75 / 136

第75話「異常」

「にしみやきょうじくん?」 不審に思った藤崎が麻子にそう聞き返した。 マンションの近くの木に蝉が止まったらしく、ジージーとうるさい音が窓の外からしている。 《うん。中学のとき何回も義人の家行ってたって話してたから、多分覚えてると思う》 有力な情報だ。 ただし、滝野の変顔が元に戻らない。 何か不穏な匂いがすると予感しつつも、藤崎はもうこれしか頼るものがないのだと決意して、左手に持った携帯電話の画面の通話終了ボタンに親指をかざす。 「分かった。色々ありがとう。里香ちゃんもありがとう」 《はーい!》 「また何かあったら頼らせて」 《どんとこーい!あと、義人と連絡ついたら教えて?心配だから》 「うん、分かった。本当にありがとう。じゃあバイバイ」 ポチ、と軽く画面に触れると、力を入れて3人の会話を聞いていた面々は「はあー」「ふう」とか言いながら脱力する。 そして一瞬のリラックスタイムの後、一斉に滝野を見た。 「滝野」 藤崎の声は低く、真剣で、そして何故か少し苛立っている。 「うい、、」 馬鹿みたいな声で返事が来た。 「その顔は分かるんだよな?にしみやくんて人のこと」 「分かると言うか、、大城教授の会社、REAL STYLEの共同経営者の西宮さんの息子だよ」 「あ?」 「え」 ソファの上から滝野を見ていた光緒が身を乗り出し、藤崎もローテーブルに身を乗り出して首を傾げる。 「菅原さんのことがあった後に知ったんだって。西宮さんが、僕の息子知ってるー?って」 光緒の父親、大城吉春は確かにアパレルブランド「REAL STYLE」の代表取締役の内の1人で、共同経営者には西宮孝臣と言う男がいる。 あの、菅原の父親代わりをしていると言っていた、背が高く穏やかな物腰の人物だ。 菅原との一件の後、一度だけ会社に出向いて会った事がある。 「でも、全然知らなかったわ。まさか西宮くんが義人の友達だったとは」 「連絡取れるか?」 「いや、うーーーん、、」 「何だよ。おい」 勿体ぶっている訳ではないのだが、焦っている藤崎からするとそんな間も鬱陶しく思えた。 滝野は真剣に困った顔をしていて、腕を組んで少し考え込む。 何か、深刻そうだった。 「取れる、と、思う。もしダメでも隣の駅住んでっから乗り込める」 「よし、」 「ただ!!」 「あ?」 滝野は「電話をかけろ」と言おうとした藤崎の顔を指差し、下から覗き込むように強く睨んだ。 「電話はしてみるけ、ど!!ちょっと手強いからしばらく黙っててくれ」 「、、手強い?」 「何があっても口挟まない。久遠、お前、約束できる?」 そんなにも捻くれた男なのだろうか。 ローテーブルの上の自分の携帯電話を持ち上げ、おそらく「西宮恭次」の連絡先を探しているのだろう滝野を見つめ、藤崎の眉間には皺が寄った。 「約束できるけど、、何で」 「いいから口挟むなよ。いいな?」 「だから、何でだよ」 連絡先を見つけたのか、滝野は画面を何度かタップすると、携帯電話をローテーブルに置いた。 画面は上を向いていて、確かにそれは通話ボタンを押せば電話がかかる状態にはなっている。 しかし、表示されているのは「西宮恭次」ではなく、「前田」と言う名前だった。 「前田、、?」 「通称サイコパス・前田な。いいか?口挟むなよ。向こうに聞こえたらアウトだから。特に女子2人。絶対声出さないで」 「え?うちらも?」 「皆んな!」 「何で?」 「頼む、いいから、後で説明するから急いでるなら声出すなよ」 「、、分かった」 念を押してくる滝野に全員が頷くと、彼は「前田」への通話発信ボタンを押した。 プルルルルッ、と今日何度目かの音が部屋に響く。 スピーカーモードにしてくれているのは、藤崎を不安にさせてこれ以上負担を増やさないようにする為の配慮だろう。 入山と遠藤は身を寄せ合い、口を手で覆って顔を見合わせ首を傾げる。 滝野以外はこの特異な状況に納得出来ていなかった。 プルルルルッ プル、 《、、、はい?》 死ぬ程不機嫌そうな男の声が聞こえた。 「あ、前田?お疲れ〜、滝野だけど」 《はあ、で、何でしょうか》 口調こそは丁寧なものの、前田なる人物は低く冷たい声で喋る。 藤崎は2人の会話を聞きつつも、口を挟まないようにゆっくりとソファに上がり、光緒の隣に音を立てないように座った。 「いやあ、あのさあ、ちょっと聞きたいことあるから、西宮くんと話したいんだけど、電話していい?」 「?」 何故わざわざそんな許可を「前田」と言う人間に聞くのか。 滝野以外は頭の上にたくさんの「?」マークを浮かべている。 いつもよりも数倍気を遣って話しているように聞こえるが、「前田」の方が敬語を使っているなら、立場は滝野の方が上の筈ではないのか。 《用件言って下さい》 「うーんと。長くなっていい?」 《手短にお願いします。先輩といるんで》 「お前さあ、、まあいいや」 滝野がふう、と息をつく。 「俺の友達に佐藤義人って奴がいて、色々あってそいつと今連絡取れなくなってて、まあ、行方不明なんだよね。多分実家にいるんだけど、そっから連れ戻さないといけないんだわ。で、そいつと西宮くん、中学一緒で仲良かったらしいんだ。だから西宮くんに家の場所知ってるか聞きたい」 《、、、》 「頼むよ前田。西宮くんと電話させて。どうせお前が持ってんだろ、西宮くんの携帯」 だから、何故? 他の全員がぽかんとする仲、滝野は至って真剣に前田と会話をする。 《、、分かりました、いいです、》 ガチャッ 「ねえーー!!皆んないるー!?」 はた、とその声が部屋に響き渡った。 電話の向こうではない。 藤崎と義人の家の玄関から、聞き覚えしかない声がしたのだ。 「え、」 「え?里音ちゃん?」 瞬間、滝野が口を開けた。 「ッ、バカ、!!」 《、、滝野さん、女といます?》 「ちが、違う違う違う!!隣の部屋!隣の部屋の人!!」 《嘘ですよね?今女の声しましたよね?聞こえましたよ?》 「前田頼む!!頼むよ、あいつ本当に行方不明で、ッ」 ドタドタと部屋に入ってきた人物が姿を見せる。 白いジーンズ地の短パンから色白で長い脚をサラリと伸ばした女の子。 やはり、藤崎里音、その人だった。 「あれ?どしたの?ご飯行かないの?」 「りい静かに、!」 「へ?」 藤崎が彼女の口を塞ぐため、ソファから立ち上がってテーブルを回り込んで近づいて行く。 入山や遠藤達も「シーッ!」と唇の前に指を立てた。 《滝野さん、アンタ、先輩に女近づけようとしたなッ!?》 だが遅かった。 次の瞬間、我を失ったかのように電話の向こうで前田が声を荒げる。 藤崎が里音を部屋から遠ざけて寝室に引き込んだが、もう既に、向こうには同じ部屋に女の子がいるのだとバレてしまっていた。 《そうやってどいつもこいつも俺を騙して!!どうせ先輩を合コンに連れてこうとしてたんだろ!?》 「ちげーわ!!」 荒ぶる前田に滝野が聞き返す。 冷静でない以上、ちゃんと聞こえているかが分からない。 「してねーよバカかお前!!こっちは真剣に、」 《金輪際アンタは先輩に近付かせない!!ブラックリスト入りだ!!》 「ちょっと待てちょっと待てって!!前田!!」 スピーカーモードだろうとそうじゃなかろうと、先程の里音の声は電話の通して向こうに聞こえてしまっていただろう。 慌てる滝野の様子を見て、藤崎は居てもたってもいられず、里音を寝室に残してリビングに戻ってくる。 「ま、前田くん!」 「あ、ちょ、久遠だめ、!」 義人に会いたい。見つけたい。連れ戻したい。 その想いが勝ってしまい、禁止されていた事も忘れて藤崎は咄嗟に携帯電話へ叫んでしまった。 「前田くんお願いします、俺たちの友達が本当に行方不明で、」 《うわぁああ!!!誰だアンタ!!ックソ、クソクソクソ!!滝野さんの馬鹿たれ!!アンタだけは信用していいと思ってたのに!!》 「待てって前田!!これ俺の友達だから!!なあ!!」 《写真科も全員ブラックリスト入りだ!!》 「ハアッ!?おい!!」 ブツッ 「へっ、」 けたたましく通話終了の音がした。 部屋はシン、と静まり返り、寝室のドアを開けて、事態をまったく把握していない里音が恐る恐るリビングに入ってくる。 全員が呆気に取られており、光緒ですら吊り上がった目をパチパチさせて滝野を見ている。 藤崎と滝野は顔を見合わせたまま固まっていた。 「うそ、」 「なに、、どうなった?滝野」 藤崎の心臓は壊れそうだった。 だが事態を半分も把握できていない。 「クッソ!!、はあーー、、あれは前田って言って、西宮くんの恋人なんだよ」 「はあ?」 義人と藤崎ではないゲイカップルの突然の登場に、遠藤が間抜けな声をあげる。 里音は入山に隣に来いと手招きされ、「私何かした、、?」と泣きそうになっている彼女を入山が抱き締めて、悪くないよと声を掛ける。 実際、里音は悪くはない。 前田がひたすらに異常なのだ。 「言ったでしょ、通称サイコパス・前田なの。写真科の1個下の後輩で、西宮くんの彼氏で、束縛系って言うか、西宮くん命で西宮くんのことずっとストーカーしてるような奴で、とにかく西宮くんのこと何でも管理してんの。だから西宮くんの携帯電話も普段から前田が持ってて、あいつに許可取らないと電話できないんだよ、、」 「何それ、キモぉ、、」 「分かる。ホントそれは分かる」 入山は「うげえ」と舌を出して眉間に皺を寄せた。 とりあえず藤崎は焦る事をやめ、自分を落ち着かせながら滝野の隣に座り込む。 通話が終わってしまった携帯電話を持ち上げて、滝野は大きくため息をついた。 「西宮くんは真面目だしめちゃくちゃ良い人なんだけど、アイツがやっかい過ぎるんだ。西宮くんに女の子近付かせたくなくて写真科の女子に嫌がらせしたりとか、男はギリギリ連絡先聞けるんだけど、通話するならあいつの許可がいるし、面倒なんだよとにかく」 「やべえじゃん、、」 「そう。女子といる男が西宮くんに近づくのも嫌がってんの。1回騙されて合コンに連れてかれたとかで」 「おわぁあ、、」 もはや入山に至っては引き過ぎて顎の下に変な皺が寄っている。 「まあもう、んなこと言ってる場合でもないな。義人のことがかかってる。とにかく1番家の場所知ってる可能性が高い西宮くんに会わないと」 「えーと」と滝野は携帯電話を一旦テーブルの上に戻し、肩に入った力を抜いて暫し考えた。 「交渉決裂ってことか。西宮くんの番号にかけてもダメってこと?」 「ダメ。絶対出てくれない」 滝野の答えに藤崎はグッと不安になるのを堪えた。 いちいち戸惑っている場合ではない。 少しでも早く義人に会う為に、何としてでも西宮と話さなければならないのだ。 「だから、」 パンッ、と右手の拳を勢いよく、正座した太ももの上に叩きつける滝野。 俯いていた顔を上げ、彼は真っ直ぐ藤崎を見つめた。 「直接、西宮くんの家に行こう。西宮くんが前田を押し切ってくれれば会える可能性がある」 滝野以外は知らないが、前田は身長185センチ程で藤崎よりも大きく、一見するとスラッとした好青年だが中身は筋トレマニアで西宮に手を出す奴をどんな手を使ってでも再起不能に陥れるような男だ。 だからこそ、写真科では入学して1週間で「サイコパス・前田」と呼び名がついた。 大体、静海美術大学の写真科に来たのも西宮がいるからで、彼は完全に人生を西宮のストーキング行為に捧げている異常者なのだ。 それに立ち向かわなければならないのだと、滝野だけはグッと唾を飲み込み、気合を入れてマンションを出た。

ともだちにシェアしよう!