79 / 136

第79話「焦燥」

「俺って自分の親父に怒られたことなくてさ。あ、知ってんだっけ?西宮孝臣」 「うん、1回会った」 「そっか、そうだよね。滝野くんが言ってた有紀さんの件が、義人のことだったんだもんな」 「うん、」 藤崎は携帯電話を見つめている恭次の方を向いている。 部屋の中は強過ぎるくらいに冷房が効いていて涼しく、駅から歩いて来た汗はすぐに乾いた。 いじけたように前田は黙って縮こまり、これ以上恭次に怒られないよう、嫌われないようにと空気になる事に徹している。 ただデカいので、やはり完全に存在を忘れると言うのには無理があった。 どうしても全員の視界に入ってくる。 「あ。気にしないでね?有紀さんが悪いから」 「あ、うん?」 「あの人は道踏み外して怒られないと、ダメなことだって頭に入らないんだよ。何でかね。いつもは頭良くて格好良いのに」 孝臣と光緒は顔見知りなのに恭次と光緒は会った事がなかった時点で何となく察してはいたが、どうにも恭次と孝臣の間には何か複雑なものがありそうだと藤崎は思った。 それは滝野も感じている。 滝野自身、光緒に付き合ってREAL STYLEの表参道のオフィスには何度か行っているが、やはり恭次の存在は知らなかった。 恭次が孝臣の息子だと言うのは菅原の事件の後、孝臣本人から聞いた。 孝臣自身が恭次に遠慮して彼の話しをしないと言うのもある。 だからか、菅原に対しても何らか割り切った考えを持っているのか、恭次は菅原が大学を辞めた事に関しては「自業自得。責任を取るべき」と、どこか愛しそうに話しながらもそれ以上は何も言わなかった。 「まあ、それは置いといて」 (置いとくんだ) 再び携帯電話の画面を忙しく触り出した恭次を眺め、藤崎は「うん」と相槌しておいた。 「自分の親父に怒られたことないのもあってか、義人の親父さん怖すぎてさ」 そうだ、その話しをしていたのだ。 「俺も友達も中学生なのに、義人が怒られてるの見て大泣きしちゃってさ。それから義人、変に遠慮して遊び誘っても全然来なくなったし、家に誰も呼ばなくなったんだ」 「、、何となく分かる。佐藤くんが何考えたか」 「うん、俺も」 義人がどうして人を遠巻きにしてきたのか。 藤崎達と違って小、中、高と仲の良い友達がどうしていないのか。 それを何となく、その場に残った3人は理解してしまった。 「受験終わりに第1志望校落ちたって聞いてから、あいつしばらく学校来なくなって、やっと来たと思ったらさ、ここ」 恭次は右耳より上の後頭部寄りの部分を指差した。 「この辺がね、ハゲてんの」 その瞬間、流石の藤崎も何かとんでもないものが肩に乗っかったように身体が重たくなった。 「えっ?」 声を出したのは入山で、滝野も彼らしくない眉間に深い皺を寄せた表情をしている。 「髪の毛捲らないと分からないんだけど、10円ハゲできてんの。中学生がだよ?あー、本当にヤバいんだ、って思った。アレ見て」 それだけ言うとまたマップをグイグイと動かしている。 18時50分になった。 「高校離れて、予備校で再会したときも、死のうとしてないよな?って初っ端に聞いた」 ここまでだとは思っていなかった藤崎は、義人が抱える彼の家庭の重たさにやはり焦りをぶり返してしまった。 大丈夫だろうか。 中学生にそんなにも重圧をかける家に、きっと今閉じ込められていると言うのに。 (大丈夫、、焦っても仕方ない。明日絶対に) 絶対に連れ戻す。 バクンバクンと五月蝿くなってきていた胸を落ち着かせるように、藤崎は残りの麦茶を喉に流し込んだ。 確かに、ここで1人で焦燥に駆られていてもどうにもならない。 義人を想う気持ちは抑えられないにしても、余計な事をしてはいけない。 今義人自身がどう言う心境でどう言う環境にいるのかは分からないが、ここで藤崎自身がしっかり立って、もし彼が何かに囚われて沈んでしまっていたとしてらその腕を強く引けるようでないといけない。 ふう、とゆっくりと胸の中の嫌なものを外へ吐き出した。 「ハゲは治ってたけど、中学のときより高校のあいつは鬱っぽくなってて、暗くて、前みたいに笑わなくて。怖かったなあ、あの頃」 それは予備校に通い始めた時期、高校3年生に上がったばかりのときの話だ。 恭次の記憶の中にいる当時の義人はまるで目に光がなく、今以上に痩せて、不健康で、クマもあって頬も痩けていた。 こんな状態でずっと生きていたのかと言えばそうではなかったが、少なくとも、受験期に入る少し前に医大ではなく美大に行きたいと言った義人と義昭の衝突で、家庭も随分荒れてしまっていたのだ。 「、、、」 藤崎は思った。 義人はあまりにも、「親の愛」を受け過ぎて来たのだ。 喉の奥につかえがあるのを感じながらも唾を飲み下して自分を落ち着かせていく。 段々と見えてきた恋人の過去に心臓はまだ嫌な音を立てていた。 親が子に送る愛と言うのは、軽過ぎても重た過ぎてもいけない。 それは少し傾けば彼自身を傷付ける毒にも、刃にも変化してしまう程難しい作りをしているのに、恭次の話しを聞く限り、彼の両親は誰が見ていようと何だろうとそれを過剰に義人に与え続けて来たようだった。 「あ、あった!」 「えっ!?」 次の瞬間、勢いよく恭次が立ち上がった。 藤崎達は彼の突然の大声にビクッとして、立ち上がった恭次を見上げて目を丸くする。 前田に関しては寝かけていたので飛び起きてしまっていた。 「ここだ。街角画像見てもそうだ。この家!」

ともだちにシェアしよう!