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第19話❀

 改札を通るとすぐにアナウンスが流れ、ちょうど良いタイミングで電車がホームにやって来た。  一駅なのにわざわざ電車に乗るのか、と思いながら鴫原と共に乗車する。 「ねえ、今度相良の撮った写真見せてよ」  手すりに摑まると扉が閉まり電車が動き始める。 「……良い写真なんてないぞ」  自分の撮った写真なんて誰かの心の機微(きび)に触れることはないし、自分自身も何かを伝えたくて撮っている訳ではない。  鴫原が見たとしても、無理して感想を絞り出そうとしている姿が容易に想像できた。 「俺は写真とか撮ったことあまりないから偉そうなこと言えないんだけどさ、賞とか応募してみないの?」 「賞?」 「うん。写真だったら色んなコンテストがあるでしょ? 応募とかしないのかなって」  その発想はなかった。  ただなんとなく写真を撮ってきた自分が、コンテストに——。  でも、何千人と応募する中で、自分の作品が誰かの目に留まることなんてないだろう。  一瞬膨らんだ期待は、すぐに(しぼ)んでしまった。 「応募は、しない」 「そうなんだ……。 あ、じゃあさ、今度一緒に作品見に行ってみない? 俺も興味あるし」  え、と顔を上げると電車は鴫原の家の最寄り駅に到着する。  そうか、ここでお別れか。大学内にいればまた会う機会があるかもしれないが、その時には今の話はきっと忘れているのだろう。 『発車します、ご注意ください』  ホームにアナウンスが流れ、甲高い警告音が鳴り響く。しかし、隣に立っていた鴫原は一歩も動く気配がない。 「え? おい、何して……っ」  プシューッと音をたてて閉まったドアに唖然としているのは自分だけだった。  鴫原は体勢さえ変えずにけろっとした様子で隣に立っている。 「な……なにしてるんだ?」 「まあまあ」  なぜこっちが(なだ)められる側になっているのか。  不可解な行動に動揺させられたまま、電車は家の最寄り駅に到着する。 「じゃあ、これで」  そう別れを告げて電車から降りると、なぜか鴫原は共に降車してきた。 「え?」  今日は「え?」ばかり言っている気がする。  電車の扉は閉まり、茫然としている間に目の前を通過していった。 「お前、さっきからなにしてるんだ?」 「相良を見送ろうと思って」  今度は「は?」と方眉が上がる。全然意味が分からない。 「ほら、いこうよ」 「どういう風の吹き回しだ。俺の家に来ても何もないぞ」  鴫原は首を横に振る。 「何かしてもらおうなんて思ってないよ。ただ、もう少し相良と話してたいだけ」  その横顔に(よこしま)な気持ちは感じ取れず、尚更鴫原のことが分からなくなってくる。 「あ、でも家とかまでは嫌だったら、近くまで送るから言ってね」  じゃあここで、とも言えず、奇妙な感覚のまま家に向かう。  もう少し話したいと言う割になかなか口を開かない鴫原だが、その横顔はなぜか楽しそうだった。  こういうことを誰にでもしているのだろうか。もしそうなら今すぐやめたほうがいいと言いたい。  ここまで優しすぎると、いつか詐欺にあったり、取り返しのつかないことに巻き込まれそうだ。  でも、もし自分だけだったとしたら?  そんな訳ない。そうであったとしても深い意味はきっとない。 「相良の家までの道のりって、坂道と階段が結構多いんだね。良い運動になりそう」  坂道や階段となると悪いイメージばかり浮かぶ人の方が多そうだが、鴫原はやはりここでもポジティブを発揮してくる。  遠い記憶に残っている父に少し似ているなと思いながら、雪は階段を上り始めた。  ふと、視界の端で何かが光り、片足を段差に乗せたまま動きを止める。  雪は足下から視線を上げ、振り返った先に見えた世界に一瞬で釘付けになった。 「鴫原」 「ん?」  顔も見ないまま呼ぶと、鴫原が返事をする。しかし、鴫原は雪が自分を見ていないことに気が付くと、雪と同じ方向に視線を向けた。  耳に鴫原の感嘆の声が聞こえる。こんな景色を見て、感動しない方がおかしいだろう。  今日から始まったイルミネーションは、毎日見ていた景色に変化をもたらしていた。  眼下に広がる星はイルミネーションによって一部だけが一層強く輝いていて、まるで天の川のようだった。 「綺麗」  うわーと何度も感動する鴫原の顔を斜め上から盗み見る。人工的な星は、彼の目に映って本物の星のようにキラキラと輝いていた。 「ここから見える冬の景色は、天の川みたいで綺麗なんだ」 「うん、本当に絶景だ」  鴫原がこちらを向きそうな気配を感じ、慌てて景色を見る。 「冬でも、好きなものあるんじゃん」  その一言で、目の前が一段と輝きを増した気がして言葉を失った。  そうだ。冬は大嫌いで何もないと思っていたけれど、確かに自分はこの景色が好きだ。  ぐっと目頭が熱くなる。  でも鴫原に自覚させられたことを認めたくなくて、雪は感情を振り切るように再び階段を上り始める。  そんな雪の耳に、鴫原の煌々(こうこう)たる声が届いた。 「あっ、相良! 相良ってば、見てよ!」  突然子供のようにはしゃぎはじめるから、思わず周囲を気にしてしまう。こんなところを誰かに見られていたら羞恥で死んでしまう。  慌てて(なだ)めようとする雪の鼻先にふわり、と何かが落ちてくる。それはすぐに溶けて、鼻先を濡らした。 「雪だ!」  冬の便りはゆっくりと舞い降り、敷石に歪な花を咲かせる。  毎年、初雪を見るたびに心を抉られるような感覚が雪を蝕んでいた。  でも、今はなぜか苦しくない。理由は分からない。鴫原は相変わらず子供のように初雪と融合された街の景色を見て喜んでいる。  全く動く気配がなさそうだから、仕方なく一緒になって街を眺めることにする。  それは、今まで見たどの景色よりも美しくて、涙が出そうだった。

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