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第62話「異る」

例えばもしも俺が女の子だったら、お前の隣にずっといられて、ずっと楽しく笑っていられたのかな。 俺が女でも、お前はちゃんと俺を見つけて、好きになってくれたかな。 自信が持てないよ、藤崎。 俺はどうしたら良かったんだと思う? それでもお前を好きになったんだ。 どうしようもできないくらいに、お前が好きなんだ。 苦しくても、辛くても。 ずっとお前を、好きでいたい。 これは間違っているかな。 なあ、藤崎。 「お前は病気だ」 12時の鐘が呑気に窓の外から響いてくる。 睨んでいた視線を緩めたのは義人も義昭も一緒だったけれど、義昭は義人を憐れんだが故であり、義人は義昭の言葉に絶望して力が抜けたからだった。 「え、?」 「何言ってるの、」と視界のもっと下の方から震えた微かな声が聞こえる。 先程突き飛ばしたような形になって床に座ったままの昭一郎のそばに駆け寄っていた母が言ったようだった。 「精神科に入れる」 「、、は?」 病気。精神科。 ドン、とその言葉が鋭い刃になって胸に突き刺さった。 「知り合いの先生がいる病院が近くにあるから、そこに入院しなさい」 「、、お父さん?」 何を言っているのだろうか。 同性愛は病気ではないし、そんなことは医者である父が1番理解している筈だ。 医者に診てもらったところで薬なんて出ない。 だと言うのに父は今それが分からなくなっていて、義人を精神科に入れると言い張っている。 いつもは平和な佐藤家のリビングは、今や異常な雰囲気に包み込まれて密封されたまま、間違った方向へと事が進み出していた。 「お父さん何言ってるの、!!」 「黙っててくれ」 父は母の叫びを遮った。 「、、、」 ここは幸せで、どこにでもいる家族だった。 少し厳しい父と、にこやかで滅多に怒らない母。 頭がよく優等生な弟と、問題児と言われる程でもないが、少しズレている自分。 ただ、1年早く生まれただけで、義人は兄になった。 出来の悪い兄。反面教師の兄。 義昭は彼にそう言うレッテル貼って、ああはなるなと昭一郎に言って聞かせた時期があった。 別に、さほどの事でもない。 父は冷たい人間で、差別ばかりする人、と、そういう訳でもないのだから。 ただ高校受験での失敗と、大学は美大に行くと言ったときから、少し義人に厳しくなっただけだ。 医者で、優秀で、頭も良くて、格好良くて尊敬できる、一家の大黒柱。 超が付く程真面目で神経質な人。 それが、義人の父・義昭だ。 「お前は病気なんだ、義人」 義人に義昭がこう言っているのは優しさからだった。 この男なりの不器用な気遣いで、現に今、先程のような冷たく痛い視線ではなくて優しくて呆れた目で義人を見つめている。 自分が思う正しい道に、息子を引き戻そうとしている。 義昭からすれば、それだけの事だった。 「相手の男に洗脳されたんだ」 ただ義人にとってそれは何の気遣いにもなっておらず、また、ただただ自分が愛する藤崎と彼と愛し合っていると言う関係を貶されているに過ぎなかった。 「お前が同性愛者なわけがない。彼女だっていただろう。義人は、相手の男に洗脳されて、そうなってるだけだ。相手の男が悪いんだ。な?義人。大丈夫だ。病院に入ろう。ちゃんと治してもらえば、すぐ元に戻る。普通の人間に」 (普通って、、なに) 爪が食い込んで痛いくらいに、拳を握りしめていた。 「相手の男」と言う言い方も、まるで病人扱いも、「普通の人間に戻る」と言う言い方も何もかもが許せない。 親からしてみればさぞガッカリだろうとは思う。 孫の顔が見たいだとか、その孫を医者にしたいだとか、きっと思っていたに違いない。 なのに自分のたった2人しかいない子供の内の片っ端が、それも長男が、同性愛者だと知ったのだから。 「もうやめよう。そんなヤツ、友達でも何でも無い。もう終わりにしような、義人」 噛み締めた唇から、血が出ているように思える。 鉄の味がしているから。 義昭が伸ばした右手は義人の左肩に乗り、トン、トン、と優しくそこを叩いた。 「お前は同性愛者なんかじゃない。普通の子だよ。お父さんとお母さんの普通の子だ。いいね?大丈夫。病院なんて、少し入って出ればいい。ちゃんとお父さんも、お母さんも。おばあちゃん達だっている。昭一郎だって、お前を嫌いになってなんかいないんだよ。心配してるだ、」 「ぃ、くせに、」 「、、何だ、どうした?」 きっと、この人が正しいんだろう。 義人はそう思ったが、そう思った以上に頭に血が昇ってしまった。 怒りと言う名の熱が湧いて、全身に熱い血を送り、心まで熱して、冷めてくれない。 煩いな。 肩に乗った手を勢い良く払い落とすと、パンッ!と大きな音が鳴った。 「知らないくせに」 「、、、」 もしかしたら、義人が始めから全部間違えていたのかもしれない。 医者を諦めた事も、美大に進んだ事も、男と付き合っている事も。 けれど、相変わらずズレている自分ではもう「普通」が分からなかった。 分からなくて良いと思った。 入山も、遠藤も、滝野も、光緒も、里音も、和久井も、西野も、レオンも、愛生も、大城も、西宮も、そして、菅原だって、彼ら2人を否定しなかった。 離れて会わなくなったものもいるけれど、受け入れ、見守り、たまに口を出して、ずっと関わってくれている人間達がいる。 この2年と少しの間で、義人の中ではそれが「普通」になっていたのだ。 「藤崎を知らないくせに、好き勝手に言うのはやめろッ!!」 怒鳴り返した声は、きっと家の外まで聞こえているだろう。 義人の剣幕に押され、義昭の表情が一瞬だけ怯む。 その父らしからぬ顔に罪悪感なんて抱いていられず、義人は興奮したまま言い返し続けた。 それくらいには、彼の中で「同性愛」と言うものは普通になっていた。 もちろん、人の目は気になるし藤崎と恋人だと言って回る勇気はない。 けれど、愛し合う事自体に違和感はなかった。 家族の中での常識は、もう佐藤義人には通用しなくなっていたのだ。 「お父さんは知らないだろ?アイツだって、俺と付き合う前は普通に女の子と付き合ってた!アイツが俺を洗脳した?!そんなわけないんだよ!!」 少しでも理解されたい。 理解されないのなら、せめてこう言う生き物になったのだと諦めて欲しかった。 義人は必死に藤崎と自分を説明し、お互いに女性が恋愛対象だった事も、自分に少し違和感を抱いていて、大学で彼と出会ってからやっと完全にそれが覆された事も話した。 しかしその必死な思いとは裏腹に、見上げた先の父の視線はまた冷たいものになってしまっていた。 「じゃあ何だって言うんだ。お前は最初から同性愛者だったと、そう言いたいのか!?」 「それは、分からないけど、、でも、俺は男でもなんでも、藤崎と一緒にいたいんだよ!!」 ここまで歯向かったのはいつぶりだろう。 頭の中では、意外と呑気な事を考えている自分がいた。 何より、ここまで反抗するくらいに、藤崎を好きになっている自分。 義人はそれが、誇らしく思えた。 「義人、、」 やっと、落ち着いて諦めた声が聞こえた。 息つく間もなく説明し続けていた義人もやっと息を吐き、睨み上げていた視線と落として自分と父の間にある床を見つめた。 フローリングの溝が見える。 「ごめんね、」 こんな話しをしに来たのではなかったし、父の手をぶつ為に来たのでもなかった。 分かり合えるか分からないけれど、言いたい事は言った。 義人は肩に入った力を抜きながら、そろそろとまた視線を上げ、父親を真っ直ぐ見つめ返した。 もう終わりにしたかった。 人と言い合いになるのは好きではないし、苦手だ。 それに加えて父親ととなると、家族の前というのも重なると、余計に重たくて嫌になる。 もう終わりにしたかった。 「こんなヤツでごめん。でも、俺」 「じゃあお前が悪いんだな」 「、、え?」 ズクン、と。 心臓に何かが刺さった。 (痛い) 痛い。痛いんだ。言葉の刃が、すごく痛い。 「え、、な、に?」 上手く息ができない。 「お父さん、、?」 呆気に取られたような昭一郎の声が随分遠くから聞こえる。 「お前が悪いんだ、義人」 冷たい、なんて言うものじゃない。 その目は何か、汚いものを見ているような目だった。 不快で、嫌そうな顔。 「お前が悪い」 肺が押し潰されそうだ。 うまく酸素が入って来ない。 喉に詰まりそうな何か重たい物がそこにある。 何を言われているのか、理解できないでいた。

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