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第68話「異変」
義人は藤崎が好きで、触れたくて、求められれば何でもした。
抱かれるのも、キスをされるのも、抱きしめ合うのも全部好きだ。
何をしても彼と一緒なら満たされる。
「、、、」
藤崎も同じ想いなら嬉しいなあ、と思った。
『お前をこんなにしてしまって、本当に、ごめんね』
けれど、やはり父親の言葉が付き纏って来ている。
「何で、全部、、俺、」
何で全部俺のせいなの。
中途半端に寝た頭はここに来て覚醒してしまい、また改めて頭の中では色んなものが駆け巡り始めた。
父親は自分達が、両親が育て方を間違えたから義人が同性愛者になったと言った。
そしてそれに巻き込まれたのが藤崎だと。
(そうだよね、やっぱり、終わらせなきゃ、)
ティッシュで手を拭いてから、義人は脱力し切って目を閉じた。
(終わらせなきゃ)
「同性愛者」を続ければ、両親が壊れてしまう。
何の罪もない弟も巻き込む事になる。
それは、義人にとってあまりにも耐え難いものだった。
藤崎とは別れたくはない。
ずっと一緒にいたい。
騙してでもいいから一生、自分の隣にいて欲しい。
でもそれだとやはり家族が壊れてしまう。
だったら、今ならまだ戻れるかもしれないと思うのだ。
藤崎はかつてはちゃんと女の子を好きになっていた人間なのだから、自分とは違うのだから、義人から手を離せばそっちに戻っていけるのではないかと。
自分がこちらの世界巻き込んでしまったのなら、もう大丈夫だから戻って良いよと言えば良い。
(終わらせる)
藤崎が誰かと幸せになって、義人自身は家族に求められる姿になる。
そしたら誰も傷付かずに、幸せになる筈だ。
世界は順調に回り、皆んな笑顔になる。
そしてこの先一生、義人は誰にも否定されずに生きていける。
(、、藤崎は、誰と幸せになるんだろう)
そこまで考えて急に、ポツ、とそんな疑問が浮かんだ。
(俺じゃない人と、あのマンションで暮らすのかな)
また瞼を開けて、真っ暗な部屋の白い壁を見つめた。
乾いていない、枕に落ちた涙の跡が頬に当たって冷たく感じる。
(俺、じゃ、ないんだ、、藤崎の隣に、いるの)
その恐ろしさを、今、初めて味わった。
(俺じゃない人が藤崎の隣にいる。朝ご飯も、昼も夜も、藤崎はその人と食べるし、休日はその人と出掛ける、、)
何故か、それまで脳裏に浮かんでいた藤崎の顔が消えて行く気がした。
遠ざかって、薄れて行くのだ。
(別れるって、なんだ?どうするんだ?)
嫌な想像が始まってしまった。
藤崎と別れたら、きっと話さなくなって、目も合わさなくなる。
一緒に住めなくなる。
毎朝優しく起こしてくれる声も無い。
いたずらっぽく後ろから抱きしめてくれる腕も、耳元で聞こえる色っぽい声も、安心させてくれる穏やかな笑顔も無くなる。
このままでは大学も諦める事になるだろう。
そうすれば本当に、本当の本当に、目の前から消えて、藤崎がいなくなるのだ。
「ぁ、」
他人になるのだ。
「ッ、!」
見開いた目の目尻から、また涙が溢れた。
「、、っう、、っく、」
吐きそうなくらい、苦しくなった。
胸が痛くて、いっぱいいっぱいで、息がつまる。
ドンッ
と、胸に何かが刺さったみたいだ。
それは鋭くて、胸を貫き、貫通せずずっとそこに刺さったまま居座り、痛みを広げてくる。
「ぃ、やだっ、、!!」
いやだ。
絶対に、嫌だ。
藤崎以外を、義人が好きになれる訳が無い。
藤崎久遠を、好きじゃなくなれる訳が無い。
「いやだ、、どうして、嫌だ」
ああ、この世界が嫌いだ。
どうして優しくしてくれないの。
柔らかい陽射しが窓から射し込む。
朝になった。
(寝れなかった)
結局、義人から連絡が来ない事で不安になった藤崎は一睡もせずに8月14日の朝を迎えていた。
あまり気にしないようにして寝ようとしたのだが、どうにも胸騒ぎが収まらなかったのだ。
「はあー、、」
ゼミ旅行同様、義人がいない朝と言うものは何よりも怠くて面倒に思える。
触れ合う体温も、抱き寄せる腰も、朝一番に奪う唇もない。
もどかしさと不安が胸に広がり、つけっぱなしにしていたテレビ画面の右上を睨む。
午前5時56分。
彼の携帯電話へは夜中も何通もメッセージを送ったが返事はなかった。
既読にもならない。
電話は途中で「電源が入っていないか、」と電子音声が流れるようになってしまった。
多分、電源を切っている。
(明らかに何かあったな)
ずっと座っていたせいで尻が痛んだ。
藤崎は立ち上がって大きく伸びをして、座り込んでいたラグの毛を足でいじり、もさもさと立たせていく。
ソファを背もたれにしていつも2人で映画やテレビ番組を見て笑い合っているその席が、今朝は1人分の体温しかなかった。
(事故だとしたら家族に連絡がいく。保険証とかいつも持ち歩いてるから何かあっても身元はすぐに分かる筈だし、同居してるとは言ってるから多分俺にも連絡がくる。真面目でちゃんとした親御さんて聞いてるから絶対そうだ。でも連絡が来ない。ってことは、)
藤崎は奥歯を噛み締めた。
「実家で何かあったな」
つまりは自分との関係がバレ、男の元に帰るな!とか何とか言われて、大事になっている可能性が高い。
「、、ふざけんな」
もう返してやるつもりはない。
まだ確定したわけではないけれど、義人を取り返す想定で、藤崎は思考回路を回し始めた。
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