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第29話「久々」
「わっ!」
「うわあっ!?」
午後20時34分。
麻子がいなくなってから5分程で、藤崎は義人が携帯電話をいじっている隙に忍び寄り、耳元で声を掛けた。
「びっっくりしたあ、やめろよ心臓に悪いだろ」
藤崎の接近に全く気がついていなかった義人は携帯電話を胸元に押し付け、ドックドックとうるさい胸を押さえて、はあ、と息を吐き出す。
けれど久しぶりに見た藤崎のやんちゃでいたずらっぽい笑顔に、ほんの少しだけ口元が緩んでしまった。
「あははっ、ごめんね。んんー、久々の佐藤くんだ」
「くっつくなくっつくな。我慢しろ」
「冷たいなあ、ちょっとチューするくらい絶対バレないよ?」
「ダメなもんはダメ」
「ケチだな」
途端に抱きつこうとしてくる藤崎を交わし、軽く彼の胸を殴るとやっと動きを止めた。
久々に見る藤崎久遠は相変わらず顔が良く、本当に顔が優秀で、義人は旅の疲れが少し吹き飛んだ気がした。
そして、麻子に会ってからどうしてだか下手にバクバクとうるさくなっていた心臓が、フッと楽になったように思えた。
「会いたかったよ、義人」
左肩に下げたリュックで後ろから手元を見えないようにしながら、藤崎は義人の右手に手を伸ばし、指先に優しく触れる。
向かい合って壁に追い詰められている義人はそれを避ける事もできず、ただ指先に触れた愛しい体温に視線を細め、弱ったような表情で彼を見上げた。
「ん?」
「、、会いたかった」
「ぉオッ!?」
「何だその反応は」
3日ぶりの再会で初めからこんなにもデレられると思っていなかった藤崎は思わず変な声を出し、右手で口元を覆って視線を義人から外す。
何をしているんだこの男は、と義人の態度に感激しきって感極まっている男を下らないものを見る目で眺めながら、義人ははあ、とため息をついた。
「嬉しくねーのか」
呆れて睨み上げる。
「嬉しいからこんなになっちゃってるんでしょ!!」
藤崎はふにゃふにゃにほぐれてしまった締まりのないだらしない顔で、義人の睨みなんて気にせず笑い返し、彼の右手をギュッと握った。
「ハイハイ、帰ろーよ。もう駅弁買ったから」
「え、ありがとう!そうそう、この時間お店閉まってるかもって思ってたんだ」
「っ、」
その手はすぐに指先までスルスルとなぞって離されたが、義人が身震いする程敏感に藤崎の肌を感じるにはその短時間で充分だった。
「お前が食えないもんばっか入ってるやつ買った」
「え、絶対ウソだろ。佐藤くんてすぐバレる嘘つくよね」
「うっせバーカ!」
こんな事だけで感じるなんて、といじけて開発した本人である藤崎に嫌味を言ったがすぐにバレ、結局赤面した義人が怒りながらキャリーケースの持ち手を引っ掴み、ガラガラと引いて歩き出してしまった。
「待ってよ。ねえ、帰ったら何かするか分かってる?」
そんな彼の隣に並びつつ、全てお見通しの藤崎はムフフ、と笑みを浮かべる。
何とも気持ち悪い。
義人は腹が立ったのでそちらは見上げず、目指す路線のホームに上がるエスカレーターへ一直線に歩いた。
「知りません忘れました」
「忘れましたってことは考えながら待ってたの?可愛い〜最高〜」
「どういう解釈ですかー?そんなわけねーから」
「ふーん」
ツン、とした義人の横顔を見つめる。
(美人。可愛い。最高だなあ、今日も)
相変わらず彼にベタ惚れで、どんなに憎まれ口を叩かれようと藤崎は上機嫌にそれをかわしていく。
彼もまたシルバーのキャリーケースをガロガロと音を立てて引き連れながら、2人してあまり人の乗っていないエスカレーターに鞄を引き上げながら乗り込んだ。
駅の中を歩く人はまだまだ多く、たまにお互いにぶつかりそうになりながらも流れるように一斉に動いている。
上からそれを見ていると酔いそうだ。
義人が一段上、藤崎が一段下で義人を見上げ、2人はズーッと上へ滑っていく。
「ねえ、人いないよ」
「嫌だ」
「冷たいなあ。こっち向いてくれないのかなあ、愛しのダーリン」
鏡ばりになったエスカレーター横の壁に、2人だけが写っている。
「向かない。嫌だ」
「じゃあお尻触って良い?」
「そう言うのやめろって!」
あまりにも冷やかしてからかってくる藤崎にムッとして、尻を触られる前に義人が彼へ振り向いた。
その途端、背伸びをした藤崎にチュ、と唇を奪われる。
「んっ、」
「ごめん。1回だけだから」
けれどその1回で、色んなものを抑えていた義人の中には変な熱が生まれてしまった。
「ん、ヤバ、い」
「え?」
東京駅のエスカレーターとは長い。
半分もいっていない辺りで、義人はその場にしゃがみ込んで動かなくなる。
「ごめん、体調悪かったの?言ってよ義人、ごめんね。大丈夫?立てる?」
慌てた藤崎が彼の背中を摩り始めたが、「うう」と小さな呻き声が返されるだけで効果はなさそうだ。
「違う、体調じゃなくて、」
「どしたの?お腹痛い?」
「だから、違う、、勃った」
「、、、ん。え?」
流石の藤崎も状況が飲み込めなかった。
「勃ったっつったの」
「えっ」
そしてそのか細い声を耳から脳まで流し入れて高速で処理すると、やっと事態を飲み込み、真っ赤な顔で涙目になりながらこちらを見上げてくる義人を見下ろした。
「ごめん、そんなに敏感になってたの?」
「だって、そりゃ、3日ぶりだし」
「うん、そうだよね、3日ぶりだもんね、そうだよね」
ダメだ。
義人の泣きそうな顔にそそられて、藤崎の頭まで火照ってよく回らなくなってきている。
「スるんかな、って言うか、電話でずっとスるって言ってたじゃん」
「うん」
しゃがみ込んで足を閉じているので彼の股間はよく見えない。
けれどそこがさっきのキスだけで勃起したのかと思うと、藤崎はもう胸がいっぱいだった。
(俺のことずっと考えてたんだ、やばい、嬉しい)
そして彼も股間が熱くなりそうだった。
しかし、それだけはまずい。
2人してエスカレーターを降りるまでに股間を収める為に座り込むなど、体勢的にどこのヤンキーかと思われそうだし、下手したらどちらも体調を心配されて誰かに声を掛けられそうだ。
「だから、身体が、その、、そういうモードになりやすいっていうか、ごめん、キモくて」
義人はますます涙目になって、必死に弁解しながらも相変わらずの自己嫌悪が働いてそんな事を言い出してしまった。
「キモくないキモくない。ここでめちゃくちゃにしたいくらい可愛い!!」
「バカかッ!!」
彼に合わせるようにエスカレーターにしゃがみ込んだ藤崎の頭を、バシンッ!と叩いた。
よく響く。
「あっ、、ごめん。今のでちょっと正気に戻ってきた。佐藤くん、立てる?まだ治らない?」
正気に戻った藤崎は立ち上がった。
こんなところで自分まで勃起してどうする。
義人に恥をかかせない為にもしっかりせねば、と太ももをバシンッ!と自分で叩き、自分と義人のキャリーケースの持ち手を落ちないように掴んでおく。
「何か、気が紛れること言って」
「え、クッソ無茶振りしてくるじゃん、」
「早く」
「えー、うーん、えー、、滝野」
義人の急かしに耐えかねて、藤崎は咄嗟に自分的に最高に色気のない性欲の失せるワードを口にした。
「お前の滝野の扱いってたまにどうなのかなって思うよ」
「滝野が1人、滝野が2人、滝野が3人、」
「あ、いやだ、うるさい。増えるな、うるさい。あ、おさまってきた」
しゃがみ込み、半分ほど勃ち上がっていた自分の股間を隠すように足を閉じていた義人は「滝野」が増えていく光景を想像してしまい思わず笑って肩を揺らした。
良かった、段々と熱が下がっていくように感じる。
それにしても、お喋りマシンのような友人が増えていくと言う想像は中々に絵面だけでうるさく思えた。
「ごめんね、勃っちゃうと思わなくて」
そのまま友人達の話しをしていると、エスカレーターがホームに着く手前で何とか勃起は治った。
ふう、と胸を撫で下ろし、持ってもらっていたキャリーケースの持ち手を掴み、引き上げてホームに着地する。
午後21時近い駅のホームはそれでも人が多かったが、東京駅は始発なので人がいない入り口に並べば何とか座って帰れるだろう。
「、、ん」
「本当に可愛いなあ」
ちょっと恥ずかしがった義人を見て、藤崎はでれっとして笑う。
「ハイハイ、もういいから。反省しろ」
「はい、ごめんなさい」
けれど彼はニヤニヤしている。
全く鬱陶しい男だった。
「義人、帰ったらセックスね。すぐ。ご飯抜き」
「え、やだよ、腹減った」
「ダメなもんはダメ」
「えぇ、、」
2人は結局キャリーケースを引きずって、1番先頭になる車両が来る位置までホームを端から端に移動した。
どうやら上りだと1番先頭になる車両の方のエスカレーターに乗っていたらしい。
ガロガロガロとキャリーケースのキャスターの音がする。
人がいない事を確認すると、停車位置が書いてある足元を確認して止まった。
「帰って、2回したら飯にする」
「決めるの早いな。男前だね。2回ね。分かった」
またツンとしてそっぽを向いた義人に、藤崎はでれでれしながら笑い掛けた。
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