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第36話「回想」
「ど、どういうこと?昭一郎」
「わかんない、わかんないんだけど、でも、」
重々しい空気が、破裂させるように肺を満たしている。
息ができなくなりそうで、飲み込みきれないつばにひっかかりながら呼吸する。
ぐる、と喉の奥で音がした。
「、、、」
嘘だと想いたかった。
夢であれば楽だった。
何が何だか分からない。
ただ、今は。
1人だけでこれを抱え続けるのが、彼には重過ぎた。
「義人が、同性愛者だって言うの?」
「分かんないんだよッ、!!」
「軽々しく言う事じゃないでしょう?ちゃんと見たの?見てないの?」
母の声は低く重たくなった。
口から出してしまった言葉は今更飲み込めないのに、言わなければ良かったと頭の中で木霊している。
「待ってよお願いだから、俺だってずっと、」
「ちゃんと考えて答えて!!」
「ッ、、」
駅で見たのは、誰だった?
大きく息を吐き出して、昭一郎はその日の事を思い出すため目を閉じた。
7月30日、金曜日。
大学のサークルの飲み会で、原宿に来ていた。
元々は渋谷に呼び出されて飲んでいたのだけれど、皆んなで歩いて原宿まで移動し、サークルメンバーの彼女が数人の女の子達と飲んでいると言う店に来た。
日中、古着屋を見て回って買い物をしていたらしい。
「啓太〜!」
「あ、歩美いた!」
昭一郎が通っている生姜原医科大学(しょうがはらいかだいがく)のフットサルサークルは全学年合わせて20人程度でそんなに大きくはない。
まして、その日集まったのは同じ2年生で、メンバーは10人もいなかった。
女の子達の会計終わりに店の前で合流すると、やっと合わせて10人程度の集団は次の飲み会の目的地へ急いだ。
「ショー、なあ!ショー!」
「ショー」と言うのは、「昭一郎」と呼ぶのが長くてつけられたあだ名だった。
「ショウちゃん」「ショウくん」は良くあったけれど、「ショー」は大学になって初めて呼ばれ始めた。
創作沖縄料理の洒落た居酒屋に入って、夏で、雨も降っていなかったのでテラス席を選んだ。
カフェの皮を被った居酒屋、とでも言うのか、雰囲気的にはコーヒーとパンケーキが出て来そうな店だったけれど、ソーキパスタやら葉ものが入ったゴーヤチャンプルが小さなシーサーの置かれたテーブルに並んだ。
海葡萄は普通に貝殻に盛られて出てきた。
「向こうの席の優希ちゃん、お前がタイプって言ってたんだって」
「え」
隣の席になった友人にそう言われて、昭一郎はチラリと隣のテーブルに座っている「優希」と言う女の子を眺めた。
バッサリ切られたショートヘアと、スラリとした体型のあっさりした顔の美人だ。
大学1年の後期になって高校から付き合っていた彼女と別れた昭一郎としては、願ってもない相手だった。
女の子達と合流したときから、明らかに1人だけ可愛いな、と思って目をつけていたのだ。
「お前の好みとは違うかもしれないけど、可愛くね?」
「ん、や、結構タイプ」
「え、そうなの?前の彼女と全然違うけど」
「ああ、うん。それはそれ」
前に付き合っていた子は背が低く、どちらかと言えば出るところが出て引っ込むべきところは引っ込んだ、黒髪をサラリと伸ばして前髪はパッツンにした、いかにも日本の女子高生、と言う見た目をしていた。
大学に上がって髪を染めたり何だりはあったものの、中身は変わらず少し嫉妬深くてすぐ怒る、「The女の子」と言う印象だった。
優希はどちらかと言えば胸はないが、快活で、少し個性的な服を着ていて、強い女性と言う印象を受ける。
「いいじゃんいいじゃん、後で席替えしようぜ。お持ち帰り、有り、でっす」
友人はコソコソとそう言うなり、右手の親指をグッと立てて見せつけてくる。
「お持ち帰りはしません。俺はそう言う男になりたくねーの。でも席替えはして。隣行きたい」
「お前のそのさ、普段はさわやかでぶりっ子でシャララ〜って済ましてるのに、決めるとこ決めようとしに行くの、好きだわ」
「あんがと。惚れんなよ」
「あぅん」
ふざけて気持ちの悪い声を出した友人の背中をバシンッと叩くと、音につられて優希がチラリと昭一郎を見た。
思わず彼もそちらを見ると、2人の視線はバチンと絡む。
「、、、」
「、、、ふふ」
笑われた。
いや、笑ってくれた。
彼女の耳元で揺れる大ぶりなピアスがキラッと光って見えた。
(そっか、恋愛ってこうやってするんだっけ)
昭一郎も彼女に笑い返して、ぺこ、と小さく頭を下げた。
12人での沖縄料理店での飲み会は、テラス席2つを使っている。
丸い大きめのテーブルをくっ付け、何とか12人で囲って、それぞれの丸の中心に小さなキャンドルを置いている。
「席替えしよ〜!」
フットサルサークル男子7人と、そのメンバー三島の彼女、歩美と友達合わせて5人。
計12人。
合コンではない筈なのだが男女共に現在恋人募集中と言う人が多く、空気はもはやそれになってしまっていた。
三島と歩美は席を固定したまま、飲み会開始から1時間15分経って、他の10人は席を入れ替えた。
「隣いい?」
「どうぞ」
昭一郎はまんまと優希の隣の席を取った。
「ゆうきちゃん、で良かった?」
「うん、元木優希(もときゆうき)です。宜しく」
「佐藤昭一郎です。宜しくお願いします」
「ふふ、礼儀正しい感じ?」
「そう見えたら嬉しいな。医大生は真面目だよ」
昭一郎は上に兄がいることもあり、どちらかと言えば甘ったれだ。
頼りにされるよりもサバサバした女の子を支えて甘やかす方が得意であり、優希は正にそんなタイプだった。
「あはは、絶対ウソじゃん。服、チャラくない?」
「え、そう?人に選んでもらったんだけど、似合わない?」
格好良さで攻めるよりも可愛さで攻める。
見た目は身体も大きく顔も男っぽくて塩顔な分、可愛さを見せると「意外」と言われる事が多いが、割とギャップ萌えを感じて好感を持ってくれる子が多い。
仲間内ではたまにぶりっ子と言われるが、これは彼の素だった。
「似合うけどチャラいかなあ〜?ふふふ。人って彼女?」
「ううん、彼女今いない。あ、これ自慢なんだけどさ、聞いてくれる?」
「あははっ、自分で自慢で言っちゃうんだ?なあに?」
「俺、兄ちゃんいてね。兄ちゃんの友達、モデルしてる人いんの。それでこないだ女の子に格好いいって思って貰える服が分かんないって相談したら、モデルさんに聞いてくれて、参考写真めっちゃくれたの。参考にしたのが、今日の服。まあ俺は何にもすごくないから、自慢かどうか知らんけど」
「あはははっ!え〜!すごいね!モデルさんと知り合いなんだ」
柔らかく優しい昭一郎の話し方に、優希はニコニコと笑って嬉しそうに目を細める。
昭一郎の方を向いたままテーブルに肘をついて肩を寄せると、覗き込むように下から彼を見上げた。
「いや、カッコいいよ?カッコいいんだけど、私からするとちょっと遊んでそうだなあって思っちゃったの」
「えへへ、そっか。いやでも、俺、真面目だよ?ほんとに」
「えー、うそぉ」
「ホント!」
2人だけの会話は楽しかった。
美大に行っている兄の話し、たまに連絡を取ること、今は実家にいないこと。
自分がどう言う医者になりたいか。代々医者家系の家の話し。
色んな話しを彼女にして、優希の話しも聞いた。
将来は通訳の仕事がしたいこと。一時期は海外で暮らしていた話し。両親の仕事、妹と弟がいること。
周りがどちらかの気を引こうと話しかけても、2人はそれに笑って返し、また2人で話し始めた。
(可愛いなあ。彼女になってくれないかなあ、、今度2人で会えないかな。あ、連絡先聞こ。聞いていいよな?彼氏いないって言ってるし、絶対聞いたら教えてくれる雰囲気だし)
アルコールに強い昭一郎は何杯かお酒を頼み、それを飲みながら彼女を見つめていた。
アルコールには弱いらしく途中から彼女は烏龍茶を飲んでいたけれど、意外とふわふわした雰囲気はなくなる事がなかった。
これは彼女の素なのだろう。
(今日はいい日だなあ)
このときまで、彼はそう思っていた。
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