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第37話「衝撃」

テーブルの上に乗っている大皿が段々と空になっていき、各々のアルコールのグラスが空き始めると、そろそろお開きかな、と言う雰囲気になっていた。 午後22時少し前だ。 「お冷頼む?」 「ううん、お茶飲んでたから大丈夫。ありがとう」 あとは優希に連絡先を聞くだけだった。 昭一郎達の会計は女の子達からは1000円ずつ貰い、残りは男子達で払った。 1人5000円くらいで、学生としては少し痛い。 けれど格好付けたくて、誰も文句は言わなかった。 夜の原宿の街に再び出ると、辺りの店は閉まっているものが多く、街灯はあっても暗い道は暗かった。 全員で原宿駅へ行く事になり、昭一郎はそれとなく優希と1番後ろを歩く。 たまに仲間達が振り返り、「熱いねー!」とか言ってからかってくる。 「楽しかった〜!急だったけどね」 「確かに。洋服何か買ったの?」 「ううん、結局見るだけで終わっちゃった。何か欲しかったのにビビッと来なくて」 「そっかあ。いいなあ、古着屋。あんま行ったことない」 「そうなの?楽しいよ」 優希は白いジーンズ地の短パンを履いていて、スラリと伸びた脚を惜しげもなく晒している。 太ももにポツンとひとつホクロがあるのが何ともセクシーな感じがした。 「今度一緒行かない?」 「ぇ、、、行きたいっ!」 え?と聞こえた瞬間、拒絶されるかと思って痛いくらい心臓が跳ねた。 間違えた、と身構えたけれど、すぐさま「行きたい」と言う声が聞こえて、心臓をバクバクさせたままの昭一郎は彼女と向き合って、道の真ん中で止まった。 「い、いいの?本当に?」 「本当に行きたい!誘ってくれないかなって思ってた」 「え、行きたいホントに、俺も。連絡先教えて」 「うん」 立ち止まったまま携帯電話を取り出して、連絡用のアプリを立ち上げ、IDを交換する。 スタンプだけ送り合うと、お互いの機体の画面に「元木ゆうき」と「佐藤昭一郎」が表示された。 「後で日にち決めよ」 「夏休み中がいいな」 「うん、全然空いてる!」 昭一郎を呼ぶ声がして、2人は顔を見合わせて笑い合うと走って皆んなに追い付いた。 駅までは5分くらいで着いてしまい、ガヤガヤとうるさいままホームに降りた。 夏の夜の風は湿気を孕んだ匂いがする。 サークルメンバーの内、1番酒に弱い新沼が今日は1番飲んだらしく、ふらふらのへとへとで三島に肩を貸してもらってやっとのことで立っている。 見ているとこちらまで気分が悪くなりそうで、昭一郎は水を買おうと集団から離れた。 「ショー?」 サークルの中で昭一郎が最も仲が良いのはこの浅野颯人(あさのはやと)だ。 何で医大に来た?と言うぐらい勉強嫌いで成績は悪いが、どこかの町医者の息子で2代目を期待されているらしい。 へらへらした奴だが、いちいち暗い雰囲気に飲まれる事のない明るさが好きで昭一郎は良く一緒にいる。 「ショー」と彼にあだ名をつけたのもこの男だ。 「やったじゃんかよ!優希ちゃんの連絡先ゲットしたろ?」 「した。ちゃっかり」 「くぅ〜!やったな!」 2人はあまり酔っていないが、ハイテンションで肩を組み、集団から離れたところにある自動販売機の前に来た。 竹下口から入ったので、自動販売機はほぼホームの外れにある1台が1番近い。 線路を挟んで向こうには緑色の金網があって、更にその向こうには人が歩く歩道と道路が見える。 けれど、この時間はあまり人気がなかった。 (水にしとこ) 150円を小銭の投入口から押し入れ、ガチャン、ガチャン、と下に落ちていく音を聞く。 ピッと音を立ててボタン全部が光った。 (水、水、あった。ほい) ピッ ガコンッ 受け取り口のフタに虫が付いている。 光によって来ていて、自動販売機自体に虫が集っているのだ。 夏だから仕方ないが昭一郎はあまり虫が好きではないので、嫌な顔をしながらフタを上にあげ、びちゃびちゃに濡れているミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。 「いいなあ昭一郎はさあ、モテてさあ。お前かっこいーもんな」 「ありがとう〜よく言われるわ〜」 「うっざ!!」 「お前だってアレじゃん、ナンパした子といい感じって言ってなかった?」 「あ、そうそうそれ。聞いてよ、あの子さあ、」 (あれ?) たまに思う事があった。 ドラマでよくある、恋人の浮気現場に自分が居合わせるシチュエーション。 あれって、本当にあるのだろうか? そんな運命のような事、仕組まれたかのような出来事が、本当に、実際に、起こってしまえる確率はどのくらいあるんだろう、と。 (うわ、男同士か、あれ。キスしてる) 浅野が何か言っている声は、右耳から昭一郎の頭に入ってくる。 ペットボトルのキャップを開けようと手に持ったまま、何気なく視線を線路の向こうに投げたときだった。 その影は、どちらも女の子にしては大きくて、男女にしてはどちらも女の子には見えなくて、服は単調だ。 片方は髪色が明るくて、明らかに背が高い。 だからだろうか。 一目見て、男同士だと分かった。 よくしゃがみ込んでいるあの2人が見えたなあと自分でも思ったが、駅の方が地盤が高く、駅前の道路の向こう側の、店が立ち並んだ通りにあるその影は昭一郎の背の高さだとよく見えるのだ。 しかし、暗くて顔はよく見えない。 (、、、ん?) いや、良く見えなくてもそれは分かってしまえた。 「、、ぇ」 「でさあ、その子彼氏いたんだよ!ヤバくね?しかも、」 浅野の声が頭の中を通過していく。 視線の先の人間に気を奪われ、彼の話しは昭一郎に何ひとつ伝わっていなかった。 (兄ちゃん) 間違えだろう。いや、間違えるわけがない。 最近会っていないけれど、髪型だって変わっていない。 服は確かに変わった気がする。 きっと、藤崎リオンと言うモデルと知り合ったからだ。 でも何故だろう。 何故兄が、男とキスをしているのだろう。 (え、駅の近くでキス?何かの罰ゲーム?何してんの何してんの、何してんの?) ドッと、全身の血が冷たくなった。 体が冷えて、体内だけが重みを増していくようや、妙な感覚に襲われる。 こんなドラマのような出来事が自分の身に起こる確率は、一体どのくらいなんだ。 (何してんの?) 兄の手は明るい色の髪をした男の頬に添えられていた。 何かのドッキリか、それともあの2人以外にも近くに友達がいて、そう言う罰ゲームをしている現場なのか、それとも2人して酔っているのか。 息を忘れた昭一郎は、ただそれを目を細めて見つめる事しか出来なかった。 (兄ちゃん、、?) 何で視力が良いんだ。 自分の自慢できる筈の視力を、昭一郎はこのとき初めて呪った。 やっと2人の唇が離れて、昭一郎はホッとした。 これで離れれば、別に問題はない。 ちょっとしたイタズラか、悪ふざけかそんなものだ。 だから忘れよう。 必死に、2人が立ち上がって離れて歩く事を願って、想像して、その瞬間を待った。 はたまた我に返ってビンタし合っても、喧嘩を始めたって良い。 (兄ちゃんは正常だ、大丈夫。変なとこはない、普通の人だから、) けれどその願いは虚しく、2人は唇を離してから何かをポツポツと言い合い、それからまた、あろうことかまた、キスをした。 (うそ、嘘、ウソだろ、兄ちゃん、嘘だろ、) チラ、と赤い舌が見えた気がする。 今度は明るい髪の男が彼の兄の頬を手で包み、舌を絡め合ってキスをし始め、とうとう昭一郎は「、ッ、はあ、」と、止まっていた息を苦しげに吐き出した。 訳が分からなかった。 兄は大学に入学してしばらく経つと、友達とルームシェアをすると言って家を出た。 兄の突拍子のなさに父はずいぶん前から呆れていて、あまり2人で話す事はなく、兄は母と良く話していた。 ルームシェアの話しは母が兄を気遣って父に話しをつけたので、兄と父で衝突する事はなく、励むなら励むで良くやるようにと父がひと言言っただけで終わったらしい。 それから、兄はあまり実家に帰って来なくなっていたのだ。 (なに、美大に行ったから?何してんの、何でそんなことしてんの、気持ち悪い、そいつ誰、何してんの本当に) やがて、やっと2人の唇が離れた。 (何でだよ、兄ちゃん、何でそんな奴とキスしてんの?男同士だよ?キモい、無理、何してんの、何でそんな事できんの、何で変わっちゃったの) 例え相手が女の子だったとしても実の兄のキスシーンなんて見たくなかった。 ましてや相手が男なら、キスしてるなんて知りたくもなかった。 昭一郎は2人を見ていられなかったが、見なくてはならない気がした。 胸のつかえも、息苦しさも、喉の奥の違和感も我慢して、彼は目を開き、嫌な汗が全身から噴き出るのを感じながら、兄と男の姿を追った。 (気持ち悪過ぎる、何で、、、あ) 立ち上がった男が手を伸ばし、兄はその手につかまって立ち上がった。 その瞬間やっと、街灯か、駅から漏れた灯りかが、2人の顔を照らし出した。 「あ、」 「え?」 兄だ。 間違いなく、あれは自分と血の繋がった、ひとつ年上の兄だ。 見慣れた顔、少し趣味の変わった服、変わらない髪型と髪の色、伸びていない自分より低い身長。 けれどそのとき、昭一郎はもうひとつだけ兄の変化に気が付いた。 (見なければ良かった) その男の隣を歩く兄は、もう何年も見ていなかったと言えるくらい、柔らかく、優しく、幸せそうに笑っていたのだ。

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