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漕ぎ手のヴァン08
春雨は腰に巻いていた布をほどき、ベールのようにかぶった。薄く透ける布をかぶるその姿は、子どもの頃に誰かが話してくれたお伽話のお姫様のようだ。
「綺麗だね」
素直な感想をヴァンが漏らすと、春雨は小馬鹿にするように聞き返す。
「はあ?綺麗?」
ヴァンはにこっと笑って大きく頷いた。
「うん。物語の登場人物みたい」
春雨は嫌味の一つでも言ってやろうかと口を開いたが、ヴァンのまっすぐな瞳を見ると開いた口を閉じて肩をすくめた。
一切の含みなく、まっすぐに人を褒められるのはヴァンの特技だ。春雨はこの他の誰からも得られない真っ白な善意にいつまでたっても慣れることができなかった。
生まれながらの皮肉屋の春雨だって、こうも邪気がない相手には何も言えない。居心地がいいような悪いような、奇妙な気分になる。
そんな春雨の気持ちを知るよしもないヴァンは、オールを握って桟橋の杭からロープを外した。
「それじゃあ出発するよ。しっかり掴まってね」
「ええ」
船はゆっくりと桟橋から離れていく。穏やかな波のおかげか、船は滑らかに海面を滑り、やがて崖の上に建つ梅の館の屋根が見えてきた。
「つくづく悪趣味な建物ですよね。あの屋根の色なんて腐ったザクロみたい」
春雨はさらに二言三言毒づいてはいたが、水面に手をひたして機嫌が良さそうだった。
今日はことさら天気がいい。晴れた空の下にいる春雨はどうにも作り物めいているが、日の光を浴びて笑っている姿を見て、ヴァンはなんだか安心していた。
夜に生きる生き物である春雨たち男娼は、総じて生白く不健康的だ。客はそれが艶かしいと喜ぶらしいが、不健康そうなことがもてはやされるなんておかしいとヴァンは思っていた。
「春雨は海が好き?」
水面の下で船を追い越していく魚を目で追いながら、ヴァンは腰を曲げて足元に座る春雨に顔を近づけて尋ねた。そうしなければ春雨の細い声は波に飲まれて消えてしまう。春雨は顔を上げて、ヴァンの耳元に顔を寄せて答えた。
「嫌いではありませんよ。僕は生まれたときからこの島にいたので、見飽きてますけど」
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