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第26話「我慢」

いつの間にこんなに距離ができたのだろう。 何でも話せる仲だと思っていたのに。 そんな物悲しさに苛まれながら、ペラ、と読んでいた漫画のページをめくった。 「あ、」 紙の端が指先を滑って食い込んだ感覚がした。 「切れた、、」 右手の中指の腹が薄く皮がめくれたように色が変わって切れている。 応急処置とばかりにそこを口に押し付けて舐めると、途端にドッと、心が重たくなってしまった。 「、、、」 何トンもある錘が上に乗っているように、どんどん身体の下へ、奥へ、暗がりへと沈んでいくようで、はあ、と深いため息をつき、何とか自分を落ち着かせる。 (見間違いだったのかも、、でも、あれは、多分、、でも、) 脳裏に焼き付いて離れない光景に、またため息が漏れた。 (違う。あれは絶対、) 舐めた指先を見つめると、少しずつ切り口に血が滲んできていた。 あれから6日経った。 今日は8月6日、金曜日。 心はどんどん、重たくなっていく。 「英治にお土産買うの?」 「買うよ!!2人で京都・奈良名物食べまくる約束してるから!八つ橋好きなんだよね〜アイツ」 「あ、いいなあ。俺、あのー、アイツ」 「はいはい、アイツね」 「アイツがニッキだめなんだよね。俺好きなのに」 「アイツ、あの顔で好き嫌い激しいとかどこの王族だよって感じしない?聞いてるだけでムカついてくる。買ってきなよ、佐藤だけで全部食べれば良いじゃん」 「それ有りだな!買お」 ゼミ旅行最終日。 清水寺や金閣寺、銀閣寺に平安神宮。 奈良は公園から東大寺も、薬師寺にも行き、ゆっくりと薬膳料理も食べた。 3日かけてじっくりと京都、奈良を堪能した古畑ゼミの最終日はまず、8時に起きてそれぞれ支度をし、朝ご飯を食べて歯を磨き終わったら全員で寮の片付けをした。 掃き掃除はもちろんのこと、寮母達が住み込みで使っている母屋の2階以外をキツく絞った雑巾で徹底的に拭いて回り、庭の芝生の上の枯葉やらゴミやらを取り除き、寝泊まりしていた小さな離れも同じように掃除をして、風呂場もトイレも綺麗にしたところで、10時になると同時に寮を出た。 もちろん、4日間お世話をしてくれた寮母達にも深々と頭を下げ、お礼を言ってからそこを後にした。 寮は住宅街の中にあるのでしばらく歩き、やがて見えてくるバスの停留所でバスが来るのを待つ。 ちなみに義人は1人だけ男子と言う事もあり、ずっと泊まっていた離れの2階を1人で使わせてもらっていた。 部屋がある訳ではなくほぼロフトのようになっていて、本当に寝るスペースしかないものの、何だか秘密基地のようで楽しかった。 声が下に筒抜けな分、結局毎晩した藤崎との通話をそこでするわけにはいかなかったが、入山の計らいもあり、「また彼女から電話らしいっすよ」と晩酌会の途中で抜け出す事が出来た。 結局、義人も藤崎もお互いを「違う大学に行ってる彼女」と言う事にしているのだった。 「なになに?彼女さんにお土産?良い彼氏やーん、佐藤くん」 旅の途中、こんな口調で話しかけてくれるまで仲良くなったのは小宿だ。 乗り込んだバスの中は冷房が効いていて、微妙に出勤時間等からズラしたからかそこまで混み合ってもいなかった。 彼女の座る2人がけのバスの座席の隣には、小宿よりも少し身体の大きい西が座っている。 2人ともニヤニヤしながら、義人と入山のコソコソ話しに割って入ってきたのだ。 「良いやつだね。ちゃんと大事にしてるんだなあ」 「あー、いや、そんなでも、、西は彼氏いるんじゃなかった?」 「いるけど別に買ってかない。面倒、と言うか」 「え、、」 「あはははっ!佐藤くん顔ウケる!大丈夫大丈夫、西と彼氏さんてすっごいクールってだけで、仲悪い訳じゃないから」 「あ、そうなんだ」 小宿は入山に似ているかもしれない。 姉御肌、と言う印象を受ける。 けれど見た目は全然違っていて、言うなれば入山は綺麗系の見た目で服装も大人っぽく清楚だが、小宿は可愛い系で古着を取り入れた少し奇抜な格好をするのが好きだ。 2日目にくすんだ淡いミントグリーンのネグリジェを着ていたときは流石にファッション科の学生か?と義人は驚いていた。 一方で西は堅く、服装は全身黒と言う日が多かった。 今日も、真っ黒な髪をポニーテールにして黒縁メガネをかけ、足元まで黒いエナメルのローファーで固めている。 性格が暗い訳ではないのだが、見た目が何よりも暗く、そんな彼女が小宿と仲がいいと言うのが何とも面白かった。 バスはこのまま近くの駅まで行き、古畑ゼミはそこから電車を乗り継いで京都駅を目指す。 今日1日はほぼ自由行動で、京都駅に午後17時に集合できれば良い事になっている。 「ねえ、今日1日一緒に回らん?」 小宿がこちらを振り返ったままニコッと笑った。 「いいよ〜!どこ行くか全然決めてないけど。佐藤はどっか行きたいとこある?」 「んー、、もう少し寺見てみたかったなあー、くらい」 「真面目だなあ佐藤くん。良い良い。行けそうな寺行こ!お守り買う!あとは私達はお土産買えればいいし」 「付き合わせるね。ごめん」 「良いんだって〜」 話しやすいと分かった途端に小宿は随分話し掛けてくれるようになった。 大体彼女の隣にいる西は表情が読みにくく、迷惑がっているのかどうなのかも分からないが、しかしコクンコクンと頷いてくれたので、多分、お寺巡りに賛同してくれたのだろう。 「うわ見て、日差しやばい。暑そ。どっかでアイス食べたい」 「え、めっちゃいいじゃん食べよ。お土産屋さんの近くなら絶対売ってるっしょ」 「私も食べたい」 どうやら2人は入山とも気が合うらしい。 (8時過ぎには藤崎に会えるんだ) 17時半過ぎの新幹線に乗り、約2時間かけて東京駅に戻る。 4年生お手製の栞にも20時前に東京駅で解散と記載されていた。 影山ゼミは古畑ゼミより少し遅くて20時半解散だった気がするが、義人が待っていれば良いと2人で駅で落ち合う約束になっている。 駅弁でも買って帰って食べようか、と。 (それまで我慢だな) 義人はぼんやりとバスの窓から外を眺め、入山が言ったように眩しい日差しがさしてキラキラと輝いている道路を見つめた。

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