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第35話
「桜二ってば…やる男君だったんだね…?ボカァ…クラっと来ちゃったよ?」
オレがそう言うと、依冬がオレの手に持ったチップの花束を見て、顔を歪めて言った。
「どうりで、早く着いてるな~と思ったら…早めに店に来て、こんなものを仕込んでいたんだ!卑怯者!」
ひどい言い草じゃないか…!
「依冬?違うよ?彼はオレの為に、所謂、サプライズを用意してくれてたんだ…!」
そう言ってオレを見つめる桜二を見つめて、うっとりと彼の頬を撫でて言った。
「優しくて…強くて…かっこいい男…!」
「おかしいでしょ?桜二はケチ・くさ男の方がしっくりくるでしょ?いつもケチだと、たまに奮発すると有難がられるんだもん、不公平だ。」
依冬はそう言うと、ぶつぶつ言いながらチップの花束を一つずつ手で解し始めた。
オレはそれを横目で見ながら、目の前の桜二に言った。
「ちゃんと踊りきる事が出来た…。あなたも怖かったでしょ…?それでも、信じてくれて…ありがとう。行かせてくれてありがとう。見守ってくれて…ありがとう。」
桜二は、涙を一筋落とすとオレの頬を優しく撫でて、反対の頬にキスをして言った。
「偉かったね…」
ふふ…
「シロ?これ…お前にだ…」
オレの肩をつんつんすると、支配人がそう言ってオレにバラの花束をくれた。
「え…」
一瞬キョドって固まると、支配人はムッとしながら言った。
「…お前の二枚目の浮気相手からだよ!」
「勇吾?」
オレは支配人から花束を奪還すると、花束に添えられたメッセージカードを見て固まった。
だって、英語で書かれていたんだもん…読めないよ。
「依冬…なんて書いてある?」
そう言って依冬の膝に座ると、彼が読んでくれるメッセージを聞いた。
「シロへ。ね?言ったでしょ?愛してる。勇吾。…だって、はっ!この年代のおじさんって…みんな花束を贈るのが趣味なのかな?ねえ?シロ?花束は枯れちゃうじゃない?どうせなら植木の方が良いよね?ね?ね?」
勇吾…
外国から、こんな素敵な花束を贈ってくれた…甘い男。
メッセージカードに書かれた印刷された文字を指先でなぞると、口元が緩んでいく。
乗り切れたよ…勇吾。
あなたの、勢いと、パワーを、少し借りた…
いつか、あなたの傍に行く日が来たら…そんな日が来たら…
今よりも…もっと、沢山、どれだけ愛しているのか…伝えるね。
あなたはオレの恋人で…オレのお師匠さんだ。
「あ…これ、今から注文しても、今日中に届きそうだね?何が欲しい?シロ。なんの花が良い?植木は…無さそうだね?」
依冬がそう言って、花束に書かれたお店のHPを見せて言ってきた。
「ヒマワリが欲しい?それとも…ガーベラにする?なんの花束が欲しい?」
「…もう。」
すっかりひねくれてしまった依冬の頭を撫でると、バラの花束をステージの上に置いて彼に言った。
「ねえ?依冬?12:00にもう一回踊るんだ…見て行ってくれる?だって、依冬はまだチップをオレにくれてないじゃないか…?」
「そうだよ?さっき寝転がろうとしたら…みんな、わ~~!って来て…俺は寝転がれなかったんだから…!」
あぁ…
もう、その時点で、依冬はへそを曲げていたんだ。
「よしよし…よしよし…」
オレは依冬の頭を抱きかかえると、何度もキスして慰める。
散々オレが煽って興奮したお客や、こんなキザな男共に囲まれたら…誰だって出遅れるさ。
#勇吾
シロが踊るって…?
ついこの前、スランプになったって相談して来たばかりなのに…
いくら何でもスランプから脱却するの…早くないか…?
強行、するつもりなのか…
朝の10:00…ミーティング中にシロから電話が掛かってきた…
あの子が俺に電話をしてくるなんて、初めての事だった。
すぐに電話に出て部屋の隅に行くと、俺を見つめる真司から視線を逸らして言った。
「もしもし…?シロ?どうしたの?」
俺がそう聞くと、シロはやけに落ち着いた声で言った。
「勇吾…。オレ、今日からステージに立つ。」
「え…?スランプは?もう大丈夫なの?」
「…分からない。でも…いつまでも練習ばかりしてる訳にいかない。オレはステージに立ちたいんだ。それに…昨日、小さい頃の自分を抱きしめることが出来たんだ…。あの子が味方なら…オレは強くなれる。20:00と、24:00のステージを踊りきって…明日から普通に踊る。」
そんな風に言い切るあの子に、そこはかとなく不安になった…
小さい頃の自分を抱きしめる…シロの主治医があの子に課した課題。あの子はそれがどうしても出来なかった…。
想像する事さえ怖がっていたのに…そんな存在に触れて…抱きしめることが出来た。
でも…それが、お前のスランプと何の関係があるのか…分からないよ。
やけに落ち着いた調子のシロに…退かない覚悟を感じると同時に、現状への焦りも感じて…止めるべきか悩んだ。
「ここから…見てるよ」
震える唇でそう言うと、あの子が電話を切るまで…ずっと悩み続ける。
止めるべきだったんじゃないのか…
もし、怪我でもしたら…
もし、怖がるようになってしまったら…
もし、観客の前で醜態を晒す様な事になってしまったら…
あの子は、本当にステージに戻れなくなるかもしれない。
こんなに距離が離れていると、何もしてあげられない。
傍にいて、あの子の状態を直接見る事も出来ない。
ただ…不安に苛まれるだけだ。
「勇ちゃん、もうすぐ公演なのに…何をそんなに上の空になってるの?」
真司がそう言って俺を見つめて言った。
「今の電話って…東京の、ストリッパー?」
あぁ…あいつ。言ったのか…
手で顔を覆うショーンを視界の隅に捉えながら、俺は真司を見つめて言った。
「今はそんな話、関係無いだろ。いい加減にしろよ。」
「はっ!すぐに浮気ばっかりして…嫌になるよ。」
真司はそう言うと、俺のすぐ傍まで来て、顔を覗き込む様にして言った。
「ねえ?勇ちゃん?僕の事…愛してる?」
「いいや…」
笑顔を崩すことなく動揺して揺れ動く、真司の瞳を見つめて言った。
「愛してないよ。お前の事なんて…初めから愛してない。」
バチーーーンッ!
真司の強烈な平手が頬にあたって、顔が横に吹っ飛ぶ。
ミーティングしていたのに…プライベートの話をし始めて…
彼は本当に…アグレッシブすぎる。
「…もう、別れよう…」
俺はそう言うと彼を素通りして、止まってしまったミーティングを再開する。
「なんだよ…!あんな、汚い店にいるようなビッチ!勇ちゃんはSMが好きなの?ねえ!聞いてんだよ!答えろよ!!」
喚き散らす真司を無視して、ショーンを見て言った。
「責任とって…連れてって?…邪魔だ。」
「オーケー…」
項垂れたショーンは、わめき散らして大騒ぎする真司を連れて、部屋を出て行った…
あいつの事だ…酒でも盛られて喋ったんだろうよ…
はぁ~
「勇吾?プライベートが邪魔になるなら手近に恋人を作るなよ。面倒だろ?」
「そうだね…じゃあ、ミーティングの続きをしよう…」
仕事仲間に窘められて、俺はミーティングの続きを始める。
あと、2週間…
家にも帰れていない。
シロに会いたいよ…
「大したことない。こんなの、誰だって出来る。こんな安っぽい踊り…お遊戯会みたい。全然良くないし、全然かわいくもない。見てよ、見た目だって…アジアの少年って感じで…魅力的なんかじゃない。芋臭いし、ブスじゃん!」
お昼休憩を迎えて、テーブルと椅子のある場所に自然と人が集まって休憩時間を過ごす中、真司による嫌がらせを無視しながら、コーヒーを片手に俺は携帯電話で彼に花を届ける注文をする。
きっと…あの子ならスランプを脱して、上手に踊りきる事が出来る筈だ…
そうだろ?
そうだろ…?
メッセージを書く欄にカーソルを合わせて、固まって考える。
To,Shiro See? I told you so. I Love you. Yugo.
はぁ…
こんなメッセージを書いて…上手く行かなかった場合、どうするんだよ。
メッセージを添えないって手もあるな…
いや、結局バラを送るんだ…同じじゃないか…
携帯電話を手に持ったまま、じっと画面を睨み付けて悩んでいると、ショーンが俺の隣に座って言った。
「ごめんなさい!すっかり酔って覚えていないけど、多分、俺が話した…」
「良いよ…。どうせ、いつかバレる事だし…もともとは俺が悪い事だから…」
腕時計の時間を確認して時差を計算すると、花屋にバラの花束の手配をして携帯電話をやっと手から離した。
ショーンは俺を見ると首をかしげて言った。
「本当に…勇吾だよね?」
どういう事だよ…
「前だったらこんな時、口も利いてくれなくなっていたのに…なんで、そんなに穏やかな顔してんだよ…」
はぁ…
俺は項垂れて髪をかき上げると、ショーンを横目に見て言った。
「…俺はそんなにガキじゃないよ?」
「ぷぷっ!ガキの代名詞が…勇吾だったのに…!」
ショーンはそう言ってオーバーにリアクションをすると、真司を見て言った。
「真司は、まだ、ごねそうだね。」
ごねた所で、気持ちの離れた相手に何を要求したって、虚しいだけだよ…
それに、彼がごねてる理由は、俺の好きになった子が…自分よりも“格下”だと思ってる相手だからだ。
腕時計を確認して、あの子が踊り始める時間を何度も確認する。
…もうすぐだ。
大丈夫…大丈夫…シロ、落ち着いて、自分の体に染みついた経験を信じるんだ。
お前は素直で良い子だから…勇ちゃんの言った事をすぐに実践したね。
嬉しかったよ。
大丈夫…勇ちゃんはスランプだらけの人生だから…そういうアドバイスは得意だよ。
何でも困った事があったら、勇ちゃんに言いなさい。
全部、何とかしてあげるから…
唇をかみしめて、腕時計を見つめ続ける。
正午の12:00…東京では20:00…
彼が踊り始めた…
シロ…がんばれ…負けるな!
「勇吾…?どうした?」
ショーンが俺の様子を見て、心配そうに顔を覗き込んでくる。
俺は目にいっぱいの涙を溜めて、今、まさに踏ん張ってるあの子を思って胸を焦がしてる。
秒針が動くのを見つめて、分針が時間を刻んで行くのを息をのんで見守る。
シロ…シロ…
傍にいてあげたかった…!
あの子のそばで…あの子の不安を一緒に感じて、守ってあげたかった!
「がんばれ…!」
力を込めて小さく呟くと、握りしめたこぶしが痛くなるほど強く力を入れる。
12:15…
深く息を吐いて、携帯電話を確認する。
どうだった…シロ、どうだった…?
上手くできたの?
しばらくすると携帯電話にメッセージが届いた。
「桜ちゃん…?」
それは意外にも、桜ちゃんからのメッセージだった。
“シロがかました!”
そう書かれたメールには動画が添付されていた。
ショーンが不思議がる中、俺はその動画を再生させた。
「あっ!あっははは…!!シロ~!いいぞ~!」
画面の中のシロはいつもの様にステージの上でいやらしく腰をうねらせて、挑発するような視線をお客に向けて…暴君の限りを尽くしている。
これだよ…この目つき…
堪らないだろ…?
自身に満ち溢れた…女王様だ。
シロがポールに体を持ち上げて行く姿を、動画なのに固唾を飲んで見守る。
「がんばれ…」
俺がそう言うと、ショーンが首をかしげて言った。
「彼はストリッパーでポールダンサーだ…何をそんなに心配してる?」
「この子は、つい昨日までスランプの真っただ中だったんだ。…ついさっき踊ったこの時だって…こうやって無理やり…自分を追い詰めて、無理やり体に思い出させてる。きっと、踊り上げる自信も確実な根拠もない。ただ…もう我慢出来なかったんだ。煩わしいスランプに、我慢出来なくてステージに上がった。」
確かに俺は自分の体に染みついた動きを信じろと言った。
でも、それは練習の段階の話だ。何度も練習して、自分で納得出来たらステージに上がる。それが普通の…常識の範疇の発想だ。でも、あの子は強引に…強硬策を取った…。必死になれと言った…でも、それは練習の姿勢の話だ。こんな風に必死になるなんて…思わなかった。
はぁ…
ベクトルが違うよ…シロ。
「まったく…女王様は気が短いんだ…」
言葉とは裏腹に、あの子の強引さに口元がニヤけていく。
変な所で勇ましい男だ。
いや…ただの馬鹿だ。
「そんな…危ないじゃん…もし失敗したらどうするつもりなの?」
そう言って画面を見つめるショーンに言った。
「この子は…東京のクレイジーボーイだよ?失敗する事を考えるよりも、ステージに上がる方を選んだんだ。自分に賭けてるんだよ。なんの確証も無いのに…全く!」
根っからのギャンブラーなの?
「あ…」
ポールに乗せた体を回転させながら、しきりにお腹を見つめてバランスを崩して回る彼を見て、胸が痛くなる。
がんばれ…
シロ。がんばれ…!
シロはすぐに体制を持ち直すと、今度はもっと高くまで体を持ち上げていく。
はぁ…怖かった…
まるで、子供の発表会を見つめる、親の心境だよ…
「誰…?その子…?」
俺の携帯を覗き込んでそう言うと、仕事仲間がシロを見て言った。
「お~!東京のクレイジーボーイ!彼の鞭は最高なんだ~!本物の音を出して、よく しなるんだよ。」
あぁ…そんな風に広く認知されてるなんて…本人にはやっぱり言えない。
ポールを可愛く滑空して降りると、シロは勢いをそのままに正面を向いてポーズをとった!
決まった!
「ブラボー!」
この子の空間認識能力には脱帽する。
どうしてあの勢いで降りて来て、正面で着地出来るって分かるんだろう?
「上手だね。その子、勇吾の何なの?」
仕事仲間にそう聞かれて、俺は顔をニヤニヤさせると得意げに言った。
「この子は、俺の可愛いジュリエットだよ。」
「だ~はっはっはっは!!」
良いんだ。
大抵のリアクションはこんなもんさ…
シロのポールが滞りなく終わって、一安心すると、すっかり冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。
良かった…
良かった…!
途中危うい箇所はあったけど、あの子は最後まで踊りきった。
「頑張ったじゃないか…シロ…」
ショーは進んで行きシロの可愛い桃尻が披露されると、依冬君がカメラの近くで変な声を出した。
聞きたくないな…そんな声。
ゴソゴソと動き始める桜ちゃんのカメラにイライラしながら動画の続きを見ていると、彼の足元に白い花束が見えて…俺は大笑いして言った。
「あ~~!やっぱりな!桜ちゃんがこんな風に、親切に、俺に動画を送ってくれる訳がないんだ。これを自慢したかったんだ!はぁ~~!嫌な男だよ!」
桜ちゃんがカメラを回したままステージの上に寝転がると、シロが上から見下ろしてムスッとした顔でゴニョゴニョ言った。
「ふふふっ!シロだ。これが…この子の素の顔だよ?可愛いだろ?」
俺はそう言うとショーンにあの子の素顔を見せて大笑いする。
ショーンはシロの顔をまじまじと見つめると、俺に聞いてきた。
「なんでシロはこんなに不満そうにしてるの?」
「きっと、桜ちゃんが良いチップを咥えてなかったんだ…だから、見て?この顔。あッはッは!桜ちゃんはね、ケチ・くさ男だからね…うんざりした顔されててウケる!」
でも、次の瞬間…
シロの体がカメラの近くまで近づいて、あの子の素肌が画面いっぱいに映ると、俺の胸がゾワッと鳥肌を立てていった。
あぁ…この子に…触れたい…!
舐めたい…!
愛したい…!
俺は動画を停止させると、動揺を誤魔化す様に隣のショーンを見て真顔で言った。
「シロには2人のナイトが付いてる。この2人は腹違いの兄弟で、どちらも凶悪なんだ。あの子はその2人と交互にエッチして下僕にしてる。そこに俺が飛び入り参加したんだ。そして、1人の男に顔面が歪むぐらいボコボコにされて、もう1人の男にけちょんけちょんに貶された。」
俺の話を興味深く聞くと、ショーンは真顔で言った。
「冗談、だよね?」
「いいや…本当の話だ…。それでも、俺はシロを諦められなくて、あの子がバレエが好きだという事を利用して、リフトしてあげたり、一緒にパ・ド・ドゥを踊ったりして、気を引いたんだ。」
携帯電話の動画を閉じて、コトンとテーブルに置くとぽつりと言った。
「俺はそんな危険なシロと、40歳までに結婚したいんだよ…」
「ぶわっはっはっはっは!!」
隣で大笑いされてムッとすると、ショーンを見て真顔で言った。
「俺は本気だよ?」
「ヒ~ヒッヒッヒ!わかった…わかった…!出来ると良いね?危険なシロと、結婚できると良いね?グフフ!」
「どういうこと!」
突然真司が現れて、俺とショーンが座るテーブルを思いきり叩いて言った。
「勇ちゃんが結婚なんて、出来る訳無いじゃん!すぐに浮気するんだから!そういう事は2年も付き合った僕とする話だろ!なんだよ!」
まいったな…
彼はアグレッシブすぎるんだ。
以前はそれがじゃじゃ馬のようで可愛く映ったのかな…?
でも、本当のエキセントリックを見せつけられると…
この程度のわがままは、つまらなくて幼稚なものに見えるんだ。
自分の舌を嚙み切る様なやつだよ?
スランプ中に自ら進んでステージをこなす様なやつだよ?
ただ者じゃない男を2匹…いいや、3匹も飼いならせる様なやつだよ?
そんなあの子に誰も敵う訳がない。
男でも女でもない不思議な魅力をまとって…異次元の生き物のようにステージを彩って、演出して、お客を魅了させるんだ。
俺はぎゃんぎゃん騒ぎ立てる真司を無視すると、椅子から立ち上がって次の打ち合わせへと向かった。
「勇ちゃん!勇ちゃん!酷いよ…!嫌だ…!僕は…僕は、勇ちゃんの事が、大好きなんだ…愛してるんだ!なのに…酷いよ。酷いよ!」
そんな俺の腕に縋り付いて、泣き声を上げながら、怒気を纏った真司が言った。
「許せない!そいつに会ってぶん殴って来てやる!」
ほほ!
「やめろよ…あの子は関係ない。俺が勝手に愛してるだけだ!それに…」
俺は真司を見下ろすと、ため息をつきながら言った。
「お前の方が…やられるよ?」
あの子の傍にはナイトがいる。
消して傷つけられない様に、円陣を組んであの子を守る…ナイト以外の取り巻きもいる。
女王様なんだ。
少しでも歯向かう様子を見せれば…彼らはたちまち剣を抜いて構えるだろう。
「…なんだよ!僕がやられるって?そんな訳ない!あんな奴…勇ちゃんに相応しくない!僕みたいにダンサーとして実績と経験があって、この業界に精通してて、知り合いも多い、僕みたいな…僕が勇ちゃんにピッタリなんだ!勇ちゃんは気が付いていないだけで、僕の事を愛してる!そうでしょ?」
そう言って俺の体を抱きしめると、真司しくしくと泣きながら言った。
「僕の事を…愛してるんだよ…。そして、僕も、勇ちゃんを愛してるんだ…。」
あぁ…!
まいったな!
#シロ
「あ~…桜二、とっても素敵だった…」
今日はいつもよりも盛り上がってセックスをした。
だって、あの“ケチ・くさ男”の桜二が…オレに素敵な花束をプレゼントしてくれたんだよ…この緩急は、いけないよ。
「ねえ?あの花束…いつ買ったの?どうしてユリにしたの?」
彼の胸に顔を乗せて尋ねると、桜二はオレの髪をつまんで撫でながら言った。
「ステージで踊るって…連絡があって…すぐに買いに行った。シロは…良い匂いがするから…ユリにしたんだ。」
ぷぷっ!
可愛い!
オレは24:00のステージもそつなくこなす事が出来た。
晴れて本来の職場に復帰を果たしたんだ。
これで、毎日のように抱えていた鬱憤は晴れた!
でも、オレの復帰と入れ替わるように楓が長期休暇に入って、明日から1人で3ステージをこなさなければいけなくなった。
ハードだけど…オレが休んでいた間、楓が埋めていてくれた穴だもん。
彼が何の心配もしないでバカンスとやらに集中出来るように頑張るさ。
桜二の胸板の産毛をなでながら、彼に言った。
「桜二?楓は…彼氏とイギリスに行くんだって…勇吾の公演のチケットあげようかな?」
「やめなさいよ…怒るから…」
桜二はすぐにそう言うと、オレの髪にキスして言った。
「ポールに捕まった時、一瞬バランスを崩したね…あの時、どうなったの?」
え…
オレは顔を上げると、桜二を見つめて教えてあげた。
「すっかり仲良くなった小さい頃のオレが表れて、オレの腹の上に乗って言ったんだ。兄ちゃんを手放すなんて…可哀想だって…。だから、オレは言ってあげたの。それは兄ちゃんに失礼だよって。そして、衣装にくるくるに丸め込んで…桜二にぶん投げた。ふふっ!」
オレがそう言って笑うと、桜二は目を丸くしていった。
「そんな事、あの時にしていたの?」
時間にしたらほんの一瞬の出来事だった。
でも、まるでステージに上がる緊張から気をそらす様に…要所要所で現れてはオレの心を揺さぶる事を確認する様に聞いてきたんだ。
あの子は…オレに…大好きって言ってくれた。
それがとっても嬉しくて…オレもあの子が、大好きになった。
「子供のオレがね、桜二に纏わりついてたんだよ?ふふっ!多分、桜二は呪われた!って、その時思ったんだ。」
彼の鼻の穴をいじりながらそう言うと、桜二がムズムズと鼻を動かして言った。
「その絵面は…見てみたい気もする。」
ふふ…
自分のスランプを強引に力技で克服した。
桜二はきっと怖かったはず。それなのに…笑顔を無理に作って、オレが心配しない様にしてくれた。
支配人も、楓も…みんな敢えて普通にして…オレが緊張しない様にしてくれた。
恵まれてる。
人に…環境に…恵まれてる。
まるで、小さい頃の不遇の帳尻を合わせてるみたいだ。
気づくと、桜二はスースーと寝息を立てて、眠ってしまっている。
可愛い…
見て?この寝顔…ふふ。
スッと通った鼻筋に切れ長の瞳…この瞼の下には冷たい男の瞳が隠れてる。
でも、今は…まるで赤ちゃんみたいに穏やかだ。
こんな風に指で撫でまわしても、彼は起きなくなった。
こんな風に、指を口の中に突っ込んでも…彼は起きなくなった。
「ふふ…」
クッタリと頬を付けて甘えると、彼の胸の産毛を撫でながら目を閉じる。
この人と一つになりたいな…
オレの桜二様…
愛してる。
「シロ…起きて…」
あんな風に優しく、甘く、抱いてくれたのに…
朝、強制的にオレを起こすスタイルは、変わらないんだ。
「いやだ!オレは、2:00に起きるから…放っといて!」
「ダメだよ…今日は土田先生の所に行くんだから…」
あ…
そうだ。
オレはうっすらと瞳を開けると、ボサボサ頭のイケメンを見つめて言った。
「ん~~!セクシ~だね?オレの事、誘ってるの?」
両手を伸ばすと、彼が体を屈めるから、オレは彼の背中に手を這わして抱きしめた。
オレの体を抱きしめる彼の手が随分ダイレクトに体に触れるから、首を傾げながら自分の体を見返した。
「あぁ…すっぽんぽんで寝ちゃったんだ!」
「そうなんだよ…?俺も裸で寝てたんだ。起きたら…カワイ子ちゃんが…」
「ね、パンツ取って…?」
桜二の言葉を遮ってそう言うと、ジト目でオレを見つめながらパンツを手渡す彼に聞いた。
「何時からだっけ?」
「10時だよ。だから、その前に支度を済ませてね?」
ベッドの上でパンツを履くと、久しぶりにステージに立ったおまけの様に、変な部位の筋肉痛が体を襲った。
「いてて…なんでこんな所が筋肉痛になってるんだよ…」
ガチガチに緊張していた証拠みたいだ。
「依冬は、しばらく、花束に嫌悪感を示すだろうね…?ふふっ。いい香り…。」
オレはそう言うと、2つの花瓶に挿したバラとユリを交互に撫でて、鼻をクンクンして香りを嗅いだ。
「さあね…」
桜二は興味なさげにそう言うと、キッチンの流しでポットに水を入れた。
「植木だったら枯れないのに!」
そんな風に言ってずっとムスくれているから、機嫌を直すのに苦労したんだ…
24:00のステージで、チップを取る時沢山サービスしたら少しリカバリーしたけど、小脇に置いた花束を見るたびに、植木の話をしていたっけ…
いじけちゃったんだ。可愛いだろ?
卵を割る音を聞きながら、桜二の背中にくっついて朝のルーティンをする。
「勇吾って…優しいね?花束をくれた。」
「さあね…」
桜二はそう言うと、コンロに火をつけて卵焼きを焼き始める。
ジューっと卵が焼かれる音を聞きながら、彼の背中に甘えて、兄ちゃんを思い出す。
「…兄ちゃん。」
「ほら、ほら、早く!」
桜二に急かされながら洋服を着替えると、コートを手に持って彼に言った。
「準備できました!」
桜二はにっこりと笑うと、カウンターの上に手を置いて首を傾げた。
「あれ…おかしいな…シロ?車のカギ知らない?」
ふふ…
「え?知らないよ…?」
オレは桜二と同じ様に首を傾げると、おちょぼ口をしながら彼を見つめた。
彼はくすくす笑いながら部屋中探し始める。
ソファのクッションの下から、絨毯の下…オレの脇の下から、口の中まで探して回った…
「…おかしいな、ここに置いた筈なのに…」
そう言ってソファに腰掛けて首を傾げると、ため息をついて言った。
「バスで行く?」
ふふ!
それはそれで…楽しそうだ…
「どれどれ…」
オレはそう言うと、桜二の膝の上に跨って座って、彼の背中に手を突っ込んで言った。
「あ!」
オレの腰を抱きしめながら、胸に顔を埋めてくすくす笑いながら桜二が言った。
「あった?」
オレは彼の背中で手の中に入れたカギをジャラッと鳴らすと、彼の服から手を引き抜いて目の前に出して見せた。
「こんな所にあったよ?」
「あぁ…それじゃあ、分からない筈だよ。」
そう言ってほほ笑むと、桜二はオレに優しくて可愛いキスを1つくれた。
「オレはね、すこぶる健康体になったよ?昨日もステージに立って踊れたし、なぁんの問題も無いんだ。」
土田先生に胸を張って現状報告をすると、彼はくすくす笑いながら言った。
「最近までストリップのポールダンスが踊れなくなっていたそうだね?それを克服する時、発作は起きなかった?」
オレの前に桜二が事情聴取を受けていた…彼がべらべらと土田先生に話すから…オレはすぐに端折った部分を補填しなければいけない…
オレを見て、いつものニコニコ顔を向ける土田先生に言った。
「桜二が買ってくれた“見守り携帯”を首からぶら下げてると、安心したのか…発作は起きなくなったんだ。胸が苦しくなっても、動揺しても、前のように簡単に我を失うことは無くなった…。踊りが上手く出来ないって…葛藤してる時も、それは同じだった。」
土田先生がふんふん…と相槌を打ちながらキーボードを叩く姿を見つめて、話を続ける。
「どうしても…スランプから脱したくて、ずっと嫌がってた“小さい頃の自分”に、会いに行ったんだ。昔、住んでた団地で…兄ちゃんが男に伸されてる場面に出くわして…オレは兄ちゃんを助けたかったけど、踏みとどまって…自分を助けて…抱きかかえて逃げ出した。」
「すごいね…いきなりの進展だ。それは…どうして?何がきっかけで、どうしてもスランプから脱したいって思ったの?」
土田先生はそう言うと、キーボードから手を離して、オレを見つめて首を傾げた。
「…勇吾が、寂しがっていて…可哀想だった。」
オレはそう言うと、テーブルの端を指でなでながら、ため息をついて言った。
「彼が…イギリスで公演する舞台のチケットを、3枚もくれたんだ…。でも、オレはそれを見に行く事が出来ない。いつ発作が起こるかも分からないし…。彼が好きだと言ってくれた踊りだって…踊れなくなった…。皆は言うんだ。いつか踊れるようになるって…スランプってそういう物だって…でも、オレは悠長に待っていたくなかった…」
土田先生がいつになく真剣な表情でオレを見つめるから、オレは彼から視線を外してテーブルの上をぼんやりと眺めながら言った。
「スランプが終わるのを…待ってられなかった。早く何とかしたかった。自分の状況を少しでも良くする為なら…今まで逃げて来た事も、やるべきだと思った…。だから、そうしたんだ…」
「なるほど…」
キーボードをカチャカチャ打つと、土田先生は椅子を鳴らしてオレを覗き込みながら言った。
「どうだった?小さい頃のシロ君は、どんな子だった?」
ワクワクしたような彼の目を見つめたまま、口元を緩めて言った。
「とっても…優しくて、良い子だった…。」
ふふっと笑うと、土田先生はオレの手を握って言った。
「よく頑張ったね…大した勇気だ。」
勇気…
泣かないって決めていたのに…泣かないって、車の中で、桜二にも宣言したのに…
ボロボロとあふれてくる涙を堪える事が出来なくて、目からいくつも落としながら言った。
「うん…こ、こ、怖かった…!とっても…怖かったんだ…!」
兄ちゃんを素通りする事も、嫌悪していた自分を抱きかかえる事も、とっても怖かった。道理や理屈じゃない…理由があるから怖いんじゃない。
まるでパブロフの犬の様に…反射的に…兄ちゃんを思わない事が悪い事のように感じて…罪悪感よりも原始的な反射で、それらを漠然と“怖い”と思うようになっていた。
それに気付けたのは…幼い自分を抱きかかえて逃げる事が出来たから…
後悔と同じ様に…気付きという物は後からしかやってこない。
だから…躊躇せずにやってみるしかないんだって、分かったんだ。
「ステージの上で…小さい頃のシロ君がポールダンスをしたんだって?」
桜二はおしゃべり野郎だ…
オレのピロートークを惜しげもなく土田先生に話してる。
「…うん。兄ちゃんを手放すなんて可哀想だ!って、ポールを上るのも、怖い!って言って…纏わりつくんだ。ふふ。でもね、嫌じゃないんだよ…。だって、あの子は、オレに言ったんだ。シロ…大好きって…。」
机の上に置いた自分の手を眺めて、クスクス笑いながらそう言うと土田先生を見つめて言った。
「だからね…オレも、あの子が大好きになった…」
「あぁ…そう…そうなの…」
気の抜けた声でそう呟くと、土田先生は瞳を歪めて大粒の涙を落とし始めた…
「ど、ど、どうしたの…?」
オレは慌てて土田先生に駆け寄ると、彼の背中を撫でてあげる。
だって…とっても泣いてるんだもの…
「良かった…!良かったって…思ったら、嬉しくて、涙が出ちゃったんだよ…」
そう言って椅子から立ち上がると、オレをギュっと抱きしめて背中を撫でながら優しい声で言った。
「君は、とっても優しくて…良い子だね…」
オレの代名詞にしよう。
“とっても優しくて良い子なシロ”という、通り名でも構わない。
ストリップショーのカーテンが開く時、呼ばれるのも悪くない。
外国人のように、ミドルネームとして使うのも良いと思う。
「ふふ…そうだよ。オレはね、とっても優しくて…良い子なシロなんだ…」
オレはそう言って照れて笑うと、土田先生の背中をポンポンと叩いた。
「また、再来週、顔見せにおいで?」
「ほほ~い!」
オレは元気に挨拶すると、土田先生と一緒に部屋を出た。
廊下で待っていた桜二に走って行くと、思いきり飛びついて抱き付いた。
「桜二~!」
「”見守り携帯”とは、考えましたね?ふふ。安心できる要素だったんでしょう。そう言った何か…お守りみたいな物があると、いざと言う時、思った以上に効果を発揮するかもしれませんね。」
土田先生はオレ越しに桜二にそう言うと、オレの背中を撫でて言った。
「とっても優しくて、良い子…」
「ふふ…」
その言葉が耳にこそばゆくて、オレは桜二に抱き付きながらムフムフと笑った。
「桜二、褒められてたね?考えましたね?だって!あ~はっはっは!」
車の中でオレがそう言って大笑いすると、桜二はジト目でオレを見て言った。
「やめなさいよ…」
ふん!
オレはとっても優しくて良い子のシロだよ?
そんな、非難する様な目を向けられる子じゃないんだ!
全く…分かってないね?
眉を下げながらムカつくひよこの顔をして桜二を見つめると、サイドブレーキを下ろしながら彼が言った。
「シロ、今日は全休だから…このまま、物件を探しに行くよ?」
えぇ!
桜二は休みでも、オレは夜からハードな3ステージをこなさないといけないんだよ?
「あんまりだ~!」
両手で彼の肩をバシバシ叩いて抗議すると、桜二はへらへら笑いながら言った。
「そうだ…お昼に…つるとんたんしようじゃないか…?ね?」
うぅ…オレの大好きなうどん屋さんだ…
しぶしぶ席に戻ってシートベルトを着けると、桜二が楽しそうに運転するのを眺める。
彼は運転が好きなんだ。
ブーブが好きな子供みたいだ。
「買うの?借りるの?」
携帯電話に届いた勇吾のメールを確認しながら桜二に尋ねると、彼は首を傾げて言った。
「…買う。」
まじか…凄いな…
32歳で都内の一等地に家を買おうとしてる。
しかも、100平米を軽く超える広さの家をだ。
「こうして、桜二君は、ローン地獄に落ちて行くのでした…」
くすくす笑いながらオレがそう言うと、彼はキョトンとした顔で言った。
「シロも支払うんだよ?」
「バッカだな!オレはね、頭金を出してあげるの。ローンは組まないよ?」
すかさずオレはそう言ってローン地獄を回避する。
それを聞くと、桜二はオレを横目に見て言った。
「え~、いくら出してくれるの?」
全く、キャバ嬢みたいに聞くんじゃないよ?
オレは桜二の顔を見ながら教えてあげる。
「500…」
「ふふっ!」
吹き出し笑いした…
ほんと、失礼な人。
「足んないよ…もっと、ちょうだ~い?」
そう言って体をクネクネさせる桜二をジト目で見つめると、身を乗り出して言った。
「おじちゃんはね…500万円が全財産なの。依冬おじちゃんに出して貰いなさい。」
「え~。やだ~!」
イケメンの彼がぶりっこすると、途端にブスに見える。
ぶりっこって…高度な技術だ。…人を、選ぶんだな。
“ステージ成功おめでとう!シロなら出来るって思ってたよ。”
そんな勇吾のメールを読んで、首を傾げる。
「どうして勇吾は、オレが上手く出来たって知ってるんだろう…本当にイギリスから見てたのかな…。ふふ!」
そんな独り言を言いながら彼への返信を打つ。
“勇吾のおかげだよ。勇吾の名前の勇気をもらった!だから、最後まで集中して出来たんだ。早く会いたいよ。早く会って、愛してるって言いたいよ。そうそう、バラの花束をありがとう。とっても綺麗だったよ。まるであなたが来てくれたみたいだった。”
こんなこっぱずかしいメールを打てるのは、オレが優しくて良い子だから。
きっと、そうだろ?
「シロ?依冬に連絡してよ…これから物件探しますって…お金下さいって…」
えぇ?
ケチくその桜二は、オレを使って依冬から金を絞るつもりだ…
「最低だな!桜二?嫌いになるから、それ以上みっともなくするのはやめろ!」
オレはそう言って彼の頭をぐしゃぐしゃにすると、売れない作曲家の髪型にして、綺麗な心が戻るように念仏を唱えた。
「なぁんだよ…依冬も住むんだろ?だったらお金を払うのは当然じゃないか…?俺はそういうつもりで言ったのに…まったく、シロの誤解だよ?」
絶対、違う。
さっきの言い方は…絶対、違う。
オレは飄々と前を向いて運転する桜二を、黙ってジト目で見つめる。
ブルっと携帯電話が震えてメッセージの着信を知らせる。
「ふぅん…」
鼻でそう言うと、携帯電話に目を落とした。
勇吾…
“会いたいよ…シロ。愛してるんだ。”
可哀想…さみしいって言ってる…
オレが会いに行けたら良いのに…早く自由になって、彼に会いに行けたら良いのに。
“寝ます”
そう返信すると、車の中から空を見上げる。
手を自分の胸に当てて空に伸ばすと、自分の心臓を両手で包み込んだ…
私はあなたを愛しています…
バレエの舞台では、声を出さない代わりに言葉代わりのジェスチャーをする。
それを使って…傍にいられない彼に、愛を伝える。
「何してるの?お腹でも痛いの?」
心臓を包み込んでるのに、おなかが痛いの?と聞いて来る、桜二の観察眼を疑うよ。
「依冬?これから桜二と物件を探しに行きます。お金を出して?」
オレがそう言うと、電話口の依冬は怒って言った。
「桜二だけに任せられないよ。彼はね、見た目ばかり拘って…利便性や住みやすさを疎かにするんだ!俺も行くから!待ってて!もう!」
まだ、花束の事を引きずってるのか…依冬はオコだ。
「ん~、分かった~じゃあ…あ、切れた…」
依冬ったら、オレが話してる最中に電話を切った。
「依冬君がプンプンしてこちらへ向かっています。」
オレは鼻歌を歌う桜二にそう言うと、窓の外を眺めてクリスマス一色になった街並みを眺める。
もうすぐクリスマス…オレはこの日が大嫌い。
赤と緑なんて補色で飾られる外壁も、やたら光らされる木も、可哀想に見える。
ただの飲料メーカーの広告に、いつまで踊らされてるのか…バカみたいだ。
「ここら辺に…ちょっとだけ…停めてみようかな?」
桜二がそう言いながら、ちょっとだけ路駐をしようとする。
「だめだよ!駐車場を探しなよ!」
オレはすかさずそう言うと、桜二の肩を小突いた。
「…ちょっとしか停めないのに、入り辛い駐車場に停めるのはどうなのかな?」
路上駐車は犯罪なのに、逆に聞いて来た。
なんて、ふてぇ奴なんだ…!
「あれぇ、でも、ここ…ほら?…縦列駐車で止められる、れっきとした駐車場だよ?」
桜二はそう言うとすっと沿道に車を停めた。
そして、車から降りると助手席のドアを開いて言った。
「ほら、あれ…あそこで料金を支払うんだよ?」
そう言って彼が指さしたのは駐車メーターじゃない。消火栓だった。
「へぇ…桜二は消火栓にお金を入れるんだね。覚えておくよ?」
オレはそう言って飄々と腰を抱く彼を見上げた。
依冬はちゃんと駐車場に停めてくれるのに、桜二はいつまで経っても悪質なんだ。
凄いエンジン音を轟かせながら、桜二の車の前に赤いフェラーリが停まった。
「あ…」
オレと目が合うと、やべっ!と舌を出した依冬が、慌てて車から降りて言った。
「ここは…実は駐車場なんだ…ほら、ここで支払うんだよ…?」
そうして彼が指をさしたのは、桜二が指さしたまったく同じの消火栓だった。
この人たちは、消火栓にお金を払う人たちだ。
「ささ…行こう?」
両脇を路上駐車の犯罪者に囲まれて、依冬が案内する不動産屋へと向かう。
「仕事で利用してるから…連絡を入れておいたんだ。ささ…入ろうか?」
ジト目で見つめ続けるオレにそう言うと、オレの背中を押して店内へと入って行く。
「依冬さん、お待ちしてました。ささ、どうぞ?」
飄々とした不動産屋の男はそう言うと、オレたちを別室へと案内する。
これはね、依冬のマネーパワーだ。
広い部屋にテーブルとソファ…
不動産屋にこんなV.I.Pな部屋があるなんて…知らなかったよ?
着席すると飲み物まで提供されて、まるで上等なお客のようだ。
「南青山か…神宮前あたりでワンフロアで売ってる物件、無いですか?」
左隣の依冬がそう言うと、右隣に座った桜二が口を挟んで言った。
「別に、南青山じゃなくても良いだろ?しかもワンフロアに1住戸だと、選択肢が減るじゃないか…そんな選び方していたら…いつまで経っても見つからないよ。」
「え~。そうかな?逆に…誰かさんみたいに見た目しか拘らないで、ふんわりしたイメージしか持ってない方が、いつまで経っても決まらないと思うよ?」
喧嘩じゃない…こういうのって、なんて言うんだろう。
言い合い?
そんな2人の間に挟まれたオレは、目の前に座る不動産屋の男と、この2人が黙るのをじっと待った…
「だから、なんで南青山なんだよ。やたら高いだけじゃないか!」
「じゃあ桜二はどこら辺が良いと思うの?まさか、漠然としてて決まってないの?それじゃあ話がつかないよ。希望を伝えないと…物件の探しようがないだろ?それとも、見た目が良い所だったらどこでも良いって思ってるの?だめだよ、そんなんじゃあ…」
風向きがおかしい…
険悪な雰囲気だ。
「喧嘩するなよ。不動産屋が困ってたよ?もう…」
オレは眉を下げてそう言うと、ふん!と顔を逸らし合う2人に言った。
「そんな態度じゃあ、次の所へ行っても喧嘩するだろ?建設的な譲歩をし合えないなら、今日は解散だよ?」
さっきの不動産屋では、桜二と依冬が揉めただけで物件情報さえ見られなかった…
今は次の不動産屋へと向かう途中だ…
「だって…俺は今日決めるつもりだから…」
そう言って口を尖らせる依冬は、ふてくされたように頬を膨らませてオレの手を握ってくる。
可愛い…
「俺だって…今日決まれば良いなって思ってる。」
続けてそう言った桜二も、同じように口を尖らせて頬を膨らませている…
兄弟…
結城さんもふてくされると、こんな顔をするの?
それは、とっても…可愛いよ。
オレは桜二の手を握ると、顔を見上げて言った。
「じゃあ…仲良くしてよ?」
「分かってるよ。」
2人に口頭で注意したのに、次の不動産屋でも彼らは揉めた…
その次も…
そのまた次も…
もう、今日はご飯を食べて帰ろうと思った…その時。
ふてくされて顔を逸らし合う2人の背後に…年季の入った地元の不動産屋が見えた。
オレは2人の間を通り抜けると、そのまま店に入って行った。
中に入ると薄暗い部屋の中、誰も姿が見えない…
ただ、雑然と物件情報が置かれたテーブルがひとつ、見えるだけ。
「すいませ~ん…」
店の奥に声をかけると、はぁ~い…時の抜けた声が聞こえた。
しばらく待つと、占い師の様なおばさんが店の奥からやって来て、オレの目の前に立って言った。
「なんでしょ?」
「あ…あ、あの…3人で住める、広くて…緑の多い…ワンフロアの売り物件を探してます…」
綺麗にまとめられた黒髪は管理が行き届いて白髪なんて見えない。指という指に嵌められた指輪は大げさなくらい大きな石を付けて、ギラギラと輝いている。
すげえババアだ…!
「座って!」
ひい!
オレは慌ててパイプ椅子に腰かけると、机をコツコツと叩くおばさんの爪を見つめる。
やばい不動産屋に…入ってしまったかもしれない…
たちけて…!
オレの様子を外から見ていた2人は、我先に店に入って来るとオレの両隣りへと座って、魔女の様な不動産屋のおばさんにペコリと一礼した。
「あらぁ…随分、まあまあ…良い男ばかりのルームシェアなのね?買うの?本当に?買えるのかしら?」
急に態度を変えたおばさんは鼻から甘い声を出すと、桜二の手をぎゅっと握った。
「ぷぷっ!」
吹き出して笑う依冬を無視して、オレは桜二に夢中なおばさんに言った。
「えっと…3人で住める…」
「緑が多くて、広くて、ワンフロアの売り物件でしょ?有るわよ?見たい…?ねえ?僕は…見たいの?」
桜二を見つめて誘う様に、おばさんが色っぽい声を出してそう聞いた。
「ぶふっ!」
相変わらず吹き出して笑う依冬を足で小突いて注意すると、オレは桜二を見て言った。
「お。お。桜二も…見たいよな?」
オレがそう聞くと、彼は戸惑いながらコクコクと頷いて答えた。
怖がってる…可哀想だけど…ウケる。
どうやら不動産屋のおばさんは、オレには興味なしの塩対応で…桜二にはあまあまのエロ対応をするみたいだ。
「まあ…桜二くんって言うの?可愛い名前ね…?桜ちゃんって呼ばれてるのかなぁ?ねえ?私も…そう、呼んでも良い?」
「良いよ。おばちゃん。早く見せてよ?」
オレはそう言うと、両手で机を叩いて催促した。
「お、おばちゃんじゃないわよ!陽子さんよ!失礼な子ね!まったく!ちょっと待ってなさい!」
60歳は過ぎてるであろう”陽子さん”は怒ってそう言うと、店の奥へと消えて行った。
「シロ…俺、ここ怖いよ…」
桜二はそう言うと、体を縮こませてオレにすり寄って来た。
「申し訳ないが…桜二をスケープゴートにして陽子さんが良い物件を持っていないか、確かめる必要がある。だって、オレ達は物件を探しに来たんだもん。そうだろ?」
オレにしがみつく桜二の腕を撫でながらそう言うと、うるうると瞳を揺らす彼の頭を撫でてあげる。
「ちょっと…我慢してね?すぐに終わるよ?」
「う…うう…」
そんな桜二の様子を見て、依冬がケラケラ笑いながら言った。
「桜二って…おばさんに人気があるんだね…ふふっ!ウケる…ざまぁ!ぐふふふ!」
そうなんだよね。
桜二は年上に人気があるんだ。
この、やさぐれた感じがやんちゃに見えるのか…それとも歩くセクシーだからか…
奥からいくつかの物件情報を持って来ると、陽子さんはオレの目の前にバン!と置いて言った。
「どうぞ?」
そして、桜二の目の前に座ると、うっとりと頬杖を付いて彼を見つめ始めた。
「あ…シロ…シロ…」
オレの足にスリスリと足を寄せて桜二が救難信号を出してくるから、彼の足をなでなでして落ち着かせると、依冬と物件情報を見た。
「ここは…ちょっと違うな…次は?」
「ここを…少し変えてもらったら、シロの練習用のスタジオに出来るかもしれないね?」
さすがだ…陽子さん。
さっきまでめぐっていた不動産屋よりも確実に良い情報を持ってる!
「お姉さん?ここと…ここ、見に行きたいよ。」
オレがそう言うと、陽子さんはまんざらでもない様子で、もぅ…と言って、出かける準備を始めた。
こういうノリなんだ…
「シロ…怖いよ…」
「大丈夫…外なら、手は出されないだろ?」
「ぷぷっ!」
青ざめる桜二を見て笑って煽る依冬を、ジト目で睨んで窘めると、落ち込んで背中を丸める桜二を撫でてあげる。
「…じゃあ、行くわよ!」
陽子さんはそう言うと、店の外に出て鍵をかけた。
華美で、派手で、小さなおばさんの陽子さんと、背の高いイケメン2人と、赤い髪のオレ…そんな、目を引く4人で表参道を練り歩いていく。
「ここが…ひとつ目の物件よ。敷地内への共有の門扉がここ。2階建ての建物で…今回売りに出されてるのは、2階の部屋。ワンフロア専有じゃなくて2住戸だけど、広いわよ?屋上も付いてるし…花火も見えるわ。入ってみる?」
外観はおしゃれなファッションビルの様で、桜二が好きそうな感じだ…
「あ…」
情けない声を出して桜二がオレを見つめる。
オレは陽子さんに腕を組まれた彼から視線を逸らすと、依冬と一緒に彼らの後をついていく。
奥様相手にホストでもすれば良いのに…
よく言ってる、俺は好きでもない相手とセックス出来るって言葉…リアルな相手で実践して貰いたいよ。ぷぷぷ!
外階段を上って2部屋あるうちの奥の部屋…それが目的の売り物件だ。
陽子さんが玄関を開くと、目の前には広々とした空間が広がって見える。
「うあ~広い!」
吹き抜けのように高い天井を見上げてそう言うと、陽子さんが言った。
「今年出来上がったばかりの新築中の新築物件よ?…私もね、心はいつも…初々しい少女みたいって言われてるのよ?だって…恥ずかしがり屋さんで…電気を消さないと、出来ないもの…ウフフ…」
うげっ!
リビングに備え付けられた窓からは木が見える。新緑の季節には緑が見えそうだ。
ここは…3LDK
広いリビングと、ジェットバス付の浴室、並んで2部屋。離れて1部屋。
ベランダで繋がった2部屋を依冬と一緒に見ていると、彼の顔を見て聞いた。
「ここに依冬が寝て、隣の部屋に桜二が寝る?」
「嫌だよ!桜二の部屋とベランダで繋がってるなんて…絶対に嫌だ!」
そんなに嫌がるなよ…
今、オレ達の為に、犠牲になってくれてるんだから…ぷぷぷ
「じゃあ。オレが隣の部屋だったら?」
オレがそう聞くと、依冬は満面の笑顔になって言った。
「だったら、良いよ?シロのお部屋に遊びに行けるし、覗きも出来る。」
どういうことだよ…
あとは…依冬の大事なトレーニングマシンが置ける部屋があれば良いんだけど…
「お姉さん?トレーニングマシンを置く所が欲しいよ。」
オレがそう言うと、桜二の胸板を撫で始めた陽子さんはそっけなく言った。
「…後から、リフォームしたら?」
「桜二?桜二も…ちょっと見てみて?」
オレはそう言うと、陽子さんの元に桜二の代わりに依冬をあてがった。
「まあ…若い子も、可愛い…幼稚園生みたい。」
ご機嫌な陽子さんに外っ面の笑顔を向ける依冬…
お前なら、出来る!
オレは心を鬼にして彼に大人の洗礼を受けさせた。
「シロ…俺、体触られて…心が死んで行く様だよ…」
すっかり生気を吸われた桜二をギュっと抱きしめてあげると、彼の顔を見上げて聞いた。
「この部屋に桜二が寝て…あっちの2部屋にオレと依冬が寝るっていうのはどう思う?」
「なぁんで?なんで俺だけ遠くの部屋なの?そんなの…嫌だ!」
すぐに拒絶反応を示した桜二に、この物件は合わないみたいだ。
仕方ない。
次だ!
「間取りはあなた達の要望通り、ワンフロア専有の5LDKでジェットバス付。走っても下には響かない2階建ての2階部分よ。もともと住む予定だった社長が住まなくなったから売りに出してるんだけど、部屋の多さが仇になって売れないの。見てみて。」
そう言うと、陽子さんは依冬と手を繋いで玄関の扉を開いた。
「あれ…連れて行かれて、体を触られるんだよ…」
すっかり死んだ目になった桜二が、そう言って依冬を指さした。
オレは彼の指を掴むと下に下げて言った。
「さっきの部屋より玄関は狭いけど…これくらいが丁度良いのかも。桜二も見てみて?」
広いリビングには大きな窓が並んで、青山霊園の緑をおすそ分けしてもらってる。
お化けが入ってきそうだな…
「シロ!」
桜二の興奮した声に振り返ると、彼はアイランドキッチンをなでなでしながら言った。
「アイランドキッチンだ!」
主婦みたいだ…
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