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第28話❀

「やあ、雪くん」 「こんばんは。……これ、写真学科の人達が撮った写真ですか?」 「そうだよ」  郡司の隣に立ち、掲示板に不規則に並べられた写真を眺める。  海や夕日といった景色の写真、野球バットを振った瞬間の写真、トロフィーを持って涙を浮かべる人の写真。  様々な写真を順番に見ていく中で、ある一つの写真に目が留まった。それは、以前自分が撮った写真だった。  人気(ひとけ)のない自然の中に行きたくて軽く山登りをした時に見つけた、カタクリの花。  咲き誇るカタクリの花たちの中で、一輪だけ外れた場所に咲いていたその花から目が離せなくなった。  外は快晴のはずなのにその一輪だけ日の光を避けるように咲くその姿が、なんだか自分と重なるようで、思わずシャッターを切ったのだ。  あの日の記憶がなぜか形としてそこに残っている。 「これ……」 「いやあ、データを提出してもらった時にこの写真が目に付いてね」  なんで使ったんですか、と以前の自分なら冷たく答えていたかもしれない。  でも不思議と今はこの写真を撮った理由を、シャッターを切ろうと思ったあの時の自分を、きちんと見つめ直すことが必要なのかもしれないと感じてしまう。 「怒っちゃった?」  困ったように問いかけてくる郡司は前に動物番組で見た、主人が仕事に行ってしまった後、ドアを見つめたままか細い声で鳴く小型犬に似ていて、雪は思わず吹き出した。 「ふっ、別に怒らないですよ。そんな顔で見ないで下さい」  そう答えると、郡司は驚いたように目を瞬かせた。 「……君は、変わったね」  目尻を下げる郡司に雪は首を傾げる。 「初めて見た時の君は何かに縛られているようで、いつも苦しそうだった。でも今は、深雪(しんせつ)の中から芽を出そうと上を見上げている」  深雪の中から、芽を出そうと——。  その言葉を聞くと、自然と口が動いていた。 「……太陽みたいな奴に、会ったんです。最初はこっちの世界にずかずかと踏み込んでくるし、お節介だし、面倒くさい奴に目をつけられたって思っていたんです。でも、段々とその明るさに救われている自分がいることに気が付いて……今はそいつのこと考えると、なんていうか……ここらへんが暖かくて、時々ぎゅっと苦しくなるんです」  ()に照らされた鶯色(うぐいすいろ)の髪が揺れる。こちらに気が付き振り返る彼は、まるで太陽そのもののように雪を照らしてくれる。  眩しくて、暖かくて、手を伸ばせば心まで焼き尽くされてしまいそうなほどの光。  彼といると、彼に言葉をかけられるたび、涙が出そうになる。  そこで、郡司がこちらを微笑んで見つめていることに気が付いて、雪は赤面した。 「すいません、なんか勝手に話してしまって……!」 「ううん、いいんだよ。それでいい。 ……ねえ、雪くんはこの写真を見て何を感じるかい?」  郡司が指差した写真は、自分の写真の隣に飾られた一枚の写真。  雪の中から黄色の花が顔を出している写真だった。 「……雪の中で咲く花も、あるんですね」 「これは、福寿草(ふくじゅそう)という花なんだ」  小さな花弁をドレスのように纏い、美しく咲き誇っている。  太陽の光をたくさん集めたような力強い発色は、凛々しい姿で輝いていた。  ——雪、強く生きろ。自由に生きろ。お前の選んだ道に間違いなんて一つもないんだから。  なぜか幼い頃に言われた春樹(ちち)の言葉を思い出し、目頭がぐっと熱くなる。 「感じたことは言葉に出来なくてもいい。感じ方は人それぞれだ。でも、何かを感じたとしたのなら、この写真には君の求めているものの答えが隠れているのかもしれないね」  他の人が見れば、ただ花を撮っただけの写真に見えるかもしれない。  けれど、自分はこんなにも心動かされている。言葉にはできない。でも、胸の奥で沸き立つ何かに動けと言われているようだった。 「……これは誰が撮った写真なんですか?」  問いかけると、郡司は少し間を置いた後、おどけたように笑った。 「忘れちゃったんだよね。卒業生だったのは確かなんだけど」  残念だ。話すことは叶わなくても、どんな人物か、一度目にしてみたかった。 「……あ!! 大変だ、会議があることをすっかり忘れてたよ。じゃあ雪くん、また明日ね」 「はい、また」  郡司は小走りで廊下を駆けて行く。あまり運動が得意そうではない、ぎこちない走り方に思わず笑ってしまいそうになった。

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