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第6話❀
今日も、また変わらない日常が始まる。
雪は予 め設定してある目覚ましよりも早く起きて、自分と義父の朝食の準備に取り掛かる。
もう朝早く起きるのも習慣になっていて、体が自然と目覚めるようになった。
手際よく朝食を作り、次に自分の昼食用の弁当を詰めていく。支度が終われば、次にすることは義父を起こすことだ。
父が寝ている寝室に向かい、扉を二回ノックする。いつものことながら、返事はない。
そっと扉を開けると、一ヶ所だけこんもりと膨らんだベッドが目につく。
「義父 さん、起きないと遅刻するよ」
ベッドに近付き膨らみを軽く揺すると、それは動物のようにモゾモゾと動いてから勢いよく飛び起きた。
「今、何時!?」
「まだ七時半前だから大丈夫」
冷静に宥 めると、義父は大きく息を吐きながらボサボサになった胡桃 色の癖毛を掻く。
そして、雪よりも濃い青の瞳を薄く開きながら、こちらを見てはにかんだ。
「寝坊したかと思った……。おはよう、雪」
「おはよう」
義父はベッドから起き上がってあくびをする。まだ寝ていたいだろうが、仕事だから仕方がない。
雪は先にリビングに戻り、皿に朝食を盛りつけテーブルに並べる作業に移る。
今日はおかずに目玉焼きとベーコン、そしてさつまいもの炊き込みご飯と豆腐のお味噌汁だ。
顔を洗った義父はまだ眠たそうな様子でリビングに来ると、テーブルに並べられた朝食を見て目を輝かせた。
「今日も美味そうだな!」
眠気は吹き飛んだのか、うきうきした様子で椅子に腰掛ける。雪も向かいに座った。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
一口食べるごとに美味しい美味しいと笑う義父を見ると、父を思い出す。
性格は違うけれど、笑顔がそっくりで、薄れていく記憶を呼び戻してくれる。
雪は子供のように料理を口に頬張る義父を見て微笑むと、自分も箸を進める。美味しいと言ってくれる人が居るから料理も苦じゃない。
「……雪、無理してないか?」
不意にそんなことを聞かれ、思わず箸を動かす手が止まった。
「顔色が悪い。大丈夫か?」
昨日のことを引きずってしまっているのか、体の調子が良くないのは事実だった。
でも義父のことだから、調子が悪いなんて言ったら無理にでも休みを取るに決まっている。
ただでさえ忙しいのに、一日休んでしまったら溜まった仕事で義父が書類の束の最下層のように押し潰されてしまうだろう。
雪は微笑みながら首を振った。
「そんなことない。気のせいだよ」
義父は訝しむ様子でこちらを見ていたが、諦めて再び箸を進めた。
今週は出張で帰ってくるのは三日後だから、と名残惜しそうに頭を撫でてくる義父を見送り、雪は上着を羽織って家を出た。
今日の天気は曇り。頬を撫でる風も冷気を纏っていて身震いする。
そろそろ冬のコートじゃないとだめだな。
家に帰ったらクローゼットから冬用のコートを出そう。そんなことを考えながらいつもの通学路を歩く。
丹丘大学は、家から少し遠い場所に位置している。
まずは家から出て十五分程歩いた場所にある駅から電車に乗る。一度乗り換えをする必要があるから、それを含めて三十分。電車を降りてから大学までは歩いて五分程。合計五十分。
まだ経験していないから分からないが、冬場は恐らく一時間はかかるだろう。
最初は大変だというマイナスの気持ちだけで通っていたけれど、最近になって気付いたことがある。
家から駅までは坂道になっていて、階段を上ったりスロープを上ったりするのだが、家に着く直前に見える夕方の街並みが綺麗なことを知ったのだ。
まるで夜空を俯瞰している気分になれるその景色は、肉眼でしか感じられない力強い輝きがある。
逆に下る時は朝方の為、青い空の下にある街並みを見ながら駅まで行くことが出来る。
もしかしたら冬になってクリスマスが近づいたらイルミネーションでもっと街が光り輝くのだろうか。
雪は不意に立ち止まり、鞄を漁る。取り出したのは、ミラーレスの一眼レフカメラ。
実父である、相良春樹 も写真が好きだった。
家には彼が使用していたカメラが何台もあり、このカメラはその内の一つだ。
もっと高価な物もあったが壊れるのが怖くて、一番使いやすくて軽いカメラを選んで使っている。
カメラの電源を入れると、紅葉と紅葉の間から走ってくる電車にレンズを向けて、シャッターを切った。そして、駆け足で改札を抜けるとその電車に乗り込む。
通勤ラッシュで座る場所なんてないから、入り口の端に寄り、今まで撮った写真を見返した。
どれも、ぱっとしないものばかりだった。
写真を撮っていても、心が躍らない。それは、写真にもはっきりと表れているように感じる。
自分は何のために写真を撮っているのか。何のために写真学科に入ったのか。毎日迷走している気がする。
父は、どんな写真を撮っていたのだろうか。彼の撮った写真は家に残っていなくて見ることが出来ない。
相良の実家にあるのかもしれないが、全くといっていい程疎遠だった。
今度義父に聞いてみようかと思うが、父の話をするのは何だか禁句のような気がしてお互いその話題には触れていない。
そんなことを考えている間に電車は大学がある駅に到着した。
改札を出ると、並木道が大学まで続いていた。丹丘大学の——というより、この街の観光名所とも言われている、並木道だ。
雪はこの道が好きだ。
一本一本形の違う木は、揺れる度に心地よい音を奏でる。枯れ葉を踏む感覚も楽しいし、ところどころに置いてあるベンチに座って昼を過ごしたらお弁当も一層美味しく味わうことが出来る。
季節によって違う匂いがするその道は、五感の全てを癒してくれるのだ。
冬に向けて少しずつ散っていく紅葉を見つめながら歩いていると、どこからか耳打ちするような会話が聞こえてきて視線を足下に下げた。
「あの人が相良雪?」
「そうみたい。綺麗ね、女の人みたい」
「ねー。でもあの人ってさ……あっ、おはよう!」
途切れた先にある言葉を予想して、雪は喉元に感じる異物感に顔を顰める。
気にするな気にするな気にするな。
呪文のように何度も自身に言い聞かせた。
しかし、喉元までせりあがって来たものを抑制することが出来ず、慌てて校舎に入り、近くのトイレに駆け込んだ。
「うぇッ……げほッ、げほげほ……っ、……はぁ……っ」
苦しい。まるで首を絞められているように、上手く息が出来ない。
雪は肩で息をしながら個室のトイレの隅にしゃがみ込む。
涙が出そうになるけど、ぐっと堪える。誰かが入ってきたりしたら聞こえてしまう。
弾んでいた気持ちが一気に地に叩きつけられた気分だった。
体が重くて今にでも家に帰りたかった。あの景色をもう一度見て、心を落ち着かせたい。
「……っ」
どんなに心の中で叫んでも、声に出さなければ届かない。でも、そんな勇気なんてなかった。
トイレを出ると重い足取りで教室に向かう。
すれ違う生徒達の視線が、針のように突き刺さって痛かった。
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