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第31話
今日もオレは、水色の”見守り携帯”を首からぶら下げてる。
桜二もきっと、ピンクの”見守り携帯”を首からぶら下げてるだろう。
依冬は胸ポケットをパンパンにしながら、そこに黄色の“見守り携帯”を入れてるだろう。
「おい、シロ…タバコ買って来いよ…セッターが切れた。」
「何個?」
オレは支配人の許可が下りるまで、エントランスの受付で彼の手伝いをする事になったんだ…
こうやって度々小間使いの様にお使いをして、彼の役に立ってやってる。
「カートンで買って来いよ。ふたつ~お爺ちゃんに買って来ておくれ~!」
最悪だろ?
ずっとあんな調子なんだよ。本当、疲れるよ。
近くのコンビニまでフラフラと歩いて行くと、挙動不審な男性を発見して声を掛ける。
「大塚さん、どうしたの?こんな所で。」
彼は大塚さん。絵が上手な画家さんだ。
「あ…シロ君…!」
弱々しい声でそう言うと、背中を丸めてオレの方へと近づいて来る。
その様は…申し訳ないけど、まるでゾンビ映画のゾンビの様だった…ふふっ!
話を聞くと、大塚さんはオレが店で働くようになった日から、この辺を徘徊していた様だ。
「どうしてお店に来なかったの?」
オレがそう聞くと、彼はモジモジとしながら言った。
「ここら辺にいたら…会えると思って…」
馬鹿だな…会える訳無いのに…
あ、
今…会えたのか…ふふっ!
「お使いを頼まれたんだ。一緒に行こう?」
そう言ってオドオドする彼の手を繋いで、近所のコンビニに行った。
「セッターを2カートンと…からあげくんの辛口、下さい。」
支払いを済ませて、からあげくんを食べながら大塚さんと手を繋いでお店に戻って来た。
「お…お前、経費を勝手に食い物に使いやがって!」
自分だって、タバコをちょろまかしてるじゃないか…!
「この人、オレのお客さんなんだ。お店に連れて行って、一緒におしゃべりしてくる。」
そう言って支配人に大塚さんを見せると、彼は言った。
「あ~…1人いなくなったかと思えば、お前は、また、そうやって…男を連れ込んで…。お爺ちゃんの介護セックスはどうしたんだ。まだ施術を受けていないぞ?ん?その人の前に俺とするのが筋だろ?」
オレは彼を無視して大塚さんからチャージ料を徴収する。
「チャージ料5500円と、オレの指名代5000円がかかるよ?だから、10500円頂戴?あと、チップを買おうよ。この高いチップを見せるとダンサーの子が目を輝かせて近づいて来るよ?これを1枚と…5000円のチップを2枚買おうか?合計、30500円頂戴?」
そう言って手のひらを差し出すと、大塚さんは首を傾げながら財布を広げて黒いカードを出した。
なんだ!金持ちじゃないか!
「大塚さん?オレ用に高いチップをもう1枚買おうか?口移しで貰ってあげる。ね?良いでしょ?買って?ね?お願い~~!」
体にしなだれかかってそう言うと、彼の意外と逞しい胸板を撫でて、媚びる様に何度も瞬きをしておねだりをする。
そんなオレを見下ろして、硬くなっていた彼の表情がフワッと解れて行くのを感じた…
「ふふ…良いよ?」
気前が良いね!
桜二にも見習ってほしいよ。
「キャバ嬢並みの転がし方すんじゃねえよ…」
ムスッと頬を膨らませた支配人がカードを切る間、オレを見下ろす大塚さんを見上げる。
この不精髭と…髪型を何とかしたら、彼は上等な良い男になるのに…
「何…?」
首を傾げて聞く大塚さんに肩をすくめて答えると、支配人からカードを返してもらって彼に手渡した。
沢山買ったチップを手に持って、大塚さんの腕に手を入れてお店の中へと入って行く。
「ま~た、浮気するんだ!」
そんな支配人の声を無視して店内に入ると、踊り場から下を見下ろして言った。
「大塚さん?カウンター席と、ステージの前…どっちに座りたい?」
「シロ君が好きな方で良いよ…?」
ふぅん…
「おっけ~」
オレはそう言うと、彼の腕を引っ張って階段を降りて行く。
この人はやっぱり無口なんだ。
あんな強烈な冗談をかます支配人を、一度たりとも見なかった。
オレの事しか見ないで、オレの言葉にしか返事を返さない。
感心がある人以外、どうでも良いみたいに見える。
ある意味、超頑固者…
兄ちゃんや桜二とは違う、オレだけ限定じゃないんだ。
自分の絵の参考になる人には…きっと同じようにするはずだ。
「ここに座ろう?」
そう言ってオレが陣取ったのはステージの目の前の席。
「シロ君はまだ踊らないの?」
「そうだよ?上にいたジジイの許可が要るんだ…。頭がイカれた奴がステージの上で暴走するといけないからね?あはは!」
オレはそう言うと、ウェイターを呼んで飲み物を注文する。
大塚さんは意外にもモスコミュールなんて頼んだ。
ウォッカにジンジャーエール…ライムが添えられたカクテルだ。
「ふふ…意外だよ?大塚さんはお茶しか飲まないと思った。」
頬杖を付きながらオレがそう言って笑うと、彼は俺の顔を覗き込んで言った。
「どうしてそう思ったの?」
「だって、お絵かきばかりしてるから…お酒なんて飲まないと思ったんだ。ず~っと絵ばかり描いてるんでしょ?だからそんな髪型になるんだよ?」
そう言って体を屈めた大塚さんの髪を手櫛で解かしてあげる。
触ってみて分かった。髪の毛自体がごわごわしてる訳じゃない。
陽介先生くらいの強いくせっ毛なのに…毛量が多いから爆発してるんだ!
「美容室に行こう?髪を空いてもらうとだいぶ落ち着くんだよ?あと、髭も剃ろうね?」
そう言って彼の髪を桜二の様に後ろに流してあげると、気持ち良さそうに細めた瞳が見えて、可愛らしくて笑った。
「あふふ!そんな顔をしてるんだね?素敵だよ?見えていた方がずっと良いのに…どうして隠すのさ…」
オレがそう言ってクスクス笑うと、彼はハッとした顔をして、髪の毛をわしゃわしゃと手櫛で元に戻してしまった。
「良いんだよ?僕はこれで良いの。」
そう言ってオレから視線を逸らすと、手元に置かれたチップを指先で弄った。
「口に挟んでよ…」
そう言って彼の口元に一番高いチップを持って行くと、有無を言わさずに口に咥えさせて、ジョリジョリの両頬を掴むと、グッと体を寄せて彼の顔に近付いて行く。
「ふふっ!」
クスクス笑いながら彼の唇を掠める様にチップを咥えると、ゆっくりと両手を滑らせて、髪をかき上げて…おでこをむき出しにしてあげる。
「ほらぁ…やっぱり、こっちの方が可愛いのに…」
そう言って微笑むと、おでこにチュッとキスしてあげる。
「あわあわあわあわ…」
動揺して、アワアワ言い始める大塚さんを眺めながら、手元に出されたビールを彼のグラスにコツンとぶつけて言った。
「ふふ!そんなに動揺するなんて、男にされたのは初めてなの?」
オレがそう言うと、彼は首を傾げて言った。
「僕は、人とそういう事をした事が無いよ…」
は…?
「え…?」
「セックスした事が無いんだ…」
童貞…
「い、い、今…幾つなの?」
興味本位で…デリカシーのない事を聞いてるのは承知の上だよ?
でも、気になるじゃないか…
だって、そこそこイケメンの彼が、今の今まで誰ともセックスした事が無いだなんて…
ボカァ、信じられないな!
「35歳…」
「嘘つき!絶対、嘘だ!」
オレはそう言うと、彼の鼻をツンと押して怒った顔をして言った。
「そんなイケメンなのに、そんな話、信じられないよ!」
オレの言葉に口を尖らせると、顔を傾げて大塚さんが言った。
「シロ君…君のいた病院、僕も以前お世話になったんだよ。HSPって言って…人より少し敏感なんだ。だから誰も信じられないし、誰も嘘つきに見える。そんな僕はね、1人で居る方がずっと気が楽で、自由で居られるんだ。」
へえ…
そうだったんだ…
この人が心療内科の患者さんの絵を描いている事を…誰にも文句を言われない環境で、好き勝手に絵を描いて練習台にしてると思っていた…
こんな繊細なものじゃなくて、もっと利己的なものを感じていた…
でも、それは、彼が周りを拒絶していたから…感じた感情だったみたいだ。
「そうなんだ…じゃあ、何でオレと桜二には普通に話せるのかな…?」
「桜二さんは違う…僕はね、シロ君になら、何でも話せる気がするんだ。」
へ…?
首を傾げながら大塚さんを見つめて言った。
「何で?」
彼はオレを見つめたまま、にっこりと微笑んで言った。
「…多分、同じ匂いを感じたから。」
オレは…童貞じゃないよ?
それに、この前、勇吾っていう可愛い男も抱いたんだからね?
「そう…じゃあ、仲良しになれそうだね…?」
オレはそう言うと、彼の顎髭を撫でて言った。
「オレに会う時だけで良いから、もっと綺麗にしてよ。」
「どうして?見た目の美しさなんて…何の価値も無いのに…どうしてそんな事に拘るの?」
意外だよ…大塚さん。
あなたはとっても感情的にオレに話してくるね…
ふたりきりだからか…彼はとっても感情的で、自分を隠す事も、取り繕う事もしないで、思った感情をそのままにオレに伝えて来る。
確かに…彼は普通じゃないかもしれない。
でも、オレは嫌いじゃない。
「ふふ…怒ったの?ごめんね。もう言わないよ…ただ、髭のジョリジョリが苦手なんだ…それに、せっかく良い男だから、眺めていたいって思ったの。」
肩をすくめてそう言うと、彼の手にポンと手を置いて言った。
「…ごめんね?」
オレの瞳を見つめて…感情を読もうとする彼の瞳を見つめ返す。
この人には、嘘は通じない…
オレと同じ目を持った…傷つきやすくて、繊細で、儚い人。
彼がオレと違うのは、オレのような爆弾を抱えていないという事だけだろうか…
「良いんだよ。見た目が良いとそれだけでちやほやされて…嫌な思いをした事があるんだ…。だから、わざとこうしてる。これだったら…用が無い限り、僕に近付こうなんて思わないからね…」
そうなんだ…これは彼の鎧なんだ。
「そうか…それは失礼した。」
オレはそう言って微笑むと、暗くなり始めた店内にショーの始まりを察して、椅子から降りた。
「ほら、こっちにおいで?今から綺麗なものが見られるよ?」
そう言って大塚さんの腕を引っ張って、自分の隣に連れて来る。
ステージが煌々と明るくなって、大音量の音楽と共に、カーテンの奥から楓が姿を現した。
「かえで~~~!!」
大声で叫ぶと、他の常連客が対抗する様に、楓の名前を叫んだ。
「シロ~!」
そう言ってオレに手を振ると、可愛らしくお尻を振り振りさせて大塚さんにアピールしていく。
イケメンの彼氏がいる癖に、楓は面食いだ…!
それに彼は童貞だ!そんな誘惑は何の効果も無いよ?
お客の興奮と共に、大塚さんの体が強張っていくのが分かって、オレは彼の腰を抱いて安心させてあげる。
「ねえ?もうすぐオレもステージに戻れるんだ。その時はあなたは1人で、ここからオレを見ていてよ。そして、一番高いチップを咥えて寄越して?」
そっと彼の耳元でそう言うと、体に入った力が抜けて行くのが分かる。
「分かったよ。」
そう言って微笑む彼に、自分よりも不器用な頑なさを感じた。
きっと嫌な目に遭ってきたからこそ…心が硬くなってしまったのかな…
「口に咥えさせて…?」
そう言ってステージに腰かけて、大塚さんに高額のチップを咥えさせてもらうと、美しく体を仰け反らせて、ステージに寝転がった。
両手をヒラヒラと動かして、自分の口に咥えた高額のチップを指さしてアピールする。
「シロ~~!」
そう言いながらオレの頭の上に駆け寄って来る楓…大塚さんを見下ろして、モジモジしながらチラッチラッと視線をあててくるの…なんなの?
「あらぁ…こちらの殿方は、どちらの殿方なの~?」
「楓?ショーの最中だよ?」
オレはムッとした顔でそう言うと、彼にチップを指さして言った。
「オレの為に、一番エロい取り方してよ!」
「ふっふ~!仕方が無いなぁ…わがままなんだから~」
そう言いながら、オレの体に覆い被さって、大塚さんにウインクしていく。
全く!彼は童貞なんだよ?
楓の肩を掴むとグイッと強引に自分に引っ張り寄せて行く。
「楓ちゃ~ん。君のお客は僕でちゅよ~?」
「ふふっ!」
ニヤけた顔を真上に持って来て、オレの頬をねっとりと撫でると、そっと顔を近づけて、チップを鼻で押し退けて、チュッと唇にキスをする。
そのまま舌を這わせて、チップを掠め取っていく。
これはオレが教えてあげたチップの取り方、上級者編その18番だ。
「良いね…お利口じゃないか?」
そう言って楓の頬を撫でると、満足して体をゆっくりと起こして行く。
目の前に惚けた顔の大塚さんが居て…思わず吹き出して笑った。
「んふふ!あっははは!可愛らしいね…?」
童貞の彼には…きっと刺激が強すぎたんだ。
この店も…楓も…
この店は遊びなれた大人が通うような店だもんね。
「ビックリしちゃったの?」
惚けたままの彼を椅子に座らせてあげると、そっと顔を覗き込んで言った。
「もう…帰る?」
「シロ君の絵を描いてるんだ…でも、何かが足りなかった…それが今、分かった気がする…。明日はスケッチブックを持って来るよ。良い?」
急にハキハキと話し始めると、大塚さんはオレの手を掴んでじッと見つめて来た。
「良いよ…多分…お金さえ払ってくれたら、文句は言われないよ。」
オレは驚いた顔のままそう言うと、席を立った彼に付いて行く。
変な人…めっちゃ変な人!
おっかしい!
ストリップバーでスケッチするなんて、なんてぶっ飛んでるんだろう!
「バイバイ!明日は1人でここまで来るんだよ!」
そう言って、変な人に手を振ってお別れする。
「あ~あ…油断も隙も無いね…」
そんな支配人に小言を右から左に流して、彼の目の前にチップをちらつかせて言った。
「…換金してチョ?」
「銭ゲバだな…どうしてそんな風になったの?可哀想なシロ。」
へっ!言ってろよ!
オレは大塚さんから貰ったチップを換金して貰った!
やった!久しぶりだな!これで桜二に美味しい物を買ってあげよう。
鼻歌を歌うオレの頬を撫でて、支配人が足を広げて言った。
「シロ?お爺ちゃんのお股の間においで?」
まただ…また始まった…
これが閉店まで続くんだもん、やんなるよね?
「やだよ!だって、お爺ちゃん…死んじゃうもん!」
オレがそう言ってフイっと顔を背けると、ちッと舌打ちをする怖いジジイなんだ。
嫌になるね…?
「桜二?今日ね…大塚さんが来たんだ。オレと同じ…HSPだって言っていたけど、それってなんだろうね?」
首からぶら下げた”見守り携帯”をダイニングテーブルに置くと、桜二の背中に抱きついて彼に尋ねた…
「HSP…?土田先生が言っていたやつだね。ハイリー・センシティブ・パーソンって言って…普通の人よりも感じやすくて、傷付きやすいんだって…人の気持ちも分かって…共感しやすいって言うの?自分の事の様に感じてしまうから…とても疲れるみたい。」
へえ…
オレはどうだか分からないけど…大塚さんはそれかも知れない。
だって、あんな風にして自分を守らないと怯えてしまうんだもん…
可哀想だよ。
「今度聞いてみたら良いよ…。おいで?一緒にお風呂に入ろう?」
そう言って手を差し伸べる桜二の手を掴むと、彼を見上げて要らない情報も教えてあげる。
「桜二?大塚さんは35歳なんだって…」
「へえ…俺よりも年上だったんだね。」
「しかも、童貞なんだ。」
「シロ~!」
ふふっ!
「今描いてるオレの絵に、いまいち納得してなかったんだって…でも、今日、楓のショーを見たらビビッと来たって言っていた。良かったね?桜二の絵がもうすぐ完成するかもよ?ねえ、実物が居るのに、絵なんて貰って嬉しいの?」
彼のワイシャツのボタンを外しながら聞くと、オレのトレーナーを脱がせて言った。
「貰うんじゃない。買うんだ。」
ケチくその癖に…絵なんて手を出したらダメなんだ。
「明日は依冬とランチに行って…その後、勇吾に手紙を書くんだ。やっと一冊読み終えたから…その感想を書いて送るの。」
彼のズボンを脱がせてそう言うと、桜二はオレの顔を見つめて首を傾げって言った。
「寂しい?」
「うん…でも、オレには桜二も依冬も一緒に居てくれる。勇吾の方が、きっと寂しいと思うんだ。だって、あの人は…赤ちゃんだから…」
「ぷぷっ!」
桜二が吹き出して笑うと、オレは眉を下げて肩をすくめた。
だって…勇吾はオレの前では赤ちゃんみたいに甘えて来るんだもの…
ツンデレを上手く使い分ける彼のデレの部分は…きっと恋人にでもならない限り、分からないんだろうな…
#依冬
胸ポケットはパンパンになっていない。
何故なら”見守り携帯”しか入れていないからだ…
「はぁ…」
ひとり、部屋の中…病院からの報告書を手に取って項垂れる。
「親父…」
シロの様に発狂した親父を…薬漬けにして、意識的に眠らせ続けている。
あいつが戻ってくる事なんて…万が一にでも無いけど…生きてるだけで怖いんだ。
早く死んで欲しい…
いつか、また再び…俺の目の前に現れるんじゃないかって…怖いんだ。
めちゃくちゃにされてしまうんじゃないかって…怖くてたまらないんだ。
「シロ…どう思う?早く、死んで欲しいんだよ。」
あいつは、湊を愛して…裏切られて、最後は目の前で…自分を罵りながら絶命していく彼を見続けたんだ…
もし、俺がシロに同じようにされたら…どうなってしまうんだろうか…
「はぁ…馬鹿らしい。こんな事考える必要もない。だって、あいつは…もともとクズだったじゃないか…」
それでも…シロが病院に運ばれた時の桜二を見て…俺は気付いてしまったんだ。
あいつの血が俺にも受け継がれていて…ああなる可能性を秘めてるって。
それが…とても、怖いんだ。
シロを失ったら…どうなってしまうんだろう。
湊を失ったあいつの様に…狂って行くんだろうか…
そう思ったら…怖くて、いつの間にか桜二のマンションの前に来ていた…
「シロ…」
ポツリと彼の名前を呟いて…インターホンを押した。
「今、何時だと思ってるんだよ…」
そう言って不機嫌な声を出す桜二に、震える声で言った。
「シロに…会いたいんだ…」
こんな感情を、まさか自分が抱くなんて思わなかった。
鈍くて冷血漢の自分が、不安に苛まれる事なんて…無いと思っていた。
時間が経てば経つほど…親父の存在が怖くて、体に流れるあいつの血が怖いと思うようになった…
エレベーターに乗って桜二の居る階を押すと、ジッと俯いて…奥歯を噛み締める。
こんな姿…シロに見せたくない…
でも、彼に…抱きしめて貰いたいんだ。
「依冬…」
エレベーターが開くと、目の前にシロが立って心配そうに眉を下げていた。
「シロ…」
両手を広げるシロに、たまらずに抱き付いてすすり泣いた。
「よしよし…おいで…?」
そう言って俺の体を抱きしめながら、桜二が顔を覗かせる玄関へと連れて行く…
時刻は深夜の2:00…
ひとりで居たくなかったんだ。
怖くて、不安で、シロに抱きしめて貰いたかったんだ…
「こんなに体が冷えてるじゃないか…可哀想に。どうしてこんな薄着で来たの?風邪をひいちゃうよ?桜二、あったかい飲み物をちょうだいよ。」
そう言って俺の半そでから覗く腕を撫でると、心配そうに顔を覗き込んで言った。
「どうしたの?言ってごらん?」
…嫌だ…桜二がいるじゃないか…あいつの前で…弱音なんて吐きたくない。
桜二は俺の目の前に温かい紅茶を出すと、お休みと言って…寝室へと戻って行った…
空気を呼んでくれたのか…
悪いね…
「依冬?飲んでごらん?あったかいから…体があったまるよ?」
そう言ってオレの頬を両手で包み込むと、顔を持ち上げて瞳を見つめて来る…
彼の瞳は…発作で倒れる前の様な…怖い表情を一切しなくなった…
優しくて、温かい…包み込む様な瞳を、俺に向けて微笑んでくれる。
「シロ…シロ…」
彼の名前を呼びながら、彼の胸に顔を埋めて…グダグダに甘える。
「守ってよ…シロ…」
か細い声で彼の細い腰にしがみ付いて…みっともなく、情けなく泣いて縋る。
俺の背中を両手で撫でて、ギュッと抱きしめて…シロが言った。
「守ってあげるよ?何からも、守ってあげる…。だから、何がそんなに怖いのか…話してごらん?」
あぁ…シロ…愛してる。
彼の体をソファに押し付けて覆いかぶさると、彼の首に顔を埋めて彼の匂いを嗅ぐ。
「助けて…怖いんだ…」
彼の細い体に手を這わせて、彼の唇にキスをして、息を飲み込む様に口を塞いだ。
何も言わないで…何も聞かないで…ただ、この言い知れぬ恐怖を、忘れさせてよ…
「依冬…」
彼の甘い声が耳の奥に届くと体中の鳥肌が立って…堪らなく抱きたくなるんだ…
吐息を漏らす可愛い唇を食みながら、シロのパジャマのボタンを外して行く…
彼は俺の首に細い腕を絡めると、ギュッと抱きしめてくれる…
何も言わないし、何も聞かないで…俺の欲しいままにさせてくれるんだ。
シロのズボンの中に手を入れて、可愛い乳首を食みながら彼のモノを扱いて行く…
「あっああ…依冬…依冬…気持ちいの…んんっ…あっん…」
もっと聴かせてよ…可愛い、俺のシロの喘ぎ声を…
頭の中がクラクラする位に、あなたでいっぱいにさせてよ。
あなたの中に俺を隠してよ…
もう…疲れて来たんだ…異形の親父にも…慣れない仕事にも…疲れた。
「依冬…オレと一緒に住もうよ…」
自分勝手に果てて、彼の上に覆い被さる俺の背中を何度も撫でて、シロが言った…
「ねえ、一緒に住んでよ…お願いだよ。依冬…」
髪の毛をグチャグチャにかき混ぜながら、ふざけ始めるシロに言った。
「…シロが、俺と住んだら…桜二はどうするの?」
「桜二も一緒に住めばいいじゃないか…ね?」
そう言って、ムスくれた俺の唇にチュッチュッと可愛いキスをすると、シロはぶりっ子した顔で言った。
「依冬~!結婚してあげるから、家を買ってよ~~!」
全く…この人は、本当に…
可愛らしいんだ。
体を起こして彼の中から自分のモノを引き抜くと、トロリと垂れて来る精液を手で受け止めて、ティッシュをあててあげる。
彼の手を引いて、桜二の部屋の浴室へと歩きながら言った。
「…シロが、俺と結婚したら…桜二はどうするの?」
「養子縁組をして、子供にするんだ。」
「ふふっ!嫌だ!あんな息子要らない…!」
俺がそう言うとシロは驚いた顔をして眉毛を下げた。
え…?冗談じゃなく、本気で、そんな事考えていたの?
「…その話は…ちょっと考えさせてよ…」
浴室のドアを開いて、彼を中に招き入れるとそう言って話を濁した。
嫌だよ…桜二が息子なんて…絶対に無理だ。
俺が死んだ場合…彼に財産が相続されるのかと思うと、こんなに嫌な話はない。
いや、自然に死ぬ前に…桜二に命を狙われかねない!
あいつなら…やりかねない。
シロのお尻を綺麗に洗ってあげて体を拭いてあげると、桜二の下着とTシャツを渡される。そして、いつもの自分のパジャマを着直すと、俺の手を握って桜二が眠る寝室へと入って行く。
「ちょっと待って!シロ…桜二が寝てるから。」
俺はそう言って、シロの手を掴んで自分に引き寄せる。でも、彼はそんな事を気にしないで桜二が被った布団をベロンとめくると、ゴロンと寝転がって言った。
「そうだね…でも、気にしないで?彼はいびきをかかないんだ…」
「シロ…寝るの?」
彼の顔を覗き込んで聞くと、シロは自分の隣をポンポンと叩いて言った。
「ここにおいで?抱っこしてあげる。」
えぇ…桜二がいるじゃないか…
「良いよ…帰るから…」
「だめだ。ここに来て?大事な話があるんだから。」
ごねる俺の手を引いて無理やり自分の隣に寝かせると、俺の体に半分乗って抱きついて来た…
これじゃあ…抱っこじゃなくて、抱っこして貰ってる状態じゃないか…
彼のサラサラの髪を掻き分けて顔を覗き込むと、俺の瞳を見つめてシロが話し始めた。
「依冬?桜二の罪をもみ消す為に、オレは結城さんに会ったって言ったでしょ?あの時ね…彼は、とっても可愛らしい笑顔を見せてくれたんだよ。きっと、オレの事が…湊くんに見えたんだと思う。彼は…湊くんを愛していたんだ。もともと問題のある人だったかもしれないけど…兄ちゃんや桜二の愛みたいに…偏執的で、執着にも似た愛を…湊くんに注いでいたんだね…」
俺の頬を撫でながらそう言うと、首を傾げて俺に言った…
「あの人に似ている事が…怖いの?」
あぁ…シロ。
やっぱり…シロは…色んな事を、人よりも感じやすいんだね…
この人に、嘘は付けない。
誤魔化しも…強がりも…彼の前では、無駄な抵抗なんだ…
俺はクッタリと彼の胸に顔を沈めると、何も言わないで頷いた。
「そう…」
寂しそうにそう呟く彼の声が…まるで湊の声に聞こえて、埋めた顔を持ち上げて彼を見つめた。
「オレの…本音を、聞いてくれる?」
そう言って優しく俺の頬を撫でる彼が…湊に見えて、彼の暗くなった髪をそっと撫でて摘まむと月明かりに照らした。
赤い…
シロだ…
この人は…シロ。
俺の愛しい…人。
彼の言葉にコクリと頷くと、シロの悲しそうな瞳を見つめて彼の言葉を待った。
「オレはね…結城さんも、愛せる気がするんだ。」
は…
は…?
何を言ってるの?
「オレは彼のふたりの息子に、夢中だ…。こんなに可愛くて…こんなに愛おしいこの人たちを作った遺伝子…愛せない訳がないよ。」
「シロ…!嫌だ!」
「そうだね…嫌だよね…でも、依冬は彼の息子なんだ…。そして、オレはお前を愛してる。彼の様にどす黒い狂気を持っていても、堪らなく愛おしくて…堪らなく大切なんだ…」
そう言うと、ポロリと涙を落として、俺の頬を撫でた手を滑らせて頭を抱え込んでいく。
「彼は怖くない…」
そう呟いたシロの声を聞きながら、彼の胸に頭を埋めてトロけて行く…まるで、母親の様な包容力に…抵抗する気も、自分の意志も無くして…ただ、安心する。
「もし、目の前に現れたら…他の男と同じ様に絆してやろう。オレは彼を怖いと思わない。愛する事だって出来る。オレが彼を手なずけて…お前が怖がらない姿に変えてあげよう。そして、依冬も…桜二も、彼から守ってあげる。これは…希望的観測じゃない。確率の高い算段だ。」
そう言って俺の髪をフワフワと撫でると、自信を持った声で言った。
「彼は…湊くんじゃない、オレに落ちて…きっと優しいジジイに変わるだろうよ。」
その言葉に…吹き出し笑いをしながら、胸の奥から込み上げる嗚咽を一緒に漏らして、泣きながら彼に縋って言った。
「ふふっ…うっ…うう…シロ…シロ、本当?あいつが怖いんだ…うっうう…やっつけてくれるの…?あいつを、やっつけてくれるの…?」
みっともなくて…情けない…
彼の前では、そんな姿を見せても良いんだ…
「ふふ…やっつけないよ…?でも、うんと優しい人に変えてあげる。」
はは…
この人なら…本当に、出来そうだ。
涙が治まるまでグスグスと鼻をすすりながら、彼の細い腰に縋りついて甘えると、安心しきったのか…すっかり、不安も、恐怖も消えて行った…
不思議な人…
まるで、海の様な…包容力だ。
「シロ…シロ…抱っこして…ギュッと抱っこしてよ…」
「ふふ…良いよ。何もかもから…守ってあげる。」
そんな彼の言葉に…ホッとして瞳を閉じて行く…
優しく髪を撫でる彼の手のひらに…小さい頃の母親の記憶が蘇って…穏やかだった頃の優しい母を、思い出した…
#シロ
「シロ…朝だよ…」
「…だから何だよ!ばか~!」
オレは桜二の朝だよ?コールに盛大に反抗し、抗議した。
「だから…起きるんだよ…!」
そう言ってオレの腰をむんずと掴むと、ベッドから引き剥がして持ち上げる。
「おはよ~、シロ。」
洗面所から依冬が顔を覗かせてオレに挨拶した。
「ふふ…おはよう…?」
彼が一緒に居る事が、なんだか嬉しくて…口元が緩んでいく。
「3人で居ると、安心するね?」
オレを抱えて運ぶ桜二を見上げてそう言うと、彼はオレを見下ろして瞳を細めた。
それは…きっと、そうだね。って事。
昨日の夜…桜二とイチャついていたら、ピンポンが鳴った…
捨て犬の様にボロボロになった依冬が尋ねて来て、結城さんが怖いと泣いた。
可哀想だった…
胸の奥が締め付けられる様な気持ちを感じて…堪らず彼に言った。
一緒に住もう…
まるで彼の為の様に言った様な言葉だけど、本当は自分の為に言った。
離れて暮らしていたら、あんな風に…弱ってしまった彼を見逃してしまうんじゃないかって…怖いんだ。
すぐに気付いてあげたいし、すぐに抱きしめてあげたいし、すぐに寄り添ってあげたいんだ。
だから…一緒に
ずっと一緒に居たい。
「シロ~。行ってきます。今日は1:00に原宿だよ?忘れないでね?」
Tシャツ姿の依冬はそう言うと、オレの頬にキスをして玄関へ行ってしまった。
「うん。行ってらっしゃ~い。」
ソファの上から彼の背中にそう言うと、キッチンでオレを見つめる桜二と目が合った…
桜二はどう思うかな…
3人で暮らしたいって言ったら…どう思うかな。
「はい、卵焼き、焼けたよ?」
桜二がそう言うと、コトン…とカウンターにオレの卵焼きを置いてくれた!
「やった~!」
両手を上げて喜ぶと、ダイニングテーブルに腰かけて朝ご飯を桜二と一緒に食べる。
ご飯をよそったお茶碗を彼から受け取って、彼の顔を覗き込んだ。
…いつもと変わらない。
「いただきます~」
両手を合わせてお行儀良くして、桜二への感謝も忘れないよ?
「いつも桜二君は美味しい朝ご飯を作ってくれて、ボカァ…幸せだなぁ…」
テーブルの下で彼の足をスリスリしながらそう言うと、桜二は伏し目がちにクスクス笑って言った。
「シロの、加山雄三の物まね…何とかならないの?嫌なんだよ、それ。」
ふふっ!言うね?
オレは眉を上げて口を尖らせると、桜二の卵焼きを一口食べていつもの様に身もだえする。
「んふふ…美味しい!こんなに美味しいんだもん。やっぱり…1000円で売ろうかな…?そうしたら、卵3つで60円の元手で940円の儲けだよ?それを…」
「…シロ?昨日、依冬に言っていた事…本気なの?」
オレの話がつまらなかったのか、桜二が直球の質問を投げつけて来た。
「聞いてた?」
「聞いてた。」
彼は昨日の一部始終を聞いていたみたいだ…だったら、話は早いよね。
オレを見つめる桜二に言った。
「3人で、一緒に暮らしたいな。」
彼は食事の手を止めると、オレの顔を見つめたまま黙ってしまった。
その表情からは、可もなく…不可もなく…ただ、少し条件を付けたいような雰囲気を感じた。
「…どんな、条件が必要だと思ってるの?」
オレがそう言って彼の目の前のたくあんを一つ摘まむと、驚いた顔をして言った。
「心を読むなよ。」
読んでない。顔に書いてあるんだ。
深いため息を吐くと、桜二は味噌汁を啜って言った。
「まず、部屋は俺とシロは一緒で…依冬は離れた所で。あと、キッチンはアイランドキッチンが良い。高層階は移動が面倒って分かったから、低層のマンションが良い。一戸建てって選択もあるね。風呂は広めで、洗面台は大きい方が良い。」
ん…?
涼しい顔で淡々と設備の条件を話し始める彼に、首を傾げて言った。
「待ってよ。3人で住む事自体は、嫌じゃないって事?」
オレはてっきり、もっと嫌がると思ったんだよ。だから、依冬と桜二がバッティングしない様にシフトを組む所まで考えていたんだよ?
でも、目の前の彼はとぼけた顔をして首を傾げて言った。
「良いよ。シロがそうしたいなら…俺は構わないよ。」
え…そうなんだ…それは、良かった…
「ふふ!オレはてっきり、もっと嫌がると思ってた!」
そう言って彼の卵焼きをパクリと食べると、彼の足をつま先でナデナデした。
良かった。
これで誰の変化も見逃す事なく…すぐに気づく事が出来る。
「じゃあ…行ってくるよ。」
ピンクの“見守り携帯”を首から下げて、オーダーメイドのスーツを着たイケメンがそう言ってオレにキスしてくれる。
「ふふ…気を付けてね?」
そう言って、彼のスーツの襟を手のひらで撫でる。
絶対嫌がると思っていたけど…彼は昨日の一部始終を聞いていたんだ。
依冬が弱っている姿を見たから…前向きに、考えてくれたのかな。
なんだ、優しい所があるじゃないか!
乾燥の終わった洗濯物をいつもの様にリビングに広げて、開脚しながら畳んでいると、丁度この時間に勇吾からメールが来る。
そして、今日もいつもの様にメールが来た。
“何してるの…?”
ふふ…可愛いでしょ?とってもマメなんだ。
オレは桜二のTシャツを畳むと、携帯電話を手に取って返信を送信する。
“洗濯物を畳んでるよ?偉いでしょ?”
彼の貸してくれた本…アンナカレーニナをこの前やっと、読み終えた。
オレの感想は…このお話から美しい物なんて何も感じなかったって事…
子供を本当に愛していたなら、アンナは男の所に行かない。
あの女に儚さも、美しい愛も、何も感じなかった。
あるのは嫌悪感だけ。
自己中に子供を手元に置きたがる癖に、男に女の姿を見せて腰を振ってるんだもんね。それで、自分だけ可哀想な気になって…死んだんだ。
馬鹿な女。
洗濯物を全て畳み終えると、勇吾の返信に目を通す。
“偉いね。良い子良い子してあげる。”
ふふ…
彼はこれらの本を読んで、一体何を学んだんだろうか…
それが演出する事にどうつながったんだろうか…
「今度会ったら、聞いてみよう…」
両手と一緒に首を高く伸ばして、思いきり体を伸ばして行く。
ん~~!気持ちいい!
#桜二
依冬がオギャッた…
シロにオギャって…泣いた。
プププ…
車を運転しながら昨日の事を思い出して、1人で笑いを堪えてる。
だって…あの依冬が、シロに甘えて抱っこして!なんて言うんだもん…
ベッドの上で寝たふりを続けるのも、大変だった…
声を出して笑いそうになるのを堪えるのが大変だったんだ。
あぁ…シロ。
本当にイケない人だ…
「オレが彼を手なずけて…お前が怖がらない姿に変えてあげよう。そして、依冬も…桜二も、彼から守ってあげる。」
その言葉に…痺れたよ。
彼は可愛いだけじゃない。…実は、かっこ良いんだ。
女の様な深い包容力と、男の様な不屈の強さを兼ね備えてる…
…中性的なんて、ふんわりした物じゃない。中性そのものなんだ。
さすがだよ…シロ。
結城を優しいジジイに変える事だって…シロなら簡単にやって退けるだろう。
俺や勇吾を変えて行った時の様に…あっという間だよ。ふふ…
「ぷぷっ!」
どうしても、昨日の依冬が忘れられない。
今日、仕事で彼と会う予定があるんだ…思い出し笑いしない様にしないとな…ププ。
首から下げた“見守り携帯”は今の所役目を果たしていない。でも、彼は言った。
「これを下げてるだけで安心するから、これは、お守りだね?」
「ふふ…」
お守りね…
壮絶な入院経験だったけど、土田医師に会ってからシロは格段に心を落ち着かせている。
彼の言う所の“グルグルのブラックホール”も姿を現していない。
まるで本来の姿を取り戻したような、穏やかで優しい…彼が残った。
このままどうか、何も起こらないで欲しいよ。
平和な時間が長く続けば続くほど、もしもの事を考えると…胸が苦しいんだ。
でも…覚悟だけはしておかないとな。
その為に、これを首から下げているんだから…
#シロ
「依冬~!」
原宿の刀削麺のお店にやって来た。
先に店先で待っていた依冬に手を振って駆け寄っていく。
「シロ!」
「依冬!」
オレが思いきり飛びついても、この子の体幹はしっかりしてるから…ブレたりしないんだよ。凄いだろ?ふふ。
「何食べる?」
彼の顔を見上げて聞くと、依冬はルンルンと顔を揺らしながら言った。
「俺はこれにするんだ!」
そう言って彼が指さしたのは、店先に立てかけられたメニューの看板…
坦々刀削麺…担々麺みたいな刀削麺って事なの?
「辛いの平気なの?」
彼に尋ねながら店に入ると、依冬は首を傾げて言った。
「そんなに辛くない筈だよ?」
どうしてそんな事、分かるんだよ。
四川料理の店だよ?辛いに決まってる。山椒のピリピリする辛さだ。
「ふ~ん。じゃあ…オレはこれにしよう!」
そう言って辛く無さそうなものを選ぶと、店員さんに注文した。
目の前でオレを見つめてニコニコと笑う依冬に言った。
「依冬?桜二がね、一緒に住んでも良いって言っていたの。これで、3人で暮らせるよ?ふふ!嬉しいな。」
そんなオレの言葉に、依冬は明らかに嫌そうな顔をして言った。
「え~~。冗談じゃなかったの?」
酷いだろ?これが、依冬だ。
オレはムッと頬を膨らませると、依冬に言った。
「冗談じゃ~ないよ?」
それは桜二に訂正された…昔のギャグ。体の動きも付けて、依冬に見せてあげた。
遠くの方で年配のおじさんが吹き出して笑うのを視界の隅に捉えながら、目の前で首を傾げ続ける依冬に言った。
「ん…おほん。とにかく。僕たちは3人で住む事になりました。」
「え~~、嫌だよ。俺はトレーニングマシーンを置く部屋が無いと嫌だし、桜二の部屋に転がり込むなんて嫌だ。」
はぁ…嫌になるね。
こうやって自分の希望ばかり言って…年下の男の子だからって、なんでも許されると思ってるんだ。
オレは不満げに口を尖らせると、目の前の依冬に言った。
「桜二は低層階がご希望だよ?だから…依冬の部屋にみんなで転がり込めば良い。」
「え…」
そうだ、表参道の低層階、緑も多い依冬の部屋なら、桜二も納得するだろう。
「部屋数が…足らないよ。」
クゥ~ンと鳴き声を出しながら不満そうに依冬が言った。
部屋数ねぇ…
これは…一筋縄に行きそうにない話だな…。
インテリアや雰囲気に拘る桜二と…トレーニングマシーンに一部屋使いたい依冬…
揉める要素しかない。
間に立ってこの話を進める事の面倒くささを感じて、オレは早々に放棄した。
「じゃあ、もう知らな~い。」
丁度いいタイミングで刀削麺が目の前に出される!
「ふぉ~!美味しそう!」
依冬の目の前に出された坦々刀削麺は…真っ赤に染まっていた…
だから言ったんだ。
麻婆豆腐でも、広東料理と四川料理では全く辛さも味も違うんだ。
日本だってそうだろ?
同じ料理でも南と北じゃあ味付けが全然違う。
「真っ赤だよ?食べられる?」
器の中を凝視してる依冬にそう尋ねると、彼はオレを見て首を横に振った。
えぇ?…諦めるの早くないか?
「一口だけ食べてみな?」
半笑いしながら彼にそう言うと、依冬が恐る恐る一口食べる姿を見つめる。
不安そうな目が…可愛い!
パクリと一口食べると、オレを見つめたままモグモグと口を動かした。そして、突然襲って来た辛味に悶絶し始めた。
「あぁっ!…こ、これは…人の食べるものじゃない…!」
全く、失礼だ!
依冬はグラスの水を飲み干すと、目を潤ませて言った…
「この前の韓国料理の方が…まだ食べられた…」
仕方が無いな…
オレは自分の注文した辛くない刀削麺と、彼の坦々刀削麺をチェンジしてあげた。
「こっちを食べな?」
ふふん。オレはお兄さんだからね…
「いや…シロも食べられないと思うよ…?」
依冬はそう言うと、グラスのお水を店員さんに継ぎ足してもらってる。
馬鹿だな…オレは激辛大好きっこだよ?
太い刀削麺を箸で持ち上げると、思いきりズルズルと啜ってやった。
ほらね?
オレは辛ラーメンだって食べられるし、プルダックポックンミョンだってズルズル食べられるんだよ?
舐めたらいけないよ…
あ…
トウガラシじゃない…山椒の辛さがオレの傷ついた舌を激しく攻撃してくる!
「いたい!いたい!ベロ痛い!無理!無理!」
早々にリタイアして、依冬に渡したはずの自分の刀削麺を啜って食べた。
舌が…激しいダメージを受けた!!
依冬は覚悟を決めた様にジャケットを脱ぐと、ワイシャツの袖をまくって真剣な表情で言った。
「俺なら…出来る。」
どうかな…?
「うん。出来る!」
オレは適当に相槌を打つと、彼にエールを送った。
「ああああ…あああ…」
そんな依冬の声を聞きながら、オレは美味しい刀削麺を味わって体を捩らせる。
目の前の依冬が汗だくになって何倍目かのお水を飲み干す頃、オレは自分の分をペロリと平らげた。
「だから言ったんだ。四川料理はマジで辛さを追求してる。下手に手を出すと今回の様に失敗するよ?これからは気を付けて?」
お店を後にして、舌を出して歩く依冬にそう言った。
本当の犬みたいだ…
「でも…全部、食べ切った…」
それが彼の満足につながるのか…とんでもないフードファイターだな。
ずっと舌を出しっぱなしにしてる依冬が可哀想で、コンビニでソフトクリームを買ってあげた。
「舌を冷やすんだ…」
オレがそう言って彼の舌にソフトクリームを押し付けると、彼はクスクス笑って言った。
「熱くなってる訳じゃない…」
知ってるよ?でも、これが効くんだ。
それに、オレがソフトクリームを食べたかったんだ。
ガードレールに腰かける彼の舌にソフトクリームを擦り付けては、自分の口に運んでべろりと舐める。
冬に食べるアイスって…どうしてこんなに美味しいんだろう…
寒空の下、彼の舌を冷やしながら、されるがままのイケメンを見つめる。
可愛い…
「依冬?1月に引っ越すから、桜二に希望を伝えておいて?」
オレがそう言うと、依冬は舌を引っ込めて悲しそうな顔をして言った。
「俺が探すから、桜二には頼まなくて良い。」
「どっちでも良いよ。オレは1月には3人で住んでいたいんだ。それがオレの希望だよ?」
ソフトクリームを食べ終えると、オレはそう言って依冬の腕を掴んで引っ張り起こした。
「は~い…」
やる気のない返事を聞きながら、依冬の手を繋いで彼の車まで歩いて行く。
さぁ、帰ったら…勇吾に手紙を書かないと!
「依冬?イギリスに郵便局はあるの?」
「あるよ?」
「依冬?イギリスまで何円の切手で届くの?」
「さあね…そう言うのは窓口に持って行っちゃえば良いんだよ…」
そうなんだ…
手紙なんて書いた事も、出した事も無い。
だから、どうしたら良いのか分からないんだ。
依冬は助手席でぼんやりとするオレの顎を掴むと、自分の方へ向けて口の中を覗き込んだ。そして指先で舌の傷痕を撫でると、舌を入れたキスをしてきた。
可愛いね…依冬。
こんな事されたら、惚れちゃうじゃないか…!
クスクス笑う彼の横顔を見て、3人で暮らす事をまんざらでも無く喜んでいると分かった。
オレ達はくんずほぐれつの仲良し兄弟なんだ…
だから、一緒に居ないとダメなんだ。
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