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第74話「情報」

「ホント何してんの、お前ら」 入山に連れられてやってきた遠藤はいつものように藤崎と義人の家のソファにふんぞり返って座ると、呆れと苛立ちを混ぜた声でそう言った。 午後16時半。 いつものメンツが部屋に集まっていた。 「と言うかさ、昨日の時点で何か言えよ」 また、連絡するとすぐに「お前の家に集合な」と言って光緒を引っ張ってきた滝野も遠藤と同じように呆れており、彼の場合はさまざまな想いが混ざって怒ってもいた。 「流石に今日は連絡来ると思ってたんだよ」 滝野を睨み返したのは藤崎だ。 里音は仕事で来る事ができず、「義人が、」と言うとまた騒ぎそうだったので藤崎は彼女へは「いや、皆んなでご飯食べない?って言おうとしただけ」と誤魔化して電話を切った。 里香に頼んだ麻子の件は進展がないのかまったく連絡が来なくなってしまっている。 いつものようにリビングに集まって座っている5人は重たい表情を浮かべ、各々視線を合わせずに俯いていた。 「何か他の手はないのか考えよ。元カノさんが知ってる可能性も低いし」 入山がそう言うと、光緒がソファに預けていた背中を離し、前屈みになってラグの上にいる藤崎を見下ろす。 「何か心当たりねえのか」 最近は荒れる事も少なくなって落ち着き始めた彼は、やっと年相応に見える目付きになった。 前は義人がビビるくらい、機嫌が悪くなると吊り上がってしまって大学生には見えなかったのだ。 「ない。せめて研究室が協力してくれればとは思うけど」 「父さんに頼むか」 「いや、先に俺が聞いちゃってるから怪しまれるだろ。そもそも教授であっても連絡先を教えてくれるか分からない」 入山と滝野がとりあえず落ち着け、と淹れてくれたコーヒーを飲みながら、通夜のような雰囲気でもんもんと5人は思考を巡らせている。 「通ってた高校とかは分かる?そこから探せないかな」 「幡地原(はたちはら)高校、だっかたかな」 「は?クソ頭いいとこじゃん」 都立幡地原高等学校。 義人の出身高校で偏差値も倍率も都立の中では1番高い学校だった。 それは普段、義人自身が高校のことを特に口にせず話題も避ける傾向にある為、藤崎くらいしか知らない情報であった。 入山の驚きように、偏差値うんぬんかんぬんを全く気にすることなく高校を選んでいた光緒と遠藤は「ふーん」と思うくらいだったが、滝野は程々には分かる為、思い切り引いた顔をしている。 「え、なのに、アイツのお父さんはそこでもダメだって怒ったの?」 入山の眉間には見たこともないくらいに深く大きい皺が寄っていた。 義人の父親は厳しくて、第1志望校を勝手に決めたうえに受験で失敗した彼に冷たくあたった。 遠藤や光緒は知らないだろうと藤崎はそれだけ軽く説明しておく。 「第1志望は国立尾上野(こくりつおがみの)だったんだって」 「ハア?尾上野って幡地原と偏差値変わんないじゃん」 「でもそこじゃないとダメだったんだって。佐藤くんの弟は結局そこ合格して通ったし、今は従姉妹が行ってるらしくて、親戚の集まりに行くのも嫌がってた。お父さんにまた何か言われるって」 「うわあ、」 「あいつからは想像できない親父だな」 珍しく光緒がそう言った。 大体いつも無表情か少し眉間に皺を寄せた顔をしているのだが、今は不機嫌とかそう言う話しではなく、快くないな、と顔を歪ませている。 彼なりに、少ない友人の中でも、怖がりながらも自分と関わり、焦らず段々と心を開くのを待ってくれた義人と言う存在は気に入っている。 藤崎が実家に帰っていたり用事があっていないとき、たまに2人で、あるいは滝野を入れて3人で食事をしに行ったりしていた程だ。 「本当に、何が良くて自分の息子いじめるんだろ」 藤崎はローテーブルに肘をつき、両手で顔を覆って深くため息をついた。 彼の家は昔から全員仲が良く、教育方針もあって両親も友達のように子供である彼と里音に接してきた。 勿論今は至恩に対してもそうしているし、藤崎と里音も末の妹を溺愛している。 そんな両親から自由に生きろ、と教えられて来た彼からすれば、自分を縛り、時たまに自責が過ぎる義人は痛々しく見えるときが多く、そして何故そこまで自信がなくて自分を卑下するのかも分からなかった。 もっと自分を大事にして欲しい。 そう思いながら隣にいた事もあり、たまに溢すようになった義人の過去や家族の話しを聞けるようになった。 そして、どうしてそこまで反省し過ぎたり自分を痛めつけたりするのかが、何となく分かって来たところだった。 「、、会いたい」 弱音だ。 ハッとしたような顔で滝野は藤崎を見つめた。 プライドが高い藤崎にとっては、こうやって今いるメンバーに頼る事にも負担がある。 それなのに隠す事も誤魔化す事もなく「辛い」「堪えられない」と彼が示すのは相当弱っている証拠だった。 「久遠、」 「何で一緒に俺の実家に帰らなかったんだろ。無理矢理連れて行けばよかった」 「、、、」 後悔は今は何の役にも立たないが、そればかりが悔やまれるのだ。 送り出すべきではなかった、と。 人が来たからと寝室のドアを開けてクーラーの電源を入れ、冷房をつけ、リビングでは扇風機の風を1番強くして回している。 人が黙っても家の中は無音ではない。 ただ、いつものようにワイワイガヤガヤとうるさい人の声がないのは、義人がいない事を浮き彫りにするようでどこか心地が悪かった。 そのときだった。 プルルルルッ 「え、!?」 「電話!!だれ!?」 ローテーブルには携帯電話が3つ並んでいる。 入山、滝野、そして藤崎のものだ。 プルルルルッ プルルルルッ 「俺だ」 鳴っているのは藤崎の携帯電話で、彼は急いで機体を持ち上げ、通話ボタンを押した。 「里香ちゃん、?」 画面に表示されていたのは「RIKA」と言う文字で、即座に、麻子と連絡が取れたのだと藤崎は焦る気持ちを抑えて優しい声でそう聞いた。 「久遠、スピーカーにしろ!」 滝野が小声になってない小声でそう言うと、藤崎は画面に触れて通話をスピーカーモードに切り替える。 微かに手が震えていた。 頼む、と心の中で何度も唱える。 《あ、ん?あれ?藤崎くん?》 「うん、ごめん、聞こえてるよ」 先程と同じ高い声で、里香は楽しそうに「おー!」と言う。 外を歩いているのか、ザ、ザ、と砂利を踏むような音も一緒に聞こえて来た。 そしてそれが、2人分ある事も、すぐに気が付いた。 「?」 誰といるのだろうか。 《あっ、実は今ねー、もう1人いるよ〜》 「え?」 《、、藤崎くん?》 「、、早乙女さん?」 もうひとつの足音は早乙女麻子のものだった。 実に1年と少しぶりに聞く声だったが、何回か話した彼女の声は藤崎の中にぎりぎり残っていて、すぐに分かった。 《久しぶり》 相変わらず落ち着いた、凛と響く声だ。 藤崎と付き合う前の義人が選んだ元恋人は、義人と里香と同じ美術予備校に通っていた同学年の生徒で、大学1年のとき、藤崎も少し関わっている。 「久しぶり。里香ちゃんから佐藤くんのこと聞いてくれた?」 《うん、聞いたよ》 部屋の中の全員の期待が高まっていた。 藤崎は1番、ドクンドクンとうるさく心臓を鼓動させている。 受験の合否確認よりも、通知表を見るときよりも、課題作品の発表するよりも緊張した状況だ。 ふんぞり返っていた遠藤も落ち着かなくなったのか、ソファから降りてラグの上に座り、両手でラグの毛を掴んだ。 《住所は分からないんだけど、義人の家なら行ったことあるよ》 「!」 来た、良かった!! 藤崎の顔色が明るくなる。 《ただね、行ったことはあるし外観も覚えてるんだけど、道が分からなくて、、》 「えっ、?」 そしてその言葉を聞いた瞬間に、その場の全員が肩を落としてしまった。 《ごめんね。最寄駅から家が遠いから、遊びに行くといつも義人のお母さんに車で送り迎えしてもらってたの》 「あー、そっか。遠いんだね、、仕方ない」 藤崎は必死に平静を装って声を絞り出して話す。 ここで黙っても、パニックになっても意味はないし、協力してくれた里香にも申し訳がないからだ。 しかし、完全に行き詰まった。 研究室の道も断たれ、同じ予備校の友達も、義人の元恋人も彼の実家の住所や電話番号を知らない。 先程入山が言っていた出身高校の件は、きっと同級生になりすまして高校に直接義人の住所と電話番号を聞けという事だろうが、それにしても研究室さえ個人情報の公開を拒絶したのだ。 高校だってダメだろう。 「、、、」 手詰まりだ。 《あ、でね、藤崎くん?》 「ん、ごめんごめん」 《義人が予備校で仲良かったメンバーの中に、同じ中学だった子がいるんだよね》 「え、」 再び道が開けたのは、彼女のそんな言葉からだった。 「誰か分かる?連絡先とかって、」 《あ、ごめんそれは分からない。と言うか聞けなくて、、》 「?」 喋りにくそうな麻子の声は初めて聞いた。 義人と一緒にいたときの彼女は随分イライラしていて冷たそうに見えていたのに、今は何か落ち着いて人間味がある。 前よりかは好感が持てるな、と藤崎は上から目線でそう思った。 《んーと、藤崎くんて、静美の写真科に友達いる?》 全員の視線が滝野に集まった。 「、、俺?」 また小声が出来ていない。 どうしてこうコソコソ話しができない男なのだろうか。 この場にいる静海美術大学の写真科となれば、滝野以外にはおらず、また写真科の知り合いは滝野以外にはいない。 「いるけど」 藤崎は滝野を見ながら麻子に応えた。 《あ、じゃあ何とかなるかな》 「どういうこと?」 期待を持たせるような言い方だが、義人の予備校時代の友人が写真科にいると言うのだろうか。 《あのね、写真科に西宮恭次って言う奴がいる筈だから、その人に聞いてみて。私も里香も知ってる子なんだけど、苦手と言うか、色々あって連絡先持ってないし、話せないの》 西宮恭次(にしみやきょうじ)。 スピーカーからその名前が聞こえた瞬間に、滝野がグシャッと表情を歪めるのが見えた。 「?」 《多分、男の子ならまだ大丈夫だと思うから》 全員が滝野を見つめ、無意味な顔芸を始めたのかと冷たい視線を送った。

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