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第80話「家族」

近づいてしゃがみ込んだ恭次の手にある携帯電話の画面を覗き込み、藤崎もその画像を見つめる。 黒い格子状の柵に囲まれた白い壁の大きな家。 手前にある大きな門と広い庭。 高そうな白い車。 そしてその奥に、重そうな玄関のドアがある。 「っ!藤崎、佐藤の実家だって、分かったね!」 膝立ちして歩み寄り、一緒に画像を見た入山が声を上げ、藤崎の肩を掴んで揺する。 滝野も藤崎の隣でそれを見ながらホッとした顔をして、遠藤は遠巻きに彼らを眺めて少しだけ安堵したように笑った。 「あと電話番号は今確認してもらってるから、分かったら滝野くんにメッセするね」 「うん!ありがとう、西宮くん」 滝野が嬉しそうに返事をすると前田が一瞬何か言いたげに立ち上がったが、すぐさま恭次が彼を睨み付けたのでまたソファの上で体育座りに戻る。 藤崎は息を吐き、とりあえずはこれで義人の家に行けるのだと安堵した。 やっと道の先が見えた瞬間だった。 「、、西宮くん」 「ん?」 滝野の携帯電話へ探し当てた義人の実家の住所を送り、孝臣からの連絡を確認していた恭次がホッとした顔で藤崎へ視線を移す。 「住所、ありがとう。あのさ。聞いたらすぐ帰るから、もう少しだけ佐藤くんのこと聞いていいかな」 「え?」 それは、藤崎なりに義人の両親を説得する材料を増やしておきたいと言う想いと、義人のことをもっと深く知りたいと言う想いの現れだった。 「佐藤くんのお父さんと多分直接会うことになる。それならそれで、佐藤くんに何があったのか、佐藤くんの家族がどう言う人達なのかちゃんと知りたいんだ」 「、、うん。知ってる限りで良かったら話すよ」 申し出は快く受け入れられた。 恭次自身、母親が他界してから父・孝臣との関係が崩れ、複雑な家庭環境の中で中学、高校生活を送っていた。 それもあってか、同じように家庭でぐちゃぐちゃになっていた義人への親近感は他よりも強く、今も、できる限り彼の力になりたいと思っている。 何より、自分が前田に外の世界に連れ出されてやっと息ができるようになったように、義人もまた藤崎によって暗く重たい場所から外に連れ出してもらえるなら、それを助けたかった。 ソファの横の小さなサイドテーブルに乗せたグラスを取って麦茶を飲むと、恭次は「んん、」と一度喉を鳴らしてから口を開いた。 「予備校で再会してからは良かった。同級生がみんないい奴で、麻子とか里香とも仲良くなって、遊び誘ったり夕飯一緒に食べたりしてたら何とか立ち直って明るくなったんだ。前より笑うし、ふざけるようになったし。でも、考えてみりゃ、家に帰りたがらなかったな」 滝野は恭次が自分の携帯電話に送ってくれた義人の実家の住所を確認して、今度はそれを藤崎の携帯電話に送っておく。 ここから先の問題としては、明日、義人の家に行くのを藤崎1人に任せられるかどうかと言うものだ。 その問題については入山も、他のメンバーも心配している。 「息苦しかったんだと思う」 恭次はソファに戻り、邪魔しないように声を出さず、丸まってしょぼくれている前田の頭に手を置いてわっしゃわっしゃと雑に撫で、わざとまとまっていた髪の毛をぐちゃぐちゃにした。 前田の方は構われて嬉しそうだ。 「医者になれって期待されてたのに、全く違うものになろうとしてるから」 目は前田に向いているが、どこか遠くを見ているようだった。 恭次は今、予備校に通っていた数年前の日々に想いを馳せている。 思ってみれば、受験期だと言うのに気楽で1番遊んでいたように思える。 無論、彼はもうその時期には前田と付き合っていたので、この男に振り回されながらも再会した義人や予備校で仲良くなった他校の友達とも関わり、多いに青春を送っていた。 忙しく、慌ただしくも賑やかで、1人になる時間が1番少なかった時期だ。 「俺には医者の道しかなかったのに、ってたまにこぼしてたかな。そりゃさ、生まれた環境が右向いても医者、左向いても医者しかいなかったら、そう洗脳されるよね」 ふう、とため息を漏らした。 「、、義人のお母さんは優しい。良く笑うし話し掛けてくれるし、口うるさいって思ってんのかもしれないけど、母親死んじゃってる俺からすれば、義人のこと大事なんだなーって感じだった。良い人って言うか」 「うん」 「弟も人懐っこいかな。次男坊〜って感じしたね。甘え上手だし、お母さんに引っ付いたり義人に引っ付いたり。1個下で兄弟仲良いから、義人とゲームしてるとよく部屋に入って来て結局みんなで遊んでた」 「弟さんて、佐藤くんとはまた違うタイプ?」 「違うね。義人は基本人に甘えないし頼られる方の人間だけど、しょーちゃんは甘えるタイプ。人タラシな感じ」 「んん、そっか」 「んー、やっぱあれかな。親父さんの期待にヒョイヒョイ応えてく出来のいい感じの子だったから、次男だし、義人より甘めに育てられてるのかね。怒られてるとこ見たことないし。義人みたいにクソ真面目ではないね」 話しを聞いていると、恭次は本当に義人と仲が良かったのが窺えた。 藤崎にとって、自分以上に彼の事を考えられる人間がいるのは中々に悔しいものがある。 だからと言って知恵比べのように競う気もないが、やはり大学より前から義人を知っていると言う強みを感じた。 「義人の親父さんはとにかく厳しい。自分の息子は医者じゃないとダメ、みたいなところがある。側から見た感想だけど」 恭次は、以降義人の家に行くことがなくなったあの出来事について思い出していた。 怒鳴り散らす義昭の姿と、それを正座して歯を食いしばり、泣かないように気を張りながら聞いている義人の姿はまだ微かに脳の片隅に残っている。 丸まった背中が震えていて、力が入り過ぎた身体が痛そうだった。 あれだけ恐怖を感じる程、彼はいつもこの状況に立たされているのだと思ったのも、覚えている。 「俺達の目の前で怒ったときのテストの点数ね、87点だよ。87点。平均点、全然上回ってんの。しかもそれ、あいつ熱出てあんま勉強できなかったときのなんだ。でもそれは言い訳だろって。体調管理も含めて実力って言われてたな」 その日まで、中学校の始めから仲良くなった義人はもっとヘラヘラしていて明るい人間だと恭次は思っていた。 2年生に上がって弟が入学してくると、彼はそれも嬉しそうで良く教室まで迎えに行って一緒に塾に行く姿があった。 家族が大好きで、恭次は語る事ができないような家庭の話しをしていて、彼は羨ましく思うばかりだった。 それをあの日、義人が周りに合わせて、取り繕って無理をして語っていたものだと知ったのだ。 「あいつがびくびくしたり、あんまり人と深く関わんないのは、怒られたり喧嘩したりしたくないからなんだよ」 予備校時代にポツリと彼が口にしたそれを思い出し、決して他の人には話した事がなかったものを今、恭次は藤崎に教えている。 義人が色んなものを乗り越えて選んだ藤崎と言う存在を試すような、頼んだよ、と言いたげなような目をしていた。 「いっぱいいっぱいになってどうしたらいいか分からなくなるって、1回だけ、教えてくれたときがあった」 「どういうこと、、?」 「頭、回らなくなんの。思考停止。怖い、ごめんなさい、しかなくなるんだって。情けないよねって泣いてた。泣くのも情けないって、ずっと自分のこと情けないって言うんだよね」 「、、、」 人に怒らない。 人と喧嘩をしない。 人のせいしない。 それは佐藤義人の優しさで、強さで、そしてどうしようもないくらいに身体と精神に刷り込まれた恐怖からくる「逃げ」だった。 「もし藤崎くんが言うように、2人が付き合ってることが義人の家族にバレていたとしたら、色々急いだ方がいい」 「、、、」 「それから、負けないで欲しい」 「、、、」 「結局俺たちはまだ学生で、どこの親も大人もそれを押し付けてくるけれど、2人が色んな覚悟を持っているんならちゃんともう大人なんだって伝えた方がいい」 「うん」 この人はやはり、西宮孝臣の息子なんだな、と思った。 「保護下に置く子供時代は終わってるんだって教えないと、義人の親父さんはきっと君たちと向き合ってくれない」 この重たく、何より冷静な言葉を今、追い詰められつつある藤崎にあえて言う事ができるのは恭次だけだっただろう。 藤崎は、今日、彼に会う事ができて良かったと心の底から思った。 子供のように義人を取り返さねばと焦る気持ちが止んだのだ。 真正面からきちんと、迎えに行こう。 ただもしも理解されない場合は、義人を守れるのは自分だけなんだと理解もした。 佐藤義人と一生を共にすると、もう一度強く覚悟を決めた。 (楽しいことだけじゃない。こう言うことも、2人で乗り越えたい) その先に義人といられる未来があるなら、何だって出来る、と拳を固く握り締めた。 「西宮くん、本当にありがとう」 「うん。まあ偉そうなこと言ってるけど、そんな言える立場でもないんだよね」 恭次は困ったように笑い、藤崎もそれに返すように微笑んだ。 「そんなことな、」 プルルルルッ 「っ、え」 プルルルルッ 自分が座っているラグの上、膝のそばに携帯電話を置いていた。 突然鳴り響いたそれに、隣にいた滝野はまたビクッとして携帯電話の画面を見てから、ゆっくりと藤崎の方を見つめる。 「久遠、、義人、だよ」 「えっ!?」 入山が携帯電話の画面を覗き込んでくる。 仰向けに置いたその画面には、「佐藤義人」から着信中と表示されていた。

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