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第78話「過去」

「じゃあ、私と光緒でスーツ取ってくるね」 「りい、ごめん」 「もお、、くう!私だって義人に会いたい!だから頑張ろ!!」 「、、うん」 気弱げに微笑む藤崎を見てから里音と光緒はパタリと目を合わせ、その後、里音はバッと両手を広げて彼を抱き締めた。 「絶対大丈夫だよ」 「うん、わかってる」 「パパとママには、義人のこと、本当に言っていい?」 「嘘ついても見抜かれるから、お願い」 「分かった」 玄関で里音と抱きしめ合うと、藤崎はトントン、と背中を叩かれて少し力が抜けた。 入山の提案もあり、せめて身なりを整えてから義人の家に行こうと言う話しになってから、里音と光緒は急いで藤崎の実家に行き、彼のスーツを取ってくる係りになってくれた。 「今が、、6時40分か。里音ちゃん達が行って帰って来たら9時近いね」 「身なり気にして時間気にしないのもどーなの」 遠藤はため息混じりそう言って藤崎を見上げた。 「久遠、行くの明日にしないか」 「、、迷惑になるのは分かってる。けど、」 玄関で2人を見送りリビングに戻って来た藤崎に滝野が提案したのだが、彼は俯いて奥歯を噛み締め、どうしても納得できないと言う顔をしていた。 藤崎からすれば一刻も早く、と言う思いがある。 義人が自分を責める人間だと1番分かっているからこそ、心配で堪らないのだ。 「滝野くんに賛成」 そう言ってヒョイ、と手を挙げたのはやはり恭次だった。 「、、、」 ラグに座ったままの入山、遠藤、滝野も恭次を。 そしてソファの横に突っ立ったままの藤崎も彼を見た。 無論、恭次はずっと手元の携帯電話の画面を見ている。 「、、、」 「明日にした方がいいよ、藤崎くん。義人の親父さんなら門前払いあり得るから」 「、、分かった」 藤崎の答えに残っている3人はホッとした。 彼らしくない焦りように滝野達はずっと気を張っていたのだ。 遠藤は光緒と里音に「ゆっくりで大丈夫。髪のこともあるから明日の午前中に行くことになると思う」と連絡を入れてくれた。 「、、西宮くんは、佐藤くんの家族のこと知ってるんだね」 藤崎はラグの上に戻り、また滝野の隣に座った。 何だかとてつもなく疲れた気がする。 実際、ちゃんと眠っていもいないしあまり食事をきちんと取ってもいないのに動き回ったツケが段々と身体に不調をきたしていた。 「弟と遊んだこともあるし、お母さんの方は家に遊びに行くと話しかけてくれたからね」 「そっか、」 藤崎からすれば、義人の家族は未知だった。 弟の昭一郎は医大生で人懐っこいことくらいは知っているが、両親についてはほぼ何も知らない。 居心地の悪そうな雰囲気を察してか、一瞬だけ藤崎の顔を見た恭次は、フッと小さく笑ってから口を開いた。 「まず藤崎くんと義人が付き合ってるのが驚きだったな」 「ふはっ、だよなあ」 恭次が静かに話し出し、それを聞いて滝野も面白そうに笑う。 恭次は話しながらも、尚も視線は動かさず、携帯電話の画面に集中している。 恐らく彼が義人の家に行っていたのは中学までで、およそ6年前の記憶を呼び覚ますのは中々だろう。 時間がかかっても仕方がない。 前田によって配られた麦茶は多かったり少なかったり溢れそうだったりとめちゃくちゃで、藤崎以外の3人は顔を見合わせて苦笑した。 「そうだよね」 「はたから見ればそうだろうな」と藤崎も納得して頷いた。 「義人の家、本当に厳しいからさ。大学で再会したときもきっと義人は受け入れられないだろうなあって、俺とコイツの、、あ。前田と俺のことは知ってるんだよね?」 「うん。滝野に聞いた」 「ん。俺とこいつのことを話しても、アイツは許容できないだろうなって黙ってたんだ」 「うん、何となく分かる」 一度目の告白を藤崎は義人に断られている。 そして付き合ってからもずっと、男同士での恋愛関係が周りに知れる事を彼は怖がっていた。 だからこそ、藤崎は恭次が言わんとしている事は理解できた。 むしろ、義人が自分は藤崎を好きだと認めて付き合ってくれた事が奇跡に近いと言うのも分かっている。 もっともっと親からの干渉が激しく繊細な人間だったなら、藤崎が一度告白した時点でもう彼には二度と近づいて来なかっただろう。 「いつから?」 麦茶を配り終えてからキッチンで別のピッチャーに麦茶の茶葉パックを入れて水を注ぎ、蓋をして冷蔵庫に入れるまでをやり終えた前田が戻ってくる。 無言のまま恭次の隣に座ると、話す彼を見つめ、また体育座りをした。 「1年の初め頃から、ずっと」 藤崎は懐かしむように穏やかな表情をして言った。 ずっとグルグルと休めることのなかった脳内が、ここに来てやっと少しの休息を迎えたのだ。 眠っていなかった彼からすれば、後もう少しで体力の限界が来ていた。 やはり、義人の家に行くなら明日にしよう。 このまま行っても醜態を晒すだけで、きっと義人の両親に自分がどんなに真剣に彼と付き合っているのかなんて伝えられない。 ギリギリになっていたんだ、と気が付いた藤崎は、ハア、と息をついた。 (やっと少し落ち着いたな) 遠藤はそんな彼を冷静に見ながらぼんやりとそんな事を思った。 滝野も、入山も、やっと動かなくなった藤崎を見て知らず知らず脱力している。 遠藤はいつものメンバーの中では冷たくも1番客観視と言うものができる人間だ。 いくら義人がまずい状況だからと言って走り過ぎていた藤崎を止めようと、先程のように「時間も考えたら」と言ってくれていたのだ。 それくらいに、全員が自覚しているが全員が力を入れて行動し過ぎていた。 「ホントびっくりだな。あいつ俺より頭固いのに」 「あはは。まあ、頭は固いかな、確かに」 急ぐ必要のなくなった藤崎は、ラグの上に置かれたお盆に乗った誰も口をつけていない麦茶の入ったグラスを手に取った。 氷が溶けて、カロン、と軽い音を立てる。 汗をかいたグラスを持ち上げると、ぽたん、と盆の上に水滴が落ちた。 「本当に、協力してくれてありがとう。研究室も早乙女さんもダメで、西宮くんが最後の頼みの綱だったから、助かった」 入山、滝野、遠藤は3人で各々の携帯電話の画面を見ながら里音、光緒と連絡を取り合っているようだ。 何か話している。 入山に関しては、多分和久井とメッセージのやりとりをしているが。 「んー、まあ、協力って言うか、俺もあいつがまた変になるの見たくないから」 「、、変になる?」 その言葉には藤崎だけでなく、話していた3人も恭次の方を向いた。 記憶が曖昧になったのか、彼の手はマップのどこかで止まっている。 暫し考えてから先に孝臣に連絡しようと思い立ち、連絡アプリから「親父」を探してメッセージのやりとりの画面を開いた。 「、、あいつ、高校受験失敗した辺りから変になっちゃった時期あるんだ」 「変になった」とは何だろうか。 藤崎は麦茶をグラスの半分ほどまで飲むと、コトン、と静かに盆の上に戻す。 訝しげな表情をしているが、恭次はずっと携帯電話を見ていてそれには気が付かなかった。 「過呼吸になったり、このへん掻くくせもそのあたりから始まってさ。よくガリガリやってない?」 藤崎の顔は見ずに恭次は鎖骨の辺りを掻きむしるような仕草をする。 その動きには確かに見覚えがあった。 「前までやってた。俺がやめさせた。痛そうで見てられなかったから」 「あー、分かる。痛そうだよね」 中学のときから既にあの癖は存在していたのか、と藤崎の胸はグッと苦しさを取り戻してしまった。 義人のその癖は、うまくいかない事があったり、自分が何か悪い事をしてしまったと思ったときに出るもので、ほぼほぼ自虐に近いように見えていた。 だからこそ藤崎はそれをやめさせて、「自分を大切にして」と言って来たのだ。 「俺と義人、中1からずっと同じクラスでね。仲良かったんだけど、受験の手前で全然遊ばなくなったんだ」 「ん、何で、?」 「あー、、あいつの家行ったときたまたま親父さんがいたときがあって、俺と他にも2人友達が来てたのに、目の前で義人の数学のテストの点数が悪いって怒りだして、マジな説教始まって死ぬ程怖かったんだよね」 孝臣への連絡が終わった恭次は気を取り直してもう一度マップアプリを開く。 先程と同じ道で止まったままだったが、義人の話をし始めて少し景色を思い出して来た。 よくみんなでジュースを買いに行ったコンビニが近くにあった筈だ、と。

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