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第92話「明日」
「楓、落ち着いた?」
「ん。ホントごめん」
「別に悪くないよ」
義人の様子が分かっただけでも収穫ではあったにしろ、藤崎達にとって電話の向こうから聞こえてきた義人が置かれている状況は家庭としてはまるで崩壊していて、全員が重たい表情になってしまっていた。
ぽろぽろと泣いてしまっていた入山を遠藤が落ち着かせると、彼女は「ハア、」と最後に一度ため息をついてから、いつも通りの快活な顔に戻った。
「藤崎。明日行くで良いよね」
「、、、」
「藤崎?」
通話が切れた携帯電話を見下ろしながら、藤崎は黙っている。
暗くなった画面に映るのは画面を見つめる自分の顔だけで、何かを静かに考えているようだった。
「藤崎!」
「あ、ごめん」
あまりにもぼーっとしているので、痺れを切らした遠藤が怒鳴るように名前を呼ぶとやっと彼はこちらを向いた。
遠藤は入山の背中をさすったまま、ハア、とため息を漏らす。
ゲラの彼女がここまでずっと笑わないのだから、今日は皆んなして陰鬱な雰囲気が過ぎるのかもしれない。
「どうした。何か引っかかってんの」
まだ少し上の空と言う表情を睨むと、藤崎はスン、と視線を外してくる。
「、、いや、」
「言えよ。何だよ」
「感動しました」
「ん?、いや、君には聞いてないんだけど」
遠藤の問いに答えたのは何故か前田だった。
「感動しました!!藤崎さん!!」
「え?」
「同じゲイとして、佐藤さんを思う気持ちとか言葉とか!!俺、すごい感動しました!!」
「ん?え?」
「ちょ、前田!」
ソファから立ち上がった前田は恭次が止める前に藤崎のそばまで歩み寄り、目の前に正座するとギュッと彼の手を両手で握る。
藤崎としては先程の電話でかなりシリアスな心境になってもいたのだが、おかしな展開についていけず握られた手を茫然と眺めた。
「藤崎さん、明日、車必要なら俺が出します!!いつでも言って下さい!!」
「いや、空気読めよ」
遠藤が呆れ返った。
先程までの黙り込んで空気に徹していた前田はどこへやら、急に大型犬のように藤崎に懐き出している。
どうにも、藤崎が義人に抱く強い愛情に共感したらしく、興奮気味で鼻で呼吸している。
恭次は彼の後ろから藤崎を覗き込みつつ、ソファの上で手を合わせて、「ごめん」と言った。
「西宮くん、さっきも言ってたけど前田くんて車持ってるの?」
目の前にいる前田にはあえて聞かずあくまで信用できる恭次に、前田を避けて視線を合わせつつ藤崎はそう聞いた。
今、彼は自分の中で様々な事を考えているが、どれにしろ明日は義人に会いに行く。
実家の住所的には電車で1時間くらいの場所だが、もし車で迎えに行けるなら、連れ帰ると考えてもその方がいい。
電車よりも車の方が落ち着いて安心出来るだろうと藤崎は思ったのだ。
「うん、あるよ。明日使うんならホントに乗せてくし、俺も行く」
「、、お願いしていい?」
「もちろん」
恭次はニコリと笑った。
「前田くん。申し訳ないけど、お願いしていいかな」
「はい!!大丈夫ですよ!!」
大体変な奴に好かれるのは義人の特権だ。
藤崎は久しぶりに妙な奴に懐かれたな、と自分の手を握ったまま嬉しそうに微笑む後輩を眺めて静かに息をついた。
「りいと光緒、もう少しで実家着くって」
帰りの電車は静かだった。
滝野が2人と連絡を取り合っているのは義人も入っている連絡用アプリのグループメッセージのルームだったが、もちろん昨日から8人目がその会話に入ってくる事はない。
和久井ですらたまに「どうなった?」と返事をくれるのに。
19時50分を回った。
滝野以外の3人は携帯電話を見ておらず、藤崎はどこか心ここに在らずでボーッと車内から窓の外を眺めている。
「ん、ありがとう。はあー、すっごい疲れたね」
「バタバタだったしね。どうする?この後」
遠藤も入山も極度の緊張を味わったせいか、根本的な解決は何も済んでいないものの、頭の中はふわふわしていた。
「俺は久遠の家行く。お前、髪染めるだろ?」
「、、、」
「くーおーん?」
「あ、?」
ぼんやりしていた藤崎は滝野に肩を叩かれてハッとした。
電車の中は適度に人がいて珍しく座れず、4人はドアの前の広いスペースに立って会話をしている。
夏の蒸し暑さに対抗する為の車内の冷房は強く、風が当たるとすぐに肌が冷たくなった。
「藤崎、どうしたの」
遠藤の声だ。
遠くに聞こえていた3人の声がやっと近くで聞こえて、藤崎は自分がぼーっとしていたのだと理解する。
そして、心配そうな3人に笑い返す余裕もなかったのか、足元に視線を落としてポツリと零した。
「佐藤くんにとって、あんなに怒鳴っても、父親は父親なんだろうなって思って」
それが何を意味するのか、全貌は全員には分からなかった。
「、、どう言う意味」
また遠藤の声だった。
「本当に大好きなんだよ、家族のこと。だから今、本当に、1番辛い立場にいるから、」
「、、、」
「自分を傷付けてなきゃいいな。すぐ、俺が俺がって落ち込んでいくから」
それは、と滝野と入山は顔を見合わせる。
彼ら2人は特に、藤崎の次に義人のその一面を気にする人間達だった。
入山は彼のそんな面を面倒だと思って何度か注意していて、滝野は藤崎と同じで義人はもっと自分に自信を持てば良いのに、と何か悔しい気持ちがある。
だからこそ、藤崎が言っている事が痛い程分かった。
「だから早く行くんだろ」
遠藤だけは藤崎を見上げ、ドスの聞いた声と視線で彼に訴えた。
お前が弱気になるな。
そう言う目だった。
「、、うん」
しのごの言ってはいられないと言うのは本当の事だ。
藤崎が何も思っても、義人の現状は変わらない。
明日、迎えに行く。
話し合いに行く。
それしかできないのなら、それに全力になるだけの話しだ。
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