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第17話

「なーんか幸せそうな顔してんなぁ」  不服そうに言われたのは、授業終わりに雄大と来た喫茶店でだった。  丹丘大学に通い始めた頃、雄大が見つけて来たこの喫茶店は老夫婦が経営している。  若者が好みそうな華やかな雰囲気でもなく、実際に自分たちと同じ年代の人が訪れたのは見たことがない。  しかし、陽と雄大はこの粛然(しゅくぜん)とした雰囲気が気に入り、二人の穴場として足繁(あししげ)く通っている。  夫婦も若い子が来てくれるのは嬉しい、と言って喜んでくれるから、尚更通いたくなるのだ。 「そうかな?」  母といい雄大といい、自分の周りには目敏(めざと)い人間が多いなと感じる。  いや、もしかしたら自分が分かりやすすぎるのかもしれない。  運ばれて来たカフェラテにすかさず口をつけてとぼけてみる。 「相良雪と和解してからのお前、ウキウキしすぎててキモいぞ。そして今日は一段とウキウキしてる。頭に花でも咲いちまうんじゃねーか」 「俺植物じゃないよ」 「そういうことじゃない、ボケるな。それくらい浮かれてるってことだよ。なんかあっただろ」  何かといえば何かあったし、それが相良のことだというのも図星だった。  陽はカフェラテとセットで来た歯ごたえのいいビスコッティを口の中で砕きながら今日の回想を脳内で再生した。  図書室で相良と出会えたことは偶然と言えば偶然だ。  しかし、何となく図書室に居れば会えるんじゃないか、そう微かな期待を胸に抱きながら足を運んだのも事実だった。  今日は二限目がなかったから昼休みの三十分前に図書室に来ていたのだが、あまりにもその空間が心地よくて気付いたら眠ってしまっていた。  目を覚ますと、目の前に立っていた相良に一瞬目を疑った。でも、そこに居たのは紛れもなく相良雪で、込み上げてくる喜びを抑えきれずについ興奮してしまった。  笑った顔が見てみたいと思っていた自分の願いも、意外と簡単に叶ってしまった。  あのカタクリの花から零れ落ちる(しずく)のような儚い笑みを見た瞬間、手の指が痺れるような感覚が走ったのを今でも覚えている。 「大体、お前は美桜ちゃんという可愛い彼女がいるのにそうやって違う奴に気を向けるなんてけしからん!」 「うんー……」  テーブルの上に置いたスマホが目に入り、手に取る。  雄大に見えないように出来るだけ手前に傾けながら、写真のアイコンをタップした。  頬杖をついて校舎裏を見つめたまま、相良は動かなかった。呼んでみたが返事がなくて、その様子から眠っていると分かった。  嫌がられると思いつつも寝顔が見てみたいという好奇心が勝り、音をたてないように相良の向かいの席に腰掛けた。  風に吹かれて長めの前髪が揺れると、目元が露わになる。  絵筆で描いたような長い睫毛と、小さな鼻梁、薄い黄褐色の絹糸のような髪。その横顔は″綺麗″という言葉が一番ふさわしいと感じた。  陽は息を顰めながら、そっと相良の横顔にスマホを向ける。無音カメラは、音を立てずにその一瞬をすかさずフォルダに収めた。  隠し撮りをしたことがバレたら、また最低だと罵られて振出しに戻りそうだから絶対に言わないでおこうと心に誓う。  これは、自分だけが見れる、自分だけの世界だ。 「いたっ!?」 「お前、ぜんっぜん人の話聞いてないだろ」  ビシッと何かが額に当たって、意識は現実に戻された。不意打ち過ぎて小石でもぶつけられたかと慌てて額から血が出ていないか確認する。  しかし、目線の先に転がっていくのは、コーヒー用に用意されたミルクの容器だった。  その向こうで雄大がうらめしそうにこちらを睨んでいる。これはまた何か言われるぞ。 「浮気性め!」 「だからなんでそうなるのさ! ……あれ、もしかして雄大、今独り身?」  率直な質問に、雄大は眉間に皺を寄せてあからさまに嫌そうな顔をした。 「独り身とか言うな!」  その反応ですぐに分かってしまう。 「だって、雄大に彼女が居ないなんてことが変じゃん。何かあったの?」  雄大は頬杖をつきながら、先程額にぶつけてきたミルクを片手で器用に入れ、ティースプーンでぐるぐると混ぜる。  もう十分混ざっているのに、雄大はコーヒーの表面に見える渦を無言で見つめていた。  彼のこんなに浮かない表情を見たのは初めてかもしれない。これは、相当悩んでいるのかも。 「なんか最近、女と遊ぶのも飽きたっていうか……満たされないんだよなぁ」  高校の時から、年下から熟女まで関係を持っていた彼のその発言は異様すぎて陽を一気に不安にさせた。  高身長、好青年、高学歴まではいかないが平均より高い頭脳、そしてそのルックス。  天は二物(にぶつ)を与えずと言うが、三物、いや四物まで与えられた彼でも、悩みはあるのだ。  モテるせいで色々な人間といざこざはあったが、本人は人の彼女に手を出すような人間ではない。  見知らぬ男に「俺の彼女になにしてくれた」と罵倒され殴られた時も、彼氏がいることを黙って雄大と付き合っていたのは彼女のほうだった。  自由気ままな性格だが、常軌を逸することはしないし、男友達の幅も広い彼は見る人から見れば誠実な人間なのだ。 「たまには彼女作らないで独身も楽しんでみたら? 何か分かるかもしれないじゃん」  陽の提案に、雄大は「だから独身って言うな!」と二度目の文句を言ってから「たまにはねー……」と急に辛気臭く呟く。 「……ま、それもいいかもな!」  そして、最後には白い歯を見せて笑う。やっぱり、雄大はこうでなくちゃいけないと心から思う。 「じゃ、俺の景気づけに今日は陽の奢りで!」 「は!? 都合よすぎだろー!」  前のめりで反抗すると、老夫婦に笑われ、恥ずかしかった。

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