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第38話「共有」

ずっと見て来た筈のあの笑顔。 生まれたときから、自分を見てくれていた人。 世話焼きで、優しくて、頼りになる兄。 そうだ。 見間違えるはずなんて、ないんだ。 「兄ちゃんだった、、兄ちゃんが男の人とキスしてた」 昭一郎は母の顔を見上げ、ハッキリとそう口にした。 もはや自分の記憶を疑う必要がないくらい、やはり頭の中のあの光景にいたのは義人だったのだ。 「ッ、あの子、どうしたのかしら、どうしたのかしら、、」 義人の母はショックを受けて胸元を押さえて浅く呼吸をし、目の前が霞んでいくような感覚がして怖くなり、倒れる前にと椅子を引いてそこに座った。 (義人が、男の子と、、義人が、) 昭一郎が嘘をつくはずもなく、ここまで言うのだからきっと見間違えではない。 だとしたら、佐藤義人はどうしてしまったのだろうか。 『お母さん』 ふと、頭の中にまだ幼さの残る顔をした義人の言葉が蘇ってくる。 『お母さん、大丈夫だよ。俺、大丈夫だよ』 あの日、いつものように笑う息子の頬は真っ赤に腫れていて、夫は機嫌を悪くして出て行ってしまっていた。 母はその記憶を思い出すたび、どうすることもできなかった日々を思ってはこうやって今起きている問題と絡めて反省し、そうやって自分の行動や選択を悔やむのだった。 (どういうことなの、) 動悸がおさまらない。 全身に血が巡っているのが分かる程、身体がドクン、ドクン、と全体で嫌な音を立てている。 そう言えば、義人は大学に入ってすぐにそれまで付き合っていた女の子と別れたと言っていた。 早乙女麻子。 可愛らしくて、たまに家にも呼んでいた。 いつもどこか上の空の義人に話しかけ、一緒に笑ってくれていた綺麗な子だった。 そうだ、女の子と付き合っていた筈なのに、どうして、、。 昭一郎も母も何も言う事ができず、ただ時間ばかりが過ぎて行った。 「あれ?佐藤くん」 「ん?」 8月8日。 火曜日、8月10日から2泊3日の沖縄旅行に行く2人は、義人はキャリーケースに持っていくものを詰めており、藤崎もそれを手伝っていた。 今日もなかなかに暑い日だ。 「お盆て帰るんだっけ?俺は墓掃除だけ行くんだけど」 そう言いながら、藤崎は義人に2泊3日、2人分のパンツを手渡している。 「え、どうせなら泊まってこいよ。俺は、うーん。お母さんは顔見たいなあとか言って来てるんだけど、、めんどくせーな」 「そんなこと言わずに日帰りくらいしてくれば?」 「何でそこで日帰り進めてくんの」 8月の2週目は咽せるほど熱く、寝室にあるクーラーは家にいるときはつけっぱなしにしている。 出来る限り使わずに電気代を節約しようと決めていたのだが、節約と健康を天秤にかけた結果、健康が勝ってこの状態である。 年々上がる最高気温に釣られ、夏の平均気温も上がっているように思えた。 「泊まりは無理。もう絶対離れたくない。無理。あ、俺ん家くる?実家まだ見せたことないよね?俺の部屋に2人で泊まろ!!」 「え、何言ってんの、って、いててててっ!痛い、馬鹿たれ!」 「うッ!!」 寝室の床にお互い座り込んでいたのだが、勢いに任せて抱きついて来た藤崎に潰されかけ、義人は思わず彼の顔を叩いた。 藤崎は鼻を潰され、驚いて彼の上から飛び退き、骨が折れていないかを触って確認している。 「びっくりしたあ、いちいち抱きつくなよ熱いんだから!あとお前でかいんだよ!重い!!」 「ちんこがデカイ話し?やだなあ昼間から下ネタ?誘ってる?」 「あーーーーもうッッ!!」 「ごめんごめん〜って、いってえ!!」 今度はそろりそろりと義人の脚の間に手を忍ばせてくる藤崎に嫌気がさし、義人は彼の肩を思い切り殴った。 キャリーケースはまだ半分も詰め終わっておらず、寝室の床には着替え、カメラ、海パン、緊急時の為の薬各種、日焼け止め等、色々なものが散らかっている。 ちなみに先程藤崎が持って来たコンドームの箱(12個入り)と潤滑ゼリーのボトルは義人の手によってベッドの上に投げ捨てられた。 「この頃、佐藤くんの愛が痛い」 「まあ物理的に殴ってるんで」 せっせと荷造りを再開すると、肩を痛がってゴロンゴロンとその場に転がっていた藤崎は義人に構ってもらえないと気が付き、ヒョイっと起き上がって彼が荷物を詰める手伝いに戻る。 ベッドの上からゴムの箱とゼリーのボトルを取って、それだけは勝手にキャリーケースに詰めておいた。 彼の知り合いが経営しているホテルと言う事もあり、諸々を警戒してペット用シートまで買ったのだが、それは義人が嫌がりそうなのでバレないように袋はベッドの下に隠し、中身のシートを色のついたビニール袋に入れてからキャリーケースに入れ込んで置いた。 「本当に帰らないの?」 「ん?あー、お盆?いいだろ別に。昭一郎いるし」 「んー、帰らないならそれはそれで嬉しいけど。だったら俺もずっといようかな」 「墓参り行ってこいよ」 「じゃあ一緒に帰ろ、俺の家」 「えー」 確かに義人からしても、藤崎の両親が営む店はもう行きつけで、両親からも妹の至恩からも自信を持って気に入られていると自覚できている。 しかしだからと言って家族の行事に息子の恋人と言うだけの自分が参加して良いとは思えなかった。 藤崎の申し出は有り難いが、義人は少し困ったように微笑む事しかできなかった。 「やめとくよ」 「、、、」 「拗ねんなよ。仕方ないじゃん。結婚してる訳じゃないし、まだまだ付き合い浅いし、俺が行ってもなあって思っちゃうよ、そりゃ」 「そっか、、じゃか大学卒業したら一緒に帰るようにしよ。ね」 「え」 「だって大学卒業したら結婚するんだよ?」 「え、え??」 義人はぽかんとした顔をして手を止めた。 藤崎は整った顔を美しく歪ませて完璧な笑みを浮かべ、またそろりそろりと義人との間を詰めてくる。 非常に不気味だ。 逃げ場がない、と何故か頭の中で考えてしまった。 「結婚してって言ったよね?俺」 「あ、うん。うん??」 訳が分からなかったが、藤崎はズイズイと義人に顔を近づけて有無を言わさぬと言った様子で迫ってくる。 耐えられなくなって義人が目を閉じた瞬間、ちゅ、と唇が奪われた。 「卒業式楽しみだなあ〜」 「え、怖いんだけど、何すんの」 「結婚すんの」 「ぇえ、、」 むふふ、と笑う藤崎を義人は呆れたように見つめた。 2泊3日の旅行は沖縄、宮古島に行く。 シュノーケリングとダイビングをして、沖縄そばとソーキそばが美味しい店に行くのと、ウミガメも見に行くことになっており、義人は携帯電話のメモ帳にスケジュールを分刻みで入れていた。 タイムアタックするのかと言うとそうではないが、のんびりゆっくりしながらもちゃんとやりたい事は全部やって、見たいもの食べたいものの要望も叶える完璧なタイムスケジュールができているのだ。

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