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第16話
18:00 三叉路の店にやって来た。
”掛け声”の練習をし過ぎて、オレは少し喉の調子が悪い。
「おはよ~。」
エントランスの支配人に声を掛けると、彼はオレの手を引っ張って言った。
「シロ、アイドルのコンサート…いつだっけ?」
オレは首を傾げながら彼の手元を眺めた。
シフト表…
「やぁ~、年末までお休みなしだね?毎年の事だけど、年末にストリップなんて見にくるお客なんていないよ?今年はさ、お休みにしちゃいなよ?ね?」
オレはそう言って支配人を見上げると、彼の腕に可愛く頭を擦り付けた。
「フン!お前が面食いだって事は知ってるんだ…!俺は騙されないぞ!それにだ、毎年なんだかんだ言ってお客は入ってるじゃないか。だから、今年もお休みなんてしないで営業する。ふふっ!ざまあみろだな!」
オレのピンクの髪をグリグリすると、支配人は首を傾げて、クンクンと匂いを嗅ぎ始めた。
とうとうボケ始めたんだな…
「はいはい。支配人がひとり者で年末年始に何の楽しみも無いから、従業員を酷使して、最後の最後まで営業を続けるって方針は分かりましたよ~。」
オレはそう言って彼から離れると、地下への階段を降りて行った。
「シロ~。おはよう?」
鏡の前でメイク道具を広げた楓がそう言って笑顔をくれた。
「おはよ~」
彼の隣にメイク道具を置くと、上着を脱ぎながら椅子に腰かける。
今日の楓…メイクがいつもより、ゴージャスだ…
「どうしたの?今日は随分張り切ってるじゃないの。いつも綺麗だけど、今日は飛び切り綺麗だよ?」
彼の肩にもたれながらそう言うと、楓はニヤリと笑ってオレに教えてくれた。
「…今日、貸し切りだって知ってた?」
「いいや…?」
そんな話、さっき支配人と話したけど、聞いていないよ?
「凄い人たちが来るらしいよ?支配人がウキウキして話すから、僕、頑張っちゃったもんね~!」
なんだと!
「え~、聞いてないよ。誰が来るの?誰が来るの~?」
オレはそう言うと、席を立ち上がって階段を駆けあがった。
「あぁ…」
オレを見ると、そう言って視線を逸らす支配人に詰め寄って行く。
グイグイと体を押し付けて口を尖らせながら言った。
「なぁんだ!なんでオレには教えてくれなかったの?!酷いじゃないか!意地悪するの?オレに意地悪するの?」
彼はたばこの在庫をチェックしながら、鬱陶しそうに顔を反らして言った。
「…違うよ?お前に話したら、興奮してちゃんとやらなくなるかもって…心配したから言わなかったんだよ?」
え…
ドキドキ
オレが…興奮しちゃう様な相手って…キラキラした、アイドルか?!
体を捩って、支配人の顔を覗き込みながら、満面の笑顔で聞いた。
「誰?誰が来るの?貸し切りなんて…きっと、海外の人とか?もしかして!オレの好きなKPOPアイドルの子たちが来るのかな!?あぁっ!どうしよう!急いで今日の衣装を考えないと!はぁはぁ…ドキドキ…」
オレが勝手に勘違いして興奮し始めると、支配人はオレを見つめて言った。
「韓国のじゃない。日本のアイドルが来るんだ…。」
それでも良い!オレはキラキラしたアイドルが好きなんだ!
「やった~~~!」
両手を上げて喜ぶと、階段を駆け下りた。
「楓!日本のアイドル様がご来店するぞ!」
控え室の扉を開いた瞬間そう言って、鏡の前にドカッと座る。
どうしよう…何の衣装にしようかな…ドキドキしちゃう。
きっと、トロけちゃう位に可愛いんだろうな…あぁ。
どのグループの子だろ?
KPOPアイドルは熟知してるくせに、日本のアイドルはまだまだ知識不足だ…
良いよ、良いよ。アイドルに変わりはない。
きっと…飛び切りに可愛いんだからぁぁぁ~!!
「シロ…めっちゃ鼻の下伸びてるよ…?ちょっとキモイ。」
酷いじゃないか…
楓がオレの興奮に…やや、引いている様だ。
「楓?今日、何踊るの~?何踊るの~?」
今日のストリップショーのスケジュール
20:00 楓
22:00 シロ
24:00 楓
オレよりも、楓の方が踊るんだ。だから、彼に雰囲気を合わせて行こうと思った。
「そうだな~。アイドルの子が喜びそうな…そんな、普段と変わらない物にしようかなぁ~。」
楓はそう言うと、普段よりもゴージャスな衣装に手を伸ばした。
ふふっ!おっかしい!
19:00 店内に向かう為、エントランスを通る。
「シロ、何だ…普通の格好じゃないか…」
支配人がそう言って苦笑いをした。
でも、オレはいつもの様に、いつもの格好をして、いつもみたいに踊る。
だって、それが1番かっこいいって…知ってるからね?ふふ…
「なぁんで?可愛くない?」
そう言って支配人に首を傾げると、彼はにっこりと笑って、オレの頬を撫でて言った。
「今日も、可愛いよ…」
そうだろ?全く!
店内に入ると、ウェイターがみんなオレを見上げる。…ふふっ!
待ち構えてるの?オレだよ?ごめんね?
オレはクスクス笑いながら階段を降りて、ウェイターに悪戯っぽく笑って謝った。
「ごめんね~。オレだった~!んふふ!」
「ハイハイ…」
塩対応だ!んふふ。
みんな誰が来るのか知ってるの?いつもと違った緊張した雰囲気に、わらけて来る。
「ビ~ルちょうだい!」
オレがそう言うと、マスターはクスッと笑ってビールを寄越して言った。
「今日は厳戒態勢だね?一体誰が来るの?」
「日本のアイドルって聞いたよ?」
オレはそう言ってビールを一口飲むと、エントランスを見上げた。
「アイドルくらいにこんなに厳戒態勢なんてならないよ。もっとビッグな人が来るんだ。」
え?
アイドルよりも尊い物なんていないさ。
「ふぅん…」
興味なさげにそう言うと、オレはイヤホンを付けた。
昨日更新された“KPOPアイドルのコンテンツ”をチェックするの、忘れていたんだ。こういう空き時間にマメにチェックして行かないと…彼らはどんどん先に行ってしまう。
「ふふっ!可愛い…!」
1人でぶつぶつ言いながら、鼻の下を伸ばして、ビールを片手にアイドルを見る。
彼らは“練習生”なんて言って、子供の頃から世間に出るまで、長い下積みを経験していくんだ。だからかな、とっても一生懸命なんだ。
そんな姿に…ボカァね、心打たれちゃうんだよ…
「シロ…何、見てんの?」
オレの携帯を覗き込んで、勇吾が不思議そうな顔をしてそう言った。
「んふ。勇吾。これはね、オレの好きなアイドルグループの子たちのコンテンツだよ?今回はみんなで一緒にキャンプに行ってる。この子が可愛くて…むふふ。堪んないんだよ?だって、ほら、見て?可愛いだろ?」
オレがそう言って彼に携帯の画面を見せると、彼はオレのイヤホンを外して言った。
「お前の方が、可愛いよ?」
はは…乾いた笑いしか出ないよ?
「だって、お肌はこんなに白くて、スベスベだ…それに、可愛い唇に、可愛い目元。」
そう言って勇吾はオレの顔を優しく包み込んで、うっとりと見つめた。
彼の瞳をじっと見つめて、目の中に映る自分と目が合って、鏡を覗いている様な、不思議な気分になって来る。
「こんなに可愛い生き物…見た事が無いよ?ふふ…」
そう言うと、自然過ぎるキスをオレにくれる。
相変わらず彼は、美しくて、素敵な、王子様だ…。
「ふふ…それは…光栄だよ?」
オレはそう言って笑うと、隣に座った勇吾に言った。
「勇吾?今日は貸し切りだ。支配人に止められなかった?」
「いいや。」
おや?
あの支配人がこんなに目立つ美系の勇吾を、スルーする訳無い。きっと、支配人が忙しくしている所を、何食わぬ顔で通って来たんだな。
オレは頬杖を付くと、勇吾をジト目で見ながら言った。
「何でも日本のアイドルの子が来るらしいよ。マスコミ対策か何かで、貸し切りなんだ。だから今日は帰った方が良いよ。また明日来たら良い。ね?」
「どうして?」
彼は不思議そうな顔をしてそう言う。
そんなの今言ったじゃないか。全く…
オレは彼に夢中だけど、仕事はきっちりとこなす男だよ?
「だから、今日は貸し切りなの。だから、勇吾は帰るの。」
そう言って席を立つと、彼の腕を引いて階段を上っていく。
「あ…勇吾さん。どこかに行くんですか?」
そう声を掛けて来た男の人に、勇吾は肩をすくめて言った。
「この子が、俺とエッチしたいって…聞かないんだ。」
もう…また始まった…彼のツンデレの”ツン“の部分だ…
「もう!」
オレはそう言って勇吾の脇腹を叩くと、両手で彼の体を押した。
「え…マジですか?」
その人はそう言うと、帽子を脱いで、オレをまじまじと見つめて言った。
「良いな。俺ともしない?」
は?
「ふざけんな。死ね。ぼんくら!」
オレはそう言うと、ニヤけた勇吾を階段の上まで押して行って、教えてあげる。
「勇吾?今日はね、貸し切りなんだ。だから、勇吾は明日おいで?ね?」
オレがそう言っても、彼はニヤニヤ笑うだけで何も答えないし、動こうともしない。
オレの腰を引き寄せて抱きしめると、甘い声を耳元に届けてくる。
「シロ?勇ちゃんの事…好き?」
もう…
オレは彼の背中をそっと抱きしめると言った。
「…好きだよ。でも、今日はダメなの。さっきから言ってるでしょ?」
「シロ坊。あれ~?2人して何してんの?」
そう言って夏子さんまでやって来た。
「あれ?支配人、仕事してないな…今日は貸し切りなのに…。普通のお客さんを入れたら、ダメじゃないか…もう…あのジジイは半分ボケてるな…」
オレがそう言って肩を落とすと、夏子さんが言った。
「うちらも、その貸し切り客の一員なんですが…ふふ。」
へ?
日本のアイドル…アイドルのコンサートの演出…アイドル…アイドル…
「なぁんだ。そうだったの?勇吾がちゃんと教えてくれないから、オレはてっきり勝手に入って来たのかと思ったんだよ?もう…この人は、意地悪なんだ!」
目の前の勇吾の胸をペチッ!と叩いてそう言うと、ジロッと睨んで見つめる。
彼はクスクス笑いながらオレの頬にキスをして言った。
「可愛い…俺が間違って入ってきたと思ったんだよね?ふふっ。言っただろ?今日のスケジュールは、13:00までシロと2人きりで過ごして、渋々仕事に行って、夜はお店に行ってシロを抱くって。…忘れたの?」
え…?
「んふふ!あ~、そうだったのか!あはは!」
今の今まで、忘れてたさ。
特に最後のは無理だと思うよ?だって、桜二がお迎えに来るんだ。
でも、あまりに見事な彼の伏線回収に、オレはケラケラと笑いが止まらなくなった。
「あ、勇吾さん。お疲れ様です。…あ、その子。お店の子ですか?ストリッパーか…凄いな…もしかして、知り合いですか?」
そう言って、野暮ったい格好をした男の人が、勇吾に話しかけて来た。
随分…着込むんだな。真冬でも無いのに…。
しかも微妙にダサい…柄が渋滞してる。
「まぁね…」
勇吾は面倒くさそうにそう答えると、オレの体を後ろから抱えて、階段の踊り場から下を見下ろして言った。
「シロ?見て?あれが…アイドルの実態だ…!」
そう言って彼が指を差した先には、さっきの野暮ったい男の人と、オレが“死ね、ぼんくら!”と暴言を吐いてしまった男の人…その他3名ほど、パッとしない男の人がいた…。
「スタッフの方がキラキラしてる子が多いんだよ?」
オレの耳元でそう言って勇吾が指を差すから、その先を視線で追いかける。
「あの子は…今年で19歳。まだまだ若いのに疲れちゃってる。ふふ…でも、美人さんだろ?」
確かに…すらっとした手足が美しい、美人さんだ。
「あの子は、ちょっとバランスが悪いけど、座った姿は綺麗なんだ。きっと座高が低いんだろうね。」
そう言って彼がまた指を差すから、その先を視線で追いかける。
「ふふ…確かに…でも、綺麗な人だね。」
オレはそう言ってクスクス笑うと、勇吾に言った。
「勇吾?勇吾は一緒に仕事をする人の事も、そうやって変な目で見てるの?」
「ぷぷっ!」
彼は吹き出して笑うと、オレの首にキスをして言った。
「…可愛い、妬いてるの?」
違うよ…ただ単に、失礼な奴だと思っただけさ。
合計60名ほどの人数で…この店を貸し切りか…
普通に計算しても…この店の集客を考えると、よっぱどの金額を積まれない限り、大損だ。銭ゲバの支配人がこの規模で、そうそう貸し切りなんて…許す訳無いよ。
高額な金額の提示と、それに見合う様なお客が来るって事だ…
でも、あのアイドルの子たちは…違う。
マスターのいう通り、もっとビッグで、もっと凄い人が来るって事だな。
「勇吾?アイドルの子たちは思ってたのと違った。もっと可愛いのかと思ったら…髭が生えた童顔のおじさんだった…。悲しいよ。夢が壊れた…今日は早退しようかな…」
オレがそう言うと、背中の勇吾はクスクス笑って言った。
「じゃあ…勇ちゃんのお部屋に行く?」
それは…それで、魅力的だけど…今日は桜二のお迎えが来るんだ。
「行かない。だって、桜二が迎えに来るから…」
オレは意味深にそう言うと、彼の体にそっと自分の体を預ける。
「そう…それは…残念だね。」
彼が意味深にそう言って、オレの首に顔を埋めて、キスをした。
これは、完全に浮気だ。
オレは彼に本気になって…彼もオレに本気になって甘々になってる。
…でも、彼はそのうちイギリスに帰るんだ。
「今日はね、アイドルの子じゃない、もっと凄い人が来るんだって…ね?勇吾は誰が来るのか知ってる?」
首を反らして後ろの彼に聞くと、彼は首を傾げて言った。
「さぁ…誰かな?」
なぁんだ…勇吾も知らないのか…
オレは勇吾の手を繋ぐと、一緒に階段を降りて行く。
「オレは22:00に踊るんだ…それまで居る?」
彼の顔をチラッと見てそう聞くと、彼はオレの顔を見てうっとりと言った。
「当たり前だよ…お前を見に来たんだ。」
ふふ…
彼の色っぽい声ににっこりと笑顔を返して、ステージに上がると、そのままカーテンの奥へと退けた。
「なぁんだ…シロ。行っちゃうの?」
そう言った勇吾の声をカーテンの向こうに聞きながら、逃げる様に控え室へと戻って来た。
オレは器用じゃないから…夏子さんの目の前で、勇吾にデレデレになってしまうよ…
そうしたら、オレが彼に夢中だって…彼女に気付かれてしまう。
この思いを…誰にも知られたくない。
勇吾以外に…知られたくないんだ。
カーテンの奥からやって来たオレに、楓が口を歪めて指を差しながら言った。
「あ~!いっけないんだ~!」
止めろよ、せっかくの美人が…そんな顔をするもんじゃないよ?
オレは眉を上げながら唇を尖らせて、“ムカつくヒヨコ”の顔をすると、そのままソファにゴロンと寝転がった。
怪訝そうにオレの顔を覗き込む楓にポツリと言った。
「アイドルなんて…いなかった…クスン。」
オレはそのままソファでふて寝すると、自分の出番までジッとここで過ごそうと心に誓った。
オレは愛しの勇吾から気持ちをシフトして、アイドルの実態を嘆き始める。
「あんなの…見なきゃ良かった…オレは悲しいよ?」
オレがそう言うと、楓は首を傾げる。
何がどうだって…髭が生えて青くなってるのを見たのがショックだった…
いやね、男性なら生えるのは当然さ。
オレみたいに生えない人もいるけど、普通の男性は髭が生える。
でもね、アイドルだったらさ…人の前に出るならさぁ…髭くらい剃ろうぜ…?
会社に行かない桜二だって、毎日ちゃんと髭剃りしてるよ?
基本的な、身だしなみの問題だよね…?
あ~あ、がっかりだよ。
「シロ~!行ってくるね~。」
そう言って楓がワクワクしながらカーテンの向こうにお仕事をしに行った。
きっと驚くよ…?
だって、オレの勇吾の方が断然イケメンなんだもん…ふふ。
そう、勇吾はイケメンで、美しい男なんだ。半開きの瞳も、整った眉毛も、柔らかい髪の毛も…全てが格好良くて…全てが、美しいんだ。
「はぁ…」
彼を思いながら胸に手をあてて、恋するため息を吐く。
「うあ~ん!」
ステージに出たばかりの楓が、泣きながら走って帰ってきた!
やっぱりね…!あの惨状に、ビックリしたんだろ!?
オレはソファから体を起こすと、悟った顔をしながら彼に言ってあげた。
「楓、驚いたらダメだ…彼らも人間なんだ…アイドルである前に…男なんだ。そして、髭を剃る…という普通の人の身だしなみさえ出来ない汚い男でも、人の手を借りると、アイドルとして舞台に立つ事が出来るようなバックを持った人たちなんだ…だから…今、見た事は、忘れるんだ…。オレも、忘れようと思う…。」
目を瞑りながらそう言ってウンウンと頷いていると、楓はオレの両肩を掴んで、ガンガンと揺らして言った。
「シロ~。お行儀が悪いお客さんだよ…貸し切りだからって…好き勝手する…しくしく。ポールで遊びだして…僕、僕、怖くて逃げて来ちゃった…え~ん、え~ん。」
なんだと?
支配人は…何をしてるの?
オレはカーテンを少しだけ開けて、ステージの上を偵察した。
「ふんふん…馬鹿なサルが2匹…。柄が渋滞してる…あのダサい服は、アイドルの子か…調子に乗ってるね。ぶっ殺してやろうね…。」
オレの夢を壊したんだ…許せないよ…!
オレは小道具の中から鞭を取り出すと、クルクルと巻いて、ズボンに突っ込んだ。
手首と足首を回して、首をぐるりとゆっくり回す。
何にでもそうだ…。
敬意を払えない奴は、クズ。
こんな小さなお店でもね、支配人の思いが詰まってるんだ。
ステージに、ショーに、最低限の敬意を払えないような奴は、みんなクズだ。
そんな奴、オレは許さないよ?
カーテンを開いて、ステージへ向かうと、驚いた顔をする無礼者を舐めるように見ていく。階段の上、いつもの場所には…忌々しそうな顔をした支配人が立っていた…
オレを見ると、あっと、驚いた顔をして…悲しそうに首を振った。
注意するなって?…馬鹿言ってんじゃないよ。
ふざけた顔してストリップの真似をするサルに、にっこりと笑いかけると、ズボンに入れた鞭を取り出して、ゆらりと先っぽを垂らした。
「あはは!ぶたれるぞ?お仕置きされるぞ?」
ステージの下で囃し立てるサルを無視して、ニヤけ顔でオレを見上げる、ストリップを侮辱したサルを見下ろす。
お仕置き?
違うよ
これはね…処刑だ。
パシィィィン!
彼のすぐ傍に鞭を振って空気を振動させると、ニヤけたアホ面が真っ青に変わって行く。
逃げ出そうとする彼を捕まえると、上手に丸め込んでステージに寝転がらせる。
マウントを取る様に跨って座ると、頭の上で鞭をビュンビュンと音をさせて回す。
「あ~はっはっは!」
笑いながら仰向けで寝転がるサルの頭の上に、何度も鞭をしならせて振り落とした。
空気を切る音と、空気が振動する圧を顔の近くに感じて…ビビッてギャアギャア喚き始める。
「やめて!やめてっ!怖いからっ!」
大騒ぎするサルの肩を、片足で踏みつけながら立ち上がる。
そして、階段の上の支配人を見て、彼に大声で言った。
「おい!ジジイ!お前のステージが馬鹿にされてんぞ!追い出せ!…こんなサル、いつもみたいに追い出せよっ!」
そして、足元でもがいて暴れるサルを見つめて言った。
「アイドルは…髭なんて生やさない。だから、お前は…偽物だ。」
そのまま左足を大きく後ろに引いてバク宙すると、サルの顔の横に手を着いて華麗に立ち上がった。
「シローーー!フォーーーッ!」
夏子さんのシャウトを受けながら、震えてオレを見上げるサルを、見下した目で見つめて言ってやった。
「舐めんなよ…?」
半泣きで逃げ去るサルを尻目に、ポールによじ登るサルを見上げて、考える。
汚ねぇ手で触りやがって…クソったれが…
「あの…あの…すみません、危ないので…本人が下りるまで、何もしないでくれませんか…」
そう言ってステージの下からオドオドと話しかけて来る男を見下ろして言った。
「躾がなってない。そういう奴がどういう目に遭うのか、あんたも思い知った方が良い。」
「ちょっ、ちょっと…!」
そう言う男を無視して、ポールから少し離れると、助走を付けて飛び乗って、ガンガンと揺らす。そのまま膝の裏にポールを絡めて、上体を起こして上へ登っていく。
ポールにしがみ付くサルと目が合って、オレはにっこりと笑って言った。
「アイドルなんだもん…受け身くらい、取れるだろ?」
「…いいえ。」
顔をこわばらせるサルを無視して、彼の頭の上までよじ登ると、太ももでポールを挟んで体を仰け反らせていく。
「シローーー!いいぞーーー!落とせーーー!」
勇吾がそう言って、オレに歓声を送ってる。
落とせだって?
ふふ…物騒だね。
「太ももで挟んでごらん?そうすると…落ちないよ?…ほらっ!早くっ!」
オレはそう言うと、ポールにしがみ付いたサルの手を、笑いながら解いて行く。
「あっ!あっ!!あぶない!やめてっ!!」
オレは落ちない方法は伝えたよ?
それをやらないのは…お前の選択で、オレの責任じゃない。そうだろ?ふふっ!
サルの両手がポールから離れて、体がポールから離れて行く…
「あ~あ、お前…落ちて、死んじゃうの…?」
悲しそうな顔をしたサルにそう言って、にっこりと笑いかける。
「シロッ!」
支配人の檄が飛んで、オレは仕方なく…彼の救助に向かった。
両手に力を入れて、ポール挟んだ太ももを緩めると、つま先で蹴り飛ばして体を一気に反転させる。
落ちていきそうなサルを体に抱えて、受け止めてあげる。
「馬鹿だな…死にたいの?これはね…遊びでやるようなものじゃないんだよ?命がけなんだ…良い?二度と登ったらダメだよ?…お前みたいな馬鹿は、もう何にも登るな。良い?山にも、階段にも、女にも、登るな。良いね?」
サルの耳元でそう言うと、コクコクと頷いて、フルフルと体を震わせる。
これがアイドルなんて…笑わせるよね…
低い所まで抱えて降ろすと、足を上に上げて下に落としてやった。
再びポールの上に登っていくと、オレは、ポールダンスを踊って見せ付ける。
アクロバティックで無重力を感じさせるような…誰にも真似出来ない、美しいポールを踊っていく。
お前らが馬鹿にしたものは、これなんだ…
これを見ても、まだ馬鹿にするって言うなら、お前らの感性は死んでる。
DJがオレの好きな曲を掛けて、階段の上の支配人が笑顔で降りて来る。
お前らが不甲斐ないから…オレが叱ってやったぞ?
お行儀の悪いサルを懲らしめてやった。
腕だけでポールを掴むと、滑空するようなスピードで回って降りていく。
そのままステージの中央へ行くと、いやらしく腰を動かして跪く。
目の前の男の子。君は…少し、髪型が変だ…
そんな事を考えながら、上に着た服を下から捲し上げていく。
「シローーー!」
勇吾が笑顔になって、カウンター席からステージ前まで走って来る。
服を肘まで持ち上げると、ゴロンと仰向けに体を返して、体を仰け反らしながら全て脱いでいく。
自分の手を体に這わせて、目の前の女の子を見つめると、口を喘がせながら舌なめずりして、ギラギラと目を輝かせる。
「あぁ…!」
女の子がそう言ってトロけた瞬間、膝立ちになって、チャックを下げながら腰を動かしていく。
今、オレは君をファックしてるよ…?どう?気持ち良いだろ?
ねっとりと桜二のロングストロークな腰遣いで、女の子をどんどんトロけさせる。
膝まで降ろしたズボンを足首まで下げながら、体を仰け反らせて股間を見せつける。
「あは!シロー!舐めさせて!」
ふふっ!もう…最低だ!
勇吾は興奮しすぎだね…自重するべきだ。
オレは勢いを付けると、回転しながら立ち上がってズボンを放り投げる。
「いいぞーー!」
「かっこいい!」
そうだろ?
方々から指笛が聞こえて、興奮した拍手と、歓声が上がる。
極めつけにポールに走って向かうと、勢いを付けて飛び乗った。
体をしならせてポールに絡ませるように、両足を高く上に持ち上げていく。
「シローーー!大好きだーーー!」
人一倍、大きな歓声をくれる勇吾を見つめてにっこりと微笑む。
勇吾?見ててね?もっと上手に踊ってあげる。
まるで重力が無いみたいに…まるで飛んでいるみたいに、まるで水の中を泳いでいるみたいに…あなたに魅せてあげよう。
体を仰け反らせながら膝の裏でポールを掴むと、体を外向けに仰け反らせていく。
二の腕と内ももでポールを固定すると、体をどんどん仰け反らせてつま先を頭に置いた。ゆっくりと回転させながらキープすると、仰け反らせた体で反動をつける様に一気に足を振り落として、回りながら下に落ちていく。
ポールの最後の最後で、高速スピンすると、勇吾の目の前で止まってポーズを取った。
「ブラボーーーッッ!」
勇吾がはち切れんばかりの笑顔になって両手を上げて喜ぶと、周りに居たお客が一斉に沸いた。
ふふっ!…決まったな!
オレは立ち上がると、丁寧にお辞儀をしてカーテンの奥へと退けていく。
「楓…仇は取った…クソったれをぶちのめしてやったぞ…」
オレはそう言うと、楓に抱きしめられて、ブンブンと振り回される。
「シローーー!よくやったぞーーー!」
カーテンから支配人が飛び込んで来て、楓の上からオレを抱きしめる。
「シローーー!」
DJまでやって来て、みんなの上からオレを抱きしめる。
「なぁんで何も言わないんだ。あんたはいつだってそこら辺、厳しくやってるだろ?そういう所が好きなのに…がっかりだよ?」
オレはそう言って眉を上げると、支配人を見つめて口を尖らせて文句を言った。
彼はオレを見つめると、同じように口を尖らせて言った。
「…お前の友達…美系の…浮気相手…。あいつは海外で有名なダンサーだった…。一緒に居る女よりも、もっと、もっと、向こうで評価されたダンサーだ。彼の一声で、この店が貸切られて、一日の売り上げよりも高額な金額が動いた。あいつが文句を言わない限り、俺は何も言えなかった…。でも、お前が言った通りだ。追い出そうな…」
へ?
勇吾って、そんなに…凄い人だったの…?
内心驚きつつ、察せられない様に興味なさげに返事をした。
「しっかりやんなよ。オレは自分の領分を全うしたぜ?」
オレはそう言って、半そで半ズボンに着替えると、支配人と一緒に階段を上がった。
エントランスに居るウェイターに目配せして、支配人が店内に戻って階段を降りていく。
オレは彼の後姿を見つめながら、堂々と階段を降りていく。
…ここはオレ達の店だ。
行儀が悪い奴は、アイドルでも何でも…追い出すんだよ?
「おい!クソガキ!出て行け!」
アイドル達が座ったテーブルの前に立つと、支配人はそう言って両腕を組んだ。
「ここはな、遊び慣れた上等な客が来る店なんだ。お目らみたいなクソガキが遊びに来る場所じゃねんだよ…。とっとと帰れ!」
「そうだ、帰れ!」
オレはそう言って仁王立ちすると、支配人の隣で偉そうにふんぞり返った。
彼らの傍に居たオドオドした男が立ち上がり、オレの目の前に来て言った。
「さっきのは…危なかった。この子たちはコンサートを控えてるんです。なのに、あんな事をして…怪我でもしたら…損害賠償どころじゃないですよ?」
脅し?上等だよ。
オレは彼の顔の間近に顔を寄せると、腹に力を込めて言ってやった。
「おい!お前!躾がなってないんだよ?損害賠償だか何だか知らねぇけど、まずはしっかり人の言う事を聞く様に躾をし直せよっ!」
ふてくされた様に視線を逸らすオドオド男を無視して、シュンと顔を伏せる童顔のおっさん達に私情を交えて説教をする。
「お前らがどれだけ世間にもてはやされたとしても、人の家を土足で踏み荒らすような無礼が許される訳じゃねんだよ?それにだ…管理がなってない。髭くらい剃れよ。綺麗にしろよ。お前らは見せ物なんだ。自分の見た目で商売してる。プロならプロらしく、爪の先まで管理しろよっ!こちとら、汚ねぇ顔なんて見たくねんだよ?」
本当…がっかりだよ。
夢は夢のまま…現実なんて知りたくなかった…クスン。
「帰れ!」
支配人がそう言うと、ウェイターが彼らの周りに集まった。
オドオドした男がそれを制して彼らを促すと、背中を丸めてトボトボと帰って行った。
この場で彼らの立ち位置は低い様だ…
誰も付いて行かないし、誰も抗議すらしない…
きっとここに集まった人たちは…勇吾と一緒に現場にいるスタッフが大多数なんだ。
表に立つ人達じゃない、裏方の人達。
アイドルの本当の顔を知っているから…興味すら無さそうに顔を背けてる。
これが…偶像の実態…
オレの好きなKPOPアイドルも…そうなの…?
嫌だ…悲しい…そんなの、嫌だよぉ…クスン。
彼らも人なんだ…隙ぐらいある。
でも…見える部分だけでも、見える瞬間だけでも、騙し続けて欲しい…。その為にも、一番手っ取り早い方法として、見た目は完璧にするべきなんだ。
「シロたん?プリプリしてないで、こっちにおいで?」
勇吾がそう言ってオレの手を繋ぐと、カウンター席へと引っ張って連れて行く。
オレは彼が握った手を眺めながら、彼の腕を見つめる。
オレの腕を引っ張っていく…力強い腕。
兄ちゃん…
「何でも無いんだ。もう…こっちにおいで…」
「どうして…どうして?あの人は…誰なの…」
学校から帰ると、知らない女性の靴が玄関にあった…
居間に座ったヒラヒラのスカートをはいた、ショートカットの女の人。
彼女はオレを睨みつけるような鋭い視線を投げつけて来た。
兄ちゃんが慌ててオレと彼女の間に入って、オレの腕を掴むと、強引に家の外に連れて行った。
オレは兄ちゃんが女の人と居ること自体、不思議に思わなかった。でも、こんなに慌ててオレを連れ出した兄ちゃんに、そこはかとない違和感を感じて、不安になった。
「児童相談所の人が話を聞きに来ているだけだよ…」
そう言った兄ちゃんの声も、言葉も、何もかも信用出来なくて、不安だけが募った。
「すぐ終わるから…ここで少し待っていて?良いね?」
「兄ちゃん…行かないで…」
オレはそう言って兄ちゃんの手を握ると、顔を見上げて涙を落とした。
彼女が兄ちゃんの特別だって…気付いてしまったんだ。
「…シロ、泣かないで…すぐ終わるから。」
嘘っぱちの言葉をオレに掛けるの?
嘘っぱちの困った顔をして、オレを騙して、オレ以外の誰かを大切にするの?
それを、オレは…どうしたら止められるの…
「シロ坊!最高だった!あんたって本当にエキセントリックで、カッコ良いんだっ!」
夏子さんの声に我に返ると、勇吾が心配そうにオレをじっと見つめて言った。
「大丈夫か…」
さあね…でも、当時の記憶がまた戻った…
依冬の話を聞いたせいだ。
まるで触発された様に、あの時の情景も、気持ちも、思い出した。
自分の日常がガラガラと崩れて行く、不安…
兄ちゃんが自分以外を愛する、恐怖…
…でも、オレはそれがただの記憶だって知ってる。
今さら傷つく必要なんてない、ただの記憶だって…知ってる。
…そうだろ?
「うん…大丈夫だよ。」
そう言って勇吾を見つめ返すと、にっこりと笑って彼の頬を優しく撫でた。
彼は瞳を嬉しそうに細めると、オレにキスをして言った。
「シロ…最高だったよ。」
そっと体を抱き寄せられて、きつく抱きしめられる。
腕からこぼれて行かない様に大切に抱きかかえて、オレの耳元で彼が囁いた。
「お前が…欲しいよ。」
その瞬間、背中がゾクゾクと鳥肌を立てて、体が小さく揺れた。
彼の声に…彼の言葉に…嘘なんて感じない。
本当に…そう思ったんだ。
オレが欲しいって…本気で、そう思ったんだ。
そこはかとない恐れを感じて体を離すと、視線を当てないで口元だけでふふッと笑う。
彼の勢いと、パワーに…飲み込まれてしまいそうだ。
それは普通の人が持ち合わせていない…カリスマ性なのか、それとも、彼の俺様が成し得る理由のない安心感なのか…
…オレは彼に自分の全てを許してしまいそうだ。
もう脱力してしまいたいよ…
「夏子さんも、さっきの好きだった~?」
オレは勇吾から離れると、夏子さんの隣に座ってごろにゃんしてふざけた。
「好きだ~。特に、鞭が良かった!」
「あはは!上手だろ?桜二を毎日ぶってるからね…?」
オレがそう言うと、夏子さんは笑顔を消してピタリと動きを止めた。
はは、冗談だよ?
でも、彼女はにわかに…信じたようだ。ふふっ!
「マジか…桜二…マジか…」
オレは敢えて訂正なんてしなかった。だって、その方が面白いだろ?ふふ。
「シロ…勇ちゃんのとこにおいで?」
そう言って手招きする美しい王子様を見つめる。
そうやって…すぐに自分の方へと引き寄せたがるんだ…
でもね…彼女の前ではオレはデレたりしないよ?
「…勇吾が、オレの所においで?」
オレはそう言って彼に手を伸ばすと、にっこりと笑いかけた。
そんなオレの手を取って、優しい笑顔を見せる彼に…クラクラする。
立ち上がって、椅子に座るオレを後ろから抱きしめると、クッタリとオレの背中に顔を付けて、愛おしそうに頬ずりする。
「あぁ…勇吾はもうダメだね。シロの奴隷だ…」
手元のビールをグイッと飲むと、夏子さんがジト目でオレを見てそう言った。
奴隷…?
人聞きが悪いね…それを言うなら、オレも彼の奴隷だ…
夏子さんに眉毛を上げて口を尖らせると”ムカつくヒヨコ“の顔をして抗議する。
「そんなんじゃないよ?ただ、仲が良いだけだよ?」
「あんなにぎゃんぎゃんいがみ合ってたのに?急に仲良しになったんだね?」
夏子さんはそう言うと、不敵な笑いをオレに向けて言った。
「奴隷同士が殺し合い…しなきゃ良いけどね?」
そうだね…それが一番心配だ。
だって、桜二は、勇吾がオレを連れて行くって…怖がっているんだ。
彼はオレを置いてイギリスに帰ってしまうというのに…勝手に一人で、怖がってるんだ。
不毛だよ…
「ふふ…そんなんじゃないよ?本当に仲良しなだけだよ。…そうだよね?」
勇吾の顔を覗き込んでそう言うと、彼はうっとりと色づいた瞳でオレを見上げて言った。
「…そうだよ。シロの言う通りだ。」
「ほらね?」
眉を上げてそう言って、神妙な顔をする彼女にニッコリと笑いかけた。
どんなに彼が好きでも、どんなに彼が欲しくても、彼はオレの知らない場所に戻って、オレの知らない人たちと、オレの知らない生活を送るんだ。
「勇吾は…向こうで何の仕事をしてるの?支配人が言っていたよ?勇吾はとっても有名なダンサーだって…。ふふ…。教えてよ。何の仕事をしてるの?」
自分に絡みついた彼の腕を解くと、隣の席に座らせて顔を覗き込んだ。
今まで幾らでも聞けた筈の、初対面の様な質問を彼に投げかける。
彼が向こうでどんな仕事をしてるかなんて…本当は知りたくない。
自分の目の前の彼しか知らない自分は、彼の偉大さも、彼の偉業も、知らないまま…ただ、ふたりきりの世界で、オレを愛してくれる彼だけ、知っていればそれで十分なんだ。
でも、表向きのオレは…夏子さんの手前、彼の経歴を興味深げに聞いて見せる。
「舞台の演出をしているよ。今回のコンサートは言わば名前貸しみたいな感じで、あまり構成にも演出にも本格的に関わっていないんだ。だから、らくちんだよ~?」
舞台の演出…
勇吾はそう言っておちゃらけると、オレの頬を撫でてうっとりと目を細める。オレは彼の手の上から自分の手をあてると、首を傾げて聞いた。
「舞台監督なの?」
「どちらかというと、演出家かな…。主にコンテンポラリーダンスとか…ダンスを取り入れた演劇とか…」
「今年は先鋭的なバレエの公演もしたよね?わざわざフランスからイギリスまで観に行ったけど、素敵だった!あれも評判良かったね?何か…表彰を受けるかもって聞いてるよ?…どうなの?そんな話、来てるの?」
夏子さんがそう言って、勇吾の顔を覗き込んでる。
あぁ…本当に、凄い人なんだ…
「へぇ…凄いね…」
聞かなきゃよかった。
彼がどれほど凄い人かなんて…一緒に踊った時、分かった筈なのに、彼の住んでる世界の話を聞いたら、一気に自分がちっぽけに感じて、つまらない物のように感じた。
「さてと、オレは帰ろうかな…」
「もう?」
夏子さんがそう言って首を傾げるから、オレは飲み残しのビールをマスターに手渡して言った。
「だって、今日の出番はもうお終いだもの…帰って、桜二と映画でも見るよ。」
そう…オレはオレの日常に戻ろう…
華やかで豪華で、手の届かない様な世界の話はもう良いや…
「シロ…」
寂しそうな声を出して勇吾がオレを抱きしめて言った。
「…どうしたの。」
「どうもしないよ…?ただ、今日の出番が終わったから、桜二の所に戻るだけだ。」
悲しそうな顔をする彼から離れて、振り返りもしないで階段を上って、エントランスへ向かう。
単身イギリスへ行って、ダンサーをして、演出家になって、今では逆輸入の様に名前を重宝される…そんな彼に、自分は不釣り合いだ。
エントランスで支配人に報告する。
「本当だ、彼は凄い人だった!彼に比べたら、オレなんか豆粒くらいの存在だった~!はっ!嫌んなるよ!」
本心だ…本心がポロリした…
支配人はオレの後ろに視線を向けて、適当に生返事をするから、フン!と顔を反らして階段を駆け下りて行く。
もう…嫌になるよ。
イギリスで演出家をしていて?
先鋭的なバレエの公演をした?
そんな凄い人が、オレを好きになる訳無いじゃないか!
きっとドブの中の1円玉が…彼にはダイヤモンドに見えてしまったんだ…
そして、すぐに気が付くんだ…あ、これ…1円だったって…
「クソっ!」
そう言って控室に置かれた段ボールを思いきり蹴飛ばす。
意味もなく苛ついて、意味もなく涙が出そうになって、荒れ狂うオレを見て楓が首を傾げる。
「何~?シロ、イライラしないの…もう~」
くそ…!
心を落ち着ける為?イライラを忘れる為?携帯を手に取って桜二に電話をかける。
「もしもし?桜二?今日ね、もう終わったんだ~。迎えに来て~?シロを迎えに来てよ~!ん~!ん~!も~!早く迎えに来て~!」
甘ったるい声を出しながら、ソファでゴロゴロと体を捩らせるオレを見つめて、楓が深いため息をついた。
電話口の彼に思いきり甘えて、現実の厳しさを紛らわす。
「やだ~、やだ~、早く会いたいの~!すぐに来て~!1分で来て~!」
そう…早く迎えに来て欲しいんだ…
自分が恥ずかしくて、勇吾に夢中になる事さえ…馬鹿みたいに映る。
これはオレのプライドなの?
違う…
彼とオレは月とすっぽん…それだけの事だ。
彼にオレは相応しくない…それだけの事。
「よし、桜二はすぐ来るって言ってたし、外は寒いから…しばらくここに居よう…」
そう言ってソファにゴロンと横になると、楓が首を傾げて言った。
「シロ?あの人は放っておいても良いの?支配人が言うには…凄い人みたいじゃん。この店を貸し切りにしたのだって、彼の鶴の一声なんでしょ?だったら、もっとサービスしなきゃダメなんじゃないの?」
サービス?
そんな事したって勇吾は喜ばないよ…
「良いの、良いの、彼はそういうの、好きじゃないんだ。」
手のひらをヒラヒラさせてそう言うと、ぼんやりと天井を見つめる。
ステージの上、アイドルの子がふざけてストリップの真似をしていた姿を思い出して、グッと唇をかみしめる。
彼が住んでいる世界なら…
あんな風に、エロを表現する事を馬鹿にされる事なんて無いのかな?
コンテンポラリーや、バレエ、その他の芸術の様に評価されて…認められるのかな?
ブラボーと言った彼の声と表情を思い出す。
それは決してエロに興奮した顔じゃない、まるでエキサイティングな一つの演奏を聴き終えた後の様な…興奮したブラボーだった。
彼のいる世界では、彼の様に…感じてくれる人がもっと、沢山、いるのかな?
オレも…そういう世界に、行ってみたい…
馬鹿だな。
何の下準備も無い、付け焼刃の様なオレのダンスなんて…認められる訳ないじゃん。
彼とオレは違う。
そんな事も分からなくなる様じゃ…だめなんだ。
勘違いするなよ。
これ以上ダサくなるな。
「シロ。行ってくるね~!」
楓がそう言ってステージへと向かって行った。
彼を見送って自分のリュックを手に持つと、ソファから起き上がって控室を出る。
階段を上って支配人に挨拶すると、待ち構えていた勇吾を素通りして、エントランスから外に出た。
「シロ…行くなよ。」
そう言ってオレの肩を抱くと、ギュッと大切そうに抱える彼に、罪悪感を感じる。
「勇吾?桜二が迎えに来るから…やめてよ。」
そう言って彼の体を押し退けると、視線も合わせないでぶっきらぼうに言った。
「…勇吾はイギリスに帰る。だから、もう深入りするのは止めよう。」
「なんで?」
オレの膨れた頬を優しく撫でて、悲しそうに瞳を歪める彼が…とっても綺麗で、胸が苦しくなっていく。
「俺が凄い人で、自分は豆粒みたいだって、支配人に言っていたね?」
え!
聞いてたの?!
オレはばつが悪くなって、誤魔化すように視線を外すと、ん~?ん~?と言いながら揺れた。
そんなオレとは対照的に、勇吾は瞳から涙をボロボロと落として、オレの目を必死に見つめて言った。
「本物と偽物の違いは…誰がどんな評価を下そうとも、見れば分かるんだ。朽ちて行く過程さえも美しい…それが本物だってお前が教えてくれた。俺もそう思うよ。そして、こう付け加えたい…自分をどう思っていようとも、本物は光り輝くんだ。それは隠しきれないんだよ?」
何それ…
彼の大粒の涙を、未使用のタオルで優しく拭って教えてあげる。
「オレはドブの中の一円玉だよ?勇吾はそれを勘違いしちゃったんだ。あなたにはもっと上等で、美しい人が似合う。オレじゃなくて…もっと輝いてる人が似合うんだ。」
そう言って笑った目から涙がポロリと落ちた。
好きだよ。大好きだ。この人の甘い愛が好き…
でも、彼はずっと一緒に居てくれる訳じゃない。
そして、彼はオレの手の届かないような、華やかで美しい場所にいる人なんだ。
オレの顔を両手で包み込んで持ち上げると、彼が首を傾げて聞いて来た。
「シロ?俺の事…好き?」
「好きだよ…大好きだ…でも、オレは豆粒で、汚い…。勇吾には、もっと…」
ボロボロと涙を落としながらオレがそう言うと、話の途中なのに、彼が熱いキスをくれた。間近で見つめる彼の瞳から、綺麗な涙が流れて美しかった。
「シロ…大好きだよ。とても大切だ。」
そう言った彼の潤んだ瞳に、街灯がキラキラと輝いて見えて…少女漫画の中の王子様に見えた。
「でも…勇吾は凄い人で…もうすぐ、イギリスに帰るじゃないか…」
いじける様にそう言って、彼の肩に頬ずりして、グダグダに甘える。
「凄い人ってなんだよ…俺は何も凄くない。それは他人の評価だ…そうだろ?」
オレの耳元で勇吾はそう言って、オレの頭を抱え込んで抱きしめる。
「周りの事なんてどうだって良いだろ?そんな事…気にするなよ。俺とお前、ふたりの間でそんな事…関係ないだろ?」
そう言った彼の言葉に、彼の背中をそっと撫でると、何も言わないで答えた。
「勇吾?これ出来る?」
エントランス前の階段に腰かけて、桜二がお迎えに来るのを待ってる。
隣に座り込んだ勇吾を見つめて、クスクス笑いながら人差し指の第一関節を器用に曲げて見せると、反対の指でチョンチョンと触って笑う。
「気持ち悪いんだよ?こうするとビョンビョンってなって、気持ち悪いんだよ?触ってみて?」
オレがそう言って指を差し出すと、彼はにっこり笑って、同じようにチョンチョンと触った。
「うえっ…」
そう言って顔を歪める勇吾に、ケラケラ笑って足をばたつかせる。
すぐ近くでクラクションが鳴って、オレは顔を向けて手を振った。
桜二が来た!
「勇吾…またね。」
階段から立ち上がってそう言うと、彼に手を差し伸べた。
彼が前屈みになって手を握り返すを確認してから、クイッと自分の方へと引き寄せる。
「おっと…」
そう言ってオレの方へ引き寄せられた彼をギュッと抱きしめて言った。
「勇吾…大好き…」
「ふふ…俺もお前が…大好きだよ。」
「じゃあね~!」
彼の体から離れて手を振ると、一目散に桜二の車へと走って向かう。
「桜二~!」
助手席に座ると、運転席から勇吾を睨みつける彼に抱きついて頬ずりする。
桜二だぁ…!
彼のきちんと剃られた顎をナデナデして、うっとりと顔を見つめて、売れない作曲家なヘアスタイルを手櫛で後ろに流してあげる。
「だめぇ…こうして?ん、もう…」
オレがそう言うと、彼は伏し目がちに笑って車を出した。
どうやら桜二は機嫌が悪くなったようだ…
「桜二?今日はね、勇吾の仕事の人達がお店を貸し切りにしたんだ。でも、アイドルの子たちがね…お行儀が悪くてさ…懲らしめてやったんだよ?」
オレはそう言ってシートベルトを付けると、桜二の顔を覗き込んで言った。
「聞いてる?」
「…聞いてるよ。」
「怒ってるの?」
「…いいや。」
「…もう」
絶対怒ってる。だって眉間にしわが寄ってるもん…
オレが勇吾に本気だなんて…分からないでしょ?
だって、心の中まで見れる訳じゃないんだから…そうでしょ?
緊張感の走る車内に居心地の悪さを感じて、窓の外を眺める。
流れて行く景色も…どことなくいつもよりも冷たくて、硬い。
遊びだったら良いって…言ったじゃん…
嘘つき。
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