ちたな~?でも、見事なリカバリーだった!頑張ったじゃん。」 夏子さんがそう言ってギュッとオレを抱きしめて褒めてくれる。 あぁ…おっぱいが頬にあたってる。ラッキーだ… 両手に抱えたチップの山をカウンターに置くと、勇吾の分も回収して山にする。 「出た…銭ゲバタイムだ…」 そう言って夏子さんは苦い顔をすると、オレにビールを奢って、はい。と渡した。 「あんた達、息がぴったり合ってたね。ここに桜二が居なくて良かったよ…」 そう呟いた夏子さんの言葉を聞こえない振りして、一万円分ずつチップをまとめていくと、勇吾がオレの隣に座って言った。 「シロが途中で勃起しちゃったんだ…ふふっ。可愛いだろ?」 「やめて!」 「見えた~。ここからでも良く見えた~。」 「やだ!」 意地悪な大人2人に囲まれて、じわじわと口撃される。 「あれをこの子が1人で全部考えたんだぜ?凄いだろ?」 チップを数えるオレを挟んで、勇吾が夏子さんにオレを自慢すると、夏子さんはハラリと一枚高額のチップをオレに渡して言った。 「ブラボー!シロ。」 ふふ…! 「まいど!」 オレはそう言って夏子さんのチップを受け取ると、テーブルにまとめて並べていく。 「あれはジキルとハイドなんだって…可愛いだろ?2人で踊るから、それを意識したテーマにしたんだって…可愛いだろ?」 耳にこそばゆい勇吾の賛辞の言葉を聞きながら、ニヤつく口元を堪えてチップを並べ終わると、指で数えて計算する。 「今日はぼちぼち稼いだ!これで桜二に眼鏡ケースを買ってあげよう。」 「勇ちゃんには?何を買ってくれるの?」 オレの肩に顔を乗せて勇吾が聞いて来る。 「ふふ…勇吾は買って貰わなくても良いんだ。自分で買えるじゃないか。桜二はケチくそだから、眼鏡ケースを持っていないんだ。だからオレが買ってあげるんだよ?」 オレがそう言うと、夏子さんがオレの顔を覗き込んで聞いて来た。 「シロ?ポール乗るの…怖くなかった?」 怖い? 怖くないよ。全くね。 オレは踊れなくなる方がもっと怖いんだ。 それに 「ふふ…全然。オレには勇吾が付いてる。」 オレはそう言うと、夏子さんのビールに自分のビールをコツンとぶつけて笑った。 「なぁんだ!勇ちゃんにも何か買ってよ!」 そう言ってふざけてごねる勇吾を無視して、ポケットにチップをしまい込むと、ビールを手に持って席を立った。 「シロ、まだここに居ろよ。」 すぐに彼がそう言ってオレを止めるから、オレは彼の髪を撫でて言った。 「常連さんにご挨拶に行くんだ。またね、勇吾…」 そう言うと、夏子さんに手を振ってカウンター席を後にする。 寂しそうにオレを見送る彼を放ったらかしにして、いつもの様に仕事をする。 ベタベタなんかしない。 夏子さんは勘が鋭いんだ。 桜二に知られたくない…こんな気の多いオレを知られたくない。 桜二の友達を好きになったなんて…知られたくないんだ。 「桜二?今日は大変だったんだよ?楓の首にネクタイが絡まって動けなくなっちゃったんだ…。オレが助けに行ったんだけどさ、楓の首が締まっているのを見たら、急に発作が起きたんだ。それで、ポールからドーンって、落ちちゃった。」 オレがそう話すと、桜二は目を丸くして驚いて言った。 「落ちたって?ケガはしなかったの?楓君は、大丈夫だったの?」 ベッドの中、もうすぐ眠るって時に、オレが彼に話した内容は、寝入りには不適切なエキサイティングな話だった。 「勇吾が楓を助けてくれて、オレの事もすぐに運んで、介抱してくれた。」 オレがそう言うと、桜二は眉間をピクリと動かして言った。 「ふぅん…あいつ、店に来たんだね。」 オレの髪を撫でる手も、オレの腰を掴む手もピクリとも動いていないのに、何となく…彼の手に力がこもった気がした。 オレは桜二の胸に置いた顔を持ち上げると、彼を見つめて言った。 「夏子さんと一緒に来て、楓が早退して空いたステージを、オレと一緒に踊ってくれた。ポールから落ちても大丈夫なように、ずっと下で見ててくれたんだ。だから、オレは安心してまたポールに上れた。彼がいてくれて助かったよ?」 変に隠して、誤解させるくらいなら…話してしまった方が良い。 そう思って今日の事を桜二に話したけど、彼は明らかに気分が悪くなったみたいだった。眉間にしわが寄って、オレを見つめる目に少しだけ憤りを感じて、焦った。 「桜二…妬いてるの?怖いのは嫌だ…」 オレはそう言って彼の胸を撫でて、機嫌を取ろうとする。 「シロ…ごめんね。勇吾が話したんだ。シロをイギリスに誘ったって…。それが嫌で堪らないんだよ。」 桜二はそう言ってオレを抱きしめると、悲しそうな顔をして言った。 「勇吾に付いて行かないでよ…俺の傍から離れないでよ…」 桜二… オレは彼の体をギュッと抱きしめて言った。 「行かないよ?そんなの行く訳ないじゃん…どうして、そんな風に思うんだよ。」 勇吾が店に来ただけでこんなに嫌がるのに…オレが彼に惹かれているなんて知ったら…どれほど嫌がるんだろうか… オレの事を嫌いになってしまうかもしれない… そう思ったら、怖くて、体の奥が冷たくなって行った。 「桜二…約束するよ?イギリスに行ったりしない…ね?指切りするよ?」 オレはそう言うと、彼の手を掴んで、自分の小指を彼の小指に絡めて言った。 「指切りげんまん、嘘ついたら、針千本の~ます!指切った!」 オレは桜二に嘘ついてる。 しかも、針を千本も飲む気なんて無い…最低だな。 まるで、兄ちゃんと同じだ。 女の人の事を黙っていた、兄ちゃんと同じじゃないか… 自分の唇が震えるのを感じて、慌てて桜二の胸に顔を沈める。 オレは桜二を騙して、勇吾を好きになって、彼に抱かれて、喜んだ。 最低な奴だ…。 こんな事バレたら、桜二はオレに幻滅するかもしれない。 オレから離れて行ってしまうかもしれない… 「桜二…桜二…」 彼の体に抱きついて、必死にしがみ付くみたいに服を掴んだ。 「シロ…ごめんね。怖い顔しないよ…」 そう言ってオレを撫でて抱きしめる彼に、罪悪感と…背徳感を感じて、堪らなく怖くなった。 どうしよう…勇吾。 こんな怖くて苦しいなら…もうお前には、近づかない方が良いのかもしれない… それでも、彼の事を思い出すと胸が熱くなる。 あの視線…あの甘い声…そして、一緒に踊った時の、あの高揚感が、忘れられない。 阿吽の呼吸の様にさえ感じた、息の合ったステージが忘れられない。 桜二とはポールの上で追いかけっこなんて出来ない。 桜二とは一緒に踊ったり、アクロバティックな事なんて出来ない。 桜二とはバレエの一節を踊る事なんて出来ない。 彼は王子様だ。まるで…白馬の王子様。 ときめいて、恋をして、心を奪われてしまったんだ… 「兄ちゃん…どこに行くの?」 寝たふりをしたオレを置いて、出かける準備を始めた兄ちゃんに、ベッドから体を起こして、そう聞くと、兄ちゃんは驚いた顔をして、たじろいだ。 「シロ、ちょっと…用があって…」 「こんな夜に?…どこに行くの?誰に会うの?何をするの?」 そう言ってオレはベッドから起き上がって兄ちゃんの傍に行った。 兄ちゃんは顔を背けると、オレの顔も見ないで支度を急ぐ。 「兄ちゃん!」 兄ちゃんの腕にしがみ付いて、離さないで、自分の体に抱き寄せる。 「シロ…兄ちゃん、ちょっと用があるんだよ。」 「嘘だ!」 オレをまた置いて行く気なんでしょ? オレをひとりぼっちにして…誰と会ってるの?何をしてるの? 「酷い…酷いよぉ…兄ちゃんがシロを邪魔にする…シロの事が要らないってする…酷いよ…酷いよぉ…」 オレにはそうする事しか出来なかった。 1人になりたくなくて、兄ちゃんがオレに隠れて誰かと会う事が許せなくて、そう言って泣いて縋ることしか出来なかった… 今なら違うの? 今だって、同じ様に泣いて縋る事しか出来ないんだろ… 「シロ…ごめんね。もう行かない…行かないよ。用は…また今度にするよ…」 「嫌だ…嫌だぁ…」 兄ちゃんの体を押し退けて、壁に掛けられた兄ちゃんのスーツに抱きついて、一緒にベッドに潜っていく。 兄ちゃんの匂いを嗅ぎながら、悲しい気持ちを紛らわせる様にオナニーする。 自分のモノを握って乱暴に扱いてオナニーすると、悲しそうにすすり泣いた兄ちゃんの泣き声が布団の外から聞こえた。 「シロ…シロ、ごめん…もう行かないから、だからそんな事しなくて良いんだ…そんな事…しないで良いんだ。ほら、兄ちゃんの所においで…」 兄ちゃんはオレを置いて、オレをひとりぼっちにして、誰かの所に行くんだ…そして、その人とエッチをする。オレじゃなくて…その人とエッチをする。 オレは兄ちゃんの弟で…恋人じゃない。 だから、兄ちゃんは、オレじゃない人とエッチをするんだ。 そして、その人が兄ちゃんの恋人で、オレは兄ちゃんの弟なんだ。 「うわぁん…うわぁあん…愛してるって言ったじゃないか…嘘つき…嘘つき…。ただエッチがしたかっただけなの?だからシロを使ったの?それじゃあ…兄ちゃんはあいつらと同じじゃないか…。愛してもないのに、抱きたいから抱いたなら…良いちゃんはあいつらと同じだ…同じだ!」 「違うよ…シロ、違う。兄ちゃんはシロしか愛せないよ…。泣かないで…泣かないで…。違うんだ…違うんだよ…。そんな風に言わないで…もう行かないから…」 もし、たとえ、それが本当だとしても。 兄ちゃんはオレの知らない所で、女と、子供を作ったんだ。 オレは勇吾と何を作るの? 桜二を騙して、桜二に隠れて、コソコソ会って…セックスして。 オレは勇吾と何を作るの? 「シロ…起きて?今日、刑事さんと待ち合わせしているでしょ?10:00に行かなきゃダメだから、もう起きて。」 体を揺すられて瞼を開くと、目の前に桜二の顔が見えた。手を伸ばして彼の落ちて来た前髪を指先ですくうと、にっこりと笑って言った。 「ふふ…売れない作曲家みたい…」 オレの言葉に、彼はにっこりと微笑むと、オレの体を抱きしめて持ち上げた。 そのままベッドから抱き起してリビングに連れて行く。 桜二…桜二があんな事を知ったら、昔のオレみたいに悲しい思いをするんだろ。 そんなの…可哀想だ。 「桜二…」 彼の首に顔を埋めて甘える。 知られたくない… 彼の気付かぬうちに、勇吾とそういう事をするのを止めたら良い。そうすれば、誰も何も知らぬうちに、元通りに戻るんだ。そうだろ? そうだ。そうしよう… こんな気持ちを抱えているのは辛すぎる。 だから、もう勇吾とは…そんな事するのを止めよう… 彼がどれほど魅力的だとしても、オレは、桜二を傷付けたくない。 やる前に気付くべきだった…こんな事。普通はやる前に気付くのに…。 オレは馬鹿でビッチだから…やってから気付いてしまったんだ。 だから、もう…こんな事、するのも、思うのも、止めよう… 「卵焼きは~?」 ダイニングテーブルに座ってあくびをしながらそう聞くと、桜二は首を振って答えた。 「あぁ、卵を切らしてたんだ。ごめんね?」 えぇ…?! オレの朝は卵焼きから始まるのに…そんな事、分かってるものだと思っていたよ? ムッとすると、一言文句を言おうと桜二に顔を向けるも…すぐにやめた。 「良いよ…別に…」 ポツリとそう言って項垂れる。 だって…オレにそんな事、怒る権利ないよ… 桜二はそんなオレを見ながら、朝の支度を着々と進めていく。 朝ご飯を済ませてソファに座っていると、桜二がオレの着替えを持って来た。一番上に置かれた靴下を見て、オレは眉をひそめて言った。 「あ~、この靴下…」 「嫌だった?違うの持ってこようか?」 オレの顔を覗き込んで桜二がそう聞いて来る。 良いよ…オレはお前に酷い事してるもん…そんな、わがまま言えないもん… 「良いよ…別に…」 シュンと眉を下げてそう言うと、桜二はオレの顔を渋い顔で見つめて言った。 「…おかしい。」 え? オレは目を丸くして桜二を見つめ返す。 おかしい? 何が? 何がおかしいの?! 「な、な、なにがおかしいんだよ…。おかしいっていう方がおかしいんだよ?」 オレはしどろもどろになってそう言うと、一目散に着替えを済ませる。 自分で出来る事の限りを尽くして、言われる前にすべてを終える。 歯磨きも、洗顔も、身だしなみを整える事も、脱いだ服をきちんと畳む事も、寝ていたベッドを直す事だって…そつなくこなした。 そして、オレを見つめる桜二に胸を張って言った。 「さぁ!行こうじゃないか!」 彼はオレをジト目で見つめながら鍵を手に取ると、首を傾げて言った。 「…おかしい。」 おかしくなんて無いよ? 怪訝そうにオレを見つめる桜二の手を繋いで、車へ向かう。 「オレはね、自分で扉を開ける事も出来るんだ!」 そう言って助手席のドアを開くと、一目散に乗って、シートベルトを付けた。 「シロ?俺に、何か…隠し事でもしてるの?」 突然桜二がそう言って、サイドブレーキのレバーを掴んだままオレを見つめる。 ドキッと胸が跳ねて、オレを見つめる彼を見つめると、強張った口で言った。 「な、な、何も…?」 明らかに取り繕えていないけど、そんな事気にもしないのか…桜二はオレの唇にチュッとキスをすると、車を出した。 動揺しすぎだ… これでは、簡単に後ろめたい事をしていると、バレてしまいそうだ。 でも、彼に尋ねられたら…最悪の事態を考えて、怖くて、動揺してしまうんだ。 「霞が関に行って…田中刑事と落ち合って、家庭裁判所で戸籍の申請をする。その後、銀座の今半に行こう?シロが奢ってくれるんだろ?楽しみだな…何を食べようかな?」 そう言って微笑む桜二の顔を見つめる。 何を食べようって…今半に行ったらすき焼きしか無いだろ?馬鹿なんだ。 「今半はすき焼きだよ?桜二はそんな事も知らないの?特選和牛だよ?オレはね、依冬に連れて行って貰ったんだ。ケチくその桜二はきっと食べた事が無い、とっても美味しいすき焼きなんだよ?オレがね、食べさせてあげる~。んふふ。」 オレはそう言って、桜二の腕に甘えると、スリスリと頬ずりをした。彼はそんなオレを見つめてにっこりと微笑むと、細かい部分を修正して言い直した。 「ふふ…俺はケチくそじゃないし今半に何度も行った事があるけど、今日はシロがご馳走してくれるから楽しみなんだよ…?」 まったく!そんな事を言っても、ダメなんだ! 9:45 霞が関のパーキングに車を停めさせて、歩いて家庭裁判所まで向かう。 見晴らしの良い開けた歩道に、オレはご機嫌になって、クルクルと回転しながら進むと、ピタッと止まって桜二に手を差し伸べて言った。 「今のはピケ・ターンだよ?」 「ピケ・ターン。」 桜二はそう言って復唱すると、差し伸べた手をギュッと握った。 可愛い… 「ふふっ!見て?」 オレはそう言って笑うと、クルクルと回転して、ポーズをとって桜二に手を伸ばす。 「今のは、シェネ・ターンだよ?」 「シェネ・ターン。」 桜二はまたそう言って復唱すると、オレの手をギュッと握った。 …あぁ、可愛い。 「じゃあ、クイズだ。これはどっちのターンでしょうか?」 悪戯っぽくそう笑うと、オレは桜二の目の前をフェッテ・ターンして回って見せた。 「ふふ…知ってる。」 桜二はそう言って笑うと、オレの手を上に掴んで一緒に歩き始める。 知ってるって? まさか。 知ってる訳無いよ。 だって、桜二はバレエなんて知らないじゃないか! …この、嘘つきめ! 「嘘だ!知らないだろ?」 オレはそう言ってケラケラ笑うと、桜二の腰を掴んで横に振った。 嘘を吐いた制裁だ!みっともない動きをさせてやるっ! 「あはは!本当に知ってる。今のは…フェッテ・ターンだ。」 え? オレは驚いて、口を開いたまま桜二の顔を見つめて固まった。 そして気の抜けたような声を出して、彼に尋ねる。 「当たりだ…何で?何で知ってるの…?」 オレがそう言って首を傾げると、彼はニヤリと笑って言った。 「前、見せて貰ったからね。覚えたんだ。」 桜二…!! オレは感動して目を潤ませる。 それは冗談とか、演技とかじゃなくて…本当に、嬉しかったんだ。 興味が無い筈のバレエのターンの名前を覚えていたなんて…ときめくだろ? 「桜二?桜二は、イケメン…」 ポツリとそう言って、彼の手をそっと握ると、桜二はクスクス笑って言った。 「もっと他の事も覚えてるよ?例えば、シロが粒々のオレンジジュースが嫌な事も覚えているし、シロがウインナーを切れない事も覚えている。初めて会った時、ワインを飲んでから吐くと、赤いゲロが出るって言った事も覚えているし、俺が書いた”ゲイカップル”に吹き出して笑った事も覚えてる。」 あはは!! 俺は桜二の腕に掴まって大笑いすると、彼の顔を見上げて言った。 「凄い!桜二は凄い!あはは!大好きだ!」 なぁんだ、あの時、桜二は知っていたんだ。 オレが何を見て吹き出して笑ったのか…知っていたんだ!うふふ! 本当に、この人は…可愛らしいんだ。 そんな事をしていると、目の前に大きなビルがそびえ立って見える。 「あそこが家庭裁判所だよ?あ…もう田中刑事は来ているみたいだね…」 桜二がそう言って、少しだけ足を速める。 まだ約束の時間前なのに、家庭裁判所の入り口にぼんやりと立っている田中刑事を見つける。その姿に口元が緩んで笑顔になった。 「おじちゃ~ん!」 オレは彼の事をそう呼んで、両手を上げながら駆け寄ると、思いきり飛びついた。 「ほほ~っ!!」 強い衝撃を受けて体をよろめかせながらも、田中刑事は転ぶこと無く、オレを抱きとめた。その体幹と足腰に恐れ入ると、妙におかしくなって吹き出して笑いだす。 「あ~はっはっは!凄いじゃないか!その年で、こんな衝撃を耐えられるなんて、凄いじゃないか!あ~はっはっは!」 「腰が半分抜けたよ?でも、シロ君がおじちゃんを“おじちゃん”て呼んでくれたから、絶対に転ばない様にした。偉いだろ?ほほ…!」 田中刑事はそう言って笑うと、嬉しそうに目じりを下げてオレを見つめて言った。 「この前はごめんね…ショックだったろう?」 優しい瞳でオレを見つめてそう言うと、ウルッと潤ませながら笑う。 お父さん… この人はまるでそんな存在。 兄ちゃんも…きっと、そう思っていた。 だから、彼に沢山話して、沢山相談して、沢山、頼ったんだ… そして、彼もそれに応えてくれた… 他人の子供たちを…必死に、守ろうとしてくれたんだ。 「…うん。でも、薄々気づいていたんだ…。兄ちゃんがオレを置いてどこかに行く時、誰かに会ってるんだって…気付いていた。でも、あの事は全く知らなかった。だから、驚いたって言うよりも、怖かった…。」 兄ちゃんがオレの知らない所でお父さんになっていた事も、自分の娘を殺したという事も… 「当時は…蒼佑君のカウンセリングの内容を考慮して…心神耗弱として不起訴になったんだよ…。だから君が知ることは無かったんだ…」 そうか… オレはコクリと小さく頷くと、袖口で涙を拭った。そして、田中刑事と手を繋ぎながら家庭裁判所の中へと入って行く。 タイル張りの廊下を見つめながら、年季の入ったタイルと、そうでないタイルを踏み分けて歩いて行く。 「ねえ…おじちゃん?その人は…その後、どうなったの?」 オレは田中刑事の顔を見ないで、床を見つめたままそう尋ねた。 あの時から…この話を聞いた時から、ずっと気になっていた事。 その女の人は…今、何をしているのか… 兄ちゃんの拠り所になって、オレと兄ちゃんを引き裂いて、子供まで作った女の人。 オレは彼女が憎くて堪らない。 憎くて…堪らないんだ。 「…事件の後、蒼佑君の自殺を聞いて…すぐに、彼女も命を絶ったよ…」 ムカつく… 「…そう。何がしたかったんだろうね…オレと兄ちゃんを引き裂いて…めちゃくちゃにしやがった…クソ女。ムカつくよ。死にたきゃ1人で死ねば良かったんだ…。」 抑揚のない声でそう言うと、後ろの桜二を振り返って言った。 「桜二もそう思うだろ…」 オレの目から涙がドロドロと流れて行く。 それは悔し涙。 自分の手で殺してやりたかった… 「そうだね…俺も、そう思うよ。いい迷惑だ…。」 桜二がそう言ってオレを強く抱きしめる。 酷い…酷いよ…。 こんなの…最悪だ。 兄ちゃんの自殺は、オレのせいだと思っていた。でも、違った。 全て…その女のせいだったんだ…! クソったれ! 桜二に抱きついて気持ちを落ち着かせると、オレは考えない様に首を振って田中刑事を見た。彼は悲しそうに目を細めると、オレに手を伸ばして言った。 「さぁ、戸籍の申請をしよう。おじちゃんとこっちにおいで…」 田中刑事に連れられて、オレは淡々と戸籍の申請を済ませる。 産まれた時から今まで、この世に存在しなかったオレが…戸籍を申請して、そのまま受理されれば、“結城”という苗字を得る事になった。 依冬と…桜二と…同じ苗字。 「本当の3兄弟みたいだね?桜二、そう思わない?」 長椅子に並んで座って隣の桜二にそう言うと、彼はオレを見つめて優しく目を細めて言った。 「そうしたら、俺はシロの本当のお兄さんになるんだね…?」 え? あぁ…そうか…! ふふっ! 「確かに!その通りだね?」 オレは彼の腕に顔を付けてクスクス笑うと、足をばたつかせて喜んだ。 桜二がお兄ちゃんだ!そして、依冬は…オレの弟だ!ふふっ! 湊が居た場所に…オレが入って、偽物の…3兄弟が出来上がった。 「当時の資料と共に、おじちゃんも裁判官に証言するから、きっと受理される事となるよ。まぁ、今日はここまでだな。」 田中刑事はそう言って肩をすくめると、オレの手を握って出口へ向かう。 オレはすっかり、このおじちゃんが好きになった。優しくて、あったかい、綺麗な心の人間だから…彼の事を好きになった。 「ねぇ、おじちゃん?オレ達はこれから銀座の今半に行くんだ。オレの驕りなんだよ?良かったら、おじちゃんも一緒に行かない?いろいろなお礼をさせてよ。良いだろ?」 オレはそう言って田中刑事を振り返ると、首を傾げてランチに誘った。 「え…?」 田中刑事はそう言うと、固まってしまった。 表情も、体の動きも、ピタリと凍ったみたいに固まってしまったから、オレと桜二は顔を見合わせて首を傾げ合った。 「ねぇ…どうしたの?」 「良いの?おじちゃんも一緒に行っても良いの?しかも、お礼だなんて…ふふ!あの子が…あの時のあの子が…そんな事を、言ってくれるなんて…うっうう…うう…」 田中刑事はそう言ってオイオイと泣き始めてしまった。 そうか… 彼はオレの壮絶な時代を知っているし、その当時の死んだようなオレの事も知っている。兄ちゃんにべったりくっ付いて心を閉ざしてるオレも、今のオレも知ってる。唯一の人なんだ…。 それって…凄い事だし、この人は、オレにとって…とっても大事な人だ。 「行こう?ね?」 オレはそう言って田中刑事と腕を組むと、日比谷公園の中を銀座へと歩いて向かった。 「おじちゃんは、兄ちゃんと仲良しだったの?」 手を繋ぎながら田中刑事に尋ねると、彼はフニャッと目じりを下げて答えた。 「そうだね…頼りないし、力不足だったけど、蒼佑君はよく話してくれた。」 そうなんだ! オレは桜二の腕を引っ張り寄せると、田中刑事の顔を見て聞いた。 彼だったら分かってくれるかもしれない!って、そう思ったんだ。 「ねぇ、桜二って、兄ちゃんに似てると思わない?」 オレの言葉に、キョトンと目を点にすると、桜二を見て、にっこりと笑って言った。 「いや、似てない。…似てないよ。桜二さんは桜二さん。蒼佑君は蒼佑君だ。ただ、君を見る目が似てるんだ。」 そう言って桜二に微笑みかけると、ポンと肩を叩いて言った。 「君を見る目が、そっくりだ。俺はそう思った。」 オレを見る目がそっくり…? 桜二の顔を見上げて、彼の目を見つめてみると、彼はオレの目を見つめ返して、不思議そうに首を傾げる。 ふふ…!オレにはよく分からない! 「ねぇ!見て?」 オレはそう言うと、桜二の腕を離して広い公園をグランジュテして飛んで見せた。 「ほほ!凄いね。凄いジャンプだ。」 田中刑事はそう言って拍手をすると、ニコニコと目じりを下げて微笑んだ。 「ふふ…知ってる。それは、グランジュテだ。」 桜二は得意げにそう言うと、オレにどや顔をして見せた。 「桜二~!凄いじゃないか!どうして分かったの?お利口さんだ。」 彼の体に抱きついてキャッキャと喜ぶと、公園を抜けて先を進む田中刑事を慌てて追いかける。 なんであんなに足が速いんだ!?今まで隣に居たのに! 今半に行くのが楽しみなのか…それとも歩くスピードが速いのか、田中刑事はどんどん先を進んで歩いて行く。 「おじちゃん!そんなに急いだって、お店は無くならないよ?」 オレはそう言いながら、桜二と手を繋いで彼を追いかけた。 「はぁはぁ…こんなに良いお肉を…すき焼きにしても良いのかね…?」 田中刑事はそう言ってハァハァすると、大事そうにお肉をすき焼きにして食べていく。 こんなに犯罪が多いのに、刑事さんって儲からないのかな…? 「おじちゃんは家族はいないの?」 「いるよ?三下り半を突きつけられて…15年になる。仕事と家族とどっちが大事なのって奥さんが怒っちゃったんだ。息子と、娘がいる。どちらも家庭を持って、おじちゃんはお爺ちゃんになった。奥さんとも、何だかんだ…仲良くやってるよ?」 「ふふ。お爺ちゃんか…良いじゃないか。長生きしないとね。」 オレがそう言うと、田中刑事は、また、目をウルウルと潤ませ始めた。 「…うっうう…うう…」 何度目だろうか…彼はオレが何か言う度に、こうして泣き出してしまうんだ。 分かってるよ? これは極まって泣いてしまってるって…分かってる。 でもね、何度も続くと…だんだん面倒臭くなってくるんだ。 「もう良いよ!泣かないで、美味しいお肉を食べてよ!じゃないと、オレが食べちゃうよ?良いの?おじちゃんのお肉、食べちゃうよ?」 オレはそう言って田中刑事の鍋に箸を突っ込んで、お肉を探すようにかき混ぜた。 「ああ!だめだぁ~!」 ふふっ! 泣きながらお肉を食べる田中刑事を見て、大笑いする。 兄ちゃんと、この人と、こうやって…過ごせたら、どんなんだったんだろう…? そんな事を考えて隣の桜二を見上げると、彼はオレを見つめて目を細めて笑っていた。 あ… ふふ…こういう事なのかな… 兄ちゃんに似てる。 オレが笑うと、オレの笑顔を見て、嬉しそうに笑って。 オレが泣くと、オレの泣き顔を似て、悲しそうに泣く。 オレの表情を見て、オレの様子を気にして、一緒に泣いて、一緒に笑う。 そんな所が似てる。 初めて会った時もそうだ…オレを見つめる視線と、オレの様子を伺ったような雰囲気に、兄ちゃんを感じた。 「桜二?お肉ちょうだい?」 オレはそう言って、空になった自分のお皿を彼に差し出した。 「ふふ…仕方がないね…」 桜二はクスクス笑うと、オレのお皿にお肉を2枚くれた。 優しいんだ! 「おじちゃん、またね?」 ランチを済ませると、タクシーで帰る田中刑事を見送った。 極まって泣いてばかりの彼は、最後は笑顔で手を振ってくれた。 「ふふ…あの人はとっても良い人だ。オレのお父さんにした。」 隣の桜二にそう言って手を繋ぐと、彼は何も言わずにコクリと頷いて微笑んだ。 2人で手を繋いで、日比谷公園を来た道戻った。 遠くの音楽堂から、誰かが演奏する音楽が聞こえて耳を澄ませながら歩いて行く。 「桜二?上手だね?誰かがバイオリンを弾いてる…ふふ。」 オレがそう言って笑うと、桜二が池を指さして言った。 「シロ、見て?大きいカモがいる!」 ウケる…桜二、お前…そんな渋くて格好良い見た目なのに、カモに興奮するなよ… オレは彼を鼻で笑うと、指さされた方向を見て驚いた。 「うわ!本当だ!すっごいおっきいカモがいる!」 行こう?と言ってオレが手を引っ張ると、桜二はクスクス笑いながら付いて来る。 「あれは普通のカモじゃないよ…きっと外来種のカモだ。だってあんな大きなカモ、見た事無いもん…」 それは物の見事に太ったカモだった。 きっと公園に遊びに来る人が餌をあげたんだろう。 自分の翼では飛び立てない位…丸々と太っている。 オレがそう言って手すりにもたれてカモを見ていると、桜二はオレの背中にくっ付いて一緒にカモを見つめて言った。 「あのカモ…外来種かも…」 やめてよ…本当、そんな下らないダジャレなんて…そんな格好良い見た目なのに…ぷぷっ!おっかしいんだ! 「んふ…んふふ!ふはは、あははは!」 オレが吹き出して笑うと、桜二も一緒に声を出して笑う。 背中に触れる彼の体温があったかくて気持ちいい… こんな何て事ない時間を一緒に過ごして、どんどん彼がオレの日常になっていく。 彼のいない時間なんて、オレは二度と過ごせない。 「シロ?デートに行こうか?」 桜二がそう言ってオレの手を握ると、カモのいる池から歩き始める。 「デート?ふふ…なんだ?どこに行くの?」 彼の顔を見上げて聞くと、彼は目を細めて笑って言った。 「内緒。」 んふふ!なぁんだ!可愛いじゃないか! 彼の車に戻って、彼の運転する車でデートに向かう。 それは…秋のお台場だった… 「レインボーブリッジ、封鎖出来ませぇん!」 オレが物まねしながらそう言うと、桜二はケラケラ笑って言った。 「全然似てないじゃないか!」 ふふ… グルグルと回って道路が上に登っていくと、遠心力に体が持って行かれる。 「あ~ははは。なんだこりゃ、凄いGを感じるよ?」 上に登り切った景色の先には、 封鎖できなかったレインボーブリッジが見えて、夕陽を受けた欄干がキラキラと輝いて見えて、美しかった。 「あぁ…初めて来た…」 オレはそう言って笑顔になると、窓の外を眺めて言った。 「桜二…綺麗だね。こんなものを作るなんて…凄いね。」 「シロ?下は海だよ?」 桜二の言葉に、顔を彼の方へ向けて、彼の向こうの窓を見つめる。 「わぁ…海だ…」 小さな船がぷかぷか浮かんで、水面に夕陽が反射する美しい海を見て、夕陽があたる桜二の横顔に、うっとりとする。 「桜二…綺麗だ…」 そう言って彼の頬を撫でると、彼は前を見たまま微笑んだ。 秋の夕暮れのお台場…それは海風が吹き付ける過酷な環境だった。 「あははは!桜二、風が強いね?」 小さな海辺を歩いて、吹き付ける肌寒い風に体が縮こまっていく。 そんな中、小さな子供たちはまだまだ元気にはしゃいで走る。砂場で遊ぶようなおもちゃを片手に、海に足を付けてはキャッキャと高い声を上げてる。 「桜二、見て?可愛いね?」 やっと決心がついた小さな女の子が、ゆっくりと海に近付いて行って、そっとつま先を入れた。その瞬間、わぁッと表情が明るくなって、弾けていきそうな笑顔を見せる。 子供って…無垢で、真っ白なんだ。 「子供は風の子なんだよ。」 桜二がそう言ってオレの腰を支えると、砂浜から離れようとする。 「嫌だ。もう少し見ていたい。」 「寒いだろ?風邪を引くよ?」 桜二がそう言ってオレの手を自分の上着のポケットに入れた。ふふっ! 「桜二は、イケメン!」 オレはそう言って彼にもたれかかるとクスクス笑った。 風も落ち着いてきた海辺は、すっかり暗くなって、子供たちの姿もいつの間にか消えた。奥に見えるレインボーブリッジに明かりが灯って、煌々と輝いて見えた。 オレと桜二が座ったデッキに、点々とカップルが座り始めて、美しく光る橋を眺める。 「デートっぽいね…」 オレは彼の体に寄り掛かりながらそう言って、握った彼の手のひらを口に当てる。 「デートっぽいね…」 桜二もそう言って、オレの髪にキスした。 暖かい体に冷たくなった体を預けて、大好きな彼に温めて貰う。 何も話さなくても良い。何かをする必要なんてない。ただ隣に居て、退屈そうに見える時間を共に過ごす。 空気の様に当たり前にそこに居て。オレも彼の当たり前の存在になる。 この人と、そうなりたい… 目を瞑って彼の体の温かさを感じて、口元が緩む。 「桜二…愛してる。」 オレがそう言うと、彼は何も言わないでオレのおでこにキスをした。 ふと、彼の携帯が震え始めて、せっかくのムードが台無しになった。 「もしもし?」 そう言って携帯を耳に当てて、桜二がオレを見つめる。 ちぇ~! 心の中でそう言って、首を傾げて彼を見上げる。桜二は一言二言話すと、電話を離してオレに聞いて来た。 「夏子たちもお台場に来てるみたい。合流したいって…どうする?」 勇吾… オレを見つめる桜二の瞳が少しだけ揺れた気がして、オレは視線を逸らして彼に言った。 「後でね…今はまだこうして居たいの。」 ライトアップされたレインボーブリッジが水面に映ってユラユラと揺れて見える。 まるでオレの心みたいだ… ユラユラと揺れて定まらない。 「シロ…?勇吾と何かあったの?」 桜二がそう言ってオレの体を抱き寄せて手のひらで撫でる。 何か? あったさ…でも、それは言っちゃいけない事だ。 「内緒なの?」 彼の問いかけに何も反応しないオレにそう言うと、髪にキスして続けて言った。 「勇吾が…好きになっちゃったの?」 違うよ… 違う 違う。 「違う…そんなんじゃない。オレが好きなのは…桜二と依冬だよ…。そうだろ?」 オレはそう言うと、桜二の体にもたれかかって言った。 「勇吾は…洗練されたダンスを踊るんだ。隙なんて無い完璧な動線を使って、完璧な魅せ方をする。彼のポールダンスは最高だ。迫力も美しさも兼ね備えた、素晴らしい…そう。素晴らしい踊りを見せてくれたんだ。だから、オレは彼を尊敬してる…。それだけだよ。」 そう言って目を瞑ると、桜二はオレの頭に自分の顔を乗せて言った。 「良いんだよ…俺に気を使うなよ。お前が誰と遊んでも構わない。お前から離れたりしない。だから、気を使うなよ。」 「そんなんじゃない…どうして、そんな事言うの?」 オレはそう言うと、瞳を歪めて桜二を見つめて言った。 「桜二が居ないとオレはダメなんだ。お前が傷付くような事…したくないんだ。」 桜二はオレの言葉に驚いたような顔をして、にっこりと笑って言う。 「シロ…そんな風に思っていてくれたの?優しいね…シロは優しい…」 優しくなんて無い。 桜二を裏切って勇吾と望んでセックスしたんだ。 桜二はオレの頭を包み込む様に抱きしめると、腕の中で小さく言った。 「シロ…良いんだ。勇吾が好きだろ?俺はね、自分が1番なら許してあげるよ。シロが遊びでそうするなら、俺は我慢できるよ。だから、俺に隠し事をしないでよ。お前の全てを知っていたいんだよ…。内緒にしないで…」 瞳からポロリと涙が落ちて、彼の胸を撫でる自分の腕に斑点模様が出来る。 隠しても無駄なんだ。 いつもオレを見てる桜二には…隠し事なんて、すぐにバレてしまうんだ。 観念した。 「ごめんなさい…勇吾の事が好きになった。発作でも、狂った訳でも無く、自分から求めて彼とセックスした。でも、桜二を傷付けたくなかった…。幻滅されたくなかった…。だから、気付かれない内に、こんな風にする事も、思う事も、止めようと思っていた。」 顔を上げて、桜二の瞳を見つめて、オレがそう言うと、彼は瞳を細めてオレの髪を撫でて言った。 「優しいね…シロは優しい…」 「優しくなんて無い。酷い奴だ…。」 「いいや…シロは優しいよ。惹かれて行ったとしても、俺を気遣って止めようとしてくれた…。俺が聞いたら誤魔化さないで、すべて話してくれてた。それは、優しさだと、俺は思うんだ。」 そうなのかな… チュッとキスする彼の瞳を見つめる。 うっとりとしたいつもの彼の瞳に、白状した選択に間違いは無かったと分かるのに…もやもやとした思いが拭えない。 「俺が1番だろ?」 そう言って立ち上がってオレに手を差し伸べるから、オレは彼の手を握って一緒に立ち上がる。 「桜二はオレの1番だよ。」 オレがそう言うと、彼は嬉しそうに瞳を細めてにっこりと笑いかけて来た。 「悲しくないの…?」 「何が?」 「オレが勇吾とそんな風になっても、自分が1番だったら悲しくないって…本当なの?」 彼の顔を見上げて、彼の歩いて行く方向に一緒に付いて行く。 「本当だよ?前にも言ったと思うけど…俺はね、お前が幸せなら何でも良いんだ。お兄さんと混同されたって、勇吾と遊んだって、構いやしないさ。ただ、俺の傍からは離れて行かないでよ。俺に隠し事はしないでよ…ね?シロ。」 「…隠し事をされる方が、悲しいの?」 彼の腕を引っ張って、表情が良く見える様に、歩き続ける彼の目の前に行って、立ち止まらせた。 桜二は驚いた顔をしてオレを見下ろすと、目を細めて首を傾げる。そして、にっこりと笑って言った。 「そうだよ。俺はシロの全てを知っていたい。だから、俺以外の誰かと、秘密を持ったりしないで。良いね?」 「分かった…」 この人はオレとは違う。兄ちゃんとも違う。桜二は…桜二。 喜ぶ事も、傷付く事も、気に障る事も、楽しい事も、感じ方が全く違うんだ。 オレは彼の事を何も知らない。 兄ちゃんと混同したり、自分だったら…と想像したり、そんな憶測でしか、彼の気持ちを予測できていない。 「桜二は…オレの1番だよ…?」 オレがそう言うと、桜二は嬉しそうに笑って言った。 「そうだろ?俺がシロの一番だ。やっぱりね、いつもそう思っていたよ。」 ふふ…! オレには理解出来ないけど…それが、彼には嬉しい事なんだ… そして、自分以外の誰かとオレが秘密を持つ事が…嫌なんだ。 オレが自分から離れて行ってしまう事が嫌なんだ… それが…桜二なんだ。 「桜二は変わり者だね。でも、好きだよ?」 そう言って彼と手を繋ぐと、彼の上着のポケットに手を突っ込んだ。 街灯が灯るだだっ広い歩道を、桜二と寄り添いながら歩いて行く。どこに行くのか知らないけど、リードする彼の足取りは目的がある様に確かだった。 だから、オレは何の迷いもなく彼に付いて行く。 「シローーー!」 前方からオレの名前を呼んで走って来る人影を見つけて、それが勇吾だってすぐに分かった。 その後ろから、夏子さんがトボトボと歩いて近づいて来る。明るい笑顔の勇吾とは対照的に、彼女の表情はムスッとしていて、勇吾と何かやり合ったんだと分かった。 「勇吾~!」 オレはそう言って桜二から離れると、彼に駆け寄った。 桜二の目の前で抱き付いて、その勢いのままクルクルと回してもらう。 「あはは!すごいぞ!勇吾~!」 曇ってないオレの笑顔に、勇吾が不思議そうに顔を覗き込んで言った。 「シロ、良いの?桜ちゃんが目の前にいるよ?」 「良いの!桜二が良いって言ったから、オレは勇吾の事を隠す事を止めた。」 そう言ってケラケラ笑うと、勇吾は少しだけ眉をひそめた。オレはそんな彼を無視して、後ろに立つ桜二の顔を見て言った。 「桜二?見た~?今の、凄いだろ?くるくる回してもらった!」 「なんだ、それくらい。俺だって出来るじゃないか…」 あはは! 「じゃあ桜二もやってみてよ。オレはね、58キロだったけど、最近食べ過ぎて増えたんだ。」 そう言って桜二の目の前に両手を上げて立つと、彼はオレの脇の下に手を入れて、オイショッと持ち上げてゆっくり回した。 「あははっ!全然ダメじゃないか!ブンブン振る位回さないとダメなんだ!」 そうオレがダメ出しをすると、彼はオレを地面に降ろして言った。 「…それは、また、今度してあげるよ。」 ふふっ! 疲れたんだ!かわいい! 「よっ!」 夏子さんが到着して、手をひょいと上げて挨拶した。 「これから桜ちゃんの家で鍋パーティーしようぜ…」 勇吾がそう言うと、桜二がオレを見つめて言った。 「どうする?」 「シロ、寒い…早く帰ろう。」 夏子さんはそう言ってオレと腕を組むと、足早に歩き始める。 彼女はこの暴風のお台場に、ボディラインの出る薄着で来ていた。 それは、寒い筈だ…。オレは自分のパーカーを脱いで彼女に被せると顔を覗き込んで言った。 「これ、あんまり温かくないけど…風よけにはなるよ?」 夏子さんはポッと頬を赤くすると、モジモジして言った。 「シロ…イケメンじゃん…」 そうだよ?…オレはね、基本的にはイケメンなんだよ?ふふっ 「仕方ないな…シロには勇ちゃんの上着を着せてあげるよ?」 勇吾の上着がふわりと体を覆うと、彼のあったかさが服から伝わって、温かかった。 「何でこんな所に建物なんて立てたんだろうな!風が強くて、やんなるよ!」 寒さにキレ始める勇吾に、オレは袖を片方外して言った。 「勇吾、ここに入りな?」 「シロたん!」 先をどんどん歩いて行く桜二の後ろを、腕を組んだ夏子さんと、ひとつの上着に一緒に包まった勇吾と、えっちらおっちら追いかけて行く。 「…何で桜ちゃんに言っちゃったの?」 コソッと勇吾がオレに耳打ちするから、オレは彼に言った。 「桜二は内緒にされる事の方が嫌なんだ…それに、オレも彼に秘密を作る事が嫌だった。だから、話したんだよ。」 「何を?」 詰問するような声に、勇吾の顔をチラッと見る。 やけに真剣な表情をして、オレの答えを待ってる彼を一瞥すると、顔を前に向けて言った。 「勇吾の事が好きだって話した。」 オレの言葉に彼は黙って何も話さなくなった。オレも彼の顔を確認する事なんてしなかった。言葉の調子で、彼が不本意に感じてるって分かったから。 不思議だよ。勇吾はオレと秘密を共有していたかったみたいだ。 「あ、あれが…桜二の車!…早く乗り込もう…!」 すっかり暴風にヨロヨロになった夏子さんは、桜二の車を発見すると、そう呟いてオレの腕を解いて走って行ってしまった… オレは彼女の後を追いかけて、助手席のドアを開いて待つ桜二の顔を見た。 「やっぱり海風は強いね?」 オレがそう言うと、口を尖らせて肩をすくめてみせる。 オレの体から勇吾の上着を取って彼に返すと、素早くオレを助手席に座らせて、すぐにドアを閉めた。 「…なぁんだよ!」 そんな勇吾の声が車の外でして、オレはバックミラーで外を見た。 小突かれた勇吾が怒った顔をして桜二を睨みつけていた。桜二は涼しい顔をして、車の前を回って運転席に座ると、オレのシートベルトを確認して言った。 「何も遮蔽物が無いから風が強いんだよ。橋の上はもっと強いよ?」 全く…これは…大変だ。 「シロ!桜ちゃんが俺を虐めたぞ?」 そう言いながら勇吾が後部座席に乗り込んで、運転席の桜二を睨みつける。 「あ~、もう…勇吾はあちこちで揉め事ばかり起こして…今日だって、またアイドルの子たちと言い合うんだもん。見てるこっちが神経すり減るわ…。少しは自分の思い通りに行かない事があるって、自覚しなさいよ。子供じゃないんだから!」 夏子さんがそう言って勇吾を制すると、勇吾はオレにちょっかいを掛けて言う。 「シロ?桜ちゃんは納得なんてしてないよ?俺を虐めた。」 「やめろよ…」 桜二がそう言ってギロリと勇吾を睨みつけると、勇吾はフン!と言って椅子にドカッと座った。 これは…大変だ… 桜二に隠し事はしない。 でも、桜二は勇吾を威嚇する事を止めるつもりは無いらしい。 オレにそれを止める事なんて出来ないよ。 だって、オレは桜二の飼い主じゃ無いもの。…そうだろ? 「シロ?何の鍋が食べたい?」 車を走らせながら桜二がオレに話しかけて来る。 オレは、う~ん。と頭を悩ませて、考えを巡らせた。 「オレはね、鍋にラーメンを入れたいんだ。韓国のプデチゲみたいに麵を入れて食べたいの。だから、豚骨醤油味が良いんだけど、だったらプデチゲを作れば良いのかなって思ったりもするんだ。でも、そうするとサリ麺って麵が欲しくなるじゃない?あれは普通のスーパーじゃ売ってないんだ。だから、そうなると、やっぱり豚骨醤油味のスープにして、普通のラーメンを入れた方が良いのかなって…悩んじゃうんだよ?」 オレがそう言うと、桜二はクスクス笑って言った。 「分かった。じゃあ…そうしよう。」 もう…どうして笑うんだよ。 「シロはさ、食べ物へのこだわりが強いんだよ。鍋って言ったら、適当に具材を適当なスープにぶち込めば良いんだ。なのに、ああしたい…こうしたい…って、細かいの。あたしはそういう男、嫌だわ~。萎えるわ~。」 え… 夏子さんの言葉に、オレは固まって桜二の顔を見つめると、慎重に聞いた。 「…そうなの?」 「卵焼きはこうじゃないと…とか、鍋ではこうしたいとか…牛タンには塩レモンじゃないと…とか、うっせんだよ。黙って出された物を食えば良いんだ。」 夏子さんにそう言われて、オレは愕然とした。 依冬も同じような事を言っていた…オレは食べ物へのこだわりが強いって… 「…そんな事無いよ?ちゃんと目的がはっきりしてる事は良い事じゃないか。そうだろ?」 桜二がそう言ってオレを慰めてくれる。 だって、食べるからには好きなものを食べたいじゃないか…だから言ったのに。 ちぇっ! 「良いもん。オレは美食家なんだい。」 「分かるよ。シロは美味しいものが食べたいんだよね?だから勇ちゃんもペロリと食べちゃったんだよね?ふふ。分かるよ?シロの事なら何でも分かるよ?」 勇吾がそう言って、オレの首に指をツンツンしてちょっかいをかけると、夏子さんが脇腹を小突いてやめさせる。 これは…大変な鍋パーティーになりそうだ。 後部座席で喧嘩を始める2人と、運転席で顔を固める桜二を見て、そこはかとなく不安になった。

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