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第64話「暴走」
藤崎がいないと言う現状は心細いだけでなく、彼の中にあって、いつも藤崎が抑えてきた筈の自己嫌悪や自責を蘇らせてくる。
「ご、め、」
(そうか、俺のせいなんだ)
「な、さ、、ごめ、、ん、」
恐る恐る父を見た。
眼鏡を外して服の袖で涙を拭いているけれど、拭いても拭いてもぼろぼろと泣いている。
「ごめん、なさい、」
頭が痛い。
胸はもっと、もっと痛む。
「違うよ、ごめんな、義人」
義昭の声はあんまりにも優しかった。
「お前をこんなにしてしまって、本当に、ごめんね」
俺のせいで、家族が壊れそうだ。
義人はもう我慢できなくなって、自分の胸元に手を伸ばしてしまった。
グリ、グリ、と藤崎が「やめて」と言った筈の、鎖骨の下辺りを拳で擦る癖が蘇っている。
「、、、」
俺のせいで、藤崎が否定された。
そんな訳はないのに、考え出したら止まらなくなってしまった。
俺のせいで、お母さんが泣いてる。
俺のせいで、お父さんが悲しんでる。
俺のせいで、昭一郎が余計にプレッシャーを感じてる。
俺のせいで、俺が一番そうなってほしくなかった状況になってしまった。
また、否定された。
それは義人にとって何よりも辛く、絶望してしまう程に悲しい事だった。
今までこの両親に育てられ、正しいと思って来た人生が、全部否定されたのだ。
生まれて、愛されて、成長して。
勉強して、学んで、友達ができて。
弟ができて、可愛がって、兄になって。
愛して、一緒に大きくなって、遊んで、楽しくて。
嬉しくて、綺麗で、すごくて、素晴らしくて、そういう、そう言う素晴らしい世界が。
彼が作り上げた世界が、一気に全部、この場で、一言で、壊されてしまった。
『育て方を間違えたんだ』
もう二度と、それだけは言われたくなかったのに。
(何でこんな事になったんだ)
流れ落ちて行く涙が、頬を伝って顎に来て、床に落ちてポタリと言った。
ああ、やっと分かったよ。
どうしてこんなことになったのか。
俺がいけなかったんだ。
(俺が、同性愛者なのがいけなかったんだ)
そこからはもう、責めて、責めて、自分を苦しめて、そうやって罪悪感と向き合う他なかった。
(男を好きになったのが、そもそもの間違いだったんだ)
だって、男なのに、男に恋をした。
認められる訳が無い。
異常なのは俺だ。
藤崎だって、違ったんだ。
アイツはちゃんと、前の彼女が好きで付き合った。
俺は違う。
ただ麻子と一緒にいるのが楽で、別にいいかと付き合った。
多分、好きとは一度も、思わなかった。
藤崎は普通の人間だ。
異常な俺が、どこかでアイツを求めたせいで、アイツが俺に洗脳されたんだ。
なんてことをした。
人ひとりの人生を、無茶苦茶にしてしまったんだ。
なんてことをした。
俺は、なんてことをしたんだ。
人の人生を壊した。
藤崎の幸せな人生を、俺が、壊した。
(俺が、同性愛者だから)
吸い込んだ空気がやたらと冷たいな、と思った。
胸元を擦っているだけだった筈の手が、終いにはそこに爪を立てて掻きむしり始めていた。
「、、ごめんなさい」
怒らないで。
もう、否定しないで。
やめるから、もう、やめるから、、
「ごめんなさい、お父さん、ごめんなさい、、!!」
だからもう、お父さんも、お母さんも、自分を責めないで。
堰を切ったように義人の口からは仕切りに「ごめんなさい」が溢れ出た。
抱え込んでいた罪悪感が破裂してしまった。
そして自己嫌悪が、ガリガリと爪を立てて肌を掻きむしらせている。
「ごめんなさいッ」
全部全部、俺のせいだから。
家族は壊れなくていい。
藤崎を巻き込みたくもない。
「ごめんなさい、ごめんなさいッ!ごめんなさい、ごめ、ごめんなさい!!」
俺のせいで、壊れないで。
大好きな家族だから、壊れないで。
「ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!!ごめんなさい、ごめんなさい!!」
やめる。
もうやめるよ、何もかも。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいッッ!!」
「義人。義人、もういい」
泣いていた義昭すらも、見たことのない義人の姿に目を見開いて、自分を掻きむしって肌を赤くさせている右手を止めようと彼に手を伸ばした。
「ご、ごめんな、さ、、ッ、ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「義人、」
「兄ちゃん、!?」
呼ばないで
「ごめんなさい!!ごめんな、ゲホッ!ん、ご、ごめ、ゲホッゲホッ」
叫び続けているせいか、上手く呼吸ができない。
咳き込みながらも、父親に止められながらも右手は尚も彼自身を傷付けている。
「義人ッ!!もういいから!!ね?よし、」
咲恵の目の前には、最も恐れていた光景があった。
昭一郎が1番避けたいと思っていた光景でもあった。
「ごめんなさい、ゲホッ、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「義人、、?」
お願いだから、名前を呼ばないで。
義人の手が止まらない。
左手が首元もガリガリと掻き始めると、ミミズ腫れして赤い跡が肌についていってしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさいッ!!」
「義人、しっかりして!!義人!」
咲恵が何とか左手を掴むが、凄い力で自分を掻きむしっており、止める事ができない。
「義人、話しを聞きなさい!」
「兄ちゃんッ!!」
呼ばないで。
違う、違う。
違う、違うんだよ、、!!
『義人』
とっくに彼が受け止められるストレスの許容量は過ぎていて、再発してしまった自虐行為を自分で止められる程の余裕は義人には残っていなかった。
彼の脳裏に蘇るのは、相変わらず、彼以外の人間には見せた事もないような、藤崎の優しい笑顔だけだった。
「ゲホッ、ゲホッ、ご、め、ッ、!」
帰りたい。帰りたい。
お前がいるところに帰りたい。
帰って、抱きしめてほしい。
大丈夫だって言ってほしい。
「義人!!」
呼ばないで。
訳が分からなくなる。
お前に呼ばれていた筈のそれが、どこかへ消えて行くんだ。
「ごめんなさい、!」
分かり合おうと努力はした。
言い分もはっきりと伝えた。
それでも分かり合えない。
そして何より、自分が1番悪くて、自分が何もかもやめれば誰も傷付けずに終われるのなら、と、彼は無意識にどこかでそう思い至ってしまったのだった。
「ごめんなさいッ!!ごめんなさいッ!!」
俺のせいなんだ。
ごめん。
お前にまで迷惑かけてた。
いや、多分。
お前が一番、俺の被害者なんだ。
ごめん。
ごめんね、久遠。
「ごめんなさい」
誰も傷付けたくないから。
お前がまともなところに戻れるようにしたいから。
俺、もう、お前を好きでいるの、やめないといけない。
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