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第15話
「わぁ…広いじゃないか…どうしてここで過ごさないの?もったいない…」
ホテルの部屋に着いて、着替えを取り出すと、部屋を見て回るシロを捕まえてベッドに沈める。
簡単に持ち上がるこの子は、体幹ばかり気にして…重心を気にしていない。ふふ…
「勇吾!オレはね、外に遊びに行きたいんだ!」
怒った顔も可愛い…
彼の体に覆い被さって、ふたりきりの部屋の中、誰にも邪魔されずに彼を思いきり愛すんだ。
昨日は邪魔者が入って、俺は集中出来なかったよ?
お前だってそうだろ?
「あぁ…シロたん。美味しいね?」
そう言って彼の耳たぶをペロペロなめると、クスクス笑って言った。
「味なんてしないだろ?オレはね、耳たぶもちゃんと洗うんだ。」
ぷぷっ!
「違う…そういう意味じゃない。勇ちゃんはね、シロが甘くておいしく感じるの…」
そう言って彼の可愛い唇にキスすると、漏れる吐息も逃さないように彼の口をふさぐ。
両手で彼の体を抱きしめて、彼の体に覆い被さって、俺だけ、彼を独占する。
堪らない!
唇をそっと外すと、惚けた顔の彼が俺に聞いて来た。
「勇吾?…遊びに行かないの?」
「遊びに来ただろ?勇ちゃんのお部屋に…」
彼のトレーナーを無理やり脱がせて、露わになった白い肌をゆっくりと堪能する。
「綺麗だね…本当に、お人形さんみたいだね…?綺麗だ…とても美しい…」
そう言って彼の胸を舐めて、仰け反る乳首を舌で転がす。
「あっ…!勇吾…んんっ…遊びに行くって言ったのに…嘘つきは嫌いだ…!」
ん?
「…嫌い?」
こんな言葉、言われたってどうって事無い筈なのに…酷く動揺して、腕の中のムスッとした顔の彼にたじろいだ。
「勇吾は嘘つきだ!桜二の所に帰る!」
そう言って呆然とする俺の体を押し退けると、放り投げた猫のトレーナーを手に取ってプリプリとしながら着なおした。
「待って…シロ…」
俺がそう言っても、彼は無視して、どんどん出口へと歩いて行く。
「悪かった…もう、しないから!だから、帰るなよ…!」
何とか彼を捕まえてそう言うと、ムスッとした顔のまま俺に言った。
「勇吾は2人きりで過ごしたいって言った。オレは遊びに行くと思って付いて来た。それなのに、こんな風に過ごすなら、桜二の所でのんびりしていた方が良かった!」
なんだと!?
「違うよ…怒るなよ…分かった。分かったから…。じゃあ…シャワーを浴びるから…待っててよ。着替えたら外に行こう…?ね?ね?」
そう、言うしかなかった…
だって…シロが怒ってしまったんだ。
俺は彼の笑顔が見たい…だから、大人しくした。
「…次は、無いからね?」
シロはそう言うと、プリプリしながら部屋に戻って、椅子に腰かけた。両腕を組んで、どっしりと構えて、俺をじっと睨んで来る…
そんな彼の圧に、俺は急いでシャワーを浴びに行く。
なんてこった…!
怒るなんて思わなかった…
そして、怒った彼に、こんなに動揺するなんて思わなかった…
まるで女のご機嫌を取る、ダサい男になった気分だよ。
「ちぇっ…」
急いでシャワーを済ませて、髭剃りをして、腰にタオルを巻いたまま部屋に戻る。
「シロ…何してるの?」
「外、見てる…凄い高いんだ…」
桜ちゃんのいない、俺と彼しかいない部屋の中、窓の外を眺めて彼がそう言った。
…可愛い。
「シロたん…シロたん…怒ったの?もう怒ってないの?」
我慢できなくて、彼の背中にべったりとくっ付くと、首に顔を埋めてハムハムと甘噛みした。
「ん?…これ、何の匂い?」
シロはそう言って振り返ると、俺の体の匂いをクンクンと嗅ぎ始めた。
犬みたいだな…
「なぁんか、良い匂いがする…。この香り、嗅いだ事がある…花みたいな匂い。」
そう言うと、クスクスと笑って俺を見上げるから、可愛い彼の唇にキスをした。
良い匂いがするんだろ?
だったら大人しく抱かれておけよ…全くさ。
彼のサラサラの髪をかき上げて、ハラハラと落ちる毛先を見つめながら長くて甘いキスをする。
女王様の機嫌を取る様に、両手を上げて無防備に彼にひれ伏していく。
「シロ…可愛いね…大好きなんだ。だから、怒らないで…?」
「怒ってないよ…でも、騙された気持ちになったんだ。だから嫌だって言った…」
そう言うと彼は俺の濡れた髪を指ですくってうっとりと言った。
「勇吾…とっても綺麗だ…」
この時ほど、自分の容姿に感謝した事は無い。
彼は完全に俺の見た目に酔った。
「シロ…勇ちゃんに、何して欲しいの…?」
彼とおでこを合わせてそう言うと、うっとりと目を細めて、愛しい彼を見つめる。
「勇吾に…もっと、キスして欲しい…」
はい、きた!
俺はがっつく気持ちを抑えて、紳士的に彼を抱きしめると甘いキスをあげる。
優しく体を撫でて、シロがその気になる様にねっとりと舌を絡めていく。
息が荒くなって、あの子の腰を抱き寄せて、自分の太ももで彼の股間を撫でる。
「あぁ…勇吾、だめ…したくなっちゃう…」
そうだ。
だって、俺はしたくなる様にしている。
シロは俺の素肌にうっとりと顔を寄せて、頬を擦り付けてる…彼の虚ろな瞳が、美しくて、可愛くて…堪らないんだ…
どうしてそんな表情が出来るの…ねぇ?
「良いよ?勇ちゃんはシロがしたい様に…してあげる。」
そう言ってあくまで紳士的に彼のトレーナーに手を入れて行く。
細くてしなやかな腰を撫でて、背中まで撫で上げると、あの子の口から吐息が漏れる。
そうか…俺は女王様に無礼にがっつき過ぎてしまった様だ。
それで、怒られてしまったんだ…なるほどね。
ゆっくり彼をベッドに押し倒していく。
あぁ…可愛い…
俺だけのシロ。
ゴーサインが出れば…誰にも邪魔されないで、ゆっくりと、彼を愛する事が出来るんだ…
それまでは、お利口にお預けをしなくてはいけない。
それが出来ないと、女王様は怒って帰ってしまうからね…
俺の体の下でうっとりと瞳を潤ませて、シロが見つめて来る。
ふふ…本当に、この子はあのステージを統べる、妖艶なあの子なの?
俺は彼の可愛いおでこと、鼻と、顎にキスしてあげる。
フワッと髪を撫でられて、首に絡みつく細くてしなやかな彼の腕を感じて、口元が緩む。
「勇吾…オレの事、優しく、甘く、抱いて…?」
もちろんだよ…シロ。
「ふふ…良いよ。」
沢山愛を込めて、甘くてとろけちゃうようなセックスをしてあげる…
俺から離れて行けなくなるような、特別甘い時間を過ごさせてあげる。
だって、俺は、お前から離れられなくなってしまったみたいだから…
「夜はライトアップした東京タワーが見えるんだ…」
「凄いね、東京タワーか…桜二の部屋からも見えるんだよ?」
うつ伏せて笑う彼の綺麗な背中を撫でながら、指先で背筋を撫で下ろしていく。
彼の兄貴も…こうしたのかな…
桜ちゃんも、依冬君も…したのかな…
ムカつく
この子は、俺の物なのに
「勇吾?スカイツリーに行こうよ。オレね、行った事が無いんだ。」
そう言ってゴロンと仰向けに寝転がると、俺の髪をかき上げてクスクスと笑った。
午前中の明るい日差しを窓から受けながら、可愛いシロを抱いた。
まるで人妻と寝てる様な、背徳感。
…午前中の情事だ。
彼の薄ピンクの髪を指先ですくってにっこりと微笑んで、彼に聞いた。
「スカイツリー…何それ。」
「ふふ!東京タワーの代わりに出来た電波塔だよ?常連のお客さんが言うにはね、桜二の住んでる六本木ヒルズと、スカイツリーのせいで、東京の結界が壊れたんだって!あはは!おかしいだろ?だからもう東京は安全じゃないんだって…ふふっ!」
そう言って両手を上に上げると、手のひらをヒラヒラと落として遊び始める。
うつぶせる俺の背中に手のひらを落とすと、はらりとシーツの上に落とした。
じっと手のひらを見つめたままの彼に聞いた。
「今のは…何が、落ちたの…?」
俺の問いかけに表情を変えずに、視線も外さないで、ポツリと小さい声で言った。
「こぶしの花びら…勇吾みたいに良い香りのする、真っ白で、大ぶりの花びら…」
ふふ…本当に…この子が愛しい…
この子の感性が…俺の心にビンビンに響いて、堪らなく愛おしくなる。
「シロたん…シャワーして綺麗にしたら、その何とかツリーへ行こう…」
ベッドから起き上がって、ぼんやりとする彼の手を引いてシャワーで綺麗に流してあげる。
高級娼婦に恋したみたいに、自分の物にならないジレンマを抱えて、それでも傍に居たくて彼の言いなりになって、彼好みの男に変わって行く。
桜ちゃんみたいに…
それでも良いよ…シロが俺を手離したくなくなるくらいに夢中にさせよう。
「シロ…勇ちゃんの事、好き?」
彼の体を拭きながらそう聞くと、シロは俺を見つめて言った。
「…遊びだよ?」
…そんな彼の言葉に、傷付いた。
今まで沢山の女や男に言ったであろう言葉を…愛しい人から言われて、心が張り裂けそうに痛くなる。
「ふふ…そうかい…」
そんな風に答える事しか出来なかった。
俺からタオルを取ると自分で体を拭いて、下着を履いて、服を着て…
そんな彼の態度に、彼が俺と一線を引いてると嫌でも分かった。
「シロ…遊びと、本気の境界線は?」
彼に背中を向けて、白いシャツを着ると窓に反射する彼を見つめた。
彼は俺の背中を見つめて首を傾げて言った。
「知らない。でも、オレは桜二には本気で、勇吾には遊びだよ?」
全く…無邪気に、酷い事を言いやがる。
まるで…毒みたいな人…
一度味わうと感覚を麻痺させて、死ぬまで求めてしまう様な…中毒性のある毒。
上等じゃねぇか…
「ふぅん…」
そう言って振り返って、ダサい猫のトレーナーを着たシロを抱きしめてキスをすると、彼の腰を抱いて、部屋を後にする。
「わぁ、勇吾、見て?高いね?」
そう言って開けたデッキに来ると、シロは上を見上げて笑って言った。
俺はシロと、宣言通り、東京スカイツリーへやって来た。
「おぉ…本当だ、高いね…高さは、666メートルだったりするの?ふふっ」
俺がふざけてそう言うと、彼は血相を変えて駆け寄って来て、コソコソと小さい声で言った。
「台座まで入れると…666メートルらしいよ…?」
全く…この子にこういう都市伝説を教える常連客は、一体誰なんだ…?
都市伝説を取り扱う時は、あくまでフィクションだと言う事を枕詞にするべきだ…
「ふぅん…」
興味なさげにそう言うと、俺は彼の手を繋いで展望デッキへ向かうエレベーターへと、どんどん進んだ。
「勇吾?スカイツリーが高いのは下から見上げて良く分かった。だから、目的地を変更して、水族館へ行こうよ。」
シロはそう言って俺と腕を組むと、にっこりと笑って顔を覗き込んできた。
…全く。可愛いじゃねぇか…
「良いよ。どこにあるの?」
俺がそう言うと、彼は指を差して言った。
「あんな所に、水族館があるみたいだ!ペンギンが見たい。本物のペンギンが見たいんだ!」
彼の指さした方に視線を向けると、なんとここには水族館が併設されている様だった。
俺の腕を引っ張ってはしゃぐ彼は…子供みたいで、とっても可愛い。
さっき冷たく俺に“遊びだよ?”なんて言ったやつとは思えない。
「どうしてペンギンが見たいんだよ…」
クスッと笑って俺がそう聞くと、彼は俺に笑顔で答えた。
「前、一緒に働いていた子が…ペンギンの真似しろって言ったんだ。オレは頑張って真似したんだけど、全然似てない!って…ペンギンに謝れ!って怒られたんだ。ふふっ…。だから、見て見たいんだ。ペンギンが動いてる所。」
「そう…」
彼の笑顔の裏に悲しさを感じて、それは悲しい思い出なんだと分かった。
「じゃあ、行こう…」
そう言って彼と手を繋ぐと水族館へ向かった。
「勇吾?水族館には不倫してるカップルが多いって知ってた?」
いつまでもタコつぼから出てこないタコを覗き込んで、シロが大きな声でそう言った。
平日の午前中…こんな所に来ているのは、子供連れか、訳アリのカップル…そんな事、声に出して言わなくても相場が付いてる。
「そう…じゃあ、俺とお前も、不倫カップルだね?」
俺はそう言ってタコに夢中な彼にキスをした。
「ふふ…違う。勇吾の事は桜二も知ってる。だから違う。」
そうかな…
今度はチンアナゴの水槽の前で立ち止まって、じっと眺め始める。
俺は青白く光る彼の顔を見つめて言った。
「シロは…こういう出たり入ったりするのが好きなの?身を隠してる生き物ばっかり見てるけどさ、もっと向こうの大きな水槽を観に行こうよ…」
「良いの…。見て?あの左から…6本目の子…1人だけ、逆方向を向いてる…ふふっ」
根暗なんだな…
俺は彼の背中にぺったりとくっ付くと、チンアナゴに夢中な彼の首にキスをした。
大きな水槽の前に来ても、彼の注目の的は下で砂に体を隠すカレイだ…
「勇吾?見つけた?オレはね2匹見つけたよ?目が出てるんだ。探して?」
ふふ…!
「いないよ。ここにはカレイなんていない。それより上を見てごらんよ。大きなエイが泳いでるよ?気持ち良さそうじゃないか…」
俺がそう言って上を見上げると、シロは顔を上げて上を見上げた。
「あぁ…!凄い!大きい…!」
だから言ってるのに…全く…
彼は俺の手を掴むと、上を見上げながら、グイグイと引っ張っていく。
本当に、子供みたいだ。
「シロ?ひとつの事ばかり見てたらダメだ…もっと視野を広げて周りを見てごらん?さっきのチンアナゴも、タコもそうだ。もっと周りには沢山の生き物が居たんだよ?でも、お前はそれを見逃してしまった。なぜかと言うと、チンアナゴとタコしか見ないからだ。せっかく水族館に来たのにお前の視野が狭いせいで、海の生き物を十分楽しまないで、タコとチンアナゴの記憶しか残らないんだぞ?そうだろ?」
俺がそう言うと、シロは足を止めて、俺の顔をまじまじと見つめる。その後、フニャッと微笑むと言った。
「そうだね…確かにそうだ。もっと色々見たい。」
可愛い…
可愛くて、素直で、純粋で、健気で、儚い…
大きな水槽に顔を近づけて、下から上まで見上げて、感嘆の声を上げる彼の髪を撫でてうっとりと見つめる。
「シロ?水族館だけじゃない、人生もそうだよ?桜ちゃんと依冬君ばかり見てると、もっと素敵な俺を見逃してしまうよ?」
ふざけて俺がそう言うと、彼は俺を見つめて驚いた顔をした。
その表情に、彼が俺を好きだと確信して、心が跳ねた。
あぁ…
桜ちゃんが言ったんだったね、遊びだったら良いって…
だから、お前は俺を“遊び”だと言ったんだね。そして”遊び”だと思おうとしてる。
それでも、抗えない…恋心を、俺の様に…感じてるんだろ?
だから、そんな顔をするんだ。
全く…可愛いね…
シロは何も言わないで、水槽に目を戻すと上を見上げて口を大きく開いた。
「勇吾!見て!ウミガメだ…!」
広い水槽の中、まるでサーフショップのマークみたいなシルエットで、ウミガメが悠々と泳いでいる。
「シロ…?勇ちゃんの事、好き?」
水色に光る彼の体を後ろから抱きしめて、そっと耳元で尋ねてみる。
彼は水槽のガラスに手をあてて、悠々と近付いて来るサメを見つめながら言った。
「好き…」
ふふ…
「勇ちゃんも…シロの事が大好きだよ。…俺達は両思いだね。」
そう言って、彼の頬にチュッとキスをした。
彼は何も答えないで、ただ、じっとサメを見つめた。
可愛い…
「ペンギンって…結構、落ち着きが無いんだね…」
開けたペンギンプールに来ると、泳ぎまくるペンギンを見てシロが固まった…ぷっ!
ガラス越しに凄いスピードで泳いで通り過ぎる姿を目で追ってる。
「全然可愛くない…」
眉毛を下げて俺を見ると、そう言ってムスっと頬を膨らませた。
「可愛いさ…ほら、見てて…」
俺はそう言って彼の背中にくっ付くと、水槽をコンコンと指先で叩いてみた。
興味を持ったのか、何匹かペンギンが近付いて来る。
「ふふ…」
腕の中で彼が小さく笑って、それを聞いた俺の口元も緩んでいく。
「…ほらね?可愛いだろ?」
俺がそう言って彼の髪にキスすると、彼は嬉しそうに体を預けて言った。
「ふふ…もっとして?」
おねだりされたんだ。喜んでやったよ。
気付くと、ペンギンがたくさん集まって来る俺たちの周りに、小さな子供が集まって来る。
「イチャイチャして…大人って…分かんないね?さっちゃん?」
「本当だね?みよちゃん。お母さんが言ってたよ。こんな時間に来てるカップルは不倫してるって…ねぇ~?」
ペンギンに夢中な彼を抱きしめたまま、小さい女子の話を盗み聞きして、クスクス笑う。
「でも、このお兄さんはイケメンだと思う。みよちゃんはね、イケメン好きだよ?」
「あ~、さっちゃんもそう思った。でもピンクのお姉ちゃんはお兄さんよりペンギンの方が好きみたい。こういう事をひとり相撲って言うんだって?ねぇ~?」
みよちゃんより、さっちゃんの方が耳年魔だな…
「シロ、向こうに行こう?」
彼の耳元でそう言って、腰を掴んでリードして、さっちゃんとみよちゃんから離れる。
「勇吾?ペンギンって可愛いね。良さが分かった気がする。ふふっ!勇吾が上手に呼んでくれたから、たくさん集まって来たよね?どうして?どうしてあんな事が出来るの?凄いね?やっぱり勇吾は凄いね?ふふっ!」
そう言って満面の笑顔で笑う彼を見つめて、心がキュンと熱くなって、惚ける。
「それは俺がやったんじゃない…シロが可愛いから寄って来たんだよ…」
俺がそう言うと、彼はキョトンと目を丸くして、頬を赤くした。
照れたの…?
ほんと…お前は、可愛い子だ。
大好きだよ…
椅子に座って休憩していると、トイレに行ったシロが笑顔で帰って来て言った。
「勇吾、金魚、可愛い!」
俺の手を握ってグイグイと引っ張って連れて行く。
彼の笑顔に、声に、胸が躍る…
今まで誰かとデートしたって、こんなにドキドキする事なんて無かったよ。
こんなに楽しいって思った事も、時間が止まれば良いなんて思った事も無かったよ。
俺とお前が両思いだって…分かった瞬間が忘れられないよ。
このままイギリスに連れて帰って、結婚式をあげたい気分だ。
「依冬は情緒が足らないんだ。だから、金魚を見ても綺麗だなんて思わない。でも、勇吾は違うだろ?見て?尾っぽがヒラヒラして…綺麗だ。この前ね、こんな衣装を着て踊ったんだよ…まさに、このイメージなんだ…」
そう言って手のひらでウェーブを作って、俺に見せてにっこりと微笑む。
「あぁ…あの、クレオパトラのドレスか…」
俺がそう言うと、彼は驚いたように目を丸くして口を開けた。
そして、俺に抱きつくとスリスリと頬ずりして言った。
「凄い…!どうして分かったの?その通りだよ…!」
ふふ…シロ。俺が好きだろ?俺しかこんな事言えないよ?
「あの時…お前の太ももから垂れたドレスが、まるで水中を揺らめいてる様に見えたんだよ…。この金魚の尾っぽみたいにね。」
桜ちゃんにも、依冬君にも、お前の兄貴にだって…こんな事言えないだろ?
「勇吾…嬉しいよ。まさにそれを意識してポールの上で揺らしたんだもん。ふふっ!」
シロはそう言って微笑むと、嬉しそうに口角を上げて俺をうっとりと見つめた。
もっと俺にしか出来ない事を提供してあげるよ?
お前の中の俺を特別に仕立てて行こうね…
ドラマティックな演出は得意なんだよ。
「分かるさ…お前の事なら何でも分かる…マリリンマンソンが好きで、エアロスミスも好きだろ?ジャズも好きで、特にスカになるリズムの曲が好きだ。」
俺がそう言うと、彼は目を輝かせて頷いた。
「もっと、何かないの?」
ふふ…可愛い…
「そうだな…」
俺はありとあらゆる彼について感じた事を話して聞かせる。
「鞭はそんなに好きじゃ無さそうだ。痛いのが嫌いなんだよね?」
「んふふ!そうだ。痛いのは嫌い。鞭もインディージョーンズに憧れたから上手に出来るんだよ?」
ふふっ!馬鹿だ!
俺がクスクス笑うと、彼は慌てた様子で言った。
「内緒だよ?みんなオレのSMが好きみたいだから、そう言うキャラを崩さないようにしないとね?ふふ…!」
あぁ…シロとの秘密が1つ出来た。上々だね。
「分かったよ。」
彼とタクシーでホテルまで戻ると、依冬君が既に車を停めて待っていた。
全く、忠実なしもべ君は予定時間の10分前行動が板についているらしい…
シロと一緒にタクシーから降りた俺を見ると、彼は露骨に表情を硬くした。
桜二と違って、君は若いし、幼い。
幾ら上等を気取ったって、まだまだガキだ。君ならあっという間に抜けそうだよ?
「依冬~!」
そう言って手を振るシロの後姿を見つめる。
「勇吾?今日は楽しかった。ありがとう。これ、あげる。」
そう言ってシロが俺に手を差し出したから、俺は受け取る様に手を差し伸べた。
ポンと置かれた手のひらの中に、小さな紙の袋が置かれた。
俺の体にギュッと抱きつくと、背伸びをして、俺の耳元で可愛い声で言った。
「勇吾…大好き。またね?」
そう言って頬にチュッとキスすると、踵を返して依冬君へ向かって走って行く。
まるで時間が来たら次のお客に愛想を振りまく、売春婦だ…
立ち去られる俺は…そんな彼にご執心の上客か…悪くないよ。
お前みたいな上等な売春婦なら、身請けして結婚してあげよう。
依冬君に抱きついて、彼の車に乗り込む愛しの人を見つめる。
「今日は…ジャガーか…ボンボンめ…」
肩をすくめて眉を上げながら…ポツリとそう言うと、素敵なエンジン音をさせながら立ち去るジャガーと、そこに乗った愛しのシロを見送る。
「愛してるよ…」
クスッと笑いながらホテルの中へ戻ると、歩きながら手の中の紙袋を眺める。
ピリッと袋を開いて中身を手のひらに取り出す。
「ふふっ…、いつの間にこんなの買ったの?可愛い奴め…」
指でつまんで目線の高さに持ち上げて眺める。
それはさっき行ったばかりの水族館の名前が入った、ゴールドのペンギンのキーホルダー…
帰ったら、車のキーに付けよう…
「あぁ…楽しかった…」
ひとりそう呟いて、部屋に戻って行く。
これから現実に戻って、お仕事だ…
#シロ
「依冬?すみだ水族館って知ってる?オレはね、初めて行ったんだ。そこで、勇吾がペンギンを集めたんだよ。凄いと思わない?超能力があるんだ…!」
オレがそう言って依冬を見つめると、彼は首を傾げて言った。
「スカイツリーの所の?知ってるよ。でも行った事は無い。どうだった?」
「楽しかったよ~!チンアナゴと、タコが可愛かった!こうやってね…動くんだけど、おっかしくってずっと見ちゃった!」
そう言ってオレは手をクネクネ動かすと、依冬の腕に噛みつく真似をして、ケラケラ笑った。
「…シロは随分、勇吾さんと仲良しだね?」
依冬がそう言ってオレをジト目で見つめて言った。
「あの人、シロの事が好きみたいだと思っていたけど、シロも好きになっちゃったの?」
単刀直入な彼の言葉に、返答に困って首を傾げる。
「分かんない。分かんないけど…桜二が、遊びだったら良いって言ったよ…」
遊び?
遊びなんかじゃない…これは、本気かもしれない。
ふたりきりの時の彼は、予想以上に甘くて、優しくて、セクシーで…トロけてしまうんだ。
それに…とっても感性が合う。
ことダンスや音楽、表現の話をし始めると、ピタッとハマったパズルの様に多くを語らなくても分かってくれて、それ以上を教えてくれる。
彼が好き…彼が…大好き…
それは夏子さんと遊んだ物とは違う。
彼の視線も、彼の髪も、彼の手のひらの指先までも、美しくて、綺麗で、まるで陶酔する様に…うっとりと、夢見心地で抱かれる。
彼とのセックスは…頭の中まで花の香りが充満してクラクラするんだ。
「は?遊び?」
オレの言葉に、依冬はそう言ってため息を吐くと、ジロリと見て言った。
「…もう。そんな器用な事、出来ないだろ?」
器用…?
「…でも…勇吾はイギリスに帰るよ?」
そう…彼は、居なくなってしまうんだ…。
オレがそう言って依冬の顔を覗き込むと、彼は深いため息をついて言った。
「俺はシロの彼氏だよ?遊びでも何でも、嫌なもんは嫌だ。桜二だって嫌なのに…ほんと、早く帰って欲しいよ…」
依冬はそう言ってブツブツ言うと、オレを見て言った。
「…浮気だよ?それは!」
「…うん。ごめ~ん…」
桜二よりも怒らない依冬に、ちょっとだけホッとして…彼の前では隠そうと思った。
オレは勇吾に会う事を止めるつもりはない。
だって好きなんだ…
それに、どれだけ彼に夢中になっても、彼はそのうちイギリスへと帰ってしまうんだ。
…オレなんて置いて…
桜二が居ないとダメなオレなんて置いて…帰ってしまうんだ。
だから、それまで一緒に居たって良いじゃないか…
胸の奥がキュンと痛くなって、忘れる様に窓の外を眺めた。
新大久保まで車で来て、依冬と約束のランチをする。
前々から一緒に食べたかった”プデチゲ”をやっと食べるんだ!
「あ、そうだ…依冬に、これあげる。さっき行った水族館で買ったんだ~。」
オレがそう言って、彼に紙袋をポンと渡すと、彼は嬉しそうに笑って中身を確認し始めた。
「え~、何だろう…?ふふ…!」
袋の中身を確認すると、依冬は顔の近くまで持ち上げてオレを見つめて言った。
「ねぇ、これは何の生き物なの?」
ふふっ!それは…フワフワの可愛いキーホルダー…
「メンダコってタコだよ?可愛いだろ?ふふ…!」
オレはそう言ってクスクス笑うと、首を傾げて言った。
「何かに付けて?」
依冬は苦笑いすると、赤くてフワフワのメンダコをまじまじと見ながら頷いた。
可愛い…
「依冬?プデチゲで良いよね?あと、キムチと…ポッサム。う~ん…頼み過ぎかなぁ…どうしよう…ポッサムは止めて…ホットクにしておこうかな…う~ん…」
オレが頭を悩ませ始めると、依冬はメンダコのキーホルダーを車のカギに付けて見せた。
「ふふっ!ギャルみたいだ!」
両手で口を押えてクスクス笑うと、依冬は車のカギをポケットにしまった。赤いメンダコがポケットの外に飛び出して…シュールだ…!
「あふっ!あはは!んふふ…!」
笑いが止まらなくなって依冬を見つめると、彼は眉毛を上げて肩をすくめる。
ふふ…!可愛い!
「もう…依冬はお茶目だね?ふふ…!んふふ!可愛いんだから…」
お店の人にプデチゲ3人前と、キムチの盛り合わせと、ホットクを頼んで、依冬とおしゃべりをする。
「オレはKPOPアイドルのファンをしてるだろ?だから少しの韓国語が分かる様になってきたんだ…。凄いだろ?」
テーブルに肘をついて手を組むと、どや顔をしながら教えてあげる。
「今、あの人が言ってる“オッパ”っていうのはお兄さんって意味なんだよ?しかも、女の人が年上の男性に使う言葉なんだ。男の人が年上の男性を呼ぶときは“ヒョン”になるんだよ?どうだ?凄いだろ?」
オレの言葉にうんうんと相槌を付いて、依冬が言った。
「そう言えば…シロのヒョンの事だけど…」
「ぷぷっ!」
彼の適応能力の高さに、吹き出して笑う。
今日の依冬はノリノリだな…
「俺、調べたんだよ。気になって…。そしたら、分かった事があったんだ。だから、シロと共有するね。」
そう言って依冬が話し始めた話は、オレの兄ちゃんと…あの女の話だった。
彼が話す内容に、笑顔が消えて、冷たい空気が体に流れて行く…
「…兄ちゃんは妊娠も、子供が居た事も、知らなかった…そういう事だったんだね…」
そして、ある日突然言われたのか…結婚してくれないと、弟に全て話すって…
オレに話して…ぶっ壊してやるって、脅されたんだ。
彼の話を聞き終えて、テーブルに置いた彼の手のひらに手を重ねて聞いた。
「ねぇ…依冬?その当時…その事を知ったら、オレは壊れたと思う?」
「うん。そう思うよ。」
即答した彼に、口元が緩んで笑顔になる。
「…オレも、そう思う…」
そう言って彼に微笑みかけると、フラッシュバックの様に兄ちゃんの顔が目の前に現れて、意識が飛んでいく。
「シロ…兄ちゃんはちょっと用があるんだ…ごめんね…ごめんね…」
そう言って、眉を下げて、悲しそうな顔をして、オレの手を引き剥がした…
「にいちゃぁん!」
オレがそう言って泣いても、縋っても、兄ちゃんは足を止めなかったね。
…その結果がこれか…
運命とはあまりにも残酷で…容赦がないんだ。
心配そうにオレを見つめ続ける依冬の顔が目の前に現れて、フラッシュバックした兄ちゃんの顔を、忘れていく。
「ふふ、依冬と情報を共有した!」
オレはそう言って笑うと、目の前に運ばれたプデチゲに歓声を上げる。
「キャーーー!美味しそう!」
依冬がオレの過去を調べても、勝手に女の親に会っても、オレは何とも思わない。だって、彼がオレの為にした事だもの。
依冬も桜二も、オレの記憶を再構築させる事が、あの発作を直す方法だと考えてる。
だから、記憶を繋いでいく事を積極的に手伝ってくれているんだ。
その過程で、主観の混ざった情報や、間違った情報が混じらない様に…こうやって精査してくれているんだ。
「ん~…、辛いね?」
依冬がそう言って口をハフハフしてるけど、オレは全然辛いって思わないよ?
「辛い時は、チーズを一緒に食べれば良いんだよ?ねぇ?サリ麺って美味しいだろ?もっと簡単に手に入れば良いのにな…。帰りに買って帰ろう…桜二にも食べさせてあげないとね?」
オレがそう言うと、依冬が笑って言った。
「そういえば、桜二がこの前、エプロンしながら料理してる姿を見たんだ…。あまりの衝撃に、この前…夢に出て来たんだよ…。ううっ…気持ち悪かった。」
「ぷぷっ!」
それは…オレが見たら普通の夢だけど、依冬が見たら悪夢なんだろうな…ふふ。
吹き出すのを堪えて、キムチをお箸で摘まんで依冬にあ~んしてあげる。
「辛い!」
辛くない!
おこちゃまの依冬君には、韓国料理は早かったみたいだ。それでも彼は根っからの食いしん坊を発揮して、辛い、辛いと言いながらもパクパクと食べ続けた。
あっという間にプデチゲを食べ終えると、デザートのホットクを食べながら、戸籍の話を依冬と“共有”する。
「じゃあ…それが受理されれば、シロは“結城シロ”になるの?ふふっ!それは凄いね?桜二が泣いて喜びそうだ…。そうなると、シロは俺のヒョンじゃないか…あはは。」
ふふ!
「そうだよ?年上のお兄さんは敬わなくてはいけないんだよ?」
オレはそう言って依冬に指を差すと、クスクス笑った。
「シロはお兄さんっぽくない。可愛い弟みたいだ。」
なんて奴だ…!
彼は可愛い顔をして、相変わらずの毒吐きだった。
「ん、もう!やんなっちゃうな!」
韓国料理店を後にして、オレは陽介先生と待ち合わせの場所まで依冬と向かった。
「一体…何を練習するのさ?」
首を傾げて依冬がそう聞いて来る。
彼は知らないんだ。KPOPアイドルの曲には“掛け声”が必須だと…
「よくあるだろ?アイドルのファンが合いの手を打つような掛け声が。あれがKPOPはもっと盛んなんだ。まるでそれが無いと曲が完成しないかの如く、ガッツリと入るんだよ。それをね、陽介先生と練習するんだ。せっかく日本で公演してくれるのに…オレ達ファンがちゃんと掛け声を言えない様じゃ…ダメなんだ!」
オレがそう言って熱弁すると、依冬はげんなりした顔で言った。
「俺にはどの人も同じ顔に見えるよ…」
は…?
「依冬…それ、本気で言ってる?」
彼をジロリと見つめると、依冬はからかう様に笑って言った。
「本気だよ?だって、みんな同じに見えるもん。」
キーーーー!
「なぁんだ!依冬は分かってないな!今度オレが詳しく教えてあげる。桜二の家に集合して、DVDとYouTubeの鑑賞会をしよう。それを一週間に4日続ければ、1カ月後にはこの子がどこのグループの誰なのか…分かるようになるよ?」
「嫌だよ…」
そう即答して、足早に逃げて行く彼の腕に自分の腕を絡ませると、ギュッと掴んで笑った。
既に待ち合わせ場所にやって来ていた陽介先生を見つけて、急ぎ足で近付いて行く。そろりそろりと背後に近付いて、思いきり足カックンをする。
「あ~はっはっは!ガクン!ってなったね?あはは!」
苦笑いをしながら振り返る陽介先生の肩をペシペシと叩くと、顔を覗き込んで言った。
「陽介先生?準備は良いかな?」
「イエーイ!」
元気にそう答える彼の手には、アイドルグループのペンライトと、推しのうちわが持たれている。
「あ~~~!何これ…いつの?いつのうちわ?」
「ふふ…これは去年の春のコンサートのうちわだよ?」
キャイのキャイのと盛り上がるオレ達とは対極的に、冷めた瞳で依冬が言った。
「シロ、先生と2人きりになったらダメだからね。…じゃあ、俺は行くよ?」
「依冬?先生は今度お父さんになるんだ。そんな間違いなんて犯さないよ?」
オレはすかさずそう言って、陽介先生に、ね~?と言って首を傾げた。
彼はニコニコ笑って、うん!と返事をして、オレの手を繋いだ。
口を開けたまま唖然とする依冬に手を振って、オレはこれから陽介先生の家に向かう。そこで、一緒にDVDを鑑賞しながら、掛け声の練習をするんだ。
「わぁ…男の1人暮らしって感じの部屋だね…」
脱ぎ捨てられた洋服や、締まりっぱなしのカーテン、寝て起きた状態が予測できるベッドと、乱雑に置かれた雑誌…そして、どうしてここに?と首を傾げる場所に置かれたテレビのリモコン…紛れもない、ここは男の部屋だ。
「どうぞ?どうぞ?」
陽介先生は悪びれる様子もなくそう言って、オレを部屋の奥に招いた。
締まりっぱなしのカーテンを開いて窓を開けると、オレはテレビの前に座って陽介先生がDVDをセットするのを待ち構えた。
「ねぇ、あの曲の時さ…早口過ぎていつも遅れちゃうんだよね?一緒に練習しよ?」
そう言って顔を上げると、陽介先生はオレを見下ろしたまま動きが止まっていた。
「…どうしたの?具合でも悪いの?」
あまりに呆然としていたから、心配になってそう言うと彼はハッと我に返って言った。
「シロが…家に居る事が信じられなくて…はぁはぁ…」
なんだ、それ…
「早く!DVDセットして!」
オレはそう言って陽介先生の足を小突いて促す。
彼が慌ててDVDを探す中、準備が悪いと苛立ってくる…
スクッと立ち上がって、棚を漁る陽介先生の背後に回ると、両腕を組んで、彼を見下ろしながら恫喝する。
「陽介先生?今回の目的を忘れたの?今度のコンサートに向けて、オレは掛け声を完璧にマスターしたいんだ。オレがそう言ったら、陽介先生が“じゃあ、一緒に練習しよう?”って言ったんだろ?なのに、どうしたんだ!このあり様は?!部屋は汚い!DVDは用意していない!どうなってるの?」
「ヒィ!シロたん…怒んないで…」
この様子だと…“DVD貸しちゃってた~。テヘペロ~!”…なんて、最悪の状況も予想出来る…
「ん、もう!早くして~!」
オレはそう言って、背中を丸めてDVDを探し続ける彼の背中に乗って暴れた。
体幹と重心の安定した彼は、オレがいくら暴れても…グラグラとブレたりしなかった。
「あ…もしかしたら、貸しちゃったかもしんないなぁ…」
ポツリと彼がそう言って、ポリポリと頭を掻いた。
オレは彼の背中にクッタリと頬を付けて脱力する…
やっぱりだ…やっぱり、予測した通りの結末になった。
「酷い…せっかく練習しに来たのに…陽介先生はオレとの約束を、おざなりにした…」
そう言って彼の背中に乗ったままウソ泣きすると、陽介先生は焦った様に体を捩ってオレを見ようとした。
「シロ?シロ?…YouTubeでも見れるから…ね?ほら…繋いでみるよ?」
オレを背中に乗せたままテレビの前まで移動すると、彼は携帯をテレビにつなげて見せて言った。
「ほらぁ…映った。ね?これで練習しよう?」
…DVDじゃないけど、もう、仕方がないね…
オレは彼の背中から降りると、ペンライトを手に持って準備した。
「ふふ…なんだ、泣いてないじゃん。ウソ泣きだ。」
そう言った陽介先生をジロリと睨んで、オレは言った。
「ん、もう…早くして!」
「シロ…ウソ泣きしたの~?可愛いね~?」
鼻の下を伸ばした陽介先生がそう言いながらオレに迫って来る。
オレはペンライトを手に持って陽介先生に向けると、スイッチを付けて言った。
「やめろ?桜二に言うぞ?」
「うぅ…」
陽介先生は眉間にしわを寄せてたじろぐと、姿勢を元に戻してペンライトを手に持った。そして、オレにニッコリと笑いかけて言った。
「じゃあ、始めようか?」
全く!
長時間の練習の末、オレ達は何とかすべての曲の”掛け声”をマスターする事に成功した。疲れ切ってベッドに横になる彼の体を揺すって、オレは総ざらいしようと声を掛ける。
「これで最後だから…ね?これで最後だから、最後もう一回初めからやってみようよ?」
「…もう、大丈夫だよ…」
陽介先生はそう言うと、うつぶせた顔を目だけ覗かせて、ゆっくりと顔を背けていく。
なにそれ…ウケる。めっちゃ嫌そうに見えるよ?
「でも、もう一回やっておいた方がきっと良いと思うんだよ?だって、興奮したら分かんなくなっちゃうじゃない。体に叩き込んでおかないと…!ね?ね?」
オレがそう言うと、顔だけムクリと持ち上げて、陽介先生が言った。
「興奮したら分かんなくなっちゃうの?」
そらそうだ。普段出来ていた事だって、興奮したり、アドレナリンが出たら、すっぽり忘れちゃうことなんて、よくあるだろ?
「そうだよ。だから…今」
オレがそう話そうとすると、陽介先生はオレの唇にキスして言った。
「興奮したから…よく分かんなくなっちゃった…テヘペロ」
この野郎!
そのままオレの体をがっしり掴むと、自分が寝転がっていたベッドに押し込んで来る。
「こら!陽介!桜二に言うぞ!」
オレは伝家の宝刀…“桜二に言うぞ”を連発する。でも、陽介先生は”興奮したから分かんなくなっちゃった“を繰り返すだけで、全然聞いて無い様だ。
「可愛いんだ…大好き…」
そう言ってうっとりとオレの頬にキスすると、腰をゆるゆると動かしてオレの股間に当てながら、舌で唇を舐め始める。
…もうすぐ、お父さんになるのに。
男なんて勝手だな…やるだけやって、自覚が無いんだ。
妊娠は1人じゃ出来ないのにさ…
「あ…」
天井を見つめて、見開いた瞳から涙がポロポロと落ちて来る。
そうだ…妊娠は1人じゃ出来ない。
やる事やった結果…なる事なんだ…
兄ちゃんは…心理状態がどうあれ、女とセックスして中出しした。
だから赤ちゃんが出来て、産まれたんだ。
なのに…面倒も見ないし、陽介先生の様に一緒になる事も無く…子供を殺して、死んだ。
全て、オレの為に…オレが知ったら壊れてしまうから…その為だけに、小さな命を奪って、死んで行ったんだ。
兄ちゃんはまるっきりの被害者じゃない…卑怯に、現実から逃げたんだ。
オレ宛に残された兄ちゃんの手紙の一文を思い出した…
“後悔してもどうしようもなくて、お前の傍に居る事が難しくなったんだ。愛してるからこそ後悔した。どうか自分を責めないで。弱っちい兄ちゃんが逃げ出したんだ。”
本当…その通りだね…
ばかなんだ…
兄ちゃん。
「シロ…どうしたの?そんなに嫌だったの?」
「…違う。違く無いけど…違う…」
オレが泣きだしたのを見て、陽介先生が動揺してすぐに体を起こしてくれる。
「ごめんね…そんな、泣かせるつもりはなかったんだ…ごめんね…」
そう言ってオレの背中を撫でると、そそくさとベッドから降りて、床に正座した。ふふ…
「違うんだ…ごめん。陽介先生?話してなかったから、分からなかったかもしれないけど…オレは少し、おかしいんだ…」
オレはそう言うと、目を拭って自分の事を彼に話して聞かせた。
同情されるのも、哀れまれるのも嫌だと伝えて…彼に話していくと、陽介先生は唖然とした表情のまま、それを聞いた。
…にわかに信じられないよね…そんな酷い話が、現実にあるなんてさ…
でも、オレはその中を生きて来たんだ。
「…だから、さっき…男って勝手だなって思ったら、兄ちゃんの事を思い出して…それで泣いたんだ…。ふふ…ビックリしたよね?ごめんね。」
隠しても仕方がない…オレのせいで、要らない心配をさせたくない。
オレのせいで、誰も傷つけたくない…
何も話さない彼をベッドの上から見下ろすと、涙も落とさずに声を震わせて泣いていた…
「ふふ…」
オレよりも酷い目に遭っている子も…親に殺されてしまった子も…世の中にはいるんだ。ただ、みんな、知らないだけで…今も怯えながら生きてるんだ。
産まれてしまったら…死ぬまで、毎日を生き抜いていくしか無いんだ。
苦しくて、死にたいなんて願う事も、逃げる事も、助けを求める事さえも、思いつかないで、自分が晒される暴力を理不尽だと分からないまま、生き抜いていく。
不思議だよ…記憶を捻じ曲げたり、無理やり忘れる事でやり過ごして来た様な壮絶な人生の話なのに、人に話し続けるとだんだんと客観的に見える様になってくる。
まずは依冬に話して、次に桜二に話して、その後は夏子さんに話して、勇吾に話して、そして今、陽介先生に話した。
初めは知られたくなかった、認めたくなかった自分の過去が…人に話し続けた事によって、自分という存在を分かって貰える為のツールに変わって行く。
突然発作を起こして、イカれてしまう…自分を、分かって貰う為の…ツール。
それってオレが、自分を受け入れたって事になるのかな…
力になってくれる人が出来て、過去を繋いで、耐性が出来て来た気がする。
だから、オレは彼に話す事も躊躇しなかった。
陽介先生はオレを見つめて、少しだけ微笑むと言った。
「シロ…だからあの時、俺に言ったんだね。赤ちゃんを大事に出来るのかって…。そうか…そうだったのか。もちろん、赤ちゃんは大切だ。でも、俺はお前を愛してるよ…」
そう言って陽介先生はオレを抱きしめて、涙を落として、泣いた。
約束したんだ。
それは同情の涙じゃない。
きっと…話してくれて、ありがとうの涙だ。
愛してるって言った言葉だって、普通の兄弟や親しい人に言う、愛だ。
「陽介先生?オレはね、今度のコンサートに掛けてるんだ。分かるだろ?だってめちゃめちゃいい席を取れたんだ。これならあの子たちの汗まで見えるはずだよ?」
オレはそう言ってペンライトを持つと彼を見上げて言った。
「もう一回!最後に練習してから、解散だよ?」
「…もう…仕方ないな…。最後だよ?」
眉を下げてそう言うと、陽介先生は転げる様にベッドから降りてYouTubeで曲を再生させてくれた。
オレと彼は並んで座ると、テレビを見ながら”掛け声”の練習をする。
彼はオレという人を把握して、理解して、受け入れてくれた。
彼はお父さんになるんだ…命を授かる事の責任をきちんと全うして欲しい。
産まれて来た命に、愛情を沢山かけて…こんな化け物にしないで欲しい。
そう…オレみたいな、化け物に…
絶対してはダメだ。
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