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第28話「謝罪」
「悪いことしたと言うか、別れるときあんなだったから、嫌な気持ちにしたろうなって」
困ったような表情は、あまり彼女がしたところを見た事はなかった。
気が強く、いつもこちらが「うっ」となるような強い表情をするばかりで、弱った姿は記憶にない。
嘘泣きならされたことはある気がしたが。
麻子のそんな表情につられて、義人はまじまじと彼女を見つめた。
まさか、お互いに1番話しづらいその話題が麻子の方から出てくるとは思っていなかったので驚いている。
「義人と別れてからね、ほらあの、静美行ったとき連れてった子達に紹介された人と付き合ったの」
「あ、そうなんだ」
あの別れた日。別れ方。
今でも全てが思い出せる程、ショックな出来事だった。
別れたのが、と言う意味ではない。
少しでも付き合って、好きだと思い合っていた期間があった筈の彼女と自分がこんなにも傷つけ合わなければならないのかと悲しくなった事を指している。
周りの全てが自分ではなく他人の藤崎へ向いていて、自分は取ってつけてそこにいるような感覚で、虚しくなったあの日。
けれど嫌な思い出と共に蘇ってくるのは、やはりあの日の藤崎だった。
『人間個性がある。理解し合えない部分がある。でも、それも含めて受け入れられて、愛せる存在とセックスすればいいんだ。変な事なんてない』
そうだ。
あのときも藤崎は自分を守って、優しくして、理解してくれた。
そう言えばあの辺りから、藤崎の事を好きになっていたんだなあ、とぼんやりと考えてしまつた。
「うん、でも、そしたらね。まあ、何か、けっこうヤバい人で、浮気されたり、合法じゃなさそうなもの吸ってたりしてて、警察沙汰に巻き込まれそうになったりして、、」
「えッ!?」
そして彼女のそんな言葉に、グン、と意識が現実に引き戻された。
「えっ?大丈夫?やばいじゃん」
「大丈夫大丈夫、とりあえず何とかなって別れたし、あの子達とももう全然、疎遠?になったから」
「ああ、そうなんだ。良かった」
ホッと胸を撫で下ろしつつ、彼女が余計に細くなった気がしたのはそう言った事からのストレスで痩せたのだろうか?と思った。
肩から掛けている小さなベージュのバッグの金具をいじりながら、麻子は一瞬何かを思い出したように、ふふ、と笑っている。
「それでね、義人、そういうのはなかったなーって思ったの」
「?」
パチン、とバッグのフタ部分の金具を付け直す音がした。
「危ないことに巻き込んでくるとかはなかったって思って、何かそのとき、すごい反省したの」
「え」
「だから、ごめんね」
「えっ?」
視線が交わる先の彼女は、眉尻を下げ、肩を落として、そう言って頭を下げた。
「わざと傷付けて、ごめんなさい」
あのとき自分を傷付けた元恋人からの謝罪に戸惑い、義人は胸の前で両手を振って、「いや、何で、いいってそんな、」と続ける。
サラリと肩から垂れて落ちた茶色い髪が優雅に見えた。
あの頃から何か変わったと感じていたが、彼女も彼女でまた苦労をして、誰かを傷つけた事を後悔してくれていたらしい。
もうそれだけで充分で、けれど彼女が頭を上げて少し泣きそうになった顔を見ると、義人は黙ってそれを真っ直ぐ見つめた。
変わったんだ。
恋愛として好きだったのかは未だにハッキリしない。
けれど誰よりも一緒にいて楽しい存在だった彼女が大学に上がると同時に「嫌な人」になった気がしていて嫌だった。
そう簡単に変わってしまったのかと。
けれどその表情を見て、あのときは彼女も自分と同じで、大学という広がった世界に戸惑い、何かに焦っていたのだろうとやっと納得できた。
「こんなとこでごめん、謝りたかったんだけど連絡する勇気もなくて、会ってくれないだろうし」
「、、、」
「だから、ごめん。あのとき藤崎くんにも迷惑かけて。大事な友達なのに、ごめん」
髪を耳に掛け直してから細い手の指を腹の前で組んで、何だかもじもじと指遊びをしながら麻子は義人への謝罪をもう一度口にした。
確かにあの別れ際の1ヶ月程は気まずくて、会うたびに機嫌が悪くなっていって嫌だった。
けれど義人としては、そうさせてしまったのは自分だと言う想いもある。
自分があのとき彼女を心から愛していると自信が持てていれば、一緒に色んなものを乗り越えようと言えた筈だ。
戸惑って自信がなくなって、自分と言うものの小ささや周りとの距離、速度の合わなさを目の当たりにしても、支え合えれば良かったんだ。
「、、俺、」
「ん?」
「今、付き合ってる人いるんだ」
彼女が謝ってくれたのだからこそ、自分もまたきちんと謝るべきだと、彼は口を開いた。
「ぁ、そうなんだ」
「うん」
頭の中には藤崎がいる。
いつでも味方になってくれる、自分だけを見てくれる、義人だけを構い倒してくる、誰より強い男だ。
きっと自分も彼のように麻子と接していれば、彼女に悲しい思いも嫌な思いもさせずに済んだ。
腹の中に抱えていたそんな想いを、不器用ながらにこぼしていく。
「その人と付き合ってからよく分かったんだけど、キスとか、ハグとか、彼氏らしいこと麻子にあんまりできてなかった」
ここでこんな話しをする事になるとは思っていなかったけれど、義人は良かったな、と思えていた。
ずっとわだかまりを持ったままと言うのもお互いに気分が悪かっただろう。
確かに、良い機会だった。
「正直、そう言うの高校のときから怖くて、なのに麻子と付き合って、変わる気もなくて、嫌な思いさせたのは俺だと思う。我慢して我慢して最後にああなったのは分かってる。俺のせいだよ」
彼は真剣な表情で、恐れることなく、恥じらうことなく、真っ直ぐ彼女を見つめた。
「だからごめんね」
「え、そんな、」
「ありがとう。謝りにきてくれて。本当に、俺もごめん」
「、、うん」
やっと終わった、と言う想いが強かったのは麻子の方だった。
義人と別れてからやっと自分が何かとんでもない事に対して焦りを覚えていたのだと自覚して随分後悔していたのだ。
だからこそ原宿駅で見かけたとき、雰囲気が変わって一瞬誰か分からなかった義人にもう一度会えたら謝ろうと思っていた。
自分が変えることのできなかった彼を誰かが変えたのだと知って少し寂しくはあったけれど、それはもう仕方のない事だな、と胸にしまう。
「それだけ!謝りたかっただけ。こちらこそありがとう。もう行くね」
「ん。気を付けてね」
「うん。バイバーイ」
サラリと手を振って、買ったばかりのサンダルのヒールを鳴らして歩いた。
原宿駅の近くの居酒屋でのバイトは日々疲れるけれど、たまにこうして良い事が起きるならまだもう少し頑張って続けよう。
そんな事を思った。
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