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第5話

「少し話をしましょう」  優しい声がする。 「俺は会う前からあなたが好きでした」  耳元でささやかれる睦言はくすぐったい。 「あなたの小説を読んでどんな人なんだろうって想像した」 「数学か物理の教師でも思い浮かべた?」  理路整然とした推理と文章は、文学というよりは数式を解いているようだと酷評されたことがある。 「少し子どもっぽいロマンチスト」 「はあ? まあ、男なんて女よりそんなとこあるかも」  佐山の忍び笑いと一緒にそっと髪をなでられた。 「三年前に尾道先生が事故にあったってニュースで知って、心臓が止まるかと思った」  当時を思い出したのか、佐山の身体からかすかな震えが伝わってくる。 「事故から一年半程たったころから、社内でも『尾道馨先生はもう小説を書けなくなった』って噂が立って……そんな時、尾道先生の担当が降りると知って社長に直談判しました」 「しゃ、しゃちょーう!?」  あまりに驚き過ぎて声が裏返った。  佐山の勤める会社は大手出版社だ。社員数十名の小規模の会社とは違う。 「部署も違う私が尾道先生の担当になるには、それぐらいやらなくてはと思って」 「はあ~、それって僕のこと好き過ぎでしょう」 「もちろん!」  力強く言われるとドン引きというか、こっちの方が恥ずかしい。  小説を書くことが当たり前で、毎日の日記も欠かさず書いていた僕が日記すら書かなくなった。  記憶がないけれど、事故後の僕はかなり荒れていたに違いない。  佐山に渡されたノートには、佐山に励まされて短編を書き始めた頃から始まっていた。  記憶がないのだから、何度か似た話を書いて落ち込んだりもした。  それも佐山の提案で、タイトルとあらすじでなんとかミスを防げるようになった。  ノートには日常の出来事意外に、少しずつ変化していく佐山に対する気持ちが綴られていた。  ノートは僕の記憶だった。

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