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第44話「水音」
肉ばかり食べようとする藤崎の目の前にある取り皿にせっせとエノキ、白菜、大根、春雨と盛っていく義人は、今、それどころではないくらいに性欲が高まっていた。
(飲むんじゃなかった。マジで調子乗った、何だこの酒、なんて名前だった?すごい、あそこが熱い、、ヤバい)
誤魔化す様に肉を食べると、はふはふ言いながら噛んで飲み込む。
そして一方、義人の異変に気が付かない訳がない彼の目の前に座っている男もまた、そんな彼を見て性欲が高まっていた。
(可愛い、、何でずっとムラムラした顔してるんだろ。寸止めしたからかなあ。可愛い。野菜が美味く感じる)
これと言って好きではないだけで、今しゃぶしゃぶの鍋の中に入っている野菜やきのこ類は藤崎の嫌いなものではない。
それでも好んで食べはしないものだと言うのに今は美味しく感じられ、野菜本来の旨味まで感じて食べていられるのだから不思議だった。
性欲に勝るものはないな、等と考えているがそれは藤崎の中だけでの話しだ。
「普通に食べ過ぎるな、コレ」
アグー豚も宮古牛もとにかく脂身の旨味が堪らない。
余計な邪念を振り払おうと、義人は関係ない話題を必死に口にした。
股間を鎮めねばならない。
「めっちゃ美味いね。ところでさ、義人」
「ん?」
「部屋戻ったら風呂入ってからセックスするのとプールで食後の運動してからセックスするの、どっちが良い?」
「はいッ!?」
ここがレストランの個室の中で良かった。
義人は箸や取り皿をテーブルに置きながら、ガタンッ、と椅子を鳴らして立ち上がり、ついでにテーブルの天板に骨盤をぶつけた。
痛さで変な声が出そうになったがそれを耐えて、先程飲んだ藤崎が頼んでくれた酒で少しフラフラしながらも、目だけはしっかりと彼を見下ろした。
「何言ってんだよこんなとこで!」
「俺にとっちゃ大事なことなんだ。頼む決めてくれ。どっち?」
「えっ、いや、そんな、ぇ、、え、」
藤崎もシラフではない。
義人に出したのと同じ酒を飲んでいて、彼と2人きりと言うのもあってリラックスしており、いつもはこんなものでは酔わないのだが今日はほろ酔いくらいになっている。
にこ、と優しい笑顔を向けられてあわあわしながら椅子に座り直し、義人は同じように少し酔った頭で2択の問題を真剣に考え始めてしまった。
決めなくても特に困らないのだが、頭からそんな事はポンと抜けている。
「もう結構食べたし、プール入って運動してからにする?そのままお腹の奥突いたら具合悪くなっちゃいそうだし」
「お、奥、突くって、、」
箸と取り皿をテーブルに置いた藤崎はそこに頬杖をつき、脚の間に両手を突っ込んで座り、何かを誤魔化す様に俯く義人を見つめる。
「さっき干した水着着ればいいし、ね?かるーく運動して」
「ん、」
「で、セックスしよ」
「ん、、んん、」
話していく内にみるみる顔が赤くなっていく義人を眺めて、藤崎はニッと笑った。
ちゃぷ、と音を立てて水を蹴り上げると、飛び上がった水滴がパタパタと水面に落ちて混ざっていった。
プールの内面に使われている青いタイルに照明が当たり、揺れる水面が青色にはねている。
義人はプールサイドに腰掛けて、脚だけ水の中に突っ込んでいた。
「綺麗だね」
「な。すごい」
食後、2人は自分達のヴィラに戻ると水着を履いて、部屋についているプライベートプールに入った。
見上げた夜空に浮かんでいる星はやはり東京では見ないもので、ゼミ旅行で見つめていた夜空ともどこか違う気がする。
一度プールに潜って全身濡れた藤崎は前髪をかき上げてオールバックにすると、ふよふよと泳いで義人に近づき、彼の膝の上に腕を組んで置いた。
「、、、」
義人はホテルの前方にある海を眺めている藤崎の横顔に見惚れた。
海外の血が入っているからか、それとも彼自身の放つオーラのせいなのか、水に濡れていつもと違う髪型をしている藤崎は神秘的に見えて、高い鼻筋の横を通って唇、顎と伝っていく水滴ひとつひとつすら美しく思えた。
(妖精とか、、人魚とか、そんな感じがする)
この世のものではない。
藤崎久遠が時折り見せるこうした表情や一瞬の顔色を見れるのは義人の特権だった。
何せ、藤崎は警戒心が高く、完璧な外面と言うものを持っている。
義人と2人でいるときといないときとでは人が変わった様な外面の彼になるので、こんなにも気を抜いた自然体の美しい彼を義人以外の誰も見た事がないのだ。
「入らないの?」
「えっ」
「プール」
「あ、うん、入る」
膝の上に頬杖をついた藤崎がヒョイとこちらを見上げてきて、プールサイドに座りながら仰け反って後ろに手をついていた義人はビクッと反応し、思わず視線を逸らした。
見惚れていた事は多分、藤崎にバレている。
「おいで」
プールの底に足をつけて立ち、藤崎が義人から少し離れて左手を彼へ差し出した。
水深は1.2メートル程で、藤崎のヘソより高いくらいに水面がある。
「ん、」
義人はザブン、と音を立てて水に入ると、その手を取って藤崎の元へ近付いた。
月明かりが水面に落ちてキラキラと輝く中、2人は見つめ合って、藤崎が義人の手を引き彼の腰に腕を絡めた。
「ぁ、」
「綺麗だ、義人」
「はあ、、?」
水に濡れた藤崎の方が人間離れして美しい。
そうは言い返せなかったが、眉根を寄せて訝しげな表情を作った。
「好きだ」
「っ、、ん、」
それを合図にしたかの様に唇が奪われ、義人は藤崎の背中に腕を回してキスに応える。
ちゃぽん、ちゃぽん、と藤崎の髪から滴り落ちる水滴が水面にぶつかるたび、静かに水音が響いた。
真夏の夜のプールは気持ちのいい温度をしている。
「く、ぉ、ん、、」
舌を吸い上げられて息を奪われ、義人は途切れ途切れに彼の名前を愛しそうに呼んだ。
水に入っていたからか、藤崎の口内も舌も冷たくて気持ちが良い。
本当に人魚とキスでもしているかの様だった。
回した手で彼の背中をなぞると、程よく張った筋肉の感触が分かる。
腰に回された腕の太さも力強さも、浅倉モモ相手では感じられないときめきを生んでいた。
(久遠、好き、久遠、、)
口で言えばいいものを、そう素直になれない彼は心の中で何度もそう呟いて徐々に自分の熱が移って熱くなっていく藤崎の舌に自分の舌を絡めた。
それが義人なりに覚えた愛情表現のひとつだった。
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