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いざ、温泉旅館へ!

眞門の自宅から北に向かって、高速道路を車で二時間程走らせてたところに、今回の目的地『艶々山温泉郷』がある。 艶々山のふもとにある温泉郷で、今も数十件の温泉宿がひっそりと営んでいる、言わば、ひなびた温泉地のひとつだ。 温泉の効能は美肌効果抜群の美人の湯で、山々の豊かな自然の中に囲まれた場所にもあることから、寛ぎや癒しを求めた観光客からの穴場的なスポットとして今でも密かな人気を集めている。 眞門が目指す、Dom/Subの性を持つ者しか宿泊が許されない温泉宿『艶々旅館』は、温泉郷の宿が密集する地帯から、少し外れたところに存在する。 そのような場所にひっそりと建ててあるのはNormal性への気遣いもあるのだろう。 向かう途中で高速を一旦下り、レトロな街並みが残る観光地として有名な場所に立ち寄って、昼食を取りがてら、二人はその街並みを散策した。 その後、再び、目的地の温泉旅館を目指し、たどり着いた頃には午後の三時を回っていた。 少し離れた場所にある、旅館の専用駐車場に愛車を停めた眞門は、エンジンを切ると、「星斗」と、不安そうな顔を浮かべた。 「あの約束を覚えてる? 何を見せてもお互い嫌いにならないって」 「はい」 「本当に約束だよ」 「はい」 「今からお世話になる旅館に足を踏み入れたら最後、お互いに隠すのは禁止だからね」 「はい・・・」  「全て見せあう。約束だよ」 「はい・・・」 「・・・ありがとう」 眞門は、ひとまず安心した、そんな顔を見せると車から降りた。 しかし、星斗には、眞門の言葉がまるで決死の覚悟でも要するように聞こえてしまい、温泉旅館に泊まるぐらいで何事なんだ!?と、逆に不安を抱いてしまった。 星斗が車から降りると、「おいで」と、眞門が右手を差し出す。 「え?」 「手」 星斗が左手を出すと、眞門の右手がその手を握った。 外出先で、初めて手を繋いで歩くことにドキドキする星斗。 途中で立ち寄った観光地を巡った時には、こんなことはしてくれなかったのに・・・。 「あのー」 「ここの旅館は何も隠す必要いらないから。ずっと手を握りたかった」 眞門の優しい微笑みと共に、星斗の聞きたかった答えはすぐに返ってきた。 1分も歩かないうちに、旅館の玄関が見えてきた。 星斗はそれを見て、正直ガッカリした。 ボロ屋とまでは言わないが、なんだか、こじんまりとした宿で外観はひと昔前の古臭ささえ残るみすぼらしい見てくれだったからだ。 あの、マスターと敬愛されるお父様からのプレゼントだって聞いてたから、豪華絢爛なハイクラスレベルの旅館を想像していたのに・・・。 星斗の残念そうな顔を見て、「館内はきちんとしてあると思うよ」と、眞門が声を掛ける。 「え?」 「こういうところはわざと野暮ったく見せてあるんだよ。人があまり寄り付かないように」 眞門がそう言うと、「行こうか」と、星斗の手を引いて旅館へと入っていた。 眞門が言った通り、中に入ってみると様変わりしていて、格式の高さを表すような純和風旅館といったありさまとなっている。 確かに年季の入った古さは見て取れるが、どこもかしこもピカピカと輝いており、きちんと掃除が行き届いていることが一目ですぐに分った。 その様子を見ただけでも、この旅館の客に対する意識の高さというものが強く伝わってくる。 この旅館の積み上げてきた歴史は、古さや時代遅れという言葉ではなく、伝統や格式という名に変化を遂げていることが無教養の星斗でも受け取ることが出来た。 玄関の脇には、とても大きな壺のような花瓶に色鮮やかな生け花が豪華絢爛に活けられており、その上には難読不可能な四文字熟語(=きちんと確認すれば、『艶々旅館』と書かれてある)の書が額に入れられて飾られてある。 大型の旅館や観光ホテルの玄関になら必ずあるフロントは存在しないようで、玄関の上がった先にあるのは、金屏風に描かれた艶々山の絵と上品な行灯の光が隅に置かれてあるだけだ。 観光名所の宣伝ポスターや近くのバス停の時刻表、娯楽施設のパンフレットやそれらの割引券の類など、観光旅館などでは付き物の、言わば俗的なものと言えるようなものが一切排除されており、それがまたこの旅館の格式の高さを表しているようにも思えた。 温泉旅館というよりも、老舗高級料亭にでもやって来たような趣があって、星斗はその厳格な雰囲気に飲まれて、少々圧倒されてしまった。 星斗は、握っていた眞門の右手を思わずギュッと強く握りしめてしまう。 星斗の緊張が伝わった眞門は苦笑いを浮かべた。 「ごめんください」 眞門が館内に向かって呼びかけると、「はいっ」と、すぐに女性の返事が返って来た。 奥から姿を現したのは、和風ヘアに髪を結い、凛とした着物姿で現れた中年女性だった。 星斗はその貫禄と風体からこの旅館の女将だとすぐに察した。 女将は玄関先で客を迎える為か正座をする。 「今日、お世話になります。眞門です」 「はい、お待ち申しておりました。拓未様から伺っております。どうぞ、おあがりください」 そう案内されると、眞門と星斗は靴を脱いで、更に奥へと足を踏み入れた。

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