90 / 136
第90話「迷い」
義人はそのまま静かに話し始めた。
弟なりに自分の考えや両親の考えに疑問を抱いてまた苦しんでいるのだと分かって、もし少しでも自分と藤崎の関係を知って楽になるならと口を開いた。
人の恋愛なんて、誰が許す許さないの話しでも、決して、絶対的に受け入れなければならないものでもないのだと。
「自分でも気が付かなかったんだ。男と、なんて選択肢に無くて」
この家で昭一郎と一緒に育って来た自分自身も初めは自分も藤崎の事も受け入れられなかったこと。
同じ性別で惹かれてしまった事が気持ち悪くて耐え難くて悩んだ瞬間もあったこと。
それらは懐かしく、遠いようで近くて、まだ怖い様にも思えた。
「大学入って、藤崎に、多少強引にアタック?されて、気が付いたら俺も向こうのこと好きだったんだ。麻子とか、その前の彼女達が嫌いだった訳じゃない。でも、友情の延長線以上の感情が見つけられなかったのも事実で、だからまあ、俺は最初からゲイだったんだろうな、と思うんだ」
義人は折り畳み式のテーブルの向こうにいる昭一郎の目を真っ直ぐ見つめた。
弟の顔は父親似で、キリッとして整っている。
兄弟2人のくせに顔はまったく似なかったな、と自分達でも言い合う程、彼らは似ていなかった。
性格もあまり似てはいないが、ゲーム好きと言う共通点はある。
仲は良い方で、過去にこんなにもお互いに分かり合えないと思った事はなかった。
「藤崎さんのことは、好きって分かるの?」
「あはは、こう言うの改めて言うと恥ずかしいな。でもそうだよ。俺はちゃんと、アイツが好きだし、向こうもそう」
けれど今、分かり合おうとしてはいる。
昭一郎が踏み込もうとして来ている。
義人はただ自分の思っている事だけを伝えて、それ以上は何も言わなかった。
無理しなくて良いとも、落ち着いて考えれば理解出来る筈だとも何とも。
昭一郎の感じたままに「同性愛」を思うのが1番良いのだと思っていた。
それは例え嫌悪感がなくならなかったとしても、同性愛を理由に人を嫌ったり傷付けたりを彼がしないと分かっているからだった。
「他の男の人には何とも思わないの?」
「思わないなあ。もちろん男友達はいるけど何とも思わないし、そう言う目で見れない。本当、笑えるけど、藤崎だけ」
「、、友達は2人のこと知ってんの?」
「知ってる人も知らない人もいる。仲良い奴らは皆んな知ってる。と言うか、付き合えば良いじゃんて背中押してくれた子もいる」
「、、、」
価値観や考え方が違う人間がいる事は、大学に入ってからより多く人に接する様になった事で分かったつもりでいた。
しかし、おおよそ自分の周りには「ゲイ」と公言している友人も知人もいない分、その理解や受け入れ方は昭一郎にとって未知だった。
だが今、あくまで嬉しそうに話す義人を見て、同性愛を受け入れる人達は少なくない、と昭一郎自身強く感じている。
自分の中の常識は、実は世間一般の常識ではないのかもしれない、と。
「藤崎さんの写真とかないの」
そして興味が湧いた。
兄が愛する同性の恋人、藤崎と言う人間に。
「え?あー、携帯持ってかれちゃって手元にないんだ。ごめん」
「アッ、、そっか、そうだった」
昭一郎は床に投げ捨てられていた彼の携帯電話を父親が拾い上げた瞬間を思い出した。
そのまま、しばらく見つめて自分のズボンのポケットに入れてしまったのだ。
「、、明日、病院行ってるときに取り返しとく」
「え」
キョトンとした顔で弟を見つめると、どこか照れた様な顔をしていた。
自分より大人っぽい顔つきで背も高いくせに、こう言う仕草はやはり弟だな、と小さく笑うと、義人はこくん、と頷く。
「ん、ごめん。できたらお願いします」
食べ終わった食器はまた昭一郎が手に持って下に運んでくれた。
流石に風呂に入りたいなと思っていたら、明日の朝なら良いって、と言われた。
義人から藤崎や彼の両親の話し、友人達の話しを聞いて、昭一郎の心の中は掻き乱されていた。
2階から持ってきたお盆の上の食器をキッチンの流しに置くと、その音を聞いてソファでゆっくりとテレビを見ていた母が立ち上がり、キッチンへ入ってくる。
数年前に古くなったからと買い替えたシステムキッチンの向こうにある目線と同じ高さに位置した縦幅の狭い小窓からぼんやりと外を眺めて、昭一郎は持ってきた食器を洗おうと自分の隣に来た母へと口を開いた。
「お母さん」
「ん?あ、義人綺麗に食べてくれた。良かった」
「俺、間違ってたかも」
「え?」
ポタン、とシンクに落ちた涙の音が響いた。
咲恵は先程まで義昭と話し合いをしていたのだが、結局、明日は義人を精神科に連れて行くと言い切られてしまった。
泣き終わって逆に落ち着いていたので、急に涙を流し始めた昭一郎を見つめて驚いて固まってしまっている。
義昭はリビングからいなくなっていた。
きっと寝室にこもって本を読んで気を紛らわせながらも、義人について様々な事を思って考えているのだろう。
「間違ってないわよ。大丈夫だから」
咲恵が背中を摩ると、シンクの縁に手を付いて、昭一郎は大きく、肺を震わせながら深呼吸をした。
(受け入れても、いいんだ)
義人から聞いた藤崎の話しや彼の両親、周りの友人達の事を思い出して、昭一郎はそう思ってしまっていた。
彼の中の常識は、親の教えや触れた事のなかった同性愛と言うものへの怖さもあって、「同性愛はありえない」の方へ傾いてしまっていたが、実はそうしなくても、考えを改めてもいいのだと思った。
実の兄が同性の恋人との別れを迫られてあんなに苦しむなら、知ってもいい筈だ。
異性愛と変わらないのではないか。
本当は普通の事なのではないか。
そうやって知っていって、受け入れる覚悟を決めても、遅くはないし誰も何も否定しない。
家族を否定して悲しませるより、その方が昭一郎にとっては楽で、そして優しく多様性を楽しめる余裕のある豊かな世界の様に思えたのだ。
「間違ってないかもしれないけど、今は間違ってるよ。兄ちゃんのこと言い出したのは俺だし、申し訳ないと思ってるけど」
「、、、」
「別れないと、ダメなのかな」
「、、んん」
昭一郎が必死に話す姿に、咲恵も自分の中の疑問を再び感じ始めていた。
自分は、実の息子をあんなに苦しめたかったのだろうか。
あんなに泣かせて何がしたかったのだろうか、と。
ともだちにシェアしよう!