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漕ぎ手のヴァン06

 船の舳先についたイルカをかたどったフェッロ・ディ・プルーアを磨きながら、ヴァンは再びため息をついた。  この世界には難しいことが多すぎる。ロブはよく「知っていることが多い方が面白いことも増える」と言っているが、知っていることが増えれば増えるほど辛いことも増えた。  例えば、男娼を貶めながらも男娼を買うような客が存在するということ。船のなかで交わされる下卑た会話の本当の意味を知ったとき、ヴァンは船を漕ぐ手を止めるべきなのか悩んだ。 何も知らなければ、客の会話をただの“音”として聞き流して、何も考えずに船を漕ぐことができただろう。しかし、このシークレットガーデンでは一つ賢くなるたび、一つ悩みが増える。  船内をくまなく掃除し、天蓋の布をかけ直して、布のフリンジを一房ごとに手ぐしで梳いたところで、ヴァンは桟橋に飛び移って自分の船をまじまじと眺めた。 別の漕ぎ手からのお下がりの船とはいえ、こうして手をかけてやるとなかなか立派に見える。あとは船出の前に花を飾り付ければ完璧だ。  ヴァンはすっかり満足して、桟橋に座り込んだ。濡れたシャツはすっかり乾いていたが、海水のせいでごわついている。もう3年もこの仕事をしているので、そんなゴワゴワとした質感も慣れっこだった。  自室に替えの服があったかどうかを思い返しながら、彼は何気なくゲートの方に視線をやった。 煉瓦を組み立てて作られた頑強なゲートには、着替えを済ませた春雨が寄りかかっていた。付き人がいないところを見ると、先ほど怒鳴っていた付き人は春雨が汚したガウンを洗っているのだろう。 「春雨!」  大きな声で春雨の名前を呼んで手を振ると、春雨は一度だけ手を上げて返事をする。そして軽やかな足取りでヴァンの方にやって来て、隣に腰を下ろした。

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