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第9話「設定」

レポートの提出が終わり、テスト期間が過ぎた。 7月の中頃。 落ち着いた義人と藤崎は夏休みに備えつつ、先延ばしにいていた里音との話し合いを3人で行った。 「ごめん。久遠だけが好きなんだ」 義人はきっちりと彼女の告白を断って、里音が大泣きした後、やっと仲直りが済んだ。 その日の夜も藤崎に激しく抱かれ、結局朝日を拝んだのは言うまでもない。 そうして、3度目の夏休みが始まった。 「スーツ?」 「いや、何かラフな格好でも良いんだって。ビーサンとか履いてくる人もいるらしいよ」 「流石にそこまでは着崩せねーな。まあ、普通に少し綺麗な格好くらいでいいのか」 「ジーンズとかはやめたとこうか。だったら、、この辺?」 「んー、そだな」 ベッドの上に並べた洋服を見下ろしている。 各学科で終業式が行われた後、義人と藤崎は早速家に帰り、2日後の月曜日から始まるインターンに備えて着ていく服を選んでいた。 服を決めて必要なものを買っておき、明日の日曜日は入山、遠藤、滝野、光緒、里音、それから和久井を加えてゆっくりと藤崎家のレストランで夕飯を食べる事になっている。 前期お疲れ様会を催すのだ。 8月に入るまでの約2週間に及ぶインターンは影山ゼミを卒業した、義人達からすれば先輩である檜山総一(ひやまそういち)と言う男が勤めている株式会社プロジェクト・イノベーションと言う会社に行く事になっている。 義人と藤崎が目指しているのはオフィスや店舗の内装のデザインをする仕事で、家具選びや天井、床、壁の配色、仕様、増設解体等、様々なデザインを行うものだ。 「あ、、こないだの模型の授業のときにさあ。知らん女の子が使ってた絵の具こぼしてさあ、椅子にかけといた白シャツ、あのー、上着にしてたやつ」 「ん?、あー、アレね。あー、アレどうしたの?最近着ないじゃん」 ベッドの上の服達から視線を上げ、隣で腕を組んで立っている藤崎を見つめる。 2人の背後のクローゼットは折り畳み式の扉を両側とも全開にしていて、すぐに服を出したり戻したりができるようになっている。 インターンはある程度綺麗できちんとした服装をして行こうと言う話しになり、2人は今自分達の持っている服の中から「割とちゃんとした服」を選んでいる最中だ。 清潔感があり、派手ではなく、シンプルで会社に着ていけそうなもの。 たまに義人が気を抜いてあまりにもテキトーな服装で大学に行くのを気にしていた藤崎が早々に手を打ち、今の内に着ていくものを決めてしまおうと持ち掛けたのだ。 「だからあ、その女の子、何だっけ。村上?さん、だっけな。その子がこぼした絵の具全部被ったんだよ俺の白シャツが。で、捨てた」 「クリーニング出そうよそこは」 義人が気に入って使っていた白いシャツが見当たらないな、と思っていたが、まさか自分と被っていない授業でそんな事が起きていたのか、と思いつつ、義人のその後の行動に藤崎は少し呆れる。 藤崎は丁寧に暮らすが、義人は割と大雑把で雑な事が多いのだ。 「いやもう、買った方が早いな、と思って。弁償するとか言ってくれたんだけどダルくて断ったんだよ、、俺酷かったかなあ」 「酷くはないだろ。何で。弁償断るとか良い人すぎるじゃん」 (また女の子に優しくした訳か。まあそこで弁償するから一緒に買いに行こうとかなっても困るけど) 先日の里音の一件があってから、藤崎は少し嫉妬に駆られやすくなっていてそう思ってしまった。 悪気はなくこの話しを始めた義人は、藤崎の言葉にうーんと曖昧に答えながら、困ったようにうなじに手を当てて、何故か一度背中を仰け反らせて伸びをした。 「いや、うーん、、弁償するよ〜!みたいな言い方されて正直ちょっとムカついて、その子の目の前でゴミ箱に投げ入れたんだよね、シャツ」 ブフッ、と思わず藤崎が吹き出して笑う。 「あれは怖がらせた気がする。本当に申し訳ないことをした」 「んん"ッ、、ふふ、ふっ」 こうしてたまに義人が意図せず人を傷つけたかも知れないと言う話しを聞く事があるが、どの場合においても、普段自分以外の人間にはツンケンする事なく柔らかく穏やかに関わっている彼が思わず本性を出してしまったと言う話しが多く、藤崎は聞くたびに可笑しくて笑ってしまうのだ。 藤崎からしてもツンツンした口調の義人はいつもの事だが、彼が本気で怒っていたり、苛立った態度を見る事はあまりない。 基本的に、怒りと言う感情がないように見える。 人に怒られるのも人を怒るのも、苛立ちも、彼は好まないのだ。 それもあってか、彼が無意識に粗雑な物の扱いをしたりたまに見せる馬鹿力で物を破壊してしまう場面に誰かが遭遇すると酷く驚かれる。 そう言えば、2年生頃は一時期クラスで「無表情で人を殺すタイプ」と影で言われていた事もあった。 「んー、、佐藤くんてたまにワイルドだよね」 「いやあ、気に入ってたし、汚れないようにって避けといたところにぶちまけられたからさあ。大人気なかった。今更反省してる」 珍しく少し怒って起こしてしまった事だったらしいが、人ではなく物にあたるところがどこか彼らしく思えた。 ただ、怒りのままに捨てられたシャツは少し可哀想に思える。 「まあまあまあ。で、白シャツ買いに行こうって話しじゃないの?」 藤崎は腕を組むのをやめ、義人の少し跳ねている後ろ髪に触れて整えてやった。 「あ、ありがと。そうそう。行こって話しがしたかった」 「ん。デートだね」 「はいはい」 「デートだろ」 「はーいーはーいー」 ベッドの上に組み合わせて置いた服はそのままで、義人は藤崎の「デート」とはしゃぐ姿にクスクスと笑いながら寝室を出た。 リビングはやはり少し熱い。 本格的に真夏に突入したこの時期は、こまめに水分を取らなければ辛く、リビングのローテーブルの上に置いておいたアイスコーヒーのグラスを手に取った。 氷が溶けて少し薄い。 ぐっぐっと喉を鳴らして飲み干すと、藤崎の腕が後ろから腰に絡まってきた。 「ん、なに。熱いんだけど」 「ねえアレほんとにやんの?」 寝室で冷房を浴びていたおかげでひんやりしている義人の首に顔を埋め、藤崎は彼に甘えながら問うた。 「え?」 「2人とも彼女います設定」 「え、やるよ。絶対怪しまれるじゃん」 「えー、、」 「2人とも彼女います設定」とは、インターン先で聞かれる恐れのある「彼女いんの?」と言う質問に備える為に考えた作戦だった。 こう言うところばかりネガティブな考えが起きる義人は、インターン先に提出した自分達の書類からもしかしたら同棲している事がバレて、「デキてんの?」と言われる恐れがあるなと想像したのだ。 男2人でルームシェアしていて、2人共ずっと彼女がいない。 このままでは怪し過ぎて、否定しても「あの2人絶対デキてるよね」とバレかねない気がした結果、せめて、ルームシェアはしているけれどお互いに彼女はいると言う嘘をつこうと提案したのだった。 「インターン先くらいどうでも良くない?」 「いや、檜山先輩ってめっちゃ顔広いから、バレたらちょっと面倒くさそうなんだよ」 「んー、、」 檜山総一は元影山ゼミ生だが、義人の通っていた予備校の先輩でもある。 学年的に被っていた訳ではなく、檜山がOB生としてデザイナーの職について講演会で予備校生徒に教えに来たときに仲良くなった。 今回は影山ゼミに行く藤崎のツテではなく、インターン先を探していた義人が檜山に連絡した事がきっかけで行ける事になった。 ちなみに彼と義人が仲良くなれたきっかけは、講演会終わりに麻子がグイグイと話し掛けに言ったところについて行ったからだった。 「まあ、佐藤くんがそうしたいならそうするか」 「ごめんな」 藤崎の複雑そうな声に、義人はグラスをテーブルに戻すとグリンと身体を回して藤崎と向かい合い、彼を見上げた。 「正直、結構嫌だ」 ちょっと疲れたような声に、ズクン、と胸の奥が痛む。 (確かに、俺っていつになったら藤崎と堂々と付き合ってるって言えるようになるんだろう) 義人はギチギチと胸が痛むのを感じたまま、困ったようにへにゃ、と笑い、口を開いた。 「うん、、ごめん」 罪悪感と責任感が重たくて、弱々しい声になってしまった。 「あ、違う。嘘つくのが面倒とか、隠されるのが嫌とかじゃなくて」 「ん?」 義人の様子がおかしくなった事を察した藤崎は安心させるような優しい声で言い、彼の腰を抱き寄せて、コツンと額を合わせた。 ぐりぐりと額同士を擦られて、義人は少しだけそこが痛い。 「ん、なに?どゆこと?」 インターン先でまで「バレたくない」と神経を研ぎ澄ませている自分に嫌気がさしたのだろうと思っていた義人は、藤崎にそれを否定されてポカンとしている。 やがて額が離されると、藤崎の深い茶色の瞳が至近距離で彼を見つめた。 「架空でも、俺以外の奴と義人が付き合うのが嫌なんだよ」 「っ、」 それは、あくまでただの、最近藤崎が抱きやすくなってしまった嫉妬だった。 身構えていた義人は拍子抜けしたが、それよりも藤崎がストレートに伝えてくる独占欲にドクンと胸が高鳴ってしまっている。 真っ赤になった義人を満足気に見下ろして、藤崎はニッと笑った。 「そ、それは、まあ」 「義人は?」 そうして、意地悪くも彼に意見を求めた。 義人の視線は藤崎を見ておらず、その辺をふわふわと泳ぎ回っている。 それすら藤崎からしたら可愛らしくて愛しい反応だった。 「、、だから、えーと」 「聞こえませんなあ」 「嫌だってば」 「え?なんて言ったの?」 聞こえているくせに。 調子に乗った彼のクスクスと言う笑い声に痺れを切らし、義人は顔に熱が集まって抜けないのを感じながら、彼の方を向いてカッと口を開いた。 「俺だって嫌だよ!!本当は俺のもんなんだから!!」 「ん。ありがとう、ちゃんと教えてくれて」 満足いった様子で藤崎は義人の熱くなった頬に手を這わせ、ゆっくりと唇にキスを落とす。 (あーもう、ほんとウザい) こうやってすぐに自分のペースを乱してくる藤崎も、乱される自分も好きではない。 けれど、常に義人の事を想い、考えながら行動してくれる藤崎を彼は尊敬しているし、何より優しくて好きだった。 ちゅ、ちゅ、と角度を変えてキスを繰り返され、藤崎が納得したところで、何だかしてやられた気がする義人は拗ねたように彼から視線を外してボソ、と呟いた。 「めっちゃ巨乳で背の高いモデル体型の大和撫子みたいな性格の彼女ってことにしよ」 ささやかな抵抗のつもりだったのだが、藤崎はニヤっと笑うだけだった。 「まあ確かに、俺が女の子だったら大和撫子って感じだよね」 「ちげーわ。お前と正反対のタイプだわ。どこが大和撫子だよ」

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