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第7話「呑気」
リビングに戻ると、黙って俯いて動かなくなった里音に、全員お手上げ状態になっていた。
「おわあ、、」
義人は部屋の中のどんよりとした空気に気の抜けたそんな声を出し、何も気にせずソファの上で携帯電話をいじっていた光緒はその声でやっと指を止め、ソファの横に突っ立っている彼を見上げた。
「遠藤も洋平も色々言ったけど、ああなった」
「ご機嫌ななめ?」
「ななめなんてもんじゃねえな」
はあ、と呆れて苛ついたため息を漏らし、光緒はテーブルに携帯電話を投げた。
バシンッ!と大きな音を立てると、ビクッ、と里音の肩が震える。
嫌な雰囲気だ。
「んーと、どうするか」
「中学生じゃねえんだから機嫌直せよ、面倒くせえな」
「みーつーお。やめなさい」
苛立った彼の声に、滝野が注意をした。
大体、テスト勉強とレポートを終わらせる為に集まったのに、午後は誰ひとりそれをやっていない。
「、、、帰る」
「えっ?」
立ち上がったのはやはり光緒で、そもそも勉強しに来たわけではなく涼みに来ただけだった彼はテーブルの上に出していたタバコと携帯電話をズボンのポケットに押し込むと、ズンズンと大股で歩いて里音に近づき、彼女の二の腕を掴んだ。
ついでに彼女の座っているそばに置いてあったブランドものの高そうな小さなバッグも掴む。
「やっ、!」
それを振り払おうとしたのだが、光緒の方が動きが早い。
無理矢理腕を引っ張って立たせ、有無を言わさず玄関まで強引に引っ張って行ってしまった。
「うっわ」
「珍しく気を遣うミツの図」
義人の隣にいる藤崎が光緒を指差しながら滝野に向かって言った。
彼の幼馴染みである2人の中では本当に珍しい光景だったからだ。
「久遠、お前は機嫌直ったんだな」
「佐藤くんに甘やかされたので超ご機嫌〜」
「はあ?」
「お前ら何してきた」
「あっ、こらやめろ!」
すっかり機嫌の直った藤崎は突っ立っている義人に後ろから抱きつき、義人は絡み付いてきた腕を必死に取り払おうともがいた。
嫌がる里音を力技で捩じ伏せて連れ去る光緒の背中を眺めつつ、ここはあいつに任せた方が良さそうだと思った残りのメンバーはドアがバタンと閉まるまでそれを見送った。
大体、あの2人はまったく勉強をしていなかったのだ。
残る入山、遠藤、滝野はできたら本気で勉強がしたい状況にある。
言ってしまえば1番の邪魔者が2番目の邪魔者を連れて出て行ってくれたので、薄情にもホッとしてしまっていた。
「ごめんな里音」
滝野は玄関に向かって手を合わせた。
「はいはいはい終わり!!とりあえず双子喧嘩問題は佐藤を入れて後で連絡取り合って解決して!今は私らの勉強が最優先!!」
パンパンパンッと静かにしていた入山が痺れを切らして手を叩くと、残った全員がそうだった!と一斉にノートやらレポート用紙やらを再び机に並べ始める。
「大体佐藤が悪いのよ。彼氏いるんだからケツの穴は締めとけっての」
「え、待って、それは比喩?なに?楓さん言い方ヤバくない?」
「義人ごめんここ分かんねーの。教えて〜」
「アーハイハイハイ!」
ボソ、と入山が放った発言に疑問を浮かべつつ、滝野のSOSに応じる義人。
藤崎と遠藤は同じ授業のレポートについて、参考にしたサイトを教え合っている。
「マジでこの時期無理だ。大学辞めたくなる」
「お前そのまま本当に辞めそうだからそういうこと言うのやめろ」
遠藤のぼやきに義人が注意すると、彼女は「確かに」と言いながら藤崎から教えてもらったサイトを携帯電話で検索し、レポートの続きを書き始めた。
遠藤はレポートがあとひとつ。
義人と藤崎、入山は全てのレポートを書き上げて、テスト勉強も落ち着いた。
「はあ〜、疲れた」
時刻は19時になる少し前だ。
「私あと10分くらいしたら帰るわ。バイト行かな」
「あ、じゃあ私も帰ろ。今日は夕飯、和久井の家で食べるから」
「ん、そうなの。じゃあ夕飯は2人だな」
滝野は17時頃に「ごめん、用事」と言って帰って行った。
今日は1日空いていると言っていたので「何かあった?」と義人が聞いたが、気にしないでいいと言われただけで彼はそそくさと帰ってしまった。
遠藤はずっと続けている飲食店でのバイトに向かうらしく、さっさと荷物をまとめ始めた。
彼女に合わせて一緒に帰ろうと身支度を始めた入山も、夕飯は食べて行かないらしい。
彼女には和久井英治(わくいえいじ)と言う付き合ってどのくらいか経つ音大に通う恋人がいて、彼の家に行くようだ。
和久井と義人達は入山を通して友人になっており、たまに一緒に遊ぶ仲だった。
「昼、外食だったから夜は何か作る?」
「もう疲れたからコンビニとかでもいいなあ」
「あー、確かに」
寝室でずっと音楽をかけていたせいで、携帯電話の充電が50%になっている。
義人はコンセントに繋がったままの充電器を携帯電話に差し込むと、テーブルの上に伏せて置いた。
勉強漬けの1日で疲れ切った4人は、合わせる気はなかったものの、「はあ」と一斉にため息をついた。
「あはは、揃った」
「なーんかさあ、来年は就活だし、夏休み終わったらゼミ始まるし、早くない?」
「それな」
「わかる。速すぎる」
嫌そうに言ったのは遠藤で、周りは至極納得と言った感じでコクコクと頷く。
1年生からの付き合いの4人は様々な場面で喧嘩や衝突もしつつ、共に3年生までの道のりを支え合って走ってきた。
しかし、今はその走り方が速すぎたようにも思う。
まだまだ社会に出る為の心構えなんてものは1ミリもなく、ただ年齢だけが上がってしまった気がしている。
憧れた教授がいるからこの大学に来た者もいれば、この大学に入ってから憧れの教授ができた者もいる。
ここで行われたゼミ別けも、ずっとクラスで過ごし、多くの学生の中にいる1人だった自分達が実際に社会で地位を築き上げている教授陣に直接見てもらえる立場に来たと言う事がすごく重たい。
責任感、注目度、個人としての確立。
年々増してくる自分と言うものの重みに、段々と苦しみ始める時期に差し掛かっていた。
「ゼミは憧れてたから良いけど、夏休み入った瞬間にやるゼミ合宿は嫌かな」
扇風機の風量を増す為、機械の根元にある「弱い」「普通」「強い」の「普通」ボタンを押しながら、藤崎がボソ、と零した。
ブウウン、と虫の羽音のような音を立てて、少し古い扇風機は羽を回す速度を速めた。
「藤崎がイヤなのは3日間佐藤と離れることだろ」
「本当にそれ。その辺の諸々はお願いします、入山さん」
「え?」
「任せとけ〜そのつもりだあ〜」
「え?何の話し?」
呆れてため息をつく遠藤の向こうにいる入山は、緩く敬礼をして藤崎に笑い掛ける。
話しについていけない義人は敬礼する入山と、それに敬礼を返す藤崎を交互に見た。
8月の始めにはそれぞれのゼミでゼミ旅行・ゼミ合宿が行われる。
古畑ゼミと影山ゼミは行う場所は違えど、3泊4日、まるまる同じ日程でゼミ合宿があるのだ。
つまり、最低2日は義人と藤崎は付き合って以来初めて完全に顔を合わせない日ができる。
「とりあえずオーキャンのときはヤバそうな先輩いなかったんだけど、実際仲良くなってから行動に出る女の子の方が多いから。油断しないでよ?佐藤くん」
藤崎は先月行われたオープンキャンパスの準備の手伝いをした際、参加していた多くの古畑ゼミのゼミ生達をじっくりと観察していた。
やたらとパーソナルスペースが狭いものはいないか。
義人と話すときだけ声色を変える女はいないか。
さりげないボディタッチが多い奴はいないか。
話し掛ける回数すらも全てチェックしていたのだ。
「え?え?お前、何のためにオーキャン参加したの?」
「決まってるでしょ」
にこ、と藤崎が笑った。
相変わらず整い切った顔で作った笑顔は完璧に美しかったが、付き合って数年経った今、義人にはその裏に隠されている胡散臭さがよく見えるようになっていた。
「佐藤くんを狙う女の子達を探るため」
「え、、善意だとばかりッ」
「馬鹿だなあ、佐藤。藤崎がそんなので嫌いな女子が多いところに来るわけなかろう」
義人の純粋な反応と考え方に、入山は呆れつつ荷物を持って立ち上がった。
藤崎達の家を出る時間になったようだ。
「入山師匠ッ」
「ちゃんとチェックしてたよこの人。気付かなかったの?私と敬子ずっと笑ってたのそのせいだよ」
「アレはそう言うことだったの、、!?」
オープンキャンパスの準備中、やたらとクスクス笑っていた2人の姿を思い出して、義人はあんぐりと口を開けた。
今やっと色々な意味が繋がったのだ。
「じゃ、勉強とレポート、一緒にさしてくれてありがとう。さいなら」
「またね〜」
入山と遠藤が帰ると、やっと家の中がシンとした。
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