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第18話❀
一輪の花を、花立てに添える。『相良家』と彫られた墓石の前で、雪は手を合わせた。
小高い丘に位置する墓地は、家の最寄り駅から大学方面に三駅進んだ場所にある。
墓参りには大体いつも五限目が終わった後に訪れている。
けれど、最近は時間が作れなかった為、休日だけれどこうして足を運ぶことにしたのだ。
時刻は十六時前。冬が近づくにつれ、一日の日が短くなる。空にはもう太陽の名残さえなかった。
本当は午前中に来て午後からゆっくり家で過ごすことも出来たのだが、夕方に訪れるのにはちゃんとした理由がある。
それは、朝から昼過ぎにかけては親戚が墓参りにくる可能性が極めて高いからだった。
万が一、祖父と遭遇することがあれば、自分は殺されるかもしれない。殺されなかったとしても、あの咎めるような目で睨まれれば、自分が自分でいられなくなってしまうかもしれなくて、確実に会わない時間を狙っているのだ。
お供えを花束にしないのも、自分が訪れたことに気付かれないようにするための対策だった。
一輪なら、誰かが供えてくれた花束にさすだけでそこに溶け込んでくれる。
臆病者と笑われるかもしれないが、どんなに笑いものにされても、あの目と向き合う勇気は自分にはないのだ。
——相良。
不意に鴫原の声が聞こえた気がして振り返る。しかし、そこに人影ない。
彼を思い出すと、数日前の図書室での時間を思い出し、祖父のことなど頭から消えてしまう。
あの時間は経験したことのない不思議なものだった。
「父さん、母さん、俺……」
友達ができたよ。
そう言いかけ、言葉が詰まる。自分と鴫原の関係は、何と呼ぶのだろう。
義父以外の人とあんなに会話したのは久しぶりすぎて、何か重大なミスを犯しそうで怖くなる。
「……少しだけ、仲良くなれた人が出来たよ」
墓石に向かって微笑むと、風が和らいだ気がした。
「また来るよ、父さん、母さん」
雪は肩から下げていたショルダーバッグをかけなおし、帰路につく。
吐く息が白い。指先もあっという間に冷たくなってしまった。
そういえば、今日は初雪の予報が出ていた。
このまま冬なんて来なければいいのに。そう思っても、季節は人間の力じゃどうすることもできない。
雪は毎年自分の心に降り積もっていく。温かい思い出だけを氷で埋め尽くし、残るのはただ白紙の世界。
あと数年後には、どうなっているのだろう。感情のないロボットのような自分を想像して嘲笑 した。
「相良?」
なんださっきから。鴫原の声が、先程よりもリアルに耳に聞こえて眉を顰める。
体調が悪すぎて、ついに幻聴も聞こえ始めたのだろうか。
「相良!」
「うわぁっ!?」
ガシッと背後から右手首を掴まれ、雪は思わず悲鳴をあげた。
反射的に振り返って構えると、そこには本当に鴫原がいて、何度も瞬きしてしまう。
幻聴じゃなかった。じゃあ、さっきのも? いや、あれはちゃんと確認したから絶対違う。
脳が混乱して言葉が出てこない。呆然とする雪を前に、鴫原は夜空を照らす星のようにキラキラと笑った。
「やっぱり相良だ! 家の最寄り駅って、ここだったの?」
「あ、いや……ちょっと、用事があって」
鴫原は少し間を置いた後に「そっか」と微笑む。
「鴫原こそ、家が近いのか?」
質問してから自分は鴫原の家の最寄り駅がどこだか知っているのを思い出す。朝に電車で見かけた時は、ここの最寄り駅より一駅手前だったはず。
でも覚えていたことをバレるのは何だか気恥ずかしくて黙って鴫原の言葉を待つことにする。
「俺の家は一駅離れたところ。相良は?」
「俺は三駅だ。鴫原は何してたんだ?」
「バイトの帰りだったんだ。ねえ、一緒に帰ろうよ」
鴫原は返事を待たずに先を歩き始める。断る理由もなくて、斜め後ろをついていく。
緊張してしまい俯き加減で歩いていることに気が付き、これじゃあストーカーみたいじゃないかと慌てて姿勢を正す。
少し前を歩く鴫原の姿勢は真っ直ぐで、よく見ると足が長く意外と体つきもしっかりしていた。
何か部活でもやっていたのかなと想像していると、鴫原は自然と肩を並べてきて再び緊張してしまう。
「もう冬だねー。俺、雪好きなんだ」
「え?」
思わず声を出して、後悔する。違う、今のは言葉の綾だ。
つくづく自分の名前は忌々しい上に紛らわしい。会話を始める前の数秒前に今すぐ時間を戻したかった。
鴫原も、意味が分かったのか爆発したように顔を真っ赤にする。
「ごめん、そういう意味じゃなくて……! あ、でもだからといって相良が嫌いな訳じゃないよ!? ほら、冬ってボードとかスキーとか、冬でしか出来ないスポーツもあるし!」
必死な様子が面白くて笑いそうになるが懸命にこらえる。
弁明の仕方まで彼の優しさを表していて、全く不快な気持ちにはならなかった。
「相良は? 雪は——えっと、冬は好き?」
わざわざ言い換える当たり、真面目だなと思う。
でも、申し訳ないがその質問に対しての答えは決まっている。
「嫌いだ。冬なんて季節なくなればいいって、毎年思ってる」
「……なにか、あったの?」
別になんだっていいだろ。きっと、別の人間からの質問だったらそう返していただろう。
けれど、鴫原が相手だと、いつも出てくるはずの言葉は飲み込んだ唾液と共に胃に流れていってしまう。
「冬は、奪っていくから」
花は枯れ、川は凍り、虫も死ぬ。冬は命を奪う季節だ。両親の命を奪ったように。
「ギリシャの哲学者のデモクリトスの言葉って知ってる?」
急に話が変わって、しかも哲学者の名前が出てくるから講義でも始めるのかと目を丸くする。
「し、知らない」
「宇宙に存在する全てのものは、偶然と必然の産物だ」
それが、デモクなんちゃらという人の名言なのだろうか。
鴫原が何を言いたいのか分からず、雪は訝しむ。
「相良が生まれたのは偶然であって必然でもあるし、俺が相良と出会ったのは偶然だと思えば偶然だし、必然だと思えば必然なんだよ。でも、それってどっちで考えるとかじゃなくて、せっかく出会えたんだからその縁を大切にしたいって思うんだ。えーとつまり、何が言いたいのかっていうと……俺は冬にこうして相良と出会えたのも含めて、冬が大好きなんだよ」
微笑まれ、ぎゅっと胸が苦しくなる。歩くのを忘れ、足が止まってしまう。
なんだこの気持ちは。湧き上がってくる知らない感情。目を瞑って歩いた時のように、一歩ずつ進んで行くあの恐怖に似ている。
やめてくれ。これ以上はいい。知りたくない。
「相良?」
呼ばれ、顔を上げると不思議そうに首を傾げる鴫原と目が合う。
彼の後ろを電車が走っていく。暴行的な突風に言葉が攫われていく。
「行こう」
たった三文字がレールを踏み荒らす歯軋りのような音に乗せて、はっきりと聞こえた。
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