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第72話「電話」
藤崎は扇風機から離れてソファまで歩み寄り、ボスンッ、と座り込む。
やっと少し緊張が解れた気がした。
《バレたくらいで連絡取れなくなる?普通》
入山は通話口の向こうで何やらガサゴソと動き回っているようだ。
忙しなく歩く音やものを動かす音が聞こえる。
「佐藤くん家ってお父さんがすごい厳しいって聞いたことあるんだ。考え方が、なんて言うか、古いって言うか」
《あー、で、同性愛なんて、みたいな?》
「そう。ほら、医者家系なのに医者になるの諦めてから、めちゃくちゃ気まずいとかも言ってたじゃん。美大入るのも嫌がられたらしいし。だから別れろって説得されてるとかはあり得そうなんだよね」
《んー、それは何となく聞いたことあった気がする。はあ、あり得るのか。ゲイバレが理由で連絡取れなくなるのは。困ったな》
ブィイッ、と彼女がたまに使っているリュックの口が閉められる音が聞こえて来た。
藤崎は携帯電話を持っていない右手で自分の額に触れ、はあ、とため息をついてソファの背もたれに体重をかける。
「うん。で、今、実家の住所と連絡先知ってる人探してみてる。佐藤くんと同じ予備校だった子に、元カノの早乙女さんに連絡取ってもらってるところ。研究室は聞いても教えてくれなかった」
そこまで話して急激に腹が減って来た。
冷静になって来たと言う事だろう。
自分のことに気が回るくらいには心が落ち着いたようだ。
手の震えもおさまっている。
藤崎は大きく深呼吸をして、電源をつけていないテレビの真っ暗な画面を見つめた。
自分の影がぼんやりと写っている。
《明日にでもなれば戻ってくるんじゃないの?》
何をしているのか、入山の方からは玄関のドアを閉めるような、鍵をかけているような音まで聞こえて来た。
「俺だって連絡が取れてたら心配しない。でも、1時間に1回は携帯見るようにしてくれてる人なのに何もないんだよ?」
《んー、あー、そうか。そうだよね》
特に菅原の一件があってからは、義人は藤崎を不安にさせないように努めていた。
それは入山も知っている。
「とりあえず住所と連絡先が分かったら、1回電話してみる」
どうやら入山は外に出たようで、車の走る音が微かに聞こえる。
藤崎はキッチンへ戻って開けておいたカップ麺に沸いたばかりのお湯を注いだ。
《待って、私が電話するよ。いきなりアンタから電話来たらビビんない?私が彼女です〜って言ってどうなってんのか聞くよ》
「、、んん、そっか、その方がいいのかな」
《アイツが嫌がってんならまずはゲイバレ防ぐの最優先でしょ》
「そうか、そうだな、、ハアーー、ごめん。本当に、めちゃくちゃ怖くなってんだ、今」
《藤崎の声聞いてりゃ分かるよ。他に誰かに言った?》
「言ってない」
《言えよ、滝野くんとかに。何でアンタっていつもそうなの?》
「ごめん、ほんとすみません。1人でできると思って、と言うか、1人で、やんなきゃって」
カップ麺の蓋を閉めたところで、またキッチンに佇んで俯いた。
いつもなら隣に義人が居る筈で、いつもならカップ麺がもうひとつある筈なのに、今はそのどちらもない。
「、、、」
追い詰められている藤崎だけがそこにいた。
「一応、皆んなに連絡する。これから」
滝野はきっとまた怒るだろうな、とぼんやり考えたらまたため息が漏れた。
光緒と里音はギャーギャーと文句を言って来そうだ。
あと連絡するとすれば遠藤だが、彼女は「関係ないしなあ〜」と1人だけニヤニヤしながらも協力はしてくれそうだなと思った。
《うん。和久井は課題曲の練習あるから連れてけないけど、とりあえず遠藤連れてアンタの家行くから》
「ありがとう、、正直助かる」
もしこれで麻子も何も知らなかったとしたら、次の手立てを考えねばならない。
そろそろ手詰まりになりそうだった藤崎は快く入山の行動を受け入れた。
《助け合いだからって言ってんでしょ、いつも。30分あれば着くけど、家出ないといけなくなったとかあったらすぐメッセして》
「うん、ありがとう」
《やっと戻ったね》
「え。俺、そんな変な喋り方してた?」
とりあえずそれだけで、通話は終わった。
18時50分。
流石に腹が減って来ていた。
冷たいドアノブに手をかけ、義人はボーッとした様子でそれを下へ押した。
ガチャ
金属音が小さく響くのを聞いてから前に押せば、ドアが開く。
真っ暗な部屋と違い、眩しい廊下の明かりが差し込んで顔を照らした。
「、、、」
無言のまま体を部屋の外に出し、後ろ手にドアを閉めてから、右手に持った携帯電話の感触を確かめて階段に向かい、トン、トン、と体重の落ちて行く音を聞ききつつ下った。
階段を降りればすぐ左側に、リビングへの扉が見える。
「、、、」
また話し合いをするんだろうか。
無言で夕飯だけ食べてまた部屋に戻るんではダメだろうか。
どうしてこう言うとき思ったように行動できないのかと義人は残り一段を残して階段で足を止めた。
昔からそうだ。
どうしても行きたくない日でも、幼稚園や学校を休んだ事がなかった。
だから、藤崎と初めて大学の講義を休んだときは正直興奮した。
休んで、マンションの近くで見つけたジェラート屋に行こうと誘われたのを覚えている。
甘過ぎるものが苦手な2人でもペロリと食べられる程、スッキリした甘さのバニラとチョコのジェラート。
他にもストロベリーや抹茶、バナナオレ味もあったが、同じものを頼んで食べた。
(藤崎がいたら、逃げ出せるのに、)
リビングのドアを見つめてそう思った。
例えそれが他人に迷惑をかけない遊びであっても、義人は真面目過ぎて自分を縛ってしまい、1人だけでは大学の講義をサボったりができない。
そう言うものは藤崎と言う共犯がいて、笑って隣にいて、罪悪感を感じなくて良いと教えてくれるから成り立つのだ。
(逃げたい)
逃げたところでどうなる。
逃げるのはダメな事だ。
結局脳裏にそう浮かんで、彼の腕を掴んで離さない。
やはりリビングに行って、家族からの裁きを受けるしかなかった。
本当は誰にも会いたくない。
でも、腹は減ったし、これ以上親に迷惑もかけられない。
勘当されなかっただけマシなんだ。
その分優しい両親なんだ、と必死に自分を説得し、奮い立たせて階段を降り切った。
リビングのドアのドアノブは金色だ。
それを掴んで、ガチャ、とドアを開けた。
「、、、」
「義人」
キッチンに立っている咲恵に呼ばれてそちらを向けば、昨日と同じような視線とぶち当たる。
可哀想な物を見る目がそこにはあった。
その瞬間に、一気に食欲が失せていく。
「義人」
俯いていた視線を上げると、目の前に父がいた。
わざわざソファから立ってこちらに来たらしい。
「、、、」
「そんな悲しそうな顔をするな。いいか、もう大丈夫だからな」
何が、大丈夫なんだろうか。
義人の中の罪悪感や自己嫌悪は既に限界を超えてしまっている。
ボーッとしている彼を見つめ、義昭は辛そうな表情をしながら彼の肩を両手で掴んだ。
「っ、」
瞬時に心地の悪い緊張が義人の全身を支配した。
大丈夫じゃない。
また胸元を掻きむしりたくなったが、何とか激しくなりそうな呼吸を抑えて父から視線を逸らし、「大丈夫」と自分に言い聞かせる。
(この人達を壊してる、藤崎を壊してる、)
ジェラートの思い出が思い出せなくなった。
そんな訳はないのに、父の腕から嫌なイメージが送り込まれてくるような変な感覚がする。
そうやって、代わりに自分の罪が思い出されてしまって止まらなくなった。
「携帯は持って来たな」
何も言わずに手を前に出して持ってきた携帯電話を義昭に見せると、「うん」と無言に対して返事をした父は腕を掴む力を強めた。
(あったかい、、)
だが、その温かい手がプレッシャーよりも重く感じるのは何故だろうか。
実物だからという訳ではない。
そして何より、何故かその行為で食欲が無くなったどころか、嗚咽が湧きそうになっている。
胸の中、腹から上がって来た何かがぐちゃぐちゃと音をたてているのだ。
「義人」
もう全部やめたい。終わりにしたい。
義人は黙ったまま気怠げに義昭を見上げ、眼鏡の奥のその優しい瞳を見つめ返した。
嘔吐感を抑えながらだ。
視界の端に映るソファにはもう1人、弟が座っている。
いつの間にか、咲恵も隣に来て義人の肩に手を伸ばしていた。
「?」
なんだ。
この、異様な雰囲気は。
「最近の子は、顔を見て言うのが辛いみたいだからな。それに、お前みたいな場合は、もっと気まずいだろうし」
また何処かで「逃げろ」と声がしている。
これが本能だろうか。
しかしもはや力がなく立っているのがやっとの義人の脚では、今から走って玄関に向かっても確実に昭一郎に捕まる。
下手したら咲恵にも捕まるくらい、疲れて、空腹で、身体が怠くて動けないのだ。
「義人、大丈夫だからな。お父さんもお母さんもいるから。昭一郎だっているからな」
「、、、」
何が言いたいのだろう。
とにかく冷静になろうと、昨日のように父が不機嫌でないと言う事を確認して義人は自分を安堵させた。
(怒ってはない)
現状に置ける、唯一の救いだと思った。
「今ここで電話して、藤崎くんと別れなさい」
しかし、考えが甘かった。
「、、え、?」
公開処刑。
そんな気がした。
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