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第71話「推測」
里香が麻子と連絡を取ると言ってくれてから、藤崎はやっと胃に何か入れようと思った。
もし住所が分かったら会いに行けるように体力を作らないとまずい。
家事をサボるときに食べる用のカップ麺を、キッチンの頭上の棚からひとつ取る。
肉うどんだった。
「はあー、、」
連絡が取れるか。
住所や電話番号を麻子が知っているかどうか。
色んなものが気がかりで、藤崎の胸はずっと苦しい。
(こんなことならやっぱり一緒にうちに帰れば良かった)
無理矢理にでも自分の実家に連れて行くべきだったと言う後悔ばかりが浮かんでくるのだ。
携帯電話が連絡を受けるたびに「頼む」と思って画面を覗くが、やはり義人からの連絡は一度もなかった。
午後14時。
扇風機を回している部屋の中は、涼しくても息が詰まりそうになる。
だが、昼時を過ぎたあたりから少しずつ眠気にも襲われている。
(義人、、)
彼には自分を責める癖があると、藤崎は良く理解している。
何度やめて欲しいと言っても、もう生きる上で染み付いてしまった彼のその癖はなかなか治らい。
何もなければそれが1番良いが、間違っても自分が悪いと思い込んで何かしてないだろうか、と藤崎は連絡が取れない以外にも不安を抱えていた。
「はあ、、帰ってきて、義人」
ケトルでお湯を沸かしながら、耐え切れなくなってシンクに手を掛けながらキッチンでしゃがみ込んだ。
(会いたい)
せめて声が聞きたい。
「あはは、ごめんごめん。久々に従兄弟が来てて楽しくって、携帯見るの忘れてた!」
頭の中の義人は笑ってそう言った。
そんな事ならいいのに。
藤崎は冷たいシンクをグッと握り、奥歯に力を入れて床を睨んだ。
プルルルルッ
「え、?」
そのとき、リビングのテレビの前のローテーブルに置いたままにしていた携帯電話が震え出し、着信音が鳴った。
電話がかかって来ている。
麻子と連絡がついた里香か、あるいは里香から藤崎の連絡先を聞いた麻子自身からの電話の場合もある。
そして、あるいは、、。
プルルルルッ
藤崎は急いでソファまで戻り、テーブルの上から携帯電話を素早く持ち上げて画面を見た。
[着信中 入山楓]
「あ、」
正直ガクッとした。
「、、もしもし?」
悟られないように作り上げた明るい声で、彼は通話ボタンを押して電話に出る。
相談する気はなかったが、けれど、誰かと話したかったので、良いタイミングではあったかもしれない。
《あ、藤崎?ごめんねー休みのときに。あ、おかえり、沖縄どうだった?》
変わりない彼女の声にふぅ、とバレないように息をついた。
「あはは、楽しかったよ」
《ふーん!》
「どうかしたの?電話」
《、、んん、あのー、佐藤と代わってくれない?》
「え」
思わず動けなくなった。
《え?いや、昨日から電話してんだけど出ないんだよねアイツ。携帯充電忘れてない?それとも水没させた?》
「、、、」
《何回かけてもさあ、この電話はー、ってやつが流れちゃうの。私のことブロックしてないよなアイツ》
「してないしてない。携帯水没しちゃって、今変えに行ってる」
《あー!やっぱりね!あはは、ドンマイじゃん》
電話の向こうの入山はいつも通りだった。
藤崎は回り続ける扇風機の前に移動して太もも辺りに風を当てる。
「、、、」
日常の音がすぐそこにあると安心した。
義人がいない何処か違う世界に迷い込んだかのように錯覚していた感覚が削がれていく。
背中を流れる汗の感触が気持ち悪くて、思わず腕を回し、Tシャツの上からゴシゴシと拭いた。
《で、》
「ん?」
《佐藤は?》
「え?いや、だから、ショップ行ってるから今いない」
《、、、》
「?」
《何でアンタ一緒に行ってないの?》
ドクッ、と嫌な音が胸から響いて来た。
《いつもなら一緒に行くよね。って言うかさ、さっきから何隠してんの?喋り方、キモいんだけど》
ドクッ、ドクッ、と耳の後ろの血管の音が大きくなってくる。
扇風機の風が冷た過ぎて腹が冷えてきているが、藤崎は動けず、ゴク、と喉を鳴らした。
《何かあったんじゃないの?》
「、、、」
《アイツが携帯水没したとかさ、普通ならアンタ、私たちに連絡とかくれるよね、絶対》
たまに自分よりも鋭く人を見ているところがある入山を、藤崎は煩わしく思うときがある。
今はどちらかと言うと、「まずった」と思っていた。
藤崎は義人と2人の問題はできる限り2人の内で解決したいと考えている為、いざこう言う場面になったとき、周りの友人達への頼り方が分からなかった。
黙っていた事を謝るべきか、誤魔化し切って1人で解決するか、それとも。
いや、大体にしてまだ義人が実家で何か問題に巻き込まれていると決まった訳でもないのだ。
「いや、」
《藤崎》
切り替えそうと思ったときにはもう遅く、入山は完全に何かを察してしまっている。
《藤崎、頼ってよ。どうしたの》
藤崎は人に頼らない事を、昔から滝野に怒られて来た。
彼が怒るようになった確実な出来事が藤崎の過去にあったせいだが、やはりいざとなると1人で解決して見せる、と言う気持ちが大きくなってしまう。
それを解きほぐすように、入山は力強い声で聞いてくれた。
「っ、、ごめん、ちょっと、」
そこまで来て初めて、藤崎は今自分がどんなに義人と連絡が取れない事を不安に思い、色んなものを恐れているのかが理解できた。
頼ろう。
そう思った瞬間に、カタカタと手が震え出したのだ。
《藤崎?》
「連絡、取れなくなってて」
《え!?何で、あいつどこにいんの?》
珍しく動揺している藤崎の声に、入山は菅原の事件以来に彼が人間らしく思えていた。
あのときの必死さも、不安そうな声も未だに彼女の中にはちゃんと残っていて、やはり今彼らに何かが起こっていて、それは多分ただ事ではないのだと判断できた。
「昨日の午前中にお互い実家に帰ったんだ。昼過ぎた辺りからまったくメッセ返ってこないし、電話も通じない」
《菅原さんのときみたいじゃん、、何それ》
確かにそうだ。
だから余計に恐ろしく思えるのだろうか。
菅原のときは携帯電話の電波が圏外になる教室まで連れて行かれた義人とまったく連絡がつかず、あのときも藤崎は死んだ心地がした。
ずくずくと蘇ってくる嫌な感覚は内臓を重たくしていく。
気持ちが悪くなってきた。
「俺とのことがバレたんだと思う」
それはまだ推測に過ぎないが、1番可能性が高い推測だった。
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