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第11話❀

 カーテンの隙間からこぼれる光が眩しくて、雪は目を覚ました。  一瞬夢かと思って目を閉じかけるが、はっとして体を起こす。  時計を見ると、いつも家を出る時間まで残り三十分しかなかった。  目覚ましをかけわすれた挙句、いつもは早く起きる筈が深く眠ってしまっていたようだ。  慌ててベッドから起き上がると支度を始める。今日はお弁当は作れなさそうだ。  素早く支度を終え家を出て駆け足で駅に向かうと、次の電車は三分後に着くというアナウンスが流れる。  ホームを見回すと、普段乗っている時間帯より人が少ないように感じた。  もし次の電車に乗って大学に着く時間に余裕があるようだったら、今度からこの時間にしようかなと考える。  時間通り駅に停車した電車に乗ると、やはり車内もそれ程混んでいなかった。  それでも空席はなく、いつもの定位置である入り口付近に立つ。  大学に着くまでの間は退屈で、暇潰しに写真でも眺めていようと鞄を漁り、手を止めた。  家にカメラを忘れてしまった。  持って行こうとテーブルの上に準備をしていたのに、そのまま置いて来てしまったのだ。  取りに戻る時間もないから諦めよう、そう思って鞄を肩にかけなおそうとした時だった。  二つ目の駅に停まった電車に、あの青年が乗り込んできて雪は思わず息を呑んだ。  隣の扉からだが、その顔を見た瞬間すぐに分かった。最悪なことに相手もこちらに気付いたようで目が合ってしまい、慌てて俯く。   まさか同じ電車で、しかもこんなに近い駅から通っているなんて誰が予想できただろうか。寝坊したことを酷く後悔した。  一体、どんな表情でこちらを見ているのだろう。もしかしたら、あの時のこちらの態度に腹を立てているかもしれない。  悪いのは相手だと思いたいが、罪悪感が心を蝕むから尚更顔を上げることが出来なかった。  乗り換えの時には急ぎ足で次の電車に向かったから、彼がどこにいるかは分からなかったけれど、それでも顔を上げられなかった。  ようやく電車は大学の最寄り駅に着き、丹丘大学の生徒が降りて行く。  恐る恐る周囲を見渡すが、彼の姿はもう既になくて詰めていた息を吐くように深く深呼吸した。  さすがに降りて先に行ってるだろう。  雪がそう安堵して並木道を歩き始めた時だった。 「相良!」  突然、背後から呼ばれて心臓が止まりそうになる。  恐ろしいものが待ち受けているかのようにゆっくり振り返ると、そこには案の定、彼の姿があった。  彼は、雪が振り返ってくれたことに安心した様子で肩の力を抜いた。  逃げるべきか。  緊張で鞄の紐を両手で握り締めると、彼は一歩こちらに踏み出してきた。 「ごめん、相良」 「え……」 「一昨日は、本当にごめん!」  そう言って頭を下げられ、雪は狼狽(ろうばい)する。  てっきり罵られると思っていたから、何も言葉が出てこない。  男ではあるが彼は褒めてくれたのだ。それに対して自分は最低だと返した。謝るのは自分であるべきなのに。 「いきなり変なこと言って、嫌な思いさせた。本当にごめ——」 「いい」  三度目の謝罪を口にしようとする彼の言葉を慌てて遮った。 「……俺、も……酷いこと、言った………ごめん……」  気まずさと気恥ずかしさで、視線は斜め下を見たり彼の首辺りを見たりと定まらない。  だめだ、耐えられない。  流れる静寂に耐え切れず、呆気に取られている彼から逃げるように背を向けて歩き始める。  心臓がうるさい。少し静かにしててくれ。  顔が熱いからきっと赤くなっている。そんな姿、見られたくなかった。 「相良!」  また名前を呼ばれ、思わず速度が緩む。心と体が伴わなくて、己の脚に必死に動けと心の中で叫ぶ。  突如風が頬を掠め、驚いて隣を見ると青年が立っていた。 「一緒に行こう?」  予想もしていなかった言葉に耳を疑う。彼は、微笑みながらこちらを見ていた。 「ほら、遅刻しちゃうよ」  手首をやんわりと掴まれ、戸惑いながらも足を動かす。混乱しすぎて脚がもつれそうだ。  振り解くことだって出来る。けれど、何故かそれが出来ない。  疲れているせいで、脳が上手く回らないだけかもしれない。そう思いたかった。  少し前を歩く彼の後頭部を見て、ずっと聞けなかったことを思い出す。 「あ、の……っ」 「ん?」  彼は歩みを止めずに、顔の半分をこちらに向ける。 「あの、その……名前……っ」  名前を教えて欲しい、ただそれだけが聞きたいだけなのに突っかかってしまい出てこない言葉。  でも、彼は何が聞きたいのか察してくれたようだった。 「陽。鴫原陽だよ。太陽の陽であきら」  そう言って陽だまりのような笑顔で笑った。  あまりの眩しさに、足を止めそうになってしまう。  握られた手首から、感じたことのない感情が全身を駆け巡っていく。  陽と名乗った青年は名前の通り太陽のように輝いていて、大好きな夏の日差しのようだった。

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