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第22話❀

 シャッターを切り、ファインダーから目を離した雪は白い息を吐き出す。手袋を履いていない手はかじかんで赤くなっていた。  この前まではイチョウの絨毯が並木道を彩っていたが、今はすっかり雪が積もり真っ白な絨毯へと変わってしまっていた。  あと一ヶ月も経たないうちにクリスマスとやらがやって来て、場所を(わきま)えないカップルが靦然(てんぜん)とした様子で街を練り歩いているのだろう。  去年の冬、義父が休日の日にイルミネーションを見に行ってみるかと提案してくれたが、雪はそれを断った。  美しいあの星空は坂の上から見るからこそ美しいのであって、実際に見てしまえばその美しさは瓦解(がかい)する。  それが怖くて、その日は義父と家でケーキを食べて終わったのだった。  もう一度、雪はカメラを構える。  まるで崖にしがみつくように枝に残っているイチョウの葉が、自分と重なる気がして見入ってしまう。  シャッターを切ると少しだけ強い風が吹き、それは耐え切れず手を離し飛んでいってしまった。  あの葉はきっとどこにも飛んで行けず、地に落ちて人に踏まれ、やがて雪に覆われ見えなくなる。  ——相良! 相良ってば、見てよ! 雪だ!  不意に初雪にはしゃぐ鴫原を思い出した。  大学生にもなって、あんなに雪にはしゃぐ人間が居るのか。子供のように喜ぶ姿を思い返していると口元が緩みそうになって慌てて気を引き締める。  あれから鴫原とは二週間近く会っていない。そもそも、自分は鴫原の専攻学科も知らないことに今更ながら気が付く。  今度会った時は聞いてみよう。別に、専攻学科を聞くくらいおかしいことではないだろう。  いや待てよ。自分は何を期待しているんだ。また会えるなんて、どうして考えているんだ。  すっかり鴫原に(ほだ)されていることを自覚してしまい、これでは守り続けた自己サークルが破壊されることになってしまうと懸念する。  トントンと後ろから二回肩を叩かれ、雪は振り返った。  むにゅっ、と頬に何かが当たる。驚いて目を見開く雪の前にいたのは——。 「あははっ、相良、引っかかった」 「……」  鴫原だった。彼は雪の肩に乗せた右手の人差し指を突き出し、それがちょうどよく頬にささっていた。 「……鴫原」  不機嫌な声を出すと、鴫原はすぐに手を離す。 「ごめん、怒んないでよ。写真撮ってたの?」 「あ、ああ……」  答えると、鴫原は視線を上げて先程雪が撮っていたイチョウの木を見上げた。 「この前まで紅葉が綺麗だったのに、もうすっかり冬だね」 「だから言っただろ、冬は花も枯れるし、景色も殺風景になる」  風が吹くたびにはらはらと散っていく葉は、命尽きた鳥のように虚しく地面に落ちる。 「でも雪の道だって綺麗だよ。ほら、氷が張ってるところに落ちてる紅葉とかちょっと幻想的じゃない?」  感性までポジティブなのかと驚いてしまう。彼には何を言ってもプラスな言葉でしか返ってこないようだ。 「ね、テスト近いし、今度図書室で一緒に勉強しない?」  突然の誘いに、え、と思わず声が出る。鴫原は純然たる眼差しで、じっとこちらの返事を待っていた。 「俺は大体図書室にいるし、勝手に——」 「陽ー!」  雪の返事は、誰かの声によって遮られた。声の主は大股で駆けてきて、すぐに鴫原のもとへとやって来る。 「雄大! 昼ご飯ゲットできたの?」 「出来たぜ! 今日から発売の……お?」  ユウダイ、と呼ばれた男は鴫原より更に高身長だった。つまり、自分より頭一つ分くらいでかい。  冬だというのにダウンも着ず、トレーニングウェアを身に着けたその姿はスポーツ選手のようだった。  釣り目の瞳と片方だけに開いたピアス、その漂う雰囲気は見るからに自分とは異世界の人間だと悟った。  その男が、今、自分を見下ろしている。  意識した瞬間、気分が悪くなってきて慌てて視線を下げた。 「俺の高校からの友達の鳴瀬雄大だよ」  気付かれないよう理性を保つのに必死で何も頭に入って来ない。正直今すぐここから離れたかった。  鳴瀬は一歩こちらに近付いてくる。思わず肩がビクッと跳ねた。 「あー……っと、相良雪、だよな? よろしく」 「!」  なぜ、この人は自分の名前を知っているんだ?  近い。こっちを見てる。怖い。嫌だ。  差し出された手を見た瞬間、視界が地震が起きたように大振りに揺れた。 「相良?」 「わ、わるい、……じゃあ」 「相良!?」  驚いて叫ぶ声が聞こえたが、それどころじゃなかった。  トイレには間に合わないと悟り、校舎裏に駆け込む。校舎の壁に手をついて嗚咽《えづ》くが、出てくるのは胃液だけだった。  また過呼吸だ。  苦しくてその場に座り込み、浅い呼吸を繰り返す。  涙で視界が滲む。このまま死んでしまうんじゃないかと怖くなる。  自分はどうしてこんなにも弱いのだろうか。誰にも迷惑をかけたくないのに。哀れな目で見られても強く生きようと思っているのに。  鴫原の友人を、恐怖の対象にしてしまったことが辛かった。何を言われた訳でもないのに勝手に想像して自傷的になっているのは自分なのに。 「はッ、はぁっ、は……っ」  苦しさと情けなさと己の醜さで色々な感情が蜷局(とぐろ)を巻き、そのまま渦に飲まれてしまいそうだった。  本当は一人なんて寂しい。本当は誰かに縋りたいんだ。  誰か。誰か、助けて——。

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