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第24話

#桜二 「シロが目覚めた時…一瞬、怖かったんだ。あの狂ったシロだったら、どうしようって…一瞬、体が凍ったんだよ…。酷いだろ…ふふっ」 俺がそう言うと、隣を歩いていた依冬が言った。 「…分かるよ。あの状態だったら、素人は何も出来ない。」 …そうだ。 一時的にとか…ちょっと焦点が合わないレベルじゃない…本物の狂人。 それは幾ら愛していたとしても…幾ら命よりも大切だったとしても…恐ろしいものだった。本能で震えあがるような、恐怖だった。 「このまま眠っても…また明日、普通の彼でいる保証は…無いんだよね…」 依冬がそう言って、グスンと鼻をすすった… 俺は彼の顔を少し見て視線を逸らすと、暗くなった空を見上げて言った。 「普通の彼で居られる様に…治療をするんだ。お前がそう言ったじゃないか…。これは過程だって…。あの子が安心して、発作に怯えないで、普通に暮らして行く為の…過程なんだって…。」 依冬はふふッと笑って頷くと、短く挨拶をして自分の車へと向かった。 俺は久しぶりに感じたシロを胸に抱いて、自分の車に乗った。 勇吾の事を何の気なしに話していた…あのグダグダがお前の気持ちを不安定にさせていた筈なのに、あっけらかんと話すから、戸惑ってしまったよ。 それとも…あの子は意外とずる賢い所があるから… 勇吾の名前を出して、俺が怒るかどうか…試したのかな? シロ?お前を失う恐怖の前では、勇吾の事も、お前が彼を愛している事も、大した事じゃなかったよ… 自宅へ戻ると買ってきた弁当を広げて遅めの夕飯を摂る。 「シロ?抹茶オレ買ってきたよ…?」 ダイニングテーブルで向かいの席に抹茶オレとカルボナーラを置いて、見えない彼と食事をする。 …こんな風に、過ごし始めたのは頭がおかしくなったせいじゃない…おかしくならない為に、しているんだ… この部屋で彼と過ごした時間が多すぎて…彼の居ない空間に耐えることが出来ないんだ。 「シロ、シャワーに一緒に入ろう…?」 食事を済ませると、抹茶オレだけ冷蔵庫にしまって、買ってきた一人分の食事をそのままゴミ箱へ捨てる。 見えない彼の手を繋いで、一緒に浴室に行くと、彼のフワフワのスポンジで体を洗ってあげる。 目が覚めたのなら、早く連れて帰りたいよ… でも、あの狂った彼が恐ろしくて…堪らないんだ。 ベッドの上に横になって、隣に彼が居る事を想像して正気を保つ。 俺の体に覆い被さって、胸に顔を置いて、ブツブツと文句を言う彼を思いだす。 「シロ…じゃあ、次は、カルボナーラじゃなくて…ナポリタンにするよ…」 俺がそう言うと、シロはムッと頬を膨らませて言った。 「そうじゃない。桜二は全く!分かって無いんだ。カルボナーラで良いの、でもこのコンビニのは嫌だったの。めちゃくちゃ底上げしてるんだよ?こんなの詐欺レベルだよ。」 そう言って俺の鼻をチョンと突くから、クスクス笑って言った。 「分かった。覚えておくよ。」 「桜二…桜二…」 そう言って俺の胸に顔を擦り付けて甘えるから、そっと彼の体を抱きしめて、頭を撫でてあげる。 「どうしたの…寝れないの?」 実体のない彼を後ろから抱きしめてるつもりで、布団をギュッと抱きしめる。 あの子がこの部屋に居ないだけで、俺は簡単に壊れかけるんだ。 早く…連れて帰りたいよ。 「シロ…シロ…」 彼が甘える時の様に、泣きそうな声で彼の名前を呼んだ。 もう少しの辛抱だって言って…もう少しの我慢だって…そうしたら、俺はもう少しだけ頑張れる。 あの子がこの部屋に、俺の元に戻るなら…こんな悲しくて、こんな辛い毎日も…過程として、乗り越えることが出来るから… いつの間にか眠っていた。 7:00 目を覚まして慌てて起きると、身支度を済ませる。 「シロ…朝だよ。寝坊しちゃった。」 俺がそう言うと、彼は薄目を開けて言った。 「いんだよ…お爺ちゃんみたいに早起きばっかするから、少しは寝坊でもして若返ったらいい。」 全く… 俺は彼を抱えてリビングまで行くと、急いで卵焼きの準備をする。 「あ…卵が無い。」 俺のそんな小さな呟きを聞き逃さないで、彼が大きな声で言った。 「なぁんで!なぁんで!買ってこなかったの~~!ん~~!」 何とか宥めて出勤の支度を済ませると、誰も居ない部屋に向かって言った。 「じゃあ…行ってくるね。帰りは…9:00位かな…」 「良いよ?オレは店でビールを飲むもん。」 「ビールはご飯じゃないよ。」 俺がそう言って靴を履くと、彼が言った。 「ビールは麦だ。だからご飯だよ?」 どういう理屈だ…でも、彼は本当に、そういう事を言う。 野菜だから0キロカロリーとか…緑だから体に良いとか…少ししかないから太らないとか…可愛いんだ。 「行ってくるね…」 「行ってらっしゃい!」 玄関の鍵を閉めて、エレベーターで駐車場まで向かうと、ラジオを付けて会社へと向かった。 “昨日から東京ドームで行われている○○のコンサートでは、海外の有名な演出家が参加されているそうで、いつもよりも統一感のあるステージが素晴らしかったと、ファンの方からも好評だったんですよ?これを機に、アイドルのコンサートも一つの舞台の様に、初めから終わりまで演出が入ると、また違ったコンサートの楽しみ方が出来るようになるんではないでしょうか…” そんなラジオDJのコメントを聞きながら、ストリップを侮辱してあの子にコテンパンにされた…アイドルの新曲を聞いた。 「ふふ…ダサいねぇ…」 あの子の携帯に入ってる曲の方が好きだ… 仕事をこなしながら携帯をチェックして、病院から知らせが無いか確認する。 大丈夫そうだ… 外回りに行ったついでにそのまま直帰して、シロの病院へと向かう。 彼の病室の前に行くと、既に来ていた依冬が俺に言った。 「シロが…昨日の夜、また発作を起こした。」 その瞬間、ゾワッと背中に鳥肌が立った… 「え…今は…?頭痛は?大丈夫だったの?」 俺の言葉に、彼は病室の扉を開いて言った。 「シロ、桜二が来たよ?」 「わ~、桜二~!」 扉の向こうから聞こえる彼の声に、胸が震えて、込み上げそうな感情を抑えながら、病室へと入って行く。 「遅くなったね…、どう?具合は…?」 意外にも彼は、元気いっぱいにベッドの上にあぐらをかいて、抹茶ラテに囲まれてご機嫌だった。 ベッドの隣の椅子に腰かけると、抹茶ラテを数えた。 「1、2、3、4、5、6、7本?こんなに飲んだらお腹を壊すよ?」 「ん~!良いの、良いの!」 オレは依冬をジト目で見て言った。 「欲しがるだけあげれば良いってもんじゃないんだぞ?全く…!」 依冬は俺から視線を外すと、既に飲んだであろう…3本の空の抹茶ラテを、ゴミ箱にさり気なく捨てた。 「シロ…残りは明日飲んで?」 俺はそう言うと、得意げに飾られた抹茶ラテのタワーを崩して、部屋の小さな冷蔵庫にしまった。 「あ~~!桜二が意地悪する!」 「意地悪じゃない。お腹を壊したら嫌だろ?」 俺がそう言うと、ムスッと頬を膨らませたシロが言った。 「ふ~んだ。」 全く…よく居るだろ? 子供が欲しいと言ったらなんでも幾らでも買い与える親が…そう言う奴に限ってその後の事を考えていないんだ。ただ、目の前の子供が可哀想に見えるから~って馬鹿みたいな理由で、その後のケアなんてしないから、どんどん子供がアホになっていくんだ! 「1日、3本までにして…じゃないと…」 「お腹なんて壊さないよ~だ!」 こんな憎まれ口を聞かれたって、俺は気にしないよ? ムスくれたシロに着替えの鞄を渡して、彼の可愛い髪にキスすると、ギュッと抱きしめて腕の中にしまう。 「あぁ…シロ、少し痩せたね。ご飯が食べられる様になったら、沢山食べようね…」 そう言ってまんざらでも無い彼の頬にキスすると、俺の首に両手を絡めてしがみ付いて来るから、唇に柔らかくキスをする。 「桜二さん、こんにちは。良いね~?シロ君は毎日誰かが遊びに来てくれる。」 土田医師がそう言って病室に入っ来ると、俺を見て言った。 「桜二さん、ちょっと良いですか?」 首を傾げるシロに見送られながら、多分…昨日の発作の事だと察しがついて、土田医師の後をついて行った。 病室のすぐ外で、土田医師は俺を見つめて聞いて来た。 「桜二さん、勇吾さんはどうしてますか?」 「え…?」 意外な質問に俺が驚きを隠せないでいると、土田医師は続けて言った。 「シロ君が昨日…発作を起こしまして、やっぱり失神から覚醒した後の、頭痛が酷いみたいです。痛み止めをすぐに注入して、彼が痛みが無くなったと言ったタイミングで痛み止めの薬を止めました。その後、痛がる様子もなく、静かに眠りについたんです。」 …頭痛。やっぱり… でも、良かった…すぐに処置して貰えれば、彼は痛みを我慢する事も無いんだ。 俺はホッと胸をなでおろして言った。 「良かった。」 「いいえ。良くないんです。」 土田医師はそう言うと、俺の手を引っ張って病室から離れた。 「昨日…シロ君は発作が起きてもナースコールを押さなかった。彼の部屋に付いているカメラをたまたまモニターで見ていた僕が異常に気付いて、病室へ向かったんです。どうしてナースコールを押さなかったの?と、僕が聞いたら、彼は…死にたい。と言いました…。」 え… 俺は土田医師の顔を見つめたまま固まってしまった。 死にたい…? それは彼が潜在的にいつも思っている事…お兄さんの所に、行きたいんだ… 「桜二さん、血管や血圧が問題で起こる頭痛なら、あんなに短い間隔で痛み止めを止めたら、また痛み始めるんです。でも、シロ君はそのまま痛みが引いて、寝られるようになった…。何が言いたいかと言いますと…彼の頭痛には、精神的な因果関係が多大に影響してるんじゃないかという事です。」 精神的な因果関係…? いつも以上に真剣に話す土田医師に、頼りがいの様な不思議な思いを感じつつ、頷きながら彼の話を聞いた。 「病は気からなんてことわざがありますけど、本当にそうなんです。お腹が痛いと思い続けると、本当にお腹が痛くなってくるし、具合が悪いと思い続けると、本当に具合が悪くなってくる。しかも、これは仮病じゃないんです。血圧も、血中のバランスも、吐き気や、めまい、悪寒、震え、その他もろもろのれっきとした症状を伴っているんです。僕は、彼の頭痛はそれと同じメカニズムなんじゃないかと感じたんですよ。」 そう言って俺を見つめる土田医師の目は、いつもの穏やかな物ではなく、真剣な表情だった。彼は俺を見つめて説得する様に言った。 「それを証明するために…実験をしたいんです。それが分かれば治療の大きな糸口になる。だから、これから彼に発作を起こさせてみたいんです。」 は…? 俺はすぐに土田医師に言った。 「ダメです。そんな事しないでください。やめて下さい。あの子が可哀想だ。」 「さっきあなたがシロ君のジュースを取り上げた事と同じ、なると分かっている事をみすみす見逃すくらいなら、断ちましょう。これ以上発作が酷くなる前に、手を打たなければいけない。そうでしょう?」 それはそうだけど…あの子が苦しむ状況をわざわざ作り出すなんて…可哀想だ。 俺が押し黙ると、土田医師は淡々と説明を始めた。 「桜二さん、今回はあなたがトリガーです。シロ君の前で勇吾さんの話題を出します。その時、めちゃくちゃ嫌な顔をしてください。何も言わなくて良いです。ただ、めちゃくちゃ嫌な顔をしてください。」 え…? 「それだけですか…?」 「はい。それだけです。」 呆気にとられる俺に土田医師が念を押すように言った。 「…良いですね?」 「依冬は…あいつは知っていますか?」 俺がそう聞くと、土田医師はコクリと頷いて言った。 「彼が勇吾さんの話をします。」 あぁ…もう… 「…分かりました。でも、もし、頭痛が起きたら、苦しまない様にしてあげて下さい…お願いだから、苦しめないで下さい…」 覚悟を決めてそう言うと、土田医師は俺を見つめて言った。 「分かりました。でも、桜二さん…これが分かれば、シロ君はもっと楽に生きる事が出来るんです。僕はね、これに賭けてるんですよ。」 いつもの穏やかな土田医師とは比べ物にならないくらい、今の彼は強くて、強引で、真剣だった。 土田医師の後をついてシロの病室へ戻ると、彼は俺の顔を心配そうに見て言った。 「桜二、土田先生に、いじめられたの?」 えぇっ! 軽く吹き出して笑うと、彼に聞いた。 「どうしてそう思うのさ…」 「だって…凄い、しょんぼりしてるから…」 シロはそう言うと、俺の手を掴んで優しく撫でてくれた。 …この子は優しい。良い子。 彼の頬を撫でてにっこり笑うと言った。 「そんなんじゃ~ないよ。」 「あ~はっはっはっは!!間違ってる!間違ってる!」 俺を指さして馬鹿笑いするシロ…こんなに楽しそうに笑う彼を見るの…久しぶりだな。 これから実験が始まると言うのに…罪悪感しかないよ。 「そうだ、シロ…勇吾さんのコンサート、評判が良いみたいだよ。エンタメ業界ではその話題で持ちきりだ。俺の友人に彼と知り合いだと話したら、紹介してくれって言われたよ。シロの言った通り、彼は凄い人だったみたいだ。」 依冬がそう言って、実験の開始を告げた。 俺はムッとして、眉を顰めると、視線をそらして不機嫌な顔をした… シロは依冬の顔を見て嬉しそうに口角を上げると、俺の顔を見てハッとした… あぁ…ごめんね… 彼はすぐに、依冬に視線を戻したけど…明らかに俺の表情を読んだ… こういう事だったのか…言われなかったら気が付かなかったよ。 この子は…人の表情を読んで、感情を読む事が上手なんだ。だから、嘘を吐くとすぐにバレて、隠し事をしてもすぐにバレて、ムッとすると…すぐにバレるんだ。 「勇吾さん、シロに会いたがってると思うけど…」 依冬が煽る様にそう言うと、彼は沈んだ顔で視線をそらして言った。 「ん…どうかな…」 急に元気がなくなった彼は、俺の顔を見ると、微笑みながら言った。 「桜二?抹茶ラテ、もう一つ飲みたい…」 縋るような、機嫌を取るような、そんな彼に胸が締め付けられて、可哀想になって来る…。 でも…俺は、そんな彼に…ムッとした不機嫌な顔のまま見つめ返すしかなかった。 「桜二…桜二…」 今にも泣きだしそうな声で、彼が俺に縋りついて、しくしくと泣き始めた… あぁ…最悪だ。可哀想じゃないか… 土田医師の顔を見ると、彼はシロを見つめたままこちらに視線など合わせなかった。 「あぁ…!桜二…また、またぁ…」 シロがそう言って俺を見上げた。 焦点の合わなくなった彼の瞳には…俺の前に黒いモヤがかかった様だった。 「大丈夫だよ…」 そう言って彼の体を抱きしめるけど、依冬が俺の体をシロから引き離した。 「桜二…桜二…」 目の前で…俺を呼び続けるあの子を見つめて、何もしてはいけない状況に叫び出したくなるくらいに動揺する。 息が荒くなっていく彼を見つめるだけで、体をさすってやる事も、傍に近付くことも出来ない状況を、奥歯を噛み締めて必死に堪えた。 クッタリとシロがベッドに沈んだ瞬間、堰を切った様に駆け寄って泣き崩れた。 「あぁ…シロ、シロ…!俺が…俺が…うう、可哀想に…」 オイオイと泣くオレとは対照的に、土田医師は冷静に時間を測ると淡々と言った。 「桜二さん、彼が目を覚ました時…勇吾さんの事を何か誉めながら宥めて下さい。シロ君が頭痛を訴えても、体をさする程度にして、とにかく勇吾さんを誉めてみて下さい。」 え…? 土田医師は時間をメモすると、俺の顔を見てコクリと頷いた。 …どういう事だよ…訳が分からない。 俺はムッとしながら土田医師を睨みつけると、気絶して意識を無くしたシロを抱き起こして、仰向けに寝かせた。 うっすらと瞳を開いた彼が、俺を見つめて眉間にしわを寄せていく… 「あっああ…!い、痛い…!桜二…頭が痛い…!」 そう言って俺の体にしがみ付く彼を抱きしめて、いつもの様に優しく撫でると、慣れない口調で…勇吾を誉めた。 「シロ?勇吾は…凄いね。コンサートが評判なんだって…ラジオでも言っていた。あいつは人格は破綻してるけど、芸術的なんだ。…そういう所が、シロと…気が合ったんだね。昔から、人格は破綻していたけど、美意識は高くて…文化祭の出し物を1人だけ一生懸命やっていたよ。」 半信半疑だった。 こんな実験、馬鹿げていると思っていた。 シロを虐めるなんて耐えられなかった…だけど、違った… 「…なんの?なんの出し物をしたの?」 俺を見上げてシロがそう言って、楽しそうに笑いながら聞いて来る。 その様子を見ていた依冬も、言葉を失ったまま唖然とシロを眺めている。 「あ…シロ、頭痛は…?」 俺がそう聞くと、彼はハッとして、首を傾げると不思議そうな顔をして言った。 「…無くなった…」 嘘だろ…こんな簡単に…無くなるなんて… 俺とシロと、依冬は…ただウンウンと頷いている土田先生を見つめると、一斉に首を傾げた。 「どうして…?」 シロがそう言って、土田先生に聞いた。 「どうして頭痛が治まって行ったの?信じられない!オレは覚悟したんだ。きっと痛くなるって、覚悟してたんだ…なのに、スッと無くなった!」 彼は嬉しそうに笑うと、放心する依冬に抱きついて言った。 「凄~い!凄いぞ!」 それは、俺たちも同じ気持ちだよ… へなへなと椅子に腰かけると、シロの笑顔を見て言った。 「…良かった…」 「桜二さんと依冬さん、今度まとまったお時間、頂けますか?そうですね…2時間ほど頂いて…シロ君を含めた、4人でお話をしたい。この頭痛に付いて、少しだけ手がかりが掴めた気がします。」 土田先生はそう言うと、シロの目にライトを当てて、脈拍を取りながらにっこりと彼に笑いかけていた。彼も土田先生を信用しきった砕けた笑顔を向けて、にっこりと笑い返している。 あぁ…良かった。 暗雲しか立ち込めていなかった彼と俺たちの未来に…一筋の光が照らされた気がして…訳もなくボロボロと涙を落とすと、慌てて腕で涙を拭った… 「桜二さん…出来れば勇吾さんもご同席頂けませんか…?」 帰り際、土田医師との面談の予定を依冬と立てていると、俺の肩をポンポンと叩いて、土田医師がそう言った。 「…え、そうですね…。それは、何故ですか?今日も…勇吾を誉めてとおっしゃっていたけど…理由を教えていただけませんか?」 ハッキリ言ってあいつを誉めるのは不本意だった。 こんな状況になっても、俺は完全にあいつを許せた訳じゃない… それに、あいつを彼に会わせる事が…嫌だった。 土田医師は俺の抵抗を予測していた様に、ウンウンと頷いて、目に力を込めると言った。 「桜二さん、僕の予測が正しければ…今回、シロ君の発作が酷くなった原因はあなたと勇吾さんのいさかいにあります。そして、それを取り除けるのも、また、あなたと勇吾さんしかいない。だから彼の同席を求めました。」 あぁ…何となく一通りの流れが出来ていたんだ。 俺の顔色を窺うシロを俺に見せる事で…実感させてから、この話をしたんだ。 全く…心療内科医って言うのは…人の考えを操れるな… 「分かりました。交渉してみます…」 俺がそう言うと、土田医師はいつもの穏やかな表情になって笑って言った。 「良かった。きっと、シロ君は酷い頭痛から解放されますよ…。彼は…とっても繊細で、優しくて、敏感なんです。HSPなんて呼ぶ事もあるんですけど、僕は敢えてその言葉は使いたくない。とても感受性の強い素晴らしい人なんです。」 あの子が楽になるなら…俺は何でも良い。 もうこれ以上苦しむ必要がない人だ。 「じゃあな…」 俺と依冬は彼の病院を後にすると、それぞれの車に乗って自宅へ戻った。 …勇吾か…はぁ… 携帯電話を眺めたまま、あいつに掛ける事を躊躇する。 だって”もう二度と会わない”って豪語していたじゃないか… それを今更頼んだ所で、反故にするなんて… あいつなら、簡単にするだろうな… 「はぁ…嫌だな。」 「桜二は勇吾が嫌いなの?」 見えないシロが俺にそう尋ねるから、俺は肩を落として言った。 「嫌い…シロを取ろうとしたじゃないか…だから、凄く嫌い…」 「でも、オレは桜二の所にいるよ?そうだろ?」 シロはそう言うと、俺の膝にゴロンと寝転がって、俺の顎を撫でた。 深いため息をついて彼に愚痴る。 「…でも、嫌なんだよ…嫌だ…嫌いなんだ。」 「ふふっ!桜二は赤ちゃんだ…可愛いね?桜餅ちゃん?」 シロがそう言って俺の頬をプニプニと摘まんで遊び始める… その時の顔が…少しだけより目になっていて…可愛い。 あぁ…シロ、可愛いね… 分かってる。 俺はこれを全て妄想で過ごしていて、絶対人には見せられない事も、この生活もそろそろ抜け出さないと、土田先生のお世話になる事も…分かっている。 「はぁ…仕方ない、あの子の為だ。」 俺は携帯電話で勇吾の連絡先を探すと、彼に電話をかけた。 どうせ…コンサート中だろ。留守電にでも入れておこう… 「もしもし?桜ちゃん?どうしたの?シロは?」 期待を裏切って、勇吾はすぐに電話に出ると、矢継ぎ早にそう言った。 「…お前、いつ帰るの?」 俺がぶっきらぼうにそう聞くと、勇吾は俺の質問を裏読みしてこう答えた。 「まだ、決まってないよぉ…」 絶対に嘘だ… 「12月の上旬はさすがに帰っているだろ?」 俺がそう聞くと、彼は押し黙った。 「…事と場合によるかな?何なの?シロに会わせてくれるの?」 ムカつくよ…本当に。 「桜二…オレの為に我慢して?」 俺の隣で、見えないシロがそう言って体をぺったりと寄り添わせる。 …はぁ 「シロが目覚めた。彼は正気を取り戻していた。でも、発作が起こる事は変わらなかった。ただ、覚醒後の頭痛のメカニズムが分かりそうなんだ。それにはお前の協力も要ると…担当の医師に言われた。それで…」 「行く。いつ?」 あいつはそう即答すると、俺の手前、彼の目覚めを大げさに喜びはしなかった。 でも、明らかに声色が…喜んでいた。何も言わなくても、電話口からもあいつが大喜びしている様子が分かる程に… ずっと心配していたんだろ… ずっと恋しく感じていたんだろ… 「…シロは俺の事…なんか言ってた?」 お前にしては、しおらしく、控えめに聞いて来た事が…本当に意外だよ。 そんなに好きなら、悔しいけど…教えてやるよ。 「チケットをくれなかった嘘つきだって…言ってたよ。」 俺はそう言ってクスクス笑うと、電話を早々に切った。 「偉いね?桜二、とっても偉かったよ?」 そう言って見えないシロにナデナデしてもらうと、彼の手を繋いで一緒にシャワーへ向かう。 あの子の為なら…何てことないさ。 #シロ オレの入院生活は、主に朝起きて朝ご飯を食べて、ストレッチと筋トレをして、土田先生とおしゃべりをして、昼ご飯を食べて、ストレッチと筋トレをして、土田先生とおしゃべりをして、夕飯を食べる頃、依冬と桜二が遊びに来てくれて、消灯時間になると帰って行く2人を見送って…土田先生とおしゃべりをする。 「もう…つまんないな…退院しても良いでしょ?」 今は昼ご飯を食べて、筋トレとストレッチをした後の、土田先生とおしゃべりする時間だ… 頬杖を付いて土田先生にそう言うと、彼はクスクス笑って言った。 「ま~だダメだよ?目が覚めてから4日しか経っていないよ?抜糸も昨日したばかりだから、抗生剤も飲まないといけないし、シロ君の体は自分が思うよりもダメージを受けてるんだから。若いから気が付かないだけで…あんまり無理な筋トレも控えて欲しいよ。看護師が血圧を測れなかったって、困ってたよ?」 あ~あ… オレは両手を上に上げると、椅子に体を反らせて思いきり伸びをした。 「お~お~柔らかいね…」 そう言ってケラケラ笑う、土田先生を見つめて聞いてみた。 「ねえ?先生?聞きたい事があるんだけど…良い?」 「良いよ?」 土田先生はにっこりと笑うと、キーボードから手を離してオレを見つめた。 オレは視線を少し外すと、ぽつりぽつりと話し始める。 「あのね…オレの、兄ちゃんの事なんだけど…知りたいんだ。どういう精神状況だったのか…教えてくれないかな?」 「詳しく教えて…?」 オレの顔を見つめると、土田先生はにっこり笑ってそう言った。 オレは彼から視線を外すと、自分の幼い頃の話や…兄ちゃんの話をした。 そして、彼に聞いた。 「兄ちゃんは、いつおかしくなったの?」 漠然としたオレの質問に、首を傾げて土田先生は悩み始めた。 「おかしい…の定義が分からないけど…そうだな。シロ君が中学校に上がったあたりかな…」 「何で、おかしくなったの?オレのせい?」 オレはテーブルに体を乗せて、土田先生に前のめりになって聞いた。 「…ん~、そうだな…話を聞く限りだと…児童相談所の女性に会ってから…多分、シロ君への後ろめたさがそうさせた気がするよ。人は後ろめたい事がある時こそ、不安を感じやすいんだ。恋人関係だとね…浮気をしている方が、していない方を疑ってかかるなんて事がままあるんだよ。」 そうなんだ… 土田先生はオレの顔を見ると、念を押すように言った。 「シロ君のせいじゃないよ。これら全てを自分のせいなんて思ってはいけないよ。それはお兄さんに失礼だ。」 え…? オレは首を傾げると土田先生に言った。 「どうして?どうして失礼になるの?」 「それはね…お兄さんも一生懸命、沢山、悩んで行動して来たからだよ?彼の責任を認める事は、彼の選択を認める事になって、彼の選択を認める事は彼の葛藤を認める事になる。つまり、お兄さんの存在を認める事になるんだ。一時は君と離れようとしたけど、再び君の傍に居る事を選択して、君に愛される事を求めて、葛藤した。それらは君のせいなんかじゃない。お兄さんが自分の意志で、選んだ選択なんだ。その証がたとえ悲しくても、それがシロ君のお兄さんの生きた証なんだよ?」 へぇ… オレは土田先生を見つめると、にっこり笑って言った。 「それは…詭弁?」 「あはは!こりゃ参った!」 彼は部屋中に響き渡る程の大笑いをすると、急に咳き込んで涙目になった。 兄ちゃんの生きた証…オレはその言葉を凄く気に入って…何故だか、嬉しくなった。 胸の奥がほんわかと温かくなって、堪らなくなって、土田先生に言った。 「確かに…兄ちゃんが生きた証だ…!ふふ…嬉しい…!何故だか、とても、嬉しいよ?おかしいね?」 「おかしくない。きっとスッと胸に落ちたんだ。」 土田先生はそう言って微笑むと、再びキーボードをカチャカチャと鳴らせてパソコンに何かを打ち込んだ。 「ふふっ!良いな。兄ちゃんの生きた証だって…!かっこいい!」 訳もなく涙がポロポロ落ちて、膝をビショビショにした。 パソコンに何かを入力し続ける土田先生の顔を覗き込む様に、テーブルに体を乗せて足をバタバタさせながら聞いた。 「兄ちゃんはオレを愛してくれていたのかな?」 「愛していたよ。」 「どこが好きだったのかな?」 「…う~ん、そこまでは…」 「想像で良いから、言ってよ。」 「…先生はお医者さんだから不必要な想像は言わないんだよ?」 もう…! オレは口を尖らせると椅子に座り直して、ぼんやりと壁を見つめながら聞いた。 「ねえ?先生…?グルグルのブラックホールの事…聞いても良い?」 「なぁに?それは…楽しい物?」 土田先生はそう言うと、キーボードから手を離してオレを見つめた。 「違う。楽しくない物。でも、オレを守ってくれたもの…」 オレはそう言うと、彼に自分に起きる事を話して聞かせた。 この人は必ず何かしらの解釈をくれる。 だから話していると、自分の事をもっと客観的に見ることが出来る。 だから何だ?と思うけど、意外とそれが難しいんだ。 自分を納得させる事が一番、難しいんだ。 桜二と依冬がこの人が好きな理由がわかる。だって、オレも好きだもん。 土田先生はオレの顔をじっと見つめると、首を傾げて聞いて来た。 「多重人格って知ってる?」 「ジキルとハイドみたいなもの?」 首を横にブラブラしながらそう聞くと、土田先生はにっこり笑って言った。 「そうだね…ジキル博士は自分の欲求をハイドという人格に落とし込んだ。同じように、虐待や逃げきれない状況に陥ると、人は回避する為に違う人格を作る事があるんだ。その人格と自分は別の人間って思う事で、酷い目に遭っているのは自分じゃないって…思い込むんだ。そうして、回避する。」 「怖いんだよ?目の前に現れて、問答無用でみんなを飲み込んじゃうんだ!」 オレはそう言って目の前に指でグルグルと円を描きながら、クスクス笑った。 「ふぅん…それは、先生の宿題だな…」 土田先生はそう言うと、お昼のおしゃべりを切り上げた。 最期に舌をチェックすると、オレは解放されて病室へと戻る。 でも、ここは落ち着きの空間を装った、監視部屋だった! オレの病室には監視カメラが付いている。 「オナニーも出来ないね?」 カメラに向かってそう言うと、窓から外を眺めて中庭を覗き込んだ。 もうすぐ12月… 勇吾は…コンサートが終わったらイギリスに帰ってしまうんだ。 もう、会えないのかな…会えないのかな。 窓におでこを付けると、自分の息で窓が曇っていく。 携帯電話を手に持って、彼の連絡先を見つめては画面を暗くする。 …オレの事なんて、もう良いのかな… 何の連絡もない、彼に、胸が痛くなる。 仕事が忙しいんだ… それに、オレが入院した事なんて知らない筈だもん。 それにしても…オレが入院して10日目で目が覚めて…それから4日も経ってる…約2週間も…連絡をくれないなんて… あんなにシロ、シロって言ってたくせに…冷めるのも早いのかな。 本気になったのはオレだけで… 馬鹿みたいに、桜二と彼の仲を心配して…気が多い自分が、ほとほと嫌になったのに…。 彼のうっとりとした半開きの瞳を思い出す。 会えないせいなのか…とっても恋しいよ。勇吾… オレの事…覚えてる…? 夜ご飯を食べ終えた頃、桜二がお見舞いに来てくれた。 「舌の状態はどうなの?もうご飯は食べられるの?」 桜二がそう言って、オレの口の中をチェックする。 「繋がってる?ねえ、繋がってる~?」 オレはそう言って彼の目の前に舌を出した。 「桜二、チューしてみて?」 「え…怖いよ。チュッとなら良いよ?」 なぁんだよ… オレはベッドに座った彼にもたれかかると、上目遣いでクネクネして言った。 「もうご飯食べられるよ?ねえ…チュウしてよ~?」 桜二はじっとオレを見つめると、チュッとキスして逃げるから、オレは彼の頭を両手で抱え込んで、膝の上に回り込むと、思いきりキスをした。 「ん~~!」 怖がって叫ぶ彼の口の中に舌を入れて、怯えた彼の舌を絡める。 「んふふ!」 オレが興奮して笑うと、桜二は体を硬直させて身動きを取らなくなった! 可愛い! 「ほらぁ…血は出て無いだろ?大丈夫なんだよ?」 うっとりしながらそう言って彼を見つめると、桜二はアワアワ口を震わせて言った。 「…怖い。」 「あ~はっはっは!」 大笑いして、彼の頭を両手で抱え込むと、怯える瞳の彼にもう一度キスする。 「あぁ…桜二の気持ち良いね?」 そう言って彼の股間に腰をゆるゆると擦り付けると、怖がっていた彼の舌も徐々に覚醒して、オレの舌を少しだけ絡める。 ふふ…もっとしても良いのに… 「あぁ…桜二…エッチしたい…!」 彼の両手を自分の腰とお尻にまわすと、ギュッと抱きしめて貰う。 「シロ…あぁ…シロ…」 惚けた顔の彼に頬ずりして、自分のTシャツを捲り上げると、腰を擦り付けながら言った。 「舐めて…?」 「はい。お終いです。ストップです。」 そう淡々と言いながら土田先生が病室に入って来て、オレを桜二から退かして言った。 「ここは病院です。病院で始めないで下さい。」 なぁんだよ…! 「だって、毎日してたのに…全然してないから、たまっちゃったの…!」 オレはそう言うと、桜二を見ながらクネクネした。 「ぷぷっ!」 彼は吹き出して笑うと、ベッドから立ち上がって椅子に座り直した。 「じゃあオナニーだったらしても良いの?」 オレは土田先生を見上げてそう聞くと、ベッドの上にゴロンと寝転がって、桜二の目の前でスウェットの上から自分のモノを撫でまわした。 「シロ…もうダメだよ。やめて。」 桜二がそう言ってオレの手を止める。 「あ~~ん!!」 オレはベッドの上でジタバタして暴れると、桜二の手を自分の股間にあてて言った。 「…扱いて?」 「シロ君…」 土田先生はそう言うと、肩をガクッと落として項垂れてしまった… 「依冬はしてくれるよね?」 桜二はすっかりオレをシャットアウトした。だから、時間差で訪れた依冬に纏わりついて甘えまくる。 「なぁんだよ…シロ。ダメだよ。ここは病院なんだよ?」 依冬は塩対応すると、オレにプリンを寄越して言った。 「これを食べて、満足して?退院したらいっぱいしたらいいだろ?」 はぁ…?! やだぁ…オレの興奮した気持ちは、プリンなんかじゃ収まらないよ… 「…じゃあ、依冬が食べさせてぇ?」 オレはそう言って、ベッドに座った彼に跨って座った。 「あぁ…シロ…」 眉毛を下げてクゥ~ンと鳴き声を出す依冬を見つめて、舌を出して言った。 「もう治ったよ?桜二とチュウしても平気だったもん。」 オレがそう言うと、依冬は桜二を睨んで見て言った。 「なにしてんだよ!スケベジジイ!ここは病院だぞ!」 酷い! 「依冬?桜二はジジイじゃない!悪い子にはお仕置きが必要だ!」 オレはそう言うと、依冬の頬を両手で挟んで、口を無理やり開ける。 「シロ…!だめだ!」 「あふふ…ダメじゃない…これはね、お仕置きなんだから…エッチな事じゃないんだ。」 オレはそう言ってムフムフ笑うと、彼の口の中に舌を入れて、あったかくてヌルヌルした彼の舌を絡めて吸った。 「ん~~!」 桜二と同じように怯えて震える彼に、沢山舌を絡めてあげる。 食むように唇にチュッチュッとキスして、惚けた顔の彼に言った。 「ほらぁ…ね?お利口さんになっただろ?桜二はジジイじゃないよ?謝って?」 トロけた瞳の依冬はオレの目を見つめたまま、甘ったるい声で言った。 「あ~桜二、ゴメン~」 「あぁ…大変だ…依冬のおちんちんが硬くなって来てるよ?」 オレはそう言うと、彼とキスしながら彼の大きなモノをズボンの上から撫でてあげる。 「あぁ…シロ、だめだぁ…」 あはは! 「はい。お終いです。ストップです。」 そう淡々と言いながら再び土田先生が病室に現れた。 「あ~~ん!!」 オレはそう言ってベッドの上に仰向けになると、ジタバタ暴れて言った。 「この悶々とした気持ちを、土田先生は治してくれるの?」 「…それは、先生の専門外です。」 キリッとそう言うと、土田先生は依冬をジト目で見て、桜二同様にやる気を削いでいく。 「…じゃあ、桜二の車でしてくるから…終わったら戻ってくるから、良いでしょ?」 「ダメだよ。」 「じゃあ、看護師さんを襲っちゃうよ?」 「もっとダメだよ。」 「シロ…深夜に布団の中でこっそりやれば良いんだ…」 桜二がそう言って、オレにプリンをすくって差し出す。 オレは口を開けてプリンを食べると、しょんぼりして彼を見つめる。 「ちぇ~…」 土田先生がジト目で見つめる中、大人しくそう言って彼にプリンを食べさせてもらう。 「またね~…」 そう言って、ふたりの背中を見送ると、誰も居ない病院のエントランスで、シェネ・ターンをしてポーズをとる。 指先まで…しずくが流れて行くイメージで…肩を落として美しく… ピケ・ターンをしながら進んで、美しくポーズを取ると、そのまま白鳥の様に羽を休める。 「おぉ…シロ君、本当に綺麗に踊るんだね…!」 土田先生がそう言って拍手をくれるから、オレは奮発してフェッテ・ターンを回ってみせる。そして黒鳥の様に美しくポーズを取ってみせた。 「これは白鳥の湖の黒鳥が回るフェッテターンだよ?かっこいいでしょ?足で回転させるんだ。」 オレがそう言うと、土田先生はまじまじとオレを見つめて言った。 「なるほどね…君は、そういう魅力にも溢れているんだね…。ふぅ~ん、そうか…だからあんなにみんな夢中になって…へぇ~…。ねえ、お兄さんと居た時も踊りを踊っていたの?」 「してないよ?だって、これは東京に来てから教えて貰ったものだもん。ねえ、見て?」 オレはそう言うと、土田先生の前で思いきりバク宙して見せた。 感覚と体のバランスが鈍ったのか…少しだけ左に反れた。 「あ~!もう!左に傾いちゃった!!ダサ~!」 「凄いな…身軽だね?びっくりしちゃった!」 土田先生に再び拍手を貰って、オレは上機嫌になった。 「勇吾と一緒なら、もっと凄い事をしてあげられるよ?だって、彼は最高のダンサーだからね!彼と踊ると、まるで背中に翼が生えたみたいに自由に踊れるんだ…!思っていた事をくみ取って、再現してくれる…。そんな事出来るの…あの人だけだ。」 アラベスクをしながらそう言うと、土田先生はにっこり笑って言った。 「そんなにその人は凄い人なの?」 ふふっ! オレは満面の笑顔で笑うと、土田先生に勇吾の凄い所を教えてあげる。 「まず、見た目が120点なんだ。そしてこぶしの花の様に甘くて良い匂いがする。彼のダンスは洗練されていて、無駄が無くて…見る人を意識した魅せ方をしてくるんだ…。その計算された技術は…誰も真似できない。とっても素晴らしいダンサー。でも、コンテンポラリーだったら、夏子さんが好きだ。彼女は度胸があって…表現力がのびのびしていて…とってもダイナミック!」 オレはそう言って笑うと、背中を丸めて言った。 「彼女はもっと丸めることが出来る…ここの関節が柔らかくて…体が伸びないとあんなに丸めることは出来ない。ねえ凄いでしょ?オレの近くにいる人は…みんなすごい人ばっかなんだ!」 なのに…彼らが演出した、評判の良いコンサートに行けなかった… 「夏子さんと勇吾のコンサートが見たかったよ…」 オレがしょんぼりすると、まるで何かを察した様に、土田先生が言った。 「…もっと、ダンスの話を聞かせてよ?」 「うん!良いよ!」 満面の笑顔でそう言うと、土田先生の手を繋いで急ぎ足で病室へと戻った。 #勇吾 シロが…目を覚ました… 楽屋で放心したまま、携帯を持ったまま震える自分の手を見つめる。 チケットをくれなかった嘘つき、か…ふふ。 馬鹿野郎、俺はちゃんとリボンまで付けて用意していたんだよ…? でも、渡せなかったら…嘘つきと同じだよな… 体の芯が小刻みに揺れて、胸の鼓動が高鳴って…手が震えて止まらない。 あの子に会える その事実だけでどうにかなってしまいそうだ。 もう会う事は無いと…覚悟していた。 目を覚ました知らせを聞いて、俺はそれだけでも十分に幸せだった… あの子に、会える シロ…俺の事を覚えている? 桜ちゃんや依冬君に隠れてしまって…忘れていやしないか…心配だよ。 携帯電話の彼の連絡先を見つめて、ポタリと涙を落とす。 書くだけ書いて送信する事が出来なかった、下書きに保存された彼へのメッセージをすべて削除する。 会えるんだ… 直接、伝えれば良い。 「勇吾…明日の打ち上げ行く?」 コンサートが終わったのか、疲れ切った夏子がそう言って俺の楽屋に入ってきた。 俺は彼女を見つめると、我慢出来ないニヤニヤ顔で笑いかける。 「何よ…気持ち悪い…」 そう言って俺の顔に、アイドルの名前が入ったタオルを投げつけると、アイドルの缶バッチを投げつけて、極めつけにアイドルのうちわを投げつけて来た… 「夏子…喜べ。俺のジュリエットが、目を覚ましたぞ…」 その言葉に、疲れ切った筈の夏子の死んだ瞳にキラキラと輝きが蘇って、口角が上がって行く。 「ほんと…?本当に?」 俺の顔を見つめて何度もそう聞くと、頷いて答えた俺を見て、ボロボロと涙を落とした。 「あぁ…!シロ坊…偉いね…よく頑張った…!偉いね!シロ坊…!良かった…!」 そう言ってシトシトと涙を落とし続ける彼女に言った。 「意識もしっかりしてるって、桜ちゃんから連絡があったんだ。…良かった…良かったよ…。あの子は、やっぱり強い子だ。ふふっ!」 たった一人の人に、こんなに胸が恋焦がれて…引き裂かれそうになって…愛おしく感じるなんて… 俺のハートは意外とロマンチックで、繊細な愛が好きなんだと知った。 「シロ…」 ステージの上で妖艶に暴君の限りを尽くす彼も、美しくバレエを踊る彼も、儚い笑顔を向けて、手のひらで花びらを落とす彼も、忘れる事なんて…出来ない。 あの子の為に、自分に出来る事がある事が嬉しい… 「夏子?俺は用が出来たから、イギリスには12月の頭の週が終わってから帰る事にしたよ。」 俺がそう言うと、夏子は何かを察した様に言った。 「あたしもシロ坊に会いたいんだけど…」 「じゃあ、桜ちゃんにそう言えばいい。お前だけだったら…用が無くても、会わせてくれるよ…。」 桜ちゃんの手前、俺は礼儀正しくしなければいけない。 本当は、今からでも…あの子に会いに行きたい。 でも、これ以上、桜ちゃんの心証を悪くする事は…後々のシロとの関係を続けるにあたって、得策では無いんだ。 桜ちゃんが…シロの兄貴だからな… 彼を尊重しないと、シロとの関係は続けられないって…やっと、気が付いたんだ。 「そう?じゃあ…そうしよう。」 そう言うと、夏子は早速、桜ちゃんに電話をかけた… 俺は聞き耳を立てながら、興味のない振りをして背中を向けた。 「もしもし?桜二?シロが目を覚ましたって…シロ坊、頑張ったね?偉かったね?…うん、うん…。あぁ…そうなの?ふふっ!あの子らしいじゃん…!うっうう…良かった。…本当に良かったね…。桜二…頑張ったじゃん…。」 携帯電話を片手に泣きながら話込んでいる夏子を鏡越しに見つめる。 なんて言ってるの? シロはどんな様子なの? 俺の事を…探していない? 「あたしは、コンサートが終わったら次のスケジュールがあるから…戻らないとダメなんだ…帰る前にシロ坊の顔が見たいんだ。ねえ、あたしだけなら良いでしょ?」 そうだな…お前だけ、先にシロに会えば良いよ… 俺はチラチラと彼女を見ながら、彼の入院先の住所の片鱗でも口走らないかと、聞き耳を立てて集中した。 「あ、メールで送ってくれるの?サンキュー」 …ちっ! ホクホクした笑顔で電話を切った彼女に言った。 「なあ、どこの病院だって言ってた?」 そんな俺をジト目で見つめると、夏子はため息をつきながら言った。 「…あんたは教えて貰って無い。あたしは教えて貰った。その理由を鑑みて、大人しく待ってなさいよ…そういう所だよ?あんたが桜二を怒らせるところ…。」 分かってるよ… 会えるだけで十分なんだ。 俺は帰り支度を始めると、夏子に言った。 「俺はホテルの部屋に帰るよ。お前はどうする?」 「あたしも帰ろうかな…」 「…で、いつ行くの?」 「え~?何で聞いてくんのよ。…絶対、教えない。」 …ちっ! 次の日の朝、沢山寝たおかげで俺の顔の皮膚はハリを取り戻した。 あの子に会うんだ…ベストな状態で会わないと… 王子様の姿で会わないと、あっという間に夢から覚めちゃう。 「ふんふん、ふんふ~ん」 上機嫌に鼻歌を歌いながら髭を剃ると、時計を見ながら支度をする。 コップに差した花を一つ摘まむと、丁寧に一本引き抜いた。 「さあ…お前が何の花なのか…教えて貰いに行こう?」 街角の花屋に出向いて、店員に尋ねる。 「すみません。この花…何て花ですか?」 俺の顔を見つめて頬を赤らめるおばちゃんは、手元の花をやっと見たかと思うと首を傾げて言った。 「…ランかしら?」 かしら? 花屋の店員なんだ。あんたの方が知ってる筈だろ? 花屋を手当たり次第にはしごして、この花が何の花なのか聞いて回る。 面倒?全然。 楽しくて仕方がないよ。 だって、この花の花束を持って、あの子に会いに行くんだ。 あの子の喜ぶ顔を想像したら…楽しくて、仕方がないよ。 「あぁ、これはデンドロビウムだよ。しかも沖縄のかな…?こんなに枝が長くてしなだれてるのは、良く株で売ってる海外から輸入してるタイプの物とは違うんだ。へえ…随分立派な枝だね。」 店先だけお洒落にした老舗の花屋で、店主のおじさんがそう言って、俺の手元の花を一つ一つ眺めて匂いを嗅いだ。 やっと、名前が分かった…この美しい花は、デンドロビウム。 「この花で花束を作りたいんです。」 俺がそう言うと、店主は首を傾げて言った。 「どうかな?なかなか国産の物を置いている花屋は少ないかも…これから注文したら、来週あたりには届くかもしれないけど…」 「それで良い。来週の水曜日に間に合えば良い。」 俺はそう言うと、両手を使って言った。 「これくらい、大きな花束にしたい。顔が埋もれるくらいの…香りが暴走するくらいの大きな花束を作りたいんだ。」 店主は目を大きく開いて驚いた顔をすると、大笑いしながら言った。 「あはは、そりゃ…沢山使えば作れるけど…お値段しますよ?」 そんな事、どうでも良い。 「良いよ。幾らしても良い。来週の水曜日に受け取りに来るから。外装のラッピングは白を基調にレースか何かでゴージャスにして?リボンの幅はこれくらいで、色は赤だ。サテンの生地の物で、あまり長めにひだを残さないで上品にしてくれ。」 細かい注文をすると、店主は慌ててメモを取って、俺のリクエストを書いていく。 「お客さん、デンドロビウムだけ?他の花は入れないの?例えばかすみそうとか、淡い色の薔薇とか、この花を邪魔しない様なボリュームの出る花を要所要所に入れたりしない?」 メモに目を落としたまま店主は俺に聞いて来た。 さすがだね、長い間、花屋をやってるだけはある。 提案が出来るんだ。素晴らしいジジイだ。 「いいや、デンドロビウムだけ。この花だけが良いんだ。」 俺はそう言うと、前払いして花屋を後にした。 あぁ…良かった! シロはきっと喜ぶに違いない。 お前みたいな可憐な花だよ…愛しているよ。

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