39 / 136
第39話「黄昏」
8月8日の佐藤家は少し静かだった。
色々抱えながらも、昭一郎は地元の幼馴染み達と遊びに行き、義人と昭一郎の母・咲恵(さきえ)はいつも通り、日勤の夫が車で家を出ていくのを見送った。
帰ってくるのは午後19時過ぎだろう。
本日、空は晴れている。
心模様とは正反対に青く澄み渡った空をベランダから見上げ、洗濯物を干す手を止めながらため息をついた。
「、、、義人」
初めての子供。初めての息子。初めての子育て。
義人が生まれたとき、何が正解で、どこまで厳しくしたら良いのかも、どこまで優しくしたら良いのかも正直分からなかった。
遅くに生まれた子だからうんと甘やかそうとしていたのに、やっとできた子だったからと何を焦ったのか、夫・義昭(よしあき)は随分厳しく彼を躾けてしまった。
夫婦喧嘩も何度も見せてしまった。
昭一郎が生まれてからは義昭も少し寛容になり、子育てに対する緊張や神経質さを少しずつ抜けるようになってはいたものの、やはり、高校受験に失敗した義人にはかなり辛く当たっていた。
(、、、私達が間違えたのかしら)
同性愛。
その言葉が、トン、と重たく胸に乗り、何よりも深く刺さっている。
昭一郎には、昨日あの後、義昭が帰ってくる前に口止めしておいた。
友達にも、義昭にも、誰にも言わないこと。
義人自身にも何も聞かないこと。
母として、1人で少し考えさせて欲しいこと。
それから、ちゃんと教えてくれてありがとう、とも言った。
『俺、大丈夫だよ』
何度でも思い出せるその光景に、またため息が出た。
晴れた空が憎たらしく感じられる。
8月10日はすぐに来てしまった。
「やば、飛行機久々だ」
「あ、そうなの?」
「高校の修学旅行以来」
飛行機に乗り込んだ2人は席の真上にある荷物入れにリュックを放り込み、座席について、頭上のシートベルト着用の案内が付くまではゆっくりしようと一息ついたところだ。
飛行機が発つにはまだ時間がある。
「ちょっとドキドキする」
「ふふ。あ、でも俺も修学旅行以来か」
飛行機の座席と言うのは新幹線の座席等ともまた違う感じがする。
新幹線はまだまだ周りの声も自分達の声もひとつの車両の中で響き合ってしまうが、飛行機は誰もが少しコソコソと話すので、2人が小さな声で自分達に聞こえないように話していても不信がられないし、誰かに聞かれていると言う心配もあまり浮かばなかった。
「んん、そうなんだ。て言うか、まあ、そうか。大学は俺たちずっと一緒にいたけど、お互い飛行機乗って旅行とか行かなかったもんな」
義人は久しぶりの飛行機に少し緊張しつつも、被っていたキャップ帽を取って前の席の背についた網状の小物入れに突っ込んだ。
「そうだよね、、、ねえちょっとベタなお願いしていい?」
「いやだ」
「何で即答すんの」
「こう言うときだいたい変なこと言うだろ」
義人が窓側、藤崎は通路側の2人掛けの席に座っている。
義人のひと言にムッとした藤崎は彼の方を向いて、義人が自分の方を向くまで待つ。
しばらくするとその視線に耐えかねた義人が恐る恐る藤崎へと振り向いた。
「、、、」
「手繋ぎたいだけなのになあ」
「うわ、」
出た、この言い方、と義人の口がひん曲がる。
「繋ぎたいなあ。佐藤くんは嫌なのかなあ」
「ぅ、、ぐ、」
恋人と手を繋ぎたいか繋ぎたくないかと言うのは本当に人それぞれだが、2人は繋ぎたくない訳ではなく普段から「人前で手は繋げない」のだ。
触りたがりの藤崎がよく我慢してくれていることも承知しているうえ、義人も彼に触りたくない、触ってほしくないと言うわけではない。
むしろ逆だ。
触れ合っていられるならそれに越した事はない。
飛行機の中には段々と人が増えてきていた。
後ろの席に男女のカップルが座ると流石に義人の雰囲気が緊張してきたのが見えて、「ああ、コレは断られるな」と藤崎はバレないように息を吐き、穏やかな表情で背中を背もたれに押し付けた。
2人きりの旅だからこそ、少し残念に思えたのだ。
「、、人、通ったら、離していいか」
「え?」
諦めかけていた彼の手に、義人の右手の指先がチョンと触れる。
顔を上げて彼を見つめると、こちらは見ずに頬を赤く染めながら口を引き結んでいるのが見えた。
「、、うん。でも、人いなくなったらまた繋いでね」
「ん、」
スル、と指を絡めると、2人は仲良く手を繋いで微笑みあった。
ともだちにシェアしよう!